第拾伍夜・悪夢は希望を放つ
御影は満足げに、その光景を眺めていた。
人は無様に、影の力にその命を玩ばれているのだ。御影の影から産み出された、飛び交う首。個体個体の強さはそう大したものではない。だが、それらは視界一面に広がるほどの数を頼りに生者を喰らおうと群れ襲う。
滝口は、陰陽師は、残された力を振り絞り奮戦するも、後は力尽きるのを待つばかりなのは明らかであった。
真奈をその身で覆い、庇う本田。当然、彼に怨霊を倒す術はない。彼は二人の退魔師を突破して来る首たちの攻撃を受け、ただ、その痛みに耐えていた。
娘を気遣って、苦痛は口にしない。
しかし、真奈に彼の苦痛は伝わっていた。影に流れ込んで来るのだ。彼らの流す血が、そこにある感情が、闇の力を活性化させる。彼女を蝕む呪いは徐々に強くなっていた。
――楽になりたいでしょ?
真奈の頭に直接、声が聞えた。闇の底、絶望の淵から届く声。もう一人の真奈であった存在の声。
――私に身を委ねなさい。それだけでいいのよ。
その存在が真奈に囁く。その声が再び聞こえるまでに、影の支配力は真奈の中で肥大していた。
――悪夢を終わらせたいんでしょ?
――貴方の声は、もう聞かないわ……私は生きるの……。
抵抗。真奈はもう死を求める少女ではない。
――馬鹿な娘。この悪夢はもう終わらないのよ。決められた終焉を迎えるだけ。貴方にはそれを変える力はないもの。
マナが嘲笑う。
――! いいえ……在るわ……!
彼女の言葉に真奈が見つけた光明。
――貴方は私だもの!
少女が一際、意識を強く持つ。
――何を!?
――貴方を従えさせる……今度は私が!
――馬鹿ね。貴方が消えるだけよ。
嗤う影の意思。
――私は消えない!
「私が守るもの! 私は生きるもの!」
望みを叫ぶ真奈。その影から刃が伸びる。父親を襲う「魔」を貫く。
「真奈!?」
本田が驚きの声を出した。
果たして、彼に庇われている者は――。
「……お父さん、大丈夫?……」
その娘は紅い瞳でも、銀髪でもなかった。彼女は藤川真奈に他ならない。
「私はなんともない……」
虚偽だ。背中から流れる血が地面に広がっている。
「それよりも真奈、君は大丈夫なのか? 今の力は……」
本田にとって、自分よりも彼女が大切なだけだ。
「……大丈夫だよ」
それが解って、真奈は嬉しかった。苦しいのに、顔は綻ぶ。
「……私、がんばるよ……。今度は私が、みんなを助けるの……」
そして、そう告げると、少女は父親の体にしがみ付きながら起き上がった。
ふらつきながらも、立ち上がった真奈はゆっくりと瞼を閉じてイメージする。
イメージは現実化する。空間に次々と影のナイフが具現化されていく。 ナイフが創造される度に、彼女を闇は蝕む。真奈の心を黒い意志が包み込み、消滅させようとする。
だが、少女は負けない。
「真奈さん!?」
「何だと!?」
陰陽師と魔人が驚愕する。
「……飛べ」
ぽつりと呟かれた言葉。だが、その命令に従い、一斉に射出される影の刃。陰陽道でいうのならば、それは死の上に成り立った陰の力。しかし、そこに込められたのは陽の意思。少女の希望、願い。
怨霊を刃の雨は殲滅していく。
「小娘が!」
怒りの形相を浮かべ、御影が動く。
「お前の負けだ」
魔人を止めるべく、仕留めるべく、滝口は斬りかかった。
「なめるな! 雑魚ども!」
御影が障壁を造り、滝口からの斬撃を遮ると同時に魔弾を乱射する。
「ダメ!」
真奈は跳躍し、詩緒と御影の間に現れると、影から障壁を産んだ。魔弾を防ぐ。
「あうっ!」
少女の心が折れそうになる。真奈の自我を締め付ける呪いは、身体的な痛みを彼女に課し始めていた。
「詩緒! 真奈さんが!」
「解っている!」
真奈の限界は近い。彼女から発せられる影の波動が、禍々しい波長に変じていくのが二人には解る。
「だったら、時間を稼いで!」
瑞穂は詩緒にそう告げて、詠唱に入った。
「太陰水気、省みる事無く我が命に服せ。小陽金気、疑う事無く我が命を行使せよ」
増幅。晴明桔梗を描きながら、水気、金気への支配力を高める。
「……まだ!」
力を振り絞り、真奈が形成させた大鎌を御影に振るう。御影はそれを難なく捌き、真奈を襲う。詩緒がフォローに入る。魔人は滝口の攻撃を受け流す。流された刃を詩緒は返刀、薙ぐ。御影は避けるべく、その身を後方に滑らせる。
