影纏う
――『風花さん。もうすぐ父さんが帰って来るんだ!』
サムは高らかにテレパシーを送っていた。
ザックが居なくなって丸一日。
サムは、ザックの居ないもどかしさを、父の帰郷で相殺していたのだった。
テレパシー仲間「風花」に伝える事で、一層喜びを増幅させる。
隣でサムの面倒を見るルシータも、父の帰りを心待ちにしていた。
『…風花さん、どうしたの?』
テレパシーを受けた風花は、なぜか黙り込んでいた。
父の話が退屈だったのか… サムは思い、話題を変えようとした。
と、その時、力強くドアを叩く音が。
サムはテレパシー中のため気付いていないが、それが誰の者であるかルシータはすぐに気が付いた。
「今帰ったぞ!愛しの我が息子よ!」
大声を上げる男は、案の定、サムの父「テテ」だった。
「え…あ、と、父さん?」
突然の事に、サムは困惑した。
テレパシーを止め、父を見やるが、どうやらまだ実感が湧かないらしい。
「どうした?父の顔を忘れてしまったのかい?」
しばらく呆然と構えていたサムだったが、その一言にようやく現状の中に入り込む。
父の名を叫び、目一杯体を揺らし、遅れ馳せながら騒ぎ始める。
「だって父さん、帰るのに後一時間は掛かるって…」
聞いて、テテは「一秒でも早く会いたかったから急いだ」とはしゃいでみせた。
親子の再会の邪魔をしたくないルシータは、遠巻きに二人を眺めていた。
そんなルシータに気を使ってか、テテは気さくに声を掛けた。
「お前さんが今までサムの世話をしていたルシータ君か。テレパシー以外で会うのは初めてだったっけな。」
差し出した右手に、ルシータの右手が重なる。
細身の割に引き締まった二の腕は、いかに重労働を強いていたかを物語る。
クリスタルの力を生かし、グリーズで発掘作業をしている… 以前聞いた話をルシータは思い出した。
と同時に、サムのコラ化を治す手立てが出来たのだろうという希望が湧き上がる。
「リロードを行う準備をしなくては」と一人心の中で意気込んだ。
しかし…
「ルシータ君。今までありがとな。これは俺からの礼だ。」
それは、予想外の言葉だった。
テテは通貨を手渡す。その行為は、ルシータの開いた虚無感を通過した。
後ろで見ていたサムもまた、「どういう事か」と疑問を投げかける。
不穏な流れに変わる中、テテは妙に明るい高笑いで空気を変えた。そして、家の入り口に向かい扉に手を掛けた。
「実はもう一人ここに来てる人が居るんだ。今迎え入れよう。」
扉がゆっくりと開いた先… そこにはブロンドの髪を肩まで垂らした女性が立っていた。
サムは驚き体を揺らす。
それもそのはず…
「リルアと言います。初めましてとお久しぶり、ね。」
リルアと名乗る女性は、困惑するルシータ達にお構いなしに口を開く。
話によると、以前サムの介護人をしていたらしく、今回行うリロードを引き受けるのは自分であるという。
突然の再会とあってはサムが驚くのも無理はない。
リルアは、角が立たぬようルシータにこれまでの労いを述べる。が、ルシータ本人にしてみれば、どこか嫌みを感じさせる話し方は不快のそれだった。
「とにかくだ、リロードはサムを昔から良く知ってる人がいいんだ。」
テテからも、遠まわしのお役御免宣告が飛び出した。
納得出来ないルシータだったが、親の意向には逆らえず、萎縮。一目サムを見据えた後、家を後にした。
サムは、最後までルシータの名を呼んだ。今にも溢れそうな涙を瞳に溜めて。
「という訳なので、またよろしくね。サム君。」
笑顔で迫るリルアを前に、サムはそっぽを向き、些細な反抗を見せる。
……
サムはなぜか震えていた。
自分でも気付かない程の微かな動揺。
それは、リルアから受ける高圧的な何かを、無意識に感じ取った結果だった――
――「じゃあまたな!そぼろちゃん。」
男に手を振られ、ラーソはチャットルームを後にした。
