第拾四夜・人、影に抵抗する
陰陽道に於いて陰と陽は相対するもの、流転するもの。
例えば揺らめく蝋燭の灯。闇にあるそれは陽。しかし、太陽の光の下では陰。人の命も然り。生という陽は死という陰に移ろう。
月明かりは夜の世界では陽たるもの。しかし、今宵のその光は生者、陽たる彼らを拒絶するかのように冷たく照らす。
月光は影を産む。
今の彼らにとっては、影は死を運び来るもの。
影の呪に侵された少女は震え、父親の前に寝そべり、影の凶刃に深手を負った少年は、もう一人の少女に治療を施されていた。
渡辺柾希。
詩緒の理解者であり、目標であった稀代の滝口。
死に至る病に伏せ、それ故に友を止められず、助けられず、そして――。
詩緒の脳裏に兄が過ぎるのは、彼こそが少年にとっての「死」という事象の象徴だからかも知れない。
ふらりと滝口が立ち上がる。
「危なかったわね、詩緒」
瑞穂は詩緒を見上げた。彼女が撫物を行い、死の淵から少年を救ったのだ。
「……ああ」
短く返答し、意識を失っていた少年は左手を開き、閉じて握力を確認する。
「終わらせたわよ……何も今すぐ戦いが始まるワケでもないし、少しは休めば?」
瑞穂はため息を吐いた。
「……渡辺、君……」
本田の前に横になる真奈は、動きだした詩緒を見て口を開く。
真奈の顔には大粒の汗が幾つも浮かんでいた。影の魔道は未だ彼女を支配すべく呪いを継続しているのだ。
少女は今、初めて自分の意志で死と戦っていた。
「……ごめんなさい……ありがとう……」
真奈が消え入りそうな程、小さな声で言う。
「俺は何もしていない。お前たちが戦っただけだ」
語りかけられた少年はそう返し、右腕を動かした。一瞬、その顔に痛みを浮かべる。塞がったとはいえ肩の傷は深く、利き腕は満足に動かせないようだ。
「……ありがとう」
それでももう一度。真奈は微笑むと礼を述べた。
プログラムされた通り、決壊して尚も池の中央付近で射出される噴水。水面を叩くその音が、やたらと派手に辺りに木霊した。
瑞穂が新たな人形を取り出して、真奈の穢れを祓うべく本田と対面して座す。後は少女の呪を消せば、影の魔道との戦いは終わるはずだ。
月影は変わらず、冷たく夜を照らしていた。
不意に父親の前に横たわる少女の影が蠢く。
「あうっ! あああっ!」
真奈が悶えた。
「何!?」
瑞穂は驚き振り返る。詩緒は駆け出していた。
二人の退魔師が動いたのは、影の魔道の波動が放たれた方向。
真奈はそれに当てられ、その身を侵す呪が強まったのだ。
「……ヤバイわね」
ぼそりと瑞穂は呟いた。真奈は一段と呼吸を荒げている。彼女を襲った邪気。陰陽師が、滝口が感じたそれは、今までで一番強烈な影の魔道の波動だった。
その邪な波動を放つは氷に閉じ込められし隻腕となった魔人に他ならない。
氷の棺に音を立て亀裂が走る。
内部から粉砕される。
そこから禍々しい気配とともに、御影の笑い声が響いた。
「相変わらず詰めが甘い」
陰陽師に愚痴り、滝口は刀を構え、自由を手にしたばかりの魔人に迫る。
「来るか、滝口」
迫る詩緒に御影は、不敵な表情を浮かべた。
「だが、不用意だぞ?」
コートを翻す。その影から幾つもの呻きが漏れる。
そこから溢れ出すのは人の頭部らしきモノ。黒一色の影で形成された痛みを、嘆きを口から漏らす顔が次々と産まれいく。そして、宙を覆う。
怨み、つらみ。生者に対する僻み。口々からもたらされるは暗い負の感情。
そして、それらは自分たちと同じく死の世界に、影の世界に誘うべく生者に襲いかかる。
詩緒は御影との間に存在する影の亡者を快刀乱麻、斬り伏せる。しかしその足は止まる。数が異常に多いのだ。
「ちょっと! こっちもフォローしなさい!」
闘う少年の後方で少女の声がする。
瑞穂は式神を使い、親子を守りながら同じく怨霊を相手していた。
「ちぃ!」
