第18話 試練の予兆
浬達がブレスレットを受け取っていた丁度その頃。彩斗は再びの出張を終えて、天神市にある天道財閥本社へと戻ってきていた。とは言え、仕事を終えた、というのではなく、少々手詰まりになったが故に、一度相談の為に戻ってきたのだ。
「どうだった?」
「ちょっと、今回のは難しそうですわ・・・」
三柴の問い掛けを受けて、彩斗が事情を説明していく。それを受けて、三柴が少しだけ、顔をしかめた。今回彼が彩斗に回収を命じた品は、次の作戦においては是が非でも必要とされる道具だった。
だが、それを有していたのは、海外のとある有力種族だった。それ故に揉め事は起こさない様に、と揉め事も起こさずに回収する事に掛けては最も実績のある彩斗のチームに命じたのである。
「『天穹の水瓶』・・・なんとしても、手に入れねばならん。が・・・」
「相手はあのゼウス神・・・自分も初めてあった時には心臓止まるかと思いましたわ」
冷房の効いた会議室にて、彩斗が少しだけ、冷房では無い寒気で身体を震わせる。そう、彼らが手にしようとしていたのは、ギリシャ神話最大の神であるゼウス神の宝物であった。
当たり前だが、そんな物の回収を実力行使さえ辞さない荒垣のチームや、力量的に不安な他の所に任せるわけにもいかなかった。もしまかり間違って彼に睨まれる事があっては、今後一切活動ができなくなってしまう。最も信頼する彩斗の所に任せようとしたのは、当然の流れだった。
「で、連絡は受け取った。社長にも会長にもすでに連絡は入れてある。もう少ししたら、来られるはずだ」
「えらいすんません」
三柴の言葉に、彩斗が頭を下げる。彩斗をもってしても、なんとか出させた結果が、トップ同士で話し合いの場を持つ、だった。これが他の者であれば、おそらくゼウス神に一笑に付されて終わりだっただろう。
いや、それ以前に。彼らは知らない事だが、実は彩斗が異族達の密かな顔役であるカイトの父親でなければ、そもそもで面会さえ得られなかったかもしれない。
偶然ではあったが、それがなお、ゼウスを喜ばせたらしい。謁見を得られたのも、彼が貸出に応じても良い、と思ったのにも、ここらの影響があったことは、否めなかった。
それを考えれば、結果がトップ自らが出向かなければならないという物であっても、数々の偶然の上に得たこの結果は最良と言えた。
そうして、会話が一段落ついたところで、三柴の前に設置された内線に応答があった。彩斗に身振りで断りを入れると、三柴は受話器を取って内線に応じる。
「・・・ああ。わかった。繋いでくれ」
三柴の応答を受けて、部屋に設置された大型モニターが起動する。そこに映ったのは、一人の若い美丈夫だった。彼こそが、現天道財閥の社長にして、天道家当主だった。
若い様に見えて、実際には殆ど彩斗と同年代だ。老いを感じさせない程の覇気が、彼を年不相応に見せているのだった。
『話は聞いた。どうやら、お前でも難しかったみたいだな』
モニターの中の社長が快活に笑う。笑えば更に10歳程若く見えて、大学生程度の若者にさえ見えた。それに、彼が着こなしているのが着崩したスーツであることが、その印象を余計に強くしていた。そんな覇王の問いかけに、彩斗が苦笑する。
「いや、えろうすんません、覇王社長」
『気にすんなよ。ゼウス神なんぞ俺でも対面して相手にしたくない』
仕事上、一部長補佐である彩斗が本来は社長相手にこんな飄々とした態度は取るべきでは無いのだろうが、それは、覇王の望みだった。彼は今の服装が着崩したスーツである様に、あまり素行がよろしいわけではない。
まあ、彼とて大企業の社長である以上それ相応に真面目に出来ないわけではないが、身内の集まりと捉えている会社内では、殆どがこのようなラフな口調と格好だった。
これが、彼に不思議な人徳を醸し出していた。天道財閥は世界的な大企業でありながら、何処かアットホームな雰囲気が漂っているのは、間違いなく、彼の人徳だった。
ちなみに、彩斗は覇王社長と呼んだが、正確には天道 覇王、というのが正確な名前で、覇王というのはただ単に覇王自身がそう名乗るだけだ。まあ、彼を見れば、覇王というのも納得が出来る風格があったのだが。
『でだ・・・もう親父は来てるのか?』
「いえ、まだ来られておりません。が、先ほど此方に向かう、とのご連絡がありました」
『そうか。まあ、じゃあ少し待つか。こっちも丁度会談終わりで飛行機内だからな。何かあるわけじゃねえが・・・と、そういや彩斗。ウチの子供がお前の子供に迷惑かけてるようだな。悪いな』
「あ、あはは・・・まあ、えらい変わったご子息やと聞いとります」
煌士の噂は、お互いの父親の耳にまで届いていた。それ故、彩斗も苦笑するしかなかった。それを受けて、覇王が更に笑う。
