新緑の生命
――『さて、皆さんは「テレビ」そして「テレビ放送」という言葉をご存知だろうか?
テレビ放送は、電波を使い遠く離れた不特定多数の人達に動画を送るという、旧人類の技術である。またテレビとは、送られた動画を映す装置である。
これらは、我々でいう「チャネリング」のようなものだと考えれば、解釈がしやすいだろう。
アセンションを果たす以前の旧人類は、当然我々より能力が劣る。
が、その劣った部分を機械により補い、文明の終わりを迎える日まで繁栄を遂げていた。この事実は皆さんも周知の事であると思う。
政治、経済、思想、文化。
かつて旧人類が培ったこれらのものは、アセンションを遂げた時その半数を失った。
だが残ったわずかな遺産は、我々に大きな恩恵を与えていることを、これからも決して忘れてはならない…』
―――――――――
――少し薄暗い室内に、数台のテーブルと椅子が置かれている。そこには雑談を交わす人達がちらほら見られた。
室内は香ばしいコーヒーの香りが立ちこめ、人々の五感を刺激する。
そう。ここは人々が行き交う喫茶店。
山に囲まれた街「スパンセ」の中心地にある喫茶店だけあって、客入りは上々と言ったところだ。
人が座るテーブルの周りには、なにやらチャットリングで文字が書かれていた。
《旧文明について熱く語りましょう》
《荒らしにお困りの方はこちらへ》
そしてその中に
《思い出の光景を一枚に》
そう書かれたテーブルには、一人座るザックの姿があった。
書いた文字は、写真撮影の募集広告である。
当の本人は目をつむったまま動かない。
だがそれは、眠っているわけではない。
"チャネリング"と呼ばれる能力を使っている最中なのである。
チャネリングとは、旧人類が失ったとされる「概念原回路」を通じ、自分の思念を自身が持つ生体磁場を使って不特定多数の人物に送る能力、またそれを受信する能力である。
送れる思念は、映像、音声等、自分の考えていることなら全て送ることが出来る。
ザックは、クレロワ=カニールという人物が流している「文明の遺産」というタイトルのチャンネルを受信し聞いていた。
クレロワ=カニールは、シェイン達が読んでいた本の著者でもある人物。
なんでも今回の放送は、ある歴史的な発見があった事を伝えるのが目的のようだった。
「あの… 今大丈夫ですか?」
突然耳に入った呼び声に、ザックは驚き目を開けた。
瞳を開いた先には、一人の男が立っていた。
見た目は、ザックと同じくらいの若さに感じられる、平凡な出で立ちの男である。
だが、その立ち姿は、少し押すだけで倒れ込みそうなほど弱々しかった。
仕事(写真撮影)の依頼で呼びかけた。男は恐る恐るそう言った。
依頼と解り、一言謝りを入れると、ザックは軽い自己紹介を始めた。
男も、やや緊張気味に名を名乗った。
「陰舞という者です。あの、是非依頼したいことが…」
そう言うと、陰舞はコップに並々と汲まれた水を一気に飲み干し、語り始めた。
――出会って数年の恋人と、近々婚姻を結びたい。そこで、記念になる一枚を撮って欲しい。
それが依頼内容だった。
それを聞き、ザックは少々戸惑っていた。
特に躊躇する事はない普通の依頼に思えるが、ザックにしてみれば違うらしい。
「では依頼というのは御二人の記念写真で?」
「あ、いえ…」
緊張なのか動揺なのか、陰舞はどうやら人見知りが激しい性格らしい。
目を合わせたくないらしく、視線をやや下方に向け改めて依頼内容を語り出した。
「結婚する前に、俺達の子供を作ろうってことになって…」
聞いて、ザックの表情が驚きに変わった。
「それはずいぶん思い切りましたね…」
弱気そうな陰舞から、「子供を作る」という言葉が出るとは思いもしなかったからだ。
なぜなら、子供を作るという事は、己の命、己の魂をも危険にさらす行為。深く愛し合う恋人達でさえ、それを避ける傾向にある…それほど苦しい行為だからだ。
「でも…俺達の決意を結婚前に示したいんです!」
ザックと視線を合わせ陰舞は叫んだ。
瞳の光を受け、ザックは初めてこの男の心に触れた気がした。
(――これは困った。)
陰舞の決意は本物。なら是非ともその依頼を叶えたい。
叶えたいのは山々なのだが…
ザックには一つ隠し事があった。
不安げな顔をする陰舞に、少し時間を貰い、今回の依頼をどうしようか考えることにした。
とその時…
「その話、良ければあたしにも聞かせてくれない?」
突如、若い女性が前に立ち、興味津々二人の会話に参加した。
