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サフィームゲート  作者: 弥七輝
第四十五話
68/75

終末の獣

挿絵(By みてみん)

――時に「それ」は、音もなくやって来る。


平穏と未来を貪り、漆黒の身体を肥大させ、希望を絶へと追いやっていく魔の象徴。


人はそれを、「終末」と読んだ。



終末が新たに食料に見定めたものは、この世界。だがその前に、その毒牙はある一家に向けられていた・・・



「…父さん。」



軋む戸を開き、シェインは父であるクルトに話し掛けた。


返事は来ない。自身の声の残響だけが空しく胸元へ返ってくる。


横で瞳を閉ざし静かに眠るレリクをよそに、クルトはただ、目の前の小棚を見つめていた。


その定まらない黒点には、ブリザードフラワーの輝きが映し出されていた――






―――――――――






――ハーゲンムルバのチャットルーム。ヤーニとの戦いを終えた潟躍達十一人は、ここで祝いの席に着いていた。


だが、いつものような騒ぎは無い。戦いの疲労からか、多くのバイオレットが眠りにつき、席は寂寥感(せきりょうかん)に包まれていたのだ。


残ったクリスタル達も、勝利には酔いしれず、戦いで散った美波の追悼で沈んでいた。



狼藉の場が「悼席」の場に変わって数時間。


眠っていたザックは、一つのテレパシーで目を覚ました。



『――ザック…今すぐ来れるかな?』



それは久しぶりに聞くシェインの声だった。


珍しく薄暗さを感じるシェインの声に、ザックは眠気を覚ますほどの胸騒ぎを覚えた。


仲間達に急な用事で出掛けると告げ、徐に席を立つ。


祝いの主役の退場に落胆する声もあったが、ザックの意志は変わらない。



「…ではまた。」



仲間達と、寝ている潟躍とネムに別れを告げ、ジョウントタグでチャットルームを後にした――






――クルトの家の周辺に広がる森は、今日も美しい光と影の幻想を作り出していた。


小鳥の囀りと風の音、虫の音色と、力強い川の鼓動… その中に、忙しく動く風の音があった。



半霊化し、森を掛けるザックである。


美しい風景も、今のザックには障害の何者でもなかった。一刻も早くシェインの、いやあの家族の元へ… そんな想いが疲れる身体に鞭を打つ。



視界が家を捉えた時、ザックは立つのも億劫な程に疲労しきっていた。



「…ザック!?」



シェインの呼び声が二階の窓から降り注ぐ。


続いて家の入り口からは、弟のカインの呼び声が。


ザックは、二人の姿にホッと胸をなで下ろした。


震える足に力を入れ、家の中へと入り込む。見慣れた室内に心を落ち着かせると、一旦居間の椅子へ腰を下ろした。


軽く息を吐き、深呼吸。ふと、クルトとレリクはどうしているのか気になった。


妙な胸騒ぎが息を吹き返す。同時に、眼前に据えたシェイン達が、やけに浮ついているのが目に入った。



「…レリクさんは?」



途端、カインの表情が大きく潰れた。


圧迫された顔からは、大粒の涙が溢れ出た。


部屋中を揺らす泣き声は、反響する度悲観となって二人の元へ返ってくる。



「な、泣くなって…言ったじゃないか…」



兄としての意地だったのか、必死に涙を堪えていたシェインだったが、ついには衣服を濡らし始めた。


ザックは言葉が出なかった。なぜ自分の質問が、二人の涙を生んだのか… 少し考えれば解ることを、直ぐには理解出来なかった。いや、理解していても、それを認めるのを心のどこかで拒んでいたのだろう。