『ははは! いや、違いないな。俺の子供と思えないぐらいの才覚だったが・・・そいつに魔術について教えた。魔力の扱いの習得につきっきりでも3日以上は掛かるだろうから、その後から天桜の再調査に加わる事になるだろう。それで、なんだが・・・悪いが、鍛錬に付き合ってくれ。』
「自分が、ですか?」
『ああ。あいにく繊細な作業が得意な<<秘史神>>の連中は全員後始末だなんだと出払っているし、ウチの部にしてもまだ完璧と言えるわけじゃないからな。交渉役のお前に任せるのは筋違いだが・・・一番の手隙がお前だ。すまんが、頼んだ』
「わかりました」
覇王の言葉を聞いて、彩斗が頷く。確かに交渉役の彩斗が面倒を見る事では無かったのだが、人員がいないのであれば、致し方がない。それに、これは巡り巡って彼の利益にもなるのだ。断る理由も無かった。
まあ、それ以前に、天道家本邸は彼の実家からも通える範囲だ。ここ当分家を留守にしていたので、部下も自分も家族に顔を見せておきたい、という心情が働いた事も大きかった。
そうして、暫くの間、タケルの到着を待ちつつ、雑談を行っていると、電話が鳴り、彼が来た、との報告が入ってきた。
「覇王、居るな」
『ああ、親父。ようやく来たか』
室内に入ってきた武を見て、覇王が流石に居住まいを正す。別に武相手になら気を遣わないが、これから会談する相手となると、また別の話だった。
『親父、用意は良いな?』
「ああ」
『三柴本部長、彩斗、ゼウス神に繋いでくれ』
「はい」
武の居住まいが整ったのを見て、覇王が二人に会談の開始を指示する。すると、覇王が映るモニターとは別のモニターに、灰色の頭に灰色の豊かな顎髭を持つ一人の筋骨隆々の老人が映る。それは、服装が普通に洋服である事を除けば、誰もがイメージするゼウスの姿だった。
『そなたらが、<<秘史神>>が長達か?』
『然り、です。ゼウス神殿』
『うむ』
横柄に、まさに神様という風にゼウスが頷く。その風格はモニター越しにでも一つの神話の最高神とわかるだけの風格を有しており、モニター越しなのに、彩斗も三柴も動けなくなる。モニター越しでなければ、呼吸が止まったかもしれないほど、だった。そんな中で、動けるのはただ二人。覇王と武だけだった。
「此度は、我らとの会談を得てくれた事を感謝致します、ギリシアが誇る最高神殿」
『うむ。そなたらの事情はそこの小僧から聞いた。『天穹の水瓶』を貸して欲しい、という事も、だ』
武の言葉にゼウスが応じる。だが、ここで少しだけ、彼は顔を顰めた。
『しかし・・・知って通り、『天穹の水瓶』は我らの神話において、水瓶座となった宝具。それを安々と貸し出せるはずもあるまい』
『承知しております。我らも出来うる限り、そちらの望みには沿うつもりです』
『うむ』
覇王の言葉に、ゼウスが頷く。当たり前だが、彼らが重要視している道具を借り受ける――流石に譲り受けるのは申し出れなかった――のだ。その望みに最大限沿うのは、ただでさえ少なくない揉め事を抱えている彼らにとって、当然と言えた。
『さて・・・そなたらは何を供じれる?・・・とは聞いたが、そなたらから何かを貰う必要も無し。そもそもそなたらが我らに興を呈する品物を贈ることは出来まい』
『違いない』
「申し訳有りませぬ」
覇王が苦笑気味に、武は少し申し訳無さそうに、ゼウスの言葉を認める。相手は曲がりなりにも、この地球上で最大の神様の一柱だ。それに対して此方は世界的な大企業とは言え、魔術等を含めば単なる一組織に過ぎない。組織力の差は歴然だった。
ゼウスの断言の通り、望む品を与えられる可能性は低かったのは、事実だった。とは言え、それはゼウスにとっても始めから既定路線だ。だからこそ、彼は古来よりの決まりを口に出した。
『では、古来より決まっていよう。そなたらは我らが課す試練をクリアする。人の子が古来より我ら神々から力を借り受けたければ、それ相応の試練を乗り越えるのが、我らのしきたり。異論はあるか?』
『いえ、承りましょう。して、その試練とは?』
『ふむ・・・』
覇王の問い掛けに、ゼウスが少しだけ悩む素振りを見せる。そうして、10秒程すると、ゼウス側のモニターに、声が割り込んできた。
『ゼウス様。不束かながら、発言する権利を頂きたく』
『ステンノか、良かろう』
ゼウスの許可を受けて、一人の目を見張る美少女が画面に割り込んだ。そうして、彼女がゼウスに提言する。
『数年前。ある男は我らの持つ数多の宝物の開陳と一時の所有を望み、見事それを成し遂げました。その際に、ゼウス様、ポセイドン様は自らのお子の中でも有数の勇者の偉業になぞらえた試練を課し、ハデス様はその音色に心奪われたかの詩人の呼び出しを命ぜられました。それになぞらえるのが、妥当かと思われます。彼らの場合、望むのは『天穹の水瓶』ただ一つ。この場合、ゼウス様の宝物ですので、ガニメデスにちなんだ試練に挑まれるのが、妥当かと』
