第13話 玉藻の前
鬼の襲撃からフェルと御門の手によって救い出された浬達は、そのままフェルに従って校舎の中。あり得ない筈の空間へと案内されていた。
そうして、浬達には見えなかった空間へと入り、浬があまり驚いていない海瑠へと問い掛ける。
「ここは・・・何? 海瑠。あんたここの事知ってたの?」
「ううん。ある事は知ってたけど、どんな所なのかは、知らなかった」
浬の問い掛けを、海瑠は否定する。確かに海瑠はこの空間には一度も足を踏み入れたことは無かった。だが、聞いたことが無いわけでは無かった。
「お兄ちゃんに聞いたら、もし、万が一。自分が居なくなって、その上でどうしようもない状況に陥った時以外には行くな、って」
海瑠はこれを、中に何か嫌な生き物が居て、それ故に、どうしようもない状況に、避難場所として使うように、と言っているのだと思った。なにせ、この先の教室には、海瑠が感じた中でも有数の嫌な気配があったからだ。
「お兄ちゃん・・・カイトさん?」
「うん。ここが何なのかは、教えてくれなかった。でも、お前が見えたんだから、あるんだろう、って」
鳴海の問い掛けに海瑠が頷く。兄の言葉は嘘だろう。彼らの兄であるカイトが、ここの事を知らないはずがないのだ。
なにせ彼も、ここの卒業生だ。それも海瑠が入学する直前まで、彼はこの中学校に居たのだ。海瑠の魔眼を知っているのに、この部屋の存在を知らないと考える方が可怪しかった。そうして、一同はゆっくりと歩いて行き、ついにフェルが教室の前で止まった。
「ふむ・・・狐か」
中を覗きこんだフェルが呟く。それに、恐る恐るではあるが、海瑠達も覗き込んだ。するとそこにはフェルが呟いた通り、金色の毛の狐が一匹、尻尾を枕に眠っていた。だが、その狐は普通の狐では無かった。体長がおよそ3メートル以上もあったのだ。
「おっきい・・・」
「なんだ、ありゃ。狐にしちゃ、デカ過ぎじゃ無いか?」
「でも、綺麗な毛皮。売ったら高いかな」
少女達は、そんな呑気な答えしか出ない。まあ、当たり前だ。そもそもでこの場に来るまでに現実感を喪失し、感覚が麻痺してしまったのだ。
だが、海瑠は違う。その特異な目と、現実をきちんと認識出来ていたが故に、そのおかしさをしっかりと認識出来た。
「うわぁ! 尻尾が九本もある!」
姉とその友人達の後ろから覗き込んだ海瑠が思わず仰け反って、尻もちを付く。それに気付いて、狐が頭を上げた。どうやら眠りから覚めた様だ。
『・・・おや、これは珍しい。妾も寝ぼける事があったか』
「・・・え? 誰?」
全員の頭の中に、声が響いた。意味が理解出来ない浬達は周囲を見渡すが、居るのは自分達六人と狐だけだ。そうして、響いた声に気付いて、御門が部屋の中を覗きこむ。
「あ、お前ここに居たのか」
『む? ちっ・・・居たのか』
狐の顔が歪み、たとえ獣の顔でも嫌そうだと分かるしかめっ面になる。どうやら中の狐と御門は知り合いの上、あまり中が良くない様だ。そうして、声がどうやら狐から響いているらしいと理解した浬達が、御門に続いて中に入る。
「ここらに居るとは聞いていたが・・・まさかこんな近場に居たとはな」
『ふん。カイトの奴に頼まれたのよ』
御門の問い掛けに、狐が少し拗ねた様子で答えた。だが、ここでまた、馴染みの名前が出て来て、浬が首を傾げて呟いた。
「カイト・・・また、お兄ちゃん?」
『む? 兄?・・・こここ、これはこれは・・・確かにお主らからはあれと同じ匂いが漂っておるな。おうたのは始めてじゃが、あれの弟妹か』
「きゃ!」
浬が呟いた言葉に興味を覚え、狐が浬に近づいてすんすんと鼻を鳴らす。そうして、裂けた様に口を三日月に開き、笑う。
