第39話 奇妙な少年達
自分達の真実が語られた翌日。浬達は数週間前と同じく、お通夜の様な状態で昼食を食べていた。今日はフェルは何処かに行く、とのことで、彼女も御門も一緒では無い。兄の使い魔にしてもどうやらこの間の買い物で力を浪費したらしく、数日なにか起きない限りはセーフハウスで待機している、とのことだった。
「はぁ・・・ねえ、どう思う? 私、人間かな・・・」
「さぁ・・・それ以前に私が人間なのかどうかが気になるよ・・・」
浬の問いかけに、侑子がため息混じりに告げる。鳴海も侑子も家に帰ってから自分の親に試しに異族かどうか問いかけたが、心の底から怪訝な顔をされてしまった。それが演技かどうかわからない二人は、結局そのまま抱え込んで、今に至るのだった。
せめて御門でも居ればなんらかの相談が出来たと思ったのだが、今日は朝から――職員室にも――居なかったのである。表向きは何らかの手続の不備で大使館に呼び出された、との事だった。
そうして、暫く誰もが沈黙のまま、食事を食べ始める。すると、そこに一人の少年が近づいてきた。誰も見たことのない少年だった。
「おう、ちょっと席いい?」
「え、あ・・・どうぞ」
少年は海瑠に問いかけて、問いかけられた海瑠は席を少しだけズレて譲る。天気の良い夏の昼間ということで屋上は人が多く、相席せずに座れそうな席はなかった。そこで偶然一人で居た――様に見えただけだが――海瑠に相席を頼んだのだろう。彼は少し長めの髪の陽気そうな少年であった。
「サンキュ。あぐ・・・くあー、美味い!」
どうやら彼は購買部のパンが昼食らしい。海瑠の空けた席に腰掛けると、即座にビニール袋を開いて中のパンを取り出して、大口を上げて食べ始める。彼が食べていたのは購買部では売り切れ必至の限定物のパンだった。運良く買えたのだろう。
「いやー、悪い悪い! ついうっかり昼飯買い忘れてさー。おまけにあまセンの所為で出遅れるわ大変だったわけよ。廊下を走るな、だってよ。腹減ってんだから、しょうがねーじゃん。お陰で危うくこれ買い損ねる所だったじゃん」
どうやら彼は人懐っこい性格らしい。一人で寂しく食べている様に見えた海瑠に積極的に喋りかけてきた。
ちなみに、海瑠が一人で食べている様に見えたのは、周囲の浬達がお通夜状態で、同じく海瑠も落ち込んでいた為会話に参加しなかったからだ。その為、一人だけ性別の違う海瑠は偶然居合わせたのだと思われたのだった。
「あ、おっと。そういや名前教えてなかったな。俺は四葉 黒守。クロスで良いぞ。お前は?」
「え、あ・・・天音 海瑠です。2年の」
「そっか。なあ、海瑠。なんか悩んでんのか?」
どうやら積極的に話しかけてきたのは、彼なりの気遣いがあったらしい。自己紹介をされたことで海瑠は彼をきちんと見ると、彼はかなりの美男子だった。
それこそ、ランク付けするなら特上といえるレベルだ。何処か日本人離れした顔付きではあったが、その中でも最も印象的なのは、その眼だ。彼の目は、まるで太陽の様な明るい光を湛えていた。
「え、あ、ちょっと・・・」
「そっか。なら、乗ってやるよ」
クロスは笑いながら海瑠に告げる。初めて会ったばかりの相手だが、海瑠は悪い気はしなかった。彼の人懐っこい性格とその笑顔が、土足で入り込む様なその質問の重さを緩和しているのであった。
その笑みに、海瑠は思わず自らが姉と同程度に慕う居候の笑顔を思い出す。彼女はここまで純粋な少年の様な笑顔を浮かべないが、彼と同様に、陽のような笑顔を浮かべていた。だからだろうか。海瑠は思わず、悩み事を口にした。
「えっと・・・その・・・もし、ある日突然自分が人間じゃない、って知ったらどうしますか?」
「ん?」
流石に言われた意味が理解できなかったのか、クロスは頭を傾けて、子供っぽく顔に意味不明だ、という表情を浮かべた。
「あ、ごめんなさい。わかんないですよね、忘れてください」
何を言っているのだろうか、と気付いた海瑠が苦笑しながら訂正するが、クロスはその時には真剣に考えてくれていた。まあ、食事を食べながら、ではあるが。
「ん・・・まあ・・・あぐ・・・ほりゃ、どんな・・・ごくん・・・意味があんのかしんねえけどよ。それでお前、何か変わったのか?」
「は?」
「親は? ダチは? 仲間は? それになんか感じる事変わったか?」
