第0話 プロローグ ――始まりの日――
はじめましての方は、はじめまして。本編からお付き合いくださっている方は、ありがとうございます。今日からもう一つの本編、外伝の開幕です。
「はぁはぁ・・・ここまでくれば、大丈夫かな?」
スレンダーなポニーテールの美少女が、人気のない道を駆け抜けていた。だが、周りに人気が無い事を見て、一息つこうと立ち止まる。彼女が尋ねたのは、横にいる二人の少女と、一人の少女の様な愛らしい顔の少年だ。
片方の少女は、ショートカットの少女で、快活そうな少女だ。もう片方の少女もショートカットで快活そうだが、此方はどちらかといえばミーハーそうな雰囲気があった。
「多分・・・侑子、大丈夫?」
「なんとか、ね。浬は?」
「私も・・・海瑠、歩ける?」
「うん」
4人共息絶え絶えという感じであるが、それでも、なんとか歩ける。いや、もしくは逃げることが出来る、と言い換えた方が良いかもしれない。
「どこだ~?」
「っ! 急いで!」
聞こえてきた何処か楽しげな声に、4人が大慌てで再び走り始める。そうして上げたミーハーそうな女の子の声に気付いて、楽しげな声が更に楽しげに声を上げる。
「お、そこか~?」
声は楽しげで、まるで狩りではなく、追い詰めて絶望する姿を楽しんでいる様なフシがあった。そうして、何時もは何台もの車が往来し、混雑している筈の大通りを横切る。だが、4人は車に轢かれることは無かった。なぜなら、そこには一台も車が走っていないからだ。
「この右曲がれば確か警察署があったはず! そうすれば誰か居るはずだよ!」
「来た! 急いで!」
「お! みっけー! おらおら! まてまてー!」
そうして、警察署が見える曲がり角が見えた時、4人が曲がった曲がり角から、巨大な、まるで鬼の様な姿の、否、真実角の生えた赤い肌の3メートル程もある巨大な鬼が現れた。その鬼は4人の姿を見つけると、まるで楽しむ様に一定の距離を保ちながら、地面を砕いて歩いて来る。
「ほら! プレゼントだぜ~!」
4人を追う鬼は踏み砕いたアスファルトの破片を、音速を超える速度で投擲する。
「きゃあ!」
4人が身を屈め、悲鳴を上げる。かなり大きな悲鳴が木霊するが、どこかの家や店から誰かが出て来る気配は無い。
投げられた巨大なアスファルト片だが、それが4人に命中することは無かった。なにせ初めから狙いを付けていなかったのだ。そうして狙いを大きく外れた破片は電柱をなぎ倒して、更には4人が曲がろうと目指していた曲がり角のすぐ側に立っていたビルを倒壊させた。
「うそ・・・」
「鳴海、立って! まだもう一つ向こうの曲がり角を曲がれば、警察署に行ける!」
「なんでこうなるのよ! どうして誰も居ないの!」
ミーハーそうな女の子――鳴海――が膝を屈して絶望に屈しようとしたが、浬が声を上げて手を引っ張り、強引に崩れ落ちる寸前で立ち上がらせる。そうして、強引に手を引かれた鳴海は涙を流しながら再び走り始める。
「くぅ~、いいね~! もっと逃げてくれ!」
再び逃げる4人を見て、鬼が歓喜に震える。そうして鬼は再び一定の距離を保ちつつ、4人を追走する。まあ、彼は少し小走りに歩いているだけで、4人の全力疾走に追いつけているので、明らかに遊んでいるのが目に見えていた。
「ここ!」
そうして、一番先頭を走っていた浬が、お目当ての曲がり角に差し掛かって一気に曲がる。この先の短い直線を駆け抜ければ、彼女らの住まう天神市の警察署の入り口だ。既に警察署の入り口は見えており、出入りする人影も見えた。
「見えた!」
「ラスト、元気出して! 海瑠くん、頑張って!」
「はぁはぁ・・・はい!」
4人は必死で最後の曲がり角を目指し、一気に走り抜ける。
「やった! たすけ・・・え?」
警察署の周囲には人気は無かったが、中には人が居ることは、ガラス扉を通して見えていた。そうして4人は必死の思いで最後の直線を走りぬけ、先頭を走る浬がドアを開けて中に入って、大声で助けを求めようとして、体中の力が抜ける。辿り着いたのは希望ではなく、絶望だったのだ。
「あ、あはは・・・」
「何これ・・・」
続いて後ろから警察署に入った鳴海の乾いた笑い声と、海瑠の理解出来ないという困惑の声が上がる。
「おかえり~! 追っかけっ子は楽しかったぜ~! やっぱ鬼ごっこの鬼は鬼がやるべきだよな~!」
