時には花のように
――「ザックさん、見て。凄く綺麗。」
束ねられた黒髪を揺らし、ラーソは隣を歩くザックに言った。
視界には、冷たく光る白い花。小高い丘から眺める、地面一杯に降り積もったそれは、美しさを感じさせると同時、二人の足場を冷たくしていった。
「あの時と逆ですね。でも綺麗な場所には変わらない。」
冷えた手を温め、ザックは一人呟いた。
二人は、大陸から離れた孤島「ミノセロ」に来ていた。
縦長に形成された島は、八割を木々が茂る山で占められており、僅かにある南側の海沿いの平地が島民達の唯一の集落となっていた。
ザック達が今居る場所は、集落から十分足らずの小高い丘。
そこからは、人の営みと雄大な海原が一望出来た。
ザックは、ワイドレンズをカメラに装着し覗き込む。
悴む指先を必死に説得し、白い吐息を押し殺し、撮影。
「上手く撮れまして?」
シャッター音が聞こえた時、ラーソの声も耳に取れた。
振り返った時に見たラーソの姿が、一瞬ソシノに虚像する。
その途端、ここでのソシノとの思い出が、強く胸に映し出された。
初めてミノセロに来た時の記憶。長い夜の中、海の見える丘で語り合った記憶。そして…この集落を見下ろせる場所で、ソシノと最後に笑いあった記憶。
「どうしましたの?」
急に黙り込んだザックを心配し、ラーソは顔を覗き見た。
「いえ…さぁ、次に行きましょう。とっておきの場所に。」
気を取り直し、いざ行かん。
行く手を阻む雪の花を掻き分け、二人は丘を巻く長い道を歩いていった。
坂が一旦なだらかになった時、枯れ木の列が左右の道端に広がった。
ここからさらに進めば、いよいよ道も途絶える山奥になる。
目的の場所は、その頂だった。
(――そういえば、ここで荒らしが出たんだっけ…)
とその時、雪とは違う不気味な冷たさが、服を突き刺し肌に触れた。
「…ザックさん。これって。」
ラーソも気付き身構える。
まさしく、先刻思い浮かべた荒らしの気配がそこにあった。
視界を遮る木々の葉は雪と共に散っているため、見晴らしは良好。ザックは一気に気配のある枯れ並木へと近寄った。
「…ってあれ、お前ザックじゃないか!」
男の声に、出鼻を挫かれる。そして、声の主を見た時、目を点にさせられた。
「ビンズ…ビンズさんじゃないですか!」
言われ、ビンズはまた会えて光栄だと息急き切った。
再会の喜びで、しばらく二人は沸き立った。そんな様子を遠巻きに見ていたラーソは、不思議そうにその間にやって来る。
「荒らしは?」という問いに、ザックはようやく本題を思い出した。
「荒らしの気配があったんですが、ビンズさんも荒らしが目当てで?」
ビンズは一瞬、身を硬直させた。
だが直ぐ表情を整え、「奴ら」の仕業かもしれないと小さく零す。
ザックは、ラーソを紹介する傍ら"奴ら"について聞いた。
「俺が、いや、俺とクロンがカニールガーデンから解雇されたのは知ってるよな?」
話したくない事だったのだろう… いつも見せる人を食った様な態度を消し、ビンズは真顔を覗かせた。
「まだカニールガーデンに居た頃、クレロワさんから休暇を貰って、俺達はここに来たんだ。」
その時ミノセロを気に入ったクロンは、解雇された後、ここに身を隠すように暮らすようになり、ビンズもそれに従ったのだと言う。
最初の頃はファンに囲まれ苦労が耐えなかったが、日が経つに連れそれも沈静化。このまま静かな時間が流れるものだと信じていたビンズだったが、すぐにその時はやって来た。
「奴らがいきなり来てな。あっと言う間に囲まれた。」
ビンズは、以前にもミノセロで襲撃を受けた事があると言った。どうやら、今の話の襲撃者も、それと同種のものだと言いたいらしい。
「その時は何とか退けたが…連中、また来るに決まってる。だから逆に俺が奴らをおびき寄せる事にしたんだ。」
