第220話 忘れてた事
ナイアが教授達を天神市へと導いていた頃。世界は当然だが、それだけで動いていたわけではなかった。というのも、当たり前だが地球には日本やアメリカ以外にも国はある。あるのだから、当然その国にだって動きはあるはずだ。だから、これもまた必然の動きだったのだろう。
「……ふむ……」
一人の男性が、とある場所にて報告書を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「……不味いですね。これは無しとしておきましょう」
「そういう話か」
コーヒーの苦味に顔を顰めた男性に、また別の男性が顔を顰めてため息を吐く。それに、コーヒーを飲んでいた男性がため息を吐いた。
「皆さんはよくこんな物を好んで飲めますね」
「貴様は何時からブリティッシュになった」
「あはは……さて。それはさておき。少々、騒々しい事になっている様子ですね」
コーヒーを飲んでいた男性は楽しげに、書類を机に置いた。そこには、煌士の顔写真が添付されていた。が、どうにもまっとうに撮られた写真ではないらしい。どこか盗撮の様に斜め上の方向から撮られている様子があった。
「……今の時期には動けませんが……まったく。何時も何時もこの時期に作戦を考える事になりますね」
「数年前の極東海戦の時も、そうだったか」
「そうでしたかね……」
「あれだけの被害を被った作戦を忘れるか……」
「どうせ、他人事ですし」
二人の男達の口ぶりから、おそらく彼らはカイトの敵だったのだろうと推測される。であれば必然として、彼らの正体は一つだった。
「まぁ、占術師達の被害なぞ私達には興味も意味もありませんよ。所詮、私達は道士方の秘密部隊。切り札というに過ぎないわけですから」
「皮肉を盛りに盛った言い方だな」
「皮肉でしょう、どう聞いても。所詮秘密部隊といってもそれはいわば象徴的な存在。各個人で戦力を保有している彼らからすれば、我々なぞ使い捨ての駒だ。私のコードネームの変更はあっさり下りましたし、貴方なんて道士達の気まぐれ一つでコードネームを変えられているわけですからね」
コーヒーを飲んでいた男が皮肉たっぷりにそう断言する。そしてそれに、もう一人の男もため息を吐いて首を振りながらも、同意した。
「まぁ、それはそうだがな。が、郭嘉。貴様は存外、そのコードネームを気に入っているのではないか?」」
「貴方の様に皮肉ではないですからね」
郭嘉、と呼ばれたコーヒーを飲んでいた男が笑いながら、もう一人の男へと告げる。こちらは金髪碧眼で、北欧系の顔立ちだった。顔立ちは非常に整っていると言って良いだろう。が、敢えて言えばホストの様な軽薄そうな感じがあった。明らかに中国人ではない様子である。
「周公瑾……誰の所為だと思っている」
「おや。私は何もしていませんよ?」
「貴様が気まぐれに変更を申し出たからだろうに」
もう一人の男はどうやら、三国志の周瑜公瑾の名をコードネームとされたらしい。彼らの部隊の名は、『梁山泊』。水滸伝という物語に記された部隊の名だった。
そしてそれにちなんで、彼らの部隊の隊員数もきっちり百八と一人。一人多いのは、物語にちなんで晁蓋という例外的な存在を含めていたからだ。
コードネームに水滸伝の縛りがないのは、所詮これは彼らの指導者的な立場の者達にとってこれがお遊びという所なのだろう。なお、流石に立場上の問題からか封神演義だけは、コードネームに含まれていないらしい。
「あはは。やはり郭嘉といえば女誑し。私らしくはありませんか?」
「……なんとも言えんのが、頭が痛いな」
郭嘉の言葉に周瑜がため息を吐いた。が、気にしてもいられない、と即座に首を振る。
「で、どうするつもりだ?」
「当然、仕掛けます。まぁ、今が10月なので仕掛けられませんが……」
郭嘉はカレンダーを見ながら、しきりに今が10月である事を気にしていた。そして同じ様に、周瑜もカレンダーを見た。
「10月、神無月か……」
