第11話 逃走の始まり
「皆! おはよう!」
海瑠は朝一で登校すると、頭が痛い人物に出会った。それはこの学校の現生徒会長だが、同時にこの学校最大の誇りであり、最大の汚点であった。海瑠はなるべく気づかれない様に、こそこそと友人たちの間に隠れるが、無駄だった。
「おぉ! これは<<魔眼>>カイルではないか! どうだ! 我輩の後を継いで、生徒会に入ってくれる決心は出来たかね!」
「おい、海瑠。お呼びだぞ」
「うわぁ!」
巻き込まれては堪らない。友人たちが海瑠を強引に前に押し出した。押し出された海瑠は、たたらを踏んで生徒会長の前に躍り出る。
まあ、海瑠を奇妙な渾名を付けて呼んでいる事からも分かるように、彼は中二病という病に羅患していた。というわけで、彼の格好は何処かの中世ヨーロッパ貴族の様な凝った衣服だった。
まあ、彼の見た目は非常に良く、その衣服が似合っているのが、誰にとっても唯一の救いだろう。そして同時に、底抜けに明るいが故に、それ相応に人望もあった。
「・・・お、おはようございます、天道生徒会長・・・」
「うむ! おはよう! それで、今日は何か見えるかね!」
海瑠は若干怯えた様な挨拶だったが、煌士の方は大して気にはしていないらしい。今日も今日とて元気に挨拶を返した。天道生徒会長と言われた彼だが、以前浬が呆れていた件の人物こそが、この天道生徒会長である。
彼の名前は天道 煌士。名家・天道家が誇る歴代最高の大天才にして、歴代最悪の大天災であった。
その才能は天道家の姫とさえ言われる姉の桜を遥かに超え、10に満たない内に大学院の卒業試験を突破するという才覚だ。
おまけに、運動能力も抜群だ。何処かの部活に所属すればインターハイは確実というだけのスペックを持ち、更には生徒会長としての指揮力としても低くはない。そして、家柄は世界有数の名家の三男坊だ。嫁ぎ先としては、悪くないだろう。
だがこれだけ揃って、それを駄目にする中二病的性格と、浬達が呆れるぐらいの覗き等のオフザケであった。まあ、女子人気は低いが、そのお馬鹿な性格や底抜けに明るい性格を慕う男子生徒や一部女子生徒は居るわけで、当人の不思議な人格も相まって人気は低くはなく、おまけに面倒見も良いので一定の人気は保てるという、ある意味、化け物であった。
ちなみに、海瑠が怯えているのは簡単で、彼が怖い人というのではなく、彼の勢いに気圧されているからだった。出会ってから既に一年以上も経つのでいい加減に慣れれば良いのだが、このテンションだけは、慣れないらしい。
「いえ、特には・・・」
「そうか・・・」
少し残念そうに煌士が落ち込む。さて、そんな煌士だが、何故海瑠を気にかけているかというと、海瑠の眼にある。海瑠がまだ入学したての頃、うっかり煌士を見て『すごい。こんなはっきり見える人、お兄ちゃん以外に初めて見た。』と呟いたのがきっかけだ。そこに何かを感じ取ったらしく、煌士はそれ以降熱心に海瑠の事を研究する様になったのである。
「・・・あ」
何時もは、これで終わる筈だった。だが、今日は違っていた。そこに、一人の銀色の美少女が来たのである。海瑠はついうっかり、その少女を驚きを以って観察してしまう。
「・・・気になるかね?」
にやり、と笑みを浮かべた煌士がそれに気付いた。海瑠が明らかに、美少女では無く、その周りを見ていた事に。
「え・・・い、いえ! なんでもありません!」
「あの少女か! 丁度良い! あの<<月の女神>>には一度声を掛けておかねばと思っていた所! 我輩、大興奮である!」
自分で言う様に、煌士は大興奮で銀色の美少女こと、フェルに近づいていく。だが、それが彼の運命の分かれ道だった。
「ちょっと失礼! そこな<<月の女神>>!」
「なんだ?」
「これはなんと見事な美しさ・・・貴方の前では月の女神も恥らうだろう!」
突撃していった煌士だが、さすがにフェルの美しさには若干気圧された様だ。トーンが少しだけ落ちる。何処か口説き文句であるが、これも見た目からすれば、非常に良く似合っていた。
