第二話
―1―
ベレリアルガン王国の南西にあるハルドラル地方にて最も発展している街、ナリオレン。
もちろん王都に比べればその規模は落ちるものの、都市という分類に入れても遜色ない大きさを誇るその街を歩く一人の男は、持ったこともない子どもの世話というものがどれほど大変かを今まさに味わっていた。
「あ、何あれ! 超美味しそう! タレの匂いとかいい感じ! え、ガソリン鳥のタレ焼き!? なんか嫌な予感がする名前だね!」
「あん!? なんだこの人形、細部が荒いにも程があんぞ!? ヤスリ持ってこいヤスリ!それがねぇならナイフでもいいぜ! ああ!? 商品に何するんだって!? てめぇこそこの商品を手に取ったガキの手に怪我でもさせる気かドアホが!」
「人種は人間、獣人、エルフ、ドワーフ的なのが各種……それに名前が想起できないようなのも居るな。角がある……鬼人? いや、それでも小さい……ちょっとすいません、人種を教えていただいても――」
「てめぇらちっとは落ち着けぇええええええ!」
匂いや目立つ物に釣られてウロチョロする暁良。
露天商にからみ商品を自分流に染めようとする一葵。
物怖じせず見知らぬ街の住人に淡々と話しかけていく紫鷹。
せめて三人で行動してくれればいいものを、それぞれこの街に思うことが違うようで、完全にバラバラに動き回っていた。
一人を回収すればその隙に二人が、もう一人捕まえに行けば回収したはずの一人がすでにいない。そんな終えることのない無限ループに取り込まれた気分に苛まれたセリアルが絶叫したとしても、別段おかしいことはないだろう。
ただし、ここは街中の、それも往来真っ只中。人口もそこらの村々より圧倒的に多いナリオレンの住人達から視線が集まることは、考える必要も無く当たり前のことだった。
住民達は一挙にセリアルから離れ、紫鷹達とセリアルを同時にナリオレンを囲む壁外まで魔法で運び共に歩いていたレイデもまるで他人のような態度で離れる。
もちろん、その顔には楽しげな微笑を携えていた。
「おいおい、オッサンのような強面がそんな大声出すんじゃねぇよ。皆怖がっちまうだろ?」
「はいはーい、皆さんすいませーん! この人の身内なんで、気にしなくていいですよー」
「そら、そこのお姉さんがくれた果物だ、これを食べて落ち着くといい」
「お前らなぁ……」
しかし、怯えられると同時に三人が集うという副産物が生じ、セリアルはなんとも言えない顔で肩を落とす。確かに拠点としている街で住民に恐怖されたままというのは嫌なことではあるが、叫んだ原因達によってそれを解消されていく様は見ていて複雑な気分に襲われる。
そもそもこいつらが散らばって行動しなければこんなことにはならねぇのに、てかレイデが手伝ってくれればこんなことにはなんねぇのに、と色々思う所はあったものの、とりあえず三人の回収はできたため、紫鷹から渡された果物を頬張りながらまぁいいかと気を立て直す。
視界の端で楽しげに笑う魔法使いを見て少々イラッとしたが、今の目的は三人を仕事場、冒険者ギルドへと連れて行き、その上でモンスターの大量発生に関して報告すること。レイデが行使した魔法による帰路分の時間短縮ができたとはいえ、早めに向かうべきであることには変わりがない。
特にモンスターの大量発生に関わることだ……と、真面目な思考に至ろうとしていた所でふと肩に何かが乗った感覚に、反射的に背後へと顔を向けた。
そこには、少々皺の目立つ手と、肩越しに笑う恰幅の良い妙齢の女性が立っていた。
「その果物と、あの男の子達が食べてる分、アンタが払ってくれるんだってね?」
一瞬何を言っているのかと理解が及ばなかったが、自分が頬張った果物、そして近くでレイデと共に同じ果物を食べている三人に視線を向けた所で、全て理解した。
そして、てめぇお姉さんって言ってたじゃねぇかという思いを包み隠しながら、本日二度目の怒号が街中に響かせた。
「ふふふ、アンタ、そんなに怒るんじゃぷっ、な、ぶふぅっ!」
「笑いたきゃ笑え」
「あははははははははははは! なに、なんでこんな年下の子達におちょくられてるのかねぇ、あははははははははは!」
「ぐっ……くそぅ……」
笑えとは言ったものの、本当に目の前で哄笑されてしまうと相応に苛立つ物があった。そのため何か言ってやろうと顔を向けるもしかし、横でとても楽しげで魅力的な笑顔を浮かべている女の顔を見て、文句が喉の奥に引っ込む。
そんな笑うレイデと渋面を浮かべるセリアルは紫鷹達を先導するように歩き、そして先導されている当の三人は、果物等の食べ物を手にして大人しく歩いていた。
食い物買ってやるから大人しくしてろ、ということで先ほどと比べると明らかに静かな三人だが、それでも視線はあちらこちらへと駆け巡っている。
彼らにとって、ここには珍しい物がありすぎた。
「かー、こりゃ、本格的に日本じゃねぇなぁ」
「まぁ、うっすらと分かってたことだけどねー。あんなカニとかエビ、居ないもん。多分、地球にも」
「そもそも地球のような生易しい人種の数じゃないようだがな……それに、やはり言葉は分かっても文字が読めん。というか見覚えのある文字が無い。つまりはそういうことだろうな」
異世界トリップ。
古きSF小説では同宇宙の別惑星に唐突な移動を強制され、異世界のような環境に置かれるという手法が使われていたこともある分野。
そんな小説で起きるような現象に巻き込まれたことを薄々と感じつつ、それでいて確信に至り始めていた事実を、三人は軽食を咀嚼しながら特に慌てることもなく受け入れる。
確かに唐突な出来事ではあるし、日本に帰りたいという思いが無いわけでもない。ただ、それでも目の前に広がる未知は楽しそうだとしか思えなかった。
魔法を目にし、実際に使われもして、しかも見たこともない非現実的である様々な人種が自分達の横を通り過ぎて行く。
それだけでももっと楽しいことが秘められているのではないかという期待が膨らみ、好奇心の十分な原動力となっていた。
無論、自分達の強化された身体能力で敵わないような存在と対峙することもある、つまりは危険な事態に陥ることもあるのだと考えても、期待を捨てて無心に地球に帰ることを求めるのはもったいないと思えて仕方がなかった。
何せ、この世界に来て最初に見た海は、とても美しかったのだ。
これ以上に綺麗な物があるとしたら、それを見ずに帰るというのは浪漫にもとる行為に違いなかった。
「ま、問題はこれからどうするかだなぁ。オッサンの言う冒険者、オレ達もなった方がいいんかね?」
