第三話
―1―
「さて……何気にそこまで酷いことにならなかった大人二人を宿屋のそれぞれの部屋にぶち込んで寝る準備を整えたわけだが、俺達は今から色々なことがあった今日一日のことをまとめた会話をしようと思う」
「いやなんでそんな事務的っつか説明口調なんだよ、てか寝ろよ」
「うわぁ、ベッドかったいね……まぁ寝れないことはないけど、ちょっとアオ、筋肉枕にしていい?」
「おい待てやめろ入ってくんな服ねぇからってワイシャツのボタン二、三個外してはだけた状態で入ってくんなてか何この絶妙な目線位置なんか超際どい! てかなんでお前袖余ってんだよおかしいだろ!」
「あ、これタカが貸してくれたー」
「なんっでタカのヤツをお前が着てんだよ汗とか気にしろよ! てかなんで貸したんだよタカよぉ!?」
「んー、まぁ自分のじゃないからなんか気になんないし……あ、パンツはちゃんと、穿いてるよ?」
「聞いてねぇから! 裾を軽く持ち上げて見せようとしなくていいからな!?」
「お前らうるさいぞ……眠れん」
「あれ!? 会話すんじゃなかったっけ!? っておいリョウ! オレの腹枕にしていいって言ってねぇからな!?」
場所は宿屋の一室。
すでに夜も遅く、人の眠りも深くなる頃だが、若い彼らにはそんなことは関係がないのか、至って元気な様子で隣室の客などお構いなしに騒いでいた。
三台のシングルベッドが並ぶ部屋ではしゃぎ、じゃれ合うその様子はまさに修学旅行時の落ち着き無き男子生徒達。
勝手知らぬ異世界初日の夜でありながら、まるでホームであるかのように振る舞う彼らは自由そのものだった。
「では現状確認を始めようか」
「ちょい待てっての! おいリョウ、暑っ苦しいから離れろ!」
「ちぇー、枕固いのにー」
不満気に唇を尖らせる暁良を突き放し、真ん中のベッドに押し戻すことに成功した一葵が安堵するようにため息をつく。
ちなみに、言わずもがな可愛らしい顔をしている暁良の格好は、サイズの大きいワイシャツ一枚である。彼曰く下着を穿いているということだが、大きめのワイシャツによりそれは見えない。
そして小柄な体格は華奢とも言い換えることが可能であり、今の姿を一見しただけでは性別を見極めることが難しい人間もいるだろう。
端的に言えば、少女に見える。
寝ぼけている状態では判別が難しい程度には。
紫鷹と暁良にヘタレと明言されている彼にとって、寝起きに少女の顔――所持者は男――はとても心臓に悪かった。特に瞼を上げた際に目の前にその顔が有った時には思わず叫び声を上げかねないくらいに、刺激が強いのだ。
とりあえず寝起きドッキリが起きかねない状況を回避したことにより心中で安堵のため息をつきながら、一葵は左肘を立てて枕にし、体を横にしながら紫鷹の方を見る。
この位置からは、真ん中のベッドに戻り横になった暁良、その向こう側で壁を背にしベッドに座る紫鷹の顔が見て取れた。
「あー……で? 今日のことの確認すんだっけ?」
「ああ。軽い物だがな」
「えっと、学校行って、その帰り道に黒い球を見て、いつの間にか異世界に来てて、カニとエビ倒して、オジサンに連れられてこの街へって感じ?」
「おい、なんか一息で終わっちまったぞ。付け加えるなら今夜の宿代オッサンの奢りで宿泊ぐらいか?」
「まぁ俺もそんなものだろうとは思うが……本当に話したいのは、異世界に来た方法に関してだ」
「あー」とベッドに横になりながら紫鷹の言葉に同意する二人。
異世界に居ること。これは魔法やファンタジーな人種をその目で見たことでもうどうしようもない事実としか思えず、さらにはその異世界からどうやって元の世界に帰るか分からない。
故に、帰るための糸口と成りうる、何が原因で世界を渡ることになってしまったのかを考える。
そうなると、彼らの頭に浮かぶ答えは自然と一つしかなかった。
「んー、あの黒い球体が僕達をこの世界に引き込んだくらいしか思い浮かばないんだけどなぁ」
「あれほど強烈なのはねぇだろ、あの後の耳鳴りを含めてもよ」
「まぁな……だが、その二つのことを考えすぎてミスリードが起きる可能性もある。今断定してわざわざ視野を狭くする必要もないだろう」
「そりゃそうかもしれねぇけどよ……かと言って、他になんかあんのか?」
「そうだな……例えば、俺は耳鳴りの後に妙な場所にいる少女を見たんだが」
「「ごっふぉっ!?」」
「……どうした、お前ら」
あからさまに身に覚えがありますと表明してしまっているようにむせる二人を、紫鷹は呆れるような視線を向けて眺める。
そして思う。やはり隠していたな、と。
長い付き合いである。
親の話からすれば、生後半年前後からの付き合い。
その長さと比例するように、顔を突き合わせる期間、頻度は多くなる。何かの隠し方、誤魔化し方くらいは互いに把握していてもおかしくない。
そして隠し事の一つや二つで気分を害する程の付き合いの密度でもない。
故に自身と同様、海岸で目覚める前に誰かに有った記憶があったことを隠していたとしても、そこに問題は無い。
問題が有るのは、二人が誰に会ったか、だ。
「黒髪の少女だったか?」
「けほ……うぇ? 黒髪? 僕は金髪の人だったよ?」
「黒に金? 白じゃねぇの? ……あ、いや、あれは銀髪か……? ……そんで、耳、有ったよな? 頭の上に、犬みたいな」
「「無い」」
一葵の言葉を強く否定する紫鷹と暁良。
しかし、思い当たる存在をすでに彼らは目にしていた。
「……だが、ということはアオが見たのは、この世界の住人ということになるのかもしれないな。獣人は、街を歩いている時に見かけた」
「だねぇ、なんか猫系が多かった気がするけど」
ギルドや宿屋、酒場。そしてそれらに向かう際、確かに獣人と呼ばれるカテゴリに含まれそうな、人のものではなく獣の耳を頭に付け、尾を持つ者達の姿を見ていた。
中には全身を毛に覆われている顔が狼のような存在もおり、地球の常識的に一体どういう体の構造をしているのか紫鷹は気になって仕方がなかったことは余談であるが、とりあえず一葵が会ったという少女は自分達の世界の住人ではないと仮定する。
しかし、もしその少女がこの世界の住人であるとしたら、何故異世界に来る前に会うことになるのか。
「あいつがオレ達を引き込んだ……? いや、ありえそうな気もするけどよ……」
「俺の所もありえそうな気がするが……しかし、やはりまとめるための情報が少ないな。分かってはいたが、答えは出なさそうだ」
「だねぇ。ちなみにアオ達さ、会った時何された? 僕胸に腕突っ込まれた」
え、と暁良の言葉に紫鷹が少々体を緊張させる。
胸に腕を突っ込まれる。
想像すれば中々にショッキングな光景だが、紫鷹が体を硬直させたのはそういう理由ではない。
誰が、誰に、何をしたか。
暁良は、金髪の少女が、自分の胸に、腕を突っ込んだと言った。
何故今の暁良が無事なのか疑問に思う所でもあるが、紫鷹の脳裏では別のことで嫌な予感が過ぎっていた。
その確認のために一葵に問いかけようとして、それを先取りするように答えが提示された。
「腕突っ込まれるってすげぇな……オレは腕食い千切られたぞ」
「食い千切られたの!? それもすごくない!?」
「いや、すげぇけど……なんでか治ってんだよなぁ、服も破れてねぇし。しかもその後の記憶はねぇし……おいタカ、お前は何され――」
「ただいま電波の届かない所にいるか、普通に寝たいと思っているため、聞く気がありません。発信音は存在しませんので、ご用件をお話しないでください。ピー」
