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サフィームゲート  作者: 弥七輝
第五十一話
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ダウン・ザ・ロード~受け継ぐ空~

――アセンション。それは、退化という名の進化。



進化…それは、希望を孕んだ絶望。


ワンダラーは、絶望から希望を掬い上げ、未来を創る存在。少なくとも、マティスにはそうだった――

マティスは両手に持った一本の枝を右脇に持ち据え、数メートル先の無柳へ突き進む。


その刹那の間に頭を掠める光景は、複数のワンダラーに囲まれ、傷だらけになる自分の姿。


その心に宿る、張り裂けんばかりに渦巻く負の感情…



「低俗な者はいつも下劣に足を引っ張るだけだ!」



猪以下の野暮な突進は、例え近距離だろうと、避けることは造作もない。


しかし、無柳は仁王立ちを決めていた。



「そういう下劣な者が俺達ワンダラーを生んだ。そして今度はワンダラーが劣化し、下劣な存在となった。」



叫ぶと同時、枝が横一文字に風を切る。


――斬。



…否、惨――


それは無柳の左手に受け止められていた。


押さえ込んだ枝を、マティスの腕ごと眼前に移し、一度睨みを利かせる。



「仲間までも裏切などという蛮行に走った。その時俺は気付いたよ。この世界はもはや、ワンダラーさえも地に落ちるほど汚れているのだと。」



ならば、ワンダラーも邪魔者に他ならない。導く者はただ一人、真に理解あるものだけでいい。マティスは無言でそう語る。


瞳の奥に、無柳はその意志を見た。


裏切られた怒りや虚無感を消すには、これまで退化派として行って来た考えを正当化し、押し進めるしかなかったのだ。それがいつしかワンダラーの使命という大義に変わり、肥大していった。


