導明(どうめい)
――クルトは燕尾服に身を包み、勇んでカニールガーデンを訪れた。
誰にも見つかることなくリリの部屋に行き着くと、小さく、それでも力を込めて扉を叩いた。
それに反応し、閉じた扉が口を開ける。
出迎えたのは、一面真っ白な不可思議な世界だった。
「あら、クルトじゃない。」
白の中から、リリの声が聞こえた。
その途端、空虚な風景が徐々に色を持ち始め、物が生まれていき、見慣れたリリの部屋へと変わっていく。
外部の侵入が無いよう、この部屋はリンクタグにより隔離されていた。そのため、入る許可が無い者は、何もない白い空間だけを目にすることになる。
部屋にはシオンも居た。だが、クルトはそれには見向きもせず、リリに向かい一礼した。
今日のリリは、純白のドレスに身を包み、クルトでさえも思わず目を奪われるほど美しかった。
「あ、そうだ。これ、もう確認したから返します。」
そう言い、取り出した物はレッドオキニス。
それは、先日クルトがザックを倒した戦利品として渡していた物だった。
「貴様、そろそろ時間だと言うのに、今までどこへ行っていた?」
睨みを利かせるシオンに対し、クルトも負けずに睨みを返す。
「これを探すのに手間取ってね。」
言いながら、ペーストタグを書き、身体から厚い本を取り出した。
リリにその本を差し出した時、シオンの表情が硬直した。
「これには、じいさんの曲を利用した実験の経緯が書いてある。書いたのはシオンだ。」
止めさせようと迫るシオン。だが、リリの眼光を前にし、大人しくその場に静止した。
しばらく後、読み終えたリリは呟いた。
「…これは確かにやりすぎね。」
資料を机に置くと、シオンの頭を小さく叩く。
過激だと言われる進化派にもルールはある。 インディゴ(荒らし)確保の件では、生きた者をインディゴに変化させるような方法はリリが好まなかった。
事にリリは、シオンが行っていた拷問めいた行為に、なによりも嫌悪を示していた。
元々は、インディゴを誘い出すために作られた音楽。それを知っていたクルトは、シオンの愚行を明確に示し、それを咎めることでこの計画を食い止めることを考えたのだった。
シオンは、クルトにだけ聞こえるよう、そっと「家族がどうなっても言いのか」と耳打ちした。
「そんなことをしたら、お前の立場がもっと悪くなることくらい解るだろう?」
低く告げたその声に、シオンは返す言葉を失った。
「計画は"ママンさん"に引き継いで貰う事にします。シオンはとりあえずここで反省しててね。」
リリはそう告げると、クルトと共に部屋を後にした。
耳が痛くなるような静寂の中、シオンは拳を握り立ち尽くす。だがその瞳は、まだ薄暗い闇を宿したままだった――
―――――――――
――今日は、リリがワンダラーとしてこの世界に降りた日。
その祝いを今から始めるのだが、クルトがそれに参加するのは今日が初めてだった。
だが、普段外出を嫌がるリリが、祝いとはいえ躊躇い無く街を歩くことに、クルトは疑問を感じていた。
そんな心を見透かしたのか、リリは急に振り返ると、笑顔を見せ話し始めた。
「外に出るのも辛いですが、引きこもるのも辛いのです。だから、会場はあえて遠くにして貰いました。」
楽しそうに話す素振りは、少女のように無邪気だった。
しばらく歩くと、二人の前に青い屋根の小さな一軒家へが現れた。
ここが祝いの場所らしい。
狭いと思われた室内は、思いの外広く、おしゃれに飾られた小道具や、果物を絞った飲み物、甘い紅茶といった飲み物の他、少量を基本とする今の世界では珍しい、食べきれないほどの料理がテーブルに並べられていた。
だが、それよりも、木造のためヴァースに居ながらも、どこか自然の中に身を置くような感覚が、クルトを安堵へといざなった。
真新しい檜の香りは、この家が最近建てられたらばかりだという事を物語っていた。
リリは壁に背もたれる。
来たのは良いものの、肝心の招待客が見られない事に幾ばくか不安を覚えていた。
無音の室内は、同時に寂しさを感じさせた。
だがその矢先…
「おめでとう、リリ!」
テーブルクロスで隠された机の下から、ヤーニが勢い良く現れ、脅かすようにリリに言った。
そこから、音吏とクレロワも姿を現し、途端に拍手喝采が鳴り響く。
「偉大なワンダラー、リリ。今日はあなたの記念すべき日。私が誠心誠意お祝いさせて頂きます。」
祝辞を述べると、クレロワは胸に手をかざし、一礼した。
三人が隠れていたテーブルには「味噌汁」、「豆腐」、「ケーキ」といった見慣れぬものが置かれていた。
それら料理は、今は廃れたものだったが、今日特別にクレロワが再現したものだった。
