咲くんだもん
太平洋戦争末期、疎開先の家の庭にあった病気の桜の木の看病を始めた子供達と桜の木の物語。
20年くらい前に書いた手書き原稿が出て来たので公開します。
今みると割とご都合的ですがあえて加筆訂正はしませんでした。
なので登場人物の年齢設定はそこを考慮してください。
201.7.28 誤字脱字を訂正し、全ての漢字に振仮名をつけました。
重複投稿作品
春です。
とっても暖かくて、とっても気持ちのいい春の日でした。
哲平おじいさんはおじいさんの家のお庭で、とってもきれいに咲いている一本の桜の木を嬉しそうに眺めていました。
「今年も咲いてくれたね。ありがとう」
哲平おじいさんは桜の木をなでながら、桜の木に話しかけます。
まるでお友達のように話しかけるのです。
「おじいちゃん!」
哲平おじいさんが後ろを向くと、そこには今年の四月に小学生になる祐太くんがお父さんとおかあさんと一緒に立っていました。
「よく来たねぇ」
哲平おじいさんは祐太くんの所にやって来ます。
祐太くんはじぃーっと哲平おじいさんを見ています。
「どうしたんだい?」
哲平おじいさんが尋ねると、祐太くんは不思議そうに哲平おじいさんにこう聞きました。
「おじいちゃん、桜の木とお話ししてたの?」
哲平おじいさんはこう答えました。
「そうだよ。それがどうかしたのかい?」
「桜の木はお話ししてくれる?」
「してくれるよ。だっておじいちゃんとこの桜の木は、お友達なんだから」
「お友達?」
祐太くんは首をかしげてしまいました。
哲平おじいさんは大きな声を出して笑います。
「あはははは、ところで今日はおじいちゃん家に泊まって行くのかい?」
その質問には、祐太くんのお父さんが答えてくれました。
「はい、今日は泊まって行きます」
祐太くんもお父さんの後についてこう言いました。
「うん、泊まってく」
祐太くんがそう言ったら、お母さんが怒ってこう言いました。
「『うん』じゃなくて、『はい』でしょ」
「はい」
祐太くんは素直に謝ります。
「あはは、そうか。じゃあ今日の夜、祐太が寝る前におじいちゃんとこの桜の木の話をしてあげよう」
「やったぁ!」
祐太くんは大喜びで哲平おじいさんの周りを、飛んだり跳ねたりしました。
哲平おじいさんも嬉しそうに笑いながら、祐太くんの飛び回るのを眺めていました。
夜になりました。
祐太くんはワクワクドキドキしながら、哲平おじいさんの布団の隣に敷かれた布団の中で、哲平おじいさんが来るのを待っていました。
やがて、哲平おじいさんが襖を開けてお部屋に入ってきました。
「さぁ、始めようか」
哲平おじいさんは言いました。
「うん!」
祐太くんはそう言った後、「あっ」と気付いてしばらくうつむいてしまいました。
でも、やがて、
「はい」
祐太くんは言い直したのです。
「ははは、よし。あれは、おじいちゃんがまだ、祐ちゃんくらいの時だった。その頃、世界中で戦争しててね、大きな街は危ないからって、おじいちゃんのおじいちゃんの家に預けられていたんだ」
と、哲平おじいさんは話し始めました。
哲平くんは、たった一人で権平おじいさんのお家に連れてこられたのです。
夏の、とっても暑い日でした。
おじいさんのお家のお庭にある一本の桜の木は、夏だというのに葉っぱの一枚もついていませんでした。
哲平くんは、毎日毎日その桜の木を眺めていました。
ある日、
「哲平、どうしたんだい? 毎日毎日その桜の木ばかり見上げて」
畑仕事から戻って来たおじいさんは、哲平くんに聞きました。
「おじいちゃん。この桜の木、死んじゃったの?」
「ん? どうしてだい?」
哲平くんは、おじいさんの顔を見上げるようにしてこう答えました。
「だって、夏なのに葉っぱの一枚もないんだもん」
おじいさんは、腰に巻き付けていた手ぬぐいで汗を拭くと、笑いながら縁側に腰を下ろしました。
「なるほどなぁ。でも、その桜の木は死んじゃいないよ」
「本当に?」
哲平くんは、おじいさんの所まで走って来ました。
「本当に死んでないの?」
おじいさんは、桜の木の向こうに見える緑の山を、目を細めるようにして見ながらこう答えました。
「そうさ、死んでるんじゃないよ。ただちょっと、おねんねしてるんだ」
「寝てるの?」
「そうだよ。その桜の木はね、ちょっと病気なんだよ。だから、しばらくおねんねしてるんだ」
それを聞いて、哲平くんはまた、桜の木の近くまで走って行きました。
そして、桜の木をしばらくじーっと見上げていたのです。