「ええ。この時期だけは、まだ流石に事を起こせる段階ではありませんからね」
「仕方がない事だ。この時期だけは、な……」
郭嘉の言葉に周瑜もため息を吐いて同意する。どうやら、何かの事情があったらしい。とはいえ、それならそれで、と準備に時間を割けるという事でもあった。
「まぁ、それならそれで準備に時間を割くというだけです」
「何を考えている?」
「少し、大掛かりな仕掛けを」
郭嘉は周瑜の問いかけに、人を食った様な笑みを浮かべる。そうして、遥か遠くの中国でも事態は緩やかに動き出したのだった。
と、そんな事はつゆ知らず。日本では相も変わらず浬達が普通に生活をしながら、普通に修行の日々を送っていた。が、そんなある時。御門が唐突に、郭嘉達がなぜ10月である事を気にしていたのかを、思い出した。
「あー……そういうわけで、誰か昔の日本の月の言い方を言える奴は居るかー」
御門は今は海瑠のクラスで授業中だった。そんな彼が教えていたのは、丁度というか旧暦の事だ。何か話の流れでそうなったらしい。と、そうしてせっかくなので一度試しに海瑠に聞いてみる事にした。まぁ、実際は記憶を保管する魔術の展開速度はどの程度か、と試している趣も大きい。
「天音弟ー。お前はどうだー」
「え、あ、はい。えっと、1月が睦月、2月が如月、3月が弥生……」
海瑠は魔術で己の中に蓄えられた知識を頼りに、十二ヶ月の旧来の言い方を述べていく。そして流石は魔術を使っての暗記というべき所だろう。海瑠は全てを正確に答えていた。それに、御門は二つの意味で良し、と頷いた。
「良し。そうだな。1月の睦月に始まり、12月は師走、という意味だ。さて、ここからが面白い所でな。例えば師走。これは12月はお師匠様さえ走る程に忙しいから、師走ってわけだ。では、今月の10月の神無月。神様が無い月と書く。これは10月に出雲では集まって宴会を開いているから、ってわけだ。だから出雲だと今月は神有月……ん? 俺。今、今月10月って言わなかったか?」
御門が唐突に停止すると、ふと彼は何かに気付いたかの様に目を瞬かせて近くに居た生徒へと問いかける。
「え? いや、今10月でしょ?」
「マジ? 俺、記憶飛んでるとかじゃない?」
「え、あ、はい……」
唐突に意味のわからない事を問われた生徒は若干混乱しながらも、一度黒板に書かれている日付を見て再度はっきりと頷いた。それに、御門がぷるぷると震え上がる。
「……」
「え、えーっと……先生?」
「すまん! 少し抜ける! 五分……いや、三分で戻る!」
御門はそう言うと、大慌てでその場から立ち去った。それに生徒達は若干の混乱を生じるも、特に気にする程の事でもなかったのか、即座に雑談が開始された。
「どうしたんだろうな?」
「わかんない……」
前の席の男子生徒に問いかけられた海瑠だが、彼も何も聞かされていなかったのでしきりに首を傾げていた。とはいえ、今の彼には便利な魔術があるわけで、それを使って御門が連絡を寄越していた。
『おい、てめぇら! 全員、今日から一ヶ月でよっぽどやりたい事は無いな!』
『え、あ、は、はい……』
大興奮している御門の言葉に、海瑠は生返事を返す。彼がここまで興奮するのは珍しかった。とはいえ、それも仕方がなかった。
『10月、そうだ、今は10月なんだよ! 神無月! 神無月と言えば、あれだ!』
『まさか、貴様……それで授業を抜けたわけではあるまいな?』
『インドラ神……貴方という神は……』
大興奮の御門に対して、フェルが呆れアテネは嘆かわしいとばかりにため息を吐いていた。彼女らの所にも念話が届いていたのだろう。というわけで、早々にアテネの雷が降り注ぐ。
『良いですか! 曲がりなりにも貴方は主神! 神々の王です! それがなんという……』
『あ? 俺はこのために生きてんだよ』
『っ! 何という覇気を……』
まさに驚天動地の覇気を放つ神々の王インドラに、アテネが思わず気圧される。それほどまでに、御門は真剣だった様子である。
『え、えーっと……あの、御門先生? 何があったんですか?』