リリは一人一人の手を握り、礼を述べる。そして、用意された席に座ると、懐かしそうに料理を食した――
――ビルが立ち並ぶ田舎町「ワイス」の外れには、サムが暮らす家がひっそりと建っていた。
そこは、毎日子供達の声で騒々しいのだが、今日は声も無くやけに静かだった。
中に居るのは、サムとちぃ、そしてルシータ。
いつもは、サム達が喧嘩を起こし、騒ぎの中心となるのだが、二人は楽しそうに何かを話し合っていた。
『二人とも、好きなデフォメの話で意気投合したみたい。』
ルシータが、二人の様子を遠く離れたザックに伝えた。
それを受け、ザックは驚きつつも、安堵を覗かせた。
ワイスに着くのが益々遅れることになりそうなため、ルシータに報告をしていたザック。
念のため、サム本人にもテレパシーを送ってみたのだが…
『あ!ザック。この前始まったデフォメ見た?最高だよ!良い怪物が悪い怪物と戦うんだよ。』
話した途端、デフォメの事を語り始めるサムは、ザックの事など半ば忘れている様だった。
再びルシータにテレパシーを送り、帰る日取りを言おうとしたが…
『ごめんなさい。今から重要な打ち合わせがあるので…』
言うや否や、慌てた様子で通信を終えた。
ザックもまた、テレパシーを終え、瞳を開いた。
だが、闇から戻った先は、閉じていた時と変わらず暗かった。
地面はぬかるみ、腕を横に振ると背丈ほどに伸びた草藪がぶつかり、水滴が舞い散った。
「ここにも来そうにないですわ。」
「それじゃあ、次に行こうか。」
暗闇の中、ラーソの達の声が遠くで聞こえ、同時に小さな光が二つ現れた。
その光は規則的に揺れ、ザックの元に近付いて来る。
「では別の場所を探しましょう。」
ザックは光に話し掛けた。
その正体は、明かりを灯したランプを手に持つ、ラーソとマティスであった。
今、ザック達は、「アソノモイカ」という町の周辺で依頼を行っていた。
この地方には、一般的にあまり見られない「フォトンボ(飛光虫)」という生物が多数いる事で知られている。
飛光虫は、空気中のフォトンより高濃度のフォトンを体内に溜め込んでいるのが特徴の昆虫である。
それを、飴や飲み物などに加工し摂取すれば、高濃度のエネルギーを体内に取り込めるため、世界中で重宝されている。
その貴重な虫を空き瓶一杯に捕獲するのが、今回の依頼だった。
依頼を受けたのはマティスであったが、どこか浮かないその表情からは、この依頼に対する不満が見て取れた。
今まで荒らし浄化を専門にしていたため、今回は気乗りしなかったようだ。
一方ザック達は、護衛と補助という役割でマティスの仕事に参加していた。
「護衛」といえば聞こえは良いが、ザックの本当の目的は、フォトンボが織りなす光の芸術をカメラに収める事。
フォトンボは夜に多く現れるため、三人は夜の日にランプを持参し、それが現れる時を待っていた。
エネルギーが著しく失われる夜でも、エネルギー補給用のランプがあれば長時間対応できるためである。
「早く帰って来なくても大丈夫」とサムが話したため、ザックはマティスの要望である旅の同行を受けたのだが、やはり心中、サムの事が心配だった。
「もしいざとなれば、ジョウントタグでお前さん達を送ってやろう。」
移動中、マティスはそう言うが、ザックはカメラの調整でその声をほとんど聞いていなかった。
草藪を切り分け進むこと数十分。
雨の露を着飾った草藪は、歩く度三人の体を静かに濡らした。
「ここでもう一度調べて見ます。」
先頭を歩くラーソが、後ろを振り返り言った。
二人はそれに従い、未来予知が終わるのを待つことにした。
ラーソの調べでは、後一時間で夜が明ける。その前にお目当てのフォトンボとご対面といきたいところだが…
「後十分程度で来ますわ。」
予知の結果に、マティスは小さく息を吐き安堵した。
そして十分後――
―――――――――
――上空が明るくなるのを感じ、ザックが見上げる。
暗闇が、突然開き、輝いた。
そこから無数の光の粒が現れ、それぞれが四方八方に舞い踊る。
「よし。」
同時に二つの声が重なった。
掛け声と共に、マティスは上空へ跳躍し、光をすくい取るように瓶を振り、フォトンボを捕らえる。
ザックは、マティスが地へと着地したのを見計らい、カメラを構え、光の中に光を放った。
光が重なった時、フォトンボは驚いたのか一目散に逃げ失せた。
つかの間の星空は消え、辺りは再び闇に包まれる。
ともあれ、それぞれの目的は無事果たした。
ザックは、写真を確認するためカメラを覗いた。
