追憶の海
――フォトンエネルギーがいつにまして輝いているこの日。
潟躍とネムは、メリアにある白い浜辺の中に居た。
その瞳は海を映し、耳は波の音を捉える。
突然、規則的な波音の中に、激しい水しぶきの音が入り込んだ。
音の先に居たのは、ザックと赤い髪の女性。
二人が目を向ける先には、若い女性の荒らしが居た。
潟躍は、荒らしの思念波をかいくぐるザックの姿を、一心不乱に追っていた。
一方、ネムは遥か彼方の水平線を眺める様な遠い目をしていた。
「ソシノさん、今です!」
ザックが思念波を海に放ち、荒らしの視界を妨げると、赤い髪の女性「ソシノ」に言った。
途端にネムの視界がソシノに向かう。
ネムが見ようと構えていたものは、青い水平線ではなく、タグを書くソシノの姿と、そこから放たれた赤いラインタグだった。
垂直に移動するラインタグは、荒らしに巻き付き、自由を奪う。
「なる…か。」
荒らしは、特有の奇妙な言葉を連ね、激しく暴れる。
それを前にし、なぜかザック達は攻撃の手を止めていた。
「大丈夫なのか…」
潟躍も心配になり、つい口を零す。
大きな波が現れ、ザック達を腰まで濡らした。とその時、ソシノは動く。
《縺励s縺ア縺・@縺ェ縺・〒》
ソシノがチャットリングした文字は、荒らしが使う奇妙な文字列「文字化け」だった。
荒らしは、書かれた文字を見るなり、動きを止めた。
「あなたに危害を加えるつもりはないわ。ただ、戻ってほしいだけ。」
ソシノと荒らしの舌戦を煽るように、無数の波が寄せては返す。
「…やわっア。」
数分後、荒らしはそう呟くと、ふらふらとその場を離れ消えていった。
それを見、嬉々として駆け寄るザック。
ソシノも走り、互いの手のひらを頭上で打ち合わせ喜び合った。
「勝利だー。」
その声は、波音より高らかに、潟躍達の耳へと伝わった――
―――――――――
――「…これが、俺達が始めて見たあいつらの戦いだ。」
紅茶の香りが立ち込めるチャットルームの中。
潟躍は、目を閉じたまま正面に座るマティスに言った。
マティスの隣には、同じく目を閉じたネムが居た。
マティスが瞳を開けると同時に、ネムも閉じた瞳を見開いた。
今滞在しているこの地は、最も自然と共和した地「モバン」である。
なぜマティス達がここに居るのかというと…
「ところで、どうだい?俺達特性のデフォルメーションは!」
潟躍が興奮気味にテーブルに手を起き叫んだ。
それを見、マティスは深いため息を。ネムは表情を変えず潟躍を落ち着くように促した。
恥ずかしそうに頭を掻く潟躍に、そっと届く煎れ立てのコーヒー。
マティスがモバンを訪れた理由は、潟躍がいう「デフォルメーション」が関係していた。
モバンは、ヴァース程では無いにしろ、アマチュアのデフォルメーションを作成する者が多い場所として知られる地。
そのような場所柄、チャネリング施設が充実し、ある程度の知識と技術、そして人数があれば手軽にデフォルメーション等を作成することが出来る。
マティスが先ほど見ていた海岸の光景も、そんなアマチュアデフォルメーションの一つだった。
作成者は、潟躍とネム。そして、潟躍が集めた数人の作成協力者だった。
「確かに、この方が解りやすいが…俺はお前さん達の道楽に付き合っているわけではない。」
そもそも、このような状況を生み出したきっかけは、当のマティスにあった――
―――――――――
――以前、ザックから潟躍達の知り合いだと聞いたマティスは、当の潟躍達がザックを知っているのかを何気なく話した所、話は予想以上に盛り上がり、事に潟躍の興奮は収まる事を知らなかった。
「あ、そうだ!モバンへ行こう。あそこで俺たちの記憶をデフォメしてお前に見せた方が解りやすい。」
いつものマティスならすぐに一蹴する話題だったが…
「…解った。」
少々渋っただけで、すんなりそれを受け入れた。
以前から抱いていたザックに対する興味が、マティスの背中を押したのだった。
そして、もう一つの後押しが…
「…約束する。凄いデフォメを作ることを。」
ネムのいつにない嬉々とした視線は、有無を言わせぬ力があった――
「しかし、ソシノというタグ師が文字化けで荒らしを説得したのには驚きだな。」
一部の映像を見終え、マティスが口にした第一声は、デフォメの出来に関してではなく、ソシノに関する事だった。
「ああ。俺達もその噂を聞きつけて見に行ったのがあいつらと会ったきっかけだからな。」
だがそれは、三十年以上も前の事。潟躍は、記憶違いもあるかも知れないと一言忠告を入れた。