やがて哲平くんは、クルリとおじいさんの方を向くと、こう言いました。
「いつまで寝てるの?」
おじいさんは腰を伸ばしながら立ち上がり、こう答えました。
「病気が治るまでだよ」
「いつ治るの?」
「さぁね、誰も看病してくれないからね」
そう言うと、おじいさんは仕事に戻って行きました。
哲平くんは、畑に向かうおじいさんの背中に向かってこう叫びました。
「じゃぁ、僕が看病するね。病気なのに一人じゃかわいそうだから、僕が看病してあげるんだ」
その声が届いたのでしょう、おじいさんは振り向きはしませんでしたが、こう答えてくれました。
「しっかり看病して、病気を治してやりな。きっと、何かお礼をしてくれるから」
そんな後ろ姿に大きくうなずいた日から、哲平くんは桜の木の看病を始めました。
毎日毎日、学校から帰ってくると「葉っぱ付いてないかな?」「新しい芽が出てないかな?」などと思って桜の木を見上げたり寄りかかったり、自分の背より何倍も高いところに登ったりしていました。
毎日毎晩、夜空の星のたあっくさん光っている下で「早く病気が治るといいね」とか「次の春には、きれいな花を見せてね」などと話しかけてから、布団に入っていました。
そんな哲平くんを、おじいさんはとっても優しい目で、黙って見ていてくれました。
秋も終わろうとしている頃のことです。
いつものように哲平くんが、桜の木に登って話しかけていました。
さて降りようかと思って、ちょっと下を見てみると、そこに一人の女の子が見えたのです。
白いリボンの麦わら帽子、飛ばされるのを嫌がるように、ちっちゃな右手でちょこんとおさえ、じっとこっちを見ているのです。
哲平くんはするすると桜の木から降りてくると、女の子の前にまっすぐ立ちました。
「何をしているんだい?」
哲平くんは女の子に尋ねました。
すると、
「あなたこそ何しているの?」
女の子が聞き返してきたのです。
リンゴ色したほっぺのその子は、哲平くんよりほんのちょっぴり背が高く、哲平くんを見つめる瞳は好奇心の輝きに満ちていました。
「桜の木とお話ししてたのさ」
哲平くんは、少し自慢気に言いました。
「うそ。この桜の木はもう死んじゃってるって、お母さんが言ってたわ」
「そんなことないもん!」
突然、哲平くんが大きな声で怒ったので、女の子は目を大きく開いたかと思うと、じわっと瞳に涙をためて泣きだしてしまいました。
さぁ、哲平くんは困ってしまいました。
どうすればいいんだろう。
女の子はなおも泣き続けています。
「いや、あのね、その…ごめんなさい…」
これじゃあ女の子も泣きやみません。
そうなると今度は哲平くんの番です。
困った揚げ句に泣き出してしまいました。
葉っぱのつかない桜の下で、小さな子供が一人二人、大きな声でワンワンオンオン泣いているのです。
やがて哲平くんが、涙に時折むせながら、ボソリボソリと話し出しました。
「この桜の木は死んでないもん。おじいちゃんが、おじいちゃんが言ってたもん」
ヒックヒックとしゃくりあげ、哲平くんが話します。
「病気しているだけだって、おじいちゃんが言ってたんだもん」
それを聞いて、女の子はピタリと泣きやみました。
「それ本当?」
哲平くんはまだ泣いています。
「本当だもん。だから僕が看病して、治してあげるんだもん」
「私も手伝う!」
「え!?」
哲平くんも、思わず泣きやんでしまいました。
「私も看病手伝う。いいでしょ?」
「…うん」
お庭に立っている一本の、葉っぱのつかない桜の木、病気のその木の小さなお医者さんが、その日二人になりました。
桜の木のお医者さんになった女の子、咲ちゃんは、哲平くんと一緒に看病を始めました。
毎日毎朝、桜の木にお水をかけてあげました。
毎日毎日、桜の木を見上げたり、寄りかかったりしてみました。
夜空の星のたぁっくさん光っている下で「さようなら」って、お別れしてから帰りました。
二人は秋が終わって冬になり、いっぱいいっぱい雪が降っても、暇になると必ず桜の木に寄りかかってお話をしていました。
でもね、桜の木を看病していたのは、哲平くんと咲ちゃんだけじゃないんだ。
吹雪の日も、ずっと立っていると凍っちゃうんじゃないかと思う日も、ずっと看病していたんだ。
権平おじいさんは、春も近くなって雪も溶け始めたころ、久しぶりに庭から桜の木を眺めていました。
権平おじいさんの見つめる桜の木は、冬の間に咲かせた雪の花で重たそうに枝をしならせていました。
雪の花も春が近いからでしょう、下に透明なつららを作り、太陽の光を受けてゆっくりと雪解け水になって散っています。
