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サフィームゲート  作者: 弥七輝
第三十八話
61/75

千変万化

挿絵(By みてみん)

――変わるものがあれば、変わらぬものもある。


有形であれ無形であれ、その理は変わらない。



今、潟躍達が見ている石造りの家々も、二人にとって変わらぬものの象徴となっていた。



「あの頃のままだな。俺達だけが変わっちまった。」



そう言うが、肉体的に見れば潟躍達も変わらぬものの一つである。


変化したのは精神面、といったところか。



二人は今、故郷であるメリアの地を踏んでいた。


クシミの件から十日間。リスボーンするであろうマティスの帰りを待つため、ゆっくり時間を掛け来たのであった。


歩いている場所は、メリア北東に位置する集落地帯。以前ここにリスボーンした時は、この場に来ることなく直ぐに船でメリアを離れたため、実に数十年ぶりの帰郷だった。



「あれ?お前ら…」



道すがらに出会った男が二人を見、訝しげに呼びかけた。


途端、驚きの声を上げ、それはたちまち周囲に人集りを作り上げた。



「ツインバイオレットじゃないか!いつ戻ったんだ!」



周囲の者たちは、我先にと質問の雨を降らす。


潟躍達は応えの(あられ)を飛ばす。


何年ぶりだと聞かれれば、三十年ぶりだと返し、なぜ突然帰郷したかと聞かれれば、仲間の帰りを待つためだと言い、責め立てる雨を打ち落としていく。



「仲間ってマティスの事だよな。知ってるぜ!それにしてもお前らずいぶん立派になったよな!」


「でも何で今まで帰って来なかったんだ?」



さしもの潟躍も疲れが見え始め、ネムに至っては、完全に知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。



「お前ら!ちょっとは俺たちを休ませろ!」



潟躍の叫びは、数十の歓喜の声より、高らかにメリアの空に響き渡った――





―――――――――






――「ラーソさん。そろそろどこかで休みましょうか。」



首から下げたカメラを手にし、ザックは隣を歩くラーソに言った。



心なしか頼りない足取りは、疲労故の倦怠か…



否、ぬかるんだ地面が二人の体を歪ませていたのだ。


今歩いている場所は、「ラミウン」という街の外れに広がる湿地地帯。


ここは低地となっているため、定期的に海水が冠水するのである。



そんな場所にも関わらず、ザック達が履いていたのは、明らかに湿地に不向きな革の短靴… 苦痛を感じない方が不自然である。


だが、二人の顔色は晴れやかだった。


事にラーソは、子供のように無邪気に泥の中を進みロングスカートを濡らしていった。



挿絵(By みてみん)



