第30話 ガニメデスの試練 ――結末――
空也が捕まって、丁度10秒。空也と鷲の身体を捕らえていた光の縄が消失する。
「はぁ・・・」
縄が消失すると同時に平然と飛び去った鷲に対して、空也は片膝を付いた。
『空也さん、大丈夫ですか?』
「あはは・・・少しきついね」
苦笑した空也は、ヘッドセットから響いてき海瑠の声に苦笑する。幸い10秒間休憩出来たお陰で、それなりには、魔力も体力も回復出来ていた。
「煌士・・・後は頼む」
空也はそう言うと、海瑠の視界から外れ、校舎裏へと一目散に向かったはずの幼馴染へと、激励を送るのだった。
『煌士・・・後は頼む』
「ふむ・・・2分半・・・保った方か」
自身のヘッドセットから響いた空也の声に、地面に幾つもの魔法陣を書き込んでいた煌士が立ち上がる。煌士はずっと彩斗と空也を囮に、校舎裏の死角が多い場所に魔法陣を製作していたのである。詩乃は万が一準備が整うまでに此方に鷲が来た場合の煌士の護衛だ。
「煌士様。手筈はどうなっていますでしょうか?」
「うむ! まずはこの水の魔法陣だが、これは我輩謹製の」
「煌士様。そもそも水の魔法陣は一応のプランでは使う予定がありませんし、お時間がありませんので、結論のみ、お願い致します」
空也の最後のあがきから抜けだした鷲は一度校舎の上空に滞空して周囲を探っていた。まだ幸いにして見付かっていないが、校舎内に入り込まない限りは、校舎内に相変わらず息を潜めている浬では無く、次の狙いは此方だろう。それを理解出来た詩乃は煌士の自慢話に付き合うつもりは無く、先を促した。
「むぅ・・・とりあえず、準備はできているぞ!」
「わかりました。では、交戦を開始致します」
詩乃としては、鷲に気付かれるので出来れば大声はやめて欲しかったが、それでは煌士のテンションにも影響しかねない。それに、浬に対する囮にもなる。なのでそこは我慢したが、やはり彼女の懸念通り、鷲が煌士の大声に気付いて、一気に急降下してきた。
「来たな! かの全能神の神獣よ!」
ソニックブームさえ纏い降下してきた鷲に対して、煌士は楽しげな笑みを浮かべる。そうして、鷲が煌士に突進していくが、だいたい両者の距離が10メートル程になった時、唐突に鷲が動きを止めた。
煌士の魔法陣の力によって生み出された下から吹き上げる豪風によって、動きが縫い止められてしまったのだ。それを受けて、鷲は一度距離を取る。
「ふはははは! この豪風の中を突進できるのなら、してみるがよい!」
「出来ればスカートにも気を遣っていただきたいですね」
何時も通りハイテンションな煌士と、何時も通り物静かな詩乃が結果を見てとりあえず安堵する。彼らの周囲の魔法陣の一つがこの結果をもたらしていた。
とは言え、彼らはその結果に満足して逃げる事はしない。いや、しないのではなく、出来ない、のだ。流石に彼らには敵を自動で察知して魔法陣を起動させる様な高等技術は出来ないのだった。
なので、彼ら自身で魔法陣を起動させてやらねばならず、ここから動けないのである。そんな彼らが取った方策は、幾つもの魔法陣を展開して自らの防備を固める、という事であった。
「む!」
煌士が少しだけ、顔を顰める。安堵出来たのは、一瞬だけだ。このまま直進が出来ないと見ると、鷲は一度距離を取って天高く飛び上がり、風を切る様に翼を畳んで一気に急降下する。それは、先の突進よりも更に速かった。
「その動きを待っていたぞ!」
みるみるうちに加速してついには雷を纏って突進し始めた鷲に対して、煌士が笑い声を上げる。その声に反応する様に、風を生み出していた魔法陣の周囲にあった4つ程の魔法陣が光り輝いて、更に風を生み出す。生み出された風は中央の魔法陣が生んでいた風を巻き込んで、乱気流を生み出す。
流石に横合いに風が吹き付けられると、如何に翼を折りたたんだ鷲といえども直進する事は出来ない。このままでは地面に激突すると鷲は判断すると、空間転移を利用して再び距離を離す。
「むぅ・・・やはり思うようにはならん、か・・・良いぞ良いぞ!」
煌士が完全に警戒した様子の鷲に対して、楽しげな笑い声を上げる。実は、空間転移で自らの周囲に転移して来る事は煌士とて想定済みだ。なのであの状況から何時転移してこられても良い様に、幾つか手を施していたのである。