「旅をするのなら、ちょうどいい職業だとは思うがな。傭兵よりはマシだろう」
「だねぇ、正直人間狩るかあの生き物……えっと、モンスター? 狩るかなら、断然モンスターだしねぇ」
今までの道程、というか壁外からこの街に入る間の検問で待たされた多少の時間で軽く説明された限りでは、ギルドに所属するのであれば冒険者ギルドが良さそうだ、くらいの目星はついていた。
そもそも、冒険者という職業の資金源は基本的に素材集めと依頼遂行が主となるらしい。
例えば紫鷹達が目覚めた浜辺、アゼイサル海岸近辺ではヴェラルシオの甲殻や肉を素材としてギルドに買い取ってもらい、金銭を受け取ることができる。その他にも薬草と成りうる植物等を狩って売ることもできる。
この買い取り自体は別にギルドのみにしてもらう必要はなく、別に商業ギルドや商人を相手にして売ってもよく、自身で露天商をしてもよいことになっている。
狩ったモンスターに関しては冒険者自身の裁量に任せる、というのが冒険者ギルドのスタンスであるようだ。ただし、商売等の交渉が面倒だという人間が冒険者に多いため、基本的にギルド売買となることがほとんどである。セリアルもその口だ。
旅をしている間に狩ったモンスターを着いた街のギルドで売る。
気楽に根無し草状態で資金集めができるのだから、旅をして世界を見て回るにはぴったりの職である。
なお、冒険者にはランクが存在する。どんな王族でも貴族でも貧乏人でも、最初は等しく最低ランクFから始まり、実績を積み重ねていくことでランクを上げていくことになる。
ランクを上げるために必要なものとして特殊なポイントのような物があり、討伐証明部位と呼ばれるモンスターのパーツを冒険者ギルドに提出することでそれを蓄積させることができる。
モンスターの討伐以外にもポイントを稼ぐ依頼等もあり、それらでポイントを稼ぎ、一定値まで溜まると受けられる昇格試験をクリアすることで、冒険者としてのランクが上がるのだ。
「ん? そういや、なんかランクってのがあんだっけ? ランクを上げるメリットなんなんだ? 知名度が上がるランク制限のある依頼を受けられるってところか?」
「後は信頼性などがあるんだろうな。広めてほしくない情報に関わる依頼を受けて終えた後、その情報を広めないなどの誓約がきちんと守れるか。そこら辺の指標にでもなるんだろう。そんな面倒な依頼は請け負いたくないものだがな」
「でもさ、やっぱり気軽に素材を持ち込んで渡せばお金になるってのがいいよね。一々商人とツテを持たなくても、ギルドに登録さえしておけば素材を持ち込むだけでいいんだよ?」
「まぁそこは簡単でいいな……素材として使えるモンスターは自然と冒険者や誰かが狩るし、素材として使えなくともギルドが依頼として出せば狩る。薬草に鉱物も売れるが、そういう物があるような場所にはモンスターが基本的に居るとなれば、狩ることにもなる。基本的にモンスターを狩らせる辺り、冒険者ギルドもあざといな」
「おいそこ、ギルドを裏のある機関みたいに言うんじゃねぇよ」
紫鷹の評価を耳聡く聞いていたらしいセリアルが立ち止まり、振り向きざまに注意する。特に怒りを滲ませての物ではなかったが、滅多なことは言うもんじゃないという戒めを含めて言っているような声調だった。
「冒険者ギルドっていうのは、基本的に薬になるモンスターの部位や危険な場所にある植物や鉱物を取ってきて欲しい依頼者と取ってこれる冒険者との間で問題が起きないようにするための仲介役として発達した機関なんだよ。その上で、倒してもそれほどうま味のないモンスターももっと狩って欲しい、狩らなきゃ人への被害が出るってんで、狩れる冒険者に出来る限りモンスターを狩る利益を出そうとこういう制度ができてんだ。体動かすしか能がない連中にとっちゃ、大いに助けてもらってるんだよ。モンスター狩って、部位を売れば生きていけんだからな」
「作るまでに国のお偉いさんやらバカな貴族、驕った冒険者と色々面倒事があったにも関わらず、今の冒険者ギルドがあり続けているのは並々ならぬ先人達のおかげってことだからねぇ。あるだけでも助かってるのは確かなんだから、悪く言うもんじゃないよ。荒い連中は多いけど、だからこそ犯罪者を許しはしないってのをこの国のギルドマスターは信条にしてるから、居心地が悪いってことはないさ。うちのマスターに睨まれたら、悪行なんてすぐに世に知れるからねぇ」
特にマスターは国一つくらいなら潰せるしねぇ、とセリアルにしなだれかかりながらのレイデの発言に、紫鷹達は一体どんな人物が冒険者ギルドの頂点を取っているのか気にかかる所だが、視線は自然としなだれかかられた男の方へと向く。
彼は、己の腕に押し付けられたことで形を歪める豊満な母性のせいか、幾ばくか緊張しているように見えた。そして、その様子を明らかに母性の持ち主は楽しんでいた。
どういう関係なのか、というか本気で遊ばれているなこの人、とセリアルの評価が下がっていく。そして紫鷹と暁良が一葵へと同時に視線を向け、それに気づいた一葵が不満そうに眉を顰めた。
「……なんだよ、こっち見んな」
「……まぁ、こいつほどじゃないか」
「だね、不良風ヘタレの二つ名は伊達じゃないもんね」
「なんつう不名誉な二つ名を付けてくれてるんですかねぇ!?」
「おい待て、ここで騒ぐな。もうギルドに着いたから入るぞ。そしてイッキ、何か奢って欲しいもんはあるか?」
「明らかな仲間意識とかいらねぇんだよ! てかアンタ自分のことヘタレって認識してんのかよ!」
「基本的にヘタレ、お人好し、世話好きはナリオレンのギルドじゃセリアルの代名詞だねぇ」
「悲しいな!? なんかその羅列アンタの顔に似合わねぇんだけど!?」
「え、俺の代名詞ってそれなのか!?」
「アンタは知らなかったのかよ!」
賑やかも賑やか、静かな時なんてあるのかという様子のやりとりをこなしつつ、驚きの表情を浮かべるセリアルを先頭に建物に入っていく。
次いでレイデ、そしてつられるように一葵と暁良も入っていき、最後尾の紫鷹は入る前にふと建物の全体像を眺めた。
素材は石。灰色で豪華さはないが頑丈さは見て取れる様相と細部に施されている意匠。上を見ていなかったために気づきはしなかったが、優に四階層はありそうな上に扉を中心にして横にも広く壁が続いている。他の建物と比べて明らかに巨大で堅固そうな建物に、自ずと冒険者ギルドの組織としての規模が感じ取れた。