やがて、泥沼に刺さるように立つ数枚の巨大な板が視界に入った。


海水の減少時、泥の奥深くにもぐり込み、水面が上昇するまで待機する「ムビエル・ムビエル・ムビエル」という巨大生物の背中である。


その背板は、座るのに丁度良い高さだったため、二人はそこに腰を下ろした。



「だから言ったんですよ。浮遊して行きましょうって。」



冗談めいてザックが言う。


対するラーソは、素足についた泥を払った後、得意げに口を開いた。



「地に足を付けた生き方をしたいってやつですわ。」



ザックは、それを聞きたかったと言わんばかりに大きく頷いた。


十分程の休憩の後、二人は再び動き出す。



歩き始めて三時間。


ふと足は、沼地の中で深々と止まった。



「…ここです。」



目的の場所へと着いたらしいが、目の前に広がるのは、代わり映えのない辺鄙(へんぴ)な景色だった。


茂った草や、そこに生息する生物の営みは、確かに風情はあるが…




「ここは何も変わってませんね。」




だが、ザックにして見れば、ここは特別な場所だった――






―――――――――






――「ソシノ、どこだー?」



緑がかった黒髪の男は、ひたすらそう叫んでいた。


メガラクネという、蜘蛛に似た巨大な節足生物と一緒に、勇んで泥沼を切り開いていく。


だが、その足は突然止まった。


同時に起きる、強い衝撃。



メガラクネが宙を舞い、泥の雨が沼地に注ぐ。



「…お前、何者だ。」



木の上に逃れていた男は、恐れることなく言い放つ。



「意外と隙がないんですね…いや、俺がまだ力不足なのか。」



一言呟いたと同時、奇襲を仕掛けた男は無柳と名乗った。



「ほう。思ったより面白い奴だ。」



相手が無柳と知り、男は臨戦態勢に移る。


とその時、耳に女性の声が入り込んだ。


爆音を聞きやってきたソシノである。


荒らしの仕業かと聞き、男の隣に勇んで並び立つ。


だが、無柳であることを聞いた途端、その表情は一変した。



「本来あなた達では絶対に俺には勝てない。ですが、残念ながら今の俺は力をまるで失った状態です。ですから、もしかすればあなた達にも勝機は…」


「荒らしじゃないならどうでもいいわ。…行きましょう、ザック。」



ソシノは表情を変えず一蹴した。



それは、男―ザックはもちろん、無柳の調子を大きく崩す。


ソシノはお構いなしに明後日の方に歩き始める。



ザックは慌てて追いかけ、無柳はただそれを遠くで眺めていた――






――「あの時、本当はいつでも彼らを浄化出来た。でも、俺はそれが出来なかった。」



否。したくなかったのだと、過去を振り返り無柳は言う。



あの時の無柳は、自分なりの信念を持ってワンダラーアンチを行っていた。


だが、それ以上に強い信念を、ソシノの後ろ姿に感じたのだという。


その信念たらしめる理由を知りたくて、ソシノ達を無柳は追った。



「その時彼女は言いました。あなたのような空っぽの人に教えても意味ないって。」



静かに語る無柳の過去を、ラーソは微笑みながら聞いていた。



「無柳の思いで巡り」という名目の今回の旅。


それは、無柳の過去を知りたいというラーソの一言から始まった。



無柳は、ソシノ達との思い出を美しく感じると共に、強い哀愁を感じていた。そのため、思い出深い場所にはここ三十年の中で一度たりとも訪れたことがなかった。


それを思い切るようになったのは、ひとえにラーソの影響だろう。



「俺は、ソシノさん達の事がどうしても気になりました。それからです。一緒に行動するようになったのは。」



鬱々とした場所から始まった出会いは、色鮮やかな思い出へと昇華する事になる。


ラーソとの旅も、その思い出を紐解くように続いていった。


ラミウンを離れ、三日。次に来た場所は、ジフリーペという田舎町だった。


山の斜面に面したこの土地は、細い道と坂道が多い傾斜街。


無柳達は、一番栄えたチャットルームから数キロ離れた雑木林に居た。



「ここで、彼らの信念に触れることが出来たんです。そして彼らは、目に入る情報でしかなかった風景というものを、美しいものだと教えてくれた。」



見やる先には、一軒の簡素な平屋があるだけだった。



「本当は、ここに大きな柳の樹があったんですがね。」



無柳は寂しげに上を見つめ、過去の景色を映し出した――






―――――――――






――それは、ソシノ達と出会い、一週間ほど過ぎた時の事だった。



カメラを手に、緑あふれる丘を行くソシノとザック。


気になる場所を見つけては、カメラを景色へと翳していく。


それを小馬鹿にするのは、後ろを歩く無柳である。



「無意味な事です。これがあなたの信念なのですか?」



それを言ったのは初めてではない。


一週間の同行の中で、ソシノ達が写真を取る度、無柳はその言葉を送っていた。


そして、それに対するソシノ達の無反応さも、すっかり固定されたものとなっていた。



挿絵(By みてみん)



疑念を瞳に映し、無柳は二人を見るが、突如その視線は敵視に変わった。



――居る。



二人も、その気配に気付いていた。



「引き寄せられて来たか。」



その言葉に、ソシノは力強く頷いた。


写真の時とは違う強い眼光に、無柳はラミウンで二人が見せた強い意志を感じ取った。



「まさか、荒らしを浄化する程度の事が、あなた達の信念ではないですよね?」



それまで無柳を空気と同じ様に扱っていたソシノだったが、今の一言で初めて反応を見せる。



「黙ってて。集中出来ないから。」



その態度は、無柳に確信をもたらすと共に深い憤りを与えた。



(――俺を荒らし以下とでも…)