「だが・・・そろそろ此方からも攻撃を仕掛けねばな!」
「畏まりました」
煌士の言葉に応じて、今までずっと魔法陣を待機させていた詩乃が校舎の3階の壁に書き込んだ――身体強化で3階の壁に張り付き書き込んだ――魔法陣を起動させる。
すると、彩斗や空也が呪符で発動させた<<光の束縛>>が発動する。此方は常に魔力を消耗し続ける代わりに、永続的に縄を発せられ続ける物だ。
「ふはははは! さあ、逃げろ逃げろ!」
「あまり挑発しないで頂けますか。まあ、万が一の場合、煌士様が対処されるので良いのですが」
自身は何もしていないのに、煌士が笑い声を上げる。それに対して、詩乃が呆れた声を上げる。今回、煌士は防御のみ、詩乃は攻撃のみに専念する事にしていた。
両方をやっていざというタイミングで迷いが生じる危険性を厭うたのである。それなら、いっそどちらかを捨てて片方のみに専念する事にしたのだった。
「む、そうだな。あまりやり過ぎて万が一が起きては、他の者に悪い」
「ご理解いただけた様で」
煌士が少しだけ自重して、挑発を引っ込める。意外に思われるかもしれないが、煌士は他人の頑張り等を把握している。そして、それを自分の暴走でダメにするような事が無い様に、繊細な注意を払っても居た。まあ、それゆえに、あれだけ巫山戯ていながら生徒会長という職責を全う出来ているのだが。
「・・・む。これは意外だ。空間転移を多用して逃げると思ったが・・・」
「やはり空間転移は至難の技と言われます。それはかの神獣であっても変わらないのでは?」
「そうかもしれん・・・」
鷲が普通にくるくると空中を舞い踊りながら逃げるのを見て、煌士が少しだけ訝しむ。鷲は殆ど捕まりそうになった時などは普通に空間転移を使用して逃げているが、それ以外は普通に空中を舞うようにして、取り囲まれない様に逃げていたのだった。
「・・・む?」
攻撃を担当しないお陰で、鷲をじっくり観察することが出来た煌士が違和感に気付く。何かが、ゆっくりとだが、鷲に魔力が蓄積されている様な感覚があったのだ。そして、それに気付けば、何が狙いか把握出来た。
「そうか・・・」
小さく、煌士が笑みを浮かべる。先の彩斗の時は一瞬で魔力を溜めた様子だったが、今回はゆっくりと、悟られぬ様に魔力を溜め込んでいるのであった。それが分かれば、対処は出来る。なので、煌士は何時鷲が突っ込んできても良い様に、魔法陣を待機させる。
「ここだ!」
そして暫くして鷲が突っ込んできたのに合わせて、煌士が魔法陣を起動して先と同じ乱気流と、更に急に転移された場合に備えとして用意していた1メートル程の水の膜を創り出す。
決めに来た、と見て此方も出し惜しみは無しとしたのである。そしてそれは正しく、鷲が乱気流に突っ込んで勢いが衰える寸前に、鷲が消える。空間転移で煌士達の側にまで転移したのである。そこまでは、煌士の読み通りだった。だが、ここで一つ煌士も詩乃も失念していた。
「しまった!」
転移した瞬間に現れた鷲の姿を見て、思わず煌士が素で顔を顰めた。鷲はもともと、外では全幅5メートルはある大鷲だ。その足の長さだけでも、1メートル程はあったのだ。
縮んだ姿で現れ、更にそのまま縮んだままだった此方に対処してきた所為で、鷲の本来の大きさを完全に失念していたのである。
「煌士様!」
詩乃も同じく忘れていたが、それでも、護衛としての本分を忘れては居なかった。なのでとっさの判断で、煌士を突き飛ばす。それはなんとか功を奏して、煌士だけは、鷲の足の範囲から外れる。
「しまった・・・煌士様、後はお願い致します」
「・・・うむ」
完全に、自分の手違い。水の膜で通れなくするのではなく、風で軌道を逸らすか土で完全に通れなくするべきだったのだ。とは言え、水の膜を採用した理由はある。
土の壁は風によって影響を受けて今の煌士では壁が脆くなってしまう可能性があり、風単独では対処された場合に拙い。そう思って敢えて水の膜で防備を行った煌士の読み違えだった。それを感じた煌士は詩乃の言葉に苦々しげに頷いた。
「とは言え・・・もう手は無い、か」
頷いたは良いが、彼が出来るのはこの守りだけだ。2週間という縛りがあったため、どれかに特化させるしかなかったのである。
「ならば、後は全力でやるのみよ!」
