覚悟
疎らな拍手にひときわ大きな拍手が一層惨めさを演出する。まただ。一つの公演が終われば、あの日のことを思い出してしまう。数少ないお客の不満の色を滲ませている表情も心を削ぐにはじゅうぶんだった。
今日の夕餉はシュラスコでも食べようか。そんな愚にもつかないことを考えて、現実逃避をする。しなければ、重苦しい空気の中で片付けを続けることはできないのだ。
「いつまでやってんだろ?」
今日もバミリを剥いでいる宇喜多が呟いた。
大学で知り合った彼とは十年来の付き合いになろうとしていた。時間とは時に残酷なもので、僕たちを縛り付けているのだ。それ故に、彼は言葉を濁す。時間とは時に便利なもので彼の言わんとしていることが分かる。しかし、気付かないふりをする。
全ての片付けも終わり、例の如く反省会と称した打ち上げと称した傷のなめ合いに行くことになった。会場の外で待っていた、パンツスーツを着こなす沙希も一緒に。
よれよれのティーシャツにいつどこで付着したか分からないシミがある半パンにビーサンの僕に躊躇いもなく腕を絡める彼女しか喋らない道中は更に暗くなった。とは言え、見上げなくても街灯の光は道を照らしていて明るい。即ち、種類の違う光が影を落としているから暗くなるのだ。光がなければよかった…。
取り留めのないことを考えている間に行きつけの大衆居酒屋に到着した。相変わらず店内はがらんどうでここより傷のなめ合いに相応しい店はないだろう。行きつけになったきっかけも店主の大衆の看板を下ろそうか、と言う相談があり、自分と重なって見えたからだ。
全てがいつも通りに進む。少なからず、いつも通りが許される人は僕たちみたいな人種ではないはずだ。だからといって、何をしたらいいのかわからない。耳触りよく言えば、平坦で一直線の人生なのだ。
次第に会話は少なくなり、解散の言葉が皆に浮かんだ頃に、グラスの底を舐めるように持ち上げてはビールの風味を含んだ氷水を呑んでいた宇喜多が口を開いた。
「やっぱり、普通の人になりたい」
その場の皆が息を呑み、固唾を飲む音が聞こえたような気がした。
「少し前からじいちゃんがやっとる会社に誘われててさ、もう踏ん切りもついたし甘えようかな」
人生を掛けたチキンレースは終わりを告げようとしていた。もう気付かないふりはしていられない。ならば、友達として彼の意見を尊重してあげなければいけないだろう。彼は臆病者ではなく、英断をした英雄だ。
「私も」「俺も」「僕も」「あたしも」
同調の波が起こっても別段驚きもしない。時が来たと言うことだ。覚悟は十年前、いやもっと前からできており、想像できる範囲の最悪の結果になっただけである。
「……結局、それかよ。それなら、初めからやるなよ。片足だけ入れやがって」
我知らず口を衝いて出た言葉に驚く。
覚悟はしていた。つもりだ。だのに、口から出た言葉は真逆と言ってもいい。ああ、そうか。あの頃にはなかったものが今はあると言うのか。その逆もあるのかもしれない。
やはり、時間とは時に残酷なものだ。換言をして、時間が作り出すプライド、が、というべきだろうか。ひとりでに積みあがったプライドが覚悟を上回っている。
頭では全てを理解できた。にも拘らず、気付いたことで引き返せなくなったのも事実なのだ。今から言うだろう暴言に皆は帰るはずだ。最後だからと皆が伝票に書かれている金額のお金を捻出して。
分かっている、僕はどこまでいってもクズなのだ。