『あ? 神無月だよ、神無月。今は神無月。宴会だよ、え・ん・か・い。わかるか? 木場くん。この時期に神々は出雲、ってか高天原に集まって、大宴会しているわけよ。で、俺ともあろうものがすっかり忘れていたわけだ』
何が何だかさっぱりな鳴海の問いかけに、御門はざっとしたあらましを語ってくれる。先程御門自身も述べていたが、この時期には神様達は出雲に集まって宴会を開いているのである。
まぁ、一応正式には会議となっているが、実際には八百万の神々が集まっての大宴会で良い。なぜそう言い切れるか、というと毎年参加している御門が言うからである。
『ってことで、俺は今から行ってくるわ。お前らも後から来いよー』
『今から行くんですか!? 授業は!?』
『たりめーよ。すでに何日出遅れてると思ってやがる。一週間近くも出遅れてんだぞ。で、授業は今分身作ってるからそっちに任せた』
驚きを露わにした海瑠に対して、御門は平然とそう言い放つ。まぁ、そういうわけで時間が必要だったらしい。今は大慌てで屋上から分身を作っていたそうである。と、そんな所におずおずと煌士が問いかけた。
『あ、あのー……御門先生』
『なんだ?』
『いえ、その……先生はインドラ。インドの神なので関係が無いのでは?』
『あぁ、気にすんな気にすんな。日本は大雑把なのが売りだ。古今東西どっからでも来て良いってのが、今の日本の在り方だ。だから俺が居ても問題は無い』
煌士の質問に御門はあっけらかんと問題がない事を明言する。面倒なので御門は語らなかったが、そういうわけなので北欧のオーディン達、ギリシアのゼウス達までこの時期には日本に集まっているらしい。本当に神有月の面目躍如である。
『良し、出来た。じゃ、後は任せたぞー』
「おーう。悪いな。ちょいと外務省に電話しろ、って言われてたのわっすれててさー。流石に先生が不法入国やらで訴えられると拙いだろー? あっははは」
念話から消えるなり入ってきた御門の分身が軽い感じでそう告げる。が、これに生徒達は流石に僅かに引いていた。が、やはりここらは御門の不思議な人徳の為せる技、という所なのだろう。
「え、えぇ……?」
「大丈夫なんっすか?」
「おう、大丈夫大丈夫。一度外務省のお偉いさんに恩売った事あってな。ちょっくら言って伸ばしてもらった……ってわけで、男バス諸君。センセ、今日から少しの間早帰りするわ」
「か、軽い……マジ軽いっすね……」
確実にヤバそうな話だったのにあっけらかんとした御門に、生徒一同は思わず顔を見合わせて笑うしか無かった。とはいえ、それはそれで良いのだろう。そうして、再び御門の分身が中心となり、授業が再開される事になるのだった。
というわけで、その放課後。御門はランスロットとエリナを呼び出していた。ランスロットは単に参加者で、こちらも忘れていたから。エリナは単に連絡を、というわけである。
「と、いうわけで。俺はしばらく天神市を留守にして宴会参加してる。まぁ、この時期はどこの国も日本には手を出さないから、安心してろ」
「あー……そう言えばそんな事もありましたね」
「いやぁ、ここ当分忙しくてすっかり忘れちまってたわ」
「いやぁ、すいません。私もすっかり……」
「「あはははは!」」
御門とランスロットの二人が笑い合う。が、これにエリナは大いに震え上がっていた。やはりまだ経験が足りない、という所なのだろう。そんな規模の宴会が開かれている事は噂には聞いていても、本当だとは思ってもみなかったらしい。そんなエリナにとって、更に恐ろしい一言が御門から飛び出た。
「まー、本当ならエリナの嬢ちゃんも参加させてやりたいんだがねぇ……」
「御門先生。流石に未成年に酒盛りに参加させるのは。素面なので止めさせてください」
素面じゃなければ止めないんですか。エリナは内心でとんでもない事を言い始めたランスロットに震え上がる。やはり、こちらもお上品な様子に見えて、英雄らしい豪快さを持ち合わせていた。とはいえ、幸いな事に御門もそこまで酔狂というわけではなかったらしい。
