光射す
――木造の、簡素な作りのテーブルの上。
そこに、縦八、横八の升目模様がチャットリングされていた。
ラーソは、それを凝視しながら、右手の人差し指を左下の升目にそっと入れる。
途端にその部分が黒く滲み、ラーソの指は、そのまま斜め上の升全てを黒く滲ませていった。
それを見、向かいに座ったザックが感嘆の声を上げた。
「お見事です。やはりラーソさんにはかないませんね。」
二人が行っていたものは、チャットリングだけで行う「オセロチャット」という遊戯である。
通常、それはオセロ盤が設置されていない列車の中で行うもの。
それを今行っていたということは…
「そろそろ着きますわね。」
横の窓を流れる景色を見、ラーソが言った。
そう。ここは列車の中。
ルシータから聞いたミレマの異変が気になったザックは、数日掛けミレマにやって来たのであった。
車窓を流れる風景が、ゆっくりとなり始めてしばらく後… 汽笛が、旅の終わりを高らかに告げた。
二人は背伸びをすると、列車を降り、ミレマの地に一歩踏み出す。
だがその時、ザックは思わず列車に引き返したくなるほどの不快な衝動に襲われた。
ラーソも村の異質さを肌で感じ、身をすくませる。
村を覆う異常に沈んだ空気が、二人に重くのしかかっていた。
それは、ルシータの話が単なる噂話ではないと悟るには十分なほど不快なものだった。
「…まずは、チャットルームを目指しましょう。」
額を伝う汗を拭い、ザックは勇んで歩き始めた。
チャットルームといっても、ここミレマは、それが一カ所しかない不毛の地。 駅から遠く、その上、ほとんどの道はろくに固められておらず、小さく尖った岩がむき出しになっていた。
二人は、その無骨な道を浮遊することなく歩き続け、ようやく目的のチャットルームに辿り着いた。
土を固めて建設されたミレマ独特の土屋は、一見するとチャットルームとは思えぬ簡素な外見をしていた。
中に入り、初めにするのは、疲れた体を癒すお茶の注文。…ではなく、村の異変についての情報収集。
「あんた達みたいに聞いてくる奴は、この間もいたな。」
客はそこまで言うと、皆一様に口を閉ざした。
ザックは、客達の閉ざされた口を開けるべく、所持した硬貨を差し出ししつこく食い下がる。
その誘惑に負け、客の一人が話し始めた。
――インターナルという楽団が奏でたある音色が、村の異変の原因かもしれない。
村ではそのような噂が立っているらしい。
インターナルは、村唯一のチャネリング施設によく居るとの情報を貰い、ザック達は早速そこに向かった――
―――――――――
――再び凸凹道を歩き始め、見えて来たのは真っ白い建物。
チャネリング施設と言えど、村の風習に習い、建物は土屋で出来ていた。
その雪玉のような建物に近付いた時、ふと、ザックの耳に風に乗った音色が届いた。
その調べを調べに、二人は建物へと急ぐ。
歩み寄る度音色は鮮明になり、入り口に来た時にははっきりとリズムが理解出来た。
戸を開けて、見えた先には白一面。そこには二人の男女が立っていた。
先ほどの音色の主はこの男女だろう… ザックは思い、不安げに見やる二人に自己紹介を始めた。
それを受け、男女は怪しみながらも名を名乗る。
「俺はムゲ。こっちはスズナ。俺達はインターナルって楽団をしている。」
握手を交わした後、インターナルの二人は少しだけ表情を綻ばせた。
だが、村の異変についてを聞かれた時、突如ムゲは血相を変え、ザックの胸元に掴みかかった。
スズナは慌てて止めに入るが、以前ムゲの激情は変わらない。
「お前ら、さてはあいつらの仲間か!だから異変を知ってるんだな!?」
言われ、ザックは胸元を掴まれながら思考した。
(――あいつら、か。)
呟くと、胸元を掴むムゲの両手を、下方から自身の腕を勢い良く上げ、振り払う。そして、バランスを崩、よろめくムゲを、勢い良く投げ飛ばした。
「俺は村の異変を解決したいんです。だから、あなた達が知っていることは全て話して下さい。」
突然の出来事に唖然とするスズナ。ラーソも同様に口の閉め方を忘れ、立ち尽くした。
投げ飛ばされてすっかり大人しくなったムゲは、渋々ながら言われた通りに従った。
「…俺達は、元々売れない楽団だったんだ。」
そう切り出すと、一連の出来事を語り始めた。
――クルトという者が突然ある楽曲を提供した事。
――その楽曲を演奏した後、瞬く間に人気を博し、名を馳せるようになった事。
――その後、村に異変が起き、自殺者が増え始めたという事…