毎日人通りの少ないこの場所に一人で足を運び、連中の目に留まるようにしているという。
もし、ギベオンを持った者が姿を見せたら、それが件の襲撃者… その話を聞いた時、ザックに閃きの火が灯る。
確か、ルシータは利用していた煽り屋にギベオンを渡していたはず。本人から聞いた情報から鑑みても、ビンズ達を襲撃した者達は、かつてルシータが利用していた煽り屋だろう。
恐らく、カニールガーデンの息が掛かったビンズ達を、リリの仲間だと思ったのだろう… 考えた末、人事ではない事だと感じたザックは、ビンズの協力をする事を心に誓った。
だがビンズは、それとは対照的な考えを巡らせていた。
「そういえば、あんた達、どうしてここに? …まさか!」
せっかく協力しようと思った矢先の疑惑の視線に、さしものザックも居心地の悪さを覚えた。
「調べたいなら調べて下さい。俺達は、この先にある桜の木を見に来たんです。」
やや口調を荒らげ言ったのが幸いしたのか、ビンズは萎縮し「すまん」と詫びた。
「まぁ、あんたが居てくれたら百人力だ。だけどラーソちゃんが迷惑じゃないか?」
聞いて、ラーソは首を横に振った。
これで話は纏まった。
早速ザック達は、ビンズに連れられクロンが今居るという山中の洞窟へと足を運んだ――
―――――――――
――三人は、先ほどまでいた場所からはだいぶ離れた山の中に来ていた。
「あそこだ。」
崖の下、ビンズが指差す先。それはぽっかりと口を開け待ちかまえていた。
なるほど、ここなら確かに人目も少なく隠れ家にもって来いだろう。
「あんなに笑ってたクロンが、最近はあまり笑ってくれないんだ。それもみんな奴らのせいさ。」
悪態と悲しみを交互に表し、ビンズは二人に言った。
同情を求めるようでいて、敵意すらも向けられているような眼差しを、ザックは目を逸らさず受け取った。
「まずは俺が事情を話しにいく。あんた達は待っててくれ。」
そしてビンズは洞窟へと入っていく。途端、大きく開いた岩の口が澄んだ声を放った。
「また勝手に出掛けたりして!なにかあったらどうするつもりだったの!?」
その後、男女の言い争いを洞窟は語った。
ザック達がようやく中へ入れたのは、実に十分後の事だった。
「あなたは…ザックさん?ザックさんですよね!いつぞやはお世話になりました。」
クロンは洞窟の横壁に腰を下ろし、ザック達を出迎えた。
しばらくここに居たのだろう… 薄汚れを纏ったローブからそれが伺い知れた。
「じゃあ、俺はまた出掛けてくる。ザックはここの見張りを頼む。」
クロンの制止を聞かず、ビンズはまた外へと飛び出した。
ラーソは唖然とするクロンの気を、挨拶を交え解きほぐした。
だが笑顔は生まれても、その表情からは不安の色は消えない。
「ビンズは…本当は子供みたいで、大が付くほどバカな人なんです。でも、ここ最近は全然笑わなくなって…」
ビンズの笑顔が何よりの励みになるというクロンは、言いながら、不安を押し出せように涙を浮かべた。
既視感を覚える言葉を、ザックはまたも真っ直ぐ受け取る。
そして今度は、クロンが強い視線を受ける番だった。
「最近、誰かに襲われたって話ですが、詳しく聞かせてくれませんか?」
一番最後に襲われたのは何日前か、から始まり、どうやって逃げ切ったか、その時ビンズはどうしたかを続けざまに質問をした。
初めは気さくに答えていたクロンだったが、その顔には徐々に辛苦が表れた。
「山道を登ってる時、突然五人くらいの人に囲まれて…ビンズはすぐにわたしを逃がしたんです。その後しばらくしたらわたしの所に来たんです。」
思い出すのが辛いのだろう。ラーソは理解し、ザックの攻め立てるような質問に少しばかりの疑念を持った。
「ビンズはもう大丈夫だって言ってました。それ以来、確かに襲ってくる人はいません。」
