樹と芽と花と
――この日も、マティス達は、相も変わらず荒らしとの対峙を営んでいた。
音吏の指示で、ひたすら荒らしの集まる都市で浄化を行うこと数日間。
今日は、初となる街中での戦いとなっていた。
音吏が計画した「インディゴ収集計画」の地であるこの都市だが、驚くべき事に、荒らしは都市部では一度も現れることはなかったのだ。
それは、音吏が仲間の協力で計画の漏洩を防いでいたためだったが、今日の荒らしはいつになく強力なため、湧き出てしまった様だった。
潟躍は、早速この事を音吏に報告した。
返った言葉は…
「すぐに隔離して浄化するように、だそうだ。」
聞いてネムは強制リンクタグを作り、場を砂地に移動させた。
眼前の荒らしは一人。だが、五人分はありそうな強い生体磁場は、簡単に倒れないぞと主張する。
意を決し、潟躍は棍を構えた。
と、同時に、隣のマティスがやけに大人しいことに気がついた。
珍しく戸惑っているのか…
否。
そこにマティスは居なかった。
「あそこ。」
ネムが示した先、荒らしの脳天に短剣を突き立てるマティスが居た。
(――さっきまで隣に居たはず…)
思いながら、マティスの加勢に身を乗り出すが、やはり疑問は消えてくれない。
後ろで見ていたネムも気付かないほど、また荒らしさえも短剣をすんなり懐に許す程のスピード。
「やはりさっきの一撃が効いたようだ。動きが鈍い。」
マティスは、潟躍にはお構いなしに荒らしを攻め立てる。
無数に伸びるラインタグを剣で捌き、思念波は持ち前の跳躍力で看破。
潟躍も棍を唸らせ数打叩き込むが、内心必要ないとすら感じるほど荒らしは弱り切っていた。
あの強力な生体磁場を持った荒らしがいとも簡単に…
ネムも困惑し、マティスを見つめた。
「終わりだ。」
前方から短刀、後方から棍を突き立てられ、荒らしは物言わず消え去った。
「変異なしか」と呟き武器を収めるマティスを、潟躍は肩を叩き賛辞した。
「お前この数日でずいぶん力つけてないか。さては密かに修業してるな。」
ふざけるな、とマティスは言うが、駆け寄ったネムにも同じ事を言われ、閉口。
「…いいからさっさと溢れた生体磁場を回収しろ。」
言われ、ネムは音吏を通してマティスから教わった、生体磁場を保存するタグを作る。
「さて、休憩と行こうぜ。」
タグを作れない潟躍は、退屈そうに二人を見ていた――
(――変だな。)
ザックは今、進化派の計画を止めるため、スパンセを離れここモバンの地を踏んでいた。
列車を降り、息を大きく深呼吸。
その時覚えた違和感が、ザックを不安にさせていた。
クルトから聞いた情報では、進化派は荒らしをここに大勢集めているはず。それならば当然、荒らしの生体磁場の多さから、他の土地とは違う違和感を覚えるのが自然。
だが、モバンからはほとんど何も感じることが出来なかった。
既に計画は終わったのか、はたまたクルトの情報ミスか… ザックは考えた末、クルトの話を信じしばらく調査をする事に決めた。
チャットルームに腰を据え、ここ数週間の内に異変が無かったかをそれとなく聞き込む。
長い時間を掛け、それは僅かだが確かな実を結んだ。
「そういえば最近、怪盗まがいの奴らが多くなったな。物騒なもんだよ。」
五大都市に数えられているモバンは、若年魂の者でも安心して過ごせる地として知られ、大陸一の住みやすさと言われる場所である。
そのような場所に「怪盗」などという、新世界では廃語と化した者達が増えているという事実は、妙な違和感を覚えさせた。
そして、気になる情報がもう一つ。
「そういえば最近、巻がチャネリングしなくなったな。」
巻とは、モバン内全土の情報や吉兆、更に多数占術などのチャネリングをほぼ毎日行っている、都市部では知らない者がいない偉人である。
多大な情報提供、優れた占術能力でモバンを導く巻は「モバンの巻」と敬愛され、「ママン」との愛称でも呼ばれていた。
そのような人物が、突然姿を見せなくなるのは確かに気になる。
しかも居なくなった時が、丁度進化派の計画が始まった時と重なるのでは、疑わないわけにはいかない… ザックの的は一気に絞られた。
一旦、お気に入りのコーヒーとりんご飴を注文し、リラックス。
これまでの情報を整理する傍ら、巻の人物像の聞き込みを始めた。
「――モバンの住民にも巻の姿は解らないよ。チャネリングしても、いつも声しか出さないからね。」
「――ちょうどミステリアスさ加減はリリに似てるね。彼女もまだ誰も姿を見たことがないし。」