失敗作であるこの世界の存在は全て憎むべき対象となり、時には計画の為に利用する… その度、罪悪感より使命感がその身を潤した。


そこにあるのは壁、高く聳える壁…だが、それを壊す存在は確かに居た。



「あなたは、それすらも隠そうと必死になった。でも、出来なかったはずだ。」



マティスの腕を押さえ込む無柳の左手が、次第に力を増していく。


同時に、凝固していた右拳が、目の前の頬を打ち付けた。


一撃により、握った枝が宙へと弾け飛び、マティスは地面に転がり込む。


宿っていた忌まわしい記憶は、頭の外へと吹き飛んだ。


変わりに入るは二人の姿。


無柳もまた、同じ姿を思い浮かべていた。


潟躍達を思えば救い出したい存在のマティスだが、もはや遠慮できるほど力に差はない。


右足にエネルギーを集約させ、懺悔の言葉を口にした。


同時に込めたものは、二人から受け取った「思い」の力。


死闘を決める覚悟を持って、大地を蹴り勇んで跳躍。空中で身を左にうねらせ、右脚を鞭の如く振り回した。



攻める気迫。

その矛先には、構える鬼迫。


マティスは右手をかざし思念波を放つ。同時に左手を、落ちていた枝へと伸ばした。


無柳は怯まない。振り回した脚撃は、思念波を切り、マティスの頭上に掲げられた枝に伸びた。


光がほとばしり摩擦し合う感覚が、両者の接触点から這い上がる。



無柳の怒号。叫ぶ枝。


しなる脚に、曲がる枝。


そして、その瞬間が訪れた。


断末魔、いや、「産声」か… 頭上に掲げられた長い一本の枝は今、鈍い音を放って二本に分かち、天を仰ぐ。


脚撃は、勢いを止めない。マティスは肩から腰に掛けて、煙の如く「蹴り裂かれ」た。魂に宿った太い心棒も折れ曲がり、弓折れ矢尽き膝を付く。



「まだ、消えるわけには…」



残った怒りや憎しみ、闘争心は、マティスの思いとは裏腹に、倒れ込んだ地面から染み出し濾過されていく。


感覚は無へと近づいていた。


と、ふと染み出す精神に入り込むものが一つ。


不思議に熱を帯びたそれは、やわらかく心へ耳打ちした。



「もういいだろう」と。



冷たい世界の中、それは魔法のようにマティスの心を動かした。



「…つくづく邪魔をする奴らだ。」



マティスは一人呟き、ゆっくり身体を起こした。



「…どうやら俺は、使命より、奴らへ文句を言う方が大事らしい。」


話すマティスの表情に怒りはない。


初めて出会った時の様な、アフィリエイターとしての表情に無柳には見えた。


そして、マティスは居なくなった。瞬きする間に静かに消えた。



最期に向かう場所はどこなのか、容易に理解出来た。



残された無柳は、すぐに気を切り替え、次にすべき事に行動を移した。



――世界の再生。



それにはネメキネシスが必要だった。



本来ならばもうすぐレインボーとして完全に覚醒し、扱えるようになるだろう。だが、多くの魂を取り込んだ状態では、もはやレインボーにはなり得ない。



万事休すか…



無柳は青雲を見上げ、一度大きく深呼吸をすると、瞼を閉じ、静かに自分の「中」に目をやった。


災厄の傷を癒やし、眠りにつく魂達がそこにいた。


それらに語りかける言葉は、鎮魂歌ではなく凱旋歌。


一人一人に意識を向けた後、再度深く深呼吸。


その後すぐさま指先を宙に突き、チャットリングを始めた。


書いたものは、マティスを失い帰依したプロジェクションタグ。


クラインの壺には、世界の崩壊と共に回帰していたネメシスウェーブが充満していた。


それがプロジェクションタグにより、この小世界に充満した。


ネメシスウェーブにより、空間が歪曲し始めた。


その中で無柳は一人言う。


大丈夫だ、と。



決意を顔に宿し、両手を広げた。


漂うネメシスウェーブは一気に無柳の内側に滑り込んでいった。


強い負荷が魂を襲う。


自害といって差し支えがない行動は、愚行としか言いようがない。世界再生とは程遠い、終焉のそれに近いといえた。


だが、今無柳の瞳には、それを是として光る光景があった。



身体中から無数に飛び出す魂。それは虹色の輝きを纏い、空を飛び越えた先の虚無のかなたへ抜けていく。無であった空間は魂が駆け駆ける度、鮮やかな色を灯していった。


空、緑、そして大地へ… 色は、かつての世界を形成し、物理的に肥大していった。



世界が再生されていく。それを行う者は魂達。



――「そんな事が本当に?」



無柳の脳裏にルシータの言葉が再生された。


別れる際、残された可能性の一つとしてルシータに話していた計画。それが今こうして完全な姿で再現されていくことに、無柳は少なからず驚嘆していた。



ネメシスウェーブを取り込み、自身がそれを制御し、自分の中に宿る魂達を解放する。その際に僅かにネメシスウェーブを与えれば、簡易的に力が宿ると考えたのだ。


結果、回帰能力が上昇した魂達はネメシスウェーブを大地や空といったあらゆる存在を構築する材料に変え、飛び出した。


回帰不能となった世界は、魂が吹き抜ける度創り出されていく。


さながらそれは、チャットリングで描かれるが如く誕生していった。


無柳は顔を上げ、虹色に輝き生まれていく空をただ眺めた。



言葉も出ない。それは何よりも美しく、何よりも偉大な景色として、心のカメラに収まった。


しかし、壮観を見やる無柳の表情は、決して爽快なものではなかった。


微笑の中には苦渋が混じり、仰ぐ両手は微動し震える。



無柳は今、全魂に力を与え導いている状態。当然負担は多大なものとなっていた。ともすれば自身が消滅しかねないほどの重圧。いや、実際にはもう消滅して当然という状態だった。



だが倒れない。だが屈しない。


このまま眺めていたい思い。そして長年抱いていた葛藤…多くのワンダラーを手に掛けてきた懺悔の心が、少しずつ解けていく。その感覚が心を強くしていた。



魂達も呼応してか、世界の再生が加速していく。

それと共に、無柳の鼓動は減速していく。



上げた両手は今、静かに下りた。


視界はそのまま霞んでいく…






(――ここは…)



