第158話 帰国
クロスやニャルラトホテプが彩斗達の影で動く浬達の影で動いていた一方。そんな事は露とも思っていない浬達はというと、観光の翌日の午後に普通に帰国の用意を進めていた。そんな彼女らの前にあったのは、フェルの扉だった。
「・・・帰国って・・・これ?」
「もう面倒だ。これで帰る・・・なんだ、今更飛行機に乗りたいか?」
「いや、全然」
「だろうな。私も物は試しと一度乗ってみたがもう二度とごめんだ」
浬の断言にフェルはため息混じりに首を振る。都合十時間以上の空の旅だ。幾ら修学旅行とは言え、そこはごめんしたかった。ちなみに、浬らの本音としては行ってないし記憶の回収は後でも出来るらしいので辛い所はいっそ、と全員思ったらしい。
『あはは。それで良いと思いますよ。こちらも彩斗さん達を迎えに行けば、もう帰りますからね。それにあちらは専用機を出す事になっていますので、出会う事も無いでしょう』
ランスロットが笑いながら許可を出す。丁度今、彼は彩斗達の出迎えに行っている所だった。それに、カイトが苦笑混じりだった。
「はぁ・・・全員納得してるし、インドラのおっさんにもすでに伝えてる。勿論、イギリス政府にも。ま、あっちはそんな事に気にしてられる余裕は無いんでしょうけどね」
『あはは。流石に私やインドラ殿を含めて数十人の『影の国』の戦士団の出国はある意味、軍事兵器の持ち出しにも等しいですからね。気にもしますよ』
「特に姉貴なんぞ正真正銘世界最強の一人ですからね。暴れられないかどうか心配なんでしょうさ・・・まぁ、その姉貴は一人そそくさと日本入ってんですけどね!」
カイトは大笑いしながらこの大騒ぎの最大の要因がすでに居ない事を言及する。スカサハその人は魔術師としても非常に優れている。日本への密入国なぞお手の物だった。
フェルの使う転移術とは別に優れた転移術を有しており、それを使えば日本政府にバレる事はないそうだ。というわけで、実は密かに日本に何度も入っているのはカイト達だけの秘密だった。弟子二人が日本に居るのだ。弟子弄りが密かな趣味である彼女が来ないはずがなかった。
『あはは。本当に彼女にはいつも驚かされますよ。あれは便利ですね』
「便利というかなんというか、ですよ。暇に飽かして何やってるんだか、ってヤツです。数千年前なんぞあんなの使う見込みとかゼロでしょうに・・・あれは数千年の修行の果てに得られた最早極点の一つ。真似は出来んでしょう」
『本当に。あれは真似をしようとして出来る技量ではない。総合技術の芸術とでも言うべきですね』
カイトとランスロットは揃って絶賛を以って彼女の評とする。カイトも優れた戦士だし、ランスロットも優れた戦士だ。だがそれでも、彼女の使う魔術の大半は真似出来そうになかった。その時点で彼女がどれぐらい凄まじいかわかろうものだ。
彼女への依頼は陰陽師達が提案した――様に見せて裏には勿論アマテラスや御門達が居るが――わけであるが、それは確かに正しかった。大抵の状況であれば、彼女は盤面をひっくり返せるのだ。
もし何かしでかしたとしても、対処出来るのである。これでいて、神様ではないので天道財閥でも交渉が不可能ではない。これ以上揉め事を起こさせたくない陰陽師と起こしたくない天道財閥にとって、どちらも得しかない最適な答えと言える。
『まぁ、それは置いておくとしても、こちらも現在フィン殿とクー・フーリン殿率いる部隊と共に空港へ向かっています。何か起きるとは思いませんが、早く戻られるというのでしたら日本の側で受け入れ体制の指揮をお願いして良いですか?』
「ええ、わかりました。どうにせよ兄弟子達が来るとなれば、オレも顔を出さないと駄目でしょう。用意は整えておきます・・・どうせ、真面目な奴らの考える事で彼らの望む歓迎なんぞ出来ないでしょうしね」
カイトは呆れながらランスロットへと明言する。ここら、実際に戦場を生業とした事のあるかどうかしかない。カイトは戦争時代を駆け抜けた。そこらの機微が分かるのであった。そしてそれはランスロットも一緒だ。なのでカイトに受け入れ体制の補佐を依頼した、というわけである。
『ええ。では、お願いします』
「はい」
カイトはランスロットの言葉を最後に、通話を切断する。これで、帰るまでの間の隠蔽は完了したと言えるだろう。イギリス政府にしても日本政府にしても、浬らという隠れ蓑にまで気を遣っていれる状態ではない。なにせ同時刻にもっと大きな奴らが動くのだ。
検査なんぞおざなりどころか、ランスロットへ向けてこういう事情なのでそちらの検査は出来ないがそこは貴方を信じます、と明言されていた。カイト達はありがたく、それを利用させてもらうだけだった。カイト達の手のひらの上で両国共に動かされていた。
「おーい、許可取れたから帰るぞー」
「はーい」
カイトの言葉に浬が元気よく返事する。すでにこの簡単な移動だ。やろうとすれば一瞬でまた戻ってこれる為、忘れ物があっても問題はない。そうして、徒歩数秒で一同は日本へと帰って来るのだった。
