表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

3-3

 僕たちはどのくらい歩き続けただろう。目に映る風景も随分変わった。僕が最初、この世界へ迷い込んだ時は、風景は古びていてもはっきりとしていた。僕たちは道のはたの民家にももぐり込んだし、布団で寝もした。それらにはみんな確かな感触があった。

 空には太陽があり、夜が訪れて月も見えた。僕は星座には詳しくないけど星もあった。

 だけど今は──

 見上げても太陽は見えない。空は変わらず青かったが、磨りガラスを透して見ているように、あるいは青の上に白い絵の具を溶いて流したように霞んでいた。

 地上に目を戻せば、そこも同じようなものだった。描かれた風景の上から薄いローアンバーを重ねて塗り込めたような、画集で見た、夕暮れの風景のような……そこにあるはずなのに静かで遙かに遠い世界──

 ただ川だけが、くっきりと確かに僕たちの前に横たわっていた。水面は静かで、ところどころが白く光って見えた。

 夜ももう、この世界にはやって来ない。僕たちが歩き疲れる頃、世界は翳る。柔らかな草の上で眠り、目覚めればまた明るくなった川野辺を歩き出す。僕自身もまた、緩やかにこの世界の一部になろうとしているのだと思った。

 この国は黄昏の国──何もかもが穏やかにまどろんでいるのだ。ここで怒ったり泣いたりしているのはきっと僕だけだ。

 僕は道の端に白い花を見つけた。瑞々しい緑の葉や花の形、それが風に揺れる涼しげな様子が山吹にとてもよく似ていた。

 僕はその花を短くいくも折り取った。

「伽耶子」

 僕は伽耶子に話しかけた。やっぱり正視は出来なかったけれど、この頃僕は、また伽耶子に話しかけるようになっていた。どうせふたりで旅を続けるなら、伽耶子を物のように扱うのではなく、人のように接する方がラクだと気づいたのだ。

 この世界の空気が僕にそう思わせたのかも知れない。僕自身が伽耶子と同じ存在になりつつあるからなのかも知れない。とにかく僕はそう思ったのだった。

 伽耶子はもう、ひどい有り様だった。美しく清楚だった頃の面影はもうどこを探してもない。僕が恐れ、嘆き悲しんで逃げ出した時より、もっとおぞましい姿になり果てていた。

「伽耶子の名前の由来は聞いたけど、オレの名前のことは話してなかったよな」

 白いワンピースもカーディガンも、伽耶子の融けた肉でどろどろに汚れていた。僕は手にした白い花を、伽耶子の乱れて固まった髪に挿した。

「オレの名前はさ、画家の名前なんだ。母さんは色々尤もらしく言ってたけど、そんなんじゃなく、単純に親父が好きだった画家の名前をつけたの。オレの親父、元々絵描きになりたかったんだよ」

 話しかけながら、何本も何本も……それからカーディガンのボタン穴や、ワンピースの襟元にも挿した。

「伽耶子のとこもあんまりうまくいってなかったっぽいけど……うちもあんまりよくなかったよ。親父、全然甲斐性なかったからね。お祖母ちゃんともうまくいってなくて、それもあって引っ越したんだ……」

 子供の頃に女の子から教わったやり方を懸命に思い出しながら、僕は花輪を編んで腕輪も作った。

「…………」

 全身を白い花で飾り立てた、腐り果てた死体──泣けばいいのか笑えばいいのか、僕にはわからなかった。

 一迅の風に白い花びらがはらはらと舞い散った。僕は少し笑った。

 今僕が伽耶子に捧げた花は、早晩萎れ、むなしく散ってしまうのだろう。

「大丈夫。また花が咲いていたら、摘んでやるよ」

 僕は伽耶子にそう言った。僕たちはまた、歩き出した。

 また幾ばくかの時間が過ぎた頃──


 僕たちは船を見た。

 彼方に白く光る船じゃない。それは流れに棹さし、ゆっくりと向こう岸へと漕ぎ出していた。船頭も、客の姿もくっきりと見える。川に飛び込めば泳ぎ着けるほどに近かった。

 渡し場が近い……!

 僕はそう思った。眠っていたような体中の感覚がまさに目覚めたように、まざまざと隅々までみなぎってきた。

「伽耶子、早く……!」

 僕は我慢できずに少し先まで駆けては振り返り、伽耶子をせき立てた。伽耶子の覚束ない足取りがひどく焦れったかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