雨晴れて
――『そこまでよ!覚悟なさい!』
その声に驚き、黒髪の男はハッと目を開けた。
ここは、大都市グリーズの郊外。
誰も訪れない、一際巨大な屋敷での出来事である。
男は小一時間の眠りの間、些細な夢を見ていた。
一人の女性が剣を突き立て、自分に叫ぶ、妙な夢。
眠る前に見たチャネリングの影響だろう… くだらない夢を見たものだ、と自分自身に悪態付いた。
眠気覚ましに紅茶を飲み、そのままテレパシーを始める。
大事な打ち合わせの話があるのだ。
『うちはアフターケアーも万全でね。お客さんが内容をやり遂げるまで確認を取るようにしているんだ。』
『…全くクイネスさんも用心深い。アフターサービスなんて言ってるが俺が情報を漏らしてないか心配なんだろ?』
話し相手は、なんとサムの父テテだった。
『まぁこっちは問題無しだ。居候にも出て行ってもらったし、息子も明日リロードをする気になったよ。』
テテの言葉に満足したのか、クイネスはテレパシーを終えた。
これで今回の仕事も完了か… 満足感が支配する。
――煽り屋の斡旋と紹介。
それは、仕事とは名ばかりの歪んだものだった。
黒髪の男―クイネスは、多くの煽り屋を取り仕切る領袖である。
このグリーズ郊外の、一見人の訪れない屋敷は、そのような者達を召集する拠点であった。
二杯目の紅茶を飲むクイネスだったが、ここに来て妙な胸騒ぎを覚えていた。
眠る前、そこにはオセロを興じる仲間が数人居たのだが、今は誰一人としていない。
別に居ないのは構わないのだが、オセロを対局途中で長時間留守にするのは少々妙だった。
そして、微かにだが、異様な匂いが鼻についていた。
廊下が怪しい。そうクイネスは本能的に感じ、身構えながら廊下に向かった。
この時までは、眠気が警戒心より勝っていた。
だが、廊下を中ほどまで歩いた時、眠気を完全に消し去る衝撃を受ける。
表面が鏡のように磨かれた大理石の壁を、赤い液体が粒常に広がり、ゆっくり下方に落ちていく。
それを見、クイネスは仲間の惨事を理解し走り出した。
この通路は、関係者や、関係者を通じて依頼を希望する者以外は入れない、隠し扉を経由しなくて通れないため、屋敷に迷い込んだ者がいてもまず辿り着く事はない。
今ここに侵入した者は、隠し扉を見抜く力と、明らかな殺意を持っている…
クイネスは、思考しながら更に歩いた。
警戒しながら耳を澄ますと、なにやら仲間の声と、女性らしき声が聞こえてくる。
(――この声は…)
どこかで聞いた声。
思ったと同時、それが何なのか理解した。
先刻見た夢に出た女性の声だという事を。
あれは完全な夢ではない。廊下から聞こえるこの声を、夢うつつの時、確かに聞いていたのである。
「何者だ!」
クイネスは叫び、走った。
そして、ついに声の主をその目を収める。
「あら、こんにちは。」
女性は赤の中にいた。
右手には、紫色の手のひらサイズの小さい板。
武器らしき物はそれしかない。
あんな頼りなさそうなものだけで、これほどの惨事を… クイネスは更に警戒を強めた。
「何者か、知りたいですか?」
女性は、手に持った手のひらサイズの板をクイネスに向け自信満々言い放つ。
「魑魅魍魎の跳梁跋扈、退治するのはリリ=アンタレス!」
聞いて、クイネスは驚き、後ずさりを始めた。
だが、同時に宿る感情は、好機というプラス思考。
クイネスは、リリの事をよく知っていた。
クイネスが率いる煽り屋グループには、古くから力を与える協力者がいた。
協力者というより、影で糸を引く黒幕といって良いだろう。
リリを倒す事を条件に、その協力者は力を与えていたため、ここでリリを返り討ちに出来たら、受け取る報酬は計り知れないだろう…
クイネスは後ずさりを止め、不敵に笑った。