彼はにこにこと笑顔のまま、海瑠に問いかける。それを知ったところで、何かが変わったのか。そう問われた海瑠はふと、昨日の母と父を、今日朝から自分の顔色を問いかけてくれた友人達を、再び真っ青になっていた自分に保健室行きを強引に促した担任の最上を思い出す。
確かに、彼らは自分達の正体について考えた事は無いだろう。だが自分がその気遣いに感謝していた感情は、真実を知る前から何もかわらなかった。
「自分が人間であろうとなかろうと、結局オマエがどう感じるか、だろ? だってそんなの変えようがねえじゃん。もう生まれちまってんだから。器がどうであれ、中身のお前がそのままなら、それで良いんじゃね? それでもし離れる奴が居たとすれば、それだけの相手だろ。気にすることはねえよ」
笑いながら、クロスは海瑠に告げる。何も知らないがゆえの無責任なアドバイスではあったが、それでも、海瑠には何故か不思議な説得力を感じられた。彼の人懐っこさがなせる、不思議な魅力が出せた説得力だった。そして、それは海瑠だけが感じた物ではなかった。
「それ・・・そうかな?」
「ん?」
鳴海が問いかける。始め奇妙な男だ、とは思っていたが、その笑顔と語り部につい彼女達も魅せられてしまったのだ。
「そうだろ?」
「・・・そうかな」
「そうだって」
「ん」
笑顔で同意を求められ、鳴海が笑いながら同意する。見るもの全てを惚れさせる太陽の如き笑みで微笑みかけられて、思わず同意してしまったのだ。
「・・・えーっと・・・それで、ちょっといい?」
「なんだよ」
そうして笑いながら和気あいあいと話していた一同だが、ふと浬が言いにくそうに彼の胸ポケットを指差した。
「さっきから光ってるけど・・・」
「え・・・?」
ケラケラと笑っていたクロスだが、浬の言葉に自分のジャケットの胸ポケットに視線を落とす。すると、確かに何かが光っていた。
「・・・あ、ちょいわり」
光っていたのはスマホだった。どうやら着信か何かが入っていたらしい。クロスは一同に断りを入れると、ジャケットの胸ポケットからスマホを取り出した。
「・・・げぇ!?」
スマホの画面を見て、クロスは何かに気付いて驚いた様な表情を浮かべる。どうやら厄介な相手からの連絡だったらしい。
「わっりぃ! ダチからおもっくそメール大量に来てた! ちょっと行って来る! じゃな!」
クロスは大急ぎでパンをかっ喰らい口をモゴモゴさせながら片手を上げて、去って行く。その道中でむせて買ったドリンクを口に含んで走っていた所為でまたむせて、といろいろと子供っぽかった。
「不思議な奴」
「あはは」
そんなクロスを、一同は笑いながら見送る。浬の言葉に、全員同意する。すっかり落ち込んでいた気分が晴れていた。確かに何かが変わったわけでは無いのだが、それでも気は紛れた。というより、考えても無駄、ということが直感的にわかったのだ。
「・・・どうした?」
そこに、フェルがやってきた。どうやら所用は終わったらしい。
「あ、ううん。なんでもないよ」
「?」
用事を終えて帰ってきてみれば気分が晴れた様な様子の浬達に、フェルが首を傾げる。とは言え、何があったのかまでは、興味なかったらしい。フェルはそのまま腰を下ろした。
「まあ、とりあえず。貴様らの調子が戻ったのなら、それでいい」
「うん、どうせ考えても無駄だしね」
「そういうことだ」
本当に理解した様子の浬の言葉に、フェルが優しげなほほ笑みを浮かべて頷いた。考えた所でどうすることも出来ないのだ。なら、考えるだけ無駄だった。
「さて・・・では今日は貴様らは部活だったな」
「ああ、うん。そろそろ大会も近いしね」
フェルの問いかけに侑子が答える。現在はもう6月中旬も終わりごろ。3年最後の大会が8月の中頃なので、本格的に練習にも熱が入り始め、色々と準備に忙しくなり始める時期だった。
「そうか。ならば、頑張るといい」
危機は脱したか、そうフェルは判断する。彼女とて、浬達の精神状況については気にかけても居た。ただ単に、そう思えないだけだ。
そんな所に、いきなり大音を上げて校舎に続く扉が開いた。屋上に居た一同がそちらに視線を送ると、そこに居たのは煌士と詩乃だった。煌士はキョロキョロと周囲を見渡すと、此方を見つけ、歩いてきた。
「うむ! 全員おはよう! と、言う時間でもないな!」
「こんにちは、皆様」