詩緒は舌打ちした。満足に動かない右手を騙し騙し使いもするが、太刀筋は鈍っていく。
「どうした、滝口?」
御影は詩緒に正面から堂々と歩み寄り、嘲笑う。
「本気で私を討てるとでも思っていたか?」
飛び交う首だけの怨霊を従え、御影は魔道を発動させる。
それは一撃にして対象に致命傷を与えるべく行使されるものではなかった。
魔人の影が波打つ。影の塊が詩緒に迫る。
「ぐっ!」
鈍い打撃音。滝口の口から漏れる苦痛。
「弄り殺すと宣告したな」
心底、愉快そうに御影は笑う。
衝撃に弾かれ地を転がる詩緒に、首共が飛ぶ。その口で生者を喰らうべく、屍肉を貪る猛禽類かのように詩緒に群がる。
「詩緒!?」
瑞穂が叫んだ。
御影の紅い目がそちらに動く。少年を心配した少女は防戦を繰り広げている。
御影は魔弾を撃つべく残されている左腕を構えた。
「陰陽師。本気を出してやったぞ」
言うや、弾丸を放つ。
「ズルい!」
親子に当たるために回避することは出来ない。瑞穂はとっさに式神を射線上に移動させ、魔弾と相殺させた。
隼の甲高い鳴き声、瞬間、それは呪符に戻り、黒い魔力の塊と霧散する。
「ぐあぁっ!」
瑞穂の傍で本田の悲鳴が起こる。邪魔する存在が一つ消え、怨念は容易に彼へ接近すると、その体の一部を喰い千切ったのだ。
御影は嘲る。
「どうした? 瞬殺してみせたまえ」
挑発を受けるも、瑞穂にそれに返すゆとりも余力もなかった。護衛と自らの身を守ることで手一杯であるし、なにより精神の力が限界に近いのだ。魔力を増幅して五行を行使することは精神の力を大きく擦り減らす。加えて得意な儀式でもない撫物も複数回行っている。すでにオーバーワークしているのだ。
「大口を叩いた割には他愛もない」
御影が鼻で笑う。
「……後で殺す!」
残された呪符と五行の小技で、舞う首を効率良く撃破しながら瑞穂は御影を睨み呟いた。
「戯言を」
嗤い、御影は身を反転させる。影の障壁を眼前に展開する。
耳を劈く金属音。
「太刀筋が鈍ったな。三段突きはもう放てぬか」
群がった首を全て始末し、不意打ちをかけた詩緒を、しかし御影は察していた。
「くだらない世話だ」
言い放ち、滝口は後方へ跳んだ。
身体中、ぼろぼろになった黒衣の少年と、隻腕となった黒衣の男が対峙する。疲弊が明らかに見えるのは前者。
「そんな体で私に勝てるとでも思っているのか?」
「関係ない。俺はお前を消滅させるだけだ」
不利な状態に在りながらも滝口は変わらない。他人を拒絶する道を選んだ少年には、退魔という役目だけが存在意義であり、存在証明なのだ。
「愚かな……独り逃げ出せば死を免れたものを」
言うと、御影は魔弾を速射した。詩緒は何とかそれを回避する。少年は足をやられていた。肉の一部を噛み取られているのだ。
滝口の背後に回る魔人。詩緒はそれを察知するも、体を反応させられずにいた。
「死ね」
冷酷に一言、少年に言い放つ男。影が揺らめき、何かを具現化させようとする。
「ぐうっ!」
「くっ」
次の瞬間、魔人が後方に、滝口の体は前方に飛んでいた。詩緒と御影の僅かな隙間に小さな爆発が発生したのだ。二人がそれに弾かれる。
その爆撃は火行を行使したことによるもの。瑞穂も首共を片付け終えていた。
「ごめん。微妙なコントロールが出来なかった」
地面に倒れた詩緒に詫びを入れ、横に駆けつける。
「まだやれるわね?」
聞くも返事を待たずに、瑞穂は手を差し伸べた。
「ああ」
その手を取り、詩緒は返す。
「形勢逆転ね」
詩緒を立ち上がらせると瑞穂は御影に言った。
滝口と陰陽師は並び立ち、魔人を睨む。
だが、言葉を受けた魔人は笑う。
「貴様らは、それで優位に立ったとでも思っているのか?」
足元の影から呻きが再び起こる。そして、またも首だけの怨念が大量に産まれていく。
「……冗談でしょ……」
「頑張ったな」
影の魔人は嘲笑した。