そしてデフォメは新たな場面へと移る。
だが、その前にマティスが一言。
「デフォメの事だが、ザックが全然似てないな。それに、お前さんは自分の容姿を美化し過ぎだ。」
言われ、潟躍はムキになり早口で言い訳をし始めた。
「わたしも、注意したんだけど…」
ネムにも言われ、遂に潟躍は消沈した。
使い物にならなくなった潟躍に変わり、ネムが出来上がったデフォメを流す担当となった――
―――――――――
――海岸での出来事から一カ月… その時と同じ砂場には、潟躍達とすっかり打ち解けたザックとソシノの姿があった。
潟躍は、ザックと共に脚を肩幅くらいに開き、腰に据えた拳を波の打ち付けに合わせ、左右交互に突き出していた。
一方、ネムは、ソシノと共に、ラインタグをチャットリングし何度も赤いラインを作り出していた。
「そろそろ休憩にしようか。」
ソシノの一言で、一旦「稽古」は終了。皆、白い砂場に手を付け座り込む。
「あんた達の稽古のおかげで、俺達も随分成長出来たよ。これなら、島一番のアフィリエイターも夢じゃない。」
寝転び、拳を空に突き出し潟躍が言った。
ザックは、そんな潟躍を、手にしたカメラで楽しそうに写し取る。
「そういえば、潟躍達はなぜ荒らし浄化のアフィリエイターになりたいんですか?」
シャッターと共に聞こえた質問に、潟躍は「デフォメで見たヒーローのようになりたいからだ」と誇らしげに言った。
途端に、ソシノが口を大きく開け笑い出す。
子供のようなその動機に、笑いの勘所が刺激されたようだ。
ひたすら砂にタグを綴っていたネムも、その時ばかりは手を休め、笑いを堪えるような素振りを見せていた。
「じゃあ、あんた達はなんで荒らし浄化のアフィリエイターに?しかも、そのやり方が説得なんて、俺よりずっと変わってるぜ。」
ふてくされ、恥ずかしさを隠すように、潟躍は話題を切り替えた。
だが、話を振られたザックは、なぜか海を眺めるだけで応えようとはしなかった。
見かねたソシノが言葉を紡ぐ。
「…それが、わたしの生きる意味だから。」
話した直後、冗談だと笑い飛ばし、特訓の再開を促した。
だが、その時見せた、決意と希望を漂わせたソシノの表情は、潟躍にとって二度と忘れなれないものとなるのであった。
なぜなら、その数日後、焼き付いたソシノの表情とは真逆のものを見ることになるからである――
―――――――――
――この日も、潟躍達はザックとソシノによる稽古の予定が入っていた。
二人は、ザック達が荒らしの浄化を終えるまで、チャットルームで優雅なコーヒータイムを決め込んでいた。
と、その時…
「…ソシノという者を存じておりませんかね?」
ふいに遠くで聞こえた老人の声。
ソシノという名前につられ、潟躍は老人に近づき、その居場所を伝えた。
白髪の、脆弱そうな老人は、言葉を受けて微笑み返す。
そして、急げとばかりに勇み足でチャットルームを後にした。
「なんだったの?」
一部始終を見ていたネムは、怪訝な様子で呟いた。
何はともあれ、老人がソシノの知り合いであるのは明白。ならば、後で会った時に聞けばいい… 潟躍はそうあっけらかんとネムに言い、再びコーヒータイムを楽しんだ。
だが、来るはずの連絡が一時間過ぎても入らない。
ザック達もやって来ない。
気になり、会う予定の浜辺に向かったが、そこにザック達の姿は無かった。
「何かあったのかもな…」
潟躍達は、島中をくまなく探してみたが、痕跡すら見つけられずにいた。
島を出たのかも知れない… そんな思いが芽生え始めた翌日――
―――――――――
――それは、潟躍達が森に現れた荒らしを浄化しにやって来た時のことだった。
「潟躍、あれ…」
既に荒らしと争う二人の人影があることにネムが気付き、声を上げた。
「あいつらじゃないか?」
潟躍の言葉にネムは頷くが、その目は疑念に満ちていた。
潟躍もまた、再会の喜びより先に、「懐疑」の思いで戦う二人を眺めていた。
「ザック、今よ!」
ラインタグで荒らしの動きを封じ、ソシノが叫ぶ。
それを受け、ザックは荒らしのもとへ駆け出し、大きく跳躍。 右足から荒らしの胸元へ勢い良く落下し、渾身の一撃を叩き込んだ。
二人の行動は、潟躍達と困惑させ、疑念を持たせる。
やがて、潟躍の姿に気付いたザックは、惚けた風に声を掛けた。
「お久しぶりです。」
これまで失踪していた者とは思えぬ発言に、潟躍はこみ上げる怒りを覚えた。
荒らしの浄化を確認し終えたソシノも、ネムを見つけやって来る。
「すみません。色々ありまして…実は今日、別れを言いに来たんです。」