手札はどちらにせよ守りしか無いのだ。ならば、やれることはたったひとつ。自身の守りを完全にするだけだ。なので煌士は自分の周囲の魔法陣を全部起動して、先よりも荒れ狂う乱気流と、先よりも遥かに分厚い5メートル程の水の膜を生み出す。持久戦に持ち込んで、なんとかタイムアップまで逃げ切る算段であった。
「海瑠よ! 後何分だ!」
『えっと・・・後3分です!』
「むぅ・・・」
煌士は顔に苦い笑いを浮かべる。あの鷲を塞ぎきれるレベルで魔法陣を展開するとしたら、どれだけ足掻いても今の煌士では1分が限度だ。つまり、後残りの時間は浬に賭けるしか無いのである。
そして、1分半後。煌士は限界に挑戦して、なんとか、更に30秒の時間を稼いだのである。とは言え、限界は訪れる。そうして、1分30秒を回った頃に、ついに煌士の魔法陣が停止する。魔力の供給が断たれたことで、その効力を失ったのだ。
「く・・・」
水の膜の中から息も絶え絶え、完全に膝を屈した煌士が現れる。だが、最早完全に動く気力を失い、ただただ、鷲の攻撃を受けるだけだった。そして、アラームが鳴り響く。
「ここ・・・まで、か・・・」
「お疲れ様です、煌士様」
「後は・・・天音だけか・・・ちっ・・・今の俺では、これが限界か・・・」
震えながら、煌士が地面を弱々しく叩きつける。完全に素の表情で、何処か中二病じみた役柄を演じる事も無く、心の底から悔しさを滲ませる。
今回の一件は、自らの姉の、幼馴染の兄の消息を探るために重要な一件だったのだ。それの成功の見込みは、自分に掛かっているという自負はあった。それ故の、感情の発露だった。そうして、戦いは最終盤へと、移るのだった。
一方の浬はと言うと、自分達からは見えない戦いなので海瑠と共にカイトから実況と解説を受けていた。カイトの使い魔は遠視の能力によってこの程度の壁ならば問題なく見通せる、との事だった。
『うーん・・・まあ、土か光で完全に遮断が正解だったな・・・が、どちらも今の彼では難しかったか』
『そうなの?』
『ああ』
海瑠の問いかけに対して、カイトが認める。カイトはゼウスの鷲と何度か遊んでおり、その性質については熟知していた。それ故、大きさに緩急を付ける事は想定の範囲内だし、その対策についても完璧だった。
なので本来はアドバイスを出来れば良いのだが、その伝手が無い。下手に浬達を通してしまって、まかり間違って自分の正体が露呈するのは避けたかったのである。
「このまま終わってくれないかな・・・」
追われる心配が無く呑気に解説を聞いていた海瑠に対して、自らも参戦している浬は祈るように三角座りをしていた。ちなみに、なるべく見つかりにくい様に窓側の壁を背もたれにしている。そして、更に約1分後。煌士が失格となる。
『あ、あっちのメイドちゃんの御主人様が捕まった』
『あ、うん。今こっちにも報告があったよ天道先輩捕まったって』
『うそ・・・』
これで、正真正銘浬だけだ。楽しげな兄に対して、浬は頭を抱えて泣きたくなる。今回、バイトと言われながら、それが本当は自分の父を含めて大量の人の希望を得ていると知っているのだ。泣きたくなるのは当然だった。
『さて・・・まあ、浬。後はオレの指示に従え。失敗しなければ、十分に逃げきれる』
『ホント・・・?』
『おう、オレを信じろって。伊達に勇者とか言われてないから』
兄は気楽に言うが、未だに実力が信じきれていない浬は懐疑的だ。だが、ここまでくれば、後は兄の言葉を信じるしか無い。
『海瑠。わかってるな?』
『うん。僕は転移にだけ、注意しておけば良いんだよね?』
『そういうこと』
基本的にカイトは海瑠の魔眼を信頼していても、反射神経については殆ど信頼していない。と言うより、魔術の強化無しでも自分でやった方が圧倒的に早い事を確信している。
そうして、更に30秒。上空を飛び回って窓から覗き込んでを繰り返しても浬が見つからない事に業を煮やした鷲は、魔力を乗せた鳴き声を上げる。鷲は威嚇することで浬に叫び声か何らかのアクションを起こさせて、そこから居場所を探ろうとしたのである。
「きゃあ!」
『つっ・・・結構苛立ってるな。っと、浬立て! 来るぞ!』
『お姉ちゃん! 斜め上から一直線に来てるよ!』
「さいっあく!」
