流動
――ガーデニングと発掘の都市グリーズ。
そこは、美しく着飾った庭達が人々の目を惹きつけ魅了する地。
多くの家は、建物よりも広大な庭を構え、華麗さを演出していた。
だが、中には華やかさとはかけ離れた屋敷も存在する。
――誰も訪れることの無くなった廃墟の屋敷。
都市の者は、その屋敷を口々に不気味な場所だと蔑んだ。
そんな忌み嫌われた屋敷に、一人の男がやってきた。
頭をむさ苦しく生え揃わせ、無精髭を蓄えたその外見は、廃墟の陰湿さと同化し滑稽さすら感じられる。
だが、男の足取りは外見に似合わず軽かった。
迷いもせずに歩く様は、来慣れた者だと物語る。
長い廊下をひたすら歩く足は、突き当たりに差し掛かった所で静止した。
左右に分かれた廊下を前にし、迷っているのだろうか?
否。
本当の目的は、眼前の大理石の壁にあった。
「テテです。開けてくれますか?」
途端、壁が蜃気楼の如く揺らめき始め、大きな口が闇を開いた。
中に入り、道を歩けば、聞こえ始める人の声。
廊下を抜けた先には大きな広間があり、複数の人だかりがあった。
その内の一人、黒い短髪の男がテテを見るなり声を発する。
「テテさんかい。久しぶりだね。今度は何の用件で?」
周りの者達は静まり返った。
どうやら、話した男はこの中でも権力者のようだ。
皆に見つめられ、テテはここに来た理由を話し始める。
「実は家に帰ることになりましてね。だが、一つ厄介な事が…そこで以前世話になった者を貸してほしいんだ。」
テテは辺りをもう一度見渡した。
ざっと五十人。部屋には男女が混合するが、テテはお目当ての者を見つけられなかった。
「リルアの事だな。彼女は今、別の仕事をしていてね。だがもうじき来るはずだ。」
その言葉に、テテは小さく頷き、もう少しここに居ると告げた。
黒髪の男は狡猾な笑みを浮かべ、テテを改めて迎え入れた――
――カニールガーデン最上部。
遥か地平線を眺める事の出来るこの部屋に、喜々とする男女の声が響いていた。
「休暇ですか!ありがとうございます!」
両手をあげて喜ぶ男からは、なにやらコーヒーの香りが立ち込めていた。
デフォルメーション作成協力者、クロンの身辺警護を最近任されたビンズである。
その警備対象のクロンは、隣で「はしゃぎすぎだ」と笑って諫めていた。
以前の内気な性格はどこへやら、ビンズと戯れる姿は、明るく活発的だった。
その変化は誰によるものなのか想像するまでもない。
「久々の休暇だ。ゆっくり羽を休めたまえ。」
二人の前には、クレロワと音吏が立っていた。
クレロワは、休暇の話を終えた後、旅先で万一の事があれば直ぐに連絡をするよう忠告した。
クロンには熱狂的なファンが居るため、いつ暴漢が出るか解らないためである。
その配慮に、二人は喜び首を縦に振った。
さらにクレロワは、音吏を名指し、一言追加する。
「いざとなればこの者が駆けつける。危険と判断したら忌憚なく言ってくれ。」
聞いてビンズは、音吏をまじまじと見つめ、自信満々口を開いた。
「大丈夫です。俺一人で十人分の働きをしてみせます!」
その後しばらく、上機嫌な声が響き続けた。
クロンは一礼した後、雲雀となったビンズを強引に引きずり部屋を後にした。
二人きりとなり、一旦静まる最上部。
が、すぐにクレロワの低い声が辺りを駆ける。
「…では聞かせて頂こうか。あなたの計画とやらを。」
少し間を置き、音吏の声が加わった。
「彼らには反逆者をおびき寄せる媒体となってもらう。」
話によると、いつかのリリ生誕日に襲撃を仕掛けた者達をおびき寄せるため、ビンズ達を使うらしい。
襲撃者はワンダラーでは無かったが、リリを含む進化派の状況を詳しく把握していたことから、背景にワンダラーが居ることは明白。
音吏はそれを逆手に取り、彼らにだけ伝わるように「ビンズ達は進化派の一員」だと世界中にばらまきおびき寄せようとしていたのだった。
だが、クレロワはすぐ計画に反論を加えた。
仮に彼らがクロン達を襲撃してきたとしても、どうやって見分けるつもりなのか解せないからである。
「知っての通り、クロンには常に蛮人がつきまとう。その輩と襲撃者を見分ける自信はあるのかね?」