「あたしはハルカ。しがない写真家よ。よろしくね。」
ハルカと名乗るその女性は、話しかけるなり陰舞の隣の空き椅子へと腰を下ろした。
社交的なハルカに対し、内向的な陰舞は、少々困惑している風だった。
ザックは、たじろぐ陰舞に変わり話しを進めることにした。
まず、なぜ今回の話しに興味を持ったのかをハルカに聞く。
「二人が命をかけて生命を作る。ただその瞬間を撮りたいだけよ。」
ハルカは、右手の人差し指と親指で輪を作り、それを目にあてがい、茶化して言った。
小馬鹿にした態度だが、ハルカの視線からは、信念の光が感じられる。同じ写真家としての直感が、ザックにそう思わせた。
ハルカも本気なら、話しを受け流す訳にはいかない。ザックは考え、そして決断した――
―――――――――
――しばらく後、ザックの前に、握手を交わす陰舞とハルカの姿があった。
そう。ザックはハルカに話しを譲ったのだった。
だが、このまま帰ったのではこちらの気が済まない。そう思いザックはある提案をした。
「子供を授かった… その時の二人の心にぴったりな風景を、ぜひ撮らせてもらえないでしょうか?」
なんとも突飛な話しだ。陰舞は内心そう思ったが、せっかくの申し出、むげにする事も出来ない。気押されながらも承諾した。
交渉成立。
多少ゴタゴタしたが、上手く話はまとまった。
先に席を外した二人のことを思いながら、ザックは再び一人の時間を送ることにした。
《チャネリング中》
緑の文字でそう書き上げると、目を閉じチャネリングを始めた――
―――――――――
――『ほとんどの培った文化を失い、言語すら忘れた我々に初めて光をもたらしたのは、一つの沈んだ島だった。
ひらがな、カタカナ、漢字。
発見されたそれらの文字は、今や我々の共通言語となり普及した。
そして今回、そんな偉大な土地で、再びある書物が見つかった。
発見した者は、私が派遣したマティス=ハーウェイの一団である。
私はこれに触れた瞬間、言葉では言い難い、なにかとてつもない大きな力を感じた。
そう、これは価値のある貴重な資料となる、私はそんな気がするのだ。
詳細については…』
(――ん。)
酷く目が重い。
時計の針は、先ほどより大きく進んでいた。
どうやら眠ってしまったらしい。
ザックは支払いを済ませると、重い身体に鞭を打ちつつチャットルームを後にした。
外に出て、眠気を覚ます、深呼吸。
いくらバイオレットの睡眠時間が減少したとはいえ、やはり眠気にはかなわない。
買い物でも行こうかと思い、足を進めたその矢先、建物の間に奇妙な人影があるのに気が付いた。
それはよく見ると、先ほど別れたばかりのハルカだった。
ハルカは、チャットリングで長方形の枠を描くと、その間を覗き込む仕草を繰り返していた。
「こんなところで写真撮影ですか。」
ザックに呼び掛けられ、ハルカは一瞬驚く。が、すぐに気さくに返事を返した。
聞けば、年季が入ったあの喫茶店が気になり、写真に納めようと思ったとのことだった。
「よし、完璧。」
縁取った風景を胸に焼き付け、ハルカは満面の笑みを浮かべた。
いい"思念写真"が撮れたのだろう。つられてザックも笑みをこぼした。
続いてハルカは、ザックを喫茶店へと誘った。
先ほどの依頼の話を兼ねた世間話をしたいという。
買い物の予定があったが、元々たいした用事でもない。
暇と言えば暇なザックは、再び喫茶店へと踵を返した――
―――――――――
――喫茶店は、先ほど同様適度な客入りだった。
席に腰を下ろすと、再び腕を伸ばしくつろぐ。
旅人達が行き交い、交流を深める喫茶店。
だがそこは、単なる憩いの場、という訳ではない。旅人にとって、ある重要な役割を果たす場所なのである。
「あなたも写真撮るんでしょ?」
ザックは頷くと、テーブルにある本を手に取り、ページを一枚一枚めくりだす。そしてその手は、あるページでピタリと止まった。
そのページには、奇妙な文字が羅列されていた。
<img src="http://〇" alt="◎">
ザックは、書いてある奇妙な文字列を見ながら、チャットリングを始めた。
指で書いたその文字は…
《<img src="http://zakku" alt="ichiganrefucamera">》
その瞬間、ザックの身体から眩い光があふれ出す。その光は、周りのフォトンエネルギーを飲み込むように広がり、テーブルの上に濃縮。かと思うと、次第に形を成していき、ザックが使っているカメラとなった。