だが、リリを改めて見た時、再度恐怖する事になる。
突然、その姿が消えたのだ。
慌てて、本能的に振り返る。
案の定、リリがそこに立っていた。
「あなた、リーダーさんですね。手間が省けました。」
リリは満足げに微笑んだ。
そして、握った右手をクイネスの前に開く。
「ネメシストーン。世界でも五つとないこの石を待っていると言うことは、あなたが特別だという証です。」
クイネスは、心臓を鷲掴みにされる衝撃を受けた。
思わず震える、二本の脚。
その間リリは、石に宿った生体磁場のチェックをしていた。
石には、クイネスの他に、だいぶ前に一人の女性に使われた形跡があった。
それはつまり、その女性から譲り受けた石である証。
リリもまた、クイネス達がどのような者達か知っていた。
以前、自分の生誕日に襲撃を行った者達はこの一派だという事。 そしてその裏には、クイネス達を操り、自分の暗殺を企てている者が居る事を。
ここまで敵意を向ける黒幕となると、ワンダラー、それも敵対する勢力「存続派」「退化派」のいずれの人物だと推測出来た。
「なるほど…これがあなたを利用しているワンダラーさんですか…」
石に残された生体磁場から、あらゆる個人情報が読みとれた。
クイネスは慌てふためき思念波を放つ。だが、リリは捕らえられない速さでそれを避けた。
『じじ(音吏)、敵対する派のワンダラーさんの名前が解りました。今すぐそちらに向かってください。』
リリは、不用心にもクイネスの居る前でテレパシーを始めた。
当然、その隙をクイネスは逃さない。
再び放った思念波は、ついにリリの身体を吹き飛ばした。
すかさずクイネスは部屋へと走る。
「あ!待ちなさい!」
―――――――――
――クイネスは、息を切らし、部屋の壁に背も垂れた。
視線の先には冷笑するリリ。
「蛮人さんは見逃すわけにはいきません。」
絶体絶命の状況下にも関わらず、クイネスは笑っていた。
それは、最後のあがきとは思えない。
それもそのはず。
クイネスには、秘蔵の手段があった。
「追い詰められたのはお前の方さ。」
途端、視界に真っ白な光景が広がった。
広大に広がる無限の空間。
そこに、無数の光が現れた。
人影が、光の中から生まれ出る。
ざっと、百は居るだろうか。老若男女、種を問わず混合し、荒らしの姿さえもあった。
更に、荒らし以外の者は、皆武器を手にしていた。
「クイネス。お前が奥の手を使うとは随分な状況の様だな。」
誰かが笑いを混ぜ呼び掛ける。
拠点としていた部屋は、クイネスが危険に晒された際、仲間を呼び寄せ、強制リンクを果たす仕掛けが施されていたのだ。
「ほんと、手間が省けます。こんなに一度に蛮人さんに会えるなんて。」
形勢逆転の状況にも関わらず、リリは余裕を見せていた。
「あなた達は、雨みたいなものです。無数に降る雨は、避けることが出来ませんが、当たっても、ただわたしを濡らすだけ。」
クイネスにしてみれば、それは最期の強がりにしか思えず、気にする程ではなかった。
一応の警戒は残しつつ、仲間に指示を出す。
「やれ。だが、相手はあのリリだ。全員気を抜くな。」
クイネスの号令は、多数の怒号となり、それは戦火を灯した。
初めに飛び出した者は、複数の荒らしだった。
破壊衝動を抑えられないのか、クイネスの忠告を無視し、完全に楽しんでいた。
一人は思念波、一人はブロックタグで作ったヒヒイロカネを槍状にし、雨の様に降らす。
それを真似、多くの荒らしが一斉に赤い鋭利な雨を降らせた。
リリは完全に乗り込まれ、姿を消した。
早くも終わったか…
クイネスはおろか、場に居る全員は、呆気なさと物足りなさから気を緩めた。
ふと、一人が目を細める。
見据えた先、微かに槍が動いていた。
気のせいか…
――否。
「伏せろ!」