巻については、それ以外何も情報が出なかった。
予想異常に掴みにくい相手だ。 ザックが思ったその時…
「君、巻に興味があるみたいだね?僕でよかったら力になるよ。」
声を掛けた男は、伊達メガネをした若い童顔の男だった。
「僕はスイ。ここでアマチュアのデフェメ作家をしてるんだ。」
スイは、馴れ馴れしい態度で隣に座り、ザックを見やる。
そして、モバン名物「星梅」を注文し、ザックに差し出した。
「お近付きの印です。」
見かけによらず社交的なのか… 一見した時感じた、内向そうだという直感は改める必要がありそうだ。
ともかく、今は巻の情報を聞く事が先決。
早速取り掛かろうとした時…
「あ、千年紀カオって知ってます?あれ、僕が作成したデフォメなんですよ。」
ザックは、それに聞き覚えがあった。
(――確か、サムが話してたな。)
思い出した時、無意識に右手が伸びていた。
「思い出しました、俺の知り合いがあなたのデフォメのファンでしてね。今度会ったら自慢できますよ。」
そして二人は、カオについて盛り上がった。
……
(――しまった…つい話が逸れた。)
話し始めて小一時間。ようやくザックは本来すべき巻の情報収集を思い出した。
話を逸らしたのはスイだったが、本人に悪気は無いらしい。
ザックは冷静に努め、先ほどの巻についての話を振った。
すると、スイは思い出したかの様に相槌を打ち話しを始めた。
「巻に会うには、それに近い女性と会いに行った方がいいんです。」
その女性というのは、モバンのシンボル「サークルツリー」に居るらしい。
情報に感謝し、ザックは早速準備を始める。
その横で、一緒に行こうと喜々とするスイにどこか不安を覚えながら――
――今、ザックの眼前には、蔦で覆われた巨大な樹があった。
周囲にあるいくつもの樹の根を一体化させ、天まで届かんと構える巨木。 それこそ、ザック達が向かっていたモバンのシンボル「サークルツリー」だった。
「行きましょう!」
笑みを浮かべ、スイは言った。
だが、ザックはカメラを手にし動かない。
長年旅をしていれば、当然この場所には何度か足を運んでいたが、その事実をもってしても、壮大な巨木の光景には圧倒させられるものがあった。
樹の全体をなるべく写せるよう、後方に瞬間移動。
レンズを光らせ、いざ撮影。
「ちょっと待って!目的は写真じゃないでしょ?」
スイの呆れ声が耳に届く。
ザックは「すみません」と一礼するも、写真を一枚、ばっちり収めた。
「それじゃ、いざ突撃!」
そして――
―――――――――
――「…足元、気をつけてくださいね。」
またもスイは呆れていた。
隣には、レンズを覗きながら不用心に歩くザック。
サークルツリー内に来たのは初めてのためか、湧き出る好奇心を抑止する事が出来ない。
周りを覆う緑の景色に、気持ちはすっかりカメラ一色。
巨大な樹の枝の上、通称「葉庭」と言われるこの場所は、鳥の巣の様に小さな建物がいくつも点在しており、村と間違うほどの面積があった。
多くの部屋は、チャネリング施設として利用されており、今日もアマチュアのデフォメ制作者達がいつかプロになることを夢見て活動していた。
そのサークルツリーの最上部に当たる葉底に、スイが言う巻と近い人物がいるらしい。
サークルツリーをひたすら登り、そこを目指す。
霞か雲か、白いモヤが現れ始めた時、無事に最上部へと辿り着いた。
視界がぼやけ、風は強く吹き荒れている。
まるで下界とは別世界… 旧文明で言う「天国」もきっとこんな場所なのだろう… そんな考えが沸き上がる。
「僕も初めてきましたよ。ほら、あそこです。」
スイが指さした方に、他の小屋より一回り大きい建物があった。
ドアを小さく一回叩き、まずは礼儀正しく挨拶でも…そう思っていたザックだったが、スイはお構いなしに扉を強く叩き、中へ入ろうと意気込む。
悪気は無いのだろうが、スイの粗雑な面を見、ザックは疲労感を覚えた。
そうこうしていると、部屋の中から女性の声が聞こえ、扉が静かに口を開けた。
「いらっしゃいませー。お二人様、どういったご用件でしょうか?」
現れたのは、茶髪を短く整えた、丸顔の可愛らしい女性だった。
要件を聞きはしたが、まずは部屋に入るようにと労い、優しく迎え入れる。
壁中が綿のようなもので覆われている室内は、さながら雲の中にいる雰囲気を醸し出していた。
中央の壁際、小さな暖炉が設置された場所近くのソファーに、二つは腰を下ろす。
「わたくしは、智というしがない編集者です。知っていて起こし頂いたのなら慇懃無礼をお許し下さい。」