開き戸の上にある看板に書かれている文字は読めはしないが、その上にある紋章は覚えておこうと注視する。描かれていると思われるのは沈む太陽を背景に剣と爪が鍔迫り合いをしているような絵だ。
それがギルドの紋章か、もしくはそれ以外の物か知らないが、何かしらの目印になり得るだろう。
そう考えた所で、いつまでも来ない紫鷹を心配してか、閉じた扉が開き、その隙間から暁良がひょこりと顔を出した。
「タカ、何してるの?」
「なんでもない、ただこの建物の外装を眺めていただけだ」
止めていた足を動かし、扉を開こうと手を掛ける。とりあえず、冒険者登録をして金を稼いで生活を安定させなければならない。付き合いの長い二人と自分は、とりあえず食さえ安定していれば衣も住もさほど気にはしない。
いつまでもセリアルに世話になるわけにはいかないのだから、食だけでも充足できるようにならないといけない。だが対して急く気持ちが無いのは、やはりいつもと変わらない二人がいるからだろうかと考えた所で、急に暁良が引込み、その瞬間木製の扉が破壊され目の前に木片と肉塊が飛んできた。
紫鷹は無言で全てを前へと蹴り返した。
なんか「んぐぶぇっ!!」という音が鳴った。
紫鷹は少しも気にしなかった。
「すまん、ちょっとギルドの外観を見ていて入るのが遅れた」
「いやちょっと待て、今外に人が吹き飛ばされて扉が壊れたと思ったらまた人が中に飛んできて木片も飛んできたんだが!? てかアイツの腰やばそうなんだが!? なんでお前平然としてんだってか何した!?」
悠々と入ってきた紫鷹へとセリアルは慌てて声をかけるが、特に気にしていない紫鷹はそれほど反応せずに視線を周囲に向ける。
倒れているのは筋骨隆々のオッサン達。その一人の背中を鋭利な踵をもつハイヒールで踏みにじりキセルを吹かすナイスプロポーションな女性。踏まれているオッサンの隣で腰に手を当てエビ反り状態で「あががががが」とか唸っている一人のオッサン。
それ以外の人達は、武器やら書類やら、色々な荷物を持ったまま遠巻きにオッサン達と女性を見ていた。どことなく、早く終わってくれという空気を醸し出している。
倒れているオッサン達は強面ではあったが、その女性の鋭利な瞳にはオッサンの強面など比較にならない程に恐怖を覚えさせる殺気が漲っていた。
もし恐れを抱くとすれば、間違いなくオッサン達ではなくこの女性である。如何に美麗な容姿を持っていようと、睨まれたカエルを静かに絶命させる凶器が如き睨みのせいで台無しだ。
むしろ整っている容姿が恐怖を増長させているとも思える。
まぁしかし、紫鷹達三人はそんなことは関係無いと言わんばかりに、特に怯えもせずに静かに女性を観察していたが。
「あ゛あ゛? アタイが放り出した仕事をしねぇクズをまた入れやがったのは何処のどいつだ? てかてめぇら誰だ、見ねぇ顔だな」
セリアル以上に乱暴口調なその女性はキセルを吹かしつつ紫鷹達へとガンを飛ばす。さらに食い込むヒールにオッサンが唸り声を上げる。だが三人はそれに対しては特に反応を見せず、平然とした態度で応えた。
「どうもー、僕達冒険者登録をしに来ましたー」
「そうそう、別に怪しいもんじゃねぇよ。ちなみにそのオッサンを建物に入れたのはコイツ」
「なんか飛んできたから蹴り入れさせてもらった。後悔も反省もしていない。強いて言えば眠い」
特に挙動不審になるようなことはなく、至って普通に話をする彼らに鋭い視線を向けていた彼女は、眉をしかめて舌打ちをするとキセルを持っていない左手でボリボリと緋色の頭を掻いた。
乱雑なその動きに合わせ、腰ほどまで伸びた艶のある赤髪が揺れる。
「チッ、また灰汁の強そうなのが来やがった……ったく、おいろくでなし共、てめぇらは隅で正座だ。ガキ共はこっち来い、とっとと済ませてやる。他のヤツらは準備だ、急げよ!」
『はい!』
その号令に建物の中にいた大多数が返事をし、騒々しく動き始める。
どうやらこの女性が起こしたらしい一騒動、オッサン達への制裁によって被害を受けないよう彼ら――ギルド職員は動きを止めていたようだ。
逞しい体をしている男達も、統一された服を着ている線の細い男達も、そして細い男達と似た意匠の服を着ている女性達も、忙しそうに往来する。倒れているオッサン達を踏み越えていくのはデフォであるらしい。
いや、どうやら女性達は近寄らないように避けているようだった。オッサン達は涙目である。
しかし、建物の中は狭くはないが、武器やら書類やらを運び出す彼らに同時に動かれると、奥へ行こうとする乱暴口調の女性についていくことも難しい。それほどに、多くの人間が動きまわっていた。
けれどそんなことはお構いなしとでも言いたげに、特に問題も無く人の隙間を縫うようにしてすいすいとついていく三人。
素早く無駄の少ないその動きに明らかな既視感を抱いたセリアルとレイデは行き交う人々にもたつきながら苦笑し、横目で彼らを軽く見ていた女性が目を細める。そして忘れていたことを思い出したように立ち止まると、少年達と比べてゆっくりと近づいてくる二人へと視線を向けた。
「ああ、そうだ。セリアル、レイデ。報告、できるだけ早くしろ。特別に思念球出してやる。要点をまとめて、分かったこときっちり出せ。アタイが来た時点でマスターがこの討伐に本気か、分かんだろ? 早くな」
「「は、はい!」」
名前を呼ばれた時点で萎縮し、反射の如く返事をした二人はもたついていた状態が嘘のように機敏な動きで建物の奥に続く通路へと入っていく。
あの二人が緊張するなんてこの人は一体どういう地位にあるんだろうと紫鷹達が不思議に思った所で、今度は自分達にお声がかかった。
「てめぇら、一応言っとくが、武術の経験があろうとなかろうと、最初はFランクからだ。熟練度も身体能力もたけぇみたいだが、それだけは変えられねぇから、きっちりそう認識しとけ。自分は強いんだからもっと高いランクから始めさせろとかほざくガキがアタイは大っ嫌いなんだ……喧嘩なら買ってやるから、覚悟しろ」
「いや、俺達はそんなことを言うつもりは無いんだが」
「そうそう。換金するモンスターとかはランク以上の物になるかもしれないけど、そんなことは言わないよ。そこまで目立ちたくもないしねー」
「てかオレ達文字とか書けないんだけど、登録とかどうすんだ?」
武術に類する物を修めていることを知っていそうな口ぶりには何も言わず、別の要素を抜き取って続けられる会話。
分かる人には分かる、そのことを知っているが故の無反応。それよりも、登録に必要そうな手順の方が彼らは気になった。
