見下ろす深淵
――谷間を繋ぐ、長く伸びる橋の上に、三人の男が立っていた。
皆一様に、橋から眺める谷間の深淵を見つめていた。
その内の一人は、右腕を赤く染め、険しい表情を浮かべている。
谷間の中、なにやら蠢く影が一つ。それは谷間の岩盤を打ち砕き、楽しむかのように暴れていた。
さらに、周りには奇妙な文字列が連なっている。
《縺薙%縺ォ縺ッ譚.繧後∪縺・》
荒らしである。
暴れる荒らしを眺め、三人は途方に暮れていたのだった。
この中にバイオレットは居ない。
浮遊の出来ないクリスタルは、このような状況では不利と言える。
だが突然、一人の男が、橋から身を乗り出し飛び込んだ。
それを見、仲間は思わず叫びを上げた。
「危ないぞ!マティス!」
その声を微かに感じ、マティスは谷底へ吸い込まれていった。
高さにして二百メートル。それは、浮遊の出来ない体を身投げさせるには危険が伴う高さだった。
顔に当たる空気の鋭さが、落下の勢いを物語る。
だがマティスは笑っていた。
手に短剣を構え、荒らしに向かい落ちていく。
まさかの行動に荒らしも驚き、反撃するのが遅れていた。
とっさに砕いた岩を思念で操り、それを竜巻状に吹き荒らした。
荒らしの周りを囲う岩の竜巻が、降下するマティスに牙をむく。
マティスはそれを、手にした短剣で勇猛果敢に打ち落とし、荒らしの元へと入り込んだ。
突破されまいと高をくくっていた荒らしは、避ける術を持ち合わせていなかった。
マティスの短刀が、その魂を通過する。
切り裂かれ、荒らしはものを言わず消えていった。
浄化されたことを確認し、ホッと一息着くが、依然身体は谷底へと落ちたまま。
このまま頭から岩肌に激突か…そう思われた時、マティスは動いた。
足から谷底へ落ちるように空中でくるりと身を回転させ、落ちていく。
その直後、谷底に鈍い音が鳴り響いた。
マティスは無傷で立っていた。
着地した衝撃により、岩場が激しく壊れていたが、当の本人はあくびをする余裕すら残していた。
それから数分、マティスはその場に留まり、辺りの自然を見渡した。
身体に霞を纏わりつかせ、谷間を繋ぐ橋と、紅葉とする木々を見上げる。
仲間の二人が駆けつけ来る間、マティスはそのまま橋を見ていた――
―――――――――
――三人は合流した後、近くの町へと戻った。
チャットルームで仕事の成功の祝杯をあげ、先ほどの出来事を思い起こし沸き立つ。
荒らし浄化の報酬は、話の主役であるマティスに多く配分されることで一致した。
「だが、見事なもんだ。俺たちじゃ怖くてあんな真似出来ないよ。」
マティスにそう言い、二人は報酬を渡した。
賞賛されるマティスだが、その顔はどこか浮かない。
ため息をつくと、マティスは二人に言った。
「俺の長い連れは、もっと無謀なことをするんだがな。」
言い終え、注文したツチノ紅茶を飲み干すと、そのままチャットルームを後にした。
暑いフォトンエネルギーが頬を熱する。
今日もいい天気である。
視界には、旅人を威嚇する高い山がそびえていた。
マティスは今、「メリア」という町を目指し、旅をしている。
そこは、潟躍達の故郷だった。
ヤーニに倒された二人の魂は、そこに戻っているに違いない。そう思っての移動だった。
マティス自身、ヤーニに受けた傷は深かった。
クリスタルの再生能力をもってしても万全な回復は行えず、そのたチャットルームでタグを扱えないほどの疲労をみせていた。
仲間を連れぬ一人旅。
それは新鮮であると同時に、妙なもどかしさを覚えるものとなっていた――
※地図の赤印はメリア。
――マティスが光の中を歩く中、ザックは暗がりから目を覚ました。
身体は柔らかなベッドと布団に包まれていた。
横を振り向くと、小さな窓が一つあり、そこから外の風景が覗けた。
見晴らしのいい風景から、ここが二階にある部屋だと理解出来た。
身体を起こそうと、ベッドを軋ませてせてみるものの、逆に身体が軋み思うように動かない。
その過程で、ぼやけていた先刻の出来事が次第に鮮明になっていく。
やがて、全てを思い出し、ザックは大きくため息をついた。
ヤーニという者に奇襲を受け、倒れた事までは思い出せたが、ここがどこかは解らなかった。
どこであろうと長居は無用。だが、身体が動かない以上、どうにもままならない。