話を聞き終えた時、ザックは考え込むように外の雪景色を見つめた。
十秒の硬直の末、出た言葉は「行きましょう」という掛け声だった。
「どこに」といった風な二人に対し、「ビンズの元へ」とさらに伝えた。
だがやはり、唐突な話に二人は怪訝を隠せない。
それに、ビンズがどこに居るのかも解らない状態で会いに行くという事も解せなかった。
「それなら大丈夫です。彼は襲われた場所に行っているはずですから。そしてクロンさん。あなたはそこに行かなければなりません。」
含みを帯びた言い回しに、さしものクロンも苛立ちを覚え、語尾を強くしどういう意味かと問いただす。
だが、ザックから答えが返ってきた時、強めていた語尾は、消え入りそうになる程萎縮していった。
「…そんな。そんなの嘘、ですよね?」
震えるクロンをラーソが支え、ザックは決意の言を胸にぶつけ、奮い立たせた。
「だからこそ、確かめに行くんです。そして、いよいよの時は…覚悟してください。」
そして三人は、ビンズが居ると思われる場所へと向かった――
――三十分の時が流れた。
場所は、先ほどビンズと出会った地から少し進んだ広い山道。
雪は変わらず綿々(めんめん)と降り、辺りを白に染めていく。やがてその景色も、もうじき来るであろう夜により黒に変わるだろう。
考えながら、ザックは木陰に隠れ、前方に居るビンズを見ていた。
ビンズもまた、ザックと同じように木陰に隠れ、機を狙うように目を光らせていた。
奇妙な拮抗が木と木の間を漂い歩く。それを崩しに掛かったのは、ザックの方だった。
絶っていた気配をわざとらしく辺り放ち歩き出す。途端、ビンズが勢い良く飛び出した。
「…って、あんたか!てっきり奴等が来たのかと思ったぜ。」
ふっと表情を和らげ、ザックの元へと歩み寄る。
「解ってるぜ。協力しに来てくれたんだろ?でもクロンの元に居てくれた方が助かるんだが…」
「俺が来たのは、違う理由…荒らしに用があってきたんです。」
何の事かと首を傾げるビンズ。ザックは、右手の掌をその顔に翳した。
冗談かと笑っていたビンズだったが、真剣そのもののザックを見やった時、ただならぬ気配に思わず後ろへ飛び退いた。
二人の緊迫した状況を、ラーソとクロンは向こうの木陰から覗いていた。
「大丈夫。きっとザックさんならうまくやります。」
青ざめるクロンを元気付けるが、自身もけっしてゆとりがある状態とは言えなかった。
ザックに言われ、数日前にクロン達が襲われた場所を過去透視したのだが、その時見た光景が心の余裕を削いでいたのだ。
クロンを逃がし、多勢を相手に勇敢に戦いを挑むビンズ。はじめに見えたその光景は、ビンズが地に伏す悲惨な光景を紡いでいった。
やがて、身動き一つしなくなったビンズは、光に覆われ始めた。
リスボーンの始まりだと予感した集団は、歪んだ笑みでそれを眺めた。だが、光となり飛び出していくはずのビンズの魂は、一向に動きを見せない。
集団が不思議に思い始めた時、それは起こった。
強い光と衝撃が、一瞬にして集団を飲み込み、次々と空へと舞い上がらせたのだ。
衝撃を受けた者達は、誰一人形を留めて居なかった。
その場に残った人物… それは、不気味な光と生体磁場を放つビンズだった――
その光景をラーソから伝えられたクロンは、子供のように泣きじゃくった。ザックはやはりか、と肩を落とすだけだったが、明らかな悲しみを魂から滲み出していた。
そして今、ビンズと対峙するザックは、強い決意と冷たさを混ぜた淡い色を纏っているようにラーソには見えていた。
「ザックさんを信じましょう!」
強くクロンに発した言葉を、自分の胸にも強く留めた。
そして、ザックはというと…
「俺は荒らしに会いに来たんです。つまり、あなたにね。」