文字が読めないのであれば書くことも出来ない。実際に空中に何かしらの文言をこの世界の言葉で書こうとしても書けなかった彼らは、率直にそのことを告げつつ女性の後ろをついていく。
返事は、それほどムカつきもしない程に自然で似合っている、鼻で笑う行為と共に返された。
「ハッ、文字を書けないやつなんか珍しくもねぇ……アタイが書いてやる、てめぇらは名前だけ言って、指紋を押印すりゃ終わりだ。今は忙しいからな、アタイが直々に登録も説明もしてやる、聞きたいことがあったら聞け。片手間になるかもしれないことは勘弁しろよ……おいてめぇ、武器落として床に傷つけんじゃねぇ! この建物もその武器もギルドのもんって分かってんだろうな!?」
「ひぃっ!? す、すいません!」
「分かったらさっさと丁寧に運びやがれ! 重たくて運びきれねぇってんなら運べる量くらい見定めろ! いいな!」
「はいぃぃっ!」
距離のある所で起きた失態を目ざとく発見し注意、そしてグチグチと怒ることも無く簡潔に済まして締める辺り、無能で怒るだけの上司というわけではないようだ。
ただ叱るべきところで叱る。
荒々しく粗暴な印象を受ける様を最初に目にしたが、何かしらの信念を抱え続けているように感じられる気性は、紫鷹達にとって好感が持てた。
それに加え、奥へと向かうために歩く姿は紫鷹達の目から見ても無駄が無く洗練されている。確実にセリアルやレイデ達以上の、揺らぐ姿を想像できない佇まい。
言動は完全に男勝りだが、それなりの実力者な上に悪い人間ではなさそうだった。
誰も居ないカウンターのような場所に着いた所でそこで待っていろという言葉に従いつつ、遠ざかる後ろ姿がカウンターの向こう側に入っていく所を見送り、自分達と台を挟んだ状態で目の前までやってきて座り込んだ女性の顔を眼下に見る。
背筋を伸ばし、紫鷹達に向けられた顔は、先程までの睨みなど元から無かったかのように、綺麗で惚れ惚れするような柔和な笑みが貼り付けられていた。
何処に仕舞ったのか、キセルは跡形も無く姿を消していた。
三人の考えが同調する。
誰だ、この美人。
「初めまして、ただいま王都シュレイザリアよりナリオレンへ出張しております、シュレザリアの冒険者ギルド筆頭受付嬢、ジーン・ヘイリネスと申します。以後お見知り置きを。さて、ご用件は冒険者登録ということでよろしいですね?」
「……さっきの人なの?」
「そうですが?」
「詐欺だね!」
「二重人格じゃねぇか!」
「別人だ!」」
「失礼なことほざきまくるんじゃねぇよクソガキ共。一回は丁寧な対応をするのが習わしなんだよ、ほれ、さっさと名前言え」
「マジで一瞬で終わりかよ幻覚じゃねぇ今の!? オレは海師一葵!」
「本気で跡形も無いんだけど!? 僕空伯暁良!」
「脆すぎて紙の仮面に劣るぞ! 陸守紫鷹だ!」
「てめぇら登録進めるかバカなことほざくか統一しろ! 忙しいつってんだろ無駄なやりとりさせんな! ったく……てか名字が先か? ほれ、このインクを筆で親指に塗ってここに押せ。これがお前で、お前がこれ、で、お前これな。そんで押すのはここ」
三人のツッコミに普通に対応しつつ、瞬時に文字を書かれた紙を台に乗せ、インク壺と筆を紙に付随させるようにそれぞれの前に置く。
何時名前を紙に書いたのかも分からない程に素早い仕事ぶりに、僅かながら紫鷹達は瞠目する。そんな様をまるで見慣れている光景であるかのように平然とした態度で見つめつつ、悠然と受付嬢を名乗った女性はいつの間にか取り出したキセルを吹かす。
先程垣間見た令嬢然とした雰囲気は、すでにそこには存在しなかった。
「登録するだけなら、基本的に誰でもできる。ある程度の知性と理性があるなら、獣でも登録を可能にするのがベレリアルガン王国冒険者ギルドの特徴って言っていい。そして、登録した場合は冒険者による犯罪行為を禁止してるからそれは覚えとけ。もし罪を犯したとマスターが判断したら、即座に牢屋にぶちこむからそのつもりでいろ。前例としてギルドに登録してた貴族や王族、富豪が行った犯罪を容赦無く暴き立てて牢屋にぶちこんだってのがあるから、基本的に国民からアタイらのギルドに登録してる冒険者に対しては信頼が厚い。疚しいことが無いって証明のためにギルドに登録する王族や貴族が居るくらいだからな、どれくらい厳しいか分かんだろ?」
「それは……越権行為とかにはならないのか?」
「ならねぇなぁ。何せ、全ての罪が国中にばらまかれんだ。領民、国民、そして家族や騎士達に見捨てられたクズをかばう奴なんざいねぇよ。よく暴いてくれたと国民が喜ぶんだから、王族も貴族も関係ねぇ。むしろ裁かれなければ反感抱いて反乱が起きるわな。そこら辺、うちの国はアグレッシブだからなぁ、こんな領主の下に居たくないって今まで暮らし慣れた土地を捨ててでも領民全部が別に領地に移り住むなんてこともあんだから、正直者な気のいいヤツらだよ。もちろん、そういう時には基本的に食糧やら住む場所やらが足りなくなるからな、アタイら冒険者が色々手伝ったりもするぜ?」
あの時は一週間で巨大な街作っちまったなぁ、と楽しげに語るジーンを、紫鷹達は見たことのない凄い物へ向けるような視線で見る。
しかし、そんなことはお構いなしと言葉が続く。
「まぁそこら辺は追々誰かに聞けばいいわな。冒険者になった時の説明、続けんぞ? 冒険者ギルドでの素材の換金に関しては、冒険者なら換金額から五分の税金が引かれて、それ以外なら二割の税金が引かれることになってる。ま、これは冒険者以外の換金にまで携わる気がねぇっていう意思表示みたいなもんだな。署名と押印だけで冒険者になれんだから、惜しむ方がどうかしてらぁ。そんで冒険者にはランクがあんだが、下はFからE、D、C、B、A、AA、AAAと上がっていく。そのランクを上げるために実績ポイントって名前のポイントを貯める必要があんだよ」
「ああ、それ聞いたわ。モンスターの討伐証明部位とかいうのを持ってくることと、依頼をこなすことで上がるっていうやつだろ?」
「そう。で、そのポイント、実は罪にならなくても悪行が確認されたらマイナスされんだよ。せっかくランクが上がってもポイントが基準値より下になったら、ランクは下がっちまう。つまりは悪行すんなってことだな。てめぇらも気をつけろよ?」
「へー、性格悪くてランクの高い人を出さないようにしてるんだね。なんか過去にあったの?」
