うねりの中で
――雨明けの、緑生い茂る森の中。
高く伸びる無数の木々が、下に佇むヤーニを見下ろしていた。
脇には、土に埋もれ横たわる一人の男。それはそどなくし音も無く消滅した。
森の光と同化し消える男を眺めながら、ヤーニは冷笑を浮かべた。
――ワンダラーアンチ。
それは、リリにより与えられた役割である。
今まさに、ヤーニはそれを実行し終えた所だった。
喜々としてチャネリングを行い、戦果を伝える。
それを聞き、はしゃぐリリの姿を見るのがヤーニには何より嬉しい事だった。
通信をしながら緑の中を歩き始める。
降り続いた雨のため、地面はぬかるみ歩きにくいが、ヤーニにしてみればこれも自然観察の一環。新鮮な気分を与えてくれるものだった。
一つ一つ、自分の軌跡を土に刻んでいく。だがその途中、ヤーニは急に立ち止まり辺りを見渡した。
森にいる生物とは明らかに異なる気配… それは殺気を帯び始め、軌跡を刻む邪魔をした。
背後に突如、一陣の風が吹き荒れた。
ヤーニはその風から逃れ、梢の上へと身を潜めた。
そこから様子を眺める。すると…
先ほどまで居た場所に、スーツを着た男が片膝を屈し座っていた。
周りは大きく陥没し、その光景に木々の上の鳥達は、さえずりを止め逃げていく。
男は立ち上がると、強い眼光をヤーニに向け、声を上げた。
「さすが、我らがリリが生み出したタルパ、大したものだ。」
スラリとした出で立ちと、着こなすスーツが相俟って、男からは威厳にも似た風格が満ち溢れていた。
言動を聞き、ヤーニは男が何者か察しが付いた。
梢から降りると、男に負けじと背を伸ばし、声高らかに言った。
「ずいぶんなあいさつじゃないですか。シオンさん。」
聞いて、スーツの男「シオン」は、小さく頭を下げ、非礼を詫びた。
「リリが我々に直に話があるそうだ。」
そう言うと、右手をヤーニに差し出し同行を求めた。
男がリリの仲間だと改めて知り、ヤーニは黙って頷いた。
シオンが作った固有周波数リンクタグが二人を光に変えていく。
その光は、カニールガーデンへと向かい飛び立った――
――長い間「夜」に包まれていたヴァース。
だが今は、暖かい光に満ちている。
光が戻れば活気も戻るというもの。夜の反動なのか、ここ「カニールガーデン」は、拍手と歓声に包まれ、妙な賑わいをみせていた。
それは、先日クレロワが行ったチャネリング放送「インディゴ」「レインボー」が好評を博し、反響の声で異様な活気に包まれていたからであった。
反響の声は、クレロワ宛にテレパシー通信で送られてくる。クレロワは、その通信を旧文明の機器「電話」に受信させ、多くの者に対応させていた。そのため、電話が受信を知らせる音が、まるで拍手と歓声のように聞こえていた。
ヤーニ達はそんな活気溢れるカニールガーデンの影にある、リリの部屋を訪れた――
―――――――――
――リリはのん気に眠っていた。夢を見ているのか、その寝顔は妙に幸せそうだった。
だが、ふいに目を開け、部屋の隅に視線を移す。
そこには、光が現れ拡散していく光景があった。
光の中には人影が二つ。
それがヤーニとシオンだと知ったリリは、笑顔を見せ、両手を広げ出迎えた。
直後、反対側の部屋の隅にも光が溢れ、今度は初老の男が姿を現した。
ややシワが目立つ顔付きは、弱々しさを感じさせるが、そのシワに隠れた眼光は、とても重く深かった。
ヤーニが誰かと訪ねると、男は「音吏」と名を告げた。
次に音吏は、リリに向かい膝を付き、敬愛を浮かべた。
それに続き、二人も膝を付く。
リリはそれを報いると、ヤーニを見据え、はしゃぎながら「仕事」の成果をねぎらった。
喜ぶヤーニだが、それもつかの間、先日のマティス達の過剰な追い込みを指摘され、ふてくされる。
でもなぜ、マティスはワンダラーでもないのに、詳しく事情を知っていたのだろうか…疑問に思い、リリに問う。
「ワンダラーから聞いたのかも知れません。自分がワンダラーだと話す人なんて、聞いたこともないですが。」