「オイちょっと待てツッコミどころが多いぞ!?」
「ダメだよもっと電子音っぽくしないと! ピーだよ、ピー!」
「お前ずれたツッコミすんじゃねぇよ!? 今重要な所そこじゃねぇぞ多分!? てかタカ、お前どうした!? なんでいきなり寝るモードなんだよ!?」
瞬時に固い寝床を下に、頭から薄布を被って視覚も聴覚も遮断。
されど流石薄布、音も灯火の明かりすらも通す低遮断性能。紫鷹は久々にガッデムと叫びたい心境に駆られた。
ちなみに前回叫んだのは二年前の秋最後の焼き芋を紫鷹達三人プラス紫鷹の妹でジャンケンをして勝利したものの、泣き落としで妹に取られ八つ当たりに一葵の脇腹をブローした時の掛け声である。気合の入ったガッデムだった。
しかし、現状の引きこもり要塞レベルでは耐え切ること無く崩壊し追求の魔の手から逃げ切ることは不可能と判断。
紫鷹は、切り札を使うことにした。
「……一刻も早く寝なければ起きた瞬間リョウの顔を目の前に見ることになるぞヘタレ」
「ヘタレ言うんじゃねぇよ! でもオレも眠くなってきたから寝るぜおやすみ!」
「どういうこと!? なんで僕の顔を真正面に見ることで脅しみたいな効果が発揮されるの!? ねぇアオどういうことなの!? ねぇ!?」
紫鷹同様に薄布に包まり、体を揺すってくる暁良を無視する一葵。
寝起きのドッキリを防ぐためならば、現在の友情を捨てることも厭わない。
というか本気で心臓に悪いから見たくない。
しかもそれが本物の女ではなく男の顔で起きる現象とか嫌。
前例を体験したことのある一葵に、紫鷹の脅しに屈しないという選択肢はなかった。
というわけで残るは女顔の騒ぐ少年一人。彼への扱いは、親友達の中で共通である。
「リョウ、早く寝ないと顔面中心に殴るぞ」
圧倒的不条理だった。
「何故理不尽な暴力宣言!? しかもなんで顔中心!? 僕の顔になんか恨みあるの!?」
「すり下ろすぞ」
「殴られるよりひどいんですけど!? あーもう、いいよいいよ、僕も寝ますよ! あ、明かり消すねーおやすみー」
「「おやすみー」」
先程まで騒々しかったにも関わらず、寝るとなれば一転。油で灯されていた明かりが消えると、少々の衣擦れの後には静寂が訪れる。
漂うのは穏やかな吐息の音。
騒いではいたものの、やはり今日一日色々とあったために隠れた疲労があったのだろう。
一葵も暁良も、今しがたまではしゃいでいたにも関わらず、熟睡とは行かずともそう時間を置かずに微睡みへと至っていた。
元々寝付きがいいということもあるが、それはいつもより存分に早い。
そしてそんな二人とは裏腹に、顔にかぶせていた布をどけ、暗い空間で天井を見つめる男が一人。
完全に目が覚め、眠れるような状態ではない彼が考えていることは、たった一つ。
あの黒い空間で、己の口腔を鉄の匂いで満たした時のこと。
何故自分は〝される側〟ではなく〝した側〟で、しかも〝童女を相手〟になんてことをしたのかと、一人悶々としていた。
もっと話に出すべき重要そうな事柄が有ったことなど露とも考えず、考えないようにして考えてしまう、どうしようもない時間が過ぎていく。
眠れぬ夜は、長い。
―2―
「キノコ系のお土産よろしくねー」
「果物でもいいぞー」
「オレ川魚ー」
「てめぇら今から行くの海近辺だって分かって言ってんだよなぁおい!? てかカニ共の殲滅に行くのにお土産要求すんのか!?」
「確かにお土産に山の物は微妙だねぇ……セリアル、アタシは真珠でいいよ。黒いの」
「海関連だったとしてもなんで一緒に行くお前がプレゼント要求すんの!? しかも黒か白か重要なの!?」
「女心ってやつを分かってねぇなぁ、てめぇってやつは。男なら黒真珠の山一つ二つ分くらい唾を吐くように渡すもんじゃねぇか。アタイはそれでもフったけど」
「気軽に渡すって言いたいのかもしれませんけどその表現明らかに印象悪いんですが!? そして基準値が明らかに高いんですが!? てか貰ったことあるとか半端ねぇけどそれでフるジーンさんもぱねぇ!」
異世界二日目の昼。
どこまでが本気なのか分からない騒がしいやり取りを終え、大量発生モンスターの討伐に向かう特に二日酔い等が見られなかったセリアルとレイデ、そして陣頭指揮的役割らしい荒ぶる受付嬢ジーン・ヘイリネスが率いる総勢約二百の冒険者集団が出発する姿を見送る紫鷹達。
ぞろぞろとゴツい装備と人相を携えた輩達が道を進んでいく様はまさに進軍。されど足並みを揃えず、騒がしいのは自由奔放な気質を持つ冒険者ならではか。
二百の中でナリオレンを拠点としている冒険者は五十。それ以外は他の街から大量発生の話を聞いて集まってきた、もしくはジーン自身が王都より連れてきた冒険者達という混成集団だが、特に仲が悪いような様子は見られず、少々騒がしくなろうともライバル視したチームが顔を合わせて気合が入った程度のこと。
ギルド加入時の説明通り、見た目は荒々しくとも問題を起こすような性格の存在が少ないということだろう。
彼らの内に暗い雰囲気を持つ者は居らず、それどころか、皆これから対峙するであろう獲物に期待し、士気が上がっているようだった。
確かにモンスターが大量発生したということは、生き残り効率よく狩ることができれば、大量の素材を売って稼ぐことができるということでもある。
素材の値崩れが起きる可能性もありそうだが、金にはなる。稼げる時に稼ぐという考えを持つ冒険者は、殊の外多いのだ。この遠征に参加する時点で相応の報酬が約束されているという話であったため、それが楽しみでもあるのだろう。
「変な奴に絡まれんなよ!」という言葉といらないと言ったはずの一週間分の食費と宿泊費を律儀に置いていったオッサンと「帰ってきた時どれくらい魔法が使えるようになってるか楽しみだねぇ」と妙に上げたハードルを残していった魔法使いの二人は稼ぐことに関して特に思っていることはないようだが、この一仕事を終えた後に来ることになっている休みの方を期待しているようだ。
特に、レイデは「空いた時間で色々と試さないとねぇ」と〝何〟を試すのか明言せず、獣が生きの良い獲物へと向ける目で三人の少年達を捉えていた。
実験に付き合うことはやぶさかではないが、モルモットは勘弁。帰ってきた後は夜道に気をつけておこうと、三人は心に決めた。
そして、特にトラブルもなく見送りを終えた現在。
遠征に付き合わなかった紫鷹達は、ナリオレンの街を囲む壁の外へ出ていた。
「やっぱ一日は色々情報収集に使った方がよかったんかねー。森ひれぇわー」
「分からないことも色々あるしねぇ。あ、イノシシはっけーん」
「イノシシ……いや、フォルムはイノシシだが六本足で一本角持ち……まぁいいか。逝ねイノシシ」
「ブヒュアッ!?」
とりあえず見かけたので体高が人程の大きさに及ぶ体を持つイノシシ的生物の頭蓋を、紫鷹は樹上の高みより繰り出した踵落としで難なく蹴り砕く。
力無く全体重を大地に任せたことで少々の揺れを起こす肉塊を眺めながら、脚撃により運動エネルギーが零になったらしく、一瞬空中で静止し紫鷹は軽く着地。
攻撃を加えたイノシシは頭から血を噴出しているが、一撃では絶命に至らなかったようだ。
ピクピクと四肢を痙攣させ、口から泡を吹いている。鳴き声が完全に呻いているように聞こえ、状態を見た限りではそれほど時間を置かずに死に至ることが容易に予想できた。これであれば止めをさす必要もない。
しかし、と何かを思い出したように紫鷹は右足を曲げる。先程の攻撃で、一体どれほどの負担が足にかかったのだろうかと。
