第171話 記憶を補佐する魔術
イギリスの諜報員であるエリナ・フィルマが天神市第八中学校に転入してきたその日の放課後。学校全体がほぼ一日中新たなる留学生であるエリナの話題に持ちきりとなっていたわけであるが、それも放課後になれば大分と落ち着いていた。
「じゃあ、エリナちゃんは車で登下校しているわけ?」
「はい。一応、徒歩でも大丈夫な距離だとは思うのですが・・・放課後に習い事で移動する事もありますから」
比較的仲良くなった女子生徒の問いかけにエリナが頷いた。車通学については学校側も許可を下ろしている事だし、区域が広がった今となっては時折何らかの事情で親が送り迎えする生徒も増えている。今では比較的――と言ってもエリナレベルは珍しいが――普通の事になっていた。
「習い事?」
「ヴァイオリンを。都内の方に先生がいらっしゃいますから・・・」
「へー・・・」
エリナの言葉に女子生徒がそうなのか、と妙な感心を見せる。やはり住む世界が違う、と思っているのだろう。とは言え、この話は表向きの事情だ。裏向きにはまた色々な理由がある。というわけで、その車内にてエリナが少しだけ疲れた様にため息を吐いた。
「ふぅ・・・やっぱりおべんちゃらをやるのは少し疲れちゃうわね」
「仕方がない事でございます、お嬢様」
車の運転を専門のメイドに任せたシェリーがエリナの愚痴に慰めを告げる。今の口調を見ても分かるが、本来の彼女はもう少し活発な性格だ。故にこの砕けた物言いが、本来の彼女の口調だった。
とは言え、やはり名家の令嬢である以上は第一印象は良くしよう、という思惑も働いている。それにまだ知り合って数時間だ。親しげな様子を見せるべきタイミングではない、と本能的に察知している様子だった。
「そう言えば、荷解きについてはどうなってるの?」
「はい。それについてはすでに本日の内に終わらせておきました。ああ、それでお嬢様。ヴァイオリンの方は専門の調律師の方にお預けしておきました。明後日には返却されるかと」
「そう、ありがとう。あの子も初の長期遠征なのだから、しっかりと日本に合わせた調律してあげないとね」
エリナは己のもう一つの意味での相棒を思い出す。彼女のヴァイオリニストとしての腕前は確かなもので、本当にそこそこ有名な腕前――生徒達は知らないが実は雑誌にも掲載されるほど――なのだ。
そちらについても色々な理由から熱心に打ち込んでおり、ヴァイオリンはエリナのもう一つの相棒の様な物だった。彼女らは語らなかったが、エリナの使う物は歴史的に価値のある非常に高価な物だった。それ故、調律にも人一倍気を使うらしい。
「それで、お嬢様。本日のご予定ですが、とりあえずこれより一時間は私と共に魔術のお稽古となっております。その後、代用のヴァイオリンを使いご練習を。お夕食についてはランスロット卿とのご会食が本国よりセッティングされております」
「そう・・・とりあえず、何をするにしても現状を聞いておかないといけないわね」
「はい。私共も側に控えておりますが、基本的なお話はお嬢様の手腕一つ。しっかりと確認させて頂きます」
「はーい」
エリナはシェリーの言葉にため息混じりに頷いた。そこに僅かながらの緊張が滲んでいたのは、仕方がない事なのだろう。相手はランスロット。本来は圧倒的な格上で、エリナでは謁見出来ない様な相手なのだ。
「はぁ・・・やっぱりあまり良い事は起きないなー」
「お嬢様・・・自ら苦難に飛び込んでいかれる姿はよろしゅうございますが、あまり首を突っ込む事はなさいませんよう」
「はーい」
今度は不満げにエリナはシェリーの言葉に応ずる。ここら、やはり年相応の無邪気さがにじみ出ていた。そうして、そんな会話をしながら車はエリナの邸宅へと移動していくことになるのだった。
さて、その一方。浬はと言うと部活が終わった為、普通に普通の放課後を過ごす事になっていた。と言っても普通に遊びに行ける事はない。
本来、彼女らは受験生なのだ。故に二学期ともなるとどの生徒も遊びに行くのは非常に稀で、本来は彼女であっても殆ど遊びに行ける事はなかっただろう。とは言え、ここらは彼女ら特有の事情が絡んでくる。勉強については実のところ、もう終わったも同然だった。