クイネスが叫んだ時、既に十人あまりが地に伏していた。
全員クリスタル。無数の槍が、それぞれの身体の裏側まで突き刺さっていた。
そして、リリはというと、皆の意識が倒れた者に向いている中、多数の荒らしを浄化し回っていた。
百近く居るにも関わらず、全員がその動きを捉えることが出来なかった。
――どのように荒らしを浄化したのか。
それは、リリが右手に持った紫色の長剣に秘密があった。
「眠くなってきたので、そろそろ終わらせて帰りますね。」
リリは再び動いた。
同時に次々とバイオレッドが消えていく。一人、二人、三人…
十を登る前に、初めにリリに向かった三人の荒らしが策を講じた。
ラグを起こし、動きを封じる。
自分達以外はラグに適応するのに時間が掛かるが、その分の恩恵もまた大きい。
だが…
リリは変わらず動いていた。
反応が遅れた荒らしを、瞬間的に切り裂き回る。
八、九、十… 皮肉にも、カウントを止めに入った荒らしが、カウントの締めを飾る事になった。
ラグは消えた。
途端にクリスタルとバイオレッドが同時に飛びかかる。
リリは、右手を前に伸ばし、握った紫剣を突き立てた。
そして左腕は、後方に伸びていた。
そのまま腰をかがめ、姿勢を低くした時、左掌が光り、何かが現れる。
(――タグ?)
周りの者がそう感じた時、リリは回転し、大きく上昇した。
着地後、そこには誰も居なかった。
未だ多勢のクイネス達だが、圧倒的な存在感に、もはや無作為に向かう気力を無くしていた。
右手に紫剣、左手に、タグを縦書きした用な形の剣。
リリは、その二つの切っ先をあてがった。
「では、皆さん、綺麗に浄化してくださいね。」
輝き始める、二本の剣。
クイネスは、一人とっさにリンク空間から逃げ出した――
――一方、こちらクシミでも、戦いの火種が森の中で燃えていた。
圧倒的な力を持つヤーニ、迎え打つは百戦錬磨のマティス達。
ヤーニのバイブレーションタグを、見事無効化タグのスクリプトにより阻止し、マティス達の士気はあがっていた。
対するヤーニはというと…
「君たちの努力と修練は認めよう。だけど、僕はそれでも届かない次元に居るんだよ。」
依然、満身と余裕は崩さない。
マティス達も動かなかった。
迂闊に動けば、ヤーニの力に翻弄されるだけと判断し、受け手に徹する事にしていたのだ。
「君たちは、なぜ僕にタグを操る力が設定されてるか解るかい?」
ヤーニは再びタグを作り出した。
すかさずネムはそれを打ち消す。
見慣れぬタグであったが、効果が解らぬ以上すかさず対処しなくてはならない。
ヤーニはそれをさも面白そうに眺め、話を続けた。
「僕にとってタグってのは別に破壊のためにあるんじゃない。力を抑える、一種の枷みたいなものでね。」
言い終え、右手を突き出した。
『ネム、急げ!』
マティスは、ヤーニから圧倒的な雰囲気を感じ取り、ネムにテレパシーを送った。
「僕自身、うまく思念波を制御できないんだ。だから、扱いやすいタグを使うんだよ。」
そして、それは放たれた。
空間が歪み、視界は遮断され、一瞬深い闇に包まれた。
音もなく、穏やかな風のごとく、辺り一面に思念波は駆け巡る。
再び光が戻った時、先ほどと変わらぬ森の光景があったが、その場には誰も居なかった。
――全て終わった。
ヤーニが背伸びをしたと同時、周りの木々が突然倒れ込み、霧状に消滅していった。
(――周りには被害がないようにしたつもりだったけど…)
木が折れる乾いた音が、パワースポットを支配した。
だが、その中に紛れ込む人の気配を、ヤーニは見逃さなかった。
「…君は随分としぶといね。異常なくらいに。」
ヤーニが見据える先には、木が倒れる音を背後に佇むザックの姿があった。