されど、特に痛い所も違和感を覚える所も無いため、気にすることをやめて足を下ろす。威力といい丈夫さといい、随分と全容が計り知れない程に強化されたものだと、むしろ感心さえ抱き始める。
そんな中、二人の親友が上から音も無く飛び降りてきた。
そもそも、何故彼ら三人組がイノシシの頭上に居たのかと言えば、至極簡単な理由。
まるで歩き慣れた道のように、樹上を移動経路として利用していたのだ。
少しも揺らすこともなく、枝から枝へと飛び移るようにして。
現代日本であれば忍の生き残りと騒がれかねないが、本人達は至って平然とした様子で、たまに前転などしながら、樹上を駆け巡っていた。
「おー、軽く狩っちゃうねぇ、タカ」
「イノシシなぁ、あの頃は手間取ったもんだぜ」
「今は色々と勝手が違うがな」
横たわる巨体を暁良は物珍しそうにまじまじと見て、一葵は何かを思い出しているのか木々の隙間から窺える青い空を眺めながら、懐古の表情を浮かべている。
十八歳以下が着るべき聖服の内が一つ、ガクランを身に纏う彼らは、オッサンより渡された資金を小遣いにすべく収入を求め、ナリオレンから草原を挟み少々離れて存在している森の中へと来ていた。
異形イノシシが、本日一匹目の成果。
「んで、こいつランクなんなんかね?」
「さぁな……とりあえず回収して、ギルドで換金してもらえばいいだろう。あのカニとエビよりは弱いような気がするから……DかEくらいじゃないか?」
「流石に子どもでも狩れるっていうFじゃぁなさそうだしねぇ……あ、今死んだみたい。僕が回収するね?」
「ああ」
紫鷹へ断りを入れ、暁良が収納の魔法を発動し、イノシシの死体を回収する。
胴体に手を触れての行使だが、瞬く間に死体の姿は消え、残るのは割れた頭部よりこぼれたらしい血だまりのみ。むしろ手を伸ばす暁良の姿に違和感を覚えるほど、その場には何も無くなっていた。
使ったのは憧れの魔法……しかし暁良は感動というよりも不思議という面持ちで、自分の掌を眺めた。
「んー? やっぱり変な感じ……ま、いっか。にしても便利だねこれ。使えてよかった……絶対こっちの世界じゃ使えた方が便利だもん」
「世界関係なく便利だと思うがな。どれだけの物を入れられるのかは知らんが、狩った得物を気軽に持ち運べるというのは大きいな。……さて、一応血が出るように逝かせた訳だが、どうやら目論見は成功したようだ」
森の奥をいつものごとく鋭い瞳で眺めながらのんびりとそう語る紫鷹に、アオは楽しげな笑みを浮かべて別の方向を見る。
「おうおう、反応が速くてこっちは助かりますがねぇ……いや、ちょっと速すぎねぇ? てか数が多いのは良いとしても、一匹一匹よえぇんじゃねぇの? 気配駄々漏れな上に獣くせぇ。風上風下の知恵すらねぇのか」
「もしくは風上風下関係なしに取り囲んでるのかな……あ、囲んでるみたいだね」
少々物騒なことを口ずさみつつ、しかし彼らに慌てる様子は微塵もない。ただただ平然と辺りを見渡し、緩んだ空気を維持するのみ。
その姿はあくまで自然体。まるで待ち合わせ場所でのんびりと時間が過ぎていくのを感じながら、望みの相手と対面することを心待ちにしているかのような佇まい。
しかし、三人組が垂れ流す雰囲気とはあべこべに、姿を現したのは愉悦とは縁遠そうな、剣呑な様子の狩人達。音も立てず、遠くから囲みを小さくしているのは、灰色の毛並みを持つ頭胴長一.五メートル程の――イタチの群れ。
丸めのフォルム、柔らか気な体が近寄ってきているのを見て、仄かに和む。
そして首を傾げる。
「っていや違う違う! 和む所違う! 警戒する所だろコレ! なんか可愛いけど、縮尺やべぇし! 遠近法が馬鹿らしくなるし! 普通に囲まれてるし!」
「はっ、そうだった! 危ない危ない……もしかしたらフェレットかもしれないからね!」
「何の間違い警戒してんのお前!? たとえフェレットでも脅威度さほど変わんねぇんですけど!?」
「まぁフェレットはイタチの仲間で、それほど違いはないんだがな。フェレットの方が凶暴性が低いという話を聞いたことがあるが、暴れればどっちも脅威に違いない。というか、イタチの方が凶暴だろう」
「へぇそうなんだ。一つ賢くなったね、アオ!」
「そうだな、分かったからもうちょっと場所と状況考えてくんねぇ!? 今囲まれてんのよオレ達!? 狩ってやるって空気プンップンな感じでシューシュー言ってんだけどこのイタチ共!? ちいせぇならそれほどだっただろう威嚇もデカくなってそれなりに獰猛に見えんぞ!?」
一葵はツッコミに荒ぶりを見せる。しかしそこには明らかな焦りなどは見えず、ただただ日常の中の一つの行動のように、言葉を紡いでいた。
確かにイタチ達に囲まれている現状に危機感を覚えるのは普通なことだろう。しかし、この場に動揺を浮かべている者はなく、まるで当然のことを目にしているように、淡々と獣へと視線を向けている。
騒ぐ一葵でさえも、視線はイタチへと向け口だけを動かしている。
「まぁ落ち着け……確かにカニ共より俊敏かもしれないし、病気持ちかもしれない。気をつけろよ……リョウは上、アオは俺と下。行くぞ」
「「ウイッス」」
口調は軽い。けれど、紫鷹の掛け声でふざけた空気が一変。高まる戦意は雰囲気を引き締め、彼らを取り囲むイタチ勢が警戒を強めた。
別に身構えるなどして直ちに襲い掛かってくる体勢を取ったわけでもなく、ただただ自然な佇まいであるがしかし、囲まれていることを認識しているにもかかわらず口角を上げ、怯えを見せない三人に違和感を抱き、イタチの輪に少々の警戒が生まれていた。
しかし、それは悪手。
たとえ少しであろうと、警戒は体の緊張を生む。それは三人にとって、明らかな隙。
瞬きの間に、三匹が血霧と共に息絶えた。
瞬時に樹幹を難なく駆け上がり、葉陰に潜む一匹のイタチへ暁良が掌打により衝撃を浸透。毛皮と肉の下に隠れる内蔵を粗方破裂させ、口鼻から血を流し力無く地へと落ちる。
真正面に駆け、鉄塊の如く握りしめた拳を一閃。鼻面という障害物など意にも介さぬと押しつぶし、舞い飛ぶ血と牙を置き去りに、ひしゃげた顔のまま体躯が吹き飛ぶ様を一葵は見届ける。
背後に飛び跳ね、宙で体を捻りまさに断頭台より振りかかるギロチンを思わせる脚斧を繰り出し、反応出来ぬイタチの首を蹴り潰し大地へめり込ませる。
開戦の火蓋はイタチ勢の兵士絶命。
血の匂いを追い獲物を求め近づいた彼らが、自身が獲物であったことを自覚するのはこれより少し後、死を目前とした時だった。
「うーし、大漁大漁。金になんなくても肉だけでしばらく生きていけるぜ。毛皮剥ぎゃ、冬も越せるな」
「イヌも食べられるって言うし、イタチも食べられるよね」
「まったく、雑食な奴らめ……イヌは確かスジが目立つんだったか。イタチの方はどうすれば……いや、デカイ分肉も多く……あるのか? 案外細身だからな、こういう生物は……」
「考えつつも手が止まらないあたりタカらしいよねぇ」
「目聡く地面に落ちた牙とかも何かに使えるかもしれないとか無意識に考えて回収してるあたりほんっとうにタカだよなぁ」
「本当、タカだよねぇ」
「お前ら、俺の呼び名を何かの代名詞みたいに使うな」
和気藹々と楽しげに騒ぎつつ、地に倒れ伏す獣達を回収していく若者達。
一見遊んでいるようにも見える光景だが、イタチ達の死屍累々な姿がとても痛々しい。特に鼻を中心にして顔を押し潰され、牙が折れている姿は無残だった。主犯は三人組一の巨体である。
