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第拾夜・悪夢、影に染まる

「これは僕が初めて人を救えたときに、その人から貰ったものなんだ」

 微笑み、柾希は言った。

「これが僕が滝口として手に入れた、たった一つの報酬だよ」

 続く言葉。滝口はそれを生業として生きているわけではない。彼らは「魔」を狩る力を持っている。だから、出来ることを行っているだけなのだ。

「可愛らしい幼い少女だった。その子が小さな手で笑顔と共に送ってくれたんだ」

「この鈴を?」

 兄に詩緒が聞く。柾希は頷いた。

「それから僕が護ることの出来た笑顔が、そこに詰まっているんだ。……その鈴は「笑顔のカタチ」。僕の宝物なんだよ」

「笑顔のカタチ、か……」

 桐の小箱に収められた小さな銀色の鈴を、詩緒は見つめた。

「詩緒。君に受け取って欲しいんだ」

 柾希が告げる。

「……俺には重すぎる」

 詩緒は返答した。手にしていた桐の箱を、柾希へと差し出す。

「詩緒。君は友達も作らずに孤独と戦ってきたんだ……君もそうすることで笑顔を守ってきた。だから、詩緒にもそれを受け取る権利があるんだよ」

 滝口に近い人間は「魔」の脅威に晒される危険性がある。この時まだ中学校に入学したばかりの詩緒。彼はその危険性を考え、誰とも親しくなることなく生きてきた。

 

 それはあの日の出来事。

 詩緒がその左手に在る鈴を手にした日。

 そして――。


「……でも俺には大切な人を護りながら戦える力もある、か」

 あの後、柾希が言った言葉を詩緒は反芻する。

「買い被りすぎだ……俺は未だに無力だ」

 鈴を一瞥し呟くと、詩緒は病院のロビーに並ぶソファーから腰を上げた。



 満月に程近い月が浮かぶ夜。

 十三夜月。

 満月に次いで美しいとされるその月を、果たして見上げる人間がこの街にどれだけいるのだろうか。

 その月の下、真奈は家路に着いていた。

 その日の学校の授業は昼から欠席した。屋上で一人考え、過ごしたのである。

 母親。父親。生。死。死神。「彼女」。そして、殺害予告をした少年。

 気がつけば、午後の授業は終了していた。

 その後のことは真奈自身、よくは覚えていない。

 いつものように時間を潰すために街を彷徨っていたとは思う。

 真奈が自宅でのあるアパートへと到着する。築二十年程の古めのアパート。この都市が急激に発展したのは、この土地と都心と繋ぐ私鉄が開通してからである。このアパートは、その当時に建てられた建物ということになる。

 灰色の無機質なコンクリート製の階段を上る。入居する家庭の夕食時間は終わっているようである。

 それは良い事だと真奈は思う。夕食時は嫌いだからだ。

 家庭を感じさせる時間だから。望んでも叶わなかった時間だから。

 キーケースから鍵を取り出すと、自宅の玄関の鍵口にそれを差し込む。

 ゆっくりと開錠する。

 なるだけ音を立てないように扉を開き、中に入るとその耳に嫌な音が入ってきた。

 男が女を求める息音。女が男を誘う喘ぎ。

 ガラス扉の向こう、薄明かりに蠢く二つの影が窺える。

 真奈は二人に気付かれないように、出来るだけ静かに自分の部屋に向かった。玄関から伸びる短い廊下の突き当たりが彼女の部屋である。

「おい?」

 辿り着く直前に、男の声がした。

「んっ? どうしたの? 啓介?」

 女の声が続く。その声の主は真奈の母親、郁子だった。

「そこ、人がいたぞ?」

 啓介という男が言う。

「……もう!」

 母の声。そして真奈の方に足音が近づいて来る。リビングの照明が灯され、ガラス扉から廊下に光が射す。

「真奈! アンタ何回、私の邪魔をするの!」

 リビングの扉が開くと同時にヒステリックな声がした。キャミソール一枚を纏った、妖艶な女性が真奈の前に現れる。郁子である。

「……ご、ごめんなさい」

 真奈は謝罪の言葉を彼女に発した。消え入るような小さな声だった。

「はぁ?! 何言ってるのよ! アンタ、謝って済むと思ってるの?!」

 郁子は言うと真奈の黒髪を掴んで引っ張った。

「邪魔をするなって言ったわよね! アンタだれのお陰で生きていられるのよ! 誰の邪魔をしたのよ!?」

 郁子が喚き、掴んだ髪で真奈の頭を振り回す。幾度か狭い廊下の壁に、真奈の頭がぶつかる。


 ――ドウシテガマンスルノ?


「え?」

 声を聞いた気のした真奈は呟いた。

 郁子が彼女の髪の毛を放す。

「部屋に入って出るんじゃないわよ!」

 郁子は睨みつけ命じると、リビングへと姿を消した。


 ――モウ欲望ヲ解放シテイイノヨ?