「俺達も薄々気付いていたんだ。俺達の演奏した曲が原因じゃないかってな。そんな時だ。シオンって奴がやって来たのは。」
――以来、シオンは常に提供した曲を演奏するよう脅迫してきたと言う。
「シオン…やはり彼らの仕業でしたか。」
ザックは壁に寄り掛かり呟く。とその直後、ムゲが疑念の眼差しを向けているのに気がついた。
シオンを知っている風な口振りが、疑心暗鬼を誘ったらしい。
ザックは、「昔いがみ合った仲」とだけ告げ、口を閉ざした。
疑いを晴らすには、全て話した方が得策と言える。だが、ザックはあえてムゲ達の決断に委ねる事にしたのだった。
「…わたしは信じる。この人達からはシオンのような歪んだオーラは感じないもの。」
スズナはそう言い、ラーソに右手を差し出した。
その腕は微かに震えていたが、伏し目がちなスズナが見せた前向きな姿勢は、ラーソに安堵をもたらした。
ムゲも、スズナを習い渋々ながら握手を交わした。
ひとまず落ち着いた所で、ザック達は物事の深淵に踏み入れた――
―――――――――
――村の異変について話し合うこと数十分。
その結果、やはり提供された楽曲に原因があると四人は結論付けた。
だが、それを知った所でどうするのか… そう愚痴るムゲに、ザックは勇んでこう言った。
「今ここで、その曲を演奏してくれませんか?」
その瞬間、空気の流れる音が聞こえるほどに辺りは沈黙した。
ムゲ達は頑なに首を振り、否を貫こうとする。が、ザックの脅迫めいた眼差しを受け、戦々恐恐。
ラーソは、その場の空気を和らげようと茶化しを入れ、二人の気持ちをなんとか落ち着かせた。
「…解った。演奏するよ。だが、あんた達になにかあっても知らないぞ。」
虚勢を張ると、ムゲ達は床に置いていた「ギター」という旧文明から伝わる楽器を手に取った。
一呼吸し、奏でる姿勢を整える。
ラーソも同様に一呼吸し、ザックとムゲ達を見つめ始めた。
占術師としての能力を生かし、演奏中のインターナルと、それを聞くザックの生体磁場に異変が生じるかを確かめる為である。
演奏の準備は整い、いよいよ件の楽曲が流れた――
「なるほど…人気が出るのも解ります。」
演奏が終わり、ザックが発した第一声はそれだった。
聞いただけでは特になにも感じない。
物静かな音色、愛する者を失った女性が、亡き恋人を思い、やがて自殺を決意するといった内容の歌詞は、確かに憂鬱さを感じさせるが、それだけで村中が陰気になるとも思えない。
そんなザックの疑問を解消したのはラーソだった。
「ザックさんにはあまり変化はありませんでしたが、ムゲさん達のオーラリズムに異常な変化が見られましたわ。」
さらにラーソは、この楽曲には人の魂を不安定にさせるリズムと、ストレスを与えるリズムが組み込まれていると憶測した。
快刀乱麻を断つ。だが、ザックは以前暗い顔をしたままだった。
「おそらく、それだけで村中がここまで沈む事はないはずです。なにか呪詛のような力が働いているはず。」
それこそ、ディセンションのような…
言いかけて、ザックはとっさに口を噤んだ。
「そういえば、シオンは一週間に一度、なぜか新しい譜面を持ってくるんだ。もう見ないでも演奏出来るっていうのに。」
いかにも裏がありそうな話である。
ザックは気になり、シオンが最後にここを訪れたのはいつかを聞いた。
ムゲは六日前と即答し、おそらく明日またここに来るだろうと震えて話す。
いずれにしても歌が元凶であるのは確か。
その事実を知り、ムゲ達は一層の落胆をみせた。
「俺たちはつくづく愚か者だ。ミレマに恩返しするどころか、逆に仇を返しちまった。」
――音楽隊を始めて数年。一度も日の目を見ず、すっかり自信を無くした頃、ミレマを訪れた時に見た夜光祭という祭りで人生観が変わったというムゲ。
闇を切り裂き、夜空を美しく彩る花火。
闇道を導くように光を放つ土屋の明かり。
「その光が、わたし達の行くべき道を照らしてくれた、そんな気がしたの。」
美しい記憶と、今の現状の落差ぶりに、ムゲ達はうっすら涙を浮かべていた。
話を聞いた時、ふとザックの頭に光がさした。
今からでも夜光祭を始めることは出来ないか、と。
二人に持ちかけようとした矢先…
「なら、今からでも出来ません?夜光祭。」
ラーソもまた、同じ考えを抱いていた様だった。
夜光祭は、一年に一度、長く続く夜に開催する習わし。
早速気象予知を行った所、明日と明後日の二日に渡り夜が起きると解った。
通例よりだいぶ短いが、それで事足りるはず。
