第6話 カウント・スタート
その日の終業前。最後のホームルームにて、浬のクラスでは一つの別れが告げられる。
「えーっと・・・ここで、皆にお知らせがあります」
亜依が少しだけ照れた様子で、全員に切り出した。普段と少しだけ異なった担任の様子に、クラス全員が注目する。
「実は・・・先生、妊娠しました!」
「えぇー!」
本当に幸せそうに告げる亜依に、クラスの全員が驚きを露わにする。まあ亜依が既婚者であることは周知の事実だったし、姉の様な感じで付き合ってくれる亜依は誰もが好いていたので、これは喜びと祝福を持って受け入れられる。
「先生! ほんと!」
「おめでとー!」
「名前決まってるの!」
それは特に女子生徒からの祝福が多く、同性からの亜依の人望の高さが表れていた。そんな教え子たちからの祝福を受け、亜依は少しだけ涙を浮かべ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ありがと。で、それで・・・皆には悪いと思うんだけど、少しだけ先生産休を取ります」
これは誰の目から見ても当たり前だったのだが、それでも、少しだけ残念そうだった。更に亜依が続ける。
「えーと・・・それで、明日から、代わりの先生が来られる事になっています。明日からは私と一緒に授業をやって、顔見せとどんな授業なのか、というのを皆に受けてもらいます」
「どんな先生?」
「えーっと・・・外国の先生なんだけど、ちょっと縁があって来日されて、働ける学校を探していらっしゃったらしいの。それで、こんな時期に無いだろうから、来年を待つか、と思ってらっしゃったらしいんだけど、私の席が空席になった事もあって、じゃあ、ウチで、ということね。女の子は皆驚くと思うわ」
そう言って、最後に亜依がウインクする。彼女が何処か茶目っ気を出してそういう時は、大抵が誰もが本当に驚ける時だ。こういった気さくさが受けて生徒たちに人気なのだ。
「じゃあ、今日はこれだけだけど、明日まで、皆楽しみにね?」
「はーい!」
そうして、それが今までの日常が終わるカウントダウンの鐘の音だと知る者は居ない中、始まりの鐘の音が鳴った。
放課後となり、浬は部活に出ていた。タンタン、とボールが地面に当たる音が、体育館の中に響いていた。浬は中学校に入学してから、その運動神経を活かして女子バスケットボール部に所属していたのである。
「はい、お姉ちゃん」
そうして練習の合間に休憩に入り、弟の海瑠が浬にスポーツドリンクを手渡す。海瑠はあまり運動が得意ではなく、帰宅部に入ろうとしたら姉に強引に引きこまれ、女子バスケットボール部のマネージャーをやらされているのであった。
まあ、海瑠自身がかわいい系の顔で小柄でもあったことから、女子バスケットボールの部員達には非常に受けが良く、可愛がられているので海瑠的にも不満は無かった。元々奉仕が好きだったこともあり、今ではせっせとボール磨きからこういったドリンク配りまで熱心にこなしている。
「ありがと・・・ふぅ」
そうして一口口に含んで壁を背もたれに腰掛けて休憩すると、そこに一人の褐色の少女がやって来た。彼女の名は成瀬 侑子。浬と同じくバスケットボール部の部員で、浬が仲良くしている女の子の一人だった。
「あ、浬。あんたんとこ、新しい先生来るんだって?」
「うん、亜依さんが産休に入るんだって。結婚して長かったからね」
亜依は旦那と付き合い始めて既に10年近くで、結婚してからも既に5年近くが経過していた。ずっと子供は望んでいたらしいのだが、巡りが悪くて出来なかったらしい。そうしてようよう授かった新しい命に本当に幸せそうな亜依を思い出し、浬も幸せそうに微笑みを浮かべた。
「あんたそういえば、三枝先生が教師になる前からの知り合いだったんだっけ?」
「うん。お兄ちゃんの友達の魅衣さんのお姉さん。魅衣さんには仲良くしてもらってたから、時々お邪魔する事があったからね。お兄ちゃん、残念だったろうなー。竜馬さんと仲良かったから」
「竜馬?」
「あ、亜依さんの旦那さん。元々親戚だったんだけど、それで付き合い始めたんだって」
「へぇー」
休憩の最中、二人がのんびりと会話し合う。海瑠はその間に、更に別のお姉さま方にタオルを配り、ドリンクを配り、持っていった先で弄られと悪戦苦闘していた。それを見て、二人が笑う。