特に時間をかけずに殲滅し終え、死体の収納も終えた彼らは覚えたばかりの魔法で少々の水を生み出し手を洗う。
特に暁良と一葵の二人は手が血で汚れているため、本当に魔法は便利だと行使していた。
そしてふと、濡れた手を服に擦りつけて水気を取っていた男がいいことを閃いたような顔をして紫鷹を見る。
「この水、飲めんじゃね?」
「魔法で生み出した物は消えると言われたのを忘れたのかアホウ。現に手を洗った後の水は消えたし、地面や服に吸収された分も消えている。飲んでも体内から消えるだけだ」
「ああ、そうだった……って、じゃあオレ服で手を拭いた意味ねぇじゃん。服もすでに乾いてるしよ」
「そもそも行儀が悪いだろう……って、服に付いた水が消えた……? ……魔法の水で洗濯や食器洗いをした時、汚れを落とせれば汚れは取れたまますぐに乾くということか……!」
「アオ、なんかタカが一人ですごく感動してる」
「ほっとけほっとけ、家事が趣味に入る十六歳男子には思う所があんだよ」
にしても、と何やら珍しく目をキラキラさせている様子の紫鷹を無視しつつ一葵が続け、辺りを見渡す。
血やら毛やらが大地に散乱し、森の風景としてはグロテスクな装飾が施されていた。
しかしそのことにはそれほど思うことは無いらしく、ただ面倒そうに頭を乱雑に掻き、その仕草にどうしたんだろうかと暁良が首を傾げる。
「ちっと血の匂いが強すぎんな……下手したら森の奥からも寄ってくんぜ。街から距離あるにしても、つえぇヤツを近くに引きこむのはだめじゃねぇか?」
「あー、それはそうかもねぇ……でもさ、森の奥に強いのがいるのって普通なの? 森の浅い所に居ることとかってないの?」
「なくはないだろうが、この辺りでは奥の方が強いと思うぞ」
「お、正気に戻ったな、タカ」
「正気を逸した覚えは無いんだが」
酷い言いがかりだと一葵に非難の視線を向けながら、話に参加した紫鷹が暁良の疑問に答える。
「この世界でも一応人間……人系の生物が多く繁栄して文化を築いているのは見て知っているだろう。だが、繁栄のためにはとりあえず身の危険を感じないような安全な場所を作る必要がある。でないと安心して暮らしたり何かに励んだりできないからな。そして、自分達が暮らしている地域の近くに平和な暮らしを邪魔する存在や危険を孕む存在を放置する、というのはとても不安になることだ。お前も刃がむき出しの包丁を抱いて眠ったりしないだろう?」
「そりゃあね。彫刻刀持ったまま寝るアオとは違うよ」
「おい、オレを引き合いに出すんじゃねぇよ。普通はしねぇっつぅの、寝ぼけてたんだよ」
「バカは放っておけ」
「バカ呼ばわりやめてくれませんかねぇ!?」
「で、危険があるとそれをなんとかしようと考えるのは自然なことだ。なにより、あの街には冒険者が多々住んでいる。危険な生物を周囲から取り除くために使える人材として、冒険者は適任だろう」
「あー、なるほど。つまり近辺の珍しかったりやたら強かったりするモンスターは不安解消のために狩られるから冒険者が来にくい奥の場所に、で、その珍しかったり強かったりするモンスター達の代わりに弱いモンスターが近くに住み着くんだね。だからこの近く、ナリオレンが近い森の浅い所には強いのはいない、と」
「もちろん、弱いモンスターを狩りに浅い所に強いモンスターが出てくるということもありはするし、普通に強大な存在の傍でのんびり戦闘本能ギラギラのまま暮らしているということもあるだろうがな……警戒しておくに越したことはない。だがまぁ、あれだな……」
「あれだよね……」
「……んだよ」
意味深に続きを言わず、生暖かい視線を一葵へと向ける。
居心地悪そうに巨体持ちが顔をしかめ、何を言われるのかと体は動かさずとも心だけでも身構える。
経験則的に、この流れは何かからかわれるようなことを言われると悟っていた。
そして何より、己を見る二人の目だけでも、明らかに「こいつ何々だもんな」と言っているような物だった。
「「……ふっ」」
「なんでどうしようもねぇなって言いたげに鼻で笑ってんだよ言いたいこと言えよ内に溜め込んだもん素直に吐き出してみろよぉ!」
「「ド・エ・ム?」」
「なんでそうなんだよ明らかな理不尽じゃねぇか!」
荒ぶる一葵。きょとんとする暁良。ふぅと額に指を当ててため息をつく紫鷹。
初めは、暁良。
「え、だってこれまでの付き合いで今から僕達が言いそうなことって大体察せられるよね?」
続いて、紫鷹。
「つまりは、俺達がお前をからかうようなことを言いそうだと、お前は察していたわけだ。そしてそれを求めたということは……」
ちょっと溜めて、二人同時。
「「アナタハドエームデスネェ?」」
「片言うっぜ! 微妙に伸ばしたとことかめっちゃうっぜ! てかお前らうっぜ!」
「そうそう、俺達が言いたかったことはな、お前の体質についてだ」
「いきなり真面目風になるの!? てか体質ってなんだよ!?」
「いや、多分分かってるとは思うけどねー。あ、ほら。それっぽいの来た」
「は!? 何のはな……ちょ」
紫鷹と暁良の視線の先を見た一葵は頬を引きつらせ、ツッコミを途中で止める。
ツッコミを最中で止めるとは何事かという言葉を芸人の某かから受け取ることはおそらく一生無いだろうが、とりあえずイタチに囲まれていても平常運転でツッコミをしていた男が、それを止めたのだ。
異変は鼓膜を揺らす現象からでもすでに察することができる。
それは轟音。木々が折れ押し倒れる中で擦れる枝葉のざわめきと、地へ落ちる轟音を塗りつぶすかのように間の入らぬ重音。
察知するは、巨体かつ過重が、脇目も振らず森を駆け、木々のない空間を作り上げていく光景。
ちなみに、その音は徐々に増している。この事実はもう一つの結論を自ずと三人に教えていた。
「ふむ、これは中々な強敵の気配……少々気合を入れるか」
「だねぇ、怖い怖い。強い敵、怖いねぇ」
「……いや、この流れは非常に嫌な予感がするんだけどよ……一応聞くぞ、まさかオレのせいとは言わねぇよな、この何か」
「はっはっは、何を言っているんだお前は」
とても楽しげな笑い声。その横で小柄な少年もあははと笑っている。
その光景に、一葵は安心よりも不安を覚える。この流れは不味い。基本的に物事がすんなりと終わるような、簡単な物ではない。
現に、二人共目が笑っていなかった。そして、想像していた流れの通り、急に笑うのをやめたと同時に轟音の発生源の方へ視線を向け、いまどのような表情を彼らがしているのか一葵から見えなくなる。
そんな中、ぽそりと呟かれた言葉が、鼓膜を揺らす。
「流石に建設士は違うな……」
「真っ先に口に出したもんね……」
「なぁ言いたいことはっきり言えよ、なぁ!」
必死に訴えかけるも、二人の顔と意思は目の前の木々を押し倒して出現した巨大生物に向けられていた。
決して一葵の方を向かない。向いたら負けのように、向かない。
「何が来たかのかと思えば……巨大な、丸々とした、青色の、トカゲ……? まぁいいか、一応強そうだ」
「そうだね! じゃあとりあえず体勢崩した隙に頭部とか首元集中して脳か首の骨どうにかしようか!」
「ちょ、ま、俺置いて話進めんじゃ、ああもう邪魔じゃボケがぁ! ドラゴンに進化してから喧嘩売ってこいやクソトカゲがぁ!」
「ボゴォ!?」
頭胴長十数メートルはあるトカゲの自身に伸ばされた太い舌を一葵は右脇に挟んで捕らえ、反射的にライター並ながらの火力を持つ火を魔法で出し、舌下を炙る。