無柳は大の字になり、宙を漂っていた。


先ほどとは異なる景色… ここは、見上げても見下ろしても蒼天が広がる、清々しい場所だった。


上の空と下の空、互いに色彩は違えど、確かな一体感となって無柳を包み込んでいた。



(――そうか…これが。)



納得した表情で少し笑うと、カメラを構える動作をし、呟いた。



「ソシノさん、見えますか?あなたが…俺達がいつか夢見た世界です。」



そしてその瞼は静かに下りる。


閉じた先、ラーソの姿が浮かんでは消え、無柳の心を静めていった。


遥か彼方の空には、縦に広がる淡く彩られた太い虹が、上下の空を結んでいた――






―――――――――






――世界は再生された。リリ達により静止していた時間は、何事を無かったかのように動き出す。


ラーソは、ハッと体を前に乗り出し動き出した。


今まで目の前で話していたはずのザックが居ない… だがすぐに察する。


ザックが世界に起きていた災厄を終わらせたのだと。


鳥が鳴き風が息吹くこのファンクスの森林は、今まで静止していた世界が動き出していることを意味していたからだ。


自分達の知らぬ間に戦っていたのだろう。


ならば今、そのザックはどこに…


戦いの終息に胸を撫で下ろすより先に、強い不安が押し寄せた。


ザックにテレパシーを送るが、繋がらない。潟躍達の元に居るのかと考え、そちらにも連絡を取るがなぜか全員梨のつぶて。


拍車が掛かる不の安堵。


最後の会話を交わした時のザックの表情が、ここに来てなぜか不吉なものに思えてきた。


その時、ラーソはたまらず走った。


自身でも解らないほど、体が自然と動いていた。


不安からではなく、導かれる様に…



今居るファンクスの自然公園を抜け、街に着く。


何事もなかったように、大通りを闊歩する人々。活気付いた町並みは、本来ならば安堵をもたらすに十分だった。


だがラーソは歩みを止めない。


迷わずチャットルームに行き着くと、ジョウントタグを用意した。



指定した場所は、小さな島、ミノセロ。


着いても尚、ラーソは止まらない。もはや思考すらせずに走った。


そしてたどり着く。この地は、ザックとの旅で最後に訪れた桜の地。



「ザックさん!」



誰もいない空間に響く叫び。


ふとラーソは気付いた。


向こうの桜の樹に何かがある事を。



向かった先…そこには、桜の樹の枝につり下がったカメラが、風に吹かれて揺れていた――








~受け継ぐ空~



挿絵(By みてみん)



――「さて今回は、アセンションにより人類はどのような変化を遂げ、進化をしたのか、それについて詳しく解説していきたいと思う。



章一「人類の神秘の軌跡」


アセンションを遂げた新人類の特徴。


一.フォトンエネルギーが体内に取り込まれることにより遺伝子細胞が活性化。


二.取り込んだフォトンが魂へと伝わり、そこから生体磁場(オーラ)が作り出される。


三.オーラにより、個別を認識。オーラに色彩を与え色による意思表示を出来るよう進化。

(チャットリング能力)