おじいさんは、熱くて渋いお茶をずずっとすすりながらぼんやり眺めていたのです。
「おや?」
そして、おじいさんは気づきました。
お庭を囲っている生垣の向こうに、一人の男の子がじっと桜の木を見つめていることに気がついたのです。
おじいさんがその男の子をぼんやり見つめていると、それが判ったのでしょうか、チラリと視線を合わせて逃げるようにいなくなってしまいました。
おじいさんは、その走って行く後ろ姿を見送りながら、にっこりと、とっても優しい微笑みをシワだらけの顔に浮かべました。
「おじいちゃん。何、笑っているの?」
声に気づいて振り向くと、そこには咲ちゃんを連れて帰ってきた哲平くんが、肩で大きく息をしながら立っていました。
きっと、少しでも早く桜の木に会いたくて、走って帰って来たのでしょう。
おじいさんは立ち上がると二人の前まで来て、二人に話しかけました。
二人の前にしゃがみ込んで、二人の顔をのぞき込むようにして、こう話し始めたのです。
「いいかい? 君たちの他にも、一所懸命にこの桜の木を看病しているお友達がいるんだ」
「本当?」
おじいさんに聞き返したのは咲ちゃんです。
おじいさんは咲ちゃんの方を向いて、ゆっくり大きくうなずくとこう続けます。
「きっとその男の子も、二人と一緒に仲良く桜の木を看病したいんじゃないかと思うな」
「うん」
そこで哲平くんは、大きくうなずきました。
大きくうなずいてこう言いました。
「僕、その男の子と仲良くするよ」
そうしたら咲ちゃんも慌てて、
「私も仲良くするよ」
そう言って、おじいさんに白い歯を見せて笑いました。
おじいさんは、そんな二人の頭を同時になでてあげました。
さて、その男の子、名前を良介くんと言うんだけどね。
確かに良介くんはおじいさんの言った通り、みんなと一緒に桜の木を看病したいと思っていたんだ。
だけどね。
だけど良介くんは、とっても恥ずかしがり屋さんでちょっぴり意地っ張りくんでもあったんだ。
ある日のこと。
良介くんはいつものようにこっそりと、桜の木の様子を見ていました。
そうしたら、
「わっ」
と、後ろから大きな声がします。
あわてて良介くんが振り返ると、そこにはいつも桜の木の下で遊んでいる男の子と女の子が立っていました。
良介くんは驚いたのと恥ずかしいのと怒ったのを混ぜた赤い顔で、生垣にへばりついた格好のまま二人に向かってわめきます。
「なんだよいきなり、驚いただろ」
哲平くんは、驚かそうとしてやったのです。
いきなりなのは当然だよね『今から驚かすよ』なんて言ってから驚かす訳がありません。
哲平くんと咲ちゃんは、キョトンとして顔を見合わせました。
そして、弾けるように二人同時におなかを抱えて笑い出しました。
「な、なんだよ」
良介くんには何がなんだか判りません。
「ははは、ごめんね」
哲平くんは、やっとのことで笑うのをやめました。
「君だろう? いつも一人で桜の木を看病していたの。おじいちゃんが、言ってた」
そう言われた良介くんは、照れ臭くなってそっぽを向いてしまいます。
「いいだろ、別に」
精一杯の意地っ張りです。
どうも素直に「そうだよ」と言えなかったので、こんな言い方になってしまったのです。
「ねぇ、名前は? なんて言うの?」
咲ちゃんが聞いてきました。
良介くんはぶっきらぼうに答えます。
「良介」
「良介くんか。ねぇ良介くん、僕たちと一緒に桜の看病をしない?」
「え?」
良介くんにとって、それは願ってもない誘いでした。
でも、良介くんは意地っ張りです。
素直に「うん」とは、どうしても言えません。
今までだって、独りで桜の木を見守ってきたのです。
独りでも出来るんだって思う気持ちが、心のどこかで良介くんを揺らしているのです。
それとは反対に、とっても嬉しい気持ちにもなっていました。
友達が出来る。
友達と一緒に桜の木を看病できるなんて、何だかとっても楽しそうじゃないかなぁ…とも思っていたんです。
しばらく腕を組んでうんうんとうなりながら考えていた意地っ張りの良介くんがとった行動はこうでした。
アッカンベー
「誰がお前たちなんかと一緒に看病なんかするもんか」
思いっきり叫ぶと、二人にくるりと背を向けて走り去ってしまいました。
「あ、ちょっと、ねぇ、良介くん」
呼び止める二人の声を無視して走る良介くん。
桜の木が見えなくなるまで走った良介くんは、どうしても悲しくなってきてついに泣き出してしまいました。
「うえぇえん」
何が悲しかったんだろうって?