多少ながらも熱を感じ取ったのか悲鳴のような物を上げ、トカゲの体が硬直する。その隙を見逃さず、一葵は舌を逃さぬように力の限り引き締め――
圧力に耐え切れず、ぶち切れる。
「ボギャアアアアアア!?」
「うおっ!? なんだ、って鉄クセェ生グセェ!」
千切れた部分から血が噴出し、感情のままに行動して舌が締める圧力のあまりちぎれるなどとは一切考えていなかった一葵は思い切り頭から血を被る。
流石に動揺したのだろう、口に入らずとも唇に血が付いたため反射的につばを吐く姿はまさに隙そのものだったが、オオトカゲは悲鳴を上げて怯み、それに付け込むことができなかった。
餌を求め訪れた森の浅層。
程なくして嗅覚を刺激した、血の匂い。
巨体であることも作用し、強者として生きたオオトカゲにとって浅層のモンスターなど餌でしか無く、負傷しているのであれば森に住まう強者であろうと基本的にそれは変わらない。
そしていざ獲物にしてくれようと走り、対峙してみれば、一切の脅威も感じられない人間が三人。
野生により培った魔力を察知する能力で探ろうとも、餌共に魔力の気配は無く、特に恐怖も抱かない。
妙な違和感のような物が本能に囁きかけているような感覚がしないでもないが、空腹により駆り立てられた食欲がそれを塗りつぶした。
けれど、取るに足らないと襲いかかってみれば、数瞬の内に痛みを覚えたのはオオトカゲ。
餌同然と思い込んだ存在にダメージをくらったことが心に怯えを与え、そんな存在に怯えを与えられたという事実に、怒りを覚え視野が狭まる。
いつの間にかいなくなっていた他二人の存在など目もくれず、舌の痛みにより増長する苛立ちが怒りをさらに膨らませ、血を頭から被り嫌悪感を露わにしている一葵のみへと意識が集中し始める。
三人組を見つけ一度立ち止まった場所から一歩、標的へと歩み寄ろうと右前肢を上げる。
が、不意に地につけている左前肢が、体の外側へと強烈な衝撃を受けて払われた。
突然体を支えるための柱を失い、驚愕により固まった体では対応することも叶わず上半身を大地に打ち付ける。
何が起きたのかと視線を巡らせようとしたところで、トカゲの鼓膜が揺れた。
「なるほど……俺達の身体能力は、まだ限界が見えないか」
低く、感情が込められぬ声。
ただ現状を言葉にし確認しようとしただけの、一切の意思も垣間見えない、トカゲには理解できない言語。
意味など露とも知り得ない。
「であれば試しに一つ、技を受けてもらおう」
されど、突如として沸き立つは言い知れない、抑えきれない恐怖。
鼓膜が揺れる程に増していく、粘着質の不快な何かが体に巻き付いていく。思わずこの場からの一刻も早い退避に徹しようと考えさせられてしまうほどのそれの名を、トカゲは知らない。
言うなれば、殺気。
壊すこと、殺すことを強く意識し、意思として抱くことで放たれる気迫。
その濃密さからトカゲは自身との隔絶した実力を感じ取るも身が動かず、首に何かが触れたと感じた瞬間、その意識は呆気無く闇に落ちた。
―3―
騒々しく、一時たりとて賑わいを衰えさせない雑踏。その中を自身らで稼いできた資金を元手に買い食い等をしつつ歩く三人の少年達の姿。
焼かれた肉の刺さった串を数本持つ一葵や瑞々しい果物を齧る暁良、ジャムの塗られたパンなどを食む紫鷹など、三者三様にナリオレンの軽食を楽しんでいた。
「やっぱそれなりにうめぇなぁ。ある程度食事系の文化は整ってるってことかね?」
「まぁ不味い物を食べさせられるよりはマシだけど、もしかしたらこの街だけとか、この国だけとかってこともありえるんじゃない?」
「それも否定しきれないが、モンスターは食べられる物が多いらしいからな。食に余裕を持ちやすいのであれば、緩やかにでも発展はするだろう」
「ま、そりゃそうだわな……で、何処行く? てか何処向かってんだ?」
「聞いてなかったのかお前は……」
非難するような視線を向けられ、一葵ははっはっはと乾いた笑いを見せながら肉を一口。明らかに自分の非を水に流そうとしている様子に、紫鷹は呆れを含むため息を吐きながら前を向く。
イタチやイノシシなど、狩った獲物を冒険者ギルドにて換金することで得た金。一先ず色々問題が起きる気がしたオオトカゲに関しては出さなかったが、それ以外は全放出し、ある程度の資金を手に入れていた。
オオトカゲに至るまでに狩った彼らだけでもそれなりの金額に及び、一週間程度であれば宿も食事も普通に足りる程の物を、現状で稼げてしまっていた。
随分楽に稼げたという感想が脳裏に及ぶが、本来はもっと苦労するであろうことは想像に難くなかった。
自分達三人の身体能力はあのオオトカゲを余裕で圧倒し、さらにその上限を見せなかった程に強化されているのだ。普通のこの世界の住人がそれほどの力を有しているようには見えず、本当であれば強くなるために相応の鍛錬が必要だろう。
もちろん、紫鷹達が元の世界で何もしていなかったのかと言われれば否という答えが返ってくるのだが、それでも、人生イージーモードという思考には至れない。
何が起きるのか分からない、何が起きても不思議ではない。
それが彼らの異世界の認識である。
未だこの世界の常識を熟知していないため、そう簡単に油断はできない。もしかしたら、唐突に凶悪なドラゴンが街の上から降ってくるという可能性も否定しきれないのだ。
ならば、今よりもさらに鍛え、様々な状況に対応できるよう強くならなければならないと、彼らは気を引き締めていた。
人間は簡単に死ぬ。
だからこそ簡単に死なないように、色々と備える。
そのために、紫鷹は二人を街に連れだしたのだ。
「俺達は無手だ。一応技が使えることは確認したし、あのレベルのモンスターを相手にしても戦えることも知れた。それでも予期せぬ事態というのは起こり得るものだろう。だから、俺は今道具を揃えたいと考えて、お前らを誘ったんだ」
「あー……ああ、はいはい。そういやそんなこと言ってたな。でもよ、道具ってあれか? 武器とか防具とかか?」
「そうだ。それらが手に入らなくとも、せめてナイフくらいは欲しい。流石に素手じゃ解体が上手くいかないからな……あのトカゲ、早く食いたいだろう?」
紫鷹の言葉に、親友二人が確かにと頷く。
この三人、最後に狩ったトカゲは全部自分達で処理しようと決めていた。
理由は簡単で、明らかにカニよりは強いと意見が全員一致したためである。そんな存在を倒したとギルドに知られることを、彼らは避けたのだ。
はっきり言って、彼らにとって面白い面倒事であればまだいいが、面白くない面倒事は無用の長物なのである。
どれほどのモンスターをどれほどのランクの冒険者が倒せるのかという知識は彼らに未だ無く、それでも自然と「冒険者になったばかりのFランクが巨大トカゲを倒した」という情報が何かしらの面倒事を引き込み自分達を何かに巻き込む気がして、知らせないことにしたのだ。
そして、ギルドに知られてしまうような情報源を無闇に作りたくないと考えると、自ずと冒険者ギルド直属の解体屋や換金所などには持ち込むという案は論外になる。
であれば、もう悩むのも面倒だから手っ取り早く自分達で処理しようということになったのだ。
解体に関しては地球で鍛えられているため問題はなく、調理技術の方も問題はない。あるとすれば調理器具や調味料の有無。
解体と調理の末何かしらの素材が余ったとしても、帰ってきたセリアルやレイデを頼ればいいだろう。