四.色彩の活性化。

それにより旧人類では見えなかった色彩が見えるようになる。自分だけの色を持ち、自分にしか見えない色など、その色彩感覚は旧人類の数千倍に及ぶ。


五.音感の活性化。

それは、色彩と同じく…



「はい!」



小さな部屋に響いていた少年のやわらかい声色が、甲高い子供の叫びにより静止した。


窓から入る川のせせらぎが、僅かに沈黙した室内に流れ込む。



「何かな?」



十八歳前後と思しき少年は、一層落ち着いた様子で呼びかける。


すると、更にはしゃいだ声がやって来た。



「チャットリングって何?」



すると少年は、待ってましたと言わんばかりに円滑な動きで指を宙に突き出した。



「それは…」



先ほどの落ち着きはどこへやら、子供に負けずに無邪気に言った。



「こういうことさ!」



宙をなぞる人差し指は、青色の線を描き、文字を作り出す。



《シェイン》



それは、少年の名前だった。



異様なほど鮮明に記されたチャットリングを、子供は目を手を点にして眺めていた。

そんな反応とは逆に、「凄いだろ」とシェインは元気に書きなぐる。



「…これじゃどっちが子供か解らないわね。マイルちゃんが困ってるわよ。」



後方の扉から突如聞こえた女性の声。シェインはビクッと体を動かし振り返った。


呆れた表情で立つ黒髪の女性が、シェインの瞳に反射した。


女性の奥にも誰か居るらしく、クスクスと笑い合う声が聞こえていた。


シェインはバツが悪そうに頬を掻き、言い訳を始める。



「だってこれずっと待ってたシチュエーションだったんだよ。ラーソにも話しただろ?」



女性―ラーソは少し笑う。だが、それを隠すようにぽかん立つ子供の相手を始めた。


同時に、扉の奥に居た二人の男女が入り込んだ。



若さが見られる肉体年齢二十代の二人は、夫婦なのだろう。仲良く寄り添いながら唇を尖らせるシェインを労った。



「いや、シェイン君は大したものだよ。その年で教える側になるなんて。やはりあの人のお弟子さんだけある。」



直後、「自称ですけどね」とラーソの一言。


どっと笑いが沸き起こる。大人達の楽しげな声に、自然と子供も加わった。



談話も一段落した所で、夫婦は改めて子供の面倒を見てくれた礼をした。


シェインは、遠慮がちに右手を顔の前で小さく振り頭を下げた。


そして、「無理を言ってここに来たのはこっちの方だ」と言い、首に下げていたポーチを弄った。


中から取り出したものは、長方形の小さな紙。


それは、静かに流れる小川と、森の緑が入り込んだ写真だった。



「でもよろしいのでしょうか?記念の物をわたくし達なんかに…」



ラーソもまた、申し訳なさげに会話に混じる。



「あなた達だから渡したんです。それに…俺達にはこれがありますし。」



夫婦は、ラーソの背後にある広い窓を見つめた。


続いてシェイン達もそこを見る。


小川と緑… そこにあった光景は、写真の場所と酷似していた。



「"出発前"にお二人に知り合えてよかったです。ザックさんとの思い出話もいい記念になりました。」



ラーソの言葉に、夫婦は満足げに頷いた。



二人はその後、旅立ちの身支度を始めた。


別れ際、シェインは喜々としながらも、どこか寂しげに夫婦を見た。



「陰舞さん。色々ありがとうございました。」



扉の開く音が甲高く鳴り響く。シェインの鼓動はそこから静かに律動していった。


旅立ちの時の心地よさを胸に秘め、二人は扉の外へと消え入った。



「…でもザックさんの知り合いが訪ねてくるとはね。正直、何だかこっちの方がはしゃいじゃったよ。」



住人だけとなった家には、しばらく家族の声が躍動していた――






――数時間後、二人は飽きることなく新たな森の中を歩いていた。


休む時間より歩く時間が多いのは、旅人故の気質か。



「あ!」



小さく叫び、シェインはサッとポーチに手をやる。そして、中から現れた古めかしいカメラを構え、空に掲げた。