 再び声がする。

 真奈は呆然と立ち尽くし、乱れた髪をそのままに声を聞く。


 ――私ノ声ヲ聞イて。私ノ声に従って。


「貴女は、もう一人の私?……」

 合わぬ目の焦点。声の主、心当たりのある存在。「彼女」。


 ――もう貴女の役目は終わったのよ。私の声に従って。そうすれば……。


「そうすれば……?」


 ――そうすれば、貴女の悪夢は終わりを告げるの。楽になれるわよ、真奈。


 ――ああ、そうか。私はやっと死ねるんだ。


 真奈は微笑んだ。


 影が激しく動く。彼女の身を下から巻き上げる旋風のようにうねる。真奈を取り巻く、足元から伸びた黒い螺旋。

 少女は影の渦の中、妖しく微笑む。

 赤い瞳。銀色の髪。

 鎮まった影の中央に、真奈の存在していた場所に、マナが立っていた。



 啓介が郁子の体をなぞる手を止めた。

「んっ。焦らさないでよ……」

 郁子が艶っぽい声で言う。

「おい……止めろよ」

 啓介は上に乗る郁子のために身動きが取れず、その視界に入った何者かに請うように口を開いた。

「何?」

 郁子が振り返る。そこにはマナがいた。両手にはナイフを持っている。当然それは影で創られた凶器であった。

「お世話になったでしょ? だからプレゼントよ」

 マナが裸で重なる二人を見下しながら言う。直後、刃を投げ放つ。

 郁子は咄嗟にソファーベットから転げ落ちて、それをかわした。

 鈍い音が二つすると、苦しむ啓介の声が起こる。

「煩いわね」

 マナは心底、気に障ったように呟くと、自分の周りの空間に影の刃を幾つも産み出した。

「黙りなさい」

 腹部と胸部、二本の影のナイフを突き立てられ呻く男に命じるように発する。そして、産み出した無数の刃をその男を標的にして飛ばした。

 室内に鈍い音が無数に響く。

 肉に刃が刺さる音を後方に聞き、郁子は床を這うように廊下の方へと逃げていた。

 思うように力が入らないのか、なかなか前方には移動出来ずに、じたばたと無様に肢体を動かしている。

「待ちなさいよ」

 郁子に声がかけられる。その声は彼女の娘と同じものだ。

「な、何?」

 郁子がマナを見上げる。

「貴女、楽には殺さないから」

 残虐な笑みを浮かべる。その顔は彼女の知る娘のものではない。自分に怯え、顔色を窺ういつもの娘のものではない。

 マナの影が郁子を包む。

「あ、熱い! いやぁ!」

 続く悲鳴。

 その悲鳴を心地よさそうに暫くの時間マナは聞いた。

 郁子の体を拘束していた影が、解放する。焼け爛れた醜い郁子の姿がそこにあった。

「痛い、痛い、痛い、痛い……」

 のたうちまわる女の様を、マナは声を出して嗤った。

「お似合いよ! 御覧なさい!」

 残ったざんばら髪を掴み、ガラス扉に映るその顔を郁子に見せる。

 つい先程までそこにあった妖艶な魅力に溢れた顔はそこにはなかった。熱に爛れ、醜く変形したおぞましい顔がそこに映っていた。

「あ、あ、あ、あ。私の顔が……」

 郁子が悲痛の声を上げる。それは低い呻き声に変わっていく。

「真奈、許さない、許さない、許さない、許……」

 憎しみが彼女を支配していく。

「殺してやる。殺ろしてやる。殺ろしてやる。殺ろしてやる。殺ろしてやる。殺……」

 郁子の体に瘴気が帯びる。それを感じて、掴んだ髪を放す魔人。

 郁子の体が変形していく。肉が膨張し、収縮し、骨が軋む。

 咆哮を上げて、身を起こす。

 その身は元の姿よりも一回りも二回りも大きい。大型の霊長類のようなシルエットである。しかし、皮膚は赤みを帯び、人に似て薄い体毛だった。

 ざんばら髪の頭部に角が一本、窺える。

 それはこの国に古来より伝わる化け物そのものの姿に他ならない。

 丸太のように太い腕を振るい、背後のマナを郁子だったものが襲う。マナは跳躍しそれをかわす。振動を起こし、その腕は壁にめり込んだ。

 マナと正面から向き合った化け物。

 涎が顎のラインに沿って地に落ちる。口が顎の付け根まで裂けている。大きく発達した犬歯が口内に収まりきらず、閉じられた口から見えている。潰れた鼻。白目を剥いた大きく開かれた目。そして頭部の角。

 それは、鬼だ。

 人は暗く醜い欲望に囚われると、その果てに鬼に変わる。言葉の文ではない。それは事実なのだ。

 藤川郁子は鬼に堕ちた。憎しみに囚われ鬼に成り果てたのだ。

「貴女らしい最後よ! 無様ね!」

 マナは目の前の鬼を嘲笑した。

 鬼が踊りかかる。

 ガラスの砕ける音が月夜に響いた。二人の女だった「魔」が夜闇に舞う。



 十三夜月。

 満月に次いで美しいとされるその月を、この街で見る者が二人。

 それは二人の黒衣の男。


「刻は来た!」

 高層ビルの屋上。魔人・御影司郎はマナの覚醒を感じ謳う。


「目覚めたか……」

 男の眠る病院の屋上。滝口・渡辺詩緒は影の魔道の気配を感じ呟く。


 月はただ、いつものように夜を照らしていた。

 

 

 

 


 




   

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