第3話 日常と非日常の境目
蘇芳翁が浬達の通う中学校へと連絡を入れ終えた丁度その頃。浬は自らの教室の前にたどり着いて、呼吸を整えていた。
「はぁ、はぁ・・・しつれいしまーす・・・」
呼吸を整え終えた浬は、後ろからこそこそと教室へと入る。そうして、既に外から見て担任が教壇に立っていたので、隠れるように身を屈めて移動する。が、その必要はなさそうだった。当たり前だが隠れるようにした所で無駄なので、即座に見つかる。
「あ、きたきた。天音さん、さっきおじいさん・・・蘇芳とか名乗るご老人から電話があって、少しだけ道を尋ねるのに引き止めてしまったから、遅刻については目を瞑ってあげてくれ、ってご連絡があったわ。と、言うわけで遅刻にはならないから、早く着席してね」
「あ、はーい。やた」
どうやら蘇芳翁は上手く言い訳をしておいてくれたらしい。浬は少しだけ喜びを露わにして一安心して、普通に立ち上がると、自席に着席した。
そうして着席すると、前に居た女生徒が後ろを振り向いて浬に話しかけてきた。浬の友人の木場 鳴海である。
「何、あんた、そんなことやってたの? 変に遅いなーって思ってたら・・・」
「あ、うん。まあ、そんなとこ」
「ふーん、ねえ、明日から始まる一津屋・・・」
そんな雑談をしていると、担任が浬達を睨んでいた。そうして、担任の女教師が気さくに告げる。
「浬ちゃーん。遅刻は許すって言ったけど、雑談を許したつもりは無いなー?」
「あ・・・ごめんなさい、亜依さん」
「まあ、そっちでもいいけど、出来れば学校では三枝先生でお願いね?」
浬の言葉に、亜依がウィンクで答える。二人は元々、浬が中学校に入学する前から兄――と言うか、それを介した居候――の縁で知り合いだった。兄の同級生の姉が、彼女だったのである。それ故、どうしても焦った時等には、私的な呼び方になってしまうのであった。
そうして、浬はきちんと担任の方を向いて、朝礼に集中することにした。きちんと此方を向いたのを見て、亜依がにこやかに笑みを浮かべて、話を再開する。
「さて、それで、いくつか連絡があるんだけど、まずはこれね。また、調査の為に人がいらっしゃるから、天桜学園高等部があった場所には行かないこと」
天桜学園とは、浬達の住まう天神市の中心部近くにある幼稚園から大学院果ては研究所まで併設された学園の事だ。その中の高等部である天桜学園高等部が、そっくりそのまま謎の消失をしてしまったのである。それが、一ヶ月前だ。今なおその行方の調査が行われていた。
だが、一ヶ月も経過し、何も無いと分かれば、今度は野次馬たちが集まり始める。それは中学生で好奇心旺盛な彼らも、当たり前の様に含まれるし、夜間ともなれば肝試しに入る学生たちが後を絶たない。それ故の亜衣からの通達であった。
「早く見つかってくれればいいんだけどねー。まあ、取り敢えずはお役人様達に任せましょ」
何処か他人事の様な口ぶりで、受け持つ生徒たちの中には兄や親戚がここに通っていた者も少なくはない。それ故普通ならば不謹慎だと思われかねないが、彼女の場合は別だった。なにせ、彼女自身も、妹が天桜学園高等部に在学しており、消失に巻き込まれているのだ。
実は心配である事は全員が百も承知だし、敢えてこうして平然と振る舞うことで生徒たちに不安を与えないようにしていると、全員が考えている。そうして、朝のホームルームが終わり、亜依が教室を後にした。
「ねえ、明日から始まる一津屋のドラマ、どうする?」
「相変わらず一津屋和成が好きだね、鳴海」
「えー、カッコいいじゃん。演技も今どきの芸能人にしては上手いしさー。これで歌も上手いって文句無しじゃん」
浬の言葉に鳴海は何処か不満気に答えて、更に鞄から雑誌を取り出して、明日から始まるというドラマのページを開いた。
「主演一津屋 和成、主な共演者に現在売り出し中の藤堂 菫。ハリウッドでも活動してる蘇芳 正宗、それ以外にも片貝やら結構有名な芸能人でて・・・どったの?」
雑誌の1ページを開いて浬に見せていた侑子だが、浬がパクパクと口を開け閉めしている事に気付いて、変なものでも見るかのような目をしていた。
「あー! さっきのおじいちゃんと綺麗な女の人!」
浬は蘇芳と菫をさして、大声を上げる。どこかで見たな、と思っていたのだが、どこかで見たも何も朝一でテレビに出ていたのだ。流し見ていたので、気付かなかったのである。と、そんな浬に対して、鳴海が身を乗り出して問い掛けた。
「え!? 何! あんた会ったの! 何処で!」
そんな大声を上げる二人に、周囲の生徒達が注目する。それを気にせず驚いている浬は、正門の方を指さして、狂騒じみて告げる。
「さっきそこで! お兄ちゃんの知り合いとか言って声掛けられたの! 何処かで見たことのある綺麗な女の人だな、って思ったけど、そういえばテレビで朝見たんだ!」
「嘘! そんな近くに居たの! と言うか、なんで気付かないの! 信じらんない!」
まさか有名な芸能人に出会っていながら気付いていなかった浬に、鳴海が目を見開いて驚きを露わにする。まあ、ここらは浬がこういった芸能関係に大して興味を持たないから、だった。仕方がなくはある。
「名刺貰った・・・」
同じく狂騒に陥った鳴海が、浬の言葉に目を見開く。浬は鞄から名刺を取り出して確認すると、確かにそこには、二人の私的なアドレスと、二人が所属する芸能事務所の名前、そして顔写真が添付されており、職業欄には確かに俳優、と書かれていた。きちんと読んでいなかった浬は今の今まで気付かなかったのである。