歯がゆいが、このままじっとしているしかなかった。
時計が時間を刻む音に、長い間身をゆだねる。
時折窓を訪れる可愛らしい鳥が、そんな虚無な時間の唯一の癒やしとなっていた。
鳥達が代わる代わる窓を訪れて七回目、誰かが階段を登ってくる音が聞こえた。
ベッドの軋む音と、廊下が軋む音が重なり響く。
扉を叩き、入って来た者を見た時、ザックは驚き目を丸くした。
「…ザックさん、具合はどうですか?」それは、街で別れたはずのラーソであった。
疑問と安堵を混ぜた表情で見つめるザックに、ラーソは今までの経緯を静かに伝えた。
それを聞き、ラーソが助けてくれたまでは解ったが、ここが何処なのかは依然として解らない。
「失礼ですが、ザックさんが行こうとしていた場所を占わせて頂きました。ここはその場所ですわ。」
(――ということは…)
思い当たる場所を言おうとした時、勢いよく階段を駆け上がる複数の足音が迫ってきた。
それは扉を開けるなり、元気一杯こう言った。
「ザック!久しぶり!」
二人の顔を見、ザックは全てを理解した。
ここはレリクの家だということを。
「ザックってホント倒れるの好きだよね。これで二度目だよ。」
シェインの言葉に、思わず苦笑い。
だが、なにはともあれ二人は心配をしてくれていたようだ。ふざけながらも、その目にためた水滴がそれを物語っていた。
ザックは二人と再会の喜びを分かち合うと、重い身体をなんとか起こし、ベッドから這い上がった。
扉の前に立ち、手を掛けゆっくりと押す。
古い木造の扉は、開くと同時にひのきの香りを漂わせた。
――めったに家に帰らない父親の部屋が二階にある…
以前そうシェインが話していたことを思いだした。
ここがその場所なのだろう。ひのきの香りを嗅ぎながら、そう思考を巡らせた。
身体をラーソに支えられながら、下へと続く階段を下りていく。
どこにでもある短い階段。
だが、今はとても深く感じられ、さながら谷の深淵まで伸びている様な錯覚すら覚えた。
階段を降りた時、ザックはようやく身体の扱いに慣れてきた。
居間まで一人で歩くとラーソに告げ、一歩一歩廊下を踏みしめる。
居間に着き、耳を澄ませると、レリクと誰かの話し声が聞こえて来た。
話し相手は男の声。そこから察するに、めったに帰らない夫との会話だと推測できた。
だが、よくよくその声を聞くと、なんだか最近聞いたようなものに思える。
居間の戸を開け、男の顔を見た時、ザックは再び驚くこととなる。
それは、河辺で出会い、いつの間にか行方をくらませていたクルトであったからである。
「お、目が覚めたか。」
ザックに気付くなり、クルトはテーブルに置かれた焼き芋を頬張り、平然と挨拶を始めた。
太々しいのか図太いのか… 先刻のことを忘れたかのような、いけしゃあしゃあとしたその態度に、ザックは困惑を隠せない。
知り合いかと訪ねるレリクに、街のチャットルームで会った仲とだけ告げるが、心中納得出来てはいなかった。
一緒に来たシェイン達は、テーブルに置かれた焼き芋に気付くと、それを頬張るのに夢中になった。
ラーソはそんな子供達の相手をすると言い、子供の輪に加わった。
二人きりで話すのは今か… ザックは思い立つと、レリクに再会の喜びと今回の礼をいい、クルトを廊下に出るよう促した。
クルトには聞きたいことが山ほどあった。
なにから聞こうか…迷い考えていた時、意外にもクルトの方から声を掛けてきた。
「俺が河辺にいた奴らの仲間か知りたそうだな。…察しの通り、俺は奴らの仲間だ。君は知ってるみたいだから話すんだ。俺たち進化派の事をな。」
壁に背を掛け、一旦落ち着くと、川辺での事を話し始めた。
それによると、あれはクルト自身にも突然の出来事だったらしく、ザックをおびき寄せるために芝居をしていた訳ではないという。
ザックは、あの時の光景を思い浮かべた。
その時のクルトの表情は、確かに演技にしては必死に思えた。
「あいつは…シオンは前から俺が裏切るんじゃないかって思ってたらしいんだ。だから、君をおびき寄せる目的と一緒に、俺に念を押す目的があったんだと思う。」
ザックは、そんなクルトをじっと見据えた。その瞳の奥底は、心の深淵を見下ろすほどに深かった。