ザックが書いた奇妙な文字列は、「タグ」と呼ばれるものだった。
「タグ」とは、空気中のフォトン(光子)に命令を送ることが出来る文字列のことである。
タグを扱うには、人が持つ生体磁場の他に、強い地球磁場が必要となる。
全ての喫茶店は、地球磁場が強い場所に建てられているため、憩いの場であると同時に、タグ使うことの出来る唯一の施設でもあるのだ。
チャットリングを主に利用する施設ということから、喫茶店は通称「チャットルーム」と呼ばれている。
ちなみに、ザックが今使ったタグは「身体に取り込んだ物質を、再び外へと引き出す」タグ。
通称「ペーストタグ」である。
「あら、珍しい物使ってるのね。」
現れたカメラを見、ハルカが言った。
しばらく眺めた後、今度は隣にある積み重なった写真へと視線を移した。
それはザックがこのカメラで撮った写真。それを見たハルカは息を飲んだ。
「綺麗…」
旧世代の撮影機器に、ここまで繊細な画質を表現出来るとは思いもしなかった。
「今みたいに、イメージだけで撮らない機械だからこそ、逆にありのままを写せるんです。」
ザックの目がキラリと光る。
写真を一枚一枚丁寧に見ていくハルカだが、ふとあることに気づき、その手が止まった。
(――風景写真しか無い?)
そんなハルカの疑問を察してか、ザックは頭を掻きながら言った。
「うまくは言えませんが…俺は景色だけ撮っていたいんです。」
聞いて、ハルカはハッとした。ザックが陰舞の依頼を悩んでいた理由がこれにあると察したのだった。
同時に、素敵な写真を撮れるのにもったいないとも感じたが、言うのをやめた。
「わたしは逆だな。人の幸せを撮っていたいの。」
にこやかにそう話す姿は、ハルカの生きがいを物語っていた。
ハルカの熱意を聞きながら、ザックは再びタグを書いた。
≪<a href="http://zakku"><img src="http://ichiganrefucamera" alt=""></a>≫
タグを書き終えると、今度はカメラが光に包まれ粒子状に分解していく。
そして光となったカメラは、ザックの身体に入り込んでいった。
物質を光に変換し、使用者の身体へ送り込む「ストレージタグ」である。
ハルカとの雑談はしばらく続き、時間は静かに流れていった。
そして翌日――
――早朝、場所は昨日と同じチャットルーム。
陰舞とその恋人は、不安げな表情を浮かべていた。
「子供のイメージは固まっていますでしょうか?」
傍らのいる一人の女性が、二人にいくつか質問を始めた。
女性は今回、生命誕生の後押しをする人物、いわば助産師のような者である。
「昨日ばっちり固めてきました。」
やや頬を赤らめながら二人は言った。
これ以上の質問は野暮だろう。
「それではよろしくお願いします。」
陰舞が決意し助産師に言った。
助産師は、テーブルの上の本を手に取り、タグが表記されているページを開いた。
―リンク一覧
<a href="http://kaigan">海岸</A>
<a href="http://shinrinabata-jo">森林アバター所</A>
森林アバター所と書かれたタグを見、助産師はチャットリングを始めた。
タグを書き終えると同時に、
「shinrinabata-jo」の文字がまばゆい光を放ち出す。
陰舞は指で軽くそれに触れた。その途端、陰舞が光に包まれ、消えていった。
残るハルカ達もそれに続き、光に包まれ、姿を消した――
―――――――――
――ゆっくりと目を開けると、そこは美しい空の青、森の緑が広がる森林だった。そして、陰舞達の目の前には二つのベッドが置いてあった。
アバターを行う陰舞達は、そのベッドに横になり、お互いの顔を見合った。
準備完了。
――君に会えて良かった。
陰舞が恋人に言った一言が、ハルカの心に、静かに重く響き渡った。
激しい苦痛と疲労を伴う命の誕生。
己さえ消えてしまう可能性…それが恐怖となり心を凍らせる。
それを克服させるのは、言うまでもなく二人の強い絆、互いを思う深い愛情だった。
助産師がアバタータグを用い、出産を手伝う。
「お子さんのお名前は?」
「マイル…です。」
<img src="http://mairu" border="3">
二人の間に光が満ち溢れ、ゆっくりと、次第にそれは形を為していった。
それと共に、二人の生命が弱まっていく。
己の命を懸けた、愛の証。
写真を収めるハルカの目からは、一筋の流れが生まれていた。
そして、その流れは心を伝い、写真へと姿を変えていった――