兄と弟の注意喚起を受けて、浬は一気に立ち上がる。そして向かう先は開け放たれた教室の扉の更に先、開け放たれた廊下の窓だ。カイトの言葉を受けて、彩斗達が囮になっている間に廊下の窓と教室の扉を開けておいたのだった。
「はっ!」
浬が迷いなく窓から飛び出ると同時に、鷲が天井を突き抜けて教室に飛び込んでくる。完全に相手の行動を読んでいるがゆえにここまで余裕で逃げられたのだった。
そうして、予想に反して標的がおらず周囲を見回す鷲だが、校庭に浬の姿を見つけると、再び羽ばたいてその後ろを追いかける。
『浬! 後ろ、今だ!』
「きゃあ!」
浬は叫び声を上げながらも、カイトから持ってくる様に言われた掃除用の箒を後ろに向けて振りかぶる。まさか何の鍛錬もしていない少女から反撃されるとは思っていなかった鷲は驚き、一度距離を離した。
だが、その手に持つ箒が何ら魔力の宿っていない単なる箒と見て取ると、再び追撃を開始する。有効打にはならない、恐れる必要の無い攻撃だと判断したのだ。
『お姉ちゃん! 前から来るよ!』
『浬! しゃがめ! 後は避ける事だけに専念しろ!』
「きゃあーーー! もうやだー!」
浬は叫び声を上げながら、その場にしゃがみ込む。すると、その頭上を大きくなった鷲の足が通り過ぎていった。何度も戯れているカイトだからこそ、次の手段が読めて、最適な避け方を指摘出来るのだった。
まあ、カイトが居るからこそ、鷲の方も浬を通して遊んでもらっているという感覚で、遊び半分の手を打っているのだが。
『浬、斬り上げろ!』
『お姉ちゃん! 前!』
「あー、もう! どうにでもなれよ!」
避けられた事を見た鷲は更に後ろから転身してその背を狙うわけでもなく、小型化すると一気に空間転移で浬の斜め上に転移する。そうして同じ速度で斜め上から急降下してきた鷲に対して、浬が切り上げる様に箒の柄を振る。
もともと、なんだかんだ言いつつも三人は仲の良い兄妹で、息も合う。ゲーム等では兄妹ならではの阿吽の呼吸を見せるのだ。なので、そんな即興の連携でもなんとか形になっていた。簡単な言い方でも、意思が通じ合うおかげだった。
『良し! 前に跳べ!』
『後ろから来るよ!』
二人の言葉を受けて、浬はヘッドスライディングの要領で前に飛び込む。当たり前だが、そんなことをすれば衣服は泥だらけだし、箇所によっては破けてしまっていた。そんな自分のそれなりにお気に入りの服の惨状を見て、浬が泣き言を言う。
「きゃ! 最悪ー・・・一品物なのに・・・」
『オレが後でもっと良いの買ってやる! 予算10万でも20万でも見繕ってやる!』
「持ってない癖に・・・」
『・・・さてな』
そんな大金を持っているはずが無い。そう思った浬に対して、兄の方は意味深な声で答える。まあ、信頼されなかったが。
だが、そんなお気楽な会話は数秒だけだ。一瞬で何が起きたかを判断した鷲は転身して上空に飛び上がると、そのまま一気に急降下してくる。
『お姉ちゃん! 次、後ろ斜め上から来るよ!』
『もう一度前に跳べ!』
「もういやー!」
少しだけ身を起こして再び前に飛び出して再度のヘッドスライディングを行う浬だが、すぐ居た場所に鷲が降り立ったのを見て、即座に起き上がる。だが、そのまま鷲が再び飛び上がる事はなかった。
「・・・あれ?」
『グッジョブ。後でご褒美に服買ってやる』
恐る恐る後ろを振り返り、飛び上がらない鷲を訝しむ浬に対して、カイトが微笑んだ様な気配で告げる。まるでそれをきっかけにした様に、周囲のテントから様々な人が出てきて、浬の下に駆け寄ってくる。今の急降下の一撃が外れると同時に、時間切れになったのだった。
『お姉ちゃん、やったね! さっきので終わりだよ!』
『浬、よーやった!』
「・・・え? 終わり?」
あっけない幕切れに、浬が呆然となる。もともと、グラウンドに出た時点で残り数十秒だったのだ。それからいくども攻撃を回避していれば、すぐに時間切れにもなるだろう。浬は集中していたがゆえに、一分が経過した事に気付けなかったのだ。
「おお! 浬よ! よくやったぞ! まさか貴公がクリアの鍵になるとは!」
「浬さん、お疲れ様でした」
「あはは、浬さん。ありがとうございます」
周囲を見回す浬の下に、一緒に参加した三人がやって来て労いの言葉を掛ける。そうして、浬はようやく、試練を乗り越えた事を実感したのだった。
お読み頂き有難う御座いました。