元気よく挨拶した煌士と、何時も通りのポーカーフェイスで腰を折った詩乃はクロスが去った事で空いていた席に座る。
クロスが来るまで完全お通夜状態だった4人に対して、此方はなぜか何時も通りのテンションだった。昨日はあの煌士でさえ、真っ青な状態で帰宅したのだ。なのに一晩で持ち直すとは、ある意味呆れれば良いのか称賛すれば良いのか判断しにくかった。
「・・・はぁ。あんたはすごいわね・・・」
「む・・・ああ、あれか。さすがの我輩も帰るまでは落ち込んだが、よくよく考えれば別に何が変わったわけでもなし。と言うより、我輩、もし龍なら大喜びだ。そもそも父上の時点で祖先帰りだ。考えればわかったのにわからなかった自分を嘆いたぐらいだぞ」
「・・・はぁ。それで、煌士様は朝からこの様なご様子です。我が家でも普通に問いかけた所、普通に認められましたので・・・もう受け入れるしかない、と」
どうやら煌士はともかく、詩乃はそれなりに悩んだ結果、実家でフォローがされたらしい。ポーカーフェイスの中に少しだけまだ不安そうな表情は残っていたものの、もう大丈夫そうだった。
ちなみに、ハイテンションになりそうな煌士だが、声のボリュームは落としていた。流石に屋上でこんな話題は、と思って遠慮したらしい。それぐらいの常識はあった様子である。
「それよりも、結局フェル様は何者なのですか?」
自分達の話題を切り上げて、詩乃が問いかける。どうやらこれを聞きに来たらしい。昨日の説明の時に、二人共御門が軍神インドラその人である事は理解した。まあ、その時の煌士の興奮っぷりはすさまじい物だったが、とりあえずは横に置いておく。
「ん? だから、フェル・シルだ。それ以外の何者でも無い」
「あれ? ルイスじゃないの?」
「それもまた、私だ」
浬の言葉をフェルが認める。結局あの後何度問いかけても、彼女の本当の名前についてははぐらかされたままだった。
「ルイス?」
海瑠が初めて聞く名前に、首を傾げる。関連性は殆どなさそうな名前だった。
「貴様らの兄の前で名乗っていた名前だ。貴様らの兄しか使わん。使わせても居ないがな・・・他は、私が幼名として使っていたルルの名で呼ぶ。成人後の名前はあいにくと地球では使い勝手が悪いのでな」
傲然とした笑みを浮かべながら、フェルが告げる。とは言え、これだけではぐらかしすぎているか、と思ったらしい。足を組んで少しだけ苦笑を浮かべ、少しだけ、彼女自身についての言及を行った。
「かつては欧州に居た。インドを追い出された頃のインドラやまだ暴れていた頃の闘戦勝仏等とはそれなりに鉾を交えたな・・・いや、あいつは今だに暴れまわっているが・・・まあ、それでそれなりには有名でな。使わん様にしているだけだ」
何処か懐かしげに、彼女は過去を思い出す様に語る。ちなみに、闘戦勝仏とは所謂斉天大聖、日本で有名な名で言えば孫悟空とも孫行者とも呼ばれる者の事だ。そうして、口に出して彼女はふと、今の現状の妙に気付いて、苦笑を深めた。
「今思えば、奇妙な物だ。数千年前に鉾を交えた者とこうやって共に居るのだからな」
「・・・貴殿はセラフなのか?」
「セラフ・・・か。モーセ等と言う奴の頃の言葉か。そう呼ぶ奴らも居た」
煌士の問いかけをフェルが認める。その顔には一抹の懐かしさが浮かんでいた。数千年前には、彼女もそう呼ばれていたようだ。
「セラフって?」
「ん・・・ああ、天使の事だ。ヘブライ語で天使の事をセラフと言う。燃え盛る者、という意味で、熾天使とも訳される。複数形ではセラフィムと言う。聞いたことぐらいはあるだろう?」
「あるけど・・・なんかむかつくわ・・・」
教養の深さを示されて、浬が何処か臍を噛んだ様な表情を浮かべる。煌士の発音はかなり流暢な発音だったのだ。
「私がセラフと呼ばれたのはモーセとか言う男が世にでる遥か昔だ。メシアなどという男も知らん。アダムとエヴァは流石に知っているがな・・・ああ、そうだ。知恵のりんごは不味いぞ」
笑いながらフェルが告げる。それがどれだけ昔の事なのかは想像もできないが、少なくとも、三千年より遥か昔であろう事だけは、理解出来た。メシア、とは即ちイエス・キリストの事で、モーセはそれより千年以上前だ。それを知らないとなれば、少なくとも彼女は4000年近くは昔から生きている事になるのだった。
「・・・一つ、良いか?」