『何じゃ。アヤツも来ておるのか? 久しく顔を見なんだで、暇じゃ。はよう来ぬか』
「居ねえよ、あいつは。ほれ、新聞だ」
嬉しそうに呟いた狐に、御門が新聞を投げつけた。それは、カイトが通う天桜学園の消失に関する事件を取り扱った新聞で、開かれたページの中には行方不明者の一覧があった。狐は器用に前足で新聞を押さえ、新聞の中身を確認する。
「それの2年A組の欄を見てみろ」
『ふむ?・・・こここ! これはこれは。アヤツはまた何か厄介事に巻き込まれおったか。相も変わらず妾を楽しませるのう。おらんでも楽しゅうさせてくれる奴じゃ』
カイトの苗字は当たり前だが、浬達と同じ天音だ。それ故、あ行なので出席番号が早く、欄のはじめの方に載っていたカイトの名前を見付け、狐が呵々大笑する。
『ここ・・・それで、お主らはあの弟妹じゃな?』
「え、あ、はい」
浬と海瑠を見て、狐が問い掛ける。浬はそれに頷いたが、未だに何故、兄がそこまで有名なのかが理解出来ない。そして、狐の方は何故彼女らがここに来たのかが、理解出来なかった。
『で、その弟妹がなんの用じゃ?』
「お前がサボったから、だ。あいつから頼まれたなら、しっかりと領内に入られない様にしろ」
『む? 何も入ってきてはおらんかったぞ? 鬼が入ってきた時には、御身らも入ってきておったからのう。それに、そもそも領内に入ろうとせんのなら、妾は知らぬよ』
「はぁ・・・せめて近場も潰せよ・・・」
『知らん。そもそもこの街に何かあれば、あれが介入しよう・・・で、結局何の用じゃ?』
狐の問いかけに、御門が頭を掻きながら、本題に入る事にした。そうして、彼は先程赤い光を浴びた4人を流し見ながら、口を開く。
「まあ、多分、こいつら呪われてるんでな。確認は外じゃ、な」
御門が少しだけ顔に苦味を浮かべ、告げる。その告げられた言葉に、四人がびっくりする。呪われた、というがそんな感覚は一切なかったのだ。
「呪われた・・・?」
「あー・・・」
「腕を捲ってみろ」
言い難く頬を掻いた御門に対しフェルは悩むこと無く告げる。どちらにせよ悩んだ所で結果はもう変えられないのだ。ならば、手っ取り早く現実を教えた方が良いという判断だった。
そしてその言葉を受け、四人が腕をまくる。すると、右腕の二の腕の部分に奇妙な赤い痣が浮かんでいた。四人とも同じ痣だった。
「ちっ、やっぱ呪われてるか」
「・・・え?」
四人の腕に浮かぶ痣を見て、御門が少しだけ忌々しげに呟く。まさかあそこまで細切れにされても最後に呪いを放てるだけの力を持っているとは思いもよらなかったのだ。どうやら浬達を追い詰めていた鬼は彼らが思うよりも少しだけ、強かったらしい。
「フェル、お前解呪は?」
「私でも即興では出来ん。道具が必要だし、そもそも強引に解呪する事になる。すると、膨大な魔力を放出する事になり、私の存在が日本政府に露呈する。それは避けねば、だろう?」
「否定できん、か・・・相変わらず厄介な奴だ」
本当に少しだけ忌まわしげに、御門が呟く。そんな御門に対して、侑子疑問を投げかけた。
「御門先生は出来ないんですか?」
この言葉に、三人が何処か気まずい沈黙する。そうして、暫くの沈黙の後、狐が楽しげに告げる。
『無理じゃ無理じゃ。此奴は軍神などと呼ばれておるが、軍神というには弱すぎる。おまけに解呪の力なぞ持ってもおらん。使えぬ軍神よ』
「ぐ・・・言わせておけば・・・」
「違うのか?」
「ぐぅ・・・」
狐の酷評に御門が右腕に宿した雷で攻撃しようとしたが、続くフェルのツッコミに落ち込むだけだ。ちなみに、狐は弱いというが、この三人で一番弱いのは狐だ。