それはね、哲平くんたちと一緒に桜の木を看病出来なくなったからなんだ。
意地っ張りの良介くんは、本当はとっても寂しがり屋さんだったんだ。
悲しくて、悲しくて、とっても寂しくて、良介くんは泣きながらお家へ向かって走って帰りました。
哲平くん、咲ちゃん、良介くんと言うちっちゃなちっちゃな三人のお医者さんのいる桜の木ですけれど、残念ながらその年も花を咲かせませんでした。
でも、おじいさんは気付いています。
桜の木の病気が少しずつ良くなっていることに。
桜の木が、三人の看病にちょっとずつ応えようとしていることを。
三人の小さなお医者さんは、まだそのことを知りません。
でも、三人の小さなお医者さんは絶対に桜の木の病気は治ると信じています。
来年には、きっときれいな花を咲かせてくれると信じているのです。
おじいさんも、来年には花が咲くだろうと思っています。
けれど、おじいさんは知っていました。
戦争で、日本が敗けそうなことも…。
事件は、その年の夏に起こりました。
その日も、哲平くんと咲ちゃんは、桜の木の下で、二人仲良く桜の木に話しかけていました。
もちろん、良介くんも遠くから、少しうらやましそうな顔で、桜の木を見守っています。
おじいさんは、畑を耕していました。
やがて、お昼になりました。
おじいさんは、腰に下げていた手拭いでおでこの汗を拭って、空を見上げました。
青い空です。
白くて、大きな入道雲も浮かんでいます。
そして、大きなプロペラの音を響かせて、アメリカ軍の飛行機が、飛んでいました。
遠くから、慌てたようにサイレンが鳴り出しました。
『空襲警報』です。
今頃になって、鳴り出したのです。
でも、おじいさんは慌てません。
あの飛行機が、この村を狙っていないのを知っているからです。
飛行機は、プロペラの音を残して、山の向こうに消えて行きました。
「空襲警報が、鳴っているよ」
「早く防空壕に入らなきゃ」
哲平くんと咲ちゃんが、走って知らせに来てくれたのです。
おじいさんは、「あはは」って笑いながら、二人の頭に大きな手を乗せて、くしゃくしゃとなでてくれました。
「大丈夫。心配ないよ。アメリカ軍は、山の向こうに行っちゃったから」
「本当?」
「本当だとも」
それを聞いて、二人とも安心したのか、にっこり笑うと、口を揃えてこう言いました。
「おじいちゃん。おなか空いた」
と。
おじいさんは、もう一度、声を出して笑いました。
「よし、じゃあ、お家に帰ろう」
「うん」
二人の子供は、元気よく返事をしました。
さて、お昼も過ぎて、おじいさんがそろそろ畑仕事に戻ろうかと思ったときです。
一台のジープが、おじいさんの家の前に止まりました。
三人の兵隊さんの乗った、日本軍のジープです。
兵隊さんは、ジープを降りると、桜の木の下にやって来て、コンコンと叩いてみたり、上の方を見上げたりしていましたが、やがて『うん』なんてうなずきあうと、一人がジープに、もう一人の兵隊さんがおじいさんのところに歩いてきました。
一体、どうしたのでしょうか。
哲平くんと咲ちゃんは、なんだかとっても怖くて、おじいさんの後ろに隠れて、じっと近づいてくる兵隊さんを見つめていました。
近づいてきた若い兵隊さんは、おっかないくらい大きな声で、こう言いました。
「おい、じいさん。あの桜の木は、切って行く。いいな」
哲平くんと咲ちゃんは、びっくりしました。
若い兵隊さんの、大きな声のせいじゃありません。
兵隊さんが、桜の木を切って行くと言ったからです。
ジープの方に歩いて行った兵隊さんは、ジープに積んでいた大きな斧を持って、桜の木の前に立っています。
「ダメェーッ!」
咲ちゃんが、若い兵隊さんに負けないくらいの大きな声を出して言いました。
そうです。
せっかく今日まで一所懸命に看病してきた桜の木です。
いくら兵隊さんでも、そんなこと許されません。
咲ちゃんは、精一杯の声を張り上げて叫びました。
「その桜の木を、切っちゃダメーッ!」
桜の木の下にいた二人の兵隊さんが、咲ちゃんの方を見ました。
若い兵隊さんが、言います。
