遅すぎた幕間 「オッカム潜入記 その一」
オッカムの振るった剃刀が少女の首にかかる直前、少女は初めからいなかったかのように消えてしまった。
小部屋には彼女とそれを映す大きな鏡だけが残った。
彼女が小部屋から出ると、赤服を着た西国兵二人と乳白色の服を着た東国兵が一人倒れている。
彼女はまず縛られているデクストラ兵に向かった。
兵士の薄くなっている髪をつかんで起こす。
「状況を説明しろ」
簡潔であった。男に拒否権などありはしない。
「わ、わからない! い、いきなり部屋の奥から奴らと金髪の女が現れたんだ! そのあと、剣を突きつけられて、おどされて仲間のことを話した。それであいつらは眠っていた仲間を殺して、そのあと交代で戻ってきたやつも殺した」
彼女はその鋭い目つきで静かに男を睨みつける。
「それだけか?」
「そ、それしか知らない。ほんとうだ。話したから命だけは助けてくれ! この基地で生き残っているのはもう俺だけなんだ」
彼女は男が嘘をついていないと判断した。
「それは違う」
もうこいつに用はないというように左手で持った剃刀はすばやく男の首を切り裂いた。
男は一瞬なにをされたのかわかっていないようだった。
自分自身の首から湧いて出た赤い噴水を見て、ようやく自分が何をされたかを知ったのだろう。
男の口から悲鳴があがる。
「誰も生き残らない」
オッカムは静かに男の最期を見送る。
すぐに男は倒れ何も言わなくなった。
部屋には血だまりが出来ていた。その赤い池をオッカムはかまわず歩いて行く。
倒れていた赤服の一人、後ろで髪を結んだ男の腹を数回ほど軽く蹴る。
それでも起きなかったため軽く屈み何度か平手で後ろ髪の頬を張った。
何度目かの平手打ちで男の目が覚めた。
「ここは……」
男は状況が理解できていなかった。
「お前らが襲撃したデクストラの基地だ」
彼女はすでに男を床に伏せさせ、その上に乗りかかり腕を押さえている。
男は身動きがとれない。
「どういう経緯でこの基地を攻め込んだのか説明しろ」
後ろ髪は状況が徐々に掴めてきたようで焦ってはいるが、何も言おうとしない。
仕方ないので、オッカムは押さえていた男の腕間接を逆に決めた。
部屋に鈍い音が伝わる。後ろ髪も口から短い悲鳴があがる。
彼女はその腕から手を離す。
本来、曲がらない方向に曲がってしまった腕は力なく床に落ちた。
「ぐぁ!……あ、あぁぁ」
男は逆くの字になった腕を見て、そしてその痛みによってうめき声を出す。
さらに男は腕以外のものも見たはずだ。
折れた腕の先には、先ほど首を切り裂いたデクストラ兵士が倒れている。
その周りにできた赤一色の血の池も見ただろう。
「説明をしろと言っている。腕はもう一本ある。足は二本、指は二十本だ。そのあとは耳、鼻、まぶたと削ぎ落として顔を整える」
彼女は後ろ髪の頭を掴んで捻り、もう一人の髭男へと視線を向けさせる。
髭男はまだ泡を噴いて倒れたままだ。
「それでも言わないなら次はあの男に喋らせる。お前の整った顔を見た奴の口はよく動きそうだ。それと……勘違いをしてはいけない。私はお前達を殺すのが目的ではない。素直に喋れば苦しむことはない。今なら腕一本と奴の命だけで済む……どうだろう?」
それを聞くと後ろ髪は気持ちが一気に瓦解したようだ。
目から涙、鼻から鼻水、そして、その口は次から次へと情報を垂れ流す。
シニストラ軍が自分たちを捕らえるために、急遽、特別部隊を送ってきたこと。
部隊の構成人数。その中にいる二人の能力者の特徴といったことを後ろ髪は話した。
どうやら本来の目的は彼女とルイゼットの捕獲で、この基地の襲撃はおまけのようだ。
「他になにかないか?」