さて、浬らは流石にそのまま帰るわけにも行かないため、隠れ家の寝室でのんびりと暇をつぶす事にしていた。日本とイギリスの時差はおおよそ9時間。なので日本に戻ってきた時点ですでに日本は夜だった。と、そんな光景を見て、煌士がどこか黄昏れていた。
「・・・なぁ、詩乃」
「はぁ、なんでしょうか」
詩乃は珍しく物思いに耽った様子の主に僅かに訝しみながらもそれに応ずる。彼女は従者。一応応ずる義務はあった。
「・・・俺達の何時もの数時間はなんだったのだろうな・・・」
「・・・な、なんとも言いかねます・・・」
本当に素で言われた一言に、詩乃もなんとも言いかねたらしい。彼女らは言うまでもないが、今まで学会だ会議だと十数時間掛けて世界中を移動していたのだ。
それが、たった一歩。言いようもない虚無感というかやるせなさというか、言いようのない感情に襲われたらしい。と、そんな所に一足先にお風呂に入っていた浬――と言うか女子勢――がやってきた。
「何やってんの?」
「い、いえ・・・少々なんとも言い難い感情が・・・」
「詩乃ちゃんも?」
「ははは・・・はぁ・・・」
浬の問いかけに詩乃は微妙な表情を浮かべてため息を吐いた。彼女も性根は女子中学生だ。この移動の時間が無ければ、と思った事が無かったでもないらしい。とは言え、ここら立て直しが早いのは、煌士の良いところである。即座に何かを決めたかの様に立ち上がった。
「・・・よぅし! 詩乃! 我輩、決めたぞ!」
「・・・はぁ。何をでしょうか」
「我輩、目標を転移術の習得とする! そうすれば今まで移動に割いていた時間を一気に減らせる! そうすれば、更に色々と時間を使えるはずだ!」
「・・・良いことかと」
詩乃は色々と考えた結果、これを良しとする事にしたらしい。色々とは色々だ。自分で使える時間や移動に費やす疲労などである。と、そんな所に浬らと一緒にお風呂に入っていたアテネがやってきた。髪が人一倍長い彼女はドライヤーで髪を乾かすのに時間が掛かったようだ。
「それは良い事ですね。転移術の習得は魔術師として目指すべき最終到達点の一つと言って良いでしょう。そこまでたどり着けるかどうかはわかりませんが、目標を高く持つのは良い事です」
「まぁ、それ以前として普通はどうやってそれを習得するのか、が問題になるがな」
アテネの後ろのフェルが告げる。それに、煌士が首を傾げた。
「ふむ? どういうことだ?」
「貴様はバカか。転移術は普通に軍事技術だぞ。何処の誰がそれを教えてくれる」
「・・・軍事技術?」
「当たり前だろう。どこをどう見れば大量の人員をタイムラグゼロで敵陣に送り込める魔術が軍事技術でないと思うんだ・・・まぁ、それは置いておくか。それと転移術には弱点があるからな。空也と詩乃、貴様らは覚えても絶対に戦闘中には使うなよ。狙い打たれて防御さえ出来ず死ぬぞ」
イマイチ意味が理解出来ず首を傾げた浬らを他所に、フェルは空也と詩乃へ向けて重要な所を言い含めておく。と、そんな言葉に驚いたのが、煌士だ。転移術はどう見ても一瞬で自らを移動させる魔術だ。
使いこなせればどんな不可避の攻撃だろうと回避出来るだろうし、間に合えば、という前提が入るが無敵に近い物に思えたのだ。
「先になぜアテネがわざわざ魔術師として目指すべき、と言ったと思っている。これの習得を目指すべきなのは魔術師。剣士が習得してもまず使わんぞ」
フェルは煌士に向けて近接を行う戦士は使わない事を明言する。というのも、これには剣士が使うにはあまりに致命的な弱点があったからだ。勿論、剣士が習得するには非常に難しいという事も大きい。が、それ以上にこの弱点は見過ごせなかった。そうして、アテネが説明を引き継いだ。
「転移術には致命的な弱点があるのです」
「致命的な・・・弱点ですか?」
話を向けられていた空也が首を傾げる。やはり彼もその利便性や戦闘での優位性を考えて習得できれば、と思っていたらしい。
「転移術はその性質上、使える段階になれば必然防御も出来る様になるわけです。であれば、戦闘中はそれを常時展開して戦うでしょう」
「それは、まぁ・・・当然ですね」
空也は己に置き換えて考えて、自分であれば絶対にそうすると考える。なにせ転移術でもし万が一敵の攻撃の眼前に自分を置かれてしまえば、その時点で防御も出来ず一方的に攻撃されて死ぬのだ。もし転移術を使おうとするのなら、まず第一にその対抗策を考えるのは自然だった。
「では、転移術を使う際はその障壁はどうなりますか?」
「自分ののみ除外した結界や障壁の様な物を使えば良いのでは?」
「ではもし相手が自分の魔術と偽装した転移術を使えば?」
「可能なのですか?」
空也は驚いた様子で己の問いかけに問いかけで返したアテネへと問いかける。自分の魔術と偽装した、というが魔力にはその人個人に応じた波形があるという。