「態度が悪い普通に人に絡む金を巻き上げる別の冒険者を脅す、罪にならない程度にやりたい放題の高ランク馬鹿共が居たんだよ。高ランクってことは単純に強いってことだからな、ひけらかすには十分な看板ってこった。今じゃ調きょ……心を入れ替えて高ランク冒険者をコツコツやってるよ、そいつらも」
聞こえかけた不穏な言葉は聞き流すことにした。
「ちなみに、冒険者になったからって冒険者ギルドから行動の束縛を受けるってことはねぇ。指名依頼っていう特定の冒険者に対して依頼が出る場合もあるけど、断ってもらってもかまいやしねぇ。アタイらギルド上層部も冒険者が命をかけてるってことはしっかり把握してっからな、断りたきゃ好きなだけ断りゃいいんだよ。ま、ギルドから何かしら要請があれば、こなして欲しいとは思うところだがな。そういう時はポイントや依頼料等もオマケするから、得も十分にあるぜ?」
「……つまり、犯罪さえ起こさなければ、基本的に自由に生活していいということか? 有事の際は、何かしらの依頼が来る可能性はあるとだけ覚えておけ。そういうことか?」
「その通り、楽な職業だろ? まぁ弱い内はどうしても稼げる金が少なくて生活に困るってのがどうしようもない所だろうなぁ。良くも悪くも実力主義、基本的に行動は自己責任。悪どいことは他所でやれ。ちなみに、上層部は賄賂系が大っ嫌いだ。それを知らずに賄賂込みで交渉しようとした商人の犯罪暴き倒すのに協力したりする依頼もあるから、そこは好みで参加してくれていいぜ?」
騎士との大捕り物競争なんざ一つのイベントだわな、と楽しげに笑いながら仄かに赤色を帯びた水晶球が何処からともなく取り出される。
話の内容に大いに興味が惹かれていた三人だったが、その綺麗な宝玉を、自然と目で追っていた。
「それ、何?」
「ああ、これはお前らが登録するってなったら必要になる手順用の道具だ。で、お前ら登録すんのか? 一応、登録した場合の注意事項は言ったつもりだぞ?」
その問いに、否定的な回答をする存在はこの場にいない。ギルドに加入する欠点のような物はさほど見て取れなかった上に、その気質自体もとても好感が持てる物だった。
躊躇すること無く指紋が押印された紙を同時に差し出され、慣れた手つきでそれらを受け取ったジーンは先ず彼女から見て右に居た一葵へと手に持ったまま水晶を差し出した。
「じゃあこれに触れ、指先でいいぞ。そこのでかいのから」
「おう」
言われるがままに触れた水晶。その表面を、指の腹を中心にして波紋が這い広がる。
予想もしていなかった反応に思わず「おお」と声を漏らす三人に、一瞬だけを目を細めたジーンが視線を向ける。
しかし本当に瞬く間だけであったそれを感知した人物はおらず、「もういいぞ」という声に視線を戻した時には、鋭利で物々しい眼光を携えた瞳へと戻っていた。
その後、紫鷹、暁良と順繰りに水晶への接触を終える。特に問題が生じることはなく、引っ込められた水晶の代わりに、三人には見慣れた大きさの白いカードが差し出された。
「これは冒険者カード。普通に冒険者であることを証明するだけのカードだ。ランクと名前の情報が中に刻まれてて、特別な加工が施されてる一品だから、失くすなよ? 実績ポイントの累積も勝手にやってくれる仕様だし、再発行に金かかるからな、初回登録時だけタダだ。ちなみに、このカードの本来の色は白じゃねぇ。ちょっと持ってみろ」
促されるままに自分達の立ち位置と相似な位置にあるカードを受け取り、各々の顔の前に持ってくる。
変化は、すでに起きていた。
「本来の持ち主の手に渡った時だけ、色が黒になる。そして、裏に赤い紋章が浮かび上がるようになってんだよ。ちなみに、冒険者ギルドの紋章な」
確かに彼らの手にあるカードは全てその色彩を黒に変え、読めないが名前とランクが書かれているらしい表から裏に返してみれば、紫鷹が覚えようとしていた建物の看板上の紋章と同じ物が白で刻まれていた。
日本では見られないような物品が手に入ったことに、仄かに三人のテンションが上がる。
「これで一通りの登録は終わりだ、後は好きにしろ。今のギルドは忙しいからな、ウロチョロしすぎて面倒事とか起こすなよ?」
「そう言えば何も言及しなかったが、これはいつもの風景なのか? 急げと命じていた時点でそうは思えないんだが」
「ただの大量発生モンスターを掃討するための前準備だよ。少なからず準備不足の馬鹿共が出るのが冒険者クオリティだからな……準備不足なんかで無駄に死人を出すのは趣味じゃねぇんだよ」
大量発生。
その言葉に何やら物騒な響きを感じ、上がっていたテンションのまま少々剣呑な雰囲気を滲ませる紫鷹達の視線がジーンへと集まるが、彼女は仕事は終わったと言いたげに徐ろに立ち上がり、説明はなく口から煙を吹かすばかり。その視線は行き交う人間達――冒険者ギルドの職員、及び冒険者を一通り巡り、一点で止まる。
その動きに倣うように紫鷹達が向けた視線の先では、ちょうどセリアルとレイデが奥の通路から姿を現していた。二人も視線に気づいたのか、紙束を持って顔を向けている。
「報告は終わったか? 紙、寄越せ」
「はい!」
反応良く応えたセリアルが速い足取りで近づいてくると同時に数枚の紙の束を渡してくる。
筆頭受付嬢という存在に、冒険者Bランカー以上の権威があることがよく分かる光景である。
渡された紙を素早く瞳を動かして読み、一分も経たない内に紙を折りたたんで懐に仕舞うジーン。
その目は、何かしらの不具合があったかのように細められていた。
「……初期大量発生としちゃ、ちっとばかし規模がデケェな。セリアル、レイデ。悪いんだが、それほど休みはやれねぇ。明日のゲイセ村への出発、付き合え。AもBも足りねぇ、Cだけ大量にいても効率わりぃからな。全部終わったらこっちから依頼は来ねぇように手ぇ回してやる」
「はい、分かりました……って、足りないんですか?」
「ああ、ナリオレン常駐の〝アルガット〟は護衛依頼、〝セイドーガ〟は長期になる依頼でな。アタイが殲滅してもいいんだが、てかそれがはえぇんだが、今回は陣頭指揮ってやつなんだよ……やっぱり、今からでも何人か呼んどくか。あいつらの足なら明日の昼にはナリオレンに着くだろ。出発には間に合うわな」
「結構な強行軍だと思いますけどね、それ……」
「ハッ、働きたくねぇってやつほど働かせねぇと。で、今からお前らはどうする?」
「今回分の依頼料はもう受け取ってますので、後は狩ってきたモンスターを換金して、こいつらを飯屋と宿屋にでも連れていきます。面倒、見ることにしたので」