「正直言って、今の俺は冷静ではありません。マティスさん達を救えなかった事が実に腹立たしい。」
ザックは半霊化し、ヤーニに迫った。
先刻交えた時とは違い、明らかに無策の突撃だった。
どう反撃しようか悩むヤーニにお構いなく、ザックは連続で腕を突き出し攻め立てる。
格闘術は、ヤーニよりも大分上手だった。
だが、攻め立てる手が途中フッと止んだ。
疲労の為か、その表情はやけに険しい。
否…
ザックの心は、既にここには無かった。
(――こんな時に…)
唇を噛み、小さく悪態付いた。
三人のワンダラーがワイスの森で邂逅する予感が、脳裏について離れない。
そう。ワンダラー感知が突如働いたのだ。
邂逅する時間は、後数十分後。
意識せず感知が働いたと言うことは、それほどに強いぶつかり合いだと示唆していた。
ワイスにはラーソが居る。
もしや、進化派がラーソをアンチしに向かったのでは… ザックの不安は膨れ上がる。
「こうも簡単に、僕に近付けるとは…それにそのしぶとさ。君、無柳から何か…」
瞬間、ザックの右足がヤーニの顔面を捉えた。
だが、ヤーニも負けじとタグを作っていた。
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列車ほどに伸びたそれは、斜め上空へとザックを押し出した。
息つくヤーニ。
だがつかの間、右腕に焼き付くような痛みが、ヤーニの身体を駆け巡った。
「誰だ」と言う口は、半分開いた時止まった。
変わりに、目が大きく見開く。
「いい顔だな。近頃じゃ一番の間抜け面だ。」
潟躍とネムが立ち、真ん中のマティスが挑発する。確かに消し去ったはず…ヤーニは先刻の光景を頭に浮かべた。
そして、思念波を放った瞬間、ネムがタグを放っていた事を思い出す。
(――そうか。リンクタグで逃げたのか。)
ヤーニは気付き、歯ぎしりをした。
「タグを封じられたら思念波で来るのは予想の範疇。対処など容易いものだ。」
マティスは更に挑発した。そして潟躍は激昂する。
「ヤーニ!俺は今猛烈に頭に来ている。ザックを救えなかった自分にな!」
どうやら、ザックの事を思念波でやられたと勘違いしているらしい。
先刻似たような事を言われたヤーニにしてみれば、滑稽で怒りがこみ上げる。
そして、もう一つ怒りを上乗せする要素が現れた。
「勝手に殺さないで下さいよ。潟躍さん。」
木の影からザックが姿を現した。
潟躍は喜び、一層高まる熱気と士気。
依然ヤーニの有利は揺らぎはしないが、戦いの流れは、完全にマティス達に向いていた。
「今あなたに構っている暇はありません。すぐに終わらせて貰います。」
マティス達がヤーニを警戒し、動きを伺うのに対し、ザックは焦りの為か猪突猛進突き進む。
だが、逆に吹き飛ばされ、不要な傷を追ってしまう。
マティスは吹き飛んできたザックを受け止めた。
「…後は俺たちが何とかする。お前さんはどこかに行ってな。」
冷たく言うが、それはザックの変化に気付いたマティスなりの気遣いだった。
潟躍とネムも同調し、ヤーニを迎え撃ちながら後は任せろと意気込む。
「それに、お前さんにここで倒れて貰っちゃ、俺も困るんでな。」
ザックは悩むが、差し迫った状況が、素早い決断をもたらした。
頷き、マティス達の無事を祈り、すぐに戻ると心に誓う。
そして、お互いが無事なら、今度一緒に写真を撮ろうと口上した。
「それは男同士に言う言葉じゃないな。」
二人は小さく笑い、別れを告げた。
「あ、待て。君には聞きたいことが…」
ヤーニは追おうとするが、潟躍はそれを許さない。
俺が相手だ、と棍を振るう。
ザックが居なくなり戦力が低下したにも関わらず、マティス達は三人同時に攻めようとはしなかった。
ネムは、ヤーニのタグを無効化及び、リンクタグで逃避に徹する役目があるため理にかなってはいるが、マティスが動かないのは愚策に思える。