自分の力には目もくれなかったソシノが、荒らしに対し強い覚悟を覗かせる。


タルパとして、他を凌駕する力に少なからず慢心していた無柳は、それが堪らなく屈辱だった。



目の前に現れた荒らしに対し、誰よりも早く思念波を放ち先手を決める。


わざと弱めに打ち込んだらしいそれは、高ぶる荒らしの感情を一層増幅させた。



「あなた達が覚悟を見せる荒らしは、いかに俺より脆弱か、見せてあげますよ。」



ソシノ達の制止を振り切り、無柳は前へと進んでいく。


どうやって浄化してやろうか、そんな邪心が芽生え始めたその時…



「な…」



気が付けば、両手が地に付いていた。そして背中には、手のひらの感触が二つあった。



「待ってって言ってるでしょ。この馬鹿柳!」



倒れたまま振り向くと、怒り心頭に達したソシノが立っていた。


油断していたとはいえ、背後を取られ、倒れ込んだ… 怒りより先に驚きが湧き上がる。


二人がいざこざを起こしている間、荒らしはザックと対峙していた。


だが、攻め立てるのは荒らしのみ。



「わたし達は荒らしを浄化したいわけじゃないの。」



ソシノは言いながら、指を宙に突きだした。



《縺斐a繧薙↑縺輔>》



書いた文字は、荒らしがよく用いる文字化け。それを前に突き出した途端、荒らしは攻撃の手を止めた。



《縺ゅ↑縺溘↓蜊ア螳ウ繧貞刈縺医k縺、繧ゅj縺ッ縺ェ縺・・》


《縺ゅ・莠コ縺ッ鬥ャ鮖ソ縺?縺九i豁「繧√※繧り◇縺九↑縺九▲縺溘・》



たて続けにチャットリングをすること数回、荒らしは敵意を消し去り、何処かへと飛び立った。


唖然として眺める無柳。


ソシノは一呼吸すると、そんな無柳を見据え、口を開いた。



「名は体を表すって言うけど、あなたは全然そんなことないのね。」



まさかの叱咤を受け、無柳は言葉を失った。


無視してさっさと行こうとザックは言うが、ソシノは話を続けた。



「そうだ。ちょうどこの辺にあったはず…ちょっと来て!」



強引に無柳の手を取ると、ソシノは勇んで掛け出した。



抵抗できず、流れに任せ、着いた先には柳の木。


長く延びた細い幹から、長く垂れる緑葉と枝。風に吹かれ、それは無柳の体をくすぐった。



「…これは。」



無柳は、ただ黙ってそれを見つめた。


その目は、確かな色彩を脳裏に送り込む。



「これが本当の柳よ。柳はこうして風に吹かれても上手に受け流すの。あなたとは真逆ね。」



この時のソシノの声は、確かに無柳の耳に入っていた。だがそれよりも、今の無柳を支配していたものは他でもない。目の前の柔らかな柳だった――






―――――――――






――あの日見た柳の樹はもうない。だが、今でも無柳の心には、それはたくましく根を張っていた。



「俺はその柳を見て、初めて自然というものの美しさを知ったんです。」



柳に触れた帰り道、恥を忍んで言った一言も、忘れられない思い出だった。



――俺も、試しに写真を撮ってみたい。



それは、純粋な好奇心だった。また無視されるだろう… そう考えていたが、ソシノは驚くほど喜び、仲間の輪に加えてくれた。



「これが、俺が初めて映した写真です。」



思い出からの帰り道、無柳は一枚の写真をカメラの液晶に表示しラーソに見せた。


それは以前、モバンで知り合ったスイにも見せた桜の情景。


ザックから写し方を学び収めたという写真は、今と変わらぬ美しさを放っていた。



『俺の方が修行時間は長いんだがな。お前にはとんだ才能があったもんだ。』



悔しがり話したザックの言葉も、無柳には忘れられないものだった。



ジフリーペの街を離れ、ラーソ達は更に大陸を闊歩し、思い出の地を訪れた。


矢の如く過ぎる毎日。移り変わる景色。それと共に紡がれていく無柳の歴史。



――どうして荒らしを浄化しないのですか?