「何を言ってる。こんな枯れた桜の木なんかいつまでも植えていたって、なんの役にも立たないじゃないか。切って、お国のために使うんだ」
「枯れてないもん!」
哲平くんも、我慢出来なくなって、咲ちゃんよりもっと大きな声で言いました。
「桜の木は、ちょっと病気で寝てるだけだもん。来年には、花を咲かせてくれる約束なんだもん!」
目に、涙をいっぱいためながら言ったのです。
「約束? 誰と約束したって? 桜の木とか?」
哲平くんは、大きく、力一杯うなずきました。
それを見て、斧を持った兵隊さんは、声を出して笑い出しました。
若い兵隊さんは、怒りました。
「ウソをつけ! 桜の木が、人間の言葉を話すわけがない!」
「ウソじゃないもん! 僕、桜の木と約束したんだもん。絶対に、咲くんだもん!!」
哲平くんは、これ以上ないくらい大きな大きな声を出して言いました。
桜の木の下にいたもう一人の、きっと三人の中で一番偉い兵隊さんが、斧を持っている兵隊さんに命令をしました。
「いいから、とっととこの木を切ってしまえ」
斧を持った兵隊さんは、「はい」と返事をして、持っていた斧を思いきり振り上げました。
「きっちゃダメーッ!」
咲ちゃんの悲鳴とほとんど同時に、斧を持った兵隊さんに誰かがぶつかってきました。
「ああっ、危ない」
兵隊さんは、斧を落っことしそうになって、よろよろとなりました。
一体誰が、こんなことをしたのでしょうか。
一番偉い兵隊さんは、斧を持った兵隊さんにぶつかってきた男の子を睨みつけました。
怖い兵隊さんに睨みつけられて、一瞬「おっかないよぅ」という顔をした男の子ですが、すぐにその兵隊さんよりも、もっとおっかない顔をして見せます。
なんて意地っ張りなんでしょう。
そう、その男の子は、良介くんです。
お昼ごはんを食べて、桜の木を見に戻ったら、兵隊さんが桜の木を切ろうとしていたので、急いで体当たりしたのです。
「僕たちの桜の木だぞ。何するんだ!」
良介くんは、ものすごいおっかない顔をして、兵隊さんを睨みつけます。
「なんだと!?」
良介くんに突き飛ばされた兵隊さんは、カンカンに怒っていて、今にも良介くんを殴りそうです。
若い兵隊さんに哲平くんと咲ちゃん。
斧を持った兵隊さんには良介くん。
それぞれが、それぞれにおっかない顔をして、睨み合っています。
おじいさんは、一番偉い兵隊さんの所に歩いて行き、こう言いました。
「隊長さん。突然そのようなことを言われても、子供たちは納得しません」
おじいさんに言われて、隊長さんは、大きくうなずきました。
「それは、もっともだ」
そして、こう続けました。
「しかし、枯れている木を切るのだし、お国の為になることだ…」
「枯れてなんかいないもん!」
哲平くんは、隊長さんに向かって大きな声で言います。
「またウソをつく」
若い兵隊さんが、哲平くんの頭の上から怒鳴ります。
「ウソじゃないもん」
今度は咲ちゃんが、若い兵隊さんに言い返しました。
おじいさんは、穏やかに、そしてゆっくりとした口調で隊長さんにお願いしました。
「子供たちの言う通り、この桜の木は枯死したわけではありません。子供たちのためにも、出来れば切らないでいただきたいのですが」
「じいさん。しかしなぁ」
若い兵隊さんが、おじいさんに近づいてきます。
それと一緒に哲平くんと咲ちゃんも桜の木の下にやって来ました。
「これはお国の為なんだぞ。こんなチビどもと大日本帝国と、一体どっちが…」
そこまで言った若い兵隊さんを隊長さんが、止めました。
「判った」
「隊長」
斧を持った兵隊さんが、何か言いたそうな顔で、隊長さんを見ます。
哲平くんたち三人は、とたんに嬉しそうな顔になりましたが、
「ただし」
と、隊長さんが、付け加えます。
「明日、我々《われ》がもう一度ここに来るまでに葉が出ていればの話だ。いいな」
隊長さんは、他の二人の兵隊さんと一緒にジープに乗って、どこかへ走り去ってしまいました。
後には、桜の木の下で心配そうにおじいさんを見つめる哲平くん、咲ちゃん、良介くんが残りました。
「おじいちゃん」
「ん?」
「葉っぱ、出てくるかな?」
哲平くんは、とってとっても心配で心配で、今にも泣き出しそうな顔をして、おじいさんを見上げています。
