第146話 魔物
カイトの運転する車に乗って『騎士王の城』を出発した浬らだが、緩やかな草原の中を軽やかに進む車の中で落ち着きを取り戻していた。
「・・・なんかさー・・・ちょっと拍子抜けかも?」
「と言うか、なんにも現れないね」
浬の言葉に侑子も同意する。始め一時間程度はおっかなびっくりという具合だった彼女らだが、車が進めど進めど何も起きないどころか起きる様子さえ無いので圧倒的な拍子抜け感を味わっていたらしい。そしてそれは、煌士達男子陣も一緒だった。
「むぅ・・・我輩の認識としてはもっとこう・・・魔物が闊歩している様な所を想像していたのだが・・・」
「うーん・・・私もその認識だったんだけど・・・カイトさん。これが普通なのですか?」
「んー? まぁ、普通っちゃあ普通だな。魔物なんぞ一日に何度遭遇するか、ってレベルだ。そこら辺歩いてたってこっちが無視してる事も多いしな。街の近くならまだしも、ここら街から遠い所となると無視しても問題はないからな」
カイトはハンドルを操作しながら空也の質問に答える。実は彼らが気付かなかっただけらしい。と、そう言われて、浬がふと思った事を口にした。
「・・・ってことはもしかして、ゲームでいちいちフィールドで雑魚とバトってるのって」
「ああ、あれな。普通にあり得ない・・・ってか、低級の回復薬をしこたまぶっかけて全回復とかガチあり得ねぇレベル」
「あれはな・・・本当にありえん。かすり傷程度ならまだしも、脇腹に風穴が空いたとかならば回復薬で癒そうとするのなら普通に幾らするか・・・」
カイトは笑い、フェルは呆れる。ここらはゲーム故と考えるべきなのだろう。と、そうして値段が出たからか、更に浬が興味を持った。
「どれぐらいするの?」
「値段?」
「うん」
「日本円換算でどんなもんだろ・・・」
カイトは少しだけ悩む。彼も勿論、お世話になった事はある。あるのだが、ここで一つ問題が発生する。それは単純に言って、時代故の問題だった。
彼が異世界に居た頃の異世界の時代とは、その世界で300年後においても有史上最悪の地獄と言われる暗黒時代だったのだ。回復薬は一応売られてはいたがどれだけ低練度の物でも高騰しており、本来の定価が幾らなのか、というのはあまりわからないのであった。
「オレが居た時代って戦争中だからなぁ・・・イマイチ当てにはならないと思うけど・・・風穴空いたの治療したかったら大体一本1億円とかそんなだった様な気がするなぁ・・・それでも確実に直せるし後遺症も無いからそりゃそうだってお値段だしな」
「い、一億・・・」
浬が思わず、腰にぶら下げていた小瓶を少しだけ大事そうに移動させる。中身は何時も使う回復薬であった。
「ああ、それはそこまでしない。それはあくまでもお前らが飲む様な医療用ってよりも魔力の補給用だ。練度はそこそこ・・・でもそこそこのお値段はするよなぁ、地球だと・・・」
「地球の場合薬草の密生地が地上にあまり無いのが厳しい所ですね。基本的にこのような異界には薬草なぞ何処にでも生えているのですが・・・表側の世界では薬草なぞ誰も見たことがないでしょうから・・・」
カイトの言葉を引き継いで、アテネが残念そうに首を振る。彼女は軍神。怪我を治療する為の回復薬が高騰するのは、彼女からしてみれば常に頭を悩ませる問題だった。
「おそらくカイトの居た異世界とは別の原因で高騰しているのではないかと」
「・・・この小瓶でどれぐらい?」
「んー・・・それを作るのに使った回復薬は一本ワンコインって所かなぁ・・・それはそれを更に薄めて味付けしたりしてるから、一本あたり100円とかそんなのだと思うなぁ・・・」
浬のさらなる問いかけにカイトは本当に適当に答える。ここらは本当に適当で、原価の値段等を考慮した上での話ではない。そもそも原料となる薬草にせよ回復薬にせよ、表の世界には出回らないのだ。
ほぼほぼこれら回復薬や薬草を使う一族が自らで作ったり、国等の大組織が独自に作ったりするので値段のつけようがないのである。
「まぁ、そんなもんだからガバガバ飲んでも大丈夫だ。基本は清涼飲料水とかエナジードリンクと変わらない」
「実際、そういう風にのむ所もある。身体に害は無いからな」
フェルはカイトの言葉に同意する様に、これが無害である事を明言する。ここらは本当に地球でなければ、一般的に使われている物だ。そして歴史も古く、低練度の物であれば下手をすると数万年前もの神話の時代から使われている。治験は物凄い数でなされていると考えて良い。害がない事は実証済みだった。とは言え、例外はある。ということで、首を傾げた侑子にフェルが明言する。