『ふむ・・・然り、か』
ステンノと呼ばれた少女の提言を受けて、ゼウスがそれをもっともだ、と頷いた。ちなみに、ステンノとはかの有名な怪物メドゥーサの姉だ。彼ら三姉妹を、ゴルゴン三姉妹と言うのが、通例だった。
なお、三姉妹なので次姉がいて、その名はエウリュアレと言う。末妹が、かの有名なメドューサだ。そうして、ステンノの献策を受けて、ゼウスが試験を告げる。
『では、試練の内容を告げる。儂が飼う一匹の鷲をそなたらの下に派遣する。そなたらの家族の中に、優れた容姿の者が多いと聞く。その中に、未成年の男子はおるか?』
『私の子の中で、三男が唯一それに該当します』
おおよその試練を把握して、覇王が該当の人物を告げる。覇王としても受けたくはなかったが、それしか方法が無かった。そしてその理解を見て、ゼウスが告げる。
『ならば、試練を言い渡す。かの鷲はそなたの子を攫うべく、遥か太空より舞い降りる。だが、この鷲は空間をも飛翔する神の鷲だ。如何な空間に逃れたとて、逃れきれぬ。これから見事、逃げおおせてみよ。攻撃も防御も好きにせよ。そなたらの技術で傷付けられる鷲ではない。時間は・・・ふむ。そなたらの時間にして10分。見事逃げおおせたのなら、我らの秘宝を汝らに授けよう』
『了解しました。して、何時開始になるでしょうか?』
『ふむ・・・そなたらにしても、諸々の手筈が必要だろう。そなたらが再び、連絡を入れよ。日時を決め、儂が直々に赴くことにしよう』
『わかりました。ご配慮に感謝致します』
『うむ』
覇王とゼウスの会話を最後に、ゼウスのモニターが切断される。これで、なんとか交渉は成立、だった。そうして、覇王が安堵の溜息を吐く。
『はぁ・・・こりゃ、厄介な・・・すまん、彩斗。悪いが、調練の時間を更に割いてくれ。ゼウスの試練は3日やそこらでどうにかなる物じゃない。三柴、その間、悪いがこいつの部下はお前が指揮してやってくれ。』
「わかりました。」
覇王の言葉に、三柴が応じる。それと同時に、武が彩斗に告げる。
「煌士の調練は儂も付きあおう。曲がりなりにも前代の<<秘史神>>当主。儂でも出来る事があろう」
「感謝します、会長」
そうと決まれば、即行動だ。二人は取って返す様に、天道邸に移動する事にする。そうして煌士の居る道場――天道邸にはなんと家人や使用人の訓練用に道場もある――にたどり着いて見たのは、思わず武が顔を顰める物だった。そうして道場の入り口に立った二人を見て、詩乃が腰を折った。
「大旦那様。お帰りなさいませ。お客様、少々乱雑になっておりますので、少々、ご容赦ください」
「あーはっははは! これはこうすればこうなるのか! うむ、良いぞ良いぞ! では、もう一度!」
「煌士・・・何をやっている?」
「ほう! こうなるの・・・おや?」
ハイテンションで床に書きなぐった魔法陣の結果を見ていた煌士だが、後ろから聞こえるはずの無い声を聞いて、後ろを振り返る。
するとそこには彼が聞いた通り、一度出て行けば一週間は戻らないはずの祖父と、彼がよく絡む海瑠の父・彩斗が居た。それを見て、煌士は何時ものハイテンションを抑えて、即座に頭を下げた。
「こ、これはお祖父様。お恥ずかしい所をお見せ致しました」
「いや、良い・・・が、これは一体なんの有様だ?」
武が周囲を見渡して、道場中に書き殴られた魔法陣に呆れ返る。それはもはや歩くスペースも無い程に敷き詰められていた。なので、実は二人共ずっと道場の入り口から煌士に声を掛けていたのである。そうして、煌士も言われて気付いたらしい。
「も、申し訳ありません。どうやら少々研究に熱を入れ過ぎてしまったらしいです」
「直ぐに、後始末をしろ。詩乃、済まないが、手を貸してやってくれ」
「はい」
そうして30分程道場の掃除を行い、綺麗に魔法陣の跡が無くなった所で、先ほどの話を煌士に伝える。
「と、言うわけです」
「ああ、分かりました。その御役目、確かに、引き受けました」
彩斗の説明を聞いて、煌士が正座で頷く。そもそもで調査には協力するつもりだったし、煌士にしてもかのゼウスの神獣に会えるのだ。拒む理由が無かった。
「その件で、儂も当分の間は滞在し、煌士の調練を行うつもりだ。とは言え、何時もいれるわけでもない。その間、この天音を残すが・・・誤って先のような醜態を晒すことの無いよう」
「心に刻みます」
武の注意に、煌士が頭を下げる。まあ、聞くとは思えないが、言っておくのは、祖父としての義務だろう。そうして、その日から煌士は学校を休んで、魔術の鍛錬に励むことになるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。