おじいさんは、にっこりと三人に微笑みかけると、たった一言、こう言いました。
「大丈夫だよ」
さぁ、本当に大丈夫なのでしょうか。
哲平くんも咲ちゃんも、そして良介くんも心配そうに桜の木を見上げました。
桜の木を守る三人の、小さな小さなお医者さんは、お日様が山の向こうに消えて行こうとする夕方になっても心配で、じっと桜の木を見上げていました。
明日、兵隊さんがやって来るまでに、ほんのちょっとでいいから葉っぱが出ないかなぁ、そう思いながら。
約束したんだもんね、次の春には、いっぱいいっぱい花を咲かせて見せてくれるって、そう思いながら。
お日様は、山の向こうに沈んで行きます。
明日の朝になるために。
かわりにお月様が、桜の木と、その三人のお医者さんを優しく見守るように照らしてくれます。
「もう、おやすみの時間だよ。さぁ、桜の木は私が見ていてあげるから、ゆっくりしっかりおやすみよ」
お月様は、そう、三人に語りかけているようです。
でも、それでも三人は、桜の木のそばを離れようとはしません。
それくらい心配なんです。
ひょっとして、今日はずっと寝ないでいるつもりなのでしょうか。
夏の虫たちが、真夜中の合唱コンサートを開いている中、おじいさんが、桜の木の根元に膝を抱えて座っている三人のところへやって来ました。
「おじいちゃん」
眠たそうなトロンとした目でおじいさんを見つけた哲平くんは、立ち上がってそう言いました。
「さぁ、もうおやすみの時間だよ。咲ちゃんも良介くんも、今日はもう遅いから泊まって行きなさい。おうちには、おじいちゃんが連絡しておいてあげたからね」
「はい、哲平くんのおじいちゃん。ありがとう」
咲ちゃんは、もう眠たくなって重たくなったまぶたの上から、目をクリクリと手でこすりながら立ち上がりました。
もしかしたら、半分だけ眠っていたのかも知れません。
「でも、僕、心配なんだ」
良平くんは、今にも閉じてしまいそうな目を必死に開いて言いました。
「兵隊さんが来るまでに、葉っぱが出ているかどうか、心配なんだ」
「大丈夫、明日三人が起きるころには、ちゃあんと葉っぱをを出しているよ」
「本当?」
「本当だとも。だから、今はぐっすりおやすみ。三人がおやすみしないんで、桜の木が心配しているよ」
おじいさんに言われて、三人はそろって桜の木を見上げました。
そして、ひとりひとり桜の木におやすみのあいさつをしてからおうちに入って行きます。
「おやすみ」
「葉っぱ出してね、約束だよ」
「何があっても僕、絶対守るからね。おやすみ」
三人がおうちに入ったのを確認してから、権平おじいさんは、桜の木を見上げました。
桜の木の上には、お月様が、見守るように照っています。
虫たちの合唱も、桜の木を応援しているように聞こえます。
「明日もきっと、暑くなるなぁ」
おじいさんは、そんな独り言をつぶやいてから、ゆっくりおうちに帰って行きました。
朝になりました。
と、言ってもまだお日様は、顔を出していません。
でも、確かに朝です。
哲平くんは、誰よりも、お庭で飼っているニワトリよりも早く目覚めました。
と、言うよりも桜の木が心配で心配で、結局一睡も出来なかったのです。
哲平くんが、ゆっくり静かにお布団から抜け出すと、良介くんも起き上がってきました。
「良介くん」
良介くんは、ちょっとテレくさそうに鼻の頭を掻きました。
「君も心配で眠れなかったの?」
「うん」
良介くんは、大きく頷くと起き上がり、服を着はじめました。
哲平くんも、寝巻きから着替えます。
「葉っぱ、出ているかな?」
二人は、心配そうにお互いの顔を見ました。
「大丈夫だよね。切られたりしないよね。葉っぱ、出ているよね」
「見に行こうか」
「うん」
二人は、まだぐっすり眠っている咲ちゃんを起こさないように、そっとお部屋を抜け出して、お庭に出て行きました。
お日様が、やっと頭を半分出しています。
一番鶏が、ようやく寝ボケた声で鳴きました。
二人は、かけっこでもするように先を争って、桜の木の下まで来ました。
さぁ、葉っぱは出ているでしょうか。