この話を切り出せたのは、ソシノ達と知り合って一ヶ月経った頃だった――






――「わたしは荒らしを引き寄せる体質みたいなの。」



広い高原に寝そべり、青空を眺めソシノは呟いた。


荒らしと対峙した時、まるで自分がその荒らしとなったかのように、あらゆる負の感情が流れ込んでくるという。


ソシノ達ワンダラーも、元々は強い嘆きや悲しみを魂に刻んだ存在。そのような魂質だからこそ、不本意に荒らしとなった者の苦しみが解るのだろう。



「わたしは中でも特別みたい。だから出来る限り荒らしを救いたいの。それがきっと、わたしが生きる理由だから。」



その時、西南西の風が、嬉々とした声を運んできた。



「よし掴んだぞ!この感覚だ!」



拳を握り、ザックが勇んでやってくる。



「無柳、いちゃついてないでちょっと俺の相手をしてくれないか?」



言われ、ソシノすぐに「いちゃついてなんかいない」と突っぱねる。


同じ事を言おうとしていた無柳だったが、出鼻をくじかれ、完全にタイミングを逃してしまった。



「まだまだ息はぴったりとはいかないか。」



二人を見、ザックは意地悪い笑みを浮かべた。


更に必死になるソシノから逃げるように、ザックは無柳を連れ、丘の上に移動した。



「ソシノに見られたら馬鹿にされそうだからな。ここなら気兼ねなく出来る。」



不意に深呼吸をし、両足を揃え、左右の拳を腰に据える。


なんの真似事か、と無柳が思ったその時…その瞳は驚きで大きく見開いた。


力強く空を切る二つの拳。宙を舞う身体。そこから繰り出される竜巻を思わせる脚撃の唸り。


初めて見る奇妙な舞いは、無柳を素直に感嘆させた。



「驚いたか?旧文明から伝わる武術ってやつだ。最近思い出したな。俺は昔得意だったんだぜ。」



自慢げに言うと、ザックは手合わせをしたいと願い出た。


己の肉体のみの、単純な勝負… 無柳が応えるより早く、ザックは動き出した。


疾走した勢いのまま、後ろ足に力を入れ、前足を無柳の腹部に鋭く蹴り込む。



結果は…



「くそ、つくづくチートなやつだ。」



脚撃を片手で受け流され、空回りした勢いでバランスを崩し、転倒。


ザックは、無柳の背後で腰砕けとなっていた。


生まれもっての無柳の技術は、まさに柳の如く柔らかだった。



「…お前が柔なら俺は剛。力強く噛みつく龍と、全てを流す(りゅう)のコンビだ。悪くないだろ?」



ザックにつられて、無柳は笑った。


そこに、なにやら呆れた声が入り込んだ。



「そんなことより、カメラの練習が先でしょう。ただでさえ無柳の方がうまくなってるっていうのに。」



一部始終を見ていたらしいソシノの、遠慮ない一言は、無柳を得意げにさせ、ザックの肩を落とさせ

た。



やがて三人は、緑あふれる崖の上に寝ころび高い空を眺めた。


澄み渡る青は視界を通し脳裏に浸透していく。 それが心に触れた時、人は美しいと感じるのだ。


無柳は、それを素直に理解出来るようになった事が何よりも誇らしかった。



「みんな、無柳のように素直だったらいいのにね。」



不意に聞こえたソシノの声は、どこか寂しげだった。



「わたし達ワンダラーの間に争いがあるでしょ。みんな、敵意を向けてばっかりで、空の美しささえも忘れてる。」



――だからいつか、全員が空を見上げ美しいと感じれるような世界になってほしい。


ソシノは笑ってそう言うと、静かに目を閉じ眠り込んだ。



「いつもの口癖だよ。…そんなソシノだからこそ、俺は守りたいって思ったんだ。」



風が何処かから花の香りを連れてくる。


それを五感に感じ、無柳は思う。


この二人を守りたい、と。



だが、その手は余りに汚れていた。


多くのワンダラーの命を無に返したこの手で、他人を守る事が許されるのか…



生じた罪の意識と願いを同居させ、無柳の旅はさらに続いた。


山や海、街や村。二人が好きな自転車で、幾つもの夜と幾つもの昼を超えていく。


新たな地を踏む度、多くの事を学んでいった。



だがその旅は、「非」を持って終焉を迎える事になる――






―――――――――






――「…ラーソさん。着きましたよ。」



ここは、リージュという街の、色彩豊かな山岳地帯の谷間。


紅葉という、落葉の前に葉の色が変化せる現象で、周りの木々は千変万化の色合いを見せていた。


本来なら目を輝かせてカメラを構えるはずのその手は、なぜか小さく震えていた。


ラーソはその様子に気付いていたが、口に出すような事はしなかった。


辛そうな横顔は、ここで起きた出来事が、陰鬱なものだと告げていた――



挿絵(By みてみん)