「明日は丁度シオンが来る日。なら、シオンが逃げ出すような祭りを開きましょう。」
ザックはそう言い、腰砕けになった二人に一枚の写真を差し出した。
以前の夜光祭の時に写した花火の写真… それを見るなり、ムゲ達の目は輝き始める。
「そうだな。…俺達はなにもしないで震えるだけだった。…解った。出来る限りやってみるよ。」
かくして、四人が主催の、稀にみる夜光祭の企画が始まった。
夜光祭は、メインである花火、土屋の扉を全て外し、それ自体を巨大なランプに見立てる土屋ランプ。そして、今回初となるイベント、インターナルによる演奏会を開くことで纏まった。
花火に使う火薬と、土屋を中から強く照らすランプといった道具は、全てミレマの集合倉庫に保管されているため、集める徒労は省かれたが、一つだけどうしても足りないものがあった。
インターナルのメンバーである。
「俺達は元々五人だったからな。それが、例の事件で減っちまったんだ。」
元々、ムゲはボーカルでスズナは鍵盤の担当者であった。
自分達が納得する演奏をするには、後一人、ギター演奏者が必要だという。
新たな問題に困り果てるムゲ達。
と、その時…何を思ったのか、ラーソは床に置いたギターを手に身構えた。
右手で束ねた髪をいじると、今度はギターの弦をいじり、徐に奏で始める。
そこから聞こえる音色は…
「思わず聞き入ってしまいましたよ。ラーソさんにこんな才能があったなんて。」
ザックは、オセロで負かされた時と同様、感嘆した声を上げ拍手を送った。
と、そこに、拍手に拍車をかける複数の歓声が。
「ラーソさん。良ければ明日、俺達の協力をしてくれ!」
ラーソの両手を握り、興奮気味にムゲは言う。
――元々、引っ込み思案の自分を変えたいと思い過去にギターを習ったラーソ。それが、こんな時に役に立つとは… 本人にも驚きの事だった。
痛いくらいに両手を掴まれ、ラーソは喜々とする一方、困惑を浮かべていた。
だが、ムゲはお構いなしに仕切り出す。
「まず、村中にこの事を伝えよう。その後は、明日の舞台に向けての猛特訓だ。」
先ほどまでの陰気な部分はどこへいったのか… そう思いながらも、ザックは素直に喜んだ。
スズナは仕切るムゲを見、涙を浮かべ頷いていた。
それは、先刻見せた悲観の涙ではない。笑顔という喜びの上に浮かんだ、希望に満ちたものだった。
それから丸一日後――
――「どこに行く?」
カニールガーデン入り口。 そこに、シオンに向かい悪態付くクルトの姿があった。
シオンは嘲笑し言葉を返す。
「貴様にはもはや関係無いことだ。」
去りゆくシオンの後ろ姿を、クルトは歯ぎしりし見送る。
――行き先はミレマに決まっている。
それを知りながら、咎められないもどかしさ、後ろめたい感情が自分の心を自虐する。
――今は、協力者の後ろ盾に頼るしかない。
そう言い聞かせ、自身を正当化させるが、やはり問答は絶えず苦悩は続く。
本当になにもする事が無いのか…
――否。
クルトは、突然顔を上げると、一目散にリリの部屋へと駆け出した――
―――――――――
――「シオンは今ミレマに向かったはずなんだ。一度でいい。あいつのオーラを調べてみてくれないか。」
リリに会うなり、破竹の勢いでクルトは言った。
「またシオンの悪口ですか?いい加減にしないと怒りますよ。」
寝起きを起こされた上、聞きたくないシオンの事を聞かされたリリは、いつにもまして機嫌が悪い。
凄まれ、クルトは逃げ出したくなる衝動にかられるが、男は度胸とばかりに歩み寄る。
「調べるのが嫌なら…ヤーニを俺に貸してくれないか?」
必死に懇願するその姿に負けたのか、リリは面倒そうに受け入れた。
クルトが去り、部屋に再び流れる一人の時間。 妙な寂しさを感じながら、リリは再び数分間の眠りについた――
―――――――――
――カニールガーデンを出たシオンは、夜の闇に身を置いていた。
クルトの予想通り、シオンはミレマを訪れていたのだ。
チャットルームを経由することなくジョウントタグを使えるシオンは、ミレマの入り口に当たる森の中に居た。
――夜という憂鬱した状態は、計画を益々有利にさせる。
一人ほくそ笑み、歩を進める。
だが、森を抜けた時、湛えた笑みは消えた。
村中が、華麗に輝き、夜を照らす。その幻想的な光景に、シオンは眉間にしわを寄せ立ち尽くした。
淡い光に包まれたミレマ。
消極的だった村人も、今日という日は光に誘われ活性し、活きた声を送り合う。
村を巡り、光りを放つ土屋を前にし、思念写真を写し取る… 村人達は思い思いに、花火が打ち上がるまでの時を過ごしていた。