"レリクに不吉な事が起きた"という事実を。



「レリクさんになにかあったのかな。」



口にした言葉は、数分後、現実として胸に迫ってくる。



泣きじゃくる二人に連れられやって来た二回の部屋。そこは、空いたベッドと、隣の小棚に置かれたブリザードフラワーがあった。



「ザックには言うなって父さんに言われてたんだ。だけど、僕たち二人になったら急に辛くなって…」


「父さんは言ってた。母さんは花になったんだって…」



唖然と花を見るザックに、代わる代わる触れてくる二人の声。胸に抱いた不吉な影が現実味を帯びた時、ザックの震えは頂点に達した。



行き倒れた中、レリクに助けられ知り合いになった事…そこから交流を深めていった日々の事が、目を閉じずとも脳裏を流れた。


母親としての優しい笑顔、時折見せる凛とした表情、クルトを慕う一人の女性としての素顔。そして、ザックに対する気さくな微笑み。


だが、それらはもう無い。見たいと思って呼び掛けても、返ってくるのはベッドと小棚の無機質な光景。



「前に突然倒れて…それからずっと治らなくて…」



少し冷静になったのか、シェインは苦心ながらも事情を語り始めた。


レリクは三ヶ月程前から体調を崩し、事に夜になれば症状が悪化したらしい。


クルトは身を粉にし懸命に看病をしていたという。


だが、結果はあまりに残酷だった。


クルトの痛みを理解しているつもりでも、その深淵を覆う闇は、到底伺う事が出来なかった。



「父さんは言ってた。きっと母さんは戻って来るって。でもその父さんもどこか行っちゃって…」



カインも兄を見習い、泣くのを堪え話し出す。


おそらくレリクは戻って来ないだろう… 話に聞いたクルトの動揺や行動から、それを鑑みれた。


だがザックは、余りに健気な二人様子に、本心とは逆の「戻って来るよ」という励ましをしてしまった。


信頼するザックの言葉は、二人にかりそめの安らぎを与えた。



「そ、そうだよね!大丈夫だよね!」



言われるがままザックは頷いた。


嘘もいつしか巧になり、二人をグイグイ引き込んだ。



「二人共今より立派になって、レリクさんが帰った時びっくりさせよう。そのためには…」



「勉強!後冒険!」



二人はやる気を漲らせ、力強く答えた。


レリクの帰りを悲しんで待つよりも、前を向き、今出来ることを行い、成長しよう。ザックのその言葉が、二人を暗闇からすくい上げていた。



「そうだね。よし、一旦落ち着いたら俺と一緒に冒険しようか!」



二人は何度も頷き、約束だとザックを煽る。


喜びの声は窓を伝い、空虚が広がる外へと消えた。


今はこれでいい… 虚しさを宿した心を抱え、ザックは優しく微笑んだ――






――その頃、不気味な静寂が漂う部屋で、リリは瞳をゆっくり開けた。


夢うつつに見たものは、新たな光。そこに佇む新たな自分。


新世界、新次元。それを実現する術をリリは持っている。


終末の獣がその胸元で、世界を呑み込まんと彷徨した。



「じゃあ、始めようか。」



リリは立ち上がると、その長い人差し指を鋭く突き立て、タグを綴り始めた。


だが、様子を見ていたクレロワが、突然動きを制止させた。



「まだワンダラーが残っています。それに、無柳もネメキネシスで止めに入るでしょう。クラインの壺の解放はまだ…」



話の途中、リリの指が僅かに縦に動いた。それはタグの片鱗を(はら)み、クレロワに動揺を生ませた。



「まず一つ、無柳の事は心配いりません。もし彼が音吏の危惧した様に完全なネメキネシスを出来るんだったら、とっくにわたしにやってるはずです。」



リリの言うことは最もだった。クレロワは反論せず、更に思案を始めた。


完全なネメキネシスの力なら、例えリリがどこに隠れようと対象として捉えられてしまうはず。だが、その兆候はこれまでただの一度もなかった。


無柳が未だリリの事を知らないのか… 否。 その可能性はこれまでの対立から鑑みても限りなく低い。となれば答えはただ一つ…



「そう。彼のネメキネシスも、音吏の様に不完全なものか、はたまたホイホイと使える代物じゃないって事ですね。」



プロジェクションタグ「#00X00#」を中ほどまで書き終え、リリは言った。



「もう一つ、ワンダラーの事ですが… それはやっちゃってから言いますね。」



鼻歌混じりで指先を進め、ついにそれは姿を現した。



《#00X00#》



「新世界への扉、サフィームゲートの開門です。」



嬉々とする叫びを受け、世界を貪る終末の化身、プロジェクションタグは、強い光に包まれた――






――シェイン達は、眠りについた。


本来、眠ることのないクリスタルが寝息を立てているのである。悲しみが、いかに急激な魂の劣化を招いたのかを物語っていた。



二人が二階の部屋で寝ている間、ザックは居間で静かに流れる時間と対話していた。


レリクの死は自分でさえ受け入れるのが難しい。シェイン達はもっと難しいだろう。 居間から覗く、いつになく眩しい庭先は、そんな二人を哀れむようにザックには映った。



(――まずは俺がしっかりしなきゃな。)