収納の魔法によって保管される場所である異空間において、物の状態が変わらないことを聞いていた紫鷹は、本当に都合が良い魔法だと感謝していた。一週間経ったとしても鮮度が変わらないのだから、処理をいくらでも後回しにできる。
時間に余裕ができた時にでも取りかかればいいだろう。
紫鷹にとっては異空間の中が一体どういう仕組みになっているのか気になる所では有ったが、とりあえず使える物ではあるため、今の所は気にしないようにしていた。
「でもよ、武器はまだいいぜ? 少しなら扱えるからな。けど防具はどうなんだ? 確かセリアルのオッサンは皮の防具みたいだったけどよ、正直あれ、防御力あるとは思えねぇぞ? 衝撃とか吸収できねぇじゃん。だからといって、鎧とか着るのも面倒くせぇし」
「まぁそうだな……だが、ここは異世界で、魔法があるんだぞ? 俺達の知らない元素だの物質だの、もしくは加工方法だの、色々とあるだろう」
「あー、なんかそれ、すごく異世界っぽい。てかあれかな、竹取物語の火鼠の毛皮とか、そういう感じの不思議系物品みたいなのもあるのかな?」
「ああ、そういうのもあるだろうな」
「なるほどな。だとすると、オッサンの防具も何か特殊なもんなのかもなぁ……ところでタカ、ちょっといいか?」
「なんだ?」
「お前、そういう店の文字とか特徴、もしくはこういう場所にそんな店があるとかの情報って、持ってんの?」
「いや、無いな」
「ねぇの!?」
「別にいいだろう、元々それらしい店を見つけたら入るような心持ちでいたんだからな……ん? ああ、なんかそれっぽい店があそこにあるな。行ってみるぞ」
「変な所で無計画だよな、お前……まぁ、いいけどよ」
店を見つけたと言い先導する紫鷹についていき辿り着いた建物には、剣を打つ金槌のような紋章が扉の上にある看板の横に付いていた。
その紋章は確かに鍛冶系に使われていそうな造形で、確かにそれっぽく感じられる。
扉は出入り自由であるように開けられたままで、三人が立っている位置からは店の中の壁に掛けられた武器なども見受けられた。
十中八九鍛冶屋、もしくは武器屋だろうと見当付け、特に躊躇わずに店の中に入っていく。
そんな姿を店内から見たのだろう、すぐに声がかけられた。
「あ、いらっしゃいませ! 鍛冶屋メイガンに何の御用でしょうか!」
とても元気がよく、陽の明かりが差し込まず照明だけで照らされた外よりも薄暗い店内が一挙に明るくなるような、そんな声。
鍛冶屋と聞いて連想するのは、筋肉むきむきな自分が鍛冶をしていますと体で表しているようなゴツゴツな男。
されど、声をかけてきたのは鞘付きの剣を抱えて丁寧に運んでいる少女だった。
暁良よりも小柄、年齢も下に思えるが、体からはエネルギーが迸っているように元気に動いている。元気印とはまさにこの少女のようなことを言うのだろう。
西洋の町娘風の典型的な服装をしており、三角巾まで付けている姿にある種の様式美すら感じられる。
肩ほどまで伸ばされた髪と派手さはないものの素朴な可愛らしさを持つ彼女は、まさに看板娘だと思えた。
彼女の溌剌とした気に当てられてか、機嫌が良さそうにアオが応える。
「元気いいな、アンタ。ちょっとナイフ辺り見せてくれねぇ? 資金は……どんぐらいかね、タカ?」
「そうだな……とりあえず予備含めて六本分、いや、ここは好きに買うか。一応宿代が残ればいいからな……大体これくらい前後で見せてくれ」
「あ、ちょっと待って下さいね、コレ置いてから……はい、どれくらいでしょう。……えっと、そのくらいでしたらこの辺りですね」
異空間の金を入れた袋から直接金銭を取り出した紫鷹の手の内を見て、少女は抱えていた武器を置いて思い当たる金額のナイフを取りに行く。
壁に掛けられている物から一つ、二つ、三つ四つ五つ……結局両の手の指の間に異なるナイフを挟み、笑顔と共に紫鷹達の方を向く。その可愛らしい笑顔の横に添えられる八刃が妙に猟奇的である。
笑顔の輝きは刃の光沢に囲まれていた。
「はい、大体この八本がそれぞれご希望の値段前後になります!……って、どうされました?」
「いや、君ナイフの扱い上手いね……」
若干頬を引きつらせながら、暁良が今の彼女の姿に感想を述べる。確かにナイフを迷いなく掴み装備していく姿は素早く、挟む刃に揺らぎなど一切見られない。
刃渡り二十センチを超える物から握りこぶし程しかない物など握るナイフはランダムだが、それらを指に挟むだけで一切揺るがせない指や震えない腕の筋力は細身な彼女から想像できない。
もっとも、暁良が頬を引きつらせているのはそういうことではなく、今の彼女がとても物騒に見えるからだが。
笑顔でナイフを八本装備する少女。平凡に暮らしていれば、中々お目にかかれない姿であるに違いない。
「えへへ、そうですか? 一応鍛冶屋の娘ですから、扱いは慣れてるんですよー」
ちなみに、顔の引きつりに気づいていないのか、暁良に褒められたことで少女ははにかんで腕を持ち上げ、右手首で頭をなでて照れていた。
危ない。本気で危ない。しかし下手に声をかけて慌てさせては無駄に傷を負いかねない。とりあえず慣れていると豪語する彼女の言を信じ、無駄に動揺させるようなことはせず、慎重にそれらのナイフを見せてくれるよう頼む。
「そうなのか、流石だな……じゃあ、そうだな。あそこの台において、じっくり見せてくれるか?」
「はい、ではこちらにどうぞ!」
紫鷹が指差したのは店の奥にある受付台のような場所。あそこに並べられば、妙に危なく見える少女も危機感を煽らせる行動はしないだろうという考えだった。
少女も特に問題は無かったらしく、元気よく返事をして奥へ向かう。
しかし、彼女はご機嫌よく、普通に歩くようにして手を振っていた。
両手にナイフを装備した状態で、散歩をするように手を振っている。
無邪気すぎて、怖い。
「くぉら、何をやっとるか!」
「うひゃい!? お、お父さん!?」
紫鷹達が何時怪我をしてもおかしくはない、というか今にも怪我を負いそうな少女の動向見ていると、不意に店奥から怒声が飛んでくる。
いや今の状態で無闇にビクつかせるなよ、と心中で三人がツッコミながら声の方を見てみれば、そこには見事に髭を蓄えた、頭部が見事な干ばつ状態のむきむきオヤジ。
しかも見事に強面。まさに鍛冶屋的な容姿をしているオヤジが、そこにいた。
ただし、背は小さかった。少女よりも、頭一つ分低い。
「お前というやつは、刃物を気軽に扱うなと何度言えば分かるか! それもナイフ八本!? ぷらぷらと手を振って運ぶ物じゃないことは分かるだろうが! というかガキでも分かるわ! 十四にもなってこれくらいのことで叱らせるな!」
「ご、ごめんなさい……」
「だからナイフを持った状態で胸の前に手を持ってくるなと言っとるだろうが! お前は気取った暗殺者か!」
「うひゃう!」
客である自分達を放って思いっきり説教が目の前で行われ始めたが、紫鷹達はそれを止める気も仲立ちする気もなかった。
オヤジの言い分はもっとも。人の体には簡単に刃物が突き刺さり、切り裂くのだ。刃物を扱う上では用心をするのが当然である。まさに正論と言えよう。
さらに会話の内容から父娘であることが自然と察せられ、父親としては危ない娘の所作を心配するのも当たり前だ。
叱られるべくして叱られている。
であれば、それを止めることは少女のためにもならないだろう。説教が早く終わり、自分達へと気を向けてくれることを願うしかない。
しかし叱られて怯えるのは分かるが、今の状態で手を前に持ってくるのはダメだろう。刃が八重となる姿は明らかに物騒だ。そしてそれに対して何故少女は何も思わないのか。