「もうない! ほんとうだ! 全部話した! だから……」
「よし」
オッカムは後ろ髪の顎と頭をそれぞれの手で支える。
そして男の首を回転させた。首はごきりと音をたてる。
首がねじれた男の目がオッカムと合った。
えっ、と男の口から漏れる。
「もう苦しむことはない」
後ろ髪はもう動かない。
この状況を彼女は理解した。
もう一人の髭男も必要なくなったので処分する。
髭男はナイフを持っていたため、それも回収した。
デクストラの基地から出たオッカムは、鏡少女に捕らわれたルイゼットを助けるためシニストラの基地へ向かうこととした。
彼女はまだ暗い霧の中を慎重に進む。
デクストラの基地ではもう一人の能力者がいなかった。
おそらく片方ずつを自分たちに差し向けている。
次に来るとすると銀章を持っているという槍使いだ。
彼女はそう考えていた。
武器の刃で、長物ならばおそらく基地で迎え撃つよりも外の広いところで戦うタイプだろう。
しかし、銀章をもつほどならば、その刃は自然と知れ渡るはずだが蒼い槍というのは聞いたことがない。
そのため彼女は周囲への警戒を最大限に張っている。
自分たちを捕らえることを目的としているならば、そこまで急ぐ必要はない。
少なくともルイゼットは自分を捕らえるまでは殺されないし、連れて行かれもしないだろう。
そのため走る足はかなり抑え、左手にはすぐに対応ができるよう刃である剃刀を、右手には先ほど回収したナイフを持っている。
視界はまだかなり悪く、相手の気配を察しすぐに対応できるように神経を使う。
島の中間地点にある柵を越える。柵の前にやはり兵士は立っていない。
シニストラ側には兵士が数人立っていた。
彼女は霧に紛れて一人ずつ確実に眠らせていった。
道なりに進んでいくと、少し開けた場所に出た。抜ける道が右と左に二本ある。
オッカムはこの分かれ道について聞いていなかった。
おそらくどちらから行っても基地につくのだろうが、あまり時間を無駄にしたくない。
彼女が悩んでいると左の道の先から複数の足音が聞こえてくる。
道端にある木陰に身を隠す。
霧が出て視界も悪いため気配を消しておけば、まずばれることはないだろう。
「もう少しで国境です」
「そこで対象を迎え撃つ、急ぐぞ」
エリートの赤服二人に、下っ端の青服一人、それにホルダーの緑服一人の西国兵が計四人。
どうやら青服の下っ端が他の三人を道案内しているようだ。
顔は彼女の位置からはよく見えない。
しかし、緑服の一人は明らかに雰囲気が違う。その手には長物をもっていた。
あれが話に聞いていた槍の刃で、彼がそのホルダーだろう。
オッカムはこのままこの木陰に潜み、彼らが通り過ぎるのを待つことにした。
赤服二人が木陰の前を通り過ぎようとする。
しかし、下っ端と槍使いがこちらに来ない。
見ると、槍使いが下っ端の肩を掴み止めている。下っ端は槍使いを振り向く。
「どうされましたか?」
槍使いはぼんやりと立っている。下っ端の質問には答えない。
赤服の二人も彼らがついていないことに気づき、彼らの方を振り向く。
オッカムの方からは彼らが背を向けた形になった。
「気づかないかい? こいつは血に飢えた獣の臭いだよ。出てきなよ、狼さん。遊ばないか」
透き通るような澄んだ声。槍使いのものだろう。
その口調はふざけているようだった。
しかし、彼の視線はオッカムを確かに貫いていた。
気配はうまく消したつもりであったが、まさか臭いでばれるとは想定していなかった。
そこからの彼女の行動は迅速だった。
木陰から飛び出し、こちらに背を向けていた赤服の首を斬る。
もう一人の赤服がこちらを驚いた表情で見たが、その首も斬りつけた。
赤服二人はあっという間に地面に倒れる。