「こいつらを? ……お前も変わらねぇなぁ。ま、そういうことならとっとと換金して出てけ、こっちはやること多いんだよ」
「でしょうね……ああ、ギルドの説明、俺が引き継ぎますよ。ジーンさんは、指揮に戻ってください」
「おう、じゃあ頼むわ」
また一つ煙を吹かし、受付台の中から出て忙しく行き交う人の群れへと向かう。
その背を眺め、ずっと彼女と応対していたセリアルが緊張を解すように、小さく息を吐いた。
「ふぅ……こりゃあ完全に掃討する気だな、マスター。ジーンさんを出張に出すなんて、本気すぎる」
「そんなに凄い人なのか、あの人は?」
この短時間で随分と疲れた様子のオッサン冒険者の姿に、紫鷹は持っていた疑問をぶつける。
その応えは、苦笑と共に返された。
「凄いも何もなぁ……数少ないこの国のAAAの一人だ、覚えとけ」
AAA。
つまりは、現冒険者の筆頭ランク。
そして、それを持つのがあの粗暴な受付嬢。
「……受付嬢が、そこらの冒険者よりも強いのかよ」
「そのそこらに俺が入るのがちょっと不満だが、その通りだ。元々ヴェラルシオの大量発生なんかで出張ってくるような実力でも地位でもねぇよ」
「へぇ……ねぇ、大量発生ってそんなに事件なの? というかヴェラルシオって何?」
「あん? お前ら、なんでそんなに物事を知らねぇんだよ……ヴェラルシオはお前らが狩ってたカニ、ついでに言うと色ゴテゴテエビがベリードエギだ。今回はあの二種類が大量発生してんだよ、それであれらが村に襲撃をかけたらとか考えたら、騒動になるのは分かんだろうが」
そう言われ、紫鷹達は軽く想像力を働かせてみる。
身体能力が向上している現状であればそれほど脅威にも感じなかったが、もし向上していなかったと考えれば、あの数で攻めて来られた場合今頃甲殻類の餌となっていた可能性も否定できない。
そして、もしこの世界の一般人が自分達の居た世界の人間と同じ程であるとすれば、カニとエビが人里を蹂躙する光景は想像に難くなかった。
「あー、確かに大変だわなぁ……って、オレ達大量発生したヤツらと戦ってたのかよ。てかあれ以上にいんのかよ、やべぇな」
「初期なら二、三百で済むんだがな……今回は、四桁に達してもおかしくねぇ。ま、お前らは気にすんな。それくらいならなんとかなるから」
四桁。
その数字は、もはや軍勢レベルと言っていいだろう。元来軽い気持ちで対峙するような数ではない。
しかし、平然となんとかなると言っているこの大人に、危機感は無い。むしろ狩りに行くまでの道のりの方を面倒に思っているようにすら感じられる。
「いや、手が足りないって言ってたじゃん。手伝うよ?」
「いらねぇいらねぇ、俺達大人をナメんじゃねぇよ若造共。ていうか、お前達にはやることがあんだろうが。そっち優先しろ」
やること。
何があるだろうかと一瞬考えて、答えはすぐに出された。視線を合わせ、紫鷹が代表して発言する。
「よし、観光行くか」
「「いえーい!」」
「ちげぇだろうが馬鹿共!」
わりと本気で言った発言を怒声でねじ伏せられ、三人は揃ってブーイング。
なんでこんなふざけたガキ共の世話をする気になったんだろうかと考え、何故か頭痛がしてきたような気がして額を押さえる。
「本当に、お前さん達は自由だねぇ」
「ん? そういえば、レイデさんはさっきまで一体何処に……おっと」
あまり前に出てこず先程のやりとりには全く絡んでこなかった声の主の方へと顔を向ければ、セリアルの顔のすぐ横を通り過ぎわりと豪速で顔面に飛んでくる何か。
とりあえず得体の知れない物を大人しく顔で受け取る趣味が無い紫鷹は、近くに転がっていた盾を手に取る。
見知らぬ盾の悲鳴と金属音が、ギルドに響いた。
興味の無い紫鷹は普通に盾をポイ捨て。
受け身も取れずに盾は背中から着地、息を盛大に吐いた。
「って何やってんだお前!? おい、大丈夫か!?」
粗雑な扱いを受けたオッサンにセリアルが声をかけ、彼らをそっちのけに三人は床に落ちた飛来物、袋を手に取って首を傾げる。
重さ的には中々な重量。そして持ち上げた際に中から響いた音は幾つもの金属が擦れ合い奏でる音。
咄嗟に脳裏に浮かぶのは、財布の中の増えすぎた硬貨だった。
「これは、金か?」
「そうだよ、さっきの間にアタシがお前さん達から預かっておいた素材を換金したのさ。色々と入り用になるだろうからねぇ」
呟きのような問いに対し、即座に応えが返される。
微笑を浮かべるローブ姿の女性は、ゆっくりと髪をかき上げると言葉を続けた。
「食べる気だったお前さん達にとっては勝手なことだろうけどねぇ、どうせまた狩れるんだから、今はお金にしてこの街の料理やら宿代やらに使った方が得だろうさ。ヴェラルシオもベリードエギも、この街の料理として安く食べられるから、無駄になりはしないよ」
レイデの言葉にそういうことなら、と三人は気にしないことにする。元々食べる気でいた素材が、料理された形で食べられるのだ。不満を抱く理由も無いだろう。
それに、金銭の方が素材のままよりも有用であることは確かだ。使い方が固定されていない分、むしろ換金してくれて助かったとも言える。
文句を言う気には一切ならなかった。
「そうなんだ……じゃあ別にこだわる必要なさそうだね」
「だなぁ……てか、やっぱ便利だよな、収納の魔法。オッサンも使えるみたいだし」
「ふふふ、覚えられるのなら教えてもいいんだけどねぇ……」
一葵の言葉に笑みを浮かべながら、何かを考えるように視線が宙へと移動するレイデ。
紫鷹達三人が異世界に迷い込んだ最初の場所、アゼイサル海岸で狩ったカニのハサミと脚、そしてエビ丸々一体は、ナリオレンに来る前に彼女へ預けていた。
街中を歩いていた姿からはそのような巨大な物を持っているようには見えなかったが、それは一葵が言ったように、物を収納できる魔法によって彼女が持ち運んでいたためである。
素材を独断で売ることができたのも、このことが起因している。
この世界にはゲームで言うインベントリのような物があるのかと最初は感動していた三人だが、魔法の分野に入るため使えるかどうかはやってみないと分からないと言われ、一先ずは興奮を抑えていた。
三人組は現状、魔力というものが感じられなかった。このことから、魔法を使える見込みが無い可能性もある。それでも魔法を使ってみたい、挑戦してみたいと思うのは、それが男子の夢だからだろうか。
夢は追いかけてこそ価値がある。
よって、次に紡がれた言葉に、彼らは大いに食いついた。