言われ、音吏は口を動かさず、なぜか腕を動かし始めた。
テーブルに手を翳し、念じる様に力を入れる。
何も置かれていないテーブル上、そこから突如、小さな石が複数個現れた。
「ウィドマンシュテッテン構造」と呼ばれる、特殊な網目模様を持つその石を見た時、クレロワの表情に変化が生じた。
「これほどの高品質なギベオン… 一度に見れるとは驚きだ。」
――ギベオンとは、パワーストーンの一種でメテオライト(隕石)に属する石である。
それは他のパワーストーンより極めて貴重なため、高品質の物は数個として見ることは出来ない。
また、宇宙から伝わりし石のためか、その効力は凄まじく、パワーストーンの帝王と比喩されるほどである。
「このギベオンは、全てリリを襲った者達から頂いたもの。これだけのものを偶然三人が所持していたとは考えにくい。恐らく組織的に集められたメンバーに支給されたものだろう。」
ギベオンに残された力の履歴を調べても、所持していた本人以外に石を使った形跡は無かった。
それは、捕まった際、他の者の情報を探られない為の策だと考えればどうか…
根拠はそれだけではない。
「ギベオン一つ一つに、石の効力とは違う別の力が働いていた。"私の力"によく似た力がな。」
その不可解な力の働きにより、リリの蛮人探査の目から逃れていたのではないのか… 音吏はそう考えていた。
「最近巷では、煽り屋同士が集まり組織的な蛮行を犯しているという噂が流れている。我々を良しとしないワンダラーはそれらと手を組んでいる可能性もある。」
音吏は、リリが生誕式の帰りに襲われた時、本人から聞いた襲撃者の情報を整理した。
その結果、口振りや態度から、それらは煽り屋やディセンションを受けた蛮人達に酷似していた事を思い出す。
「いずれにしても全てはこれから解ることか…」
クレロワは、計画の成功を願うと同時に、クロン達の安全も保証するよう念を押した。
「時に、マティス達はどうしている?」
話を終え、音吏は話を切り替える。
クレロワは「彼らは問題なく動いている」と告げ、コーヒーを音吏に差し出した。
「では、乾杯といこう。私達の計画の成功を願って――」
――クレロワ達が噂するマティス達は、今、とある地の潮風吹き荒れる海岸にいた。
武器を構え、見やる先には女性の荒らし。
「幽霊の浜風ってやつか。」
「…多分、意味が違うと思う。」
潟躍の茶化しをネムが濁す。
同時に戦いが始まった。
スクリプト(指先を使わず、体全体でチャットリングを行う行為)による無数の文字が荒らしから溢れ出し、マティスに牙をむく。
文字化けしたチャットリング文字は、一つ一つが質量を持っており、迂闊に飛び出せば打撃を見舞われる恐れがある。
潟躍はそれを、滑空しながら見事にすり抜け、マティスは腕力をもって撃ち落とす。
その間、空中を目にも留まらぬ速さで浮遊する荒らしを、ネムは冷静に眺めていた。
潟躍に対し、そのままの位置で上空に思念波を放つよう指示し、マティスには前方に大きく跳躍するよう促す。
不規則に見えた荒らしの動きから、ネムは僅かに見受けられるパターンを読み取り、数秒先の展開を予想していたのだった。
思念波を打ち出すのが苦手な潟躍は、渋い顔を見せるが、地に足をしっかりと据え、渾身の一撃を空へと放つ。
手応えは感じられないが、それは確かな効果をもたらした。
潟躍が見上げた先…
先ほどまで頭上近くを浮遊していた荒らしは、遥か上空に吹き飛んでいた。
思念波をダイレクトに受けた荒らしを、ネムの指示通り跳躍していたマティスが迎え撃つ。
「命長ければ恥多し。潔く散るんだな。」
装飾されたヘマタイトを黒光りさせ、右手の短剣が荒らしを一刀両断切り裂いた。
勢い良く着地したマティスを、二人は明るく出迎えた。
「これで昨日の数を越した訳だが…日に日に俺たちの力もあがってるってことか。」
潟躍は棍を置き、得意気な声を上げた。
「でもマティス。一体いつまで協力するつもりなの?」
「とりあえず、俺たちに余裕がある内だな。」
マティス達二人はいつもの通り、潟躍そっちのけで話し混む。