花火の打ち上げ地、そして、今回初となるインターナルによる特別演奏は、村の中心にある広大な広間で行われる。
演奏舞台は、簡素ながらも本格的なものだった。それが、イベントへの期待感を更に高めていた。
壇上の裏側では、楽器をチューニング(楽器の音合わせ)するインターナルの姿が。
「ラーソさん、遅いわね。」
鍵盤に指をあて、短い音色を放ちスズナが呟く。
と、そこに、噂のラーソが息を切らし駆け付けた。
「遅くなりました。…これをザックさんと探してまして。」
見ると、その手には一輪の光る花が握られていた。
――ブリザードフラワー。
それは、光を放つ稀少な花という事から「栄光」「達成」という意味が込められている。
スズナは、貴重な花を探して来てくれた事に感謝をし、衝動的にラーソに抱き付いた。
ブリザードフラワーは、インターナルの代表であるムゲの胸元に飾られた。
光を放つその花は、辺りの闇を貫いた。ラーソは、ギターを手に、残りわずかの本番に備え弦を弾き始めた。
昨日から猛練習を重ねたギター演奏。 自信はあるが、ひしめき合った人々を見ると、内気な自分が顔を出す。
震えるラーソの元に、ムゲが歩み寄る。
「大丈夫」 そう言い、ムゲは緊張を和らげた。
余裕を見せる頼もしさは、昨日までの陰気は者とは思えなかった。
その温度差に、緊張よりも笑いが溢れる。
ラーソは笑い、ムゲは照れ隠しにギターを奏でる。
そんな中、ピアノを弾いていたスズナが呟いた。
「でも…ザックさん、大丈夫かな?」
「今は…ザックさんを信じてわたくし達に出来ることを致しましょう。」
ラーソは、出来る限り明るく振る舞うと、再びギターの弦を弾き始めた――
―――――――――
――シオンは、辺りの闇と同じ黒いスーツを身に纏い、ミレマを駆けていた。
――あの暗く沈んだミレマが祭りを始めた。
その事が解せず自身の目で確かめようと、猪突猛進。
土屋を数件越え、人込みが見えて来たその時…
「…そこまでです。」
土屋の影から聞こえた声に反応し、シオンは咄嗟に振り向いた。
だがその矢先… その身体は突如空中高く吹き飛んだ。
何が起きたか解らず、もんどりをうつシオン。
だ、すぐに、背中に感じる強い痛みが、「誰かの奇襲によるもの」だと理解させた。
不意打ちと解り怒髪天を突くその瞳に、後を追って浮上して来たザックの姿が映し出された。
夜を遮るブリザードフラワーを胸元に飾り、ザックはしたり顔を覗かせていた。
ラーソの未来予知により、シオンが来る場所と時間を特定し、先回りしていたのだ。
「貴様、クルトに消されたはずでは…」
シオンは、怒りと驚きを混ぜ言った。
だが、すぐに冷静さを取り戻し、持ち前の嘲笑を覗かせた。
「…まあいい。しぶとさだけは"あの時"と変わっていないという事か。」
そして、徐に右手をかざすと、挨拶変わりの思念波を放ち話を続けた。
「ここに貴様が居ると言うことは… どこで嗅ぎつけたか知らんが、私の計画を邪魔しに来たのだろう?」
ザックは、左手から放った思念波で、シオンの挨拶を弾き返事を返す。
――ある歌により、この村に異変が起きた事。そしてそれは、単なる歌が原因ではなく、呪詛のような力が働いているということ… そこまで話すと、ザックは更に呪詛を行う人物に心当たりがある事を告げた。
「音吏… 彼なら多少の"概念波"を使えますからね。」
シオンはペーストタグを書きながら、「その通り」と殺気を放ち答えた。
(――やはりか。)
予想が的中したと同時に、なぜシオンが一週間に一度、新しい譜面を持って来るのかも理解出来た。
「村中を陰気に包み込む…音吏ではそこまでの事は出来ないはず。だから元々陰気に満ちていたこの村と、精神を浸食する音色を利用し、自身の概念波の効果を高めた。ですが、それでも効果は一週間で消える。だからあなたは力を宿した楽譜を持って来るのでしょう。ですが、それも今日で終わりです。」
言われ、シオンは「これ以上の戯れ言は無用」と睨みを利かせ、先ほど取り出したヒヒイロの棍棒を手に身構える。
ザックも臨戦態勢へと入り、強い敵意をシオンに向けた。
白い雪が一つ、また一つ… 二人の争いを煽るように降り始める。
上空で巻き起こる二人の争いを、地上の光は見上げていた――
第二十二話「光射す」 完
二十二話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
ザック=ルーベンス
ラーソ=ボローニ
ムゲ
スズナ