少し気丈さを取り戻し、己の胸に広がる闇を追い払う。



その時だった…



突如ザックは、机に激しく手を付きもたれかかった。強い胸の痛みが全身を巡ったのである。


否。魂が悲鳴をあげる…そのようなおぞましい痛みだった。



(――今のは…)



ザックにある考えが沸き起こる。確かめるため、急いで二階へ上がった。



「シェイン、カイン!」



二人は呼び掛けに答えず、ベッドに横たわっていた。だが、寝息は立てていない。まるで凍った様に微動だにしなかった。


やはりか、とザックは目を白黒させた。


混乱が吐き気と、堪らない程の絶望感を呼び起こす。



――かつて、ネメシスウェーブにより世界の時間は停止した。


以前聞いた事のある現象…今の状況はそれとあまりに酷似していた。


そして、内に眠る「ザック」の記憶が、何度もその名を叫ぶ。



――アセンション。



その前触れに違いない、と。



だが、アセンションを行うには、以前と同様、ネメシスウェーブにより変異した特殊なフォトンエネルギーが必要のはず。


現在はクラインの壺に保管されているが、それは無柳の持つプロジェクションタグを手にしなければ解放出来ない。


だが今、現に壺は解放され、ネメシスウェーブが蔓延している。



ザックは必死に原因を考えるが、答えは一つしか浮かばなかった。



誰かが自分の知らぬ間にプロジェクションタグを手に入れたのだと。



(――有り得ない。一体いつ。)



その時、複数のテレパシーが舞い込んだ。



『ザックさん!』


『大変よ!』



慌てふためくラーソとルシータだった。



『間違いない。これは、アセンションの…クラインの壺が解放された影響よ。』



かつてのアセンションを知っているルシータは、直ぐに状況を理解できた様だった。にもかかわらずルシータからは冷静さが失われていた。それには、アセンションの前触れとは別の悪夢が関係していた。



『…ラーソさんから聞いたかも知れませんが、サム君とちぃちゃんが…』



途端、またもやザックに凶の字がのしかかる。


動揺するザックに、ルシータは今すぐジョウントタグで家に来るように告げた。



言われるまでも無い、とザックはテレパシーを終え、急いでサム達の元へと向かった。



死に絶えた風に変わり、自身の身を風に変え、静止した群集の間を吹きぬける。



ある者は音色を奏でて居る時に、ある者は占術活動中に。またある者は恋人とカメラを構えている時に… 世界中の笑顔は皆、知らぬ間に幸せな時間と死別したのだ。



ザックの憤りは嫌でも高まっていく。


チャットルームに到着すると、直ぐにジョウントタグを書き上げた。


光に包まれ、体が次第に消えていく。


置き去りにされた時間の中でも無事にタグが反映され、始めて安堵が現れた。



ワイス周辺のチャットルームへと着き、休むことなく歩を進めた。


そしてついに、サムの家に辿り着く。



「ザックさん!」



二人の声が同時に扉を揺らした。



本来、真っ先に聞こえるはずのサムの声がない。部屋を見回しても、姿は何処にも見当たらない。



「…はい。落ち着いて聞いてください。」



挨拶や、世界の事情を先送りにし、ラーソは話しを始めた。


サムとちぃは、いつも通りはしゃぎあっていたらしい。その(いとま)は、件のネメシスウェーブに破壊された。


それが起きた時、二人は突如苦しみ出し、消滅していったのだという。


だがなぜ… 話したラーソは、肩を落とし(うつむ)いた。



「多分、ネメシスウェーブを特殊に受ける魂質だったからだと思います。」



冷静に、けれども熱を帯びてルシータが考えを口にした。


ネメシスウェーブは次元を一段階上げるもの。それに適応出来ない者は低い次元に取り残され、いつまでも進むことが出来ない。


本来、ワンダラーや荒らしといった者達のみが適応者のはずである。では、コラージュという特殊な状況に長時間置かれたサムとちぃはどうか?