「そうだねぇ、アタシは明日に響かなければいいだけだし、口出しするだけなら別に疲れないから、ギルドの訓練場でちょっとやってみるかい?」
「「「マジで!?」」」
「マジもマジだよ、今回は道具の破損とかも無かったから、新しい装備の新調もしなくていいしねぇ。それに魔力を感じられるだけでも冒険者をやっていくのなら便利だし、少しでも訓練をしておいた方が身のためさ。じゃあ善は急げとも言うし、早速裏の訓練場に行こうじゃないのさ。セリアル、アタシ達は訓練場にいるからそのナマモノの世話の後はそこで合流にしようかねぇ?」
「お前ら人間の扱い色々ひでぇぞ!?」
「いや、だってその人仕事をしないクズってあの人に言われてた人だよね?」
「ん? ああ、そうだったな。じゃあ別にいいか。おい、いい大人なんだから働けよ、確かお前Dだろ、Cぐらい才能無くても地道にやればいけるんだから、精進しろ」
「あぶぉっ!?」
一度は気にかけたが、よく考えれば床に倒れていることも気にされずに踏まれていくオッサンは総じて働いていないオッサン、いわゆるクズであることに気づき、別に世話をする必要も無いと断じる。
ゴミを捨てるように放り捨てられ、容赦無く女性以外に踏まれていく姿はまさに哀れとしか言い様が無かった。
もっとも、同情する人間はその場にいなかったが。
―2―
訓練所で色々試してみた結果を、簡潔に論じよう。
なんか色々出来たけど魔力無いかもしれない。
「意味分かんねぇ、お前ら意味分かんねぇ。本当に意味分かんねぇ。なんなんだよ、マジで」
「ちなみに、歳を取ると色々な物事を理解しにくくなるらしいぞ」
「てめぇはなんで今それを口に出したのかねぇ!?」
グチグチと分かんねぇ分かんねぇ五月蝿い中年に豆知識を披露したら怒鳴られた紫鷹。解せぬと口に出しながら、目の前の料理に手を付ける。美味い。
周囲に満たされるのは絶え間を見せない喧騒。それは楽しげな笑い声であったり、もしくは怒りを乗せた叫びであったり。
されどそれが不愉快と思う者はその場におらず、自身らも百薬の長を口に流しこみながら、喧騒の一部として溶け込んでいく。
訓練所から移動した宿屋で部屋を予約してから、紫鷹、一葵、暁良の高校生組、そしてセリアルとレイデの大人組の五人は、中年おすすめの酒場でと夕餉のためにテーブルを囲んでいた。
話題の中心は、結局セリアルも共に向かった訓練場での実験、もとい訓練結果。
「でもねぇ、まさか魔力が動いた気配も見せずに収納するなんて、誰が思うかねぇ?」
分からねぇを連呼するセリアルをかばうように話を続け、苦笑いを浮かべながら水色の酒で水面を揺らすコップを傾けるレイデ。
見た目からは酔っているようには見えないが、いささか気分が高揚しているように見えるのは間違いないだろう。
面白い物を見るような目が、紫鷹達へと向けられていた。
「んー、でも使えたっていうか、使えるのが普通っていうか……そんな感じだったんだよねぇ」
可愛らしい顔が不思議そうな表情を浮かべ、皿に高く積み上げられたベリードエギのザク切りステーキの一片に手を付ける。
というか料理はそれしか出されていないが、すでに注文は終えているため問題はない。
目の前の皿は小山のよう。しかし年頃の男にとっては造作も無い量である。特に一葵が次々と口に放り込んでハグハグと止まらない咀嚼を続けている。
「ばんふぁふひふふぉはふひふぁいふぃべふぃふぁぼふぁ?」
「なんか指動かすみたいにできたよなぁ? と言っているぞ。まぁそこは同意するが」
げっ歯類の頬袋があるのではないかと思えるほどに口の中にエビを詰め込んだ男の分かりにくい言語を難なく変換、代弁しつつ目の前のコップに口を付ける紫鷹。
あまり食べている風には見えないが、少なくともエール五杯目に突入しているオッサンよりは進んでいる。
明日の遠征のことを覚えているのかは定かではなかった。
「指動かすだぁ? こちとら収納できるようになるまで普通に半年かけたってのに、そんな簡単にやってもらっちゃ馬鹿らしくなるぞ、ちくしょう」
「……いつもどおり酒の進みが早いねぇ、これで潰れるまでが長いんだから世話ないよ」
「おい嬢ちゃん、エールもう一杯!」
「はいエール一丁かしこまりましたぁ! それでこちらご注文のヴェラルシオの肉団子でーす!」
ちょうど品を持ってきたらしい可愛らしい酒場の娘が早々に景気よく六杯目を注文する中年の言葉を受け取りながら、慣れた手つきで高く積まれた肉団子を崩すことなく皿を置く。
これもまた美味そうに湯気を昇らせており、すかさず育ち盛り達が手を付ける。その勢いを、少しずつ料理に手を付けているレイデが「若いねぇ」と微笑ましそうに眺めていた。
「それにしても、本当に不思議だねぇ。収納は普通に出来てたけど、他の魔法はそれほど強くなかったしねぇ? しかも魔力は感じられない……お前さん達、ちょっと実験に付き合わないかい?」
「このタイミングでの実験の誘いなんて普通に身が危ぶまれるから無しだな」
「残念だねぇ」と可笑しそうに笑いながらマッドな雰囲気を醸し出す女性の要請を断りつつ、訓練場での一時を紫鷹は思い出す。
便利だろうと目をつけていた収納の魔法。こちらはすぐに扱えるようになった。
スムーズに、というほどではないにしろ、日常生活で不便に思うこと無く発動できるようにはなっている。むしろ、使える時点で便利であるに違いない。
なにせ、元の世界ではどんな物でもとりあえずは持ち運ばなければならないのだ。それに比べれば、常時手ぶらで歩けるというのは便利だろう。
それに加え、試してみた魔法の数々……基本的にどのような物を発動するのかというイメージをし、体内にある魔力を操作しなければならないという話をされたものの、結局体内にある魔力自体を感知できないのだから、操作する以前の問題だ。
詰まる所、イメージの力によって誘発されただけだろうという結論に至った、ライターの火や水鉄砲、土の小山にそよ風の現出も数秒も持たずに消えてしまった。
魔法が使えるという証拠は提示されたものの、使えると呼べる程に至るまでの道のりの長さを突きつけられたようで、なんとも言えない気持ちにさせられる。
けれど、地球での勉強よりも面白い道のりであることには違いなかった。これほど顕著に結果が現れる努力を向ける対象も無いだろう。
大火球や雷などは後のお楽しみと考えれば、努力など微塵も苦痛ではない。
毎日扱っていればそのうち魔力も感じ取れて操作も楽になる……かもしれないということも聞いているため、目先の目標は魔力を感じ取るということになる。