葉が茂る隙間を縫うように飛んでいた奇妙な形の鳥が、カメラの中に収められた。



「比翼鳥、珍しいわね。」



ラーソは言いつつ、目を輝かせるシェインに早く歩くよう促した。


実のところ、シェインの「撮影病」により、予想より大幅に時間を取られていた。


少し慌てつつも、ラーソは無理もないと自分を諫める。


今歩く森はなんとも奇妙な場所だった。


様々な生息地の植物が茂り、少し歩けば沼があり、また少し歩けば不毛の地が… 節操ない風景は世界の気候が入り混じったような所だった。



「でも何度も来てるんだから今日くらいは我慢して。じゃないとみんなと会う時間が短くなるんだから。」



その言葉が効いたのか、シェインはカメラを放し足早に歩き始めた。



森を抜け、風と共に吹き抜け着いた先には、ふきぬきとなった巨大な一軒家。


扉の前に立ち、一度姿勢を正して深呼吸。再び扉の軋む音を聞いた時、中からは複数の声が飛び出した。



「兄さん。」


「ラーソ!」



まず二人の少年の声。


シェインと同じくらいの年齢の少年と、なにやら木のような見た目をした変わった少年だった。



――カイン、サム。



シェイン達は二人の名を呼び、久しぶりなのだろう、再会の喜びを顔から漏らして近づいた。


だが、懐古に浸る前に、カイン達の横に立つ男女に挨拶を交わす。



「ルシータさん、テテさん。お久しぶりです。なんかまた敷地が広くなってて驚きましたよ。」



シェインの言葉に、なにやら誇らしげに頷くサムの父、テテ。



ここ、ワイス郊外の森は、数年前までサムがひっそりと暮らしていた場所だった。


テテはかつて、ツリーコラージュという現象に冒されていたサムの事を疎ましく思い、その手に掛けようとした過去がある。


だが、その過ちに気付いてからというもの、罪を償うよう出来る限りの事をしてきた。いつしかそれは、同じようなコラージュに悩まされている者達全般へと発展。今は養護施設兼介護師育成場の建設をしている最中だった。



元々広大な土地であることが幸いし、施設は充実している。無論、元介護師のルシータの協力があってこその施設だった。



ルシータは主に、介護師の訓練生の育成に力を入れていた。


シェインの弟、カインが兄との旅路を離れ、介護師の道を目指したのも、ひとえにルシータの影響だった。



「あの…」



施設について盛り上がっている最中、サムの後ろからか細い少女の声が聞こえて来た。


話に加わるタイミングを逃したのだろう… ラーソは察し少女に一言謝る。



「沙流ちゃん。久しぶり。カインとはうまくいってる?」



ラーソのなにやら色めいた質問に、途端に二人の顔に紅葉が生まれた。



「うん。凄く仲がいいよ!二人とも息ぴったりだしね。」



サムの、ある意味空気を読んだ発言に、「まいったな」と二人は笑う。



二人が出会ったのは今から一年ほど前。カインがここで介護師の訓練を受け始めた頃、沙流がルシータの評判を聞きつけやって来たのが始まりだった。


かつてインビジブルコラージュに冒されていたという沙流は、サムとすぐに意気投合。さらに親を無くしている過去もあり、同じ過去を持つカインとも自然に距離が近くなった。



「そんなことより兄さん!潟躍さん達に連絡したの!?」



カインの叫びにより、シェインは楽しんでいた野次をしぶしぶ止めた。


確かに"出発前"に潟躍達へ連絡した方がいいだろう。シェインは思い、目を閉じテレパシーを始めた。



その間カイン達は、再会を祝う宴の準備を始めた――






――『…と言うように、ディフォルメーションを害悪と見なし、ともすれば排斥しようと考える人達が増えている。だが、我々はかの人に告げたい。この世に害悪だけの存在があるものか、と。あるとするならば、それは他を認めようとせず、自分の檻に閉じ籠もる心なのではないのかと。我々は変わらない。これからも作品を紡いで行くだろう。その宣言を以て、今回の放送は終了させて頂くことにする…』