「うふふ・・・」
「あはは・・・」
「えへへ・・・」
少女らは三者三様に気味が悪い――もしくは気持ち悪いとも言う――笑いを上げる。もうどれが誰の笑い声なのかは不明な程に気味が悪かった。
「覚えられる・・・覚えられるわ・・・」
「スラスラと頭に入ってくる・・・」
「げへへへへ・・・・」
「き、気持ち悪いな、貴様ら・・・」
流石に大天使にして堕天使ルシフェルことフェルも少女らの気味が悪い笑いには思わず背筋を凍らせるしかなかったようだ。頬を盛大に引き攣らせた上に盛大にドン引きしていた。が、浬らからしてみれば、今だけは勉強が楽しくて仕方がなかった。
「フェルちゃん・・・ううん、大天使ルシフェル様にはわかんないの・・・私達受験生の苦労なんてさ・・・下々の苦労なんて偉い人はわからないのよ」
「そうそう・・・私達中学生の苦労なんてさ・・・どれだけこの公式一つ暗記するのが大変だったか・・・」
「こんな事なんて一度も無かったんだよ!? たんのっしー!」
浬が感極まった様に、非常に良い笑顔で教科書から顔を上げて断言する。まぁ、その通りである。イギリス滞在中に言われていた通り、もう仕方がないので浬らにはご褒美というかなんというか、で記憶を魔術的に補助する物を教えてやったのだ。
そしてあまり後々にしてももし万が一何か別の揉め事が起きた時に面倒になるだけなので、と少なくとも何も起きないだろうと予想されるこの数週間の間に今後当分の勉強は終わらせられる様にしていたのである。
全教科、それもこの数年分――中学入学後から高校入学後分も含む――の全ての教科だ。この魔術は教科書をデータ化してインストールというわけではないため、流石に魔術を使っても時間は必要だ。故に数週間は基礎訓練に留めてこちらに集中しろ、というわけなのであった。
「はい、せーの・・・」
「「「魔術バンザイ!」」」
浬の号令に合わせて三人は一斉に魔術を褒め称える。さすがは中学生と言うところか現金なもので、始め嫌々やらされていた勉強も実際に効果があると分かるや非常に楽しげかつ非常に熱心に行っていた。まぁ、ある意味一夜漬けの究極奥義の様な物を伝授されたのだ。この程度苦でもなかった。
「そ、そうか」
流石にこの女子中学生三人にはフェルも引きつった顔で頷くしかなかったようだ。呆れるのも怒るのも何も出来る事はなかった。と、その一方の本来覚えさせられる事になる煌士はというと、その魔術的な有用性に感動していた。
「おぉ! なるほど! これは素晴らしい!」
煌士はアテネより教えられた事を試しに行ってみて、その素晴らしさに感動を覚えていた。何を教えられたかというと、浬らの使う魔術による記憶の補助を戦闘に活かしていたのである。これは魔術師独自の方法に近い。そして、使いこなせれば非常に有用でもある戦闘方法だった。
「こうやってこうやって・・・」
煌士は教えられた通り、再度魔術を脳内にイメージ映像として展開する。これが、魔術師としての面から見たこの記憶を補佐してやる魔術の利点だった。彼らの戦力とはつまりどれだけ魔術を覚えたか、に依存しているからだ。
それこそ極論してしまえば彼らの武器となる杖や魔導書は不要とさえ断じて良い。脳内に魔術をイメージ映像として焼き付けてやる事で、最終的には詠唱も魔術の構築さえ省けるのである。更には、魔術を実空間に展開しない事で敵にどのような魔術を展開するのか、というのを悟られない利点もある。
これを極めて、その上で体術も極めた魔術師は敵に悟られないという利点を利用して敵陣に殴り込むという芸当も出来るらしい。流石にここまでは誰も煌士に期待していないが、その為に必須技術となってくるのがこの記憶を補助してやる魔術だった。が、勿論メリットばかりではない。それを、すぐに煌士も体感する事となる。
「ほいっと!」
気の抜けた声と共に、魔術が幾つも同時に展開される。今までの彼よりも遥かに早い発動時間だった。それこそ比べるのであれば、今までの彼が一つの魔術の展開に5秒必要としているのなら、今の彼はコンマ数秒で発動も可能となっていた。