「いや、ホント良かったよ。海瑠くんが来てくれて。」
「うん、引っ張った甲斐があったわ。」
「そういえば、蘭の話、聞いた?」
「・・・うん」
蘭とは二人の共通の友人だ。今朝方浬が引っ越すと言っていたのが、彼女である。
「強制らしいね」
「クラスのバレエ部の奴に聞いたら、今もの凄い荒れてるらしいぞ」
「あー、わかる」
二人が少しだけ顔を顰め、蘭の両親への不快感を露わにする。彼女で無くても、問題を起こしたわけでもないし親の転勤でも無しに勝手に転校を決められれば怒るだろう。
「良家の子女ってのは面倒だね」
「ウチも一応良家に当たるらしいんだけどねー」
浬が苦笑を浮かべ、そんな浬に鳴海が笑みを浮かべる。浬の家こと天音家はそんな物が関係のないぐらいには末端だった。
「あ・・・良家っていえば。聞いたか? C組のあいつ。」
「あぁー・・・あの、<<残念プリンス>>?」
鳴海の言葉に、浬が嫌そうに顔をしかめた。それは、今の第8中学校に通うものならだれもが知っている名前で、誰もが顔をしかめる人物だった。
「次は何やったの?」
「更衣室覗こうとしたそうだ」
「・・・なんていうか、古典的だね」
「な。」
二人共呆れはするが、憤りは無かった。なにせ見つかるまでが、ワンターンだ。始めこそ色々言われていたが、既に皆慣れていた。本人に言わせれば独自の美学があるらしいのだが、やっていることは結局覗きだ。
「顔もスペックも高いのに・・・はぁ」
「天道家始まって以来の天才にして、天道家始まって以来の汚点・・・なぁ。」
浬は男子は妬むことさえ無い高スペックと女子は誰もが見惚れる顔立ちなのに、唯一にして最大の欠点である性格を非常に残念に思って溜め息を吐いた。そんな浬に侑子が苦笑するが、何かフォローが出来るわけではない。と、そこで笛の音が響いた。どうやら、休憩は終わりらしい。
ちなみに、天道家とは、彼女らが住む天神市に本家を構える名家である。浬の父親が務める世界的大企業である天道財閥の母体で、現当主が社長である。
つまり、件の<<残念プリンス>>の父親は世界的大企業の社長なのである。ここまで揃っていて、それが嫌厭される性格なのであった。
「さて、始めるか」
「うん!」
そうして、再び二人はバスケットボールの練習を再開するのであった。
翌日。朝一の教室には、少しだけ緊張が見れた。まあ、今日から新しい先生が来ると予告されているのだから、当たり前だ。
「皆、おはよー」
「おはよー!」
亜依が入ってきて、全員に親しげに挨拶する。が、興味は既に彼女が連れてくるであろうもう一人の教諭に移っている。それを見た亜依は少し苦笑するが、自身の中学校生時代を思い出し、仕方がないと思ったので何も言わない。
「じゃあ、御門先生、お願いします。」
「おーう」
若干気だるげな一人の男が入ってきたその瞬間、女子生徒から黄色い悲鳴が上がった。入ってきたのは、ちょいワルオヤジ風の褐色金髪の美丈夫だったのだ。服装は彼に見合う様な少し着崩したオーダーメイドのスーツである。
それがまた、なんとも彼に似合っていた。着崩し方によってはだらしなくなりかねないスーツ姿だが、彼の場合は元の良さも相まって、ちょいワルの中に奇妙な優雅さがどこかに潜んでいた。年の頃は三十代中頃で、年齢もあって服装に非常にマッチしており、なおさらに彼の危うい色っぽさを引き立てていた。
「つーわけで、俺は三枝教諭の後を引き継いでお前らの担任になる御門 天智だ。まあ、よろしくな」
どうやら亜依の後任となる教諭も、亜依とは別の方向性で親しみがある教師であったらしい。彼は気さくに告げる。
「まあ、担当は三枝先生と同じく、歴史。日本史から世界史まで全部担当出来るが、取り敢えずは日本史担当だ」
まあ、空いた穴を埋めるのだから、担当教科が同じなのは頷ける。そうしてふと、生徒の一人が疑問を呈した。
「せんせー」
「おう、なんだ?」
「海外の方って聞いたんですけど、日本人ですか?」
「あー、一応生まれはインドだ。まあ、色々あってな」
御門は女子生徒の問いかけを適当にはぐらかす。そのミステリアスさが、逆にこの男には艷となって表れていた。そうして、朝の1限目までの間は彼の話題で持ち切りとなる。