「ねぇ・・・私ら、さ。確か、学校の帰り道であいつから逃げたんだよね・・・」
鳴海が茫然自失で他の3人に問い掛ける。そう、彼女らは学校からの帰り道に鬼と出会い、楽しげに自分達を追い詰める鬼から必死で逃げ続けていたのだ。しかし、そのタダっぴろい空間の目の前には、あぐらを組んだ鬼が右手で頬杖を付いて、明らかにわかる牙を剥いた楽しげで、悪辣な笑顔を浮かべていた。
「ここ、どこ・・・」
「お~? どうした~? お前らの学校だろ~?」
鬼が浬の疑問に、楽しげで悪辣な笑みを浮かべて告げる。警察署に入った筈なのに、どうして自分達の学校のグラウンドに居るのか。彼女らの後ろにはまるで警察署の扉がそこに繋がっていたかの様に、中学校の校門があった。それを見て、浬が叫び声を上げる。
「そんな! うそ!」
「ん~? ちょっと待ってな」
浬の絶叫に対して、声だけを残し、鬼が消える。そうして現れたのは、4人の真後ろ。校門から少し出た場所だった。
「ひっ!」
「いやー!」
いきなり真後ろに現れた鬼に、4人は恐怖で思わず身を屈める。そうして轟音が響いて塀の一部が倒壊する。だが、4人には何も起きていない。
「えーっと・・・お、あったあった~」
鬼が塀の残骸から何かを探すようにガサゴソと残骸を漁り、目当ての金属板を見つける。そうして、再び鬼が消えて、初めに居たグラウンドのど真ん中にこれまた一番初めと同じ様にあぐらを組んで現れる。そうして、鬼が右腕を振りかぶる。
「ほれ」
「きゃぁー!」
「見てみろよ」
ドゴン、という轟音と共に、投擲された金属板が4人の目の前に突き刺さる。そして、4人は鬼の促す様な気配を受けて、恐怖やら信じられない思いやら色々な物に耐え切れずに、ゆっくりと顔を上げて、突き刺さった金属板を見た。
「そんな・・・」
4人はそうして鬼から示された自分達の学校である証となる看板を見て、更に絶望の色を深め、それに合わせて鬼が喜色を深める。その看板には『天神市立第8中学校』と確かに刻まれていた。それは、彼女ら4人が通う学校に間違いなかった。
「くかぁ~! その顔が見たかった! 大変だったぜ~! わざわざここら一体を走り回ってるのを街中を走り回っている様に見せかけて、ゆっくり歩くんだからよ~!」
鬼が楽しくて仕方がないという感じで笑う。それに、4人は最早呆然と恐怖も忘れる。鬼の言葉が確かなら、逃げていた時に見た風景は全て嘘で、まるで回るおもちゃに入れられたハムスターの様にこのグラウンドの中をぐるぐる回っていただけになるのだ。これでは、どう足掻いても、逃げられない。4人は本能でそれを悟る。
「まずは・・・どいつからにしよっかな~・・・」
「ひぃ!」
鬼のまるでごちそうをどれから食べるか、というような楽しげで嗜虐的な顔付きに、引きつった悲鳴が上がる。それは、誰のものだったか。一つでは無い様な気がしたので、もしかしたら全員の声なのかもしれない。
「まあ、もういっちょ飯前の運動に付き合ってくれ!」
悲鳴を上げ、嗚咽を上げる4人を見て、鬼が満足気に立ち上がる。だが、崩れ落ちた4人は立ち上がれない。鬼は一歩ずつ、まるで恐怖する4人を楽しむ様にゆっくりと歩いて行く。
大股にではなく、あくまで、普通の歩幅で、だ。だが、巨軀を誇る鬼の一歩は普通の人間の倍以上もあり、両者の距離はすぐに無くなる。
「・・・さて、どいつからにしよっかな~」
最早恐怖と絶望に支配された4人の前に、鬼の影が落ちる。だが、最早絶望に支配された4人には、何も出来ない。それは人の身にて、抗えぬ悪鬼の前に立たされた者である以上、当然の反応だった。
「やっぱ一番初めは美味そうな奴からだよな~」
鬼が目をつけたのは、海瑠だった。それに、浬がようやく我を取り戻す。
「ダメ!」
「おねえちゃん・・・」
弟を守らないと。そう思って浬は必死で海瑠を抱きしめる。だが、その浬に復帰に、鬼が満面の笑みを浮かべる。そんな希望が潰えるのが見たいのだ、まるでそう言わんかの如しであった。
「でもな~・・・」
だが、しかし。弟の方も捨てがたい。姉に抱き竦められて此方も我を取り戻しており、今必死で自分を睨んでいる。自分が無力だと思い知らせてやって、怒りや憤怒の中で無念さを味わわせてやるのも、なんとも捨てがたい。そんな悩みを、鬼が見せる。だが、答えはすぐに決まる。
