第271話 ご先祖さま
場所は大きく変わり、ユーラシア大陸北部。ロシアのツンドラ地帯。そこの奥に、ロシアが保有する一つの人工的な異空間があった。そこの名は『春の離宮』。色々な皮肉を混ぜた名だった。そこの主は、アナスタシア。ロマノフ王朝の末裔だった。
と言っても無論、これはあのロマノフ王朝の末裔アナスタシアではない。その子孫だった。ここに彼女らが居るにはそれ相応の理由がある。それはさておいてもとりあえず、子孫は丁重な扱いを受けていた。と言っても、それを丁重と呼ぶべきかある種の腫れ物扱いと言うべきかは、判断の分かれる所ではあった。
「そう」
「どうされますか?」
そんな『春の離宮』の主の一人。影のアナスタシアというコードネームを与えられた女性は先に天道財閥の下へと送った密偵から報告された内容を聞いて、少しだけ頭を悩ませる。と、そんな彼女の横。光のアナスタシアというコードネームを与えられた彼女の姉が口を開いた。
「べっつに特に気にする必要も無いでしょう。東は私達が。西はイヴァンがなんとかする。それだけなのだから、気にせず事を進ませなさい」
「それは良いのだけど、どちらが行くか考える必要はあるわよ」
「それこそ、それを決めるのならどっちがその子を娶るか、なんか決めておく必要があるでしょう。どっちが数十歳年下の旦那を娶るか、って。そもそも娶る云々もまだ確定でもなし。恩売っとけ、がウチの大統領の言葉でしょう?」
「それは、そうなのだけどもね」
姉の言葉に妹はため息を吐く。そんな二人の容姿であるが、これは非常に似通っていた。というより、そっくりだ。それもその筈。二人は双子だった。故に姉が光のアナスタシア、妹が影のアナスタシアと呼ばれていたのであった。別に光と影の由来に意味はない。単に姉を光として妹を影としただけだ。
そんな二人が口にしていたのは、皇志らが口にしていたことだ。実のところ、ロシア政府はカイトを含め数人の対象者を彼女らの婿として迎え入れようとしていたのである。なのでこれは恩を売る為の一つの策だった。
「で……そういえばイヴァンはそろそろ?」
「もう出たわ。貴方が酒を飲んでる間にね」
「あら……お見送りが欲しそうだった?」
「そういう事はないわね。あいつはあいつで普通に行ってきます、と言って出ていったわ」
若干の豪快さの滲んだ姉に対して、妹はどちらかといえば冷淡さが滲んでいた。が、やはりふとした仕草などは似通っていた。そんな二人が口にしたイヴァン、というのは二人の弟の方だ。
彼女らが日本に有効的な側面を持たせているとするのなら、彼は逆。日本と敵対する勢力に対して良い顔をさせていた。させていた、なのでこれは国家としての指示だ。
もし次の大戦において日本、ひいてはアメリカ率いる勢力が有利とみれば彼女らが矢面に立ち、その逆に彼らが不利であればその敵側が表に立つというだけに過ぎなかった。
無論、もしそうなってもどちらも国内で活かせる方策は考えているので無駄にはならない。第三勢力、もしくは現状中立であるがそれ故に無関係と傍観者を決め込んでいるだけではなかった。
「そ。相変わらず冷淡というかあいつらしいと言うか」
「知らないわ……にしてもヴィーラ。貴方、そろそろ入れすぎよ?」
「寒いのよ。少し外に出ていたから」
呆れ混じりの妹の問いかけを受けたヴィーラ――正式にはヴィクトーリア――は、ため息混じりにブランデーをたっぷりと入れた紅茶を口にする。それに対して、妹もまた紅茶を口にした。と言ってもこちらはあまり酒を入れていない。あまり、なので結局入れているが。
「というかエヴァ。貴方も入れてるでしょう。というか、私から言わせれば砂糖を入れすぎよ」
「貴方のブランデーほど入れてはいないし、寒くてもそこまで入れる気はないわ」
「そこら、双子なのに合わないわね」
「そうね」
別にどうでも良いのか、ヴィーラと呼ばれた姉もエヴァと呼ばれた妹も特に気にするわけでも無いらしい。お互いの苦言に対してどうでも良さげに二人はスルーを決め込んでいた。と、そんな二人に対して、先程から報告を行っていた女性が一つ咳払いした。