「退け!」
詩緒は御影に隙を生じさせると、真奈を後ろへと逃がした。
「虫けらめ!」
御影が吼えつつ構え、魔弾を撃つ。詩緒は怯まず魔人へと立ち向った。痛んだ足を無理に使い、舞う。避けきれず右肩を擦れる影の凶弾。そこから散る鮮血。
「水気、金気を生じ、金気、水気を剋す」
描いていた晴明桔梗を瑞穂は突如、反転させ描き始める。支配力を高めた五行に、理に反する事象を強制的に命じたのだ。気の流れも反転する。故に逆五芒星。
それは原子レベルでの五行行使であった。
水生金、水素を重水素に変える。金剋水、大気中の水素をプラズマ化させるべく、電子を奪いイオン化させる。
詩緒と御影を中心とした空間に音を立て、幾つか放電された光が走る。
「真奈!」
後方に逃れた真奈の体が揺らぐ。駆けつけた本田は少女を抱き止めた。
「……お父さん、私、がんばれたかな?」
苦しそうに呼吸する娘を、父親は強く抱きしめる。
「ああ!」
そして、強く頷いた。
「太陰転じて太陽と成し、大極へ至れ」
瑞穂はただ集中し、詠唱を続ける。
「賢しい!」
「お前がな!」
閃く滝口の刃。その右腕は最早、動いてはいない。詩緒は左腕のみで刀を操っていた。力の乗らないその攻撃を、御影は影の刃で易々と受け止める。
至近距離で睨み合う黒衣の滝口、魔人。
「相生、相剋の理を破棄し始原の陽を生み出さん」
大極、即ち始原の陽。それは太陽。
「終わりだ」
二人の黒衣の男は同時に、同じ言葉を口にした。
直後、御影の影から、滝口を貫くべく刃が伸びる。
詩緒は魔人を前に、跳んでいた。大きく跳躍し、後方にその身を逃がす。
「我は命ず。その力を以って全てを灰燼と帰せ!」
その瞬間、陰陽師は詠唱を完成させた。口にされた発生させる事象の宣言、命令。
詩緒の目の前に、御影を中心とした大きな光の球体が現れる。激しく音を立て、様々な色を放つ球体。その光は辺りを朝へと変える。
それは今、内部で起こっている事象を外界に逃さないための檻である。プラズマで構成された光の結界だった。
その球体の内部は光に支配された世界と化していた。
瑞穂によって産み出された重水素と水素イオンは、詠唱の完成と共に、融合させられたのだ。
その融合により、生成されたのはヘリウム3とガンマ線。
それは核融合に他ならない。恒星で絶えず行われている化学反応である。
辺りに朝が訪れたのは、僅かな時間だった。
大きな光の球体は消え、付近に夜の帳が降りる。
瑞穂が行ったのは正統な五行の秘術ではなかった。外法だ。言わば、五行のロジックで行使された魔術である。
陰陽道は陰陽と五行により総ての事象を解析する学問。彼女はその理を破り、その論理だけを用いて、超極小の太陽を創り出したのだ。
球体の存在した地表には、クレーターが作られていた。魔術により創り出された太陽は、しかし、地表さえも融解させ、その表面をガラス化させている。
魔術を行使した少女はへたり込んだ。そして、吐血する。
それは魔術行使の代償によるものだった。陰陽師は自らの命の一部を引き換えに、力を行使したのだ。
瑞穂は飛びそうになる意識をなんとか取り留めていた。彼女には、まだ仕事が残されている。真奈の呪を早急に祓わなばならぬのだ。
その少女は、父親に抱きかかえられていた。
「……大丈夫か? 真奈」
本田は心配そうに尋ねた。
「……うん」
苦しそうに息をしながらも、真奈は微笑み、返事をした。
魔人のすぐ近くにいた少年の姿は、クレーターの淵に在った。
「魔」の気配はない。
「終わった、か」
ぽつりと呟くと、その場に背を向け、詩緒は瑞穂の方へと歩き出す。
風が吹いた。
木々がざわめく音がする。
少年の左手首の鈴を、微かに鳴らす。
影が揺らめいた。
「え?」
生気なく、瑞穂は声を漏らした。
球体の在った場所に、影の塊が突如、現れたのだ。
「嫌ぁぁぁぁぁぁっ!!」
本田に抱かれる真奈が絶叫する。
大きく歪な黒い塊。中心にあるのは御影司郎の顔。
詩緒は振り返った。
影の塊から真っ直ぐと少年に向かい、高速で何かが幾筋か伸びる。
それは影で形成された槍。
足を、腕を、腹部を、胸部を。槍は少年の体を次々と貫いた。