だがしばらくし、その瞳はふっと和らいだ。
疑うより、このクルトという男を信じたかったのだ。
恩人の… 縁の深いレリク一家の父親であることが、ザックを敵意から好意に近づけさせていた。
だがなぜ、「進化派」のクルトが家族を作ったのか疑問が残る。
進化派は、他の存続派、退化派の中で最も過激な活動をする者達としてワンダラー同士で伝えられていた。
それを知っているザックは、どうしてもそこをはっきりさせたかった。
質問に対し、始めは沈黙を決め込んでいたクルトであったが、しばらくし、静かに本音を語り始めた。
「前は確かに、人類は再び進化するべきだと思って積極的に協力していた。だが…」
言葉を切ると、なぜかクルトは頬を赤らめ始めた。
「レリクが…そんな俺を変えたんだ。」
照れながら、頬を指で掻きそう言った。
だが、進化派を抜け出そうにも当然仲間はそれを許さない。
板挟みの中、今は苦悩し続けている…そう話すクルトの表情には、疲れが見え隠れしていた。
話を聞き、ザックはクルトの肩を軽く叩いた後、諭すように呟いた。
「…レリクさんと、子供を大切にして下さい。」
今度は力強く肩を叩くと、ザックは居間へと向かい歩いた。
居間では、すっかり打ち解けたレリクとラーソが、楽しく会話を弾ませていた。
その傍らでは子供達がはしゃぎあい賑やかさに花を添えていた。
レリクは会話をする内、ラーソが以前世話になった占術師だと知り、律儀に礼をし頭を下げた。
そんなレリクに、ラーソは「礼を言うのはわたしの方です」と返し、微笑んだ。
思えば、あの時の懐疑的に行った占いが、自分にとって新たな一歩となったのだ…
礼を言われ、ラーソは改めてそう感じていた。
「失礼します。」
声と共に、戸を開けザックが居間へとやって来る。
それを見るなり、子供達が飛びついた。
「ザック、前に話した宿題の答えが解ったよ。あれって登録書だったんだね!」
口々に話す二人に、ザックは以前のように頭を撫で優しく報いた。
「そういえば、父さんはどこ行ったの?」
言われ、ザックは少し用事で出掛けたとお茶を濁した。
ともあれ、ザックも加わり、居間は一層の賑わいをみせる。
それは、一日中飽きることなく続き、久しぶりの再会に彩りを添えた。
時計の針が一周し、ようやく騒ぎが落ち着いた頃、ザックは次の行動を開始した――
―――――――――
――今、ザックの目には、森の深緑が映されている。
隣をラーソが歩き、後ろにはシェインとカインが歩いていた。
ここは以前、ザック達が訪れた森の中。
数時間の睡眠を終えた後、ザックは三人を連れ、この森に足を踏み入れていた。
目的地は、以前荒らしの浄化を行った場所。
ザックは、そこでどうしても遂げたい事があった。
森は前に来た時より光が無く、影の濃さがなんとも納涼感を漂わせていた。
虫の鳴き声、鳥の鳴き声が、耳へと響き、消えていく。
ふと、鳴き声の中に、かすかな水の流れを感じ取った。
音に誘われ、向かった先には湧き水が。
丁度喉が渇いていた四人は、ここで休憩を取ることにした。
清水を手ですくい、口元に運ぶ。
透き通ったその流れは、身体に深くしみ入り疲労を癒した。
ひときわ美味しそうに水を飲むシェインは、突然思い出したかのようにザックに言った。
「あ、そうだ。ザック登録書見せてよ。」
兄の言葉に、カインも同じく見せてと煽り始める。
ラーソの方を見ると、その目はシェイン達と同じ眼差しをしていた。
観念したザックは、自分だけに見えるように記された登録書の文字を、シェイン達にも見えるように書き直し、それを差し出した。
「俺たちの名前…あ、ラーソさんのもある!でもなんだか数が少ないね。」
無邪気にそう言い、二人は最後に記された名前から順に、古い記述を遡り始めた。
「一番始めに書かれてる名前は… ソシノ。それから、む…?」
そこまで口にした時、シェイン達は急に黙り込み、ふてくされた。
どうやら記された名前が読めないらしい。
そこには「無柳」と記されていた。
隣で見ていたラーソは、名前の読み方を二人に教えた。
無柳という名を珍しいと思うと同時に、ソシノという名は以前ザックがした昔話に出てきた名だと思い出した。
「…この二人は自分にとって恩人みたいなものです。」