「刀匠兼俳優、蘇芳正宗。モデル兼俳優藤堂菫・・・本物だ・・・」
「うそ!?」
「どれどれ!?」
かつて見たテレビ番組で、同じ名刺を見たことの有る鳴海が名刺をのぞき見て、呆然と呟いた。それを見た周囲の生徒達が、一気に二人の近くに押しかけてきた。
「うそ・・・じゃあ、この後ろのアドレスって・・・」
そんな生徒達を余所に、恐る恐る、浬は後ろに書かれたアドレスにアクセスし、一度しか使えないパスワードを使用して――と言ってもこの時点で忘れていたが――中に入った。すると、そこは目を疑う様な状況だった。
「なに・・・これ・・・」
「え・・・?」
浬が目を見開いて、思わずつぶやく。そしてそれをのぞき見ていた他の生徒達も、思わず目を見開く。そこは様々なアバターが入り乱れ、多くの掲示板が乱立する巨大なコミュニティであったのだ。
個人所有であれば数十人どころか数人、という事も少なくないキズナ・サーバーなのに、これほどとは、誰もが思いもよらなかった。少なくとも、無名の個人がやれる規模では無かった。浬としても、まさか、兄がこれほど巨大なコミュニティを管理しているとは思っても見なかった。
『おや、貴方は?』
困惑する浬のアバターに対して、見知らぬ何処か中東風の異国の服装を着たアバターが浬のアバターを見つけるや声を掛けた。
ちなみに、アバターは人間以外も選べるが、このアバターは人間の姿で、金髪に褐色の肌と異国の服装と、まるでお伽話のアラビアン・ナイトに出てきそうなアバターであった。
『あの、私、藤堂菫さんからの紹介で来たんですけど・・・』
そんなアラビアン・ナイトのアバターに対して、浬は震える手でチャットを行なう。
『ああ、菫さんからの・・・菫さん。お客人です』
『はい? 失礼ですが、貴方は?』
『ええと、さっき名刺を貰った・・・』
『ああ、浬さんですか。授業はよろしいのですか?』
『えっと、今朝礼が終わった所で・・・時間が無いので、単刀直入に聞いていいですか?』
見れば、既に始業の5分前を切っていた。周りの生徒達が固唾を飲んで見守る中、浬は重要な事を尋ねる。
『あの・・・俳優の藤堂菫さんですか?』
『ああ、はい。先ほどは自己紹介が出来ませんでしたね。私は藤堂 菫。モデルと俳優業をさせて頂いております。良かったら、明日のドラマを見て下さいね』
菫のアバターが笑う。そして更に、念のため、という事なのか、設定可能な自分のプロフィールを浬に向けて公開する。そこには確かに、彼女の名前や彼女以外に偽りようのないデータが記載されていた。
『はい! 楽しみにさせて頂きます! えっと、それで、良いんですか? こんなの見せてもらって・・・』
一体兄は何をやっているのだ、という疑念を深める浬だが、とりあえず個人情報をあっさりと開示――と言っても浬が見たのを見てすぐに消したが――した菫に問いかける。当たり前だが、ここには名刺に記載されていない様な住所を特定出来る様な情報が記載されていたのだ。
『ああ、構いませんよ? 皆さん知っていますし、貴方のお兄さんは知っていらっしゃいますから』
『は?』
『いえ、普通に蘇芳さんのもご存知ですし、ここの大半の方の住所等は知っていますよ』
クスクスと笑いながら、浬に向けて菫が説明する。そんな会話を繰り広げていると、浬はチャイムが鳴ったのを聞いて、大慌てで文字を書き込む。
『あ、ごめんなさい! もうすぐ授業なんで、失礼します!』
『はい、頑張ってください』
菫に別れを告げ、浬はログアウトした。そうして、今までずっと目の前でその様子を見ていた鳴海へ向けて、引きつった頬で告げた。
「・・・本物だった・・・」
その言葉に、教室中が色めきだった。それは鳴海も同じだった。ということで、鳴海が浬の肩をガクガクと揺らしながら尋ねる。
「ねえ! そこに一津屋さんは居なかったの!」
「ちょ、ちょっと、なるみ! あ、あばばば。い、いな、いなか・・・」
ガクガクと揺らされた浬は、満足に応える事が出来ない。ちょっとして鳴海もそれに気付いて、揺らすのをやめた。
「あ、ごめん」
「もう・・・居なかったってば。居たのは蘇芳正宗と藤堂菫だけ」
「そっか・・・ねえ! それで今のって、キズナサーバー?」
ただ成り行きを見守っていた鳴海だが、浬がスマホで何かをしていた事を思い出す。
「うん。このアドレスで・・・って! こら!」
「これね!」
鳴海が名刺を奪い取るや、即座に自分のスマホを取り出してアドレスを入力し始める。それを聞いていた周囲の生徒達も、覗きこむようにしてアドレスを入力し始める。
「あれ? このアドレスは利用出来ません、って・・・」
「え?・・・あってるよね・・・」
「こっちもだ・・・」
周囲の生徒たちも鳴海と同じく接続出来ないらしく、首を傾げる。そうして、興奮している生徒たちだが、一つ忘れていた。すでに、チャイムが鳴っていたのである。
「・・・ほう。お前ら全員揃ってスマホを取り出しているとは、いい根性だな・・・」
「げぇ! アマせん!」
「さっさと席に戻れ!」
そうして、一限目の担当教員の怒号とともに、一同は蜘蛛の子を散らすかの如く席に戻っていったのであった。
お読み頂き有難う御座いました。次回は来週土日です。