「だよなー……っと、おい、ランス。お前の所の陛下も来てんぞ」
「ああ、本当ですか。では、後ほどご挨拶に伺う、とお伝え下さい」
ランスロットは御門の分身を介して、アルトへとアポイントを取ってもらう様に依頼しておく。まぁ、どうせ無礼講の大宴会だ。普通に会いに行ける。が、全員揃って酔っぱらいだ。下手に何も音沙汰なしだとあちらから来る可能性もあった。
「おーう……んー、やっぱお嬢ちゃんも連れてくか?」
「相当酔ってますか?」
「いやぁ、今年どうやらあの馬鹿が面白い酒を持ってきてくれてなー。ご機嫌だわー」
御門の分身は常に上機嫌だった。が、どうやらこれは本体の側が相当酔っ払っていたからだそうである。分身に影響が出る程に酔っていたらしい。なお、これほど酔っている理由はどうやらカイトが先のメッセージボックスに合わせて、御門達に礼として異世界の酒を贈ってくれたらしい。
彼らにも隠れてやっていた事らしく、これには流石に酒好きの御門は大いに喜んで、相当に上機嫌に飲んでいたらしい。なお、その所為で異世界の酒が空けられない、と酒好き達が一時大いにお冠だったそうだが、どちらにせよ酔っ払っていた所為で完全に忘れられていたそうだ。
「っとと……流石にそろそろ操作が拙くなってきたな。悪いが、ここからはオートに切り替える。ってことで、またな」
「あはは……そうですか。陛下も間に合いましたか」
「え、えーっと……あの……その……それで、私達はどうすれば……」
しみじみと旧友達との再会に心躍らせるランスロットに対して、エリナがおずおずと問いかける。それに、ランスロットが少しだけいたずらっぽく問いかけた。
「いっそ、参加してみますか?」
「え? いえ! 流石にそれは……」
「あはは。でしょう……まぁ、この宴会は一ヶ月もあるのですから、参加したくなったら言ってくださいね?」
茶目っ気を出しながらランスロットがエリナへと告げる。というわけで、勿論ランスロットは参加するつもりだ。彼も彼で分身を作れるだけの力はある。そして、時期と状況が状況故に便利な少女達が顔を出した。言うまでもなく、ヴィヴィアンとモルガンの二人である。
「ランスー」
「おや、ヴィヴィアン殿」
「あ、居た居た」
ぴゅろろろろー、と二人が急速にランスロットへと飛来する。そして同時に、エリナにも気付いた。勿論、これは演技だが。
「あ、この間のエリナちゃん」
「あ……お久しぶりです、ヴィヴィアンさん、モルガンさん」
エリナは二人の姿を見つけるなり、カーテシーで頭を下げる。そしてこれ幸い、と変に巻き込まれる前に撤退を決めた。
「では、先生。私はこれにて。先生はお忙しい様子ですし……やはり私もイギリス人として、アーサー王陛下をおまたせさせるのは心苦しいですから」
「……そうですね。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて陛下と会ってきますよ」
「はい。では、失礼します」
エリナは内心で安堵しながら、その場を後にする。そしてその背を見送りながら、ランスロットはヴィヴィアン達が連れてきたある意味では哀れな被害者達――ただし一名は興奮気味だったが――に目を遣った。
「さて、行きましょうか」
「え、えーっと……絶対に行かないと駄目……ですか?」
「あはは。彼らの側から来ますよ。なら、自分達の方から行くのが一番良いでしょう? アテネ殿ももう向かわれていますから、ね?」
浬の問いかけにランスロットがウィンクする。どうやら意外な事にアテネももう高天原に入っていたらしい。そうして、浬らはどうする事も出来ず、飲めや歌えやの大宴会を繰り広げているという高天原に向かう事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。次回は来週土曜日の21時投稿です。
2018年8月5日 追記
・誤字修正
『ランスロット』とするべき所が『御門』になっていた所を修正しました。




