2-3
翌日、僕たちは川のほとりにいた。
大きな川だ。向こう岸は見えるけれど、そこに見知った人が立っていてもきっと気づかないほどの川幅があった。
向こうの河原には草が茂っている。湿地になっているのかも知れない。春に霞んで朧に見えた。こちら側は良くある石ころだらけの河原だった。ところどころに草が生えたその河原を見下ろす土手を歩きながら、ぽつりと伽耶子が言った。
「ずっと帰りたかったけど……」
僕は伽耶子の横顔を見た。伽耶子の表情は、長い髪に隠されていてわからなかった。
「私は今は……、この川の向こうへ行きたい……」
「向こう岸に行きたいなら、橋とか渡しとかあるだろう……?」
僕がそう言うと、伽耶子がこちらを見た。
「ないの。ずうっと探してるけど、橋も渡しも見たことない」
「…………」
「船は見たことあるんだけど……」
「じゃあやっぱりあるよ、少なくとも渡し場は、どこかに」
「……うん。そう思って、ずっと探してるんだけど……」
伽耶子は少し俯いた。再び上げたその顔には、すがるような色があった。
「竣介くん、一緒に来てくれる……?」
僕は答えに詰まった。川に隔てられた彼方と此方。簡単に頷いてはいけない気がした。
だけど僕にもこの世界でアテがある訳じゃない。それどころか心細くてたまらない。伽耶子と離れてこの世界を、ひとりで彷徨うことなんて考えられないのだ。
「とりあえず、渡し場を探そう」
僕はそう答えた。
伽耶子はそれ以上何も言わず、僕も口を開かなかった。ただふたり、歩き続けた。どれだけ歩いた頃か、ふと対岸を見た僕の目に、黄色い塊が映った。
「──!」
山吹だ……!
その涼やかな黄色を目にした時、心にわだかまっていたものが晴れた気がした。ここが死者の国ならば、川の向こうが僕らの国、すなわち「この世」のはずだ。
「川の向こうに、一緒に行こう」
僕がそう言うと、伽耶子の顔が、それこそ花のように明るくほころんだ。
「本当……?」
「うん」
僕は伽耶子の手を握った。どうしてか、とても親密な気持ちになっていた。
「一緒に帰ろう……」
伽耶子は答えなかった。ただ、手を握り返して来た。
僕たちは日が暮れればそこらの家に潜り込んで眠り、目覚めては手を繋ぎ、渡し場を探して川の辺を歩いた。
それは悪くない旅だった。もちろん早く帰りたかったけれど、ほんの少しだけ、伽耶子とこうして歩き続けていたい気持ちもあった。
「竣介くんのお母さんやお父さん、心配してるかな……」
「さあ、どうかな」
僕は前を向いたまま答えた。
竣介なんて、いらない──
と言われたことはないが、似たようなことは言われたことがある。
両親が喧嘩していた時だ。母が「竣介さえいなければ、あなたと一緒になんかならなかったのに」と言ったのだ。
両親はふたりとも僕には優しかった。この時ふたりは、家に僕もいることに気づいてなかったのだ。だからきっと、母は本気だったと思う。少なくとも半分は。残りの半分は……喧嘩でつい出た言葉だったのかも知れない。でも僕は普通に母のことも父のことも嫌いじゃなかったから、この言葉はショックだった。
それまでの可愛がられた記憶があったから、愛されていない──とまでは思わなかったけど、それ以来僕は、両親に自然に接することが出来なくなってしまった。
少しは心配すればいい……
僕は意地悪な気持ちで子供っぽくそう思った。
「木村のお母さんは心配してたよ……」
と、僕は言葉を継いだ。
「お祖母ちゃんとこにも来てた」
伽耶子のひどく悲しげな表情を見て、僕は後悔した。
つまらないことを言うんじゃなかった……伽耶子はもうずっと、ひとりでここにいたのに……
「……いなくなってから心配したって遅いよね」
ぽつん、と伽耶子がつぶやいた。