――その頃ザックは、特技の一つ自転車を軽快に走らせ、街から数キロ離れた場所へと来ていた。
軽快に地を滑る自転車。その車輪もまたカメラと同じく旧文明の代物である。
こぎ進むザックの瞳が、目的地を映し出した。
自転車を止め、深呼吸、そして着地。
そこは、小さな川が流れている森の中だった。
山の入り口付近にあるのどかな場所。鳥の声が耳をくすぐる安らぎの場所である。
辺りの新緑を見渡しながら、ザックはゆっくりとカメラを構えた。
見つめる先には、静かに流れる小さな川。風に揺られ、鳴動する木々の緑。
そこには「静」と「動」が入り混じっていた。
その中に、そっと入り込むシャッターの音。
「静」「動」そして「響」が、一瞬森を支配した――
―――――――――
――アバター行為から丸一日。
今日は依頼品である写真の受け取りを行うことになっていた。
「遅くなってごめんなさい!」
ハルカは息を荒らげ、慌ただしくチャットルームの扉を開けた。そして、急ぎ足で陰舞達が座る席へ向かう。
「大丈夫です。俺達も今、チャネリング放送の出演が終わったばかりでしたので。」
陰舞の腕には、小さな命が抱えられていた。
ハルカは、買い物で遅れたと二人に謝り、花束を女性に差し出した。
青い薔薇、その花言葉は祝福だった。
また、花束の中には一枚の思念写真が添えられていた。
それを手に取り、夫妻は喜び礼を言った。
そして始まる楽しい談笑。
女性同士、気が合うのだろう。ハルカと陰舞の恋人は、話に花を咲かせていた。
その間、陰舞は今回の依頼品である思念写真を見つめていた。
ハルカが撮った思念写真は、本当に素晴らしい一枚で、新たな生命が織りなす光の神秘を実に美しく映し出していた。
一人こみ上げるものを抑えながら、陰舞はコーヒーを味わった。
「そういえばザックは?」
もしやまだ来ていないのか。そう思ったハルカだが…
「あの方なら行っちゃいましたよ。」
陰舞はそう言い、一枚の写真をハルカに手渡した。
(――凄い。)
それを見、ハルカは心を奪われた。
ここはどこなのだろう。どこにでもある場所なのだが、美しいその景色は、平凡さを感じさせず、神秘的にさえ感じさせた。
まるでその場所に居るかのような臨場感…音が聞こえ、森の香りがしてくるようだった。
「実際にその場所に居るみたいな気になりますよね。」
ハルカの心を見抜いてか、陰舞は笑ってそう言った。
(――写真は人が持つ感性の内、視覚にしか訴えれない。自分はそんな写真を五感全てで感じれる写真を撮りたい。)
昨日、ザックが言っていた言葉が頭をよぎった。
「場所を聞いてもどこにでもある辺鄙な場所としか言いませんでした。」
「そしたら言ったんです。子供が大きくなったら一緒に探してみて下さいって。」
陰舞達は、代わる代わるそう伝えた。
二人共、自分と同じことを感じていた… そのことに、ハルカは悔しくもあり、嬉しくもなるのであった――
―――――――――
――噂のザックは、陰舞達に写真を渡した後、その足で列車が走る駅へと向かっていた。
列車を待つ間、いつも買う旅の友の飴玉を買いに売店へ脚を運ぶ。
新人類、特にバイオレットは、飴一つも立派な食事になる。
販売員がお勧め商品に指差し、ザックに勧めた。
著名な占術師が考案した、運勢を占うという飴。
中でも恋愛飴が爆発的に売れているらしい。
ザックは断ると、いつも口にするリンゴ飴だけを買った。そして、足早に汽車が待つホームへと歩を進めた。
(――そろそろ時間だ。)
汽車特有の、心地よいリズムが近づいてくる。
フォトンエネルギーを動力として走るフォトン列車。それが静かにザックの前に止まった。
出発の時。
空き椅子に、腰を下ろして、リラックス。
先ほど買った飴を口へ放り込むと、静かに瞳を閉じチャネリングを行った――
―――――――――
――『写真が収めた新緑の命、深緑の愛。今日は二人の写真家に込められた二つのテーマをお伝えしようと思います。』
開いたチャンネルは、地域情報を伝える地方放送だった。
列車が起こす心地よい振動に身をゆだね、ザックはチャネリングに集中した。
(――新緑の命、深緑の愛…か。)
ふと、閉じた瞳をゆっくり開き、窓の外に視線を送る。
その向こうには、木々の深緑が誇らしげに並んでいた――
第三話「新緑の生命」 完
三話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
ハルカ
陰舞
ザック=ルーベンス