適応者にもなれず、完全に取り残される事もない、不完全な受け方をしたのではないか。



「わたしの考えだと二人は荒らしに…だとしたらこのままほうっては置けません。」



ルシータは、急いで二人を探して欲しいと告げた。


それにはまず、ルシータの仮説を認めなければならないが、ザックは握った手のひらに決意を包み、諾を示した。



「でもこれって、リリさんがしたことなんですよね?」



話が纏まった時、黙り込んでいたラーソが口を動かした。


その不安定な発音は、未だ事態が信じられないという心境を表していた。



「間違いない…どうにかしてザック、いえ、無柳さんからプロジェクションタグを手に入れたのね。おそらく直前に会ったヤーニに関係が…」



ルシータは、出来る限り落ち着いて状況を判断した。だが…



「まだ何とも言えません。退化派の仕業とも考えられますし。」



突拍子のないザックの言葉は、作り上げていた冷静さを溶かしていく。



「この状況でどうしてリリを庇うの!」



煮え切らないザックを怒号した時、ルシータはもはや溶けていく感情を制御出来なくなっていた。ラーソがなだめても高揚は増すばかり。


対してザックは、叱咤される度、普段の冷静さを取り戻していった。



「…今はとりあえずサム達が先です。」



椅子に座り、二人がどこに行ったのかを模索する。おそらくサムは、これまで動けなかった間に一番行きたがっていた場所へ向かうだろう。 考えた時、一つの答えに行き着いた。



(――海、か。)



行き先を最寄りの海岸に絞り、広範囲に気配を探知すれば見つかるはず。幸い、静まった今の世界では比較的容易に見つけられるだろう。


ザックは二人に考えを伝えると、早速行動を開始した。


向かう場所は北側に広がる海岸。疲労を考えず浮遊を使えば、一時間程で着くだろう。だが、サム達がその周辺に居なければ行動は水の泡になり果てる。



だが、結果としてそれは吉となる。


なぜなら、目下のサムは今、緑がかった深い海を見つめていたからだ。



「やっぱり写真で見るのと全然違うね!」



サムは喜びの声をあげた。ツリーコラージュから解放された軽い体をこれでもかと踊らせ、喜びを表現する。


強い波が自分の元に近付く度、怯えたように後ろへ下がり、静まった後にまたはしゃぐ。


そんなサムに、ちぃはさも得意げに、海についての話を始めた。



「サムじゃ海の広さは解らないわよ!こんなもんじゃないんだから!」



言われ、サムは瞳の輝かせ「もっと知りたい」とせがみ始める。


途端、その手はちいに強引に掴み取られた。



「じゃあ特別に見せてあげる!」



勢いよく青の上へと飛び上がり、二人は海の向こうに広がる「海」へと向かっていく。


荒らしである事や、世界の状況などはどうでもいい。二人は今がまさに「幸せ」だった――






――「…そうですね。今、時間に乗れている人は、千弱って所でしょうか。」



リリは目を堅く閉じたまま、軽く口を開き言った。



今、瞼に映るものは、上空から見下ろした地上の光景。その中で蠢く複数の光が、リリを笑顔に変えていた。


意識をそれらに向けたまま、リリは一度息を吐く。



「この人達の中に居る十人程がワンダラーでしょう。そして、その位の人数なら、今すぐにアンチ出来ます。完全にワンダラーだけに絞るとはいかないかもですが…」



動いた指が、再びプロジェクションタグを紡ぎ出す。



クレロワは先刻とは違い、咎める事はしなかった。


何をしようとしているのか検討が付いているためである。



クラインの壺は、ネメシスウェーブとそれに触れ変異した特別なフォトンエネルギーが充満する、退化派が作り上げた思念世界。それを解放するのがプロジェクションタグであるが、解放の「抜け穴」となる部分は人々にある概念源回路である。そしてそれは、無作為ではなく任意で決める事が出来る。



