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まるでスローモーション

作者: ゆずこ

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 そよそよと、春の風が暖かい。

新緑かおる王宮の中庭に、シルバーのふわりとした長い髪がきらきら光っている。



「ふぅ…」



 背表紙をパタリと閉じ、ニニアは瞳を閉じた。なんて素晴らしい本だったのだろうか。

ただの旅行記ではない。情景描写が素晴らしく、こんな凡庸な人間にも実際にその場にいたかのような景色や物を想像させてくれるのだ。

 

いつか自分も様々な国を巡って、知識の幅を広げ、自国のために書物にして残したい…そう強く思わせてくれた。



 ニニアはテトラ王国の第5王女であった。歳が15離れている一番上の異母姉はとっくに公爵家から婿を迎え、女王となり国母となっている。

上の姉たちもそれぞれの思うままに降嫁したり、他国へ政略結婚(という名の恋愛結婚)をして、それなりに暮らしているのだった。まだ歳が17であるニニアは、あと一年で成人を迎える。その時に自分の人生が決まるのだろうか…やりたい事はぼんやりあるが、果たしてそれを女王陛下である姉をしっかり説き伏せることができるだろうか…15も離れているとなかなか話す機会もなく、少し壁を感じていたニニア。

 成人まであと一年。自分の強みにできることを増やさないとな、と思うのだった。




「ニニア王女」


 きなれた声が聞こえ、ニニアはパッと振り返った。声の主の濃紺の髪が柔らかに揺れる。



「まあ、アース様。ごきげんよう」

「王女殿下におかれましても、ご機嫌麗しゅうございます」

「いやだわ。そんな他人行儀な。いつものようにしてくださいな」



 では、お言葉に甘えて…と、アースは忠誠の構えから直った。

 この中庭には、ニニアの侍女とアースの従者しかいなく、二人は後ろに控えている。話声は聞こえても、詳細は分からないような距離だった。



「ニー、また読書か。今度はなんだ?物語か?」

「旅行記よ。情景描写がとても上手で、自分がその場にいるような感覚になったの。あっという間に読み終えてしまったわ」

「その厚さの本を?君は他にすることがないのか。時間は有限だぞ。将来君の婚約者になる相手のためにも、少しでも何か学ぼうとは思わないのか」



 はじまった…と、ニニアはぐっと構える。アースのお小言だ。

アースとは幼馴染だった。アースの父は侯爵で、この国の外務大臣をしている。

幼いアースもよく王宮にも出入りしていた。歳が近い二人はすぐに仲良くなった。昔はアースの父が持ってくる国外のお土産や本などを一緒に眺めては、まだ見ぬ地に思いを馳せて、あれやこれやと意見し、笑いあった仲だったのだが…


 気が付けば顔を合わせるたびに、アースはニニアのすること全てに文句や小言を言うようになった。

夜会に出ればドレスの色が似合わないだの、刺繍を刺せばゆがみが気になるだの…。

数えればキリがないほどだが、ニニアはアースに突き放され、初めて自分の想いを知ったのだった。


 嫌われているからか…と思うが、アースは二人になると、ニニアの愛称で自分を呼ぶのだ「ニー」と。

幼い頃からの癖なのか、それとも別の意図があるのか、「ニー」と自分を呼ぶ時のアースの口元が、発音の都合上どうしても笑っているように見えるのだ。

 そこだけに少しばかりの希望をもって、ニニアはアースのお小言を聞き流す技を身に着けた。



 ニニアがお小言を聞き流してぼーっと物思いにふけっていると、アースが怪訝そうな顔をしてニニアを見ていた。ニニアはハッと意識をアースに戻して、ふんわり笑った。



「アース、時間は有限よね。こうしてあなたに小言を言われる時間も有限だわ。これ以上続けるなら、不敬罪で訴えるわよ」

「…悪い」

「冗談よ。アースのお小言は的を射てるもの。それで、お仕事で来られたの?」

「あー、悪い。言い過ぎた。そうだ。来月隣国の使節団が来られるから、その打ち合わせに父と来たんだ」



 アースを可愛い人と思う所はもう一つ。悪いと気づいてすぐに謝罪するところだ。悪いと思うならそんなお小言言わなきゃいいのにな~と思うが、もうよくわからないので諦めている。こんなにも思いつく限りのお小言だ。アースも何か思うことがあるのだろう。


