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第拾壱夜・悪夢は月夜に躍動する

 夜の住宅地を駆ける二つの影。

 マナは誘われるままの方角へと向かっていた。一直線に目的地へと赴く。壁を蹴り、塀の上を疾走し、屋根を跳ぶ。その後にいる鬼も巨大な体躯に似合わず、その動きに遅れることなく追走していた。

 後方に迫る鬼。身体能力自体はおそらく、その化け物の方が一枚上手である。身軽さという一点で勝るマナが偶然にも進んでいる、起伏に富んだルートが元は二人の女だった「魔」同士の距離を縮めずにいた。

 鬼には産まれながらの純血な鬼と、人を始め後天的に別の存在から変じた鬼との二種が存在する。当然、マナを追う鬼は後者である。

 変じて堕ちた鬼の能力は個体により大きく異なる。藤川郁子が成り果てたその鬼は、言わば獣に過ぎない。肉体的能力では優れているかも知れないが、言葉を解せず、本能のままに獲物を狙うだけの魔獣であった。

 余裕のあまりない状況。しかし、マナは嗤っていた。

 鬼に堕ちた無様な女の様を、嘲笑っているのだ。その姿にかつて女が自慢にしていた美貌の名残は欠片もない。

 目的地は近い。彼女を呼ぶ者の気配は、もうすぐそこである。

 マナを呼ぶのは、彼女と同じ魔道の波動を放つ者。視界に入った公園の一角にいるようだ。

「すぐに弄り殺しにしてあげるわ」

 鬼をちらりと見直して、マナは口元を歪め呟いた。



「詩緒!」

 扉が開き病院の屋上に、彼を呼ぶ声がした。

「感じた!?」

 現れた瑞穂は、詩緒の姿をそこに見つけると聞いた。

「ああ」

 彼女のいる入り口へと向かいながら、滝口はぶっきらぼうに短く返答をよこす。

「3つ、よ?」

 瑞穂は感知した「魔」の気配の数を確認する。

「ああ。解っている」

 詩緒もそれを感じていた。

「だったら、何ぐずぐずしてるのよ!」

 言うなり、振り向こうとする瑞穂。その動作を詩緒は彼女の白く細い腕を掴んで制した。

「何!?」

 瑞穂が驚きを口にする。

「お前に頼みがある」

 詩緒は言う。それは到底、人にものを頼む態度ではない。しかし、長い関係を持つ瑞穂でさえも、彼が他人にものを頼む姿を見たことはなかった。だから、彼女はとりあえず、彼の願いを訊ねていた。

「アンタねぇ! 人にものを頼むなら、それなりの態度ってものがあるでしょうが! ……で、何なのよ?!」

 だが、一刻を争うこの事態にあっても、文句を言うことを忘れはしない。

 詩緒の口が開く。

 そこから語られる滝口の少年の台詞を、なんとなく、彼女には予想が出来ていた。無愛想だろうが、言葉使いは横柄染みていようが、この少年の根底にあるのは他人を思う優しさなのだ。

 少年の目は真っ直ぐ少女に向けられていた。

「……貸し一つよ」

 詩緒の願いを聞いた瑞穂は、短くそう告げる。

「解った」

 瑞穂の言葉を快く了解すると、詩緒は颯爽と駆け出した。

 滝口は決戦の場を目指し、単身で出撃したのだ。

「……自分を危険に晒してまで希望にすがる、か。……甘いわね、本当。でも詩緒らしいわよ」

 瑞穂は姿の見えなくなった滝口にそう呟いた。



 大きな円形の噴水を中心に設けた、公園の広場。この都市で一番大きな公園の一角。

 御影はその場所に一人、佇んでいた。自分の宿る新しい肉体の到着を待っているのだ。

 辺りはこの時間に、この広場に居合わせたという共通点を持った死体が複数転がっている。

 流れる薄雲に隠れ、一瞬、月が陰ると、男の視線のある方向で女の笑い声と獣の咆哮がした。それは御影の新しい器たる少女と、憎悪に狂った鬼のものである。

「ほう」

 御影は器たる少女を追撃していた鬼を見て、声を漏らした。滝口から「魔」として扱われる男ではあるが、己以外の「魔」たる存在を見たことはなかった。

「……あれが、鬼か」

 それは日本画などで見られるものと、身体的特徴は見事に一致していた。相違を挙げるなら、実物は絵に見られるような愛嬌を感じさせる部分はない。隆々たる肉体、恐ろしい形相、獲物を見据えた目などは、畏怖の念を抱かせるに十分である。

「面白い」

 御影は黒いコートを腕で払い捲り、標的にその右手をかざした。

 鬼を狩るべく、その掌に魔弾を産み出す。

 鬼の体から発せられる邪気は魔人を歓喜させた。

 あれ程の力ある存在を影へ取り込めば、どれ程の魔力に変換できるであろうか。

 魔弾を発射する。それは唸りを上げて鬼に迫る。御影の狙いは正確に目標の体を捉えていた。着弾し、その左肩をえぐる。鬼は痛みを感じてか、大きく吠えた。

 したり顔で、とどめとばかりに魔弾を放つ魔人。

 しかし、二射目は鬼の体の直前で防がれた。遮ったのは器たる少女の影から発生した黒い障壁。マナの影の障壁がそれを吸収したのである。

「何!?」

 驚く御影は、その直後、殺気を感じてその身を後方へと滑らせた。氷上を滑走するように地面に伸びた影の上を滑る。御影の体が在った場所に、後から後から黒い刃が突き立っていく。攻撃が止むと同時に、御影の身は静止した。