ザックはそう話した後「ミノセロ」と言う、ここよりも小さい島に行くと告げた。
潟躍とネムは、怒りを通り越して呆気にとられていた。
「ミノセロは今、長い夜に入ってるけど、わたしは夜が好きだしね。丁度良いって思って。あそこの桜は綺麗だって話だし。」
「あなたはもう十分立派なアフィリエイターですよ。いつかきっと、この島どころか世界中で有名になる、俺が保障します。」
二人が口々に紡いだ言葉は、潟躍とネムに虚しく響いていた。
ソシノの笑顔は、以前の決意と希望に満ちていたものではなかった。失意と絶望を漂わせる、そんな切ないものに思えて仕方がなかったのだった――
―――――――――
――デフォメを見終わったマティスは、しばらく沈黙していた。
「俺達が二人を見たのはそれが最後だ。…お前からザックの話を聞いた時は嬉しかったよ。」
潟躍は、どこかすっきりした表情でそう言った。
ネムもまた、普段は見せない笑みを見せる。
今の話は、二人にとって長年心を覆っていた霧であったのだとマティスは知った。
今はその霧も少し晴れたのだろう。
「そういえば、二人はよく仲間がどうとか言ってたな。確か、むりゅうとか言ったっけ。今にして思うと、その仲間に会いにミノセロに行ったのかもな。」
潟躍は、遠い目で呟いた。
だが、次の瞬間…思いも寄らぬ出来事が追憶にいた心を現実に戻す。
「むりゅうだと!」
突然、マティスは勢い良く席を立ち、怒鳴りつけた。
その普段見慣れないマティスの態度に、ネムは手にしたカップを床に落とした。
「そうか…ザックは無柳と関係が。それでザックはあんなに…」
頭に手をあてがい、馬鹿笑いを始めるマティスを、チャットルームの客達は唖然として眺めていた――
――一方、ここは、カニールガーデン。
その中にある、白色が支配するチャネリング施設に、シオン達進化派が集まっていた。
リリは今日、アセンション達成までにしなければならない要素が、どれほど成し得ているのかを話すために仲間をここに招いていたのだった。
テレパシーで伝えれば事足りる話だが、仲間の交流を大切にするリリらしい「イベント」である。
「皆さん、わざわざお越し下さりありがとです。」
中央に置かれたテーブルに座る仲間達に、煎れ立てのツチノコーヒーを差し出すと、早速話を本題に移した。
「ではまず、ワンダラーさんアンチの部門から発表したいと思います。」
まるでゲームに興じるように、陽気に話は始まった。
「この部門は、言うまでもなく、ヤーニが一番の功労者です。皆さん、拍手!」
その途端、室内は拍手喝采。だが、明るく響くシオンの拍手とは対象に、クルトの拍手は重く、暗さを感じさせるものだった。
ヤーニは自信に満ちた表情でリリの前に立つと、その手の甲にそっと口づけし、敬意を示した。
タルパという特別な行為により、ワンダラーを感知出来るという設定を与えられ生まれて来たヤーニ。
順調にその設定を生かしワンダラーアンチを行えば、数ヶ月後には目標人数に達成する… リリの知らせを聞き、ヤーニは決意を込めた笑みを見せた。
「お次は、ディセンション抑止ですが…これは、じじが一番の功労者ですね。」
聞いて、「じじ」こと音吏はヤーニ同様リリに敬意を払う。
残りのインディゴ確保の状況は…
「ここには居ませんが、じじの計画を引き継いだママンが、凄い成果をみせています。それと、シオンも最近凄い努力をしていますね。」
聞いて、シオンは屈託のない笑みでリリに頭を下げた。
だが、その結果にクルトは疑問を抱き眉をひそめる。
その後、クルトの疑問を押し流すように話は進み、解散の時間が訪れた。
なぜか小気味よくステップを踏み、部屋を出て行くリリ。クルトはそれを見送ると、シオンに近付き喧嘩腰に構えた。
シオンが悪知恵なくインディゴ確保の活動を行うと思えぬため、ここではっきりとさせたかった。
「一体何をした」と詰め寄られ、シオンは「地味に活動した成果が実を結んだだけだ」と返し、一蹴した。
血気に逸る二人を、ヤーニは愉快そうに煽り始める。
音吏は我関せずといった風に、飲み残しのツチノコーヒーを口にしていた。
しばらく口舌を交わした後、クルトはリリに話に行くと言い、早歩きで動き出す。
だがここで、これまで無関心を貫いていた音吏が動き出す。
「リリは、おそらくテレビを見ている最中。行った所で無駄だろう。」
どういう事かと、クルトは音吏に言い寄った。
ヤーニも興味を持ち耳をそばだてる。
リリは、アセンション達成の近づきを予感する度、ワンダラーとなる以前に見ていたテレビというものを見る習慣がある… 始めて聞いたリリの一面に、ヤーニとクルトは驚きを見せた。