記憶を補佐する魔術を利用して脳内に魔術を展開する事で、今まで行っていた魔術の構築の手間が省けたのだ。本来ここらは難しい芸当になるのであるが、ここらは彼が天才たる所以だろう。コツを早々に掴んでいたようだ。
「ふむ・・・お?」
煌士は魔術の展開速度を見て満足げに頷くも、唐突に膝から力が抜ける。それに自分で自分に首を傾げた。別に何か不思議な事をしたつもりはない。単に自分の上限――どれだけ同時に展開出来るか――を知る為にも出来る限り魔術を展開していただけだ。が、それこそが初心者の陥りやすいミスだった。
「む? 足に力が入らん?」
「ああ、少し魔力を使いすぎですね。それが、最大のデメリットです。安易に使える様になってしまった為、自分の魔力量が理解出来ず魔術を使いすぎる事も多い。気を付けておきなさい」
「煌士様。こちらを」
「おお、すまん」
詩乃から差し出された回復薬を煌士は即座に口にする。本来は倦怠感や疲労感等が身体にあるはずなのだが、煌士は興奮によりアドレナリンが分泌されて一時的に感じられなくなっていたのだろう。そうしてしばらく呼吸を整えた煌士は足に力を入れて立ち上がる。
「ふぅ・・・なるほど。確かにこれは便利だが、便利故に上限を考えず使ってしまうか・・・うむ。注意しよう」
「そうしなさい。とは言え、その上限の見極めは結局は慣れというしかありません。何度も身体に覚え込ませて、体感として体得しなさい。そして同時に、魔術をその脳内に刻み込む事を更に進めるのです」
「はい」
煌士はとりあえず体力の回復に努める事にすると、その間はアテネの助言に従って更に魔導書の記憶を進める事にする。
先にも述べたが、魔術師の戦力は究極的にはどれだけ魔術を知っているかに依存してくる。その為にも、この記憶を補佐してやる魔術は非常に有用だ。
敢えて言ってしまえば魔術を記録として脳内に焼き付けるということは、彼ら魔術師にしてみれば決して折れない剣を保有出来るのと大差がない。そして魔術師の勝敗はこの剣の数で決まるようなものだ。これこそが、魔術師の修行と言えた。
「魔術師にとって重要なのはまず何よりも、魔術をどれだけ脳内に記憶しておくか、ということ。当たり前ですが戦闘中に敵が魔導書から魔術を呼び出す手間を与えてくれるはずがない。ページを探す暇なぞもっと与えてはくれない。戦闘中の魔導書は杖代わりにしかならない事を覚えておきなさい」
アテネは再び修行に入った煌士へと魔術師の戦い方のコツを伝授する。そして彼女の助言は更に続く。
「そしてそれと並列して、覚えた魔術がどれだけの魔力を消費するのか、というのを体感する事。出来れば、今の自分がどれだけ同時にその魔術を展開出来るのか、という上限も知っておくとなお良い。そこから、敵の力量や今後の敵との連戦数等を考察、この一戦でどれだけの魔力を消費するのが許容出来るか、等を考えながら幾つもの魔術を併用して戦うのです。魔術師は全力を出してはならないと言っても過言ではない。魔術師が魔力切れを起こせば即座に死ぬと覚えておきなさい」
「ふむ・・・」
煌士はアテネの教授を胸に刻み込む。パーティの中では彼は唯一となる魔術師だ。それ故、重要な役割でもあったし、同時に難しい立場でもあった。アテネという最高の師を得られているのなら、その言葉は金言としてしっかりと受け入れておくべきだとわかっていた。
「では、回復したらそこを心掛けながら魔術を覚えてはどれぐらいの魔力を消費するのか、を身体に覚え込ませる作業を行いなさい」
「はい」
アテネの指南に煌士は素直に頷いた。結局は剣士も魔術師も変わらない。その動作を身体に染み込ませるのが何よりも重要なのだ。剣士が型稽古を行う様に、魔術師も魔術を何度も使う事で魔力の消費量を身体に覚え込ませるのである。
そして身体が魔術に慣れれば、魔術の展開を自然と最適化も出来る様になる。これもまた重要な事だった。そうして、煌士はその修業に励む事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。次回は来週土曜日21時の投稿です。
2017年11月26日 追記
・誤字修正
『暗記』が『暗器』になっていた所を修正しました。