話す最中、ネムの脳裏には一週間程前の出来事が駆け巡っていた――
――海底遺跡から戻った直後、マティス達三人はカニールガーデンのクレロワの元を訪れていた。
久々の再開に笑みを見せるクレロワに対し、マティスは早々に本題を切り出した。
「なぜ俺たちにサフィームを発見させた?」
その問いは、クレロワの笑みを掻き消した。
凄むマティスだったが、他の二人は違っていた。
サフィームの発見は誰かの目論みによる事は、海底遺跡を訪ねた時に知った事実。
だが、それにクレロワが関与しているとはどうしても考えられなかったのだ。
「クレロワさん。確かに俺たちはあなたの依頼で遺跡に向かった。だが、サフィームはあなたに関係ない事ですよね?」
潟躍の声は弱々しかった。
心に抱く尊敬の念が、信じたい気持ちを増していた。
沈黙が長い時間闊歩する。
やがて、観念したのかクレロワの重い口がゆっくりと開いた。
「全て君の察した通りだ。」
潟躍とネムは落胆し、マティスは微笑を覗かせた。
事実を認めたクレロワだが、なぜサフィームを発見させたのかについては「独断では回答しかねる」と頑なに言おうとしなかった。
更に聞き出そうと詰め寄った時、マティスの口が開くより先に部屋の扉が開かれた。
「…あ!」
扉から現れた白髪の老人を見、潟躍は小さく声を漏らした。
が、すぐに押し込め、平静を装う。
「初めまして。私は音吏という。君達の話は聞いておるよ。」
音吏が詳しく自己紹介を続ける中、潟躍とネムはテレパシーを送りあっていた。
『おい。このじいさん、あの時の…』
『うん。間違いない。』
ネムの返事に、潟躍は確信した。
いつかのメリアでの生活時代、ザック達の居場所を訪ねて来た人物だということを。
まさかの再会に、あの時の話を聞きたいという衝動に駆られるが、今はサフィームの事が先決。
冷静さが、吹き出る感情を適度に冷やした。
「サフィームの話に触れるには、まず話しておかなければならない事がある。」
言いながら、音吏はどうしたものかと思案した。
サフィームを発見させた理由を語るには、アセンションの事を語らねばならないためである。
自分達がアセンションを行おうとしている事実は、なんとしても隠し通す必要があった。
思考を重ね、音吏は一挙両得の案を思い付く。
それは、事実の中に都合のいい作り話を混ぜ、あわよくばマティス達を仲間に引き入れる鎹思案ともいえる知だった。
口元を緩ませ、始めに語ったのはワンダラーの事だった。
その生誕、行い、そして、現代に至る世界のあり方を決めるワンダラー同士の争いの事実。
「ディセンション」によって、世界の時間軸を変え、文明の改変を行おうとする者達が居る事実。
ディセンションには「ネガティブオーラ」が必要になるという事。
そして… 自分達はその不義の者達と争っているという事。
「話した通り、ネガティブオーラは人々のマイナス思念によって溢れ出す。我々は、それを抑止するために必要なポジティブオーラを世界に蔓延させ彼らに対抗しているのだ。サフィームを君達に発見させたのも、それに関係しておるのだよ。」
――世界中に名の知れた著名なアフィリエイターが、遺跡から偉大なる発見をした… その事実は、世界中にポジティブオーラを蔓延させる素材になりうる。
さらに、サフィームの内容に触れ、自分達はまだ進化しえる存在だと知った人類は、一層の向上心を持ち邁進するだろう――今話した事は概ね本当だった。
ただ一つ、自分達もアセンションにより世界を変えようとしているという事実を改ざんし、世界の救世主然としていることを除いては…
「そうだったんですか!全ては世界を守るためだったんですね!」
潟躍はすっかり音吏を信じ切っていた。
さらには、自分達にもなにか協力出来ることはないかと聞き、意気込みをみせる。
その間ネムは、じっとマティスを見つめていた。
音吏を信頼してはいるが、それよりもマティスの黙りようが気になる様だった。
「実は、彼らに対抗するために必要なものがあるのだが… それを確保するのに少々手間取っておるのだ。」
そして、音吏の偽りはさらに続いた。