「……こりゃ早く終わりそうにはねぇな。オレ、ちょっと長物見てくるわ。色々あるみてぇだし」
「じゃあ僕は剣かなー。あ、なんかカトラス的なの発見」
「ふむ、俺も長物でいいか……蛇矛に青龍偃月刀だと……滾るではないか」
予想外に時間ができたが、思えばまともに異世界の店を回ってもいない。異世界の鍛冶屋にはどんな物が置かれているのか、見る時間を取るのも一興と三人は散らばる。
BGMは、オヤジのカミナリ。そして時々少女のゴメンナサイ。
「まったく……おお、待たせてすまんかったな。ワシの説教のせいで相手もできず、申し訳ない」
「ん? ああ、別に気にしなくていい。見学していたしな」
説教を終えたらしいオヤジが最も近くにいた大刀を観察している紫鷹へ頭を下げてくる。光の反射がとても眩しく、少し目をそらすと部屋の隅で膝を抱えて落ち込んでいる少女の姿が見えたが、それらに言及することはなく、思い思いに武器を見て回っていた二人を呼び寄せる。
二人が集まってから、オヤジが話を切り出した。
「ワシはフジド・メイガン。この鍛冶屋の鍛冶師兼店主だ。あっちは娘のウェイミ。ボウズらがこの店に来たのはナイフが目当てで合っとるか?」
「ああ、その通りだ。解体用が欲しくてな」
「解体用? ふむ……ワシからすれば解体も戦闘も採取もこなせる出来の物しか作っとらんが、まぁ用途は使う者それぞれか。ワシの作るナイフは大体娘が持っておった物の形が基本。一度見ておいた方が、新しく作るにしても手間取らんだろ」
紫鷹達が少女、ウェイミに案内されるはずだった台に八本全部並べてあるとういことで、フジドの背についていき実際に見てみる。
中には包丁が含まれていたが、キッチンナイフという呼称でナイフの仲間として捉えられている面があるため、おかしくはない。むしろ包丁も欲しいなと思いつつ紫鷹が視線を巡らせる中で、一つの品物に目が吸い寄せられた。
刃長二百ミリ程。刃幅は細身で両刃、血溝が入る刀身に反りはなく片側にしか刃が付いていない。
切っ先は蛤刃で刃付けされ、血で手が滑ろうとも指が切れないようにツバが付いているそれは、とても見慣れた物だった。
「そういや、ボウズらは冒険者か? 貴族様のように慇懃ぶっちゃいないが、そこらのガキ共よりは荒れてねぇ。それに体を動かすことに慣れた動きしてるあたり、何か武術でもかじってんのか?」
「冒険者だけど、昨日なったばかりの駆け出しだぜ?」
「武術って言うほど格式張ったものじゃないけどね、一応知り合いの人にみっちり教えてもらったことがあるんだ……あ、これすごくナイフっぽい」
フジドの言葉に応える一葵と暁良。
彼らの雑談を聞きながら、紫鷹は手を伸ばして視線を向けていた物を手に取り、間近に持ってくる。
握りは滑り止めに何かしらの皮が使われており、悪くない。何より澄んだ刃が室内の明かりであろうと反射する姿が、その作りの良さを示している。
鉈。
そう聞いて想像するのは、先端が矩形、つまり長方形となっている物であることが多いだろう。
そういう鉈を角鉈と呼ぶが、中には切っ先が尖っている鉈も存在する。
その呼び名は剣鉈。
もしくは剣鉈とも言い、紫鷹が地球に居た頃、田舎の山で貸し与えられていた物。
デザインは違うものの、ここ二年は握っていないそれに懐かしさを覚え、左手の指で刃の背を柄から切っ先を辿って撫でる。
触れた部位が、黒に染まった。
「ん?」
「お、どうし……おい、それは!」
徐々に銀の刃が侵食を受けていき、数秒もしない内に刃の全てが黒に――仄かに紫が混ざった黒に、装いを変えた。
何が起きたのか分からぬ紫鷹は首を傾げ、それに気づいて顔を向けたフジドが驚きの声を上げる。
「……冒険者カードと似た仕様なのか? しかし、別に俺の物になったわけではあるまいし……」
「いや」
持ち主の手に渡ったら色を買える冒険者カード。
それと似た機能を持っているのかと考えるが、まだ買ってもいないのに所有権を得たというのは考えにくい。
故にその考えを捨てようとして、しかし強い声音でそれを止められる。
声の主は、小さなオヤジ。
「それはいい、やる。代金もいらん」
「は?」
唐突な提案に紫鷹が疑問の声を上げ、店主の方へと視線を向ける。何やら面白いことが起きたと感じたのか、暁良と一葵もナイフを見ることをやめて顔を上げていた。
フジドはとても楽しげな笑顔を浮かべ、満足そうに頷いていた。
「はっはっは! いや、まさか実際にお目にかかれるとは思わんかった! ボウズ、それはもうボウズ専用、というか手に馴染むように適用したと言っても過言じゃないぞ! 長らく鍛冶屋をしていたが、なるほど、こういう風に変貌するのか……見た限り、もう元々の額では収まりがつかん。幾らになるかも分からんわい」
「いや、ちょっと待ってくれ。何が起きているのかさっぱりだ。確かにすでに柄の握りが長年俺が使い続けた物であるかのようにしっくりとしているが、一体どういうことなんだ?」
「まぁぽっと出の冒険者で若けりゃ、知らんのも無理ないか。むしろ熟練でも持っているか分かりゃしない。いいかボウズ。それはな、相性の良い道具と持ち主が出会うか、持ち主が道具を完全に掌握し支配下に置くことで生じる〝奇の縁〟ってやつの結果だ」
「〝あやしのよすが〟……?」
聞き慣れない言葉に、紫鷹達は首を傾げて結果と言われた物を見る。
刀身は薄れぬ宵闇を思わせる紫黒に染まり、刃の鋭さを示すかのような光沢は形を潜めてしまっていた。しかし切れ味に不安を覚えるようなことはなく、むしろフジドの言葉通り尋常ではないほど研ぎ澄まされているように感じられる。
もはや素材の時点から異なってしまったのではないかと思える程の変化がそこにあった。
「あやし、そしてよすが……〝奇の縁〟、つまり奇縁か。なるほど、良い相性の存在が出会えたというのであれば、確かに奇縁だ。もっとも、そういう実感は変化が生まれてからのみで、支配下に置いた云々は露とも思っていないんだがな。どういうことなんだか……」
不思議そうに眺めながら剣鉈をくるくると手の中で回し、止まること無く速度を上げていく。見ている方がやきもきするような扱いをしているが、特に怪我の心配する存在はここにいなかった。
親友組は紫鷹が器用であることを知っているため何も思わず、フジドはむしろその技術に感心するように頷いている。
「おお、ボウズ上手いな……ちなみに、そこら辺はワシも知らん。〝奇の縁〟が起きた光景を見たのも初めてなら、起こした存在も初めて見たからな。ただ、名前をつければ特殊能力のような物が付くと聞いたことがある。後は縁を結べた道具は進化していくことがあるとかないとか」
明確でない説明を受けまた妙な物が手に入ったなと思いつつ、紫鷹は掌の上で回すことをやめ、しっかりと柄を握りしめる。
頂戴することになった剣鉈は、まるでそこが自分の居場所だとでも言うように、違和感なく手中に収まっていた。
むしろ違和感が無いことに違和感を覚えそうだが、意識はすでに別のことに向いている。
名前を付けると特殊能力が付く。
そう聞いてしまっては、名付けるしか道がないだろう。付けないなどという面白くないことをしては、わざわざ魔法のある異世界に来た意味が無い。
折角この世界でしか体験できないことができそうなのだから避ける訳がない。
しかしそうすると、一体どのような物を付けるか。
色に合わせることもありと思えるが、それに従わない感覚的な物でも良いかもしれない。