まあ、そう言ってもその行動と態度は堂々とした物なので、口説いている風はなかったが。そうして、なかなかに似合っていた煌士の褒め言葉に、フェルが少し感心した様に頷いた。
「ふむ・・・まあ、世辞にしては悪くはない」
「では、ちょっと失礼」
煌士はそう一言断りを入れると、興味深げにフェルの身体をベタベタと触りまくる。誰がどう見てもセクハラなのだが、いきなりの行動に誰もが――フェルさえ――呆気に取られて止めようが無かった。
「あんたはだからいい加減にセクハラをやめろっつってんでしょうがー!」
と、そんなセクハラを止めたのは、海瑠が絡まれているのを発見して突撃してきていた浬である。途中で海瑠への絡みが終わったので無視したのだが、フェルへのセクハラが始まったので迎撃を再開したのだ。
ちなみに、非常に慣れている様な気がするのは、正解である。海瑠が非常に困っているのに手助けをしていると、必然こんな遣り取りになったのである。それが一年近くも続けば、当然慣れるだろう。
「フェルさん。大丈夫?」
「・・・あ、ああ。委細無い」
急激に飛来した浬に目をぱちくりさせていたフェルだが、浬に問い掛けられて頷く。そうして、それを見て、浬は次に近くに居た海瑠を呼び寄せた。
「海瑠! あんたももう少ししっかりしなさい! こいつはこうやって扱えばいいの!」
「あ、うん・・・」
「浬様、海瑠様、フェル・シル様。煌士様がお手数をお掛け致しました」
そんな三人に近づいてきたのは、メイド服姿の少女だ。小柄で、ショートカットの髪にプラムを乗せ、物静かそうな雰囲気がある可愛らしい少女だった。煌士付きと言う名のお目付け役の詩乃である。
唯一煌士を止められる事から、彼女が副会長だ。後ろには引きずって来たらしい――と言うより、吹き飛んだ先からここまで引きずった跡がある――煌士がぴくぴくと痙攣していた。
「あ、詩乃ちゃん。おはよ」
「おはようございます、浬様。相変わらずのお手際、お見逸れ致しました」
「いいのいいの。詩乃ちゃんも大変ね。そんな変態がご主人様で」
「慣れましたので」
主に対する不遜をそのまま肯定するあたり、彼女も煌士が変態だと認めているのだろう。まあ、中二病を発病してからは頭脳明晰な才能は大半が奇妙な研究に費やされ、抜群の運動神経は全て覗きやセクハラに費やされるのだから、言い訳のしようがない。
まあ、煌士の才能が比較的まともに使われた案件があるとすれば、数年前に煌士が発明した重力操作装置だろう。あれに関する様々な論文や幾つもの特許は天道財閥に莫大な利益をもたらし、天道家と煌士の名声を確たるものにした。
とは言え、それ以降にその才能を使用した物といえば、やれ未知の力の発見装置や異世界の存在証明等、常人には理解し難い物が多かった。そうして、そんな主を持つ苦労人のメイドが、少しだけ、言い難そうに浬に告げる。
「あの・・・浬様。非常に申し上げにくいのですが・・・」
「何?」
「あの、これから御召物はスカートではなく、ズボンになさったほうが・・・」
その言葉に、浬がきょとん、となる。第8中学校では生徒の自主性を重んじるということで私服の着用が可能なのだが、それ故、浬は今どきの中学生らしくおしゃれに気を遣った小洒落たスカートを履いていた。
ちなみに、私服の着用が可能というだけで、制服もきちんと存在している。何らかの公式試合等に参加時に制服が無いと、学校としても応対に当たる側としても困るからだ。一般人なのか生徒なのか判断が出来ないのである。まあ、それ故、一般の生徒達には滅多に使われないが。
「えっと・・・お姉ちゃん。パンツ、見えちゃってた・・・」
「・・・え?」
「純白か。カイトの好みだったな? あれは白だと背徳的だのと、黒だとエロくて興奮するだのと言っていたか・・・」
海瑠とフェルの言葉に、浬がようやく事情を把握する。と、そこに追撃を掛ける者が一人。煌士である。どうやら復帰したようだ。