「なんだ」
煌士が何処か息を呑んだ様子で挙手する。それに、一同が少しだけ息を呑む。彼女の正体にまつわる重大な事実に気付いたのか、と思ったのだ。
「あのカインという男が吸血鬼の祖先というのは本当なのか! 他にも人類が彼の子孫という説もある! 我輩、そこがずっと気になっていたのだ! それとその子孫たるレメクについてもセトの子孫との合致が見られるなど色々と・・・」
どうやらただ単純にセラフィムとしてのフェルに色々と疑問があったらしい。煌士は今までずっと疑問だったらしい神話学についての疑問を投げかける。
「はぁ・・・カインとアベルは知っているが、セツは知らん。カインはエデンを出てから暫くは暇つぶしに共に居たからな。そこは確実だ。色々と貴様ら人間がお話に肉付けしていく時に何かが混ざったのだろう。あとカインの末裔と吸血鬼を混同するな。奴らは別物だ」
何か重要な議題なのか、と思わず身構えたフェルだったが、出た質問にため息混じりに答えた。後に聞けば本当は答えるつもりはなかったらしいのだが、あまりに呆れすぎて答えてやった、とのことだった。
「ふむ・・・これは面白い! 人が色々と肉付けを、か! 確かに、そうかもしれん!」
そうして幾つかフェルに問うてみると、その中には人間が勝手に肉付けしただけの物語があったりと煌士としてもなかなかに興味のある話題になったらしい。彼は何処か得心が行ったように頷いていた。それに、フェルが語られる側としての意見を述べた。
「第一貴様ら人間は勝手に物語を良いように作り変える。疑問や異論が出るのは当たり前だ。真実と異なっている物語が数多あり、その土地々々と時々で得たい話がある。それに応じて作り変えているからな」
「むぅ・・・それを言われると痛いな!」
笑いながら煌士がフェルの言葉に頭を掻いた。フェルはいうなれば、神話側、言うなれば物語の存在だ。それ故に、真実の物語を知っている。
それに対して、煌士達は語る側であり、聞く側だ。それ故に様々な理由から様々な物語に脚色され、誇張され、逸脱する。それ故に様々な物語が生まれ、本来の物語は散逸してしまうのだった。
「そして、記録された話が常に語られた話と同一とは限らない」
「確かに!」
フェルの言葉に煌士が同意を示した。まだ、近年の様に映像データとして残せるのなら問題は少ないだろう。だが、それが出来る様になったのはここ100年の事だ。
それ以前は書物にして物語を残すしかなかった。そうなれば、語り部達の行う僅かな感情等を残すことは出来ず、そこで本来と異なる意図が生じてしまう事もある。そうして、それに同意した煌士に対して、フェルが傲然と笑い、告げた。
「貴様が持ち込んだその盗聴器の先に記録されているデータのようにな」
「なっ・・・」
フェルの言葉に頷いた煌士だが、続いた言葉に絶句する。そう、実は何も煌士は単なる興味本位で問いかけたわけでは無い。きちんと、意図があっての事だったのである。
いや、興味がなかったわけではないが、彼はフェルや御門という存在をなんとか覇王達に知らせることは出来ないか、と手を尽していたのである。記録に残せないのなら、リアルタイムで繋げてしまえば良いのではないか、と思ったのであった。
「気付かんと思ったか、小僧。私は貴様よりも遥かに長い時を生きている。貴様が考えそうな事なぞ、とうの昔に気付いている。帰ってから台所で聞いてみろ。さぞ美味なだし巻き卵が出来る会話が録音されているだろう」
「む、むぅ・・・」
楽しげに告げるフェルに、煌士が頭を掻いた。ちなみに、だし巻き卵のレシピは昨夜カイトが台所でつぶやいていたらしい。だから採用した、という事だった。
「どうあっても、協力は望めん、ということか・・・」
「諦めろ。貴様らに組みするつもりはない。まあ、貴様ら二人が来る分には構わん」
今後を考え、煌士はフェルの伝手を得ようと考えたのである。それに、フェルは却下を下す。彼女はカイトを通してなら国防にも何でも――と言っても気が乗れば、だが――協力するだろうが、それ以外では協力するつもりはなかった。そうして、結局はフェルが圧倒的に優勢のまま、この日の昼休みは終わりを迎えるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。次回は来週土曜日21時です。




