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第拾弐夜・男、影に向かう

「もう一度聞く。……藤川真奈。お前は本当に死にたいのか?」

 水面に浮かぶ十三夜月、滝口、影を操る少女。噴き上げられた水滴が弧を描いて落ちると、波紋が広がり、映し出されたそれらが揺れる。歪む。

 水音が止み、訪れる刹那の静寂。

 マナは口にあった血を吐き捨てて、そのしじまを破った。

「……馬鹿な事を言うのね。その娘はもう存在しないわ。解っているんでしょ? 此処に居るのは、私だけ。新たなる影の後継者、御影マナだけよ」

 少女は滝口を見下した様に笑いながら言う。その顔に浮かぶ汗。胸を押さえ、苦しそうに呼吸をしながらも、自らを誇示するがごとく笑う。

「お前には何も聞いていない」

 言葉を受けた滝口の少年は、喉頸のどくびに刃を向けた魔人たる少女に、ただ冷淡に語る。

 マナは詩緒の言葉を鼻で笑った。

「……応える者はすでにいないと言っている!」

 そして、痛みを浮かべながらも叫んだ。声と共に、水面を裂いて影から柱が伸びる。それは鬼の腹部に突き刺さったものと同種の両刃の刀身であった。

 敵を串刺しにしようと生じた巨大な影の剣を、詩緒は瞬間、察知して跳躍していた。

 僅かに感じた魔力の動きを読んだのだ。

「……滝口。それは私のものだ。勝手をされては困る」

 水面から着地した詩緒の背後に、静観していた御影が動く。

「そして告げたはずだ……その命、次の機会まで預けておくと!」

 その影から少年を一呑みにするほど巨大な肉食獣の頭部が産まれ、牙を剥く。

 すでに抜き身となっている刀を袈裟に振るい、それを斬り捨てると同時に、詩緒は御影の気配を追っていた。

「今宵、貴様に引導を渡してやろう!」

 滝口の死角から起こる声。

「こちらの台詞だ」

 詩緒は呟き、上体を反らすと、死角から飛来した魔弾を避けた。回避運動の流れの中で、体勢を整えつつ、死角に在る「魔」に切っ先を突き出す。

 金属同士が弾き合うような高い音が三度、辺りに響いた。

 初めて黒衣の二人が相対した三日月の夜のように。滝口の刀の剣尖を、魔人の影が遮っていた。

「……あの体勢から神業を放つか、滝口」

 御影は嗤う。

「邪魔をするな」

 御影の言葉を無視し、自分の都合を押し付けるように詩緒は相手を睨みつけ言い放った。そして、地を蹴る。結果、二人の黒衣の男を別つように、マナの大鎌が空を裂いた。

「お得意の抜刀術は使わないの!?」

 マナは魔力を使い肉体再生を行なった直後、滝口を強襲したのだ。脅威的な回復能力であった。

「ほう」

 御影は満足そうに声を出した。折れたあばらが肺に刺さっていたはずである。それを僅かな間に回復させたのだ。

「人の得手不得手を勝手に決めるな」

 着地際に詩緒はマナの問いに独りごちた。

「助けてくれたお礼をさせてもらうわ!」

 マナが詩緒を追い、地を蹴る。大鎌を構え迫る。その背後で御影は魔弾を複数発生させていた。それは詩緒からは死角になっている。

 しかし、それも詩緒は把握していた。生じた魔弾の個数まで感知している。


 渡辺詩緒という滝口の強さは状況把握能力、反射能力にある。この少年は僅かな殺気、魔の波動といった超感覚的な要素を含め、筋肉の動き、呼吸音といった視覚、聴覚などの全ての感覚が感知する外的要素を瞬間に把握し動いているのだ。抜刀術が不得手なわけではない。しかし、その技は詩緒が最も得意とする戦術には不適切であるのだ。抜刀術のように間合いを測らせずに先の先を狙う戦い方では彼の能力は最大限には生きない。現在の状況、情報を基に最善の策を選択し、瞬間的に行動に移すこと。後の先を取ることが最も得意とする戦い方なのである。

 そういう意味では戦況は、まだ他の滝口よりは有利であった。

 ただそれは、他の滝口よりも、多少長く粘ることが出来る程度のものである。二人の魔人を同時に相手にすることは、やはり非常に厳しい状態であった。

 敵を滅するだけの戦いであるなら勝機も見えるかも知れない。だが詩緒は僅かな希望に賭けたのだ。

 二人の影の魔人は連携を取り始める。前衛をマナが担当し、後衛を御影が務める。共通の敵を先に始末することを選択したようだ。

 対する滝口の少年が、倒すべき敵としているのは御影司郎だけであった。鎌を振るい襲い来る少女の中には、まだ藤川真奈が生きていると詩緒は信じている。

 止むことのない激しい攻撃に耐えながら、その体に傷を少しずつ増やしていく。

 だが滝口の目はまだ、しっかりと正面に向けられていた。



「真奈を本当に私が救えるのでしょうか?」

 病院の屋上で本田は聞いた。不安は明らかに表情に現れている。

「貴方にしか出来ません」

 その問いに、きっぱりと瑞穂は告げた。

「……だから貴方はここにいるのでしょう?」

 そして、そう続けて、男に微笑んだ。

 本田は真奈を捨てたわけではなかった。幼かった真奈の親権を巡って郁子と争い、敗訴したのだ。

 その大きな要因は彼の仕事上の問題にあった。その当時、事業に失敗した本田には僅かな稼ぎと莫大な借金しかなかったのである。

 愛する我が子と会えない生活。それでも本田は自分を犠牲にして、真奈のために郁子に送金を続けながら懸命に働いた。真奈に会いたいという想いも封印し、満足に食事も取らず、その費用まで娘の未来のために回してきた。