「おぉ、何だ。気付いていなかったのか。我輩、何時も楽しんでいる。いや、眼福眼福」
「待って。まさかあんた・・・」
プルプルと震えながら、浬が煌士に尋ねる。が、浬の手が出る前に、詩乃が手を出した。コキュ、という音と共に、煌士の意識が再び闇に落ちる。頸動脈を締めて、気絶させたのだ。彼女も彼女で手際が良かった。
「坊っちゃん。では、再教育を始めますので、このまま生徒会室に参りましょう」
「きゅう・・・」
「詩乃ちゃん。記憶消去、お願いね」
「承りました」
詩乃は頭を下げると、再びずるずると煌士を引きずりながら、何処かへと去って行く。ちなみに、二人共大学院卒業資格を持っているとのことで、授業に出なくても試験的には問題が無い。まあ、出席日数的に問題が出るので、二人共こんな事をしていながら欠席も遅刻も早退も無いのだが。
「行こ」
「あ、ああ」
ずるずると引きずられていく煌士にはさすがのフェルも引き攣った顔だったのだが、浬が手を引いてスタスタと教室に向かうので、そのまま歩き始める。そうして、今日も何時もと同じ一日が、始まるのだった。
だが、何時も通りなのは、放課後まで、だった。海瑠は放課後、生徒会室にやって来ていた。女バスのマネージャーとしての業務の一環で、生徒会に書類を提出していたのである。
「・・・はい、問題なし。海瑠くん、お疲れ様」
「木場さんも、お疲れ様です」
生徒会書記である鳴海に海瑠が書類を預け、それを鳴海が精査し終えた。どうやら問題無かった様だ。ミーハーな雰囲気から誤解されやすいが、実は鳴海は書道が得意で、その関係で字を書くのが得意なのだ。元々煌士の見た目に惹かれて生徒会に立候補したのだが、今は若干後悔しているとのことだった。
「あの・・・天道会長は?」
「ああ、会長なら家の用事とかで早帰りだって。後残ってるのは私と会計の子ぐらいだよ。安心していーよ」
鳴海も海瑠が煌士に好かれている? ことは把握している。それ故、何処か安心させる様に、笑いながら告げる。それに、海瑠はとりあえずほっと一息ため息を吐いた。
「良かった・・・」
「あはは。海瑠くんはこれから帰り?」
「あ、もうすぐお姉ちゃんがミーティング終わるって言ってたから、それを待ちます」
「あ、そなんだ。じゃあ、私も一緒に待ってよ」
海瑠の言葉に、鳴海が急ぎ足で帰り支度を整え始める。どうやらこれで仕事は終わりらしい。ちなみに、今日は体育館が別の部活で使うということで、女バスはミーティングだった。海瑠はその一環で書類を、と頼まれたのであった。
ちなみに、御門が顧問を務める男バスはグラウンドのコートを使って練習している為、こちらは今日も遅くまで練習である。
「あれ? 鳴海?」
「おかえりー」
二人は校門前に出て15分程待っていると、ミーティングを終えた浬と侑子が出て来た。どうやらこちらも二人の様だ。
「書類出しに行ったら、丁度終わりなんだって」
「ああ、成る程」
「帰りに前の喫茶店寄って帰ろ?」
「そだね」
4人は中学校の前にある、少し小洒落た喫茶店に入っていく。本当は海瑠は帰りたかったのだが、鳴海と侑子に引っ張られて強引に連れて行かれた。
それが、一つの運命の分かれ道だったのだろう。そうして一時間ほど浬達姉グループは海瑠を弄りながらパフェを食べてドリンクを飲んで、一同は席を後にする。
「やっぱりあそこのパフェ美味しいよねー」
鳴海が満足気に呟く。実に幸せそうだった。だが、そこで異変に気付く。海瑠の顔が真っ青なのだ。
「海瑠くん? お腹壊した? さっきのお店冷房ガンガンに効いてたし」
「え?海瑠、あんたどうしたの? 真っ青じゃん」
鳴海の言葉に、姉の浬も気付く。だが、海瑠にそれを返せるだけの余裕は無かった。
「ひっ!」
目があった。海瑠は本能的に、それを察知する。相手までの距離はまだ300メートル程あって、人間の目では決して、視線が合うという事が無い距離だ。