「そうなの?」
「所詮、水に薬草を浸しただけだ。よほど高濃度の物をバカスカと飲まない限りは、だぞ? エナジードリンクとて飲み過ぎは危険だと言われるだろう。それと同じだ」
「あー・・・それじゃあこれをキンキンに冷やして炭酸ぶち込んだらエナジードリンクっぽく飲めるかな」
侑子が少し冗談めかして無色透明の小瓶を振る。彼女は知らなかったが、異世界にはそれで商品化されていたりもする。と、そんな風な雑談を行っているとふと、カイトが車の勢いを弱めた。
「あれ? もう目的地?」
「いや? お楽しみの時間だ。モルガー・・・準備出来とりますね」
「イエッサー、少将殿!」
いつの間にやら明らかにコスプレ用に改造された軍服に着替えていたモルガンがカイトに――カイトは実際異世界では軍事的には少将らしい――敬礼で応ずる。
なお、火が付いた葉巻を口に加えていたが、実際には葉巻ではなく葉巻型の玩具らしい。火に見えているのは見えているだけで、出ているのは水蒸気だそうだ。
「やれやれ・・・降りろ。訓練の時間だ。ベディ、トリスタン。悪いが周囲の警戒を頼まれてくれるか?」
「「わかりました」」
カイトの依頼を受けて、ベディヴィアとトリスタンが車から降りて即座に周囲の警戒に入る。これから行われるのはある種新兵の初陣に近い。なので彼女らもかつて通った道と面倒臭がる事は無く、真剣に周囲を見回していた。
「さて・・・二人が周囲の警戒をしてくれる。貴様らはさっさと降りろ」
「・・・う、うん」
フェルに促されて、浬達がおっかなびっくりという具合で車から降りる。そしてそれと同時に、上部に取り付けられたガトリング砲の後ろにモルガンが腰掛けた。
「おーし! 野郎ども! 腑抜けてたら蜂の巣にしてやるぞ!」
「え、いきなり何!?」
「ひゃっはー!」
モルガンは楽しそうにガトリング砲をくるくると回して遊ぶ。器用に魔力を操作している為、砲身は回るが弾は出ていない。
「はいはい・・・とりあえず、お前らは一度見ておけ。こっちで一度戦う」
「と言っても私達が、だが。カイト、貴様魔力の消耗があるのだから、姿を元に戻しておけ」
『あいよ』
フェルの言葉に従って、カイトが小鳥の姿になって車の上に取り付けられている取っ手の部分に足を下ろす。そうして、そこからはフェルが解説を引き継いだ。
「まず、敵だが・・・」
「はっ!」
フェルの視線を受けたアテネが草むらの方向に腕を突き出し、何かを握る様な手つきで何かを握りしめる。そうして、彼女が腕を引くと草むらの中から1メートル程度の小さな人型の何かが現れた。その何かはアテネの手の動きに合わせて空中を移動させられて、一同の目の前で停止する。
「「「きゃあ!」」」
「おぉ! これはゴブリンか!」
「よく分かりましたね。その通り。これはゴブリン・・・世界最弱の魔物です」
煌士が見たままを告げた名前を聞いて、アテネがゴブリンというらしい小人を見る。小人と言ってもその姿は大きく人から離れているわけではなく、身長は1メートル前後だ。姿形については肌が緑色で薄汚れていたり牙があったり、という小さな程度しか違いは見受けられない。
が、違いが見受けられないのは姿だけで明らかに本能的にこれが人ではない、とわかる何か異質感が感じられた。端的にいうと、生物の本能として人に危害を加える害獣。人とは相容れない存在。そんな印象があった。そんな本能的な恐怖を感じる存在を見て恐怖を抱いた様子の一同を見て、フェルが頷く。
「わかったようだな。本能的に、魔物は魔物と分かる。分かりにくい存在も居るには居るがな・・・とは言え、こいつらは小賢しい。基本的に相容れる事はないだろう」
「それで、そいつはどうするのだ?」
「どうする?」
「殺すに決まっています」
首を傾げたフェルの横。アテネは何ら躊躇いもなくそう告げると、そのまま腕を大きく振りかぶってゴブリンを上空へと放り投げた。それを見て、モルガンがガトリング砲型の魔銃に魔力を注ぎ込んだ。
「ファイアー!」
どどどどど、という音が鳴り響いて、ガトリング砲から無数の魔弾が発射される。それはゴブリンの身体を蜂の巣にして、肉片に変えた。
「「「ひっ!」」」
どしゃり、という音と共に落下した肉片を見て、海瑠と詩乃を除く女子勢が引きつった声を上げる。あまりにも生々しい、死の匂い。初めて見た、たった今まで生きていた生き物が死ぬ所。