言うが早いか、ザックは翳した右手から思念波を放ち敵意を示した。
ビンズは、自分が荒らしだと気付いていない。幸い、そういう者は自我を強く保っているため暴走の危険性は少ない。だが、同時に自覚が無いため、元に戻すのも困難を要する。
「ザック!気でも狂ったか!それともやっぱりお前奴らの仲間なのか!」
ビンズの叫びを消し去るように、ザックは再び隣の積雪に思念波を放った。
まずは、ビンズに自分は荒らしだと気付かせる… 横暴と思えるザックだったが、綿密に考えての行動だった。
「さっき会った時、あなたからは間違いなく荒らしのオーラが溢れていました。そして、"奴ら"に対する異常なまでの執着性。それは、あなたが奴らとの戦いで荒らしとなった証拠です。」
荒らしとなった者は、生前のしこりに執着する。当たり前のその事実を、ザックは改めて教えた。
さらに、狼狽し始めたビンズに対し、あの時の事を思い出すよう肉迫した。
頭を抱え、ビンズは否定の言葉を連呼するが、震える身体は明らかな動揺を示していた。
「…もう解ったはずです。もし、このまま荒らしのままと言うのなら、致し方ありませんが…」
――浄化する。
その言葉を聞く前に、ビンズはザックに向かい飛翔した。
まずは第一関門を突破した、とビンズの拳を腹部に受けザックは笑みを浮かべた。
荒らしの自覚がない者は、確かに自我を強く保つ。だが、自覚を持った時、その自我は途端に途切れ、死の前に体験した事に対し強い怒りが芽生え暴走する恐れがあるのだ。
ザックはそれを避けるべく、あえて強く詰め寄り、自分を恨むように仕向けたのだった。
怒りの対象を一時的にでも変えさえすれば、次の段階をすんなりこなすことが出来る。
次の段階、それはつまり、ビンズを荒らしから解放する事。
順調と思われた計画だったが、そうは問屋が卸さなかった。
「くそ!」
ビンズが闇雲に放った思念波は、ザックを空中高くに飛散させた。予想以上の力に圧倒され、しばらく身動きが取れなくなる。
ビンズはその隙に、山の頂へ通じる道を滑空し、逃げ出した。
うずくまるザックを心配し、物陰に隠れていたラーソ達が駆け寄る。
幸い、衝撃が強かっただけで、傷は浅いものだった。
それを確かめると、ザックは直ぐにビンズを追うと告げた。
「ラーソさん。一緒に来てビンズさんのオーラを確かめてくれませんか?」
ラーソはすぐに同意。隣に居たクロンも一緒に行くと言い出すが…
「クロンさんはこれ以上見ない方が良いかも知れません。」
ザックの温もりの無い言葉に、冷え切った場の空気がさらに凍った。
ビンズの執着は、"奴ら"と奴らからクロンを守ること。そのため今の状況でクロンを見た場合、執着心が増し、暴走する危険があった。
全てはビンズの為… 解ってはいるが、クロンは強い憤りを隠せなかった。
「…ビンズは、多分頂にある桜の木の場所に行ったと思います。そこはわたし達のお気に入りの場所ですから。」
唇を噛み、クロンは言った。
ザックもまた、場所を聞き拳を強く握りしめた。
各々の思いを胸に、ラーソと共に頂へと向かう。
道中は、次第に道とは呼べない獣道へと変わり、積雪も増えていった。
急な坂道を浮遊し、一気に登りきる。
――『ザック、まだ着かないの?』
頭に響いたのはソシノの声だった。鮮明に浮かび上がる記憶に押され、たまらずザックは隣のラーソに口を開いた。
「この先、ビンズさんが居る場所…そこが俺とソシノさんが最後に会った場所なんです。」
ラーソは何も言わず、それを受け取った――
―――――――――
――笑ってザックと語り合うソシノ。だが、その身体には既に限界が訪れていた。
以前受けた音吏のネメキネシスが、着実に魂を崩壊させていたのである。
「ソシノさん!」
急に膝を付き苦しみ出したソシノを見、ザックは涙ながらに叫んだ。