そんな普通に考えればありえない現象に、兄が言っていた逃げろ、という言葉が、頭の中で木霊する。だが、それでも、動けなかった。
「どうした!」
いきなり怯え出した海瑠に、侑子が問い掛け、そして、海瑠が見ている方向を見る。すると、そこには2メートル程の隻腕の大男が居るだけだ。彼はゆっくりと、こちらに歩いて来ていた。
だが、海瑠だけは全てを見ていた。その隻腕の大男は、なんと100メートル以上もある高いビルの上から平然と飛び降りて、そのままこちらに歩いてきているのだ。
「奴の弟妹がどんな化物か、と思ったが・・・やっぱ所詮あれがバケモンなだけか・・・」
「貴方、海瑠に何かしたの!」
浬も異変に気付いて、目の前でぶつくさとつぶやいていた大男に問い掛ける。男は浅黒い肌の、金の髪を持つ隻腕の大男だった。そうして、彼は立ち止まると、口を開いた。大きな、銅鑼の様な声だった。
「よう、気を付けろや。お前の兄貴は今は居ねえ。あんま、下手な行動にでっと、気付かれんぜ? 兄貴から言われなかったか? 逃げろ、ってな」
「え・・・どういうこと?」
「え? どうして、それを・・・」
「はん、やっぱりな。てめえ、何か持ってるな?」
どうやら、これは大男のカマかけだったらしい。浬の理解不能な顔と海瑠の反応を聞いて、大男が楽しげな笑顔を浮かべる。
彼は海瑠の魔眼について聞いてはいなかったが、カイトの施したコントロールの跡に気付いて、何かを隠している、と気付いたのだ。それ故のカマかけだった。
「しまっ・・・」
海瑠のしまった、という表情に、大男がため息を吐いた。もう遅すぎだった。そうしてため息一つで、頭を振った。
「はぁ・・・まあ、いい。忠告しておいてやる。逃げろ、今すぐな。ま、つってももう遅えんだけどな。まあ、せいぜい助け来るまで逃げ回れや。おりゃ、お前らで釣りさせてもらうぜ」
大男は残る片手を上げると、それをひらひらと振ってそのまま背を向けて大股に歩き去って行く。
「あ、ちょっと!」
唖然としている内に通り去って行った彼に問おうと、浬が振り返る。だが、そこにはもう誰も居なかった。
「居ない・・・一体、今のは・・・」
周囲を見渡しても、何処にも居ない。直ぐに分かる筈の大男なのに、まるで初めから居なかったかの様に、誰も居なかった。
いや、居ないのは彼だけではない。さっきまで入っていた筈の喫茶店にも誰も居なくなっており、中学校を見てもサッカー部の生徒達が大声で号令を掛け合いながらボールを蹴り合っていたグラウンドは静まり返っていた。
「何・・・これ・・・」
その違和感は、他の二人も気付いた様だ。侑子が訝しんだ声を上げる。だが、三人が周囲を見渡しても、人っ子一人居なかった。
「来る・・・」
そこに、海瑠の声が響いた。
「にげなきゃ・・・逃げないと!」
海瑠の大声が響くと同時に、ついに恐怖が姿を顕した。
「みぃ~つけた~。美味そうな奴、久方ぶりのごちそう見っけたぜ~!」
ずしん。一歩歩くだけで、地響きが鳴り響いた。そうして現れたのは、一匹の鬼。体長3メートル程の鬼だった。
「何・・・あれ・・・」
浬が呆然と呟く。当たり前だ。あまりに、非現実的過ぎた。だが、この中で唯一、心構えが出来ていた者が居る。兄からずっと、怖い何かに気付かれたのなら、逃げろ、と言い含められていた海瑠だ。それが今だ、と本能的に悟ったのである。
「お姉ちゃん! 侑子さんも鳴海さんも、急いで!」
姉の手を取って、呆然と成る姉の友人たちに声を上げて、海瑠が走り始める。
「・・・あ、あぁ! 行くよ、鳴海!」
「え、あ、待って!」
侑子が最後まで呆然と成る鳴海の手を引いて、走り始める。そうして、鬼の笑い声が聞こえる。
「うお~! マジか! 今まで数人食ってきたけど、逃げてくれる奴がいんのか!」
食った。何をなのか、海瑠達は聞きたくなかった。走り始めた海瑠達は、鬼には通れない様な建物と建物の間へと入り、逃走を開始する。そうして、壮絶な鬼ごっこが開始されるのであった。
お読み頂き有難う御座いました。次回はまた来週土曜日です。