「やっぱここは美味そうな奴に調味料ぶっかけないとな!」
「浬!」
「やめろー!」
侑子の叫び声が響き、浬に鬼の手が伸びる。そうして、鬼の手が触れる瞬間。海瑠が立ち上がって渾身の力を振り絞って、鬼の腕を殴りつけた。
「なっ!?」
起こった現象に、鬼に驚きが生まれる。いや、驚いたのは、鬼だけではない。姉の浬もそうだし、姉の友人たちにしてもそうだ。
一体、何が起きたのか。丸太よりも遥かに太い鬼の腕が、海瑠の細腕の一撃で弾かれたのだ。それも少し、では無く、勢い良く弾かれる様に、だった。思わず鬼が仰け反った程だ。
「ふー、ふー・・・」
「あんた、それ・・・」
海瑠は目を見開いて怒りを露わにして、粗い呼吸ながらに鬼を睨みつける。その彼の身体は、黄色い光に包まれていた。何なのかは、誰にも分からない。だが確かに、それはそこに存在していた。
「ちっ、遊びすぎたか」
鬼が少しだけ忌々しげに呟く。そうして、今までは楽しげで、追い詰める様な動きだった鬼が、ついに本気になる。
「ぐぅおおおおー!」
まるで、地の底から響く様な轟音が響く。鬼の出した大声だった。
「きゃあー!」
「うわぁ!」
その大声は周囲を響かせるだけに留まらず、浬達3人も、不可思議な光に包まれていた海瑠も吹き飛ばし、そして更に海瑠の尋常ならざる光さえも消し飛ばした。
「小僧、見ておけ~。お前が守りたかったもんが食われる瞬間をな~」
鬼は最早力を無くした海瑠を、楽しげに見る。だが、今度は奇跡が起きることは無かった。そうして、鬼は悪辣な笑みを浮かべて、動けない浬へと右手を伸ばす。そして、、浬の身体を一掴みで持ち上げ、大きく口を開ける。
「おねえちゃーん!」
海瑠の叫び声が、4人と鬼しか居ないグラウンドに響き渡る。しかし、それが誰かに聞き届けられることは無い、筈だった。そうして、浬が食べられるかと思われたその瞬間。少女の厳かな声と共に、銀閃が走った。
「うせよ、下郎」
「ぐがぁ!」
鬼の丸太の様な腕が、切断され、鬼の苦悶の声がグラウンドに響き渡る。だが、それで終わりでは無かった。
「おっと」
浬が鬼の腕から開放され、重力に従って落下する直前。彼女をお姫様抱っこでキャッチした男が居た。それは、一同がよく知る人物だった。
「え・・・?」
抱きとめられた浬が、その男の顔を見て、唖然となる。いや、それは横顔と、特徴的な服装を見た他の三人も同じだった。
「御門先生?」
「おーう」
御門は浬を海瑠達の近くで下ろすと、片手で4人に挨拶して、彼女らを背に、まるで守るかの様に立ち上がる。その背は語るまでもなく安心感を感じさせていた。教師とはここまで偉大な背中なのか、4人は何処か場違いな思いを胸に抱く。それほどまでに、彼の背中には余裕があった。と、そんな所に、鬼が裂帛の気合を入れて、立ち上がる。
「ぐ・・・ぐぅううう!」
立ち上がった御門の背から、鬼の血飛沫が止まったのが見えた。筋肉で強引に腕の切断面を塞いだのだ。とんでもない力ではあるが、相手は人外の存在だ。この程度不思議ではないのだろう。そうして、鬼が御門を睨みつける。
「俺様の腕を・・・生かしておかねえ!」
「それは貴様だ、下郎。我が弟妹に手を出した貴様を生かしてはおかん」
まるでラグビーのタックルの如くに身を屈めた鬼だが、再び声が聞こえて、銀閃が走る。その銀閃を受けて鬼は身を屈めたまま、両足を切断され、胴体が滑るように落下していく。
「なんだ・・・てめ・・・」
それが、鬼の最後の呟きだった。次いで銀閃が幾つも煌めいて、鬼の身体を細切れに寸断したからだ。そうして、鬼が崩れ去った後に現れたのは、銀色の美少女だった。それを見て、浬が驚きに少しだけ目を見開く。そちらもまた、彼女の見知った人物だったのだ。
「・・・どういう・・・こと・・・?」
浬の言葉が、静まり返ったグラウンドに響く。それを受けて、銀色の美少女が、口を開いた。こうして、新たな英雄譚が幕を開ける。これは、勇者が消えた後の物語。勇者の留守を守る者達の物語。勇者が守った者達の物語。その物語の主人公は、この幼い姉弟達であった。
お読み頂き有難う御座いました。1時間後には次のお話を投稿しますので、そちらもお読みいただければ。