智は、モバンで数多く創作されるアマチュアデフォルメーションのチェック、編集、また、都市中に紹介を行う人物である。
デフォメ管理は、モバンにアマチュアデフォメが普及し始めた当時から、代々受け継いできた使命らしく、本人はそれを誇りに思っている様だった。
智の話を聞き、ザックはスイの言っていた「巻に近い人物」の意味を改めて理解した。
モバンの重鎮なら、同じくモバンに深く関わる巻と交流があるはずだからである。
差し出された今日二つ目となる星梅を口にした後、巻についてを聞こうと構えた。
だが…
「智さん!ここに来たのは他でもありません。デフォルメーションのことなんです!」
ザックは、口の中の星梅を吐き出しそうになるのをこらえ、スイを見た。
先ほどまでとは打って変わり、その横顔は真剣そのもの。
話を割り込まれ、咎めようとしたザックだったが、その真剣さを組み、止めるのをやめた。
「僕は、千年紀カオの制作者です。僕のデフォメがモバン以外でも有名になって、評価される様になった時はとても嬉しかった。でもそれ以降、僕の人気にあやかろうとして作ったまがい物みたいな作品ばかりが世にはびこってるじゃないですか!」
それは、デフォメ関連の不平不満に対しての苦情らしい。
世間に受けたからといって、安易に類似した雰囲気の作品を作り出し、人気にあやかろうとする風潮。
その数が非常に多いことに対する不満。
さらに、そのような作品ばかりが目立つせいで、本当に素晴らしい作品が日の目を見ていない事の不平等さをスイは訴えていた。
「だいたい、ランキングシステムだって、役に立ってるのか… 単に知名度があげるだけで上位になれるなら、作品の質なんて解ったもんじゃないですよ!」
スイは吠えるが、対する智は、変わらぬ笑顔で呑気にお茶を飲んでいた。
「言いたいことは解りましたがー。わたくしが皆様に注意した所で、あんまり効果はないと思います。」
きっぱりと言い放ち、お茶を飲み干す。
物腰が柔らかいながらも、どこか威圧的な雰囲気は、モバンのアマチュアデフォメ編集を代々受け継いで来た者が放つ風格だろうか。
だが、スイにも意地はある。
智と共に、巻も注意を促せば、今の風潮を変えられるはず…
そう指摘し、巻と話をしたいと食い下がる。
だが、やはり暖簾の腕押し。
「実の所、巻はわたくしにもよく解らない人なので御座います。モバン歴はわたくしのほうが長いのですが、おかしな話ですよねー。」
その話は、空気に徹していたザックを動かした。
どさくさに紛れ、巻についてを質問し、受け答えを待つ。
隣で話すスイの声で、ザックの質問の声はかき消されそうになるが、何とか智の耳に行き届いた。
「巻は、いつ頃からかふらっと現れて、いつの間にか有名になってました。元々凄い占術の能力があった人でしたからね。才能ですかねー。」
智は、どうやら本当に詳しくは知らない様だった。
「ところであなた様は…なんて言うお名前なのですかー?あなたも巻さんに用事でも?」
言われ、そういえば名を名乗っていなかった事にザックは気付く。
名前を言うと、智はなにやら訝しげな顔付きでザックを見つめた。
ともかく、巻の事を知らない以上、もう聞く事は何もない。
ザックは、ひとまずスイの話が終わるまで待つことにした。
だが、会話は中々終わらない。
十分、二十分…
時折、智は両まぶたの開閉を繰り返していた。
…眠いようである。
このままではいくら何でも迷惑だろう… ザックは思い、スイに帰るよう促した。
が。
「君はちょっと黙っててくれ!」
……意地でも引き吊り出そうか。
そんな邪心が生まれそうになるが、それをこらえ、ザックはカメラを構えた。
突然のシャッターに、スイは驚き振り向く。
「これを見てください。こんな怖い顔してちゃ、相手だって嫌がりますよ。」
その言葉に、スイはようやく落ち着いた。
暖炉際で発生した談論風発は、ザックの機転で幕を下ろした。
「では、失礼しました…」
一言謝り、二人は部屋を後にした。
帰路につく間、しばらく無言が続いていた。
「君を利用する形になってしまって本当にすまない。」
はじめに話かけたのはスイだった。
何のことかとザックは問う。
どうやら、一人で苦情を言いに行く勇気が無かったため、ザックを利用したらしい。
「嫌気が差したよね?いつもつい熱くなったら止まらなくなるんだ。それで彼女にも愛想尽かされて散々さ。」
スイは落ち込んでいた。