また、ヤーニと対峙する潟躍ですら、攻撃は行わず、ただ周りを素早く移動するだけだった。だが、ヤーニがふいにマティス達を向いた時、ついに動き出す。
地を滑空し、身を縦に回転させ、遠心力が生まれた所に、混を唸らせる。
――当たらない。
いつかの時と同じく、攻撃はヤーニの眼前で強風に煽られるが如く吹き飛ばされた。
「僕に対する敵意は、全て弾かれる。これも設定の内さ。」
ヤーニはしたり顔を覗かせた。
途端、背後に熱い激痛が走る。
光球の感触が、ヤーニを一気に激情させた。
「こいつは当たるみたいだな。」
今度はマティスがしたり顔をみせた。
今、タグを作ったのはネムではない。
スクリプトが出来ると言えど、それを扱えるのは今の所、無効化タグと強制リンクタグのみ。
更に、常にヤーニの動きを洞察しなくてはならないため、タグの支援が間に合わない。
そこでマティスは、変わりにタグの支援をすることを思い付いたのだ。
ヤーニはタグを使わず、周りの葉や枝、雨を操り、潟躍を攻め立てた。
生体磁場を纏った雨は隙間なく降り注ぎ、潟躍に逃げ場を与えない。
身体を濡らす雨は、無色から赤い色に変わっていく。
潟躍が弱った所に、ヤーニは一人分の思念波を小さく放った。
が、それはネムの強制リンクタグで空振りに終わった。
(――なら、気付かれないように出すだけさ。)
怒りを鎮め、今度は全空域に思念波を出す。
だが、ネムの冴えた六感は、見事危機を捉え、直撃前に脱出を成功させた。
(――…じゃあ、出てくるまで放ち続ければいい。)
そう考え、思念波を出そうと身構える。
だがその時、ヤーニの両手両足に、瞬く間に光の帯が絡まった。
「馬鹿な、こんなに早く戻って来れるはずは…!」
そこに居たのはネムだった。
「リンクしたのは二人だけ。わたしは地面に透過してただけだから。」
散々強制リンクタグで逃げられていたヤーニは、それ以外に回避される方法を思い付いていなかった。
――他の二人だけをリンク空間に送り、地面に透過していたネムが奇襲を行う。
それは、マティスの思惑通りだった。
「そして… 潟躍!」
リンク空間から抜けたマティスは、ヤーニの頭上に現れた潟躍に指示を出した。
渾身の棍がヤーニに迫る。
「そんなもの、当たらないのがまだ解らないのかい!」
直後、棍は音を立てヤーニの肩にぶつかった。
落下するヤーニ。その先は、ウォールタグに包まれた三つ巴の石。
ネムはウォールを解き、瞬時にラインタグを左右の指で書き上げる。
マティスも同じく、素早く一本のラインタグを書いた。
ヤーニが三つ巴の石の前に落ちた時、四方を囲うように四本のラインが伸び上がった。
それは、中心で重なり合い、三角錐の形を為した。
――ピラミッドパワー。
以前、海底遺跡でネムが行った形と同一のものである。
ピラミッドの底に当たる部分の構築は、ヤーニとの戦いの前に既に仕込んでいた。
「これが一体なんだって言うんだい?」
ヤーニは笑い、思念波を放つ。
だが、おかしい。 まるで力が入らない。
そればかりか、中に居るだけで力を失う感覚を覚える。
「お前はさっき言ったな。全ての攻撃を退く事が出来ると。だがたった一つ、防げないものがあるんだよ。」
――ラインタグや、光球タグなどで濃縮されたフォトンエネルギーによる攻撃だけ、なぜか防ぐことが出来ない。
ヤーニ自身、薄々気が付いていた。
拳を強く握り必死にもがく。
地球磁場が強い地は、自ずとフォトンエネルギーを活性化させる。
更に、ピラミッドパワーにより活性化は上乗せされ、ヤーニはその中に居るだけで多大な負荷を受けてしまうのだ。
常人ならば、フォトンエネルギーの活性化は自身のプラスとなるのだが…