ディセンションに対抗するためには、ポジティブオーラ蔓延の他に、極めて高濃度の生体磁場が必要になると言い、その確保をマティス達に願い出る。
高濃度の生体磁場は、クリスタルやバイオレットからは確保出来ない。
そのため、利用するのはインディゴの魂だという。
「我々はこれまで、インディゴ、いや荒らしを浄化した際、あるタグを使い湧き出る生体磁場を確保して来た。それを今から君達に教えよう。」
今にもやる気満々といった状態の潟躍だったが、ここに来てようやくマティスの異常な静けさに気が付いた。
機嫌が悪いのか…
リリにワンダラー捜索を頼まれた時の様に、また冷たく突っぱねるのでは…そう潟躍が危惧した時・・・
「解った。協力しよう。」
マティスの目はやる気に満ちていた。
相手が荒らしだからだろうか、以前からの執着を思えば、潟躍たちにとってその応えは不思議なものでは無かった。
「マティス!信じてたぜ。お前にも正義感があるってな!」
小うるさい潟躍の口は、ネムがラインタグで塞ぐまでしばらく動いた。
静かになった所で、音吏は改めて協力内容を提示した。
「仲間の一人が、都市に荒らしを多数呼び寄せる事に成功した。君達は今すぐその地に向かい荒らしを浄化してほしい。」
そして、浄化した際に溢れる生体磁場を保存するタグを教えようと指を構える。
が、マティスはそれを制止した。
タグは自分だけが解れば良いと話し、頑なにそれを要求する。
「潟躍はタグを使えないしな。ネムには俺がゆっくり教えた方が良いだろう。」
音吏は悩み思考するが、マティスの気を変えさせる訳にはいかないと判断し、それを承諾した。
タグを教えられ、三人は士気を高めあう。
そして、早速荒らしが集まるという都市へと向かった――
―――――――――
――回想を終え、ネムは空を見上げた。
マティス達は、荒らしを浄化し終えたにも関わらず、武器を携えたままだった。
それは、戦いが再び始まることを意味していた。
「出たか。」
先ほど荒らしを浄化した場所から、不穏な気配が放たれ始める。
次の瞬間、そこから三体の荒らしが姿を見せた。
もはや性別やおろか、人の姿さえも維持できていないその魂は、浄化した荒らしから放たれた分身体。
アバターやタルパに近い原理で現れた異端の存在である。
通常、荒らしがこのような変異を遂げることは滅多にない。
未熟なアフィリエイターが浄化をした場合、また、特別強い力を持った荒らしの場合は再び現れることがあるが、今の変わり様はその最たるものといえる。
それを成し得るのは、この地に流れる特殊な雰囲気。
以前、音吏の作成した荒らしを呼び寄せる音色がこの土地中に流されていた。
それは、一般の耳には伝わらない特殊な音程に改良されており、同時に荒らしの力を向上させる効果を秘めていた。
分身体という変異もこの音色によるものである。
都市に集まるほぼ全ての荒らしが変異を遂げるため、浄化数は通常の三倍近くに登っていた。
「俺は二体浄化する。お前達はそっちを頼む。」
マティスは、ヘマタイトと短刀を再び光らせ向かっていく。
潟躍もまた、真新しい棍とグリーンルチルを輝かせ、荒らしの元へと向かっていった――
―――――――――
――その頃、ザックは深い森の中でカメラを輝かせていた。
ワイスを離れヴァースへ向かったはずなのだが、周りにあるのはビル群ではなく、木と岩肌の群。
とてもヴァースの風景には思えない。
…それもそのはず。
ここは、ヴァースから遠く離れた地「スパンセ」だからである。
そして今、ザックが居る場所は、再三訪れたレリク達が住む森だった。
鳥の囀りに耳を傾け、路傍に咲いた花に目を奪われる。
そして、微かに聞こえる川の音は、ザックの心を流動させた。
そういえば、長時間一人で居るのはいつぶりか… そう思った時に、ラーソの姿がふと浮かぶ。
寂しさと、自然から得る躍動感を同居させ、ザックは獣道を歩いていった。
その先に待つのは、正か邪か――
第二十七話「流動」 完
二十七話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
テテ
クイネス
クレロワ=カニール
マティス=ハーウェイ