おまけに浬達は知る由もないが狐は力を結構失った状態なので、御門の全力攻撃を食らえばまず間違いなく、消滅する。ある意味命懸けの弄りであった。
「あの・・・それで、先生達は一体何者、なんですか?」
落ち込んだ御門はさておいても、正体を知らない事には始まらない。なので、鳴海が問い掛けた。それに、御門が顔を上げる。
「私はフェル・シルだ。それ以下でもそれ以上でも無い。本名は自分で考えろ」
「え!? フェルさん本当の名前じゃないの!」
「ほう。普通に少し弄っただけだったが・・・なかなかに使えたらしいな」
浬の驚きに、フェルが少し満足気に頷く。そういうのも実は、数年前まで彼女は別の名前で活動していたのだが、それは使うつもりはなかった。その名前は彼女にとって大切な物で、ある人物以外には、特に彼以外の男には、呼ばせるつもりがなかったのである。
その後、ここに来るにあたって別の偽名を考えたのだが、どうやらそれは上手く行ったらしい。彼女の本名を少し弄った名前だったので少し不安だったらしいが、意外と気付かれなかったようだ。
『ふむ・・・妾の正体はそこな小僧ならばわかろう? 見えておるのじゃろう?』
狐が顎で海瑠を指し示す。指し示された海瑠は、狐の言葉に眉を顰めて考え始める。
「えっと・・・尻尾が九本だから・・・九尾の狐?」
「九本って・・・一本しか無いよ?」
海瑠の言葉に未だに一本しか見えていない侑子が問い掛ける。それに、狐が行動に移して答えを示した。
『これで見えるじゃろ』
「きゃぁ! もしかして、玉藻の前!?」
いきなり現れた九本のしっぽをみて、鳴海が驚いた声を上げる。ついでに答えまで告げていた。そんな驚きに玉藻は気を良くして、しっぽをパタパタと振ってみせる。今まではずっと魔術によって隠匿していたのだ。見えるか見えないかは、ある種の試験であった。
『なんじゃ。そこな童も知っておるのか』
「玉藻の前?」
どうやら海瑠の方は知らなかったらしい。少し嬉しそうに鳴海を見た狐だが、海瑠の言葉に少しだけ落ち込む。ちなみに、鳴海が知っていたのは、近年公開された中世日本を題材にした陰陽師がモデルの映画のラスボスが玉藻の前だったからである。というわけで、鳴海が浬の質問に答えた。内容は当然、映画で語られた内容だった。
「えっと、大昔に時の帝を誑し込んだって妖怪」
『こここ。懐かしいのう。他の2体にも久しゅうおうておらん』
鳴海の説明に、狐こと玉藻が笑う。二体とは彼女の分かたれた殺生石の残り二つの事だ。玄翁和尚に壊された殺生石にはそれぞれ玉藻の前が宿っているのである。
ちなみに、各々性格が異なり、ここに居る一体が最も彼女の男を誑し込む妖怪としての性質が強い。が、同時に人当たりも良かったし、性格面では問題を最も抱えていない。それ故、この学校の守りとして、ここに居たのであった。と、そんな鳴海の解説に、浬が何処か呆れ混じりにつぶやいた。
「昔の人って・・・狐に欲情したんだ・・・」
確かに、玉藻は狐としてみても美しくはある。だが、狐は狐だ。それ故、浬も鳴海が引き攣った顔であった。まあ、どうみても狐にしか見えないのだ。普通に今の常識に照らし合わせて考えれば、ありえない、としか言いようがなかった。が、そんな二人に対して、玉藻が笑う。
『別に<<人化の法>>を使えばこうもなるぞ?』
玉藻が光り輝いたかと思うと、見る間に彼女の姿が変わる。現れたのは、一人の優美な着物を着流した狐耳と九尾の尾を持つ一人の艶やかな美女だ。
「うぁ・・・」
女さえも見惚れる美貌を持つ艶やかな美女となった玉藻に、浬や鳴海、侑子が息を飲む。そうして、見惚れられた玉藻の前は妖艶に微笑むと、海瑠に向かって手招きをする。
