第108話 晴れやか
翌日。思い切り泣いた事が良かったのか、浬は晴れやかだった。
「う、うーん! はぁ・・・」
そんな浬はホテルのベッドの上で目を覚ました。が、戻ってきた記憶が無かったらしい。首を傾げていた。
「・・・あれ・・・いつの間に戻ってきたんだっけ・・・」
『よーう、おはようさん』
首を傾げていた浬の所へと、カイトが小鳥の状態で片手を上げる。勿論、彼が部屋へと運んだのである。と、そうしてそんなカイトに昨日の自分の痴態を思い出したのか、一気に浬が赤面して、枕を投げた。
「うきゃー!」
『うぶっ』
枕に当たったカイトが潰れる。と、更に追撃で浬がカイトが押し潰されている枕の上へとダイブした。
『ぎゃあ! 潰れる!』
「忘れて! 絶対に忘れて! 昨日の私は無かった事にして!」
『オレの存在が消える!』
「! そうだ! 所詮偽物なんだから、消せば良いだけだ!」
浬がはっとなって、カバンの中に潜ませていたカードの束を探し始める。本気で叩き潰すつもりらしい。が、残念ながら、そうは問屋がおろさない。
『潰したらこの使い魔の記憶は全部保存されて本体に送られるぞ。万が一に備えて記憶が塊になって保管される様にしてるからな』
「んなっ・・・」
がさごそとカバンを漁っていた浬が愕然となって手を止める。ちなみに、叩き潰せばそれが塊になるだけで、カイトの本体が帰還した折りにはこの使い魔の記憶は全て本体に回収される事になる。
「じゃあ、いっそその塊ごと消し飛ばせば・・・」
どんより、とした様子で浬がカードを選び始める。どうやらフェルから禁じ手として言われている属性のカード三枚組も考えている様子だった。が、それぐらいわからないカイトでも無かった。
『ああ、全部無駄だぞ? 破壊される時には物を収納している異空間が崩壊する力を利用して、とある場所の保管庫に異空間の中身含めてそっくりそのまま移動する仕組みだからな』
「ぐぬぬ・・・この妙な愛らしさが今は憎い・・・」
小鳥の様相で偉そうにするギャップに、浬が臍を噛む。流石に小鳥相手に暴力を振るうのは憚られたらしい。先程までのは暴走していたから出来た事、なのだろう。
『ま、久しぶりに甘えてくれてお兄様としては、満足だった』
「ちくせう・・・永遠の汚点・・・お兄ちゃんの胸に縋り付いて大泣きするなんて・・・」
ずーん、と浬が落ち込んで、膝を屈する。相当に恥ずかしかったらしい。と、そんな浬のお腹から音が鳴り響いた。当然、腹の虫の音だ。泣き疲れて眠る程に大泣きして、しかも昨夜の夕食は勿論まともに食事なんて食べていない。お腹が空いたのは当然だった。
「うぅ・・・お腹空いた・・・ご飯・・・」
『そうだな。飯食っとけ。どうせお前ら全員まともに飯食えてないんだから』
ノロノロと浬が再び立ち上がって、上着を脱ぐ。昨日あのまま眠ったからといって、あの一件そのものがお風呂に入って眠る支度を整えてからの話だ。なので着替えないと外を出歩く気にはなれなかったらしい。
ちなみに、寝間着はジャージだった。浬は結構サバサバとした性格なので可愛らしい寝間着を着て、という事はなかった。かといってネグリジェは恥ずかしいので嫌、とジャージを好んでいたわけであった。
というわけで、ジャージの上着を脱げば、最近成長著しい彼女の胸が露わになった。最近更にブラがきつい、とは彼女の言である。何気に最近は鳴海を超えたらしい。鳴海が悔しがっていた。と、そんな浬がそこではたと気付いた。
「・・・って、なんで居るの! 出てって!」
『あっと・・・じゃ、外で待ってるからなー』
いっそ眼福とでも茶化してやろうか、と思ったらしいカイトだが、浬の焦った様子を見ながら、今日は止めておこうとそのままスルーする事にする。そうして、その後。着替えた浬は朝食を食べに行くのだった。
さて、一方、その頃。実は大会は地区予選を突破出来た時点で、近くのホテルに宿を取って綾音が応援に来てくれていた。幸い彩斗はほとんど不在だ。家を空けても問題はなかった。が、やはり朝一からは来れないし同じホテルに押しかけるのは論外だ。なので、別のホテルで海瑠から電話を貰っていた。
