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「それで、ご用件は何でしょう?」
柔らかく、上品な物腰でシャリオンはアルフィーンに声をかけた。
その落ち着いた様子は、とても少年の物とは思えない。彼の声音や、眼差し、態度からは、見た目にそぐわない思慮深さと落ち着きがうかがえる。
魔法使い。
魔法使いの年齢は、その姿からでははかれない。
彼の知る宮廷魔法使いには、出会った当初と変わらぬ容姿を保つ者もいる。
アルフィーンは目の前の少年と少女を交互に見やって、小さく息を吐いた。
「先程は失礼した。貴方が真実最強の魔法使いといわれる存在なのかを試そうと、無礼をはたらいてしまった。申し訳ない」
外に待機させていたのは、国でも有数の魔法使い達。
それを、難なく見透かされてしまった。
彼らが、強力な魔法使いである事は間違いないだろう。
「そんな事より、騎士である貴方が、あえてそのような無礼をはたらかざるをえなかった事情を説明して下さい。
それだけ、急を要する事があったのでしょう?」
シャリオンの言葉は優しい。深く、柔らかい。
そこには静かな慈しみが現れている。
ふいに、緊張の糸が途切れたように、アルフィーンは小さく体を震わせた。
「ああ、どうか!」
感極まったように、アルフィーンは声を上げていた。
「どうか、王子を助けて下さい!」
アルフィーンは濃い絶望と恐怖を声に乗せ、深く、深く頭を下げていた。
「シャリオンは医者なのよ」
少女が梯子の上段から、次々と薬を選別して投げおろすのを、アルフィーンは黙って受け取る。
「とっても優秀なの。でも、バカなの」
そう言って、少女は腹立たしげに薬の瓶を放り投げ、アルフィーンは慎重にそれを手に取り、近くにあるテーブルにそっと置く。
「傷ついた人を見過ごす事は出来ないの、バカだから」
アルフィーンらの無礼をあっさり受け流し、王宮に赴くことに同意を示したシャリオンに、というより、シャリオンの人の好さに付け込んで王宮に連れ出すことに成功したアルフィーンに対し、苛立ちを抑えられないのだろう。
彼女の動きは、だんだんと乱暴になっていく。
改めて辺りを見まわせば、小さな部屋に、所狭しと積まれた膨大な医学書と、様々な薬草。医学書のみを見れば、王立図書館の蔵書にも決して引けを取らないだろう。
使い込まれた様子に、シャリオンの勤勉さが透けて見える。
「イディ殿は」
笑いを含んで、アルフィーンは言葉を続ける。
「本当にマクリール殿を慕っておられるのだな」
「なっ!?」
イディが真っ赤になってアルフィーンを振り返る。
「何言って!」
「イディ!?」
「危ないっ!」
動揺の余りバランスを崩したイディに、奥の部屋から現れたシャリオンとアルフィーンが、ほぼ同時に声をかける。
「きゃっ!」
小さな叫び声とともに、イディが落下する。
アルフィーンとシャリオンが同時に手を伸ばし、イディの体に触れる寸前、シャリオンは体を硬直させた。
とすっ。
軽い音とともに、少女はアルフィーンの腕の中に落ちる。
「イディ………」
力ない、安堵の呟きが響く。
「ありがとうございます、アルフィーン殿」
手を伸ばした瞬間、落とした数冊の医学書を拾い集めながら、シャリオンがぎこちなく笑って礼を言う。
「ちょっと、下ろしてちょうだい!」
高飛車な声が耳元で響き、慌ててアルフィーンはイディを床に下ろした。
「一応礼を言っておくわ。ありがとうアルフィーン」
ぱたぱたとスカートをはたきながら、さしてありがたくもなさそうに、イディは礼を言う。
「ああ」
アルフィーンは苦笑して、倒れた梯子を再び立てかける。
「シャリオン!」
ぴしゃりと指をシャリオンの眼前に突き立て、イディはシャリオンを真っ直ぐに見据えた。
「は、はい」
ビクン、と肩をすくめるシャリオン。
「こんな事で動揺するんじゃないわよ! 私は平気だったわ。無事だわ! 文句ある!?」
「あ、ありません」
しゅんとうなだれるシャリオンを、アルフィーンは不思議そうに見つめていた。
「王子は、原因不明の病に、いいえ、何者かの呪いにかかっているのです」
王子の部屋の扉の前で、アルフィーンは苦く呟く。
アルフィーンに伴われて王宮までやってきたシャリオンとイディは、王との短い謁見を終え、早速、病に倒れたという王子の部屋まで来ていた。
「病ではないのですか?」
シャリオンが確認のために問いかける。
「国中の医師という医師が、そして魔法使いが、原因不明とさじを投げている状態です」
「ふうん、確かに、高位の魔法使いによる呪いって可能性が高いわけだ」
イディが馬鹿にした様に言う。
「それだけ、せっぱ詰まっているという事でしょう」
窘める様にシャリオンが言うと、イディはそっぽを向いてみせる。
先刻の王との対面に腹を据えかねているらしい。
目の前に現れたシャリオンに、落胆の表情を隠そうともしなかった国王。
彼は、シャリオンが最強の魔法使いだなどと、露ほども信じてはいない様子だった。
魔法使いは、王と個別に契約を結んでいる宮廷魔法使いを除けば、本来どの国にも所属するものではない。
魔法使いは、国ではなく、「理の塔」と呼ばれる魔法使いの塔にのみ所属する。