槍使いのほうをすぐにむき直す。
彼の前方に立っていた下っ端はびっくりしたようで目をぱちぱちさせてオッカムを見ている。
一方、槍使いは「お見事」と呟き、にやにやと楽しそうな顔をしていた。
この槍使いは槍も瞳も、髪の毛までも蒼い、青ではなく蒼だ。
着ている服だけが蒼ではなく、ホルダーを表す緑であった。
彼の身長は目測ではオッカムよりも頭一つぶん大きく見抜けられる。
体格は引き締まっており、無駄な部分はなさそうだ。
顔はにやにやとふざけているが、たたずまいは武人のそれであった。
しかし、彼はまだ片手にもったその槍を構えず、切っ先もだらりと下がったままである。
オッカムはこれを好機として、蒼髪との距離を一気に詰める。
これを見るや蒼髪は片手で下っ端の首根っこをつかみ思いっきり後ろに投げ捨てた。
投げられた下っ端は蒼髪の後ろで尻餅をつき、それでも勢いは収まらず、後転していた。
頭を三度ほど打ち付け地面を転がったあと、動かなくなった。
おそらく気を失ったのだろう。
蒼髪のこの動作によって、オッカムと蒼髪の距離は一足一刀の間合いにまで縮まった。
この距離なら槍を振るうよりも速く、その首をナイフで狩ることができる。
そう判断したオッカムはそのナイフで彼の首を狙う。
しかし、最高速で振るわれたナイフは虚空を切った。
この蒼髪はほんの少し体を逸らしただけでその斬撃を完璧にかわした。
オッカムの中に動揺が走る。
ありえない……いまの速さはなんだ。
たとえ太刀筋が読めたとしても完全に避けられることはなかったはずだ。
もし避けようとしたなら、刃の力によって動きを減速させるはずだった。
しかし、蒼髪の動きは最小限、さらにその動きは見きれないほどに速かった。
蒼髪はその動揺を見逃さない。
槍を持っていない方の腕が伸びオッカムの腹を掌打する。
オッカムの息がはき出される。
反射的に後ろに飛ぶことでその威力を減らしてはいたが、体が浮かび大きく後ろに飛ぶ。
宙に浮いたオッカムを蒼髪は逃がさなかった。
片手に持ち、切っ先を下げていた槍を素早く構え、オッカムに向けて突き出す。
これはまずい。そう判断したオッカムはついに刃を使った。
突き出される槍を睨む。槍の速度は確かに落ちた。
しかし、集中が足りなかったため、槍はあまり減速されず自分に向けて伸びてくる。
オッカムは体を無理矢理よじらせてその直撃を避ける。
完全に避けることはできなかったが、かする程度ですませることができた。
オッカムの体は後ろに飛び、地面に落ちた。すぐに体勢を整える。
蒼髪はそれ以上の追撃をせず、こちらを見て楽しげに笑っている。
「いやぁ、すごい、すごいな。今のは完全に入ったと思ったんだけど、さすがに隊長ってところかな。それに突きの速度が落とされた。それが狼さんの能力かい」
相変わらずその口調はふざけているようにしか聞こえない。
襟につけている銀章が光る。どうやら伊達じゃないようだ。
さらにこの蒼髪はオッカムのことを隊長と呼んだ。
どうやら彼女の正体を知っているらしい。
「私のことを知っているのか?」
「おっ、ついに口を開いてくれたね。うん、聞いてるよ。刃の解放軍の第三部隊隊長のオッカムさんでしょ。強いって聞いてたけど、ほんとみたいだね。それにその力はやっかいそうだ」
蒼髪は笑いながらオッカムの剃刀を見る。
情報が漏れている。デクストラ基地の赤服はオッカムの正体を知らなかった。
しかし、この蒼髪は彼女の正体を知っている。
「お前は何者だ?」
「教えてあげたいところなんだけど、残念ながらあんまり話すなって言われてるんだよね。でも、そっちが全力で戦ってくれるなら口が滑っちゃうかも知れないな」
蒼髪はるんるんといった表情でこちらをみつめる。