哲平くんは、パッと桜の木にしがみつくと、よいしょよいしょと上に登って行きます。
良介くんは、ちょっとうらやましそうな顔で、見ていました。
本当は良介くんも、木に登ってみたいのです。
けれども、なんだかちょっぴり恥ずかしいので登れません。
意地を張って「一緒に看病なんかしない」なんて言ってしまったのを今、とっても後悔していました。
同時に哲平くんが、とってもうらやましいと思いました。
「あった!」
桜の木の上の方から、とっても嬉しそうな声がしました。
「良介くん、芽が出てるよ。ホラ、早く登っておいでよ」
「え?」
良介くんは、びっくりしました。
「登っていいの?」
「早くおいでよ」
「う、うん」
良介くんは、急いで桜の木を登りはじめました。
「ホラ、見てごらん」
哲平くんが指差す先を見ると、そこには確かに小さな小さな緑の芽が出ていました。
「やったね!」
「うん」
二人は、そこが木の上だということも忘れて、飛び上がりそうになるくらい喜びました。
良介くんは、ようやく素直になる気になりました。
素直になって、意地を張っていたことを謝る気になったのです。
「この前は、ごめんね」
「なんのこと?」
「この前の…アッカンベーしたこと」
哲平くんは、にっこりと笑いました。
にっこり笑って、良介くんにもう一度、今度はこう聞いてきました。
「ねぇ良介くん、僕たちと一緒に、桜の木と遊ばない?」
「いいの?」
「当たり前じゃないか、だって僕たち、友達だろう?」
良介くんは、とってもとっても嬉しくなって、泣き出してしまいました。
そして、
「僕、咲ちゃんと哲平くんのおじいちゃんに、芽が出たって言ってくるよ」
そう言って、木をおりて行きました。
哲平くんは、良介くんがおうちに入っていったのを見送ってから、もう一度、小さな小さな木の芽を眺めました。
芽は、完全に顔を出したお日様の光を浴びて、輝いて見えました。
これで切られなくても済む。
そう思ったら、なんだかとっても眠たくなってきました。
哲平くんは、大きなあくびを一つ、お日様に向かってすると、ゆっくり木からおりました。
桜の木をおりると、おじいさんと咲ちゃんと良介くんが、やってきました。
「芽が出たんだって?」
「うん、そしたらなんだか眠たくなっちゃった」
「そうかいそうかい。安心したんだね。それじゃぁおやすみ。今日は、天皇陛下のお言葉があるらしいから、その時までには起こしてあげるから」
「うん」
「僕も何だか眠たくなってきたなぁ」
良介くんも、ふわぁと大きくあくびをしました。
「良介くん、一緒に寝ようよ」
「うん」
哲平くんと良介くんは、仲良くおうちに戻って行きました。
「哲平くん、良介くんと仲良くなったね」
咲ちゃんが、ちょっぴりうらやましそうに言いました。
芽を見に行くのに誘ってもらえなかったので、ちょっぴり残念だったのです。
「ねぇ、天皇陛下のお言葉って、何?」
尋ねられたおじいさんは、今までの笑顔をやめて、桜の木を見上げました。
「さぁねぇ」
夏の暑い一日でした。
青い空には、真っ白な雲が涼しそうに浮かんでいます。
咲ちゃんは、桜の木が見える縁側で、足をぶらぶらさせながら座り、権平おじいさんの畑から採れた瓜を食べていました。
遠くから、ジープの走ってくる音が聞こえてきます。
兵隊さんたちが、やって来たのでしょう。
お日様は、焼けるような日差しをずいぶん高いところから照りつけています
権平おじいさんは、ラジオのスイッチを入れてチャンネルのつまみを調整していましたが、ジープが庭に止まった音を聞くと、縁側へ出てきました。
時計の針は、十二時になろうとしていました。
ジープからは、昨日の三人の兵隊さんが、降りてきます。
咲ちゃんは、お庭に降りると、三人の兵隊さんの所にやって来て、こう言いました。
「兵隊さん、芽が出たの」
隊長さんは、チラッと咲ちゃんを見ましたが、すぐに素っ気なくこう言ってソッポ向きました。
「そうかい」
そして、
「ホラ、早く切ってしまえ」
咲ちゃんは、一瞬、隊長さんがなんて言ったか理解出来ませんでしたが、判った瞬間、大きな声で泣き出しました。