カニールガーデン。

この中のチャネリング施設に、疲れ果て座り込む潟躍の姿があった。


そんな中、追い討ちを掛けるように頭に響くテレパシー。潟躍の疲れは増幅した。


だが、それがシェインのものであると知ると、さっきまでの疲労はどこへやら、周りの目を気にせず叫びを上げた。


そそくさと部屋を抜け、最上部の自室へと向かう。着くや否や、再度嬉々としてテレパシーをした。



『そうか!今日だもんな!"あっち"に行くのは!』



と勢い良い言いつつ、見送りに行けないことを悔しがり一人肩を落とす。


シェインもそれを理解し、気持ちだけ受け取って連絡を切った。



潟躍は、瞳を閉じたついでに眠ろうかと考える。が、刹那、妙に絡みつく視線を感じ、恐る恐る瞼を開いた。



「今の、誰から?シェインから?」



長椅子に座る潟躍を上から見据え、眠そうな顔をした女性が呟いた。



「ネム、お前…ハーゲンムルバに行ったんじゃなかったのか?」



いつの間に来たのか…思いつつも潟躍はネムに話を合わせた。


しかし、何か後ろめたい事があるのか、ネムに今の話を率先して語ろうとはしなかった。


だが、数分後。潟躍は喜々として話していた。ネムの話術に乗せられて…。



「でも早いもんだよな。あれからずいぶん経ったもんだ。」



脳裏に、激動のあの日の事が浮かび上がる。



世界を救うため、カニールガーデンに巣食うリリ達を打倒したあの日。

犠牲こそ少なかったが、打倒の際に壊れたカニールガーデン最上部は、戦いを終えたばかりの潟躍達を大いに苦しめた。



――なぜビルが破壊されているのか、代表のクレロワはどこに行ったのか。



戦いの最中、世界の時間は静止していた。そのため、周辺の者にしてみればカニールガーデン崩壊は青天の霹靂(へきれき)だった。



潟躍達は、当時話題となっていたタルパ(ヤーニ)を利用した。ヤーニが突如カニールガーデンを襲った事にし、その時にクレロワは巻き込まれ殉職したと主張。疑いの目を向けられながらも、なんとかやり過ごした。


そして話の流れから、ヤーニを浄化したのは潟躍達ということになり、事態は急変。殉職したクレロワに変わり、潟躍とネムが代表にという所にまで発展した。

事にネムは、不在となっていたハーゲンムルバの指導者にも選ばれ、多忙な日々を送っていた。


それから数年。未だになれない生活の中、二人はそれなりの暮らしを築いていた。



「しかし、なんだ。こう考えれば、なんだか昔の生き方が恋しくなるな。」



話した時、潟躍は「しまった」と己の言葉に自虐した。


心の中に、消していたはずの「男」の姿が現れたからだ。


自分がそうならネムもそうに違いない… その読みは正しかった。



「…マティス。」



小声でネムが言う。


黙々と流れる時間を、すまないと潟躍が切る。



「いいよ。忘れられるような事じゃないし。みんな気にしてたのバレバレだったし。」



ネムの言うことは最もだった。


今でもマティスが自分達を欺いていたのが信じられない。だが、時折見せた仲間意識までもが虚構だったのか… 答えは否だと二人は思う。


朧気ながらも覚えている。あの日、すべての災厄が終わったあの時… 白昼夢の中にマティスが現れた事を。


戦いで疲労していたわけではない。マティスは確かに現れ、言葉を贈ったのだ。


言葉は知り得なかったが、憎悪は感じられなかった。


ネムは思う。


あれはマティスなりの感謝の言葉を送っていたのだと。よくマティスが他人を誉める時に見せる口元の動きは、ネムが一番よく知っていた。



「まったく。完全に憎まれ役なら思う存分軽蔑出来たのにな。あいつは最期まで賢い奴だ。」



潟躍の言葉に、ネムは珍しく同意した――






――サムの家は宴の真っ最中。


楽しそうな声に、屋鳥達も歌い出す。



話題は専ら旅の軌跡。


サムには写真が効果的だった。百聞は一見にしかずということだろう。


サムはもうすぐコラージュが改善する兆候があった。アフィリエイターになるという昔からの夢も、僅かだが近づいている。写真の風景を実際に見に行くのがどうやら新たな夢らしい。



「色々巡って、広い世界を知る。それがちぃとの約束だしね。」



サムが写真の景色に溶け込む中、シェインとカインも盛り上がりを見せていた。


事に、スパンセに寄った時訪れた、父―クルトの話は華を添えた。



「お前もたまには会いにいけよ。もしかしたらこれから会いにくくなるかも知らないしな。」



兄の言葉に、カインは頷いた。



クルトは今、ブリザードフラワーの生育に成功した初の人物としてにわかに注目され始めていた。



――世界一のブリザードフラワー生育地が完成する。


そうなれば、クルトも一躍有名人だろう。



「な!早く会わないと。まあどうせ二人で挨拶に行くんだろうけどな。」



沙流の方を振り向き、口元を綻ばせるシェイン。


カインはまたもや赤面した。



刻一刻と移り変わる楽境(らっきょう)