リリは特に気にしない素振りでそう言うと、話を本題に移すと告げた。
再びアセンションを達成するために、これからすべき役割を確認する… それが三人を呼び出した理由だった。
だが、それにしても呼び出す数が少ない。
ヤーニは疑問に思い首を傾げた。
「わたし達は少数精鋭なのです。・・・本当は、ほとんどのお仲間が消えちゃったんだけど。」
そう言い、寂しげな光を瞳に宿らせ、リリは昔の出来事を語り始めた――
――その昔、ワンダラー達が世界の在り方を掛けて争い合う出来事があった。
不完全なアセンションを、完全に遂げるよう求める「進化派」。
この世界を存続させ、ワンダラーが干渉せずに見届けようという「存続派」。
不完全なアセンションなら、いっそもう一度旧文明の人類に戻してやり直そうと主張する「退化派」。
その戦いを勝ち抜いた進化派だが、犠牲もまた多かった。
リリは進化派の長だった。そのため、仲間が消滅することに誰よりも心を痛めた。
昔を思い出し、リリは物思いに老け込んでいた。そんなリリに変わり、音吏が話を続ける。
それによると、ここに居る者が今の主戦力で、数十年前からこの少人数で活動していたらしい。
「後二人仲間が居るのですが、一人はスパンセにベッタリなのです。家族が大好きな人なのです。」
言ってリリは、話が反れてきたと自覚し慌てて話題を変えた。
ヤーニに対し、これからすべき役割を声高らかに指令する。
ヤーニの役割、それは、これまで通り進化派以外のワンダラーのアンチ活動。つまり消滅させる事だった。
アセンションは人類の心が同調し、進化を求める心がなくては成功しない。
進化以外を望むワンダラーが居たままでは、アセンションは成功し得ないのだとリリは話した。
ヤーニがワンダラーを削除し、リリ達は他のアセンション達成要素「インディゴ確保」及び「ディセンション抑止」を進めることで一致した。
だが、ヤーニはまだ解せない部分があった。
リリほどの者が、他のワンダラーをアンチすることなど造作もないはず。それなのになぜ…
「それがそうでもないのです。わたし達が動くと、どこで知ったのかいつも邪魔する人が居たの。そのおかげでもう何十年もアンチ活動は止まったままで…」
オイオイと、解りやすい嘘泣きをリリは決め込む。それを見て、音吏はハンカチを取り出しそっと渡した。
「でもそれもこれからまた動き出します。あなたにはワンダラーを探し当てれる設定をしてますし…」
言う途中、ヤーニが口を挟んだ。
「さっき話したスパンセに居るお仲間を貸してくれないかな。それでその古い邪魔者を誘い込めるかも。」
それは、突拍子のない提案だった。
リリは悩むが、邪魔者は居なくなるに越したことはない。そう判断し、シオンにヤーニの同伴を命じた。
目標は、スパンセ。
ジョウントタグが二人を目的地へと導いた――
――列車に揺られ、数時間移動を重ねていたザックは、無事にスパンセへ到着した。
列車を降りた時、瞳にスパンセの自然が映された。
この風景はそれほど懐かしいものではない。だが、五感に感じるこの空気には、どこか懐古の念を掻き立てられた。
スパンセの空気を思い切り吸い込むと、ザックは天気予知の受信を始めた。
『天気は快調!皆さん、心も快調に行きましょう。∵そぼろ∵』
そぼろ… ラーソだ。
チャネリングで見るラーソは、なぜか驚くほど脳天気なのである。
疑問に思いはしたが、なにはともあれ夜になる心配は無さそうだ。
ザックは、チャットルームを目指し、軽快に自転車を走らせた。
レンガ造りの建物が立ち並ぶ商店街を横目に、車輪は勢いをあげていく。
ふと、走る最中レリク達の事が頭に浮かんだ。
街の喧騒を離れ、静かに暮らすレリク達。
少し遠いが、久しぶりに会いに行くのも悪くない。
思いを巡らす中、チャットルームが見えてきた。
自転車を止め、やや錆び付いたチャットルームの扉を開け中へと入る。
中は煎れ立てのコーヒーの匂い、紅茶の匂いが充満し、外とは違った癒やしの空間が広がっていた。