 たぶん彼には嫌われていない。その事実だけでニニアは満足なのだ。


 アースはジャケットから懐中時計を取り出し時間を確認する。もう行かねばならないようで、恭しく一礼してニニアの元から去って行った。

 濃紺の、少しくせ毛のふわふわした髪が遠ざかる。ニニアはアースが言ったお小言を思い出した。



「婚約者のために、何か学べ…か」


 婚約者であってほしい相手にそんなことを言われてしまっては、もうどうすることもできないか。望みなし…とニニアは視線を本に移した。

 春の日差しに雲がかかり、侍女がニニアにストールをかけてくれた。春だけど、日差しがないと寒く感じる。

 

ニニアは丁寧に本を抱きしめ、宮殿へと重い足を進めた。




***






 ああああああ…と、アースは激しい自己嫌悪に陥っていた。そうじゃない、そうじゃないんだ。

アースはニニアの最後の笑顔を思い浮かべて、今以上に沈んだ気持ちになる。

 

 包み隠さずばらしてしまえば、アースはニニアのことがとっても大切だった。

年齢がニニアより2つだけ上で、15の頃にはニニアへの想いを自覚した。だがアースはすぐに自分の気持ちを抑えなければいけないことを知る。

 相手は王族なのだ。自分は侯爵家。父は外務大臣で、王族と関わりのある仕事をしているとはいえ、身分が違いすぎる。

 ニニアに好意を向けてはいけない立場なのだ。そう自分に言い聞かせるため、気が付けばニニアと顔を合わすたびにお小言を述べている。自分でもわかる。阿呆だ。

 お小言を言われている時のニニアは、もう慣れたものでどこ吹く風状態ではあるが、今日は少しだけ悲しそうに笑ったのを見逃さなかった。

 自分で言っておいて笑える。未来の婚約者のために、そのフレーズを自分の口から出しておいて彼女を傷つけた。もちろん自分も激しく傷ついた。



アースの従者は自分の主人がいつもの自己嫌悪に陥っているのを横目に、早く仕事へ、と急かしたのだった。




 アースは御年19になる。幼い頃から外務大臣である父の仕事を見ており、行ける時は一緒に父と国外へ赴いた。そこで見て経験したことを貪欲に自分の知識としているのだ。

 できるのであれば父と同じ外交の仕事についきたいと考えている。それが叶ってか、今はその父の仕事の補佐をしているのだ。

 まあ、正直なところ父の仕事の補佐をしていれば、王女であるニニアのいる宮殿に行けるというのが本音である。


 前回の未来の婚約者発言から2週間。王宮に行くことはあってもニニアと会うことはなかった。第5王女とはいえ、宮殿に残る王女は彼女だけ。王女殿下なりの公務や仕事もあるだろう。ニニアの両親たちはここから北にある城で隠居生活を送っている。


 女王陛下を除く3人の姉はそれぞれ好きなように生きているという。なんという自由な国なのか。それを許せるだけの権限が、今の女王陛下にはあるということなのだろう。圧倒的女系君主。