「どういうことだ?」

 怒りを押し殺し、影の魔人は冷淡な口調でその身を襲撃したモノを見上げ問う。

 外灯から舞い降りると、問われたモノは妖しく笑った。

「それは私の獲物。手を出さないで欲しいわね」

 言い放ち、冷ややかな鋭い視線を御影に送る。

「ほう……」

 感情はすでに隠せるものではなかった。マナの言葉が魔人の表情を怒りに歪ませる。

 二人の影の魔人たる存在に割って入るように、鬼は空気を震動させるほどの雄叫びを上げた。そして、体躯からは想像できない驚異的な速度で背を向けたマナに接近すると、頭上から太い腕を振り下ろす。

「せっかちね」

 マナは余裕でそれを回避し、宙に舞った。

「器たるモノに、新たな人格が形成されるとは予想外であったが……良かろう」

 マナと鬼。一連のそれらの動きを見ながら御影は独ごつ。

「屈服させるも一興」

 御影の言葉と同時に地面へ叩きつけられる鬼の太い腕。衝撃音と土煙を上げて、その剛腕がタイル張りの地を砕く。地が揺れる。

 その瞬間、宙にあるマナの体。それを嘲笑い御影は魔弾を連発して射出した。空中で避けることの叶わぬ状況に置かれたマナは、右手を振るうとその軌道に三日月型の刃を生じさせる。生じた勢いのまま、黒い三日月は御影を襲う。飛び来る魔弾を裂きながら魔人へ迫る。

 御影は高笑いを上げつつ、影で障壁を形成し、魔力の波動たる三日月をそこへと吸収させた。

 影の魔道同士、障壁を形成されれば飛び道具は無力化される。悟り、マナは着地と同時に死神の大鎌を具現化させ、魔人へと強襲した。迎え撃つ御影の影からは、呻き声と共に無数の黒い腕が伸びる。

 それらは、地獄の底から這上がろうとする亡者の腕のように、幾つかは地に縋り(すがり)引き摺った指跡を産み、幾つかは空間に掴み縋るものを探すように蠢く。薙がれたマナの大鎌はそれらを切り裂くが、いずれ柄といわず、刃といわず、腕といわず、体といわず、掴みマナを拘束する。

 マナの体の至る箇所を掴んだ無数の黒い腕。そして、それらは地獄に道連れを求める亡者たちの呻きのような声を発しながら、彼女の身を影の世界に引き込もうとする。

 二人の魔人の攻防を、土煙の中から窺っていた鬼が咆哮した。身動きのとれないマナに踊りかかる。

「チャンスだとでも思ったのかい!? 阿婆擦れ(あばずれ)!!」

 ざんばら髪を振り乱し接近する鬼。それを睨むと怒号し、マナは自分の周囲を囲むように、影からその身長を遥かに凌駕する漆黒の刃を次々と創造した。生み出される大きな両刃の刀身。それは天を突くようにそびえる。あたかもその様は、刃で作られた牢獄に囚われている少女のようにも映る。しかし、刃は凶悪なまでの力を示し、彼女を堅守した。マナを掴んでいた亡者の手を全て切断すると共に、襲い来る鬼を迎撃し、その腹部に深々と突き刺さる。

 鬼の血を浴び、マナは残虐に高らかと笑った。

「ほう」

 短く感嘆し、御影は彼女と距離を作る。

「なるほど。これは立派な依代になったものだ……」

 そして、呟く。

「潰れた箇所は再生すればいいだけのこと……それ相応の相手をしてやろう」

 続け言葉を放つと、御影は魔力を解放した。

 その凶悪な禍々しい魔力の波を受け、しかし血塗れのマナは嗤う。

「貴方はもう用済みなのよ……影が選ぶのは私。教えてあげるわ」

「ほざくな!」

 御影が叫んだ。直後、マナの背後の鬼が絶叫した。剣に串刺しにされ、宙にあったはずの鬼。その化け物は体を貫いた刃を力任せに折り、束縛から解放されていた。着地と同時に、鬼は力の限り拳を振り動かす。鈍く低い打撃音が響いたと同時にマナの華奢な体が弾き飛ぶ。

 慣性に従い、噴水の中央に飾られた石柱のオブジェに叩きつけられる少女。その身が砕け散りそうな衝突音を発生させると、そのまま飛沫を上げ着水した。喀血された赤が水面に混ざる。

 鬼は唸り、噴水に向かい突進した。えぐられた肩も、臓物の漏れた腹も、支障を感じさせることはない。鬼は跳ぶ。冷たい光を放つ月を背に。異形の影は月夜に舞う。獲物に引導を渡すべく。獲物を喰らうべく。


 月影を反射した一瞬の閃き――。


 ふらりと立ち上がったマナの前に降り立っていたのは、異形ではなかった。

 彼女を襲った鬼は首を刎ねられ、まさに今、塵と化している。

「此の世ならざるものは、塵に消えるのみ……」

 そこに背を向け、立つのは滝口の少年。

 滝口は振り返り、意識を取り戻したマナの喉元に鬼を排除した刀の切っ先を突きつける。

 喀血したものとも、返り血とも解らぬ血に塗れたマナの顔。詩緒はその彼女の顔を真っ直ぐに見た。

「もう一度聞く。……藤川真奈。お前は本当に死にたいのか?」

 夜風に鬼はあくたと散り、静かに鈴が鳴り響いた。

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