そして、別れの時がやってくる――






―――――――――――






――庭先。


シェインは気さくに別れを告げた。


隣のラーソも別れを交わし、シェインに出発を宣言する。


仲間の目に、二人の背中が映る。



いざゆかん…



だが…動かない。


出発のはずなのに、二人は足を踏み出す気配がなかった。


変わりに動いた箇所は、ラーソの指先。


宙を舞い、それは文字を描き出した。



《#00X00#》



それは、かつてプロジクションタグと呼ばれたものによく似ていた。


描き終えると、目の前の空間に変化が生じた。


立ち込める陽炎の如く揺らめき。やがてそこは虹色に輝き、広がっていく。



「二人とも、またここに戻って来てね。」



いつもは気丈なルシータが、浮かない表情でそう言った。



「大丈夫」 一言告げると、二人は虹色の中へと消え入った。



数秒後、空間は元へと戻り、広間には寂しそうに佇むカイン達が残された――






――どこからか、梢から無数の虫が高い音を断続的に響かせていた。


一つは赤みがかった空へと消え、一つはある二人の元へと届いていた。


十六歳程度の見た目の少年と少女の胸に。



「もう!まだ準備してなかったの!花火始まったらあなたのせいよ!」


「いや、このまま行こうとしてたんだけど…」



瓦屋根と石造りの家が一つの道を挟んで並び立つ一角…なにやら二人は言い合いをしていた。


少女はいかにも涼しげな、木綿のひとえの衣装を身にまとうのに対し、少年は簡素な黒い布地の服というラフなものだった。


どうやら少女はそれが不満らしい。


一方的にまくし立てる少女だったが、少年はニコニコと面白いものを見る目で眺めるだけで、言い返さない。



「何笑ってんのよ。このニヤニヤヤーニ!だいたいあなたは翔と比べてファッションセンスが…」


「だからその変なあだな止めろって…」



ようやく言い返した矢先、少女は強引に少年の腕を掴み走り出した。


走る二人の足音と重なっていた虫の鳴き声は、次第に独唱に変わっていった。



「…良かった。どうやら大丈夫みたい。」



遠巻きに一部始終を見ていた二人組は、そろって安堵の声を出す。


それは、少年にも負けずラフな衣装に身を包んだラーソとシェインであった。



何かに納得し合う二人は、そのまま気ままに歩いていく。


しかし、ここは何処なのだろうか?


今シェインの目に映る高いビルや店の造りは、ヴァースの街並みを思わせるが、高速で動くカラフル機械や、異様なまでに犇めく人々は、大陸でも見たことがない風景だった。



「ここでは当たり前のように夜が来て、当たり前のように季節が巡る。ホント別世界だ。」



シェインは、すっかり薄暗くなった空を見上げ、しみじみと言った。



そう… ここは、言うとおりの別世界。大陸とは文字通りかけ離れた場合である。



世界の運命を賭けたあの時… ザックは魂達と協力し、平穏を取り戻した。


だが、救われた世界は一つだけではなかった。


旧暦二千十二年、ネメシスが世界を襲い、ワンダラー達が覚醒を果たした瞬間から静止していたあの次元もまた、活動を始めたのである。


クラインの壷を通じ、今二つの次元は互いに干渉することなく動いていた。


事に旧次元は、静止していた時間を取り戻すかのように、既に二千十二年を遥かに飛び越え進んでいた。



だが、ラーソ達は何を目的にここへ来たのだろうか…



「そうだ!俺達も見に行こうよ、花火!」



ラーソは考えた末、それを諾する。


理由は単なる観光か、だが、何かがおかしい。


二人がこの世界に来たのは約二時間前。まず向かった所はとあるビル、次いでとある武芸者達の稽古場。そして、先ほどの少女達の元である。


どれも観光というより、人に会いに行った風だった。


また、ここへはいつでも来れるわけではなかった。


一年に一回。この世界で最も霊的な力が強くなる「盆」という日に、向こう側からプロジェクションタグを通じやって来れる。


だが、時間軸のズレが激しく、向こうの世界から来れるタイミングを察知するのは難儀だった。また、自身の次元を落としここに来ているため、力の大半を消失することになる。長期間の滞在で、命を落とすことさえ考えられる危険があった。観光だけで来るにはあまりにリスクが高い…