そのため、丁度今、モバンを一望出来る絶景の場所にいる事などどうでも良くなっていた。
「ちょっとあそこで休憩しませんか?」
ザックが示した先には、葉庭に設置されたベンチがあった。
言うに従い、スイはそこに腰を掛ける。
強風が、二人の髪を吹き荒らす。
「自分は、デフォメについてよく解りませんが、スイさんが言った事はよく解りますよ。」
ザックの目は、自然とスイに向かった。
他人の創作を真似、結果自分の個性を埋没させる事は確かに良いとは思えなかった。
だが、ザックはこうも思う。
他人の影響や憧れから始めた真似事でも、そこから徐々に自分らしさを追求し、個性を開花させる者も居るのでは無いのか、と。
話す傍ら、手はカメラに向かっていた。内蔵されたデータの中から、ザックは一枚の桜の情景を選び、デジタル画面に映し出した。
「これは、自分が始めて撮った写真です。」
スイは、その写真に魅入った。
初めてとは思えぬ一枚に感心し、思わず拍手を送る。
「実はこれ、友人のを真似た写真に過ぎないんです。」
だが、これを期にザックは写真に魅入らた。
真似から始まった事だったが、今ではプロの写真家アフィリエイターとして活動している。
その話を、スイは黙って聞いていた。
「もちろん、人の生み出したものを自分のものの様に振る舞うのは恥ずべき愚行です。でも、そういう人達ばかりではないという事を、スイさんに知ってほしかったんです。」
話し終えて数分後…
そこには、ザックに礼を言うスイが居た。
「君の話で思い出したよ。昔、彼女にも同じ事を言われてたって。俺が聞き分けがよかったら、彼女も離れて行かなかっただろうな…」
スイの恋人も、ザックと同じ写真家アフィリエイターだという。
人の幸せを写す事を心情とし、つい最近、思念写真から一眼レフカメラに切り替えたプロの写真家…
そう話すスイは、自分の事の様に誇らしげだった。
(――人の幸せを…つい最近一眼レフに…)
ザックの脳裏に、ある人物の姿が浮かび上がる。
カメラを携え、ここモバンで一緒に一眼レフの訓練をした人物…
「もしかして、彼女はハルカって言う名前じゃないですか?」
聞いて、スイは驚き、知り合いかと聞き返す。
やはりか、とザックは確信した。
(――そういえば、モバンに大切な人が居るって言ってたっけ。)
ザックは、この妙な出会いに感謝し、広い空を仰ぎ見た。
二時間後――
―――――――――
――二人はチャットルームに戻っていた。
巻については振り出しに戻るが、ザックは気落ちしてはいなかった。
心機一転、心を入れ替えいざ前進、という時…
「あ!また盗まれてる!」
客の一人がカバンの中を見、声を上げた。
最近出没中の「怪盗」に、中の物を盗まれたらしい。
「そう言えば、ハルカは今クシミに居るんだけど、そこでもなんか怪盗が多く出るって話してたな…」
蔑むようにスイは言った。
お茶を飲む暇のささいな一言。
数分もすれば忘れるだろう言葉だったが、それはザックの心を強く引きつけていた。
怪盗は、アセンション後のこの時代、そうそう聞く事は無い廃語と化した者達。
それこそディセンションや、ミレマでの様な人為的な何かがない限り増えることなど考えられない事だった。
それがモバンのみならず、クシミにも多数居ると言う事は…
(――彼らはクシミに…)
進化派の力なら、ミレマの時の様に情報を隠蔽出来るだろう事は容易に予想が付いた。
今回確かめた所、モバンでの計画はすでに破棄された様子である。なら、クシミを新たな計画の場にしているのではないか…
ザックの次の行き先は自ずと決定した。
「あ、良ければさっきの写真貰えます?」
別れ際、スイが頬を掻いてザックに言った。
さっき写した写真となると、獅子吼するスイの顔を納めた一枚しかない。が、なぜあれを欲しがるか解せない。
「自分への戒めにと思いまして。僕ってすぐムキになるから…」
そういうことならば、とザックは快く承諾。
すぐ削除しなくて良かったと思うと同時に、人を写して得られた利益に心が踊った。
「あ、ハルカさんと改めて話し合うことをお勧めしますよ。きっと、今のスイさんなら仲直り出来ます。」
スイは笑顔で頷いた。
写真を手渡すザックにも、自然と笑みが溢れていた――
第二十九話「樹と芽と花と」 完
二十九話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
スイ
モバンアマチュアデフェメ編集者「智」
マティス=ハーウェイ
潟躍
ネム