数瞬ほど思考を巡らせ、ふと湧いてきた物に漢字を当てはめた。
「げどうまる……そう、お前は華藤丸だ」
『その名前、了承しましたぁ!』
「お?」
唐突に脳裏に響いた妙に甲高い声と共に、手の内で弾ける鼓動。
それに合わせ、刀身から紫黒の煙が一条ずつ、左右の手に伸びていく。
手首から前腕へ、そして上腕の中ほどまで来た所で止まり、巻き付くようにしてガクランの長袖の中へと染みこむ。
伸びた煙は視界から消え、見えるのは妙に元気な気配を滲ませ始めたように窺える剣鉈――華藤丸と、驚く親友達と店主的な背景のみ。
体に何かが起きたという感覚は無く、今のは何だったのかと、紫鷹は首を傾げた。
「おいタカ、大丈夫か? 今煙みたいなの腕に巻き付いたろ」
「なんか消えたけど……ううん、むしろ腕に溶けたのかな?」
「溶けた……? あ、まさか」
暁良の言葉からとある可能性を考えつき、華藤丸を右手に持ったまま今日にガクランの上着を脱いで暁良に放り投げ、さらにカッターシャツの両腕をまくり上げる。
顕になった肌に、目を細める紫鷹以外が瞠目した。
「鎖、か……縁と言い表すには、中々に重々しいな。いや、前に奇が付くのなら、これも一興か」
肌色の中に浮かぶ、二筋の鎖。
巻き付く以上に縛り付けているように見えるそれはしかし、物質ではなく絵。
まるで刺青のように、紫黒の鎖が両腕に取り付いていた。
触ろうとも捉えるのは肌の感触ばかりで、鎖はあたかも肌に染み込んでいるかのよう。
食い込むように縛られていた、黒に座す少女とは違う。
されど似た物に巻かれるとはやはり縁があるのかと考えた所で、妙にテンションの高い声が刺激する。
『はっじめましてお館様ぁ! 華藤丸、お館様の便利で都合の良い存在を目指して日々邁進する予定の華藤丸です! これからよろしくお願いしまぁすっ!』
何処か未熟で高く、無邪気な声。
拙いとは言わないが、それでも何かが足りないように感じるそんな声に、紫鷹は幼い頃の妹のことを思い出す。
今でも脳裏に浮かべることができる、遊びまわる自分達について回り、家に置いていき帰ってくれば毎度アクティブに一葵へのみドロップキックをしかける幼き妹の姿。
年齢が二桁に達する前くらいではしたないからドロップからローへ変えなさいと命じたが、最近ではしつこいナンパ男の足を十人分狩ってやったという報告を兄のベッドで横になりながらしていたため、良い使い手になったのだろうと心中で少々和む。
ちなみに、十人分が片足十人分なのか、合計足数十人分なのかは、聞いていない。
「華藤丸、お前が俺の腕に鎖を埋めたのか?」
『はい! 立体化したらいつもは邪魔かなって思って、模様みたいにしてみました! 色は変えられないけど、操作はできます! 立体化もできます! 二本しか無いように見えるけど、実は十数本同時にうねうね操作とかできます!』
「うん? となると……ああ、簡単に動くな。というか、本数関係無いのか」
それほど悩むこと無くあっさりと肌から鎖を浮き出させ、立体化し、両腕の手の甲から一本ずつ生やしてうねうねさせる。
しかし、二本は容易に動かせたものの、もう一本ずつそれぞれの手首から出してみると中々独立した動きをさせることができない。
数は増やせても増やした分を知覚し操作する思考能力が足りないのだろうと見当付け、扱えるという域に達するまでの長そうな道のりと増すことが確実な鍛錬時間、そしてすべきであろう様々な実験のことを考えて嘆息する。
とりあえず、鎖は立体化して小さくした物が右手と左手、両方の手首に二重に巻き付いているような見た目に整える。
紋様よりも、ブレスレットのようにした方が気分的に楽がだった。もしかしたら消せるのではとも考えたが、とりあえず現状はこれでいこうと決め、視線をフジドへ向ける。
何故か一葵達と共に動揺する様子を見せているが、気にせず紫鷹は話しかけた。
「親方、良い物をもらった。ナリオレンに居る間は贔屓にさせてもらう」
「お、おお、ワシは客が増えることに文句はないが……ボウズ、お前もしかして、そのナイフに話しかけてたのか?」
「ん? もちろんそうだが……って、まさか華藤丸の声は聞こえていないのか?」
躊躇いもなくすぐさま頷く三人。
それを見て、だから妙に気まずそうな顔をしていたのかと紫鷹は納得する。
奇妙な煙が出る刃物を持って、いきなり独り言を言い始めたのだ。何かしらおかしい感じになったのではないかと思っても無理は無い。
これに関してはただ事情を話せば解決するため、紫鷹は手早く名付けてから起きたこと、分かったことを順路立てて説明していった。
順応性高しな親友達は「おお流石ファンタジー」と言いたげな顔で受け入れていたが、職人フジドは信じ難い物を見る目で、自身の作品であった刃を見ていた。
「こりゃたまげた……時間を置いた道具が意思を宿すというのは聞いたことがあったが、まさか作って一年も経ってないナイフが自我を持つとは……もしや〝奇の縁〟で変質した道具は全て自我があるのか?」
「どうなんだ、華藤丸。何か知っているか? ああ、口調は崩していいぞ。無理をしているようだからな」
『ほんと? ありがと、お館様! この話し方、慣れなくて……えっと、自我? が皆あるのかは分かんない。ハナ、自分のことくらいしか説明できないの。今の状態だとか、そういうのだけ』
「他がどうなのかは知らないそうだ。言語を理解して答えを構築する能力はきちんとあるようだが、知識の方が足りないらしい。すまんな」
「そうか……いや、謝る必要は無いぞ。むしろ感謝したいくらいだ、ボウズ。本当に良い物が見られた……おっと、そういえば鞘はどうする? 収納の魔法が使えるのであればそれでもいいんだろうが……」
「一応それは使える。だが自我が芽生えているようだし、いつも身につけておくのが無難だろう。頼めるか?」
「もちろんだ」
紫鷹の言葉は快く承諾され、上等そうなベルト付きの鞘が渡される。鞘自身はベルトから取り外しが可能で、色は黒で統一。
粗も見受けられず高そうに思えたが、これもオマケだと押し付けられ有無も言わさぬ内に手早く装備された。
ガクランに剣鉈を装備するという図に妙な違和感を覚える紫鷹だったが、見た目からすればそれほど問題は無いらしく、フジドの力強い頷きを最後に一葵達の分のナイフへと話がシフトする。
暁良は細身の、一葵は少々大きめのナイフに目星をつけ、華藤丸をタダで手に入れられたおかげで浮いた金を使い紫鷹は調理用の包丁も購入する。
料理くらい自分でもできると華藤丸が五月蝿く脳へ語りかけ紫鷹の購買意欲を削ごうとしてくるという一幕があったが、「包丁は包丁、お前はお前」と強行理論で一蹴。
調理以外での活躍を頼むと言われ引き下がる音声が少女な剣鉈は納得しきれていないのか、頭に響く声が何処と無く拗ねているようだった。なんとも喜怒哀楽の激しい道具である。
しかし最終的に目当ての物を手に入れることができ、良い買い物ができたと、フジドへ自分達の名を伝えてから紫鷹達は店を出ていく。
外はいつの間にか日が傾き、地面には人々よりも背が高い影法師が作られていた。わりと長い時間を店の中で過ごしたのだなと考えたところで、ふと、暁良が口に出す。
「そういえば、あの女の子途中から完全に空気だったね。名前なんだったっけ」
特に盛り上がる話題ではなかったのか、普通に華藤丸についての話に切り替わり、容易に花が咲いた。
くそぅ、ギャグ成分が足りねぇぜ(((――)))