今日は公爵家の次男の婚約披露パーティが開催され、アースは赴いた。

国外の要人も呼ばれているということもあり、通訳や会話の記録係として呼ばれているのもある。



アースはここにニニアが来ているのを知っていた。視線だけで探すと、若い異国の男性貴族に囲まれたニニアをすぐに発見できた。

とってもモヤモヤする。だけどそんな感情持ち合わせてはいけない。

なんとも言えない葛藤のなか、速足で近づいて、ニニアの傍へ向かった。




「ニニア王女殿下」

「アー…ユーリン殿」

「お話の途中大変申し訳ございませんが、あちらで公爵様がぜひにニニア王女殿下とお話ししたいと」

「参ります。みなさま、失礼対します。また外交のお話しをお聞かせくださいね」



 見事な嘘だ。ニニアもそれを知って自分の嘘に乗ったのだろう。異国の言葉を流暢に紡ぐニニア。相手方の貴族たちも、ニニアにうっとりとしていた。

 アースはニニアの侍女に、彼女を休ませる部屋の準備を頼み、侍従に飲み物を2つ頼んだ。




 休憩する部屋の中に入り、少しドアを開けた。

 未婚の男女が密室に二人ではよくない。ましてや彼女は王女。自制心を総動員して二人きりになった。



「ユーリン殿、先ほどはありがとうございました。色々な方々との話に花を咲かせたのは良かったのですが、なかなか収集つかなくなりまして」

「まるで砂糖菓子に群がる蟻のようでしたね」

「まあ、失礼な言い方。では、ユーリン殿は何と例えますか?」

「はは。うまい例えが見つかりません」



 そうですか、とニニアはアースから視線を外した。長いまつ毛で目元に影ができる。綺麗に結い上げた金糸のような髪。それに合わせるかのような、上品で華やかなピンクのドレス。成人していないため肌の露出は控えめだが、白いうなじに手が吸い寄せられそうだ。



「ニー」

「なあに、アース」


 どうしてこうも、彼女は自分の前では取り繕った笑顔を捨て去るのだろう。こんなにも小言ばかりで愛想をつかされてもおかしくないのだ。

 

 ニニアを見ていると、とても愛おしくて抱きしめてしまいたくなる。それを制しようと思いつく限りの小言を絞り出すのだが、だめだ。何も言葉が浮かばない。



 アースはつかつかとニニアへ歩みを進めた。

 ドアから死角になる大きな窓のカーテンへニニアの腕を引っ張る。

バサリとカーテンが舞い上がり、二人の姿を見えなくした。



 ぎゅうと、どちらが先に抱きつく腕に力を込めたのかわからないし、どちらから先に唇を触れさせたのかもわからない。

 まるでスローモーションのように二人の距離がゼロになり、長い抱擁と深く甘い口づけ。

 一瞬の息継ぎで触れ合えそうな距離が生まれ、切なげなため息が漏れる。




「不敬罪で処刑されるな」

「いまさらではなくって?」



 ゆらゆら揺れる二人の瞳が、このままではいけないことを物語っていた。





+++





 ニニアは、大好きな読書もそこそこに、はぁ、とため息ばかりだ。

あれから数カ月だが、アースには会えていない。むしろ、会ったらどんな顔をすればいいのだろう。あんな夜はもう来ないだろうな、とズキリと胸が痛い。あれは、あの一瞬はほんの幻。でも心を通わせた、それだけでこんなにも満たされてしまうのか。


 だが、それももうおしまいだ。今日はこれから女王陛下から直々に話があるとのこと。

 きっと自分の今後の話だ。頑張れニニア。自分の道が決まってしまう前に、自分の想いを打ち明けるのだ。


 ニニアは両頬をパチリと手で鳴らし、ソファーから立ち上がった。




「ニニア・ベルガット。参りました」

「ああ、ニニア。久しいわね。夜会での国外貴族たちへの対応、高評価を聞いています。わたしも誇り高いわ」



 女王陛下となった姉と会うのは半年ぶりだろうか。いつも忙しくされていても、しっかりと自分のことを把握してくれていたことに、ニニアは胸が暖かくなった。

 それと同時に、もっと女王陛下と自分のことを話す機会を設ける努力をすればよかった、とも思った。



「あと半年でニニアも成人ね。北の城で暮らす父上たちから書状が届きました。ニニア、成人の儀と同時に婚約披露もします」

「承知いたしました」

「まあ。ニニア、あなたは相手が誰か聞きもせずに承知してしまうの?」

「え?ですが…相手がどこの誰だろうと、王命であればそうするまでのことではないでしょうか」



 ニニアにはあまり似ていない女王陛下。異母姉であるので、艶やかな黒髪と、切れ長な目元が特徴でいかにも芯のある君主、と見受けられる。

 そんな女王陛下に、ニニアは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。


「ニニア、あなたの姉たちは皆見事に自分の想いを貫き、嫁いで行きました。国外であったり、降嫁であったり。あなたは?自分の意見を私に述べないの?そのままどこの誰とも知らぬ相手と結婚することになっても良いの?」