十件ほどの占術依頼を終え、サムの家へと向かう。
流石に疲労を感じるのか、その足取りは重かった。
空にたなびく雲の群は、気ままに流れラーソを見下ろす。
今日の空は、フォトンエネルギー濃度が地上と随分差があった。そのため、うっすらと雲の影が地に現れていた。
青い色彩の中に、程よく混ざる白色は、疲れた体を包み込む。
(――ザックさんの好きな空だ。)
ラーソは思い、立ち止まる。
きっと、隣にザックが居たのなら、さっとカメラを構えるだろう……
気付けば思念写真を収める自分に、少し恥ずかしくもなり、誇らしくなる。
不思議と心は晴れやかだった。
以前はザックの身を案じるだけで憂鬱としていたラーソだが、今は杞憂より信頼が勝っていた。
帰り道、ルシータと鉢合わせする時までは…
「どうなされたのですか?」
憂いを帯び、歩いてくるルシータとすれ違ったのは、数分後の事だった。
浮ついた瞳に、占術師の勘が不穏な空気を察知する。
ルシータは少し動揺し、先ほど起きた出来事を語った。
聞いて、ラーソは憤慨した。
「…わたくし、テテさんに掛け合って来ますわ。」
勢いに任せ、体を思い切り走らせる。
疲れを感じないのは、疲労より不安が上回っている為だろうか… 今はそれすら考えるのが億劫だった――
―――――――――
――家では、テテが陽気に口笛を吹いていた。
息子との再会がよほど嬉しいのだろうか。だが、サムの面倒は、専らリルアに任せっきりだった。
「サム君。リロードはいつにしよっか?」
枝の手入れをし、リルアはサムの耳元で囁く。
サムは、微かに震えていた。
恥ずかしい訳でも、照れている訳でもない。 なぜ震えが止まらないのか、サムはまだ知り得ていなかった。
「リロードは…まだいいよ。」
小さく応えた後、逃げ出すように瞳を閉じる。
……
暗闇に入り、テレパシーでもしようかと思った矢先、父と話す女性の声が耳に入った。
…リルアの者ではない。
サムは、すぐに誰かを理解し、喜び勇んで瞳を開けた。
そして叫んだ。
サムの声に、テテはようやく目の前で騒ぐ女性が誰なのかを理解した。
「そうか、君がラーソ君か。前に会った時ザックの奴が言ってたよ。予想通りの美人さんだな。」
言われ、ラーソはとっさに頭を下げた。
要件ばかりが先行し、自己紹介をする事無く本題に入ったのだから仕方がない。
テテは「構わない」と笑い飛ばし、話を移した。
「で、さっきの話だが…彼女が介護人になるのが不満かい?」
テテが指を向けた先には、睨むように見つめるリルアがいた。
ラーソは臆せず言い放つ。
なぜルシータを出て行かせたのか、リロードを行うなら一緒に行ったほうが成功率も増すのではないか、と
「残念だけど、リロードは複数人ですれば良いってもんじゃないの。イメージの揺らぎが起きやすくなるから。」
リルアの言うことは最もだった。
だが、それでもラーソは食い下がる。
「サム君は占術師に興味があります。わたくしは占術師です。ですからわたくしも一緒のほうがいいですわ。」
リルアは閉口した。
なぜそこまでしてここに居ようとするのか… 困惑が、怒りを含んだ怠惰感に変わっていく。
「とにかく、今はサム君にとっても大事な時期なの。理由はどうあれ、これ以上関わらないでくれるかしら?」
ラーソはついに言葉を失った。
変わりにサムが名を呼び叫ぶ。
ラーソの腕は扉に向かい、やがて鈴が鳴る。
同時に響いたサムの声は、鈴の音を別れを嘆く哀歌に変える。
「さぁ、サム。父さんと遊ぼうか!」
子の心、親知らず。
なんともマイペースなテテは、サムの頭をしきりに撫でていた――
―――――――――
――ラーソは、空の青ではなく、土の褐色を見つめ歩いていた。
ザックから託された、サムを見守るという約束。 それを必死に守ろうとしたが、苦労は全て水の泡。
すっかり骨抜きにされ、自虐だけが残される。
――いっそ、ザックに打ち明けようか?