星の如く輝くフォトンボが幻想的に映し出されているはず…そう思い、確認をした時、ザックは眉をひそめ唖然とした。
目に飛び込んだものは、何も写っていない真っ黒な写真。
こんな失敗をしたのはいつ振りか…そう思った時、ザックの脳裏にフッと古い記憶が現れた――
―――――――――
――それは、今日と同じ、空まで闇に染まる夜のことだった。
耳に聞こえるのは波の音。
その音が強く聞こえる崖の上に、一人の女性が座っていた。
ザックは、女性に近付き声を掛ける。
「夜なのにランプも持たずに…危ないですよ。ソシノさん。」
心配に怒りを混ぜたようなその声に、ソシノは振り返り頬を膨らませた。
「ランプを持ってちゃ、せっかくの暗闇が台無しじゃない。」
勢い良く立ち止がりそう言うが、そこは足場が悪い崖の上。ソシノは思わずバランスを失いよろめいた。
すかさずザックがそれを支え、再び注意を促した。
さすがにソシノも反省したのか、その場にうずくまり沈黙した。
しばらく続く、空虚の時間…
波音が、二人の想いを押し流す。
「…これだけ毎日夜が続いてるんだから、明けたら桜が咲くかもね。今度、見に行こうか。」
しばらく後、夜空を見上げ、ソシノは呟いた。
その声に重ねて、ザックはカメラを響かせた。
満天の星空をそのレンズに写し込む。
だが、撮り終えた写真は、闇だけが映された無味乾燥なものだった。
それを見、ソシノは子供のあやし声にも似た口調でザックに言った。
「星空を写すのに、普通の風景を相手にするようなやり方は駄目よ。物にはそれぞれ使い方があるんだから。」
カメラを半ば強引に取り上げると、ソシノはレンズを抜き取った。そして、自身のカバンから別のレンズを取り出し、カメラに装着する。
先ほどのものより長く伸びたそのレンズで、ソシノは星空を写し取る。
そこに写された見事な夜空に、ザック感嘆し拍手を送った。
ソシノは、得意気にそれを受け取っていた――
―――――――――
――レンズの取り替え忘れという、いつかの時と同じ初歩的なミスに、ザックは自分に苦笑を送った。
(――ソシノさんに怒られるな。)
ザックが一人物思いにふける中、マティス達は帰る支度を終えていた――
――一方、こちらリリ達はというと…
「リリ。"ディセンション"って結局どういうことなのかな?」
宴が終わりに近づいた頃、ヤーニとリリは、今後についてを問答していた。
「ディセンションは、アセンションと対を為す行為です。」
皿に添えられたチョコレートケーキを分けながら、リリは静かに語り始めた。
――魂を高次元な存在に上昇させ、進化を果たすアセンションとは違い、ディセンションは、高次元な魂をあえて低次元な存在に落とすよう促す行為。
高次元に進化を果たした魂は、低次元には存在出来ないため、そのような魂を持つ者は、あえて自身を落とし、世界に溶け込む必要があった。
旧文明をアセンションに導いた、リリを含むワンダラーは、元々レインボーという種に進化し、新世界に降り立った存在。
だが、肝心の新世界は、不完全な進化を遂げた低次元なものだった。
そこは、高次元な存在であるレインボーが活動出来ない世界。その為、ワンダラーはディセンションを施す必要が生じたのである。
「そうして、わたし達ワンダラーは、魂が最も安定した存在であるバイオレットとなりこの世界に根付きました。」
――だがここで問題が生じた。
低次元な魂となったワンダラーは、それにより「競争心」「妬み」などの人類が失った不要な感情が芽生えはじめた。
そのため、思想の統一されたワンダラー達の間で、それぞれの意見が生まれ世界のあり方を巡る対立を生むようになっていった。
――進化派。存続派。退化派。
そうした同盟に別れ、ワンダラーは争いを始めた。
その争いを制したのはリリ達進化派。
だが、最近になり、消滅したと思われていた同盟が、牙を向け始めていた。
「生き残った退化派の人達が、ディセンションを世界に向けて行っています。そのおかげで世界中で低俗な者達が増えてきています。」
どうして退化派の仕業と解るのかと問うヤーニに、リリは真顔で返す。
「ワンダラーにディセンションを施した人達が、今居る退化派の方々なのです。ディセンションは彼らにしか扱えない現象です。」
アセンションにより世界を変えようとする進化派に対し、退化派はディセンションをもってそれを抑止しようと企てる者達。
いまだに進行する、ディセンションという異物を排除しない限り、進化派の望みは果たせない。
だが、どう対抗すればいいのか…ヤーニは食を運ぶ箸を止め、考え込んだ。