「到着っと!」



やがて二人は花火会場へと着き、混雑する観客の中に身を置いた。



しばらくし、闇に輝く光花。


熱いはずのそれは、どこか納涼とさせてくれる。



「でも…このまま何事もなく成長してくれるかしらね。」



ラーソは不安そうに呟いた。


シェインはカメラを構え返答する。



「大丈夫だって。そのために確かめてるんだろ。」



意識はほとんどレンズ越しに向いているようだった。


その夢中な姿、そして、古めかしいカメラをまじまじと見、ラーソは思い起こす。


あの日、急いで向かったミノセロの地で、カメラを拾った時の事を。


それに触れた時、まるでザックの意志が投射されたような衝撃を受けた事を。



「…でもまだ信じられないな。あの人達が"ワンダラー"だって。」



シェインはカメラを放し、話し始める。



――ワンダラー。



旧文明から新文明へと導いたそれらは、両世界を知る唯一の存在。



そのような魂を持つワンダラー達は、この世界への道が開いたと同時、少しずつこの街に流れ込んでいた。


魂は洗浄され、転生。すでにだいぶ前からそのサイクルを経て根付いた者も居る。先刻の少女達もその一人だった。


ラーソにはそれが感知出来た。そして、そんなワンダラー達の行く末を見守る事こそ、自分の役目なのだと自覚していた。



「彼らはいつかこの世界を変える存在になる。ザックさん、そうですわよね。」



見上げる花火は神々しく、会場の人達を照らしていた――






―――――――――






――翌日。



雲が青い道を歩いていく。


ラーソ達は緑の道を歩いていく。



潮の流れが耳を伝う。


そして目には、深緑の揺らめきが映された。



「ザックさん…お久しぶりです。」



ラーソ達が深々と礼をする先には、見事に聳える柳の樹。



「ザック、この写真いい感じだろ?俺の一番のお気に入りさ。」



シェインは空が映された写真を手に取り言った。



人など居ない。あるのは木々と見晴らしのいい景観。




――ザックが来たらきっとこの場所気に入るだろうね。



そのシェインの一言が始まりだった。


偶然見つけたこの場所は、ザックが最も気にかけていたあのミノセロの場所に驚くほどよく似ていた。



――そのザックはもう居ない。


だが、ここに来るとなぜか会えるような、そんな気がするのだった。


ワンダラーを見守る…その役目すらも、もしかしたら虚像なのかもしれない。


ザックも他の者のように、この地で暮らしているかもしれない…そんな希望が、少なからずこの世界に来る動機になっていた。


ワンダラーではないヤーニが現に転生し生きている事がその可能性の背中を押した。



ラーソは髪を掻き分け、空を見上げる。


極まる心を、澄んだ青空は受け止める。


そしてラーソも両手を掲げ、広い空を抱きしめた。



「ザックさん、あなたが見守るこの空は、今日も綺麗に咲いていますわよ。」



叫び声は、高く、高く、登っていく。


秘めた思いは堅く、堅く、心に宿る。


柳は陽気にしなやかに、夏の風に揺れていた。


二人を包み込むように、いつまでも――




最終話「ダウン・ザ・ロード~受け継ぐ空~」 完



サフィームゲート 完








五十一話登場人物集


※イラスト協力者「そぼぼん」

※登場人物一部割愛




シェイン


挿絵(By みてみん)


カイン


挿絵(By みてみん)


マイス


挿絵(By みてみん)


サム


挿絵(By みてみん)


少女


少年

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