「ごほんっ……そろそろ、よろしいか?」
「「どうぞ?」」
「はぁ……」
何故この二人はこういう時は必ず息がぴったりなのだ。女性はそう思いながらも、これが国の命令なので気を取り直して二人に更に報告を続ける事にするのだった。
天道財閥が総力を上げて魔女の少女の護送に力を割き、浬らがその密かな援護の為に奔走していた11月のある日。二つの道がふと交わる事があった。無論、それは当然だ。なにせ煌士と空也が居る以上、どこかで交わる事はある。
というわけで、この日。煌士と空也は覇王と星矢の二人から呼び出しを受け、放課後に帰宅する際に天道家の屋敷の一室に集められていた。
「おう。来たな。学校はどうだった?」
「楽しい所です! やはり同年代の方達は大人とは違う視点を持つ! 我輩としてもその視点には驚かされるばかりですし、大いに刺激を受けます!」
覇王の問いかけに煌士は覇王の問いかけに心の底から楽しそうに学校での事を語る。基本大学院を飛び級で卒業し、更には名家天道の三男である彼であるが、それでも周囲が普通に接してくれるのは間違いなく彼の人柄故と断じて良いだろう。
彼としても学力としては遥かに劣っている周囲を見下す事なく、それどころか友人や学ぶ所のある者として尊敬をしている。色々と問題を起こす事の多い彼であるが、ここらのおかげで中学校での彼は決して遠巻きに見られたり忌避される存在ではなかった。
「そうか。そりゃ、良かった。空也くんも学校はどうだ?」
「ええ。ありがたい事に先生方も良くしてくださっていますし、純粋な剣技であればやはりまだ及ばない方も多い。学ぶべき事は多いです」
「そうか。天嶺もかなりの腕利きを集めているからなぁ……」
やはり名家の子女が多く通う学校だ。天桜ほどではないものの、天嶺にも多くの名家や有名企業の子女が通っている。なお、空也が天桜の中学校に通っていないのは父親である星矢の希望だ。
やはり名家の子女達であれば天桜学園の中等部が一番通っている。名家の子女と一般家庭の子の比率であれば前者の方が多いだろう。が、系列校である天嶺であればその割合は半々か、前者が下回る。一般市民の視点を身に付ける為、彼が天嶺を希望したのであった。
「覇王」
「ん、ああ、悪い。まぁ、二人を呼んだのは別にそんな話を聞きたいから、じゃない」
星矢の制止を受けた覇王は父親や親戚のおじさんとしての顔をやめると、一転真剣な顔を浮かべて二人を見る。それに、二人も少し背筋を伸ばした。
「前に煌士が言ってたご先祖さまへの謁見だ。覚えてるか?」
「「っ」」
覇王の口から語られた言葉に、二人は僅かに身を固くする。これは確かに魔女の護送に関係のある事ではないし、危険がある事ではない。が、この成否は浬達の生命に直結するのだ。緊張もやむなしだったのだろう。と、そんな緊張を偉大な祖先との会合を理解した事だと理解した覇王と星矢は一つ頷くに留めた。
「まぁ、そう緊張するのも無理はない。俺も実際、初めてお会いした時にはひどく緊張したもんだ」
「では?」
緊張は緊張だが全く別の要因からの緊張であった煌士は、父の勘違いを敢えてそのままにする事にして更に問いかける。それに、覇王ははっきりと明言した。
「ああ、向こうが了承してくれた。というより、どうにも向こうも暇だそうでなぁ……お前らには今度の土日、ちょっと富士山の山頂の聖域にまで出掛けてもらう事になる」
「わかりました」
「はい」
そもそも自分達から申し出た事だ。なので煌士も空也も異論はない。そもそも今の彼らの身体能力であれば、富士山の登頂にはさほど労力が掛かるわけではない。と、そんな二人に覇王が一つ申し訳なさそうに頭を掻いた。
「まぁ、そういうわけなんだが……本当なら俺か星矢のどちらかが一緒に同席するべきなんだろうがな。ちょっと今俺も星矢も忙しくてなぁ……」
「はぁ……またお仕事で何か大きな事でも?」
「ん? あ、ああ。まぁ、国の関係で少し動いていてな。星矢は知っての通りちょっとアメリカでの会議があるわけでどっちにしろ無理なんだが……」
