8、捜索隊
気が付くと、下の方で人間の声がする。それも何人か、そう、おそらく五・六人はいるみたいだ。
耳を澄ませると、どうも彼等は僕の名前を呼んでいるようだ。僕の名前? そう、一瞬信じられなかったが、それは確かに僕のものだった。彼等は捜索隊なのだろうか。僕が突然にいなくなったので、だれかが探しにきてくれたらしい。
僕は、複雑な気持ちだった。
僕を探しにきてくれる人がいるというのは有り難い。こんなジャングルの中で彼等も困難を極めていることだろうから、何はともあれ感謝しなければならない。
しかし……、と、僕は考える。捜し出された僕は一体どうなるのだろうか。それはもちろん元の家へ戻り、元の職場に戻ることになるだろう。しかし、そのようにして一体どんな人生が待っていることだろう。
僕は、不思議なことに、もうよく思い出せないのだが、どうもあまり人に感謝される仕事をしていたのではなかったような気がする。
仕事をしている僕を思い浮かべてみると、自分だけが常に正しいと信じて疑わない上司や、すぐ人に仕事を押し付けたがる同僚に囲まれて、鬱々とした毎日を過ごし、そして何よりも、僕の机の反対側には、常に僕のことを恨めしそうに見る人達が座っていた。それは、もちろん僕個人のせいではなかった。社会の仕組みが、国というものがそういう仕事を必要とし、たまたま僕がその係りになって人々に相対する役割を演じていたにすぎなかったはずだった。だがそのようにして僕の発する一言一言、作る書類の一枚一枚が、人々に不愉快な気持ちを起こさせているということには、いつもやり切れないものを感じてたことも事実だった。
それでも、そのようにして毎月の生活費を得て、そうして、僕や妻や子供達の生活が辛うじて成り立っていた。しかし、そのような毎日を僕が送っていることに幾許かの同情と共感を寄せてくれることもない妻や、親のことを無能呼ばわりしては勝手なことばかりしている息子たちのために、この先何年もこうした日々を積み重ねていかなければならない僕の一生というのは一体何なのか。それは誰のための人生であることだろう。
いや、どんなに僕が辛くても、せめて、昔一度は愛したはずの妻やその子供が幸せだというのならば、まだ我慢もしよう。しかし、彼等の不機嫌そうな顔を見ていれば、とてもそれだけの犠牲の上に営むべき価値ある人生ないしは喜びに満ちた毎日を過ごしているとは思えない。そのようなもののために、僕の人生はあるのだろうか。
下の方から聞こえてくる捜索隊の声を聞きながら、僕はついそんなことを考えた。かといって、だから捜索隊に見付からないようにじっと息を潜めてやり過ごしたというわけでもない。なにしろそのときの僕は蛇の姿をしていたのだから、彼等の前に出て行くわけにはいかなかったのだ。
ただ、こうしてあの捜索隊はこの熱帯林を踏破して、僕の姿はどこにも見えなかった、という報告をすることだろう。そうして、僕は家族からも職場からも、消えていなくなった人間ということになって処理されるに違いない。
でも、僕は、それでいいと思った。
職場では僕の代わりに誰かがまた雇われ、今度は彼が人々の不満そうな顔を見ながら、それでも事務は滞りなく進んで行く。妻は、もう少し稼ぎのいい真面目な男と再婚でもするだろうか。もしそれが駄目でも、何かしらの仕事を見付けて、僅かばかりの手当てももらいながら、何とかやっていくだろう。そういえば、生命保険か何かにも少しは入っていたはずだ。
もう心配することはよそう。僕には何も関係のないことなのだ。僕はこの楽園で、何一つ不自由することなくのんびりと暮らして行くのだ。
そう思うと、僕は生まれて初めての解放感を味わった。やっと、自分の人生が始まっていくような高揚感を覚えた。
もう一度大きく伸びをして空を降り仰ぐと、月はもう西のほうに傾いていた。もう捜索隊は遠くに行ってしまったらしく、声も足音も何も聞こえなかった。 静寂の中に、笛の音だけがまだ鳴り響いていた。
僕は木の枝に頭を載せて、また深く眠った。