思いはしたが、行動には至らない。
(――ヤーニは、計画を拒むワンダラーにだけ現れます。ラーソさんはこのまま計画の事を考えず、いっそ俺の事も忘れて下さい。)
聞かされた言葉を思い出し、再び地を覗き見る。
もう会わない、いや、会えないかもしれないという事実。
解ってはいたが、追い込まれた今になって、決心が揺らぎそうになる自分に気付く。
(――とりあえず、チャットルームに身を置こう。)
僅かに伸びた自分の影を憐れみながら、ラーソはチャットルームへと歩を進めた――
――一方、ここはスパンセ郊外の深い森の中…
緑をかき分け、ザックは一心不乱に歩いていた。
カメラのレンズが痛まぬよう、カバーを掛けておいてはいるが、当のザック自身は、草や花の片鱗まみれとなっていた。
(――そろそろか…)
徒歩を駆け足に変え突き進んだ先には、木々に囲まれた広場があった。
荒らしとの戦い、そして、クルトとの戦いを知る地… そこに、ザックを迎える声が木霊する。
「来たか。 …ってなんて格好してるんだ。」
葉に汚れたザックの姿を、呆れて諫める声の主… それはクルトだった。
「歩いて来ましたからね。とりあえず、お元気そうで何よりです。」
葉を払い、ザックはふっと微笑んだ。
この邂逅の場を用意したのはクルトだった。
ザックがヴァース行きの列車に身を置く中、突如入ったシェインからのテレパシー。
「父さんが会いたがっている」という知らせで、ザックは急遽ヴァース行きをやめ、ここスパンセにやって来たのであった。
テレパシーで話すだけでも良さそうだが、クルトには色々な思惑があった。
「そろそろ俺たちの事を知ってヴァースに行くんじゃないかと思ってね。君のヴァース行きを止めたかった。」
クルトはザックをヴァースには行かせたくはないらしい。
行けば進化派の思う壷。例え戦力が乏しい今の状態でも、わざわざ火に飛び込む真似はさせたくないのが本音だった。
「さて、色々話はあるが、その前に…」
突然、クルトは頭を下げた。
そして、かしこまり礼を言う。
なんの事かと、ザックは困惑。
どうやらシオンの計画を止めた事への礼らしい。
「あいつは俺がかたを付けたよ。最期は自分でループタグを受けて…」
紡いだ言葉を噤み、シオンは不意に横を見た。
以前造られた友の墓がそこにあった。
「…不思議なものだ。いがみ合っていたシオンを打ち負かせばもっと優越感が出ると思ってたんだがね。実際は虚しいだけだった。」
友の墓に手を合わせ、クルトはシオンの面影を一瞬友と重ねた。
ザックもカメラを地面に起き、姿勢を正し黙祷する。
「自分も同じ気持ちです。」
シオンの最期を聞き、ザックにも虚風が吹いていた。
昔いがみ合った仲とはいえ、自分を知っている者が居なくなる事が、たまらなく虚しかった。
「あ、ザック!もう来てたんだ!」
哀愁に浸る二人に、明るい声が滑り込む。
「お前達、家に居ろって行っただろ。」
クルトの声を無視し、ザックの元へ掛ける影は、シェインとカイン。
偶然通りかかったと言うが、来た理由はザック達には見え透いていた。
「別に気になって来た訳じゃないよ。ホントだよ。」
その意地になる姿は、どこかサムを連想させ、ザックの心を落ち着かせた。
「とりあえず家に行こうか。」
クルトの機転に乗り、四人は広場を後にした――
―――――――――
――家に着いてから数時間。
空の青さは変わらぬものの、若干空気は冷え込んでいた。
庭先に風を切る音が複数。
そこには腰に拳を据え、四股を構えたシェイン達が居た。
風の音は、どうやら打ち出す拳撃のものらしい。
二人の姿を、ザックは二階の部屋からそっと覗き見ていた。
「だいぶ上達しただろ?」
一緒に眺めるクルトは、どこか誇らしげだった。
このまま眺めているのも悪くない… 一瞬思うが、そうは問屋が卸さない。
クルトは視線をザックに向けた。
「これから知っていることを全て話す。」
本当なら前に会った時に話しておくべき事だと自分でも理解していた。が、あの時はシオンに監視され、テレパシーすらままならなず、どうすることも出来なかった。
だが今は違う。
クルトは思いのままに事実を告げた。
アセンション達成要素である「ディセンション抑止」、「ワンダラーアンチ」は順調に進行している事。
何より、ワンダラーアンチは後一歩の所まで進んでいる事…
聞いてザックは「やはりか」と落胆した。
止めなければならない。だが、計画を進めるヤーニの足取りが掴めないのなら、方法はやはり一つしか思いつかない。
ヴァースへ… カニールガーデンへ行こう。
ザックの決意を固めた時、クルトはそれを見抜いてか、慌てて制止した。
「これを見てくれ。」
《#A0S#》
チャットリングで示した文字は、どこかタグを彷彿とさせるが、意味の見いだせない不可解なものだった。
「これは、アセンション達成に必要な、インディゴの魂を…」
「魂をクラインの壺に収めるタグ、ですか。」
クルトは驚愕した。
知らない話だろうと思い言っていた矢先、まさかザックから答えを受けるとは思いもしなかった。