――「ソシノ…行け!」



ザックは、いつになく気を荒くし叫んでいた。そして、目の前に佇む、黒いスーツの男に睨みを効かせた。



「音利の次はお前か。シオン。無柳の留守を狙うとは、汚い奴だ。」



悪態を付かれ、シオンは冷笑を覗かせた。


この紅葉溢れる山の中、写真を収めに来ていた時の思わぬ来客。


ソシノは、遠くにいる無柳を呼ぼうとするが、ザックは「あいつの写真の邪魔は出来ない」と突っぱねる。


そんな事で、とソシノが叫んだ時、ザックは再び首を振った。



「あいつは今写真に夢中だ。信じらるか?あの感情のまるでなさそうだった奴が、あんなに目を輝かせてるんだぜ。…俺はそれが嬉しいんだ。」



それは、紛れもない本心だった。 そして、ソシノもまた、同じ思いを抱いていた。



「悔しいが、あいつの写真には力ある。俺はもっとその写真を見たいんだ。」



その言葉を最後に、ザックはシオンの懐へと飛び出した。



加勢しようかと迷う中、早く行けという怒号がソシノの胸に鳴り響く。



「…こいつらの事だ。仲間を連れて来たりはしない。だから安心して行け。」



それが心の引き金となり、ソシノは山の向こうへ飛び立った。



丁度その時、無柳は写真撮影を終えた。


いい写真が撮れた… ソシノに買ってもらった一眼レフを見つめ、一人悦に入る。


集合場所に向かう間、いかに自慢してやろうかと思考する。だが、近付く度、胸の高鳴りは胸騒ぎに変わっていく。


初めての感覚に戸惑いつつも、胸騒ぎは杞憂であると言い聞かせた。だが、それは最悪の形となって無柳の瞳に入り込んだ。



「無柳か。厄介な。」



悪態付くシオンの姿は、無柳には見えていなかった。



ただ一転を見つめ、そして叫ぶ。



「ザック!」



事実は解らない。だが、すぐ横で冷笑を浮かべる男が、この惨事を起こしたという事は理解出来た。


無柳は、体内を激しく流れる血を吹き立たせるように、声にならない声を上げた。


大地が震えるほどの怒号は、シオンの魂を凍らせた。



「お前とやりあうつもりは…」



言い終える前に、その姿は思念波により掻き消えていた。


無柳はすぐにザックのもとへ駆け寄った。


鋭く突き刺さる刃物や、骨を砕く槌により、身体は原型を留めぬほど損傷していたが、ザックはかろうじて意識を留めていた。


おそらく、ギリギリで生かされていたのだろう。



「無柳か…」



喋れるくらいの余裕があれば大丈夫… 無柳はそう鼓舞するが…



「身体に痛みは感じない。だが魂が痛む…溶けていくような感覚だ。」



それは、魂が短期間に激しい劣化を起こした証拠に他ならない。そうなってはもう、リスボーンは難しいだろう。



「一体なんでこんな事に…」



やり場のない怒りに身体が震えた。


だが、無柳を冷静にさせたのは、ザックのかすれ声だった。



「奴らは…進化派はソシノを恨んでいる。ソシノがアセンション失敗の元凶だってな。」



意味の解せない無柳に、ザックはさらに語った。



アセンショ時、新世界を切り開くワンダラーの一人であったソシノ。そんなソシノが迷いや恐怖を抱いてしまったため、今の不完全な結果になったのだという事実を。



「あの時、俺は怖じ気づいたソシノを鼓舞したんだがな。それでもだめだった。」



その後、記憶を持ったまま先に世界に降り立ったザックは、ソシノが現れるのをひたすら待った。


きっと、アセンション失敗の元凶として狙われる…そう思い守り抜く覚悟を決めた。



「幸いな事にソシノの奴、記憶を無くしててな。…そういえば、初めて会った時のあいつはかわいかったもんだ。」



この状況にも関わらず、苦渋の中に笑みを見せ、ザックはおちゃらけた。


だが事態の深刻さは変わらない。


ザックの冗談に無理な笑いを返しつつ、無柳は自らの体内フォトンエネルギーを絞り出し傷ついたザックにあてがった。だが、効果はまるで得られなかった。