「大丈夫。ザックのとっておきの場所を見るまで、持ちそうよ。」
ソシノは再び笑顔を見せた。
勢い良く立ち上がり、早く行こうと催促を入れる。
ザックも笑った。その心に涙を流し、ただただ笑った。
少ない時間を慈しむように、二人は会話を弾ませながら道なりを進んだ。そしてついに「とっておきの場所」へと辿り着いた。
――「着きましたよ。ラーソさん。」
紡いだ記憶が終わった時、ザックとラーソもその地に足を踏み入れた。
円形に広がった広間を、花の如き雪が覆い、周りを枯れ木が囲う美しい世界。
かつて、とっておきの場所だった空間は、ザックの心を激しく揺さぶった。
「あれです。あれが、そうです。」
ザックが指差した先…遥か水平線を見つめるように崖縁に根を張る、太い枯れ木があった。
そしてもう一つ。幹に手を付け、二人を睨むビンズが。
ザックに促され、ラーソはすぐさまに生体磁場を調べた。結果、まだ比較的平穏を保っていると知り、ひとまず安堵の溜め息を付いた。
そしてザックは、いよいよ荒らしから戻るよう説得を開始した。
だがビンズは、言われる度首を振り否を示す。
「俺はいつか、あんたを越えるって言ったよな。…たとえ荒らしだろうが、今の俺ならそれが可能だ。そしてこの力で奴らをねじ伏せる!」
ビンズは疾風を纏い、ザックとの距離を一気に縮めた。
グローブに装飾されたローズクオーツが存在感を放つ。魂力が増化されたビンズの一撃は、両腕でも防ぎきれず、ザックは一旦上空へ上がろうと身構えた。
「させるか!」
ビンズは地に拳を強く打ち付けた。
それにより周囲十メートルの積雪がはじけ飛び、二人の姿はかき消された。
ビンズは、飛散した雪をサイコキネシスで操り、ザックの周りを取り囲んだ。
――『ホント綺麗な場所ね。こんな場所隠してたなんてずるいよ。』
焦ったザックの心の隙間から、ソシノの記憶が滲み出してきた。
満開の桜の木に囲まれた空間。土を埋める花の色。そして、眼前に据えた、一際大きい桜の木。
「綺麗で、儚くて…まるで雪、みたいだね。」
桃色の桜とは対象に、ソシノの顔はネメキネシスによる苦痛で青ざめていた。
ザックは何も言わず、ソシノの隣に並び立つ。
「こうしてると初めてあなたと雪を見た日を思い出す。これ食べれるんですかって、子供みたいにはしゃいでたっけ。」
その時、ザックの時間は停止した。
――否。
ザックの奥にしまい込んでいた「無柳」の時間が止まったのだ。
無柳のキャプチャー能力により、今のソシノには、容姿はもちろん人格さえもザックそのものに映っているはず。にも関わらず、今の話は、明らかに無柳に向けられて語られたものだった。
「気付いていたんですね…俺が無柳だって事。」
ソシノは口元に手を運び、クスリと笑った。
「何となく、ね。だって無柳、嘘下手じゃない。でもありがとう。わたしの為にしたんだよね。」
無柳の力が弱まった訳でも、キャプチャーが不完全だった訳でもない。だが、ソシノは気づいたのだ。
ザックとの絆、そして、無柳を想う力が奇跡を起こしたのだろう。
「参りました。ソシノさんには敵いませんね。」
その後、二人はしばらく桜を見上げた。
語り合う事はない。もはや、言葉すら入れぬ空間がそこにはあった。
揺らめき落ちる薄桃色は、二人を優しく包み込む。
それが頬に触れた時、ソシノはお返しとばかりに樹の幹へ手をやった。
「無柳、そろそろお願い。あなたのカメラで、一番綺麗なわたしを。」
振り向いた表情は、とても和らいで、本当に美しくザックの瞳に反射した。
カメラを構え、息を止め、言葉の変わりに乾いた音を響かせる。
ブレたソシノと桜の樹が、カメラの中に焼き付いた。
「ザック、さては人を写すのが下手ね。罰として自信が付くまで人を写すのは禁止。」
ハシャいでみせるソシノだったが、その身体は周りの光に吸収されるように、徐々に形を無くしていた。