「ワンダラーさん達のアンチ、大分進んでたから助かりました。これもヤーニのおかげですね。」



プロジェクションタグを書き上げた後、意識をクラインの壺へと向ける。タルパを行う時のような、虚を実に変えるイメージを練り、特定した数十人の概念源回路へ送り込む。



全て終えた時、リリは笑いともつかぬ笑みを見せた。



「強行ですが、仕方ありません。でもこれで新たな世界がやって来るのです――」






―――――――――





――リリの放った見えざる脅威は、海の彼方を飛んでいく。



「海は広いな大きいな。」



平和の色を見下ろし、サム達は小唄を歌っていた。



サムはしばらくその調子で見慣れぬ海と戯れる。だが直後、強い身震いが押し寄せた。



「なにか、変。」



先刻も感じた強い倦怠感に、ちぃは慌ててサムを見る。


その時、「それ」はやって来た。



身体から、光が溢れ弾け飛ぶ。



飛散した拳ほどの光は、みるみるうちに肥大し、何やら人の形を為していく。


その数、八体。


人の形をした光は、一斉に硬直するサム達に襲いかかった――






――「光人」はルシータ達の元にも現れていた。



『こっちは大丈夫。ラーソさんも無事よ。リリはフォトンエネルギーの開放を応用してこんな悪趣味なものを作ったのね。一気に邪魔なわたし達を消したいみたい。』



すぐさまザックに状況を伝え、光人達を攻め立てる。


幸い、光人は無規則に思念波を放つだけで思考や戦略性は感じられない。個の力も荒らしと比べるとだいぶ下だったが、打ち付けても、斬りつけても再生するその生命力は脅威そのもの。