片手に持った槍をくるくると器用に回し、もう片方の手でその蒼い髪を掻いていた。
「全力で戦うとその口が動かなくなるから、いま聞きたい」
オッカムがそう言うと、蒼髪は目をぱちりと開き、その顔をほころばせた。
「いいね! いいよ、いいよ。冗談は言わないタイプかと思ってたんだけど、なかなかおもしろいね。それに自分の口が動かなくなるんならそれならそれで問題ない。狼さんは狼さん自身の役割を果たしてくれればいい。ただし、狼さんが自分にあっさりやられるようなら、その代わりは自分がしよう」
何をいっているのかオッカムにはわからなかった。
とりあえず、この蒼髪を倒さないと先に進ませてもらえないようだ。
オッカムは自分の力を意識する。
対象は蒼髪の体、こちらに近づこうとしていた男の動きが鈍る。
「お、これはすごいね。体が動かない。なるほど、これはやっかいだ。でも、君の動きも落ちてるようだね。だいぶ集中力を使いそうだ、これは。しかも、相手を見ていないと使えないんのかな。さらに最初の攻撃のときに使わなかったってことは、ある程度の速度をもっていないと使えないんじゃないかな?」
蒼髪の言うとおりだった。
オッカムの力は、彼女の視界に入らないと使えないし、集中しないとその効果は格段に落ちる。
なによりも速度の問題があった。
対象が止まっているなら減速はできない。ある程度の速さをもっている必要がある。
さらに速すぎても効果を十分に発揮できない。
たった数度使っただけで能力の特徴を読まれた。やはりこいつはただものじゃない。
オッカムは彼に向けて歩み出す。
右手にはナイフ。これで彼の腕を斬り、刃を落とす。
それから話を聞き出す。
「ところでなんだけど、その能力はあんまりもたないでしょ。だから勝負を急いでるんだよね」
蒼髪の口はまだ動く。顔もまだにやにやと笑っている。
口も止めるべきだった。
「でも、相手の能力も知らずに近寄るのはちょっと軽率じゃない?」
蒼髪がそう言うとオッカムの後ろから物音が聞こえた。
なにかを引きずるような音だ。
彼女は焦って振り向いてしまった。
振り向いた彼女に向けて赤いなにかが飛んできていた。
伏せることでなんとかこれを躱すものの、その彼女に向けて次は逆方向から蒼髪の槍が伸びてくる。
これもかすってしまったが致命傷にはならない。その後も連続で突かれたが、なんとか躱していく。
蒼髪の操る槍はその先についた大刃の根元に小さな刃が両側に飛び出している。
ぎりぎりで避けたと思っても小さく飛び出したその小刃に引っかかり、切り傷ができてしまうというやっかいなものだった。
減速をなんとか槍にかけていくものの傷は増えていく。
その後、なんとかオッカムは蒼髪と距離をとることに成功した。
先ほど後ろから飛んできたものをみる。
どうやら、それは先にのどを斬った赤服の一人だった。
どうやらそれを自分の方へ飛ばしてきたようだ。
蒼髪はオッカムの視線が飛んできた赤服を見たことを確認する。
「気づいたかな?」
オッカムはなにも言わない。
これだけではまだはっきりしたことは言えない。
「あまり話したくはないんだけど、自分だけ狼さんのことを知ってるってのはフェアじゃないからね。特別に教えてあげるよ。自分の刃はメリサニ。その力は対象を引き寄せる、引き込む、もっと言うと引きずり込むってもんだ」
蒼髪はその髪と同様に蒼い瞳をオッカムに向けてそう話す。
その瞳は深く澄んだ湖のようにオッカムを底が知れない水の中へと引きずりこむものであった。
「さあ、狼さん。はやく本気でかかってきなよ。さもないと、ほんとにここで死んじゃうよ」
彼は笑ってそう言い、槍の切っ先をオッカムに向けた。