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「水使い!? では、四大魔法使いの一人だと!?」
驚いたようにアルフィーンは叫ぶと、水色の魔女へと真っ直ぐに視線を向けた。
作り物めいた美しい容姿。透き通るような、白い肌。
しかしそれは顔のみ。
両手は青黒くただれ、そのただれは首筋にまで及んでいた。
怒りで歪んだ顔は、それでもなお美しかったが、やはり怒りの表情を貼り付けた人形を見るようだった。
「お前は、イディア」
怒りに震えたその声は氷のように冷たく、室内の温度すら下げる。
「あら、スーリャ。相変わらず悪趣味ね」
「お前のその姿こそなんだい? ずいぶんと可愛らしい姿だこと」
「あんたと違って、私が本当の姿になると、誰も彼もが私の美貌に惑わされてしまうからね」
「ふん、馬鹿をお言いでないよ、その程度で」
「あんたこそ、その青黒い手は随分と手入れが行き届いているようじゃない?」
あざけるように笑うイディに向かって、スーリャは顔を紅潮させた。
「お前の仕業かいっ!?」
それにはイディは笑って答えなかった。
スーリャは部屋をゆっくりと見渡し、王子の側に立つシャリオンに視線を止める。
「お前か?」
凍えるほどに冷たい呼びかけを気にした風もなく、シャリオンはただ一心に呪文を唱え続けている。
突然現れたスーリャに気付いていないのか、視線を送ることすらしなかった。
無視されてカッとしたスーリャが、右手を小さく振ると、氷の矢が勢いよくシャリオンめがけてとんでいく。
「シャリオン殿!」
アルフィーンが叫んでシャリオンへと駆け寄るが、間に合わない。
シャリオンは視線を向けることなく、ゆっくりと空いた左手を上げた。
氷の矢が、シャリオンの左手に吸い込まれて消滅する。
「なっ!?」
スーリャが驚きに声をあげた。
シャリオンは呪文を唱えるのを止め、シャリオンのすぐ横に駆け寄ってきたアルフィーンを振り仰いだ。
「下がって下さい」
短くそう言うと、まっすぐにスーリャを見据える。
「これで全てです」
その言葉と同時に、スーリャはびくんと大きく体をのけぞらせ、苦痛に顔を歪ませた。
シャリオンが王子にかけられた呪いを全て返したのだ。
アルフィーンが王子に視線をやると、王子の頬に微かに赤みが差している。
「王子……」
アルフィーンから安堵の呟きが漏れた。
ただれた肌が元に戻ったわけではない。愛らしかった王子の顔は、やはり思わず目を背けたくなるようなひどい有様だった。
おそらく、完全に元に戻る事はないだろう。
それでも、もう死の危機からは抜け出せた。
それだけで、十分だった。
「このっ、このっ!!」
苦痛に体をくの字にして苦しんでいたスーリャは、きっと顔を上げ、シャリオンを睨み据えた。
彼女の顔は、半分が青くただれ、無惨な様子に変わり果てていた。
「はっ、自業自得」
イディが短く吐き捨てる。
スーリャの体から、水色の炎が立ち上った。
怒りに燃える目を、真っ直ぐにシャリオンに向けて、小さく呪文を唱え始める。
部屋の温度が急速に下がる。
過ごしやすい温度に保たれていた部屋は、たちまち真冬のように寒くなった。
「止めなさい!」
シャリオンが叫ぶが、スーリャは止める気配はない。水色の炎はさらに大きく広がっている。
シャリオンめがけ、何度も繰り出される氷の刃。
しかし、やはりそれはシャリオンには意味をなさない。
怒りに我を忘れた様子のスーリャは、そのまま、シャリオンへと直接襲いかかってきた。
シャリオンは王子の側から離れ、それを受け止める。
シャリオンの体が青く輝く。
収束する炎。
平静な顔を保っていたシャリオンの顔が、微かに歪む。
「シャリオン!」
悲鳴のような声が、アルフィーンの背後から聞こえた。
「大丈夫だよ、イディ」
あまり大丈夫とは聞こえない声で、シャリオンが答える。
「腐ってもそいつは四大魔法使いなのよ! 無茶よ!
そいつの魔力を吸い尽くせるわけないでしょう!?」
イディがさらに強く叫ぶ。
アルフィーンは、ただシャリオンとイディを交互に見やることしかできない。
シャリオンに近づきたくても、見えない壁に阻まれているかのように、近づく事が出来ないのだ。
「っの、馬鹿っ!」
短い罵声は、少女の物ではなかった。
つやのあるアルトの声。
驚いてアルフィーンは背後を振り返る。
少女が立っていたはずのその場所にいるのは、少女とは呼べない、美貌の女性だった。
朱金の髪がなびいていた。
すらりと伸びた四肢。
何より印象的な、紅玉の瞳。
「自滅するならよそでおやり。シャリオンを巻き込むんじゃないっ!」
紅い炎が立ち上る。
部屋の温度はたちまち元の温度へ戻り、さらに高くなっていく。
少女とは言えないその女性は、つかつかとシャリオンの側へと近づいていく。
見えない壁などないかのように。
「イディ……」
シャリオンが弱く呟く。
「私のシャリオンに勝手に触るんじゃない!」
そう叫んで、イディはスーリャの腕を掴むと、強引にシャリオンから引き離した。
バチーン!
小気味いい音が響く。
イディがスーリャの頬を叩いたのだ。
「これ以上魔力を吸い尽くされたくなければ、とっととどこかへお行きっ!
二度とシャリオンの前に現れるんじゃないよ!」
頬を押さえたスーリャが、きっとイディを睨み付ける。
「イディ。イディア・レイシル!
私をこのまま帰した事、後悔したって知らないよ!」
吐き捨てるように言い捨てて、スーリャはすっと姿を消した。
「イディア・レイシルだって!?」
驚きの声をあげたのは、アルフィーンだった。
まじまじと、目の前に立つ炎を纏った女性を見つめる。
水使いスーリャと対等に話し、彼女の魔力にも怯まない。
そんな人間が、そういるはずがなかった。
「そうです。彼女は四大魔法使いが一人。
偉大なる炎使いのイディア・レイシルです」
どこか誇らしげにそう言ったのはシャリオン。
彼は眩しそうにイディを見つめたまま、弱く微笑む。
「すみません。また、迷惑をかけてしまいました」
「そう思うんなら、もっとしゃんとしてちょうだい!」
照れたようにそっぽを向きながら、そう呟いたのは、朱金の美女。
「ほら、早く王子を見てやりなさいよ。
呪いを解いたら、後は医者の仕事でしょう?」
「はい」
柔らかくシャリオンが微笑んだ。