「べほふぁいふぃふぃふんふぇんふぃぶぶべべぇぼふぃふぇべぇぼふぁ……ふぉばふひへぼばふぉふぃべぼふふぃふぉふは?」
「ああ、その方がいいかもな」
「んー、でも汗掻くしなぁ。後より前じゃない? じとじと状態でやりたくないよ、僕」
「ば、ぼふぇばふぉっふぃべほふぃふぃんふぁへ?」
「風呂に入った後でもいいだろうし、そこはまた後で考えればいい」
「だからなんでお前らはそいつの言ってることが分かんだよ……」
「「幼馴染作用」」
「幼馴染ってすげぇんだな……俺、知らなかったぜ」
「いや、多分この子達だけだと思うけどねぇ……ところで、酒は飲まないのかい? 勝手に換金してなんだけど、ここはアタシ達の奢りなんだから、関係なくたくさん飲んで食べていいんだよ?」
からん、とレイデは手持ちのコップを揺らし、心地良い氷の音を鳴らす。
この世界の酒に関する年齢制限等の情報は無いまでも、その物言いから紫鷹達の見た目年齢であろうと飲酒は問題がないらしいことが分かる。
しかし、だからと言って飲むとは限らない。
「いや、俺達のいた所では二十歳まで酒はダメってことになっていてな……一応、それに添おうと思っている」
「なんだぁ? そんな歳まで飲めねぇなんて人生損してるぜ!?」
「二日酔いで苦しんでいる時間は人生の損じゃないのか?」
「おいやめろ、酒を飲む楽しみを半減させるようなことを言うな」
「確かに一杯目は美味いのかもしれない。だがその次の酒は本当に美味いのか? 味覚は麻痺していないか? 食事を楽しむことを阻害する要因になっていないか? 酒を楽しむにしても、酔うことではなく味を楽しむべきじゃないのか? 楽しく、気持よくなれるのかもしれないが、酒に任せてそうなっていいものなのか? 快楽に任せて、大事な物を見失ってはいないか? 楽しい一時を酒が無いと演出できない、それは本当に楽しくなりたいと思っている時に飲んでいる酒なのか? そもそも楽しい空気という物は、酒というアイテムが無くとも作り上げることのできる物ではないのか? 今抱いている楽しいという感情は、本物なのか?」
「やめろぉおおおおおおおお!」
「お待たせしましたー!」
無駄に酒を飲むという行為を考えさせられかける言葉を断ち切るように叫ぶ。
そしてちょうどその時六杯目が届き、杯がセリアルの目の前に置かれた。
場に流れる沈黙。
若者達が向けるニヤニヤ。
魔法使いも向けるニヤニヤ。
オッサンは、見るからに目の前の一杯の処遇に困っていた。
「……まぁとどのつまり、飲みたければ飲めばいいだけなんだがな。さぁ一気、一気!」
「「一気、一気!」」
「もうお前ら嫌いだよちくしょぉおおおおおお!」
明らかに飲むことをやめさせようとしているようなことを言っておきながらそれを無駄にして煽ってくる紫鷹と他二人。
さらには煽るためにわざわざ口の中の食べ物を飲み込んで発音よく言ってくる一葵がさらにムカつく。
しかし場は整ってしまい、煽りに流され六杯目を一気飲み。
テーブルに叩きつけるように空のコップを置いたセリアルに、紫鷹は冷静な視線を向けて一言。
「さて、今の一杯は何を見失わせるんだろうな」
「お前何なの!? 俺の心乱して一体何しようっての!? そんで俺はなんでこんな若造どもにおちょくられてんだよぉおおおおお!」
反応が楽しい三十一歳独身である。
そんな見事にからかわれているオッサンを軽く無視し、ゆっくりと飲んでいたレイデがフォークをエビの身に刺しながら、思いついたように口を開いた。
「そういえばお前さん達、明日からどうするんだい? アタシ達は遠征に行くから一週間くらい居ないよ? 宿代食事代、置いていくかい?」
「それは大丈夫なんじゃね? タカ、確か宿代と食事代、数日分はあんだよな?」
「ああ、数日分はな。さっき見た宿代と、外の軽食代を比べてみてもそれくらいはある」
「数日あれば、また稼げるんじゃないかなぁ。それともこの辺りってあのカニとエビくらいの換金率になる獲物っていないの?」
「まぁ街の周辺だから、それほど強いのはいないねぇ。居てもせいぜいE、D、が居るレベルだし……まぁEでも頑張れば一日分になるよ。Fだったら、本当に大量に狩らないといけないけどねぇ?」
「それは……見つけるのにも苦労しそうだな」
「まぁねぇ……でも大丈夫だと思うけどねぇ。モンスターはいなくならないし、辛抱強く狩れば宿代は貯まるよ、頑張ることだねぇ」
「……いなくならない?」
聞き捨てならない。
紫鷹は口に運ぼうとしたコップの口を離し、目を細めてレイデの方へと視線を向ける。
「ん? どうしたんだい? 何かおかしなこと言ったかねぇ?」
「いや、おかしくはないのかもしれないが……モンスターは、いなくならないのか? 全滅、逃避、色々あるとは思うんだが……」
「当たり前じゃないのさ、何を言ってるんだか。何処からともなく湧いて出て、増えていくのがモンスター。そう教えられなかったかい?」
「……そういうものなのか」
「そういうものだねぇ」
特におかしいことは言っていない。
そんな態度でエビにフォークを伸ばす彼女の言葉に、紫鷹は「そうか」と軽く返して肉団子にフォークを伸ばす。
聞きたいこと、気になることはできたが、酒、食事の席で聞くようなことではない。
なんとなくそんな感じがして、追求することはなかった。
それよりも、目の前に迫った問題が、一つ。
「くっそ……おい嬢ちゃんエール五杯一気に持ってきてくれや! もう遠慮しねぇ、飲んで飲みまくるぜ俺はよぉ!」
「ちょ、セリアル、アンタ明日があるんだよ!?」
「うっせぇ! お前も飲めばいいじゃねぇか、何縮こまってよえぇ酒ばっか飲んでんだ! いつも俺とエールがぶ飲みしてるレイデ先生は何処に行ったんですかねぇ!?」
「なっ!? し、新人の歓迎会も含めた食事だって言うからアタシは……! い、良いじゃないのさ、どっちかが潰れるまで飲もうじゃないかねぇ! こっちもエール五杯、早く頼むよ!」
これ歓迎会だったのか、という軽い驚きの視線を向けられても気付かず、からかわれてやさぐれ酒に溺れようとするオッサンと、酒を飲んで気を大きくしたらしい女性。
今にも始まらんとする酒飲み対決の末に見える介抱的な光景に、少年三人は視線を交わして頷き合う。
よし、食おう。
酔っ払った大人の世話。
面倒事に備え、今は胃に腹に体に栄養を送るべし。
共通化された認識を新たに、少年達は戦の前の腹ごしらえに挑んだ。
うん、まぁちょっとした説明回だよね(((――)))