テレビとその番組は、チャネリング映像ではなく、特別にクレロワが当時のままの映像を作成し、リリに見せているという。
「リリは、楽しみにしていたその番組を最後まで見る事が出来なかった。だから、それに依存しているのだろう。アセンションを遂げる日に、全てを見終えたいと話していた。」
音吏は、なぜか怪訝そうに言った。
ワンダラーは、旧文明を導いた者である。そのような者が、旧文明の過去に囚われるのは、あまり好ましい事ではない。音吏はリリの内面を思い杞憂をしていたのだった。
「だからこそ、リリの魂はより一層美しい輝きを見せる。」
話を音吏に任せていたシオンが、突如会話の中に入り込む。
「おそらく、旧文明のリリの記憶は、アセンションを遂げるまで消えはしない。だが、同じ境遇を知る者なら忘れさせる事が出来る。」
そして、不意に手を胸にかざし、自信に満ちた表情でこう言った。
「つまり、私の事だ。」
これ以上シオンの戯れ言に付き合って居られないと、クルトは逃げるように部屋を後にした――
―――――――――
――「面白かった。一度見た話でも、やっぱり色々忘れてるわね。」
丁度リリがテレビを見終わった頃、クルトは部屋を訪れた。
リリは、一緒にテレビを見ないかと優しく言い、同時にクルトに何か用事があるのかと聞いた。
「シオンの事だが、調べて欲しい事があるんだ。」
シオンのインディゴ確保の成果は、以前諫めた計画が関係しているはず… そう予感していたクルトは、リリに実験の対象地となったミレマの状況を見るよう持ち掛けに来たのだった。
「シオンは反省してましたから大丈夫です。それに、今はママンが正しく行っていますし、満足でしょう。」
リリは、全くシオンを疑う素振りを見せなかった。
クルトは尚も詰め寄るが、暖簾の腕押し。全く相手にされなかった。
「さては、シオンに嫉妬していますね。ダメですよ。そんな感情はアセンションに毒です。」
目を細め、可愛らしく凄むリリ。
やがてソファーに座り込むと、シオンの話を始めた。
初めて会った時のシオンの瞳が忘れられない… 深い悲しみと絶望を宿したその瞳に、自分と重なるものを感じたという。
「だから、じじがわたしをワンダラーに導いたように、わたしがシオンを導こうって決めたの。それ以来、シオンはわたしを悲しませることは一度もなかった。」
時には、使命を果たすためにやりすぎる事もあるが、それでもシオンを信じる。
それがリリの答えだった。
クルトは、口を挟む事も出来ず、リリの言葉に圧倒されていた――
―――――――――
――その頃、シオンは静寂の村「ミレマ」にいた。
その手はチャットルームの扉を開け、その足は、一つの建物を目指し進行する。
土屋と呼ばれる、この村特有の土で固めたドーム型の建物が、シオンの視界を支配する。
その一つ、いざなうように口を大きく開いた土屋の中に入っていく。
シオンを迎えたものは、広い室内に響音する男の声だった。
「…もう勘弁してくれ。」
震える声でそう話すのは、以前クルトを恩人だと言ったムゲだった。そして隣には、同じくクルトを慕うスズナの姿があった。
「貴様ら以外に居ないとなると、どうやら仲間も音楽の影響を受けたようだな。まぁ二人だけでも問題はないか。」
冷たく言い捨てるシオン。
ズズナは睨み、敵意を向ける。
シオンは、リリから忠告を受けても尚、この村で負の計画を進めていた。
――音楽によりインディゴ発生計画。
人の魂にストレスを与える音楽…これを聞いた者は、本人でも気付かぬ内に魂が劣化し、次第に自殺願望が芽生えるようになる。そして、自ら命を絶った者は、過度に衰弱した魂のため二度と肉体を取り戻すことが出来ず荒らしと変わり果ててしまう。
そのような負の音楽が、シオンの手により村中に蔓延していた。
それは、クルトが危惧していた事である。
歌い手であるムゲ達は、シオンから全ての事実を聞かされていた。だが、半ば監禁された状態である二人には、シオンの命令を断る事が出来なかった。
「もう少々ここで実験を重ねたら、別の場所へ移動する。貴様等にはまだ働いて貰わないとな。」
ムゲの虚ろな瞳が、冷笑し脅迫するシオンを、歪曲し映し出していた――
第二十話「追憶の海」 完
二十話登場人物集
※イラスト提供者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
ザック=ルーベンス
ソシノ=ロサッム
音吏=穢土(おんり=えど)
ムゲ
スズナ