そこらも偽装して初めて、全てが自分の魔術と言えるのだ。それを偽装出来るとは思いにくかった。が、これはまだまだ彼らの想定が甘い、という事なのだろう。アテネがはっきりと頷いた。
「勿論、可能です。そうですね・・・例えば、剣戟の最中にこちらの魔力を密かにくすねて蓄積し、それで魔術を行使すればどうですか?」
「そんな事が可能なのですか?」
「難しいですが、少なくとも私やルル殿のレベルであれば普通にやってのけます。そして転移術を使いこなす戦士というのは、その領域の戦士です。相手は普通にしてくると考えるべきでしょう」
空也の問いかけにアテネはその領域なのだと明言する。勿論、空也達とて簡単とは思っていない。なので、遥か上にはそんな領域があるという事なのだろう。
「他にも、これは転移術のどうしようもない欠点と言える所なのですが・・・転移術は段階的に転移しています。その身を守る障壁を先に、次に術者という順です。故に、一瞬だけ術者当人は無防備になってしまう」
「同時には出来ないのですか?」
今度は煌士が驚いた様子で問いかける。同時にできればそれが最良だろう。が、出来ないには出来ない理由があった。とは言え、絶対ではない。なので彼女はまず、それを明言した。
「不可能ではありません。が、その場合空間や物体を入れ替える置換魔術という空間転移の下位互換となります。まずこれを習得して、転移術の習得を行うのが基本ですね」
「それで良いのでは?」
アテネが述べた内容を聞いて、煌士が疑問を呈する。完全に防御しながら移動する術があるというのだ。それで良いのではないか、と思ったのだ。が、そうは問屋が卸さない。
「勿論、それで良い場合が多いでしょう。が、空間をかき乱された瞬間、この置換魔術は一気に使えなくなる。更にこれは致命的な弱点もある」
「空間を置換する、ということは人一人に比べてかなり大規模に切り取らねばならないわけだ。勿論、転移先にも同じ分の異変が起きる。そんな魔術を使わねばならない様な相手なら、その異変はまるわかりだろうな。先にそこに攻撃を打ち込まれて、直撃を受けるか完封されるのが関の山だ」
アテネの言葉を引き継いだフェルが置換魔術での転移術の弱点を語る。まぁそう言っても結局はどちらが有利か、という場合で使い分けるのが基本だろう。決して使ってはならないわけではなかった。そうして、再びアテネが言葉を引き継いだ。
「それに先にも言いましたが、転移術を防止する障壁は己の力を使われた事に対応した転移を防ぐ力もあります。それを外す必要があるわけです。そして当然、転移先に攻撃が置かれても駄目。罠を仕掛けられては障壁の中に直撃してしまいますからね」
アテネは当たり前の事を明言する。転移術とは自分の居ない空間に移動する魔術だ。であれば、それを応用して先んじて攻撃を仕掛けられていた場合、内部から直撃を貰いかねない。
「故に、一瞬だけは完全に無防備の身体を晒してしまう。転移先に攻撃を仕掛けられない為にも、障壁を先に移動させなければならないのです。そして、すぐに転移。この一瞬がどれだけの一瞬かは、術者の力量次第と言えますね」
「が、どれだけ刹那だろうと互角になるとその一瞬が命取りだ。故に、近接をやる奴らは決して使わない。その刹那を狙い撃つなぞ、刹那の戦いを行う奴らにとっては永遠にも等しい隙だからな。やるとすれば、仕切り直しの為に距離を取るぐらいだ。この場合は逆に障壁を後にして転移後に貼り直せば良いわけだからな。それぐらいの選択性はある」
アテネの言葉を引き継いで、フェルが明言する。なお、これは彼女の使う転移術とは別種の普遍的な転移術故なので彼女については問題なく戦闘中でも使えるらしい。そこら何かの理由があるらしいがフェルその人が語らないので不明らしい。
「そういうわけでその貼り直しの時間が取れる魔術師は多用し、剣士達は使わないというわけだ。決して、無敵でもなんでもない。逆に弱点が有名すぎて滅多に使われない攻撃だな」
「なるほど・・・」
「ふむ・・・」
煌士と空也はなるほど、と得心が行ったかのように頷いた。そんな二人にフェルが頷いた。
「わかったか? どれだけ便利に見えても、必ずそこには弱点がある。貴様らがこれから強敵に挑むにしても、そこは忘れるな。必ず、どこかに弱点は潜んでいる」
「もし弱点のない相手であるとすれば、それは特長のない相手ということ。それはそれだけで弱点でもあります。一点に力を集中してやりなさい。それこそが、敵を打ち破る穴でしょう」
フェルの言葉を引き継いでアテネが断言する。弱点が無い事が弱点。尖っていないからこそ、打ち破れる可能性がある。それが、なんでも重要だった。そうして、この日はそんな彼らへのアドバイスで終わる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