「切っちゃダメェ! どうして? どうして切るの? ちゃんと芽が出たって言ったのにぃ!」
その泣き声は、お庭に出てきた権平おじいさんだけじゃなく、お家の中でぐっすり眠っていた哲平くんと良介くんにも聞こえてきました。
咲ちゃんの泣き声で起きた哲平くんと良介くんは、急いでズボンだけをはくと、ランニングのシャツだけでお庭に飛び出してきました。
そこには、座り込んでおんおん泣いている咲ちゃんと、斧を持った兵隊さんと若い兵隊さん、それに隊長さんが立っていました。
良介くんは、斧を振り上げた兵隊さんに向かって、叫びながら走って行きます。
哲平くんは、隣に立ってる権平おじいさんを見上げます。
「おじいちゃん!」
権平おじいさんは、何も言ってはくれません。
「やめろーっ!」
良介くんは、昨日のように体当たりをしようと思っていました。
しかし、今日は昨日と違います。
若い兵隊さんが、良介くんの前に立ちはだかって、良介くんを行かせてくれません。
「隊長さん!」
今、正に斧が振り下ろされようとしたその時、権平おじいさんが、とっても大きな声で言いました。
兵隊さんが、思わず斧を止めてしまうほど強く、大きな声でした。
「その桜の木は、芽が出ています。芽が出ているというのにどうして切ろうとするのか、ちゃんと説明していただきたい」
斧を持った兵隊さんも、良介くんの前に立ちはだかった若い兵隊さんも、隊長さんの顔を見つめます。
隊長さんは、表情変えずにこう言いました。
「なるほど芽は出ているかも知れない。しかし、葉は出ていない。私は、葉が出ていれば、切るのをやめようと言ったのだ」
権平おじいさんは何も言えません。
隊長さんは、斧を持った兵隊さんに命令します。
「どうした。早く切ってしまえ。もうすぐ天皇陛下のお言葉があるんださっさと済ませてしまえ。他にも切らなければいけない木が、たくさんあるんだ」
そう言って、腕時計を見ました。
時計の針は、放送までもう五分とないことを示していました。
「あぁ、時間だ…仕方がない、木を切るのは天皇陛下のお言葉の後だ。じいさん、ラジオを持ってこい」
権平おじいさんは、言われるままにお家の中からラジオを持ってきました。
縁側に置かれたラジオの前に、兵隊さんたちは、きをつけの姿勢で並んで立ちました。
権平おじいさんと三人の子供たちは、兵隊さんたちの後ろで、兵隊さんにならってきをつけをします。
やがて、天皇陛下のお言葉が始まりました。
それは、天皇陛下本人のお声で『戦争が終わりました』と言うお話でした。
日本が、戦争に敗けたことを知らせるお話だったのです。
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…』
哲平くんたちの耳にいつまでも残った言葉です。
兵隊さんたちは泣き出しました。
哲平くんや咲ちゃんや良介くんの様に涙を流し、声を上げて泣きました。
権平おじいさんも静かに、ラジオを見つめながら涙を流していました。
その姿は、哲平くんの記憶に涙で歪《歪》んだ形で、いつまでもいつまでも残りました。
哲平おじいさんは、祐太くんのおなかの辺りを軽くたたきながら、話していました。
「この天皇陛下の玉音放送っていうんだけど…で、あの桜の木は、助かったんだよ。昭和天皇に助けてもらった桜の木は、次の年から毎年毎年、おじいちゃんたちのために、たっくさんのきれいな花を咲いてくれるようになったんだよ」
話し終わって哲平おじいさんが、祐太くんを見ると祐太くんは、小さな寝息をたてて眠っていました。
哲平おじいさんは、祐太くんににっこり微笑みかけると、そっと縁側に出てきました。
そして、桜の木を見つめます。
哲平おじいさんは、忘れません。
戦争が終わった翌年の春、桜の木が花と一緒にくれた言葉を。
三人の、小さな小さなお医者さんの心の中に、直接話しかけてくれた温かい言葉を。
『看病してくれてありがとう。兵隊さんから守ってくれてありがとう。お礼にきれいなお花をプレゼントしてあげよう。きれいなきれいな、桜の花を……』
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