それに、「クラインの壺」という聞き慣れない言葉が、さらに困惑に拍車をかけた。
ザックからしてみれば、クルトが「クラインの壺」を知らない方が意外だった。
どうやら、魂を保存するという役目を命じられているだけで、深くは知らされていないらしい。
教えるつもりが、教えを受ける立場となったクルト。
悩んだ末、ザックは知りうる全ての事を話すことにした――
―――――――――
――かつて、ネメシスのエネルギーを受け、進化を果たしたワンダラー達。
彼らは、皆同じ目的のため行動し、事を起こす日を待ちわびていた。
――アセンション。
それは、全ての生命、世界の概念を高次元なものへと進化を促す行為。
決行の日、それは完全とは行かないまでも確かな進化をもたらした。
だが、全ての生命がアセンションを達成出来た訳ではなかった。
深い業に支配された魂の者は、アセンションに影響を及ぼすため、ワンダラー達から除外されていたのである。
事を起こす日までの数年間、ワンダラーの中で「ブリッジ」と呼ばれる者達が、アセンションとは別の行為、ディセンションを決行。
ディセンションは魂の次元を落とす行為であるため、その影響をアセンションより強く受けた者は進化に足らない者だとされ選別され、特殊な空間へと誘われた。
「その空間こそが、クラインの壺と呼ばれるものです。」
クラインの壺は、ブリッジが作り上げた特殊磁場が支配する思念の世界。
表裏の区別や境界を持たないその世界は、魂を無限に保管するいわば魂の貯蔵庫。
保管された業の深い魂は、充満するネメシスウェーブによりいくつもの浄化と再生を繰り返し、やがてフォトンエネルギーに変わり、ようやく進化を許される。
「彼らが利用しようとしているのは、そのフォトンエネルギーです。」
だが、なぜそこに進化派はインディゴの魂を入れているのだろうか… クルトが聞こうとした時、ザックがそれより早く答えた。
「…インディゴの魂は特別でしてね。それに、クラインの壺は一度使われて消費しているんです。その無くなった分を補うためかと思います。」
荒らし―インディゴは、新人類の突然変異体。
故に魂の次元は他の種を凌ぎ、溢れる生体磁場の質も他の者とは異なっていた。
「止めないとな。何としても。」
クルトは、先にこのクラインの壺に関する計画を止めてほしいと言った。
だが、ザックの方はワンダラーアンチが気掛かり。
互いの意見が割れるかと思いきや…
「ヤーニを覚えてるか?彼がワンダラーアンチ担当だったんだが、どういう訳か今スランプらしいんだ。」
話によると、ヤーニはワンダラー感知能力が思うように発揮出来なくなっているとの事。
ザックは目を丸くした。
タルパとして生まれたヤーニが、与えられた能力を突然発揮出来なくなるものか… 信じがたい事だったが、事実ならそれに越したことはない。
冷静になり、そこに勝機の光を見いだした。
「ワンダラーアンチは一時ストップだろう。だから君にはインディゴの件を。」
クルトが言うインディゴの件は、進化派の一人が以前から秘密裏に行っていた計画の事だった。
計画遂行地は「モバン」。
「だが…俺にも誰が計画を進めてるかよく解らないんだ。」
クルトは不甲斐ない自分に頭を抱えた。
助けになりたいが、これ以上引き出すものは何もない。
だが、ザックは追求しようとしなかった。むしろ微笑すら浮かべていた。
――メンバーですら知らない人物と言うことは、それほど重要な人物だということ。
その者を探り当て、打ち取ることが出来れば多大なダメージを与えることが出来る… ザックは久しぶりに目を鋭く光らせた。
「ザック!一緒にやろうよ。」
高い声が窓から入り込む。
庭先をのぞき込むと、シェインが手を振っていた。
「ちょっと相手してきます。」
ザックは、わざわざ階段を伝い、二人の元へと向かった。
途中で会ったレリクと会釈を交わす。変わらぬその笑顔は、ザックの心を潤した。
フォトンエネルギーが低下し、庭先はうっすらと影をまとい始めていた。
その中で子供達は、互いに負けじと拳を突き出していた。
ザックの姿を見、シェインは得意げに跳躍し、空中で蹴撃を決め込む。
勇ましい様は、まさに成長と訓練のたわものか。
「僕だって!」
カインは自信満々に言い放ち、兄より高く跳び空中で回し蹴り。だが、力が入りすぎたためか、着地がままならない。足を挫き、顔から地に飛び出した。
鼻を高くするつもりが、鼻を折る形となり、悔しさで泣き顔に変わってしまった。
こういう所は子供らしい… ザックは思い、労いと注意を混ぜ慰める。
「大丈夫。すぐに出来るようになるよ。無理をしないで気軽に行こう。」
影がかったカインの心は明るくなった。
だが、ザックは知らなかった。
それは、これからの自分に対して無意識に言った言葉でもあることを――
第二十八話「影纏う」 完
二十八話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
テテ
リルア
ルシータ
シェイン
カイン
クルト