「ねぇ! ものすごくかっこ良くなかった!」
「うんうん! オリエンタルなイケメンって感じでさ!あの桃女のエア先生とはまた別のかっこよさがあったよね!」
「あー、エア先生もかっこいいよねー」
女子生徒達が、御門の評価を話し合う。そうして、最後の女子生徒の何処か陶酔を含んだ言葉を聞いて、浬も溜息混じりに告げる。
ちなみに、桃女とは天神市郊外にある私立の名門校の一つで桜桃女学園と呼ばれる女子学校で、エアとはそこで歴史教師を行っている若い男性教諭の事であった。
「エア先生、この間ボランティアで地域のゴミ掃除してたよ。来週も参加するって。」
「うそ! 何処!」
どうやらこの女子生徒はエアと呼ばれた教師のファンらしい。身を乗り出して問い掛ける。
「えーっと・・・来週は・・・何処だっけ?ちょっと待って・・・あ、駅前だって」
「私も参加しよっと!」
「来週は海瑠の番だから、海瑠がサボらない様にお願いね」
「浬と違って海瑠君は真面目だから、サボらないでしょ」
鳴海が浬を茶化す。ちなみに、姉弟の兄カイトがまだ日本に居た頃には何故か兄が担当していたのだが、兄が居なくなった為、二人が参加させられていたのだ。まあ、参加しないというのも手だったのだが、それもさすがに、ということで二人にお鉢が回ってきたのだ。
「あのボランティア、意外とカッコいい人多いって噂だよねー。」
「あぁ、そういえばネットで有名になっていたっけ。外国の方も多く参加するボランティアって」
ちなみに、このボランティアで人数を集めているのが浬の兄である事は誰も知らない。とある理由で参加したのだ。
「後は恵比寿の店長も参加してるよね。」
「ああ、恵比寿さん? あの人も結構イケメンだよねー。なんかむちゃくちゃいろんな国の言葉も話せるし、あの人も凄いよね。」
一度イケメンの話になれば、それは続き続ける。そうして、浬がふと思い出したかの様に告げる。
「そういえばさ、ソラさんと空也もイケメンだよ」
「ソラ? 空也?」
「これ、ほら」
そうして浬は自身の兄の友人の写真を見せる。そこには、人懐っこい笑みを浮かべる野性的なイケメンが映っていた。それに、鳴海を除く周りの女子生徒達が目を見開いた。鳴海だけは時折浬の兄と会う事があり、同時にカイトの家に居る事もあったので、ソラと知り合いだったのだ。
「うそ!誰これ!」
「ほら、天城総理大臣って居るでしょ? その息子。お兄ちゃんの親友。時々一緒に出かけてるもん。で、こっちがその弟さん。まあ、空也の方はちょっとした縁で知り合ったの」
ちょっとした縁、は縁なのだが、浬にとってはイマイチ思い出したくない思い出であった。だが、そのちょっとした縁の後兄達が友人となり、その縁で空也とも再会したのである。と、兄のソラの方を見た女子生徒の一人が、浬に身を乗り出して手を掴んだ。少し目が血走っていた。
「こっちのお兄さんの方を紹介して!」
「無理だって。今居ないもん。ほら、天桜学園の消失で・・・」
「あ・・・ほんとにあの事件は・・・瞬様も消えたし・・・」
「美九相変わらず好きだね、こういう顔」
美九の忌々しげな言葉に、他の女子生徒達が溜め息を吐いた。瞬様、と呼ばれたのは、日本では少し有名な少年だった。彼は件の天桜学園が消失するまでは時折テレビでも取り沙汰される陸上競技の選手だった。彼もまた、野性味のあるイケメンであった。
「でもやっぱり御門先生が一番良いかなー」
「梨深は相変わらずちょっと年上が好きだね」
「む、だって同い年は頼りないじゃん。あ、でも浬のお兄さんはちょっと頼りがいがあるかも」
「あー、あの人落ち着いてるって噂だよね」
「お兄ちゃんがー? あり得ないって。ないない」
兄を褒めそやす言葉に、妹の浬は若干照れくさそうに否定する。まあ、少しブラコンの気がある彼女であるが、やはりこっ恥ずかしいのだ。
「照れてる照れてる」
「もー!」
浬の少しだけ照れた様な声が教室に響く。そうして、御門という新たな教師を迎えても、なんら変わることの無い一日が、続くのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
2016年4月2日 追記
・表記修正
『。』『?』等校正し忘れていた部分を修正しました。