2-1
山を下り、町へと入った時、僕は呆然となった。
どこかに予感はあった。だが……
山中で伽耶子と会った時の不安、一旦は小さく固まったそれが一気に膨れ上がり爆発し、 胸を真っ黒に染めた。
町の様子が一変している。山の麓に拡がるそれは、僕の知っている古神の町ではなかった。
舗装されていない、先刻の林道のような、人々が往来することで踏み固められた「道」。人影はなく、民家も僕が見知っているものよりも明らかに古い。それはまるで祖母のアルバムの、セピア色に変色した写真の中の風景のように見えた。
僕はとうとう、堪えきれずに吐き出した。
「木村……、おまえ、知ってるんだろ……?」
伽耶子は顔を背けていた。だが僕はかまわず続けた。
「ここ、古神じゃないよな……? どこなんだ? ここ……」
「……ここはどこでもないところ……」
消え入りそうな声で、ようやく伽耶子が答えた。
「だから言ったじゃん……私…… 竣介くん、どうしてここへ来たの?って……」
一瞬頭に血が上った。伽耶子を睨めつけた僕の目は多分つり上がっていただろう。僕を見た伽耶子は明らかに怯えていた。
僕は怒鳴る代わりに大きく息を吐いた。
「そうじゃなくて」
極力平静に話そうと努めたが、どうにも声が裏返る。人間はこんなにも簡単に、自分を制御できなくなるものなのだな、と他人事のように思った。
「ここがどこか、聞いたんだよ。答えろよ。木村はここにずっといるんだろ?」
伽耶子は黙りこくったままだ。僕は切れて手を上げそうになるのを必死に堪えた。
「あ」
唐突に小さな声を上げると、伽耶子は僕の手を引っ張った。
「!」
思わず手を引っ込めようとしたが、伽耶子は力一杯僕の手を握って、物陰へと引っ張り込んだ。
「なにす──」
シッ……と、伽耶子が自分の唇に当てて指を立てた。
伽耶子の目線の先を追う。僕は思わず悲鳴を上げそうになり、慌てて自分の口を自由なもう一方の手で覆った。
向こうからゆらゆらと歩いてくるそれの、朽ちかけた骸以外の何者でもないその姿に、恐怖と吐き気が喉元までせり上がってくる。伽耶子が手を放した。僕はそれから目を背け、両手で口を押さえると背中を丸めた。
「……もう行っちゃったよ……」
「…………」
僕は伽耶子を見た。さっきまで居丈高に怒っていたのが、女の子、それも好きな子の前で怯えきった姿を見られては立つ瀬もなかった。
……それにしても…… どうして伽耶子はあれを見て、こんなに冷静でいられるんだろう……
「何だよあれ…… 木村はどうして平気なんだ……」
伽耶子は黙っていたが、しばらくして口を開いた。
「竣介くんには、あれはどう見えたの?」
「どうって……」
僕も答えに詰まった。実際に見たものがとうてい信じられない。だが僕は確かに見た。「現実」にはあり得ないものを。
「死体だろ、あれ…… なんなんだ、ここ……なんでこんなとこに……」
「じゃあ私は…… 竣介くんには、どう見えてるの……」
伽耶子の言葉に僕は面食らった。質問の意図がわからないかった。
「木村は木村だよ。昔っから変わってない。すぐにわかったって言っただろ?」
そう答えてから気づいたことがあり、慌てて付け足した。
「木村にはオレはどう見えてんだ? まさか、さっきのみたいってことないよな……?」
「……だって、竣介くんは生きてるじゃん……」
言いにくそうに答えた伽耶子の言葉に僕は確信した。
やはりここは、死者の国なのだ……
そして同時に、どうやら自分がまだ「生きてる」らしいことに安堵もしたのだった。
きっと伽耶子も、なんらかの理由でここに迷い込んでしまったのだろう。こんなところに長い間ひとりでいたなんて、どんなに怖く寂しかったことだろう。ふたりで帰ろう、と、僕は先刻の怒りも忘れ、強く思った。
「さっきのアレだけど……」
と、物陰に座ったまま伽耶子に話しかける。
「まさか、襲ってきたりとか……」
「そんなことはしないよ」
伽耶子が答えた。
「ああやって歩いてるだけ…… 死んだばっかりだと、話しかけてきたりすることもあるの」
「……ぞっとしないな。話しかけるって、『ボク死んじゃいましたよ、あなたもですね?』とか?」
「…………」
伽耶子は僕の寒い冗談には答えてくれなかった。
やたらに恥ずかしくなり、僕も黙った。