『ふーん・・・じゃあ、大丈夫そう?』
「うん。さっきお腹空いたー、ってホテルのレストランに来て今バクバクご飯平らげてるとこ」
『あはは。じゃあ、大丈夫だねー』
海瑠からの言葉に、綾音が笑う。流石に昨夜はバスケットボール部の部員全員が敗北のショックから食が細くなってしまっていたが、どうやら各々泣いたりして色々と気が済んだらしい。逆に昨夜食べれない分を今取り戻しているかの様に、お皿に山盛りにしていた。
ちなみに、ここのホテルはビュッフェスタイルなので食べ放題である。食べ盛りのスポーツ少年少女の為を考えた運営側の配慮で、ビュッフェスタイルのホテルを選んでいたらしい。
「で、お母さんどうするの? 一応、予約今日も取ってたんでしょ?」
『海瑠達はどうするの?』
「一応、閉会式には出ないといけないから・・・でも、今日はどうなってるんだろ。そこまだわかんない。でも多分、帰る、って事にはならないと思う」
『ふーん・・・お母さんは今から予約キャンセルしても多分全額持っていかれるから、今日は多分こっち泊まる。さーくんにはきちんと言ってるし。観光でもしとこっかな』
海瑠はどうするかはまだわからないが、どうやら綾音はどうせなら、と観光でもするつもりらしい。こう言っては悪いかもしれないが、茨城県は東京から近いが用事が無ければ普通の主婦がわざわざ出かける様な場所でも無いだろう。特に天神市に住んでいれば大抵の物は市内で揃う。確かに、観光の機会としては良い機会なのかもしれない。
「そうしなよ。僕らも多分今日一日はフリーだしさ。もし観光しても良いなら、するかもだし・・・」
『そっか・・・お金ある?』
「一応、ちょっとだけ」
『程々にね』
「うん」
綾音の言葉を受けて、海瑠が頷く。とりあえず彼は母が浬の事を心配していたので、電話しただけだ。彼はそもそもマネージャー。確かに少しの悔しさはあったが、それでも浬ら程悔しいと思う事はなかった。
「・・・うん。大丈夫かな」
電話を終えた海瑠は、改めて浬を確認する。何時もより多めに食事を皿に盛った彼女は、いつも通りに席に座り、フェルの横――彼女は生徒会所属にされた為公として来ていた――でご飯を食べていた。
「・・・意外とフェルさんって配慮出来るんだ・・・」
『良い女だからな、あいつは』
「お兄ちゃん。どうしたの?」
『浬に追い出された』
「あはは」
自らの肩に止まった兄に、海瑠が笑う。結局あの後浬の着替えを待ったわけだが、恥ずかしさを取り戻した彼女によって追い回され追いやられたのであった。
というわけで、今も密かに浬らの横で朝ごはんとして小型化してパンケーキを摘むヴィヴィアンとモルガンに浬と侑子の補佐を任せてこちらに来た、というわけだ。
「・・・僕もさ。ああいう風に運動とか出来たら、良かったのにな」
『うん?』
「なんでもないよ」
『・・・そうか』
海瑠の言葉に何処か羨ましそうな口調が滲んでいた事に、カイトは気付いていた。だが、それはよしとして、流す事にした。海瑠とてマネージャーの仕事が重要である事は理解している。だが、やはり試合で悔しそうな涙を流す姉を見て少しうらやましくはあったのだ。
とは言え、それは言ってもどうにもならないことだ。彼はマネージャーで、選手ではない。そしてマネージャーの仕事は存外気に入っているらしい。なのでこのまま卒業までやり通す、との事だ。そうして、そんな海瑠は彼も再び朝食を食べ始める事にするのだった。
さて、世界は当然だが、一度に一つの事件しか起こらない様にするわけではない。事態が複雑に絡み合う事だってある。
「・・・頼めるか?」
「おぅおぅ、良いぜ良いぜ。まぁ、私としましては最近の張り合いのないこの世の中に彩りを与えたい所存でごぜーますし? その彩りの為とありましては聞かないはずもなく。更にはこの世の中にはなんぞ真っ青な顔が真っ青に染まる様な楽しげなお方もいらっしゃるごよーすじゃん?」
千方の前には、一人の男が立っていた。いや、男だと判断出来るのは声でだけだ。姿形はどういうわけか、現実の空間であるにも関わらずモザイクの様にぼやけていた。
