終章
その日、夜には父も来た。あの国では時間も曖昧だったから、僕は長くても半月ほどのことかと思っていたが、実際は三月余りも行方不明だったらしい。
夜から原因不明の熱が出て、僕は十日も寝込んだだろうか。祖母は薬の代わりに、薄い紙に何やら書き付けてあるものを細かく切って僕に飲ませた。普段ならそういうことをひどく嫌がる母が黙っていたのが不思議だったが、熱が下がった後に母がしてくれた話に納得がいった。
僕が行方知れずになり、両親が祖母を責め互いを責め、最後には自分達自身を責め始めた頃のこと、みゃーが祖母の夢に現れ、「竣介を連れて帰るから」と言ったのだという。その日からみゃーは姿を消した。元々気まぐれな雄猫、母は祖母の言うことなどまるきり信じてはいなかったが、それでもどこか、藁にも縋る思いがあって、祖母に教えられて猫返しの呪いをしたのだそうだ。
帰ってきたと思ったら熱を出して寝込んだりして、結局僕の復学は夏休み後、二学期になってからだった。多分それも良かったのだろう、心配してであれ興味本位であれ、失踪中のことについてとやかく聞いてくる者がそう多くなかったことは助かった。問われても答えようもないからだ。
僕は両親、そして祖母にさえ、僕があの世界で見聞きしたことは話さなかった。もちろん伽耶子のことも……
僕はゆっくりとこの世界へ、日々の生活へと戻っていった。
最後にその後についても、簡単に記しておこうと思う。
両親は結局別れた。僕の「事件」のあと、ふたりは良好な関係を取り戻したかに見えたが、やはりそれは有事に於ける一時的なものであったらしい。一度壊れてしまった関係は、多分そう簡単に修復できるものではないのだろう。
僕は大学入学を機に家を出、それ以来気ままな独り暮らしを続けている。
あの時、僕を迎えに来てくれたみゃーはとっくに猫の国へと帰った。祖母もすでに泉下の人となり、あの古ぼけた小さな家があった辺りは今は幹線道路が走っている。
僕はあれからも長い間、人知れず咲いている山吹を見つけると時々潜っていた。だが二度とあの世界は現れなかった。
何年か前、唐突に母から電話がかかってきたことがあった。御座山が宅地造成のために崩されたのだが、その時小さな子供の骨が出て来たという話だった。十歳前後の女の子で、鑑定の結果では死後もう二、三十年も経っているらしい、と言った。
母は多分、その話を聞いた時、僕がその子のようにならなくて良かった……、と心底思ったのだろう。息子が小学生だった時、突然失踪した同級生がいたことを思い出したかも知れない。
母のとりとめのない話を聞きながら、僕は伽耶子のことを思っていた。
伽耶子もようやく、帰ったのだと思った。骸はこの世に、そして魂は川の向こうへと──
もう山吹の花の下を潜ることもない……
そう思った。
山吹の花が咲くところには幽界への入り口がある、と聞いたのはつい最近のことだ。だがあの花を潜らずとも、生きとし生けるものは全てがやがてその門に至るのだ。
それが一年後か二十年後か、あるいは明日なのかは誰にもわからない。人生が旅ならば、それはその門に向かってただ歩き続けるものなのだろう。出会っては別れ、美しい風景もやがてはゆき過ぎる。その儚さはかつて僕が迷い込んだあの黄昏の国の、心許なく揺らめいた風景となんら変わるところはない。
伽耶子を見捨て、ひとりでこの世に戻ってきたのだという忸怩たる思いは、小さく滲んだ伽耶子の姿と共にずっと僕の心の奥底にあった。あの時僕が聞いた伽耶子の声はただの僕の願望で、本当は伽耶子はずっと僕に側にいて欲しかったのかも知れないと、ずっとそう思い続けて来た。だがいずれ門の向こうで伽耶子に再会するのなら、そうしたことを気に病むこともないのだろう。僕もまた、やがて川の向こうへと還っていくひとりなのだ。
山吹の門 了
なんとか企画開催中にエンドマークをつけることができました。
最後までお読み下さった皆様に、お礼申し上げます。
去年から「小説」というものを意識して書き出したのですが、本編は長編では初めて完結した、
私にとっては記念すべき作品となりました。
「春・花小説企画」という、花の香りに包まれた企画でこのような機会に恵まれたことは
望外の喜びです。お読み下さった皆さんの他、企画主催者の文樹妃さん、他の参加者の皆様にも
感謝です。
とはいえ私は元々だらだらした性分でして、今回本当に開催中に終えられるのか不安でした。
案の定と申しますか、後半、やっつけ感が否めません……
そのうちぼちぼちと加筆修正など出来たらと思っています。
批評感想、具体的なアドバイスなどありましたらゼヒお聞かせいただけたらと思います。
今回ホラーに初挑戦してみましたが、「こんなのホラーじゃねえ!」と思われた方も
多くいらしたと思います。ただ、私自身は「怖くないホラー」というのもあるんじゃないかと
思っておりまして、本編はコレになるのではないかいなと……^^;
実は私はとんでもなく怖がりでして、「ホラー」と名のつくものには一切近寄れないというのが
本当のところだったり……したりしなかったり……
さて、最後になりましたが、本編でイメージした花と花言葉にも触れておきます。
タイトルで一目瞭然のことと思いますが、花は「ヤマブキ」でした。
ヤマブキには「気品」「崇高」「待ちかねる」といった花言葉があるそうで、主人公の少年が
異界で再会した初恋の少女にこのイメージを重ねてみました。
ヤマブキは八重が人気だそうですが、私は一重が好きです。断然。
重ねてここまでお読みいただき、ありがとうございました。
春・花小説企画最終日 あんのーん拝