元々アメリカでの会議は決まっていた事だ。なので空也も煌士もそれを知っていたし、覇王が何故忙しいのかも知っている。二人は隠しているが、覇王は無論魔女の護送に関してアメリカでの支社進捗を確認する為、星矢は国際会議だが、実質はこの護送に関しての探りを入れる――実質は土壇場での裏切りが無い様に釘を刺す事――事が目的だ。
が、そもそも煌士達の祖先へのお目通りを申し入れたのは魔女の護送より前の事だし、国としても家としても向こうの方が遥かに格上だ。相手はそれこそ下手をすると裏では天皇家よりも格上だ。なのでどうしても時期をずらす事は出来ず、二人だけでの謁見とせざるを得なかったというわけだった。
「とはいえ、まぁ、流石にそれだけだと国として色々と駄目でな……星矢」
「ああ……遊佐さん」
「はい、総理」
星矢の言葉を受けて、一人の男性が後ろから進み出る。年の頃は四十前後という所で、生真面目そうな男性だった。と、そんな彼が一歩進み出たのを受けて、星矢が彼の紹介をしてくれた。
「宮内庁の特別な部に所属している遊佐という方だ。わかりやすく言えば、『富士桜の姫』様との間の折衝を図ってくださっている人だと思えば良い」
「遊佐です。お見知りおきを」
「ありがとうございます」
遊佐の自己紹介を受けて、煌士が頭を下げる。そうしてそれを行ってから、覇王は一つ頷いた。
「ああ……それで、当日は彼の指示に従って動いてくれ。相手はまぁ……なんというか、気さくな方ではあるが……決して無礼の無いようにな」
「「はい」」
煌士と空也は覇王の言葉に一つ、頷いた。別に無礼をしよう、というつもりはない。さらに言えばカイトから相手の事について少しは聞いている。なので何か問題があるとは思っていない。そうして、二人はそれに備えていくつかの講習を受ける事となり、その後数日を過ごす事にするのだった。
そうして、数日後。煌士と空也の二人は土日の休みを利用して、富士山の麓にまでやってきていた。と、そんな二人――勿論二人だけではなく他にも護衛が何人も一緒だ――を出迎えてくれたのは、なんとどういうわけかカイトの師にして最高の剣豪と知られる信綱その人だった。
「来たか」
「信綱公!」
信綱の姿を見るなり、空也が土下座で平伏しようとする。相手は間違いなく世界最高の剣士。同じ剣の道を歩む者として絶対的な存在と言えた。
前の歓談の際の記憶は殆ど無いらしいが、それでも事実として記憶していたし身体は覚えていたらしい。と、そんな平伏しようとした空也であるが、どういう原理かその平伏しようとした機先を制する様に空也の首根っこを掴んでいた。
「ああ、平伏しなくて良い。祖先に会いに行くというのに、身だしなみを汚す者があるか」
「あ……申し訳ありません」
信綱の言葉に空也が恥ずかしげに頭を下げる。そうしてひっつかんでいた首根っこを離すと、信綱が口を開いた。
「話は聞いている。桜姫に会いに行くのだったな」
「桜姫……ですか?」
「ああ……ああ、貴様ら子孫は確か『富士桜の姫』と呼ぶのであったか。まぁ、名を使って呪いを掛けるのは古典的ではあるが……あれに呪いを掛けるのは並大抵の事ではないのだがな」
空也の訝しんだ様子――一時的に記憶を封印する事で敢えて本当に訝しんでいる様子を見せている――を見た信綱はかねてよりの打ち合わせ通りここで二人は初めて桜姫の名を聞いたという事にしておく。というわけでそこらの隠蔽工作を終わらせた後、信綱が告げた。
「ああ、それは良いか。それで、先日の事は一応天道の長より話は聞いている。何か不備があっても問題だ。俺が道中の警護を務めよう」
「信綱公が、ですか……?」
「ああ……何。別に貴様らとは違いこちらは暇だ。それに今の仕事なら問題はない。きちんと引き継ぎもしてある」
「は、はぁ……」
信綱の明言に空也は良いのだろうか、と思いながらもカイトをして最高と言わしめる剣士の腕が見られるかも、という好奇心には勝てなかった。そうして、二人は信綱という最高の剣士の警護を受けながら、富士山の山頂にあるという聖域を目指して移動を開始する事にするのだった。
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