 苦労の甲斐があってか、ここ数年で仕事は順調になり、借金の返済の目処も立った。

 ゆとりの出てきた本田は探偵を雇い、愛娘の近況を調査させた。月々の送金の確認を兼ねた、郁子からの報告の手紙には真奈についてのことはほとんど書かれていなかったのだ。

 郁子の性格は知っている。男なしの生活などは送ってはいないだろう。新しい父親が出来ていて、真奈が幸せであるのならば自分は名乗り出る必要はない。本田はただ、彼女の近況を知りたかった。

 娘の幸せだけを願い、それだけを希望に必死に生きてきた男の想いを、しかし、現実は残酷にも打ち砕く。

 郁子のもたらした真奈を取り巻く環境は、幸せなどとは縁遠いものだった。

 改めて争っても、自分が真奈を引き取りたい。そう考え、彼はこの遠い街を訪れたのだ。

「真奈さんが戦っているのは、貴方の知らない非日常の世界とです」

 凛とした声で陰陽師は語る。

「その世界に足を踏み込むというのならば、残念ながら、身の安全を保障することは出来ません」

 本田は唾を飲み込んだ。そう話す美しい少女の顔には冗談の類は感じられない。自身もその世界を垣間見た。彼女たちのいるその世界は、常に死と隣り合わせにある世界なのだろう。

 瑞穂は真奈が現在置かれている状況を包み隠さず、ありのまま本田に伝えていた。

 本田もそれを信じた。娘の状況を伝えた少女は、不思議な力で重傷だった己の体を短時間で動けるまでに回復させたのだ。それが彼女の言う、「非日常の世界」の力の一端なのであろう。

「もう一度、確認させて下さい。……それでも、貴方は真奈さんを救いたいですか?」

 瑞穂は本田を見た。眼鏡の奥の瞳に、迷いはない。

「はい」

 病室で聞いたときと同じく、力強く頷いた父親。もう一度、瑞穂は微笑むと、その左手に呪符を構えた。

 右手人差し指と中指を呪符に当てる。その二つ指先で、ゆっくりと晴明桔梗せいめいぎきょうを描く。

 晴明桔梗。セーマンと呼ばれることもある陰陽道の代表的呪術図形、五芒星である。これは陰陽五行の相生そうじょう相剋そうこくの理を示す図形である。

 木生火、火生土、土生金、金生水、水生木。(もくしょうか、かしょうど、どしょうごん、ごんしょうすい、すいしょうもく)

 木は火を生み、火は土を生む。土は金を生み、金は水を生む。そして、水は木を生む。五行相生とは、自然はめぐり生まれるという循環の理である。

 木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木。(もつこくど、どこくすい、すいこくか、かこくごん、ごんこくもく)

 木は土から養分を吸い取り、土は水の流れを止め、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切る。五行相剋とは、自然の闘争関係の理である。

 彼の偉大なる陰陽師、安倍晴明の家紋でもあるその五芒星。その頂点は、それぞれ五行の一つ一つを示しており、まさに陰陽五行の象徴たる図形なのである。

 多くの陰陽師はこれを魔力行使のスイッチとして利用する。通常の感覚から、五行の力を感知し行使する状態に体をシフトする起点である。

 しかし、加茂瑞穂という陰陽師にとっての晴明桔梗はスイッチではない。彼女が稀代の陰陽師と呼ばれる所以ゆえんは、意識せずとも五行の力を感知し行使できるからなのである。

 瑞穂にとってのそれは魔力増幅ブーストであった。

 陰陽師は符を放つ。

「舞え! おおとりよ!」

 魔力を受けた呪符が大きな鳥へと変じる。それは五彩の色を持つ美しい鳥。鳥の王。鳳凰であった。瑞穂の式神である。

 瑞穂の前に舞い降りる霊鳥。開いた口をそのままに、その幻想たる大鳥に目を奪われ本田は立ち尽くした。

「貴方が覗くのは、こういう世界です。とりあえず、急ぎましょう」

 瑞穂は本田の手を引くと、その背に乗った。鳳凰は二人を乗せて舞い上がる。

 五彩の羽根を羽ばたかせ、月夜に霊鳥は飛翔した。



 一瞬の隙をついて、マナの横を詩緒はすり抜けた。魔人の少女は完全に回復したわけではないようである。まだ動作に痛みを伴うためか、動きに生彩を欠いていた。

 対する詩緒も、致命傷は避けているものの、その体の様々な部位に負傷を負っている。しかし、この程度の外傷で済んでいるのは、むしろ幸運であった。三人の姿のある公園の広場はすでに原型を留めてはいない。噴水は決壊し、外灯は斬り倒され、地面に幾つもの穴を穿っていた。魔人たちの攻撃は凄まじいものだったのである。

 詩緒はマナをかわすと、御影との距離を一気に詰めた。

「往生際の悪い」

 勝利を既に確信し、ほくそ笑む御影。

 その影から産まれたのは、マナを捕えた亡者たち数多あまたの腕。

「くっ!」

 短く叱責が詩緒の口から漏れる。焦りが冷静な状況判断を誤らせた。

 今は共闘するもう一人の影の魔人のときと同じく、滝口を伸びた無数の手が掴み、捕らえる。

「終局だ」

 醜く御影は笑った。

 捕縛された少年の背後にデスサイズを携えたマナが迫り、目の前の魔人は魔弾を射出するべく構える。滝口の唯一の武器である刀は、その身と共に完全に自由を奪われていた。

 詩緒は一切の抵抗を止めると、静かに目を閉じた。

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