『こちらも何とか…二人共、ご無事で。』



ザックは苦渋を浮かべ、連絡を切った。

今はサム達を優先しよう… ルシータ達を信じているからこその判断だったが、やはり焦りは拭えない。


既に光人を消滅させていたザックは、その足で再び向かうべき場所へと飛び立った――






―――――――――






――息急き切り、ちぃは光人の相手をしていた。


荒らしの状態といえども、子供の拙い防衛技術では、光人を追い払うことは難しい。


だが、二人は諦めない。事にちぃは、必死に髪を振り乱し応戦していた。



「もうなんなのよ!邪魔しないでよ!」



遮二無二に放つ思念波と、意志の通らぬ乾いた思念波が海上で相殺し、波立たせる。


疲労でちぃは軽く前によろめいた。そこに、好機とばかりに光人達が迫り、あっという間に取り囲んだ。



「ちぃ、上に!」



覚悟を決め、目を堅く閉じた時に聞こえたサムの声…ちぃは迷うことなく上昇した。


瞬時に下方を向き、様子を伺うが、そこに光人の姿はない。


視線はそのまま右下方に浮かんだサムに移る。


近付いて「大丈夫?」と声を掛けるサムの姿が、なぜか大きく瞳に映った。



「全く、サムに助けられるとはね。無駄に強くなっちゃって…」



普段、弟のように見ていただけに、勇敢に佇むその姿は、感慨深く、同時に寂しくもあった。



そのまましばらく二人は無言を楽しんだ。


表情だけで相手が何を言いたいか理解出来るのが、堪らなく可笑しかった。



だが、二人はまだ知らない。脅威が消えていないという事を…



サムの後ろが揺らめき始め、少しずつ煌めきを見せる。


遠くを眺めたちぃは、ようやくそれに気付き、口を開けた。


だが、声は出さなかった。叫びより先に、身体が動いたのだ。



おそらくそうしなければ間に合わないだろう。無意識の行動が、無理やりサムを横へとはじいた。



「ちぃ!」



吹き飛ばされ思わず閉じた瞼を開けた時、サムは言葉を失った。


遥か後方に移動しているちぃを、五体程の光人が取り囲み、代わる代わる思念波を放つ禍々しい光景… 声の変わりに、鼓動が強く悲鳴を上げた。



「サム!」



ちぃとは違う声が聞こえた。サムが聞き慣れたそれは、反応するより先に光人に向かい、一度に消滅させていく。



「ザ、ザック!」



泣き出しそうな声を上げ、ザックを見るサムだったが、真っ直ぐに身体が向かった先は、力なく宙に浮かぶちぃの方だった。



――遅かった。



ザックはちぃの状況を見、思わずそう口走る。


声にならない声で慟哭するサムに何を言えば良いのだろう… このような状況で出す言葉が浮かばない自分が情けなく腹立たしかった。



「サム…」



泣き声よりだいぶ小さい、消え入る声が微かに聞こえた。


すかさずサムは、消滅していくちぃの名を叫び連呼した。



「全く、誉めた途端これなんだから…やっぱりまだまだお子様ね。」



消滅していく魂を顧みず、ちぃはずっと語りかけた。



「いい?よく聞くのよ。いつか広い世界をもっと見て、強い心を持ちなさい!そうしたら一人前だって認めてあげる。」



叱咤するちぃは、母のように強く、優しかった。


頑なに横に動いていたサムの首も、この時小さく縦に動く。


それを見届けたちぃは、満足したような笑みを見せ、何もいわず消えていく。


再びサムが叫んだ時、その姿は永久が眠る場所へと帰化していた。



「ちぃ、そんな…」



サムが震えた途端、不快なものが周りの空気を振動させた。


歪んだオーラ、まさに負に捕らわれた荒らしが起こす狂気だった。



「僕のせいで…」



サムの憎悪は終わらない。絶望が形を為したなら、きっとこんな姿だろう…そう思わせるのに十分な圧力があった。


止めなければ、とザックは身を乗り出した。が、術がどうしても見い出せず、萎縮。無我夢中で説得するも、やはり効果は出なかった。


もう無理なのか。ビンズの時の様にうまくいかないものか… 考えるほど頭が縛り付けられていく。



八方を塞ぐ壁に直面した時、ザックは一度心を無にした。そして、暴走するサムを呼ぶと、言葉の変わりに眼光を向けた。


その途端、サムの動きがぴたりと止まった。



「…ちぃが浄化して悲しいなら、怒りじゃなくて祈りを込めないと。」



思念波ではない、文字通り気持ちをぶつける様な眼光は、サムにとって始めてみるザックの怒りと悲しみだった。



「ザック…」



普段の様からかけ離れた態度に、自然と意識が向かっていく。


そして、その瞳から溢れる光は、サムの心を取り戻す決定的なものとなった。



「ちぃが助けた命なら、とことん生き抜いて行かないと。」



一言一言が心に零れ、二人の頬を濡らしていく。



「ちぃ…」



サムは静かに下を見た。


広い海原が、零れた涙を包み込む。



(――いつか、広い世界をもっと見て、強い心を持ちなさい。)



先刻のちぃの言葉が、海原を見るサムの脳裏に波打った。



「ちぃ、解ったよ。きっといつか、ちぃに自慢出来る様になるからね。」



今度は上を向き空を見た。



悲しみの中にも希望を宿した表情は、ザックの震えを鎮めていった――






―――――――――






――「サムは何とか荒らしから戻れました。でもちぃが…」



全てをラーソ達に告げ、ザックは椅子へと腰を下ろした。


話を聞いた二人は、嘆き悲しみちぃを弔う。



「今からリリを止めに行きます。」



拳の震えを加速させ、ザックは決意を口にした。



「俺は、無意識にリリを哀れんでいました。リリとの間に必要なものは怒りや憎しみじゃない。でも今、俺を突き動かすのは、怒りそのものです。」



握った拳に、ラーソの手のひらがやって来る。


優しく包む温もりは、ザックに流れるたぎる血を少しだけ緩やかにさせていた――




第四十五話「終末の獣」 完








四十五話登場人物集


※イラスト協力者「そぼぼん」

※登場人物一部割愛




シェイン


挿絵(By みてみん)


カイン


挿絵(By みてみん)


サム


挿絵(By みてみん)


ちぃ


挿絵(By みてみん)

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