 良い訳がない。一緒になりたい人がいるのは事実だ。

 だが王女である自分がそれを口にしていいのだろうか。彼を縛り付けていいのだろうか。そればかりが頭を占めていた。

 ニニアは賢い。知識がある。それを有効に活用できるような公務もしてみたい。欲張って二つも手にして良いのか。


 喉がカラカラだ。ここで名前を出してしまえば、どうなるか。



「陛下…私には、幼い頃より慕っている方がおります。その方は私に国の外の知識を授けてくださいました。外の世界の広さと素晴らしさを教えてくださいました。そのおかげで今の私があるようなもの。もしも、もしも可能であれば、私、ユーリン次期侯爵と一緒に世界を見たいと思っております」




 こんなにも女王陛下と会話をしたことがあっただろうか、それほど長く対話していた。

そして、ずっと心に秘めていた想いを打ち明けたのだ。

 女王陛下は、ふむ…と口元に手をやり、試案したのち天幕の奥へと声をかけた。




「ユーリン殿。貴殿の勝ちのようね」

「ありがたく存じます」



 奥から出てきたのは、アースだった。何を言っているのか、ニニアは思わずその場にへたり込んでしまった。すぐにアースはニニアに手を差し出し、いつもは見られない満面の笑みでニニアを抱き起こす。


 言葉にならないニニアに、女王陛下は続けた。



「以前からユーリン次期侯爵殿に、ニニアとの結婚の打診をされていたの。でも、私はニニアからそんな話をされていないし、どうしたものかと。でも、ニニア、貴女のことだから最初から無理だと思って私に何も言わなかったのではなくて。外交をしてみたい事も」

「では、婚約の話が来てると言うのは…」

「ええ。ユーリン侯爵家からよ。でもあなたがただ従順にその婚約に頷くのであれば、私は断るつもりだった。でもあなたはちゃんと意見したでしょう。なのでユーリン侯爵家の勝ち。貴女を降嫁して、夫婦でこの国の外交をしてもらおうと思うわ。良いでしょう」

「は、はいっ!」




 そんなことがあっていいのだろうか。まるで自分が思い描いていたような未来になるではないか。

ああ、これは夢なのか、白昼夢なのか。ニニアは自分の頬をつねる。痛い。夢ではない。


 ふわふわした足取りで、女王陛下との謁見が終了した。アースにエスコートされながら、自室に戻った。





「アース、ちょっと私の頬をつねって」

「また?さっき自分でつねっていたし、もう現実だってことを認めろよ」

「わかったわ。これは現実なのね」



 ニニアはアースへ向き直り、ぎゅうと抱き着いた。あの夜とは違い、正々堂々と抱き着ける。こんなにも嬉しいものはない。

 

 アースは深呼吸して、ニニアに腕を回した。

すり…と頬を触れ合わせ、一気に甘い空気になる。

鼻先が触れ合う距離で、ニニアは笑顔でつぶやいた。




「まだ正式に婚約者ではないわ」

「じゃあ、不敬罪でもなんでも」




 あら、あの夜のようね、と言いかけたニニアの唇をアースはゆっくりとふさいだ。




まるでスローモーションのように。

*ニニア・ベルガット(17)テトラ王国第5王女

国外の様々な物事に憧れる王女様。アースとは幼馴染。アースのお小言を空気のようにかわすことを特技としている。

*アース・ユーリン(19)テトラ王国の侯爵家長男。父は外交官。いつかは自分も国を渡り歩きたいと思ってる。ニニアが好きだけど身分差から求婚して良いものかずっと悩んでいるが故に、ついつい彼女へ辛く当たってしまう。



隠れて抱き合う場面が書きたかったのです。

まだまだ未熟でございます。


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