ショックを受けるには十分な映像だった。が、そこで止まってはいられないのだ。そしてだからこそ、敢えて見せた。見せねばならないからだ。
「何をやっている。これを、貴様らは今からやる事になる。いや、何度も繰り返す事になる」
「そんな・・・」
青ざめた様子の鳴海が恐怖で引きつった声で懇願する。が、それにフェルは容赦しない。
「死にたいか?」
「まぁまぁ・・・一つ、良い事を教えてあげましょう。ゴブリンと言えども、人は殺せる。子供を拐って食べる者も居る・・・故にこうやって倒さねばならないのです。放置すれば、何時かは誰かに害をなすかもしれない。魔物とは、人類が倒さねばならない相手なのです。魔物とは魔物という生命体。人と共存する魔物は極少数。先に言った竜等の高度な知恵ある者だけです。害虫駆除と同じ。あれは犬や猫の動物ではない。害虫。そう、思いなさい」
アテネはあくまでも魔物は魔物という生き物である、と明言する。と言うより、裏に関わる者は誰もがそう思っている。魔物を放置すれば、何時かは誰かが傷付けられる。それは大前提として把握しておくべき事だった。
勝てぬのなら逃げても良い。相手に出来ないのならしないでもよい。逐一相手にする必要はない。連戦で体力を消費するのが一番拙い。
だが、もし戦いになった場合、そして勝てるのであれば確実に討伐せねばならないのが、裏の世界に生きる者達の鉄則だった。そうして心構えをアテネが説いた後、フェルが告げる。
「ゴブリン狩りは誰もが通る道だ。私も通ったし、アテネも通った。ベディとトリスタンも通っただろう」
「もう随分と昔の事になりますけどね・・・初陣はゴブリンに限る。熟練の兵士達が言う言葉ですが、それは確か。魔物退治になれる為には、こいつらが一番なのです。かと言って、相手も生命なので嬲り殺し等はやめるべきですが・・・」
フェルの言葉に同意したアテネが、諭すように告げる。基本的に威圧的なフェルとは違い、神様だからかアテネは説教臭いが同時に諭す様に告げてくれる。なので浬達もそんなものなのか、と心の何処かで思い始める。
「・・・でも・・・本当に勝てるの?」
「当たり前だろう。勝てない相手を持ってくるか。それにな・・・言っておくぞ。相手は待ってくれん」
「「「え?」」」
全員がきょとん、となる。そうしてふと気付けば、ガサガサという草むらをかき分ける音が彼らの耳に聞こえてきた。
「そら、来るぞ。言っておくが、私達は手を出さん。ゴブリンを倒せぬ様では、先は無い」
「え、ちょ、待って!」
車と共に上空に避難したフェルへと、浬が必死で制止を掛ける。だが、フェルもアテネも、それどころかカイト達三人の誰も、待ってくれる事はなかった。
ここら、優しかろうと誰もも容赦がない。ここだけは、戦士として誰もが通らねばならない通過儀礼なのだ。通らなかった者は居ないし、通れなかった者はここで脱落して戦士として永遠に立てないままだ。
教師役がどれだけ甘くとも、コーチ役がどれだけ優しくとも、ゴブリンを倒す事だけは一人で成し遂げねばならない事だったのである。
「気をつけろよ。例え雑魚で今の貴様らの方が相当上のスペックを誇っていようと、相手は殺す気でくる・・・いや殺す気なら、まだ良いのだろうがな。最悪は男女見境なく犯されるぞ。そんな目に遭いたくなければ、必死で抗え」
フェルが事実を事実として告げる。それに、女子勢――今度は詩乃も含む――が目を見開いて顔を上げた。如何に並の中学生ではない経験をしていようと、彼女らはやはり中学生。そんな発想は持ち合わせていなかったらしい。
「嘘!?」
「嘘なものか。年に数人、オークやゴブリン共の巣で犯された女が見付かっている・・・そうなりたくないのなら、覚悟を決めろ」
フェルは強く覚悟を決める様に勧める。ここでなすがままになれば、本当に彼らの慰み者になるだけだ。それを突きつけられた後わずかに沈黙が舞い降りて、先に覚悟を決めていた空也と煌士、詩乃、そして海瑠が武器を構えた。と、そうして段々近づいてくる気配に、浬が吼えた。
「・・・こんちくしょう! 良いわよ、やってやるわよ! やりゃあ良いんでしょ!」
「「へ?」」
やれかぶれにカードを構えた浬を見て、鳴海と侑子が目を瞬かせる。その顔は真っ赤になっており、完全にやけっぱちだった。そうして、変な形ではあったが、浬達のもう一つの初陣が始まったのだった。
お読み頂きありがとうございました。