ゆえに魔法使いには、王に首を垂れる理由はない。対して王も、魔法使いに相応の敬意を示すべきなのだ。まして、世継ぎの王子を助けようとする者に対する態度ではない。
その、無礼極まりない態度に、イディは怒っているのだ。
「とりあえず、会わせていただけませんか?」
「あ、はい」
アルフィーンがゆっくりと扉を開く。
開けた瞬間に、中から漏れ出る異臭。
「これは」
肉の腐った様な匂い。その臭いに、イディは思いっきり顔を顰め、シャリオンも小さく眉根を寄せた。
中央のベッドに横たわる少年は、顔は青黒くただれ、苦しそうにあえいでいた。
「これはひどい」
ベッドに足早に近づいて、シャリオンは少年の様子を覗き込んで小さく呟いた。
イディはシャリオンの背に隠れながら、ハンカチで鼻を塞いで少年を見ると、すぐに視線を逸らした。
それほど、少年は醜い姿であった。
肌に白い部分がない。
唇の色が、まるで死人の様に青い。
微かに漏れる息が弱かった。
「呪いだね。水の呪い。呪いを返しても、完全に元の姿には戻らないわよ。ホントに、悪趣味な呪い」
イディがシャリオンから離れながら、心底嫌そうに言うと、アルフィーンが驚いた様にイディに駆け寄った。
「それでは! 王子は助かるのですか!?」
「呪いを返せばね。返された相手はどうなるか知らないけど」
うげえ、と気持ち悪そうに息を吐きながら、イディは扉へと向かう。
「イディ殿!?」
「シャリオンが返してくれるわよ。ちょっとホントダメ。気持ち悪い。
すっごい悪趣味。性格悪いあの女のやりそうな術だけど。さいてー」
「イディ殿!? 誰がやったんですか!? 貴方は知っていらっしゃるのですか?」
扉に駆け寄って、ぜーぜーと息を吐いていたイディは、嫌そうにアルフィーンを振り返る。
イディが取っ手に手をかけ、振り向いて口を開いた瞬間、勢いよく扉が開かれ、イディの後頭部を直撃した。
「きゃっ!」
「アルフィーン! これはどういう事だ!?」
イディの悲鳴と、低音の怒りを含んだ声が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、豪奢な衣装を身にまとった中年の男だった。
男は、両手で額を抑えるイディにちらりと視線をやった後、さも嫌そうにハンカチを鼻へと持っていった。
「これは、王弟殿下。何事でしょう?」
すっと表情を消して、アルフィーンは扉を開けたまま、さも汚らわしいというようにそれ以上入ってこようとしない現国王の弟に問いかけた。
「何事だと? こんな氏素性の知れぬ者達を王子の部屋へと連れてきておいて、お前こそ何をやっているのだ。
しかも、こんな子供……」
「ちょっと、あやまんなさいよ」
馬鹿にしたように言う王弟に対し、アルフィーンが口を開こうしたまさにその時、怒りに震えた幼い声が響いた。
「イディ殿」
「ノックもしないで扉開けて、礼儀も何もあったモンじゃない!
王弟? 第一王子の部屋に、勝手に入れるほど偉いわけ?
レディの頭ぶつけといて、謝らない無礼もんのくせに!」
はっ、と吐き捨てるように言うと、王弟の背後に控えていた兵士がイディに剣を向けた。
しかし、次の瞬間見えない壁にはじかれたかのように、兵士は背後へと飛ばされる。
「なっ?」
悠然とイディを見下ろしていた王弟が、すっと顔色をなくす。
アルフィーンも、驚いてイディを見つめていた。
ここは王宮で、しかも第一王子の部屋である。
この部屋で、魔法は使えるはずがなかった。
宮廷魔法使いが、魔法が使えぬように結界を張っているのである。
「何驚いてんの? ああ、結界のこと? こんな子供だましの結界、意味ないわ」
くすっとイディが笑う。
「イディ」
静かに窘める声に、イディは微かに眉をひそめて見せた。
「だって、ばっかじゃないの? 現に王子は魔法で呪われてるってのに、ここでは魔法が効かないって信じてるの?」
「お前、何者だ?」
震える声で言葉をはき出したのは王弟だった。
その言葉にはっとしたように、兵士達が王弟を守るように取り囲む。
「お前のような子供が!?」
「子供子供って、魔法使いの本当の年なんて、誰が分かるって言うの?」
心底馬鹿にしたようにイディは笑う。
その言葉に、はっとしたようにアルフィーンはシャリオンを振り返った。
その視線に、シャリオンは苦く笑う。
「シャリオン、さっさと呪いを返してやりなさい。
どうせこいつは、あんたにそんな事出来ないって確かめるために来たんでしょうよ」
「イディ」
「どうせ返さなきゃなんないでしょう?」
ふふん、と笑ってみせると、シャリオンははあっとため息をついた。
「アルフィーン、そいつを王子に近づけるんじゃない!
そんな怪しい奴を、王子に触れさせるのか?」
大声で叫ぶ王弟に、アルフィーンは冷たい視線を送る。
「彼は医師ですよ、王弟殿下」
「アルフィーン!」
「シャリオン殿、よろしく頼みます」
「はい」
短く答えると、シャリオンは王子の手を取った。
青黒くただれた、細い、それこそ骨と皮だけのようにやせ細った小さな腕。
その様子にシャリオンは痛ましげに眉をひそめる。
やがて微かに、呪文を唱えるシャリオンの声が響き始めた。