タルパとしての絶大な力は、何かを殺める為にしか使えないのか… 自虐する無柳にザックは静かに笑い掛けた。



「俺はたぶん駄目だろう。唯一の心残りはソシノだけだ。そこでお前に頼みたい事があるんだ。」



――ソシノを守ってほしい。そして、出来れば進化派の者達を救ってほしい。



頼みを聞き、無柳は首を振った。



ソシノは守る。だが進化派は、恨みこそすれ、救うことなど考えられなかったからだ。



「俺は微かにだが昔のあいつらを知ってるんだ。だから憎みたくても憎めない。だから、頼んだぜ…」



微笑し言ったその姿が、ザックの最期の姿だった。


消えていく身体を見つめ、無柳は叫び拳を握った。


こんな時でも涙一つ零れないのが堪らなく憎らしく、それが一層悲しみの叫びを生んだ。


だが、その叫びはぴたりと止む。


この状況で浮かんだ最善策を、無柳は決断し、静かに行った。


涙の変わりに、紅葉の色彩を瞳に映しながら。


そして、ソシノにテレパシーを送った。


数分後…






ソシノは目に涙を溜め、遠くに見える男の姿を見つめていた。


一目散に近付き、力一杯に名前を叫ぶ。


呼んだ名は…



「ザック!良かった。…ごめんね、わたしのせいで。」



叫んだ名は、消え逝ったはずのザックだった。


ソシノは落ち着いた時、無柳は何処にいるのかと聞いた。


一瞬顔を強ばらせ、ザックは言う。



無柳は自分を救うために力を使い消滅したと。



そう。今、ここに無柳の姿はない。いや、以前のザックも居ない。居るのは、キャプチャーをし、ザックの姿に成りすました無柳だった。


人格錯覚により、ソシノは穏やかに話すザックを見ても、無柳であるとは疑わなかった。


ザックが居なくなるより、無柳が居なくなる方がショックも少ないだろう…思考した末の苦渋の決断だった。


だが、ソシノはしきりに無柳の名を連呼した。


何度も無柳は消滅したと言い聞かせるが、それでもソシノは首を振る。


ついには座り込み、はち切れんばかりに慟哭(どうこく)する。



「無柳、わたし…まだあなたになんにも教えていないのに…」



ザック、いや、無柳は、泣き叫ぶソシノを反射的に抱き寄せ諭すように囁いた。



――彼の分まで強く生きよう。



その言葉は自身の心にも深く反響した――






―――――――――






――「いつか誓った二人を守るって事を、俺は結局出来なかった。」



ラーソに全てを話し終え、ザックは過去と同じ場所に佇んだ。


あの時と変わらぬ美しい紅葉を見、ザックは語る。


自分もあの時と何一つ変わっていないと。



「守れなかったばかりか、シオン達を救う約束すら果たせなかった。俺は、あの時のまま、口だけの男です。」



ラーソは無意識にザックの隣に寄ると、その左手を温かく包み込んだ。



「でも、ザックさんに会ったおかげで変われた人も居るはずです。」



ラーソの視線とザックの視線が、同じ空間で結ばれる。



「わたくしが知っているだけで沢山居ますわ。だから、実際はもっと沢山居るはずです。」



励ます様で、叱咤している様でもある真っ直ぐな瞳は、千変するザックの心を少しずつ一つに紡いでいった。



「ありがとうございます。」



感謝の言葉に、今度はラーソの心が落ち着いていく。



穏やかな心は、落ち着いた紅葉の景色へと溶け込んでいった。



二人はしばらく、その中に身を委ねていた――




第三十八話「千変万化」 完








三十八話登場人物集


※イラスト協力者「そぼぼん」

※登場人物一部割愛




ザック=ルーベンス


挿絵(By みてみん)


無柳(むりゅう)


挿絵(By みてみん)


ソシノ=ロッサム


挿絵(By みてみん)


ラーソ=ボローニ


挿絵(By みてみん)

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