――ラインタグ、いや、濃縮されたフォトンエネルギーは、ヤーニを弱体化させる。
マティスがそれに気付いたのは、メロゴースでの戦いの時だった。
あの時、あらゆる攻撃が弾かれる中、ネムのラインタグと、その後に放った脚撃だけはヤーニに効いていた。
戦いの後、一人生還を果たしたマティスはそれに改めて気付き、戦略を練っていたのである。
「なぜ、たった一つ欠陥があるか解るか?」
マティスは、動けぬヤーニの腹部に短刀を突き立てた。
「生み出した時、あえて完璧な存在にせず、欠陥を残されたんだよ。その分タルパ作りに生じる枷が緩くなるからな。」
――バイオレッドがタルパを作る際の上限を「百」生体磁場と仮定しよう。
高度な願望を設定すれば、その分生体磁場を多大に使う。
全ての外部干渉を無効にするとした場合、実に六十を消費するが、フォトンエネルギーには絶大な支障が生じるといった欠陥を残せば、四十で済む。
浮いた二十の生体磁場は、別の願望設定に利用出来るのだ。
マティスはそれを指摘し、更に短刀を突き立てた。
ヤーニは痛みに打ち震え、罵倒の言葉を連呼した。
「欠陥を残してまでお前に設定したものはなんだろうな。魂をクラインの壷に送る能力か?いや違う。もう一つ、なにかあるはずだ。」
ヤーニの身体は、雨をもってしても流せぬ程赤く染まっていた。
徹底した冷酷ぶりに、潟躍達も思わず背筋が凍る。
だが、一番恐怖していたのはヤーニ本人だった。
「なんで、君はそんなにタルパに詳しいんだ!」
マティスは何も語らず、短刀を振るう。
瞬間、ヤーニの心の中に、リリの顔が浮かび上がった。
穏やかに微笑み、時に叱咤するあの表情。
そしてもう一つ。リリに重なる様に思い浮かぶ一人の女性。
(――パシェル…)
一度その名を呼んだ時、ヤーニは視界が暗くなる感覚に捉われた。
――これが、死か。
不思議とその胸に怒りは無かった。
リリとパシェル。二人に見守られている感覚がそうさせたのだろう。
「卓越した技術や修練は、時にチート(ズル)を凌駕する。思い知れ。」
マティスの声が、胸に向かう短刀と共に入り込む。
それを受け、ヤーニは光となり消え果てた――
――リリは今、クイネスの部屋に居た。
リンクされていた空間も元に戻り、あれほど居た煽り屋達も、リリの手により一人残らず消えていた。
残る標的はただ一人。
目の前で跪くクイネスのみである。
「特別サービスです。これをあげるから、わたしを退けてみてください。」
リリが差し出したものは、先ほど奪った宝石だった。
ネメシストーンと呼ばれるそれは、かつて地球に飛来したネメシスの破片。
持つ者は、石から溢れる未知のエネルギーにより、多少のネメキネシスを扱えるとされている。
クイネスは、これ幸いにと石を手にし、更にリリに対して反撃を加えた。
だが…何も起こらない。
「やはりですか。…これはただの模造品ですよ。きっと、自分で量産しようとして作ったものでしょう。」
クイネスは、今まで協力者に過ぎないと思っていた相手から、ただ利用されていただけだったのだと思い知り、馬鹿笑いを始めた。
「一度も使わなかったから解らなかったんですね。あなたの敗因は、仲間にばかり汚れ役を任せた事です。まぁ、わたしも人のことは言えませんが。」
リリの手のひらがクイネスに向いた時、騒がしい笑いは止まった。
「強者共が、夢の後、か…」
リリは一言弔うと、静かに部屋を後にした。
同時刻、雨に見舞われていたクシミの地には、美しい虹の橋が出来ていた――
第三十三話「雨晴れて」 完
三十三話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
クイネス
リリ=アンタレス
ヤーニ=ファイス
マティス=ハーウェイ
潟躍
ネム