「まず、ディセンションの影響を強く受けた者の排除です。ディセンションは魂から魂へ感染する現象ですからね。幸い、強い影響を受けた者は世界中に極僅かです。それともう一つ…」
話を切り、リリはクレロワの方を振り返った。
「まぁ、それはまた今度話します――」
―――――――――
――祝いを終え、カニールガーデンへと帰る道は、心なしか荒れていた。
だがそれは、心持ちのせいだけではなかった。
ビルの隙間。そこで二人の男が、卑しさを映した瞳で女性を見、腕を無理やり引き路地裏に誘い込んでいた。
「ヤーニ。あれもディセンションの影響を受けて低俗に落ちぶれた人よ。」
リリは笑顔でそう言うが、その目は笑っていなかった。
話す事もままならない雰囲気に、隣にいたクルトは思わず身を引く。
「ここは小生が…」
そう音吏が告げた時、リリは既に二人組の男に向かい歩いていた。
呼び止めようと音吏が叫んだ時、リリの方から眩しい光がほとばしる。
リリが気付いた時、そこは、無骨な岩が並び立つ岩場に変わっていた。
「ここまでうまく行くとはな。情報通り、正義感が強いな、リリ=アンタレス。」
そこには、先ほどの男女がそれぞれ短刀を手にし身構えていた。
三人はその場を飛び散り、前後からリリに切りかかる。
途端に裂かれる純白のドレス。
「いい格好だな。リリ。」
はだけたリリの足元を見、男の一人が声を上げた。
それを前にし、リリは冷笑を浮かべていた――
―――――――――
――数分後、路地裏が眩い光に覆われた。
そこから、朱色に彩られたドレスを着飾り、笑顔を滲ませるリリが現れた。
「じじ、ごめんね。せっかく用意して貰ったドレス、こんなに汚れちゃった。」
言われ、じじこと音吏は何があったか聞こうとしたが、寸ででそれをしまい込む。
リリを狙う者が一芝居打ち、リンクタグで誘い込んだ事は、聞くまでもなく理解出来た。
おそらくは敵対する者の仕業… だが、一つ解せないことがあった。
リリの存在や居場所はもちろん、その素顔は、他のワンダラーには知られていないことであり、ましてや進化派を率いる者だとは知り得ない情報。それを知っていたと言うことは…
「まぁ、外に出なければ問題ない話だし、とりあえず落ち着こう。」
ヤーニは珍しく気を利かせ、リリの手を引き歩き出した。
クルトは手に汗を滲ませながら、じっとリリを見つめていた――
――ザック達は、依頼を終えた後、街を目指し歩いていた。
帰り道は先ほどより明るく、夜明けを思わせる空気に満ちていた。
三人は縦一列に並び、高い草藪を切り分けるように続く道を歩いていく。
先頭をザック、続いてラーソ、そして最後にマティス。
前を歩く2人の姿に、マティスは新鮮な感覚に捉われていた。
「人の後ろを歩くのは久しぶりだ。」
少し懐かしげに、そして嬉しそうにマティスは言った。
同時に、脳裏には潟躍とネムの姿が浮かんでいた。
潟躍達に、自分の背中はどう映っていたのか、少しだけ聞いてみたくなった。
歩みが遅くなったマティスを心配し、ザック達は歩を止めた。
そんなザック達に、「少し仲間のことを思い出していた」とマティスが呟く。
「そういえば、仲間って潟躍達のことですよね。彼らは相変わらずの性格ですか?」
聞いて、潟躍達の事を昔から知っているようなその口振りに、マティスは目を丸くした。
昔よく一緒に行動していた時期がある… そう言ったザックもまた、古い記憶の中に居る潟躍達を見つめていた。
「お前さんの言うとおり、相変わらずの騒がしい奴と無口な奴だよ。」
途端に響く、笑い声。
虫達も、そんな二人を涼やかな音色で笑っていた。
それから数分後、三人は険しい草原を無事抜けた――
―――――――――
――細い道を通り抜け、見晴らしが良い場所に来た時、ザックの元にルシータからの連絡が入った。
『さっきは突然連絡を切ってごめんなさい。』
多忙のためだろうか。その声には疲れと溜め息が混じっていた。
ザックは、先ほど言いそびれた帰る日取りを伝え、テレパシーを終えた。
両腕を上げ、身体を目一杯伸ばし、深呼吸。
一息ついた所で、ザックは再びカメラを構え、遥か上空にレンズを向けた。
乾いた音が、先を歩くマティス達にも伝わった。
「今度は上手く撮れましたよ。」
空を見上げ呟くザックを見、ラーソもつられて顔を上げた。
その空は、地上に明かりを導くように、赤く静かに燃えていた――
第十五話「導明」 完
十五話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
クルト=ブル
リリ=アンタレス
シオン=ダオリス
音吏=穢土(おんり=えど)
ヤーニ=ファイス
クレロワ=カニール