懐かしんでいるのか、そう言ったザックは妙に遠い目をしていた。
涼やかな風が、森の中を駆け巡る。
四人はその風に煽られ再び歩き出した。
以前訪れた広間はもうすぐそこ。ラーソ以外は勝手知った場所である。
そろそろ着くと、ザックが言おうとした時、ラーソが自信を含んだ表情で言った。
「もうそろそろですわね。」
それは、目的地を知っているような口振りだった。
障害が何も無いため、意外なほど早く広間に着いた。
木々が壁を作り、隔離するようにある広い空間が四人を出迎える。
ザックはその中を足早に歩き出した。
向かう先には、石が積まれた目印のようなものが置いてあった。
旧文明でいう「墓」のように積まれた石達。それは、ザックがここで荒らしを浄化した後、その墓標にと作ったものだった。
石達を前に、服の内ポケットを弄った。
そこから現れた物は、光る花「ブリザードフラワー」だった。
以前、この荒らしが綴った文字化けをラーソに解析して貰った時、荒らしが「光る花」を欲していた事を知ったザックは、再びここを訪れた際に、それを差し出そうと決めていた。
荒らしとはいえ、その命を終わらせたのは自分。なら、せめて、荒らしが望んだ願いだけは叶えてやりたかった。
しゃがみ込み、ブリザードフラワーをそっと添える。
と、その時、墓標をよく見ると、既に別のブリザードフラワーが添えられているのに気が付いた。
誰かは解らないが、荒らしを哀れみ、花を供えた者が居たのだろう…ザックはそう思いながら手を合わせた。
子供達も、ザックと同様に手を合わせ、その魂を敬った。
弔いを終えると、二人は近くで遊んでくると言い、足早に駆けて行った。
「そろそろお話しても大丈夫そうですわね。」
ラーソは、二人きりになったのを見計らうと口を開いた。
「実はザックさんが眠って居る間、クルトさんの要望で一緒にここに来ましたの。この花は、クルトさんが添えたものですわ。」
そしてラーソは、詳しい話を始めた。
それは、先日クルトの依頼でブリザードフラワーがある場所を占った時まで遡る――
―――――――――
――「なんで花を欲しがるかって?…荒らしになった俺の親友の為かな。」
ブリザードフラワーを探しながら、クルトは言った。
クルトには竹馬の友があった。
その友は、近々家庭を持つ予定の身だった。
クルトはそんな友の為にと、ブリザードフラワーを妻に贈ればどうかと提案した。
ブリザードフラワーはこの世界の最高質の贈り物である。当然、友はそれを欲しがり、二つ返事でそれを受けた。
クルトの家の近くの森は、ブリザードフラワーが良く咲く所として知られる場所だった。
そこならきっと見つかるはず。そう思い、クルトは友にその場所を教えた。
友は、喜び勇んで森へと向かった。
その日、夜に巻き込まれる事になるのを知らずに・・・
「せめて、ランプを持っていれば良かったんだがな。」
友の話を終え、クルトは足場の崖を見下ろした。
「あの時ばかりは完全に進化派の思想に同調したよ。人がさらに進化をすれば、荒らしになんかなることもないってね。でも…」
崖の下、クルトの声は、広がる森にこだました。
ひとしきり崖を見下ろした後、クルトは振り返り力強くラーソに言った――
―――――――――
――「なんて言ったと思います?それは、アセンションを口実に今の不都合から逃げてるだけだ、俺は友の分まで力強く生きていきたい。そう言ったんですよ。」
ラーソは憂鬱な表情を浮かべていたが、すぐに笑顔に変えザックに言った。
だが、この時のザックの表情はそれとは逆に深刻さがにじみ出ていた。
…それもそのはず。
なぜクルトが進化派の話をラーソにしたのか、疑問に思ったからである。そして、その答えは一つしか見いだせなかった。
「…察しの通り、わたくしもワンダラーですわ。ザックさんと同じく。彼らのことや彼らがして来た事も大体は知っています。」
(――やはりか。)
ザックは無理な笑いをラーソに見せた。
遠くでは、子供達がじゃれあう声が聞こえていた――
第十二話「見下ろす深淵」 完
十二話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
マティス=ハーウェイ
シェイン
カイン
レリク
ラーソ=ボローニ