魂の寿命を迎えた時に起きる「フォトン分解」という現象だった。
「無柳、今までありがとう。楽しかった。わたしに時間を残してくれた音吏に感謝しないとね。」
「…お礼を言うのはこっちの方です。俺はまだ、何にも返していないのに…」
ザックは、別れを認めない子供のように、首を振って別れを拒む。
「…さようなら、無柳。」
ソシノが最期に見せたものは、いつもの笑顔ではなかった。涙でもない。これからの無柳を見守るような、優しい母親のような暖かい表情だった――
―――――――――
――「ザックさん!」
ラーソの声に気付いた時、ザックは巨木の下で倒れ込んでいた。
時間にしてほんの数秒だろうか。雪の壁に閉じ込められた後、つぶてを立て続けに受けたまでは覚えているが、巨木の下まで吹き飛ばされた事はまるで覚えていなかった。
「俺は、クロンを守る。」
もはや自我を忘れかけているのか、ビンズは完全にザックを敵と見なしていた。
こうなってはもう、浄化しか手はないだろう… 桜を見上げ、心を決めた。
立ち上がり、身体をついに半霊化。意識を集中させ、思念波を放とうと身構える。
だが、その時…
「ビンズ!」
冷たい空気を切り裂き聞こえた声は、この場に居ないはずのクロンだった。
「クロンさん、駄目です!」
慌ててザックは叫ぶが、直後、目をそらしていたビンズを警戒し構える。
一瞬でも隙を見せようものなら、先刻のように打ち負かされてしまう。だが、再び見据えたビンズは異様なほど落ち着き払っていた。
「クロン…」
唖然と佇むラーソをすり抜け、後方に居るクロンの元へと向かっていく。
「ホント、ビンズは一直線なんだから。わたしなら大丈夫。もう奴らなんて居ないのよ。」
クロンが言葉を連ねる度、ビンズから放たれていた負の生体磁場は穏やかに変わっていった。
「ここに来てからの毎日は、いままでで一番幸せだったよ。二人きりの時間を過ごせて、なによりビンズが笑ってくれたから。だから、わたしが今一番欲しいのはビンズの笑顔なんだよ。」
抱いていた思いが、目から溢れ落ちていく。
それを拭うビンズは、心苦しそうに「すまなかった」と声を絞った。
「俺は知らないうちにお前を悲しませていたんだな。いつの間にか、お前を守る事が奴らへの怒りにすり替わってた。」
語り合う二人を遠巻きに見、ザックは思う。
ビンズがクロンを見れば暴走するという考えは愚考だったという事を。
「…忘れていました。人を想う心が生み出す力というものを。誰よりも解っているつもりだったのに。」
駆け寄ってきたラーソに話した後、ザックは肩の力を抜いた。
その後、向こうで話を終えたビンズが、クロンを連れやって来る。
荒らしから戻ると言い出す事は、その表情から理解出来た。
「あなたはもう、俺を越えているかも知れませんね。」
巨木の下、堅く握手を交わし合うザックとビンズ。その隣では悲しげにラーソが俯く。
そして、ビンズの隣では、「早く戻って来い」と告げるクロンが居た。
「解ってるよ!じゃあ、またな。」
魂が光となり、ビンズがクロンと出会った地、フムリダへ飛び立った。
「わたしはしばらくここで働いて暮らそうと思います。ビンズが戻るその日まで。」
クロンが言った時、枯れた桜の枝に積もった雪が舞い落ちた。
「桜…みたい。」
ぼんやりとしたラーソの呟きは、ザックを強く包み込む。
「綺麗で儚くて、確かに桜みたいです。」
ザックの瞳に映った枯れ木は、花のような雪をいつまでも見せつけていた――
第四十二話「時には花のように」 完
四十二話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
ザック=ルーベンス
ラーソ=ボローニ
ソシノ=ロッサム
ビンズ
クロン