その中で、まず真っ先に視界に入ったものは、おかしなチャットリング文字が書かれたテーブルだった。
《(∵)》
それを見るなり、ザックは笑い、その席に座る女性に話し掛けた。
「…これはまた偶然ですね。そぼろさん。スパンセに来てたんですか。」
ザックの声に「そぼろ」ことラーソは身体をビクつかせ反応した。
恥ずかしいのか、顔を赤らめるラーソだったが、すぐに気を切り替えあいさつを返した。
これから仕事があるらしく、ここで依頼主を待っていた時に、偶然ザックが声を掛けてきたとのことだった。
チャットリングで書いた文字(∵)は本人曰わく自分のシンボルマークらしい。
相変わらずの変わり者っぷりに、ザックは安心感を抱くのだった。
「お二人さん、楽しんでる最中失礼するよ。」
突然、一人の男が現れ会話に加わった。
男は「クルト」と名乗り、空いた席に腰をおろす。
頭を下げ、会釈をするラーソを見、ザックはこの男が仕事の待ち合わせ相手だと理解した。
二人の邪魔をしては迷惑だろう… そう思い、ザックは席を立ちチャットルームを後にした――
―――――――――
――外の空気はやはり美味い。
手ごろなベンチを見つけたザックは、そこに腰を据えることにした。
座り込み、空を見上げてリラックス。
大きく腕を伸ばした後、ザックは瞳を閉じた。
それからしばらく時間が流れ、数十分後…ザックは騒がしく立ち上がると、東に広がる森へと出掛けた――
―――――――――
――向かった森は、切り立った崖の上に広がる、普段あまり人が踏み入れない場所だった。
そこに用事があるのか、ザックは一心不乱にひた走る。
だが、ザックより先に森に踏み入れていた者達がいた。
ラーソとクルトである。
どうやらクルトの依頼はこの森に関係があるようだ。
草藪の中を掻き分け、切り立った崖の前で立ち止まると、クルトは周りを見渡した。
下を覗き込むと、思わず吸い込まれそうになる錯覚に陥る。
遥か前方、微かに聞こえる川のせせらぎ。
その先を、目を凝らして見つめるクルトは、川の中になにか気になるものを見つけた。
途端に崖から身を乗り出し、下へと落下していく。
その身体は半透明に変わると、地に着く直前に空中で停止し、ゆっくりと着地した。
そのまま急ぎ足で川へ向かう。
歩を進める毎に、川のせせらぎが大きくなっていく。
その川は、森を断ち切るように流れていた。
川の中洲にある草藪、ここに先ほど見た気になるものがあった。
近づき、クルトはそれに触れた。
そして、後を追ってきたラーソの方を向くと、嬉しそうに手を振った。
クルトが手にした物は「ブリザードフラワー」と言う、普段は夜にしか見ることができない貴重な花だった。
「ラーソさん。あんたの占いは大したものだ。これで手土産が出来たよ。」
用意していた小瓶に花を入れ、クルトは言った。
川の澄んだ冷たさを足元に感じながら、ラーソは依頼達成の満足感で満たされた。
もう帰ろうか。そう思い背を向けた時、クルトがそれを呼び止めた。
「…ここからが本題だ。そろそろあの話の返事を聞かせてくれないか?」
ラーソは表情を変え、小さく下を向くと、首を横に振った。
そして「まだ解らない」と告げ、森の中へ消えていった。
クルトはため息をつき、その場に座った。
手にしたブリザードフラワーを見つめ、澄んだ流れの音律を耳に入れる。
透き通った水の中、魚が仲間と泳いでいた。
「勧誘失敗か。まぁまだ時間はある。」
何者かが、川を見つめるクルトに話し掛けた。
その声は、風に揺れ、騒ぎ出す木々と同調してか、やけに響いて聴こえた。
「…シオンか。覗き見はあまり感心出来ないな。」
促され、風と共にシオンが姿を現した。
「貴様に少々用事が出来てな。」
言い終える前にシオンは動いた。
一瞬静まり返った後、中洲の土が巻き上がり、川が濁流となり果てた。
地に開いた穴の上、シオンは不敵に笑っていた。
攻撃を寸でで避けたクルトだが、この仕打ちは当然納得出来るものではない。
怒りを見せるクルトに、シオンは立