『ほれ・・・妾の言う通りに此方へ・・・至上の愉悦を与えてやろう』
玉藻の口から、まるで脳裏を溶かすような綺麗で甘い声が漏れる。しかし、それは対象外である浬達だけ、だった。それを向けられていた海瑠の頭の中には、玉藻の声が幾重にも反響していた。
「う・・・あ・・・」
まるで熱にうなされる様な揺らめく視界で、ただ呆然と、海瑠が歩き始める。
『ほれ・・・こっちじゃ。妾の胸の中に沈み込むが良い。お主の兄が絶賛し、愉悦に浸っておった至福よ・・・兄の様に、とろけさせてやろう』
玉藻は脳裏を犯す様な幻惑の声で海瑠に語りかける。そうして艶然と、着物の胸元をはだけ、海瑠を誘惑する。玉藻が胸元を深くはだけただけで、一気に甘い香りが部屋中に充満した。
女さえも欲情しそうな艶やかさと匂いの中、玉藻の前まで後一歩というところまで海瑠が歩いた所で、服の首の部分を御門が引っ掴み、同時に玉藻の後頭部に、蒼い弾丸が突き刺さった。
「ぐえっ・・・」
「あいたっ!」
強引に御門によって聞き戻された海瑠のうめき声と、突き刺さった弾丸の痛みに呻く声が響いた。
「あいたたた・・・」
玉藻は頭をさすり、蹲る。その頭には、蒼い小鳥が乗っかって、何度も玉藻の金色の耳を突っついていた。どうやらそれほど強く突っついているわけではないらしく、痛みはそこまででは無いらしい。その小鳥は、先ほど蒼い髪の男に変わった小鳥だった。
「たくっ・・・さすがにガキを誘惑するのは見過ごせん。俺は曲がりなりにも天帝だ。ガキへの非道は許さんし、今の時代のガキにゃ、まだ早い」
御門の呆れた声が響く。ちなみに、並外れた美女なので彼の守備範囲かとも思うが、玉藻の前は男をダメにしたり、国を滅ぼしたりと色々ありすぎる為、食指は動かないらしい。尚、本来が狐である云々は気にしない。見た目が美女であるか否かが、重要らしい。
一方、そんな御門を無視して、玉藻は自らの頭に乗って彼女の手から器用に逃れている蒼い小鳥に愚痴を言っていた。
「何も音速を超えてまで突っ込んでくる事は無かろう。お主の弟であればさぞ美味い精気であろうと少々味見をしようとしただけでは無いか」
玉藻の愚痴に、再度蒼い小鳥が玉藻の頭を小突いた。今度はかなり速度があったので、玉藻は痛みに再び蹲る。
「あいたたた・・・」
「小鳥・・・?」
何処から来たのか。そんな疑問を呈する浬だが、そこでふと、その小鳥に見覚えがある事に気付いた。
「あれ? 何時もの蒼い小鳥・・・?」
「え・・・? あ、お兄ちゃんとおんなじ小鳥・・・」
浬の言葉に、海瑠も同じく朝に見ていた小鳥だと気付く。それに、小鳥が笑った様な気がしたが、小鳥なので、気のせいかもしれない。とは言え、そんな疑問を置いて、唯一正体が語られていない御門に対して、鳴海が問い掛けた。
「あの・・・それで御門先生は一体・・・」
「・・・インドラだ」
「インドラ?」
「帝釈天って言ったら分かるか? それとも天帝の方がわかりやすいか?」
「帝釈天・・・って、神様!?」
さすがにインドラに馴染みのない四人でも、帝釈天ぐらいは一度は聞いた事があったらしい。直ぐに神様と気付いて、驚きを露わにする。
「そんなのが、どうして、お兄ちゃんと・・・」
日本でも有数の妖怪と、世界的に有名な神様、そして、黒白の翼を持つ天使。その三人と、兄の繋がりが理解できない。
「さて・・・まあ、お前らの兄貴が、やってる仕事に関係があるんだよ」
浬の質問に、インドラがその質問を待っていた、とばかりに、少しだけ笑みを浮かべる。そうして、御門が話し始めるのであった。
お読み頂き有難う御座いました。次回はまた来週土曜日21時です。