声そのものにしたってお調子者の様子があるだけでまるでぼやけてイマイチ把握出来ない。例えるのであれば、声そのものにモザイクが掛かっている様な感じだ。魔術なのかは不明だが、これではもしかしたら男に聞こえているのだって確かではない。
「ほいで? 俺っちとしてはどうすれば言い訳さ」
「それは・・・」
千方は何事かを、伝えていく。確かに、千方は絶大な力を取り戻して一人で十分日本に危機をもたらせるだけの力を手に入れた。が、それでもそれに驕って起きた結果が、前回の平安時代の失敗だ。なので彼は意外と油断がなかった。
「おうおう・・・じゃあ、ちょいとやって来ますけど・・・あんた、それで良いの?」
「構わぬ。お主も恨みが無いといえば、嘘になろう」
「別に無い・・・んだけど、世の中面白おかしく出来るのならそれが最善ですよねー」
口調も一人称も何もかもが安定しない男らしき人物は千方の問いかけに心の底からどうでも良さげに切って捨てると、打って変わって楽しげにそれの方が楽しいのなら、と彼からの依頼を受け入れる事にする。
ちなみに、男らしき人物の声が途中で声が女声にも変わっていた所を見ると、最早男であるかどうかさえ疑わしくなっている。が、そんな男に千方は何かを頼んでいた。そうして、この完全に謎の人物が動き出して、遂に事態が動く事になるのだった。
そんな事件から、数時間後。彩斗の私物のスマホに一つのメールが入ってきた。
「うん?」
メールの件名は無く、送り主は綾音だった。別に綾音がスマホにメールしてくる事は何らおかしい事ではない。時には間違えてメールをしてくる時だってある。
なので彩斗は丁度仕事が一段落出来た事もあって、密かにスマホを取り出してメールを開いて、思わずスマホを取り落とす事になった。
「どうした?」
唐突に真っ青になった彩斗を見て、桐ケ瀬が目を見開いて問いかける。
「・・・悪い。今すぐ三柴さんとこ行ってくるわ。多分、今日はそのままおりゃ戻らん思うといて」
「・・・わかった。気を付けてな」
何かがあった。それを、彩斗の顔から桐ケ瀬は悟った。それも最悪に位置する部類の話が、だ。そうして、一同の心配する様な視線を背に、彩斗は三柴の下へと向かった。
「・・・どうした?」
「すんません・・・内密に頼めますか」
「・・・ああ」
彩斗の顔色と顔付きから、三柴は何か重大な事があった、と理解して即座に人を下がらせる。そうして、三柴の前に彩斗は開いたままのスマホを提示する。
「っ! これは!」
見て、三柴の目が見開かれる。映っていたのは、何処かに囚われているらしい綾音だ。そして短く、こう記されていた。それを、三柴が読み上げた。
「彼女の命が惜しければ12時までに指定の場所まで来い・・・財閥に伝えても構わない・・・だが、遅れるな。遅れれば、彼女の命は無い・・・」
「すんません・・・早退、させて貰います」
「ああ。今すぐ社を後にしろ・・・俺が今から救援の手続きを整えてやる。だから、早まったマネだけはするなよ」
「・・・はい」
大急ぎで各所への連絡を送り準備を整え始めた三柴を背に、彩斗は覚悟を決めてその場を後にするのだった。
このメールは、当然だが近くに居るはずの浬・海瑠姉弟にも届けられていた。彩斗は別に送られていたので知らなかったが、あのメールは二人にはBCCで届けられていた。
「嘘・・・」
ホテルの部屋で休憩していた浬が、思わずスマホを取り落とす。母が囚われたとなっては、平気では居られなかった。
「お兄ちゃん!」
『んだよ・・・』
この時、カイトは何が起きているかは知らなかった。なので胡乱げに唐突に声を上げた浬に対して問いかける。が、そうして差し出されたスマホの画面と、同じように真っ青に顔を染めた海瑠の顔に、全てを理解した。
『・・・な・・・に・・・?』
カイトでさえ、おそらく人の形態をしていれば顔を真っ青に染め上げただろう。そうしてついに、天音家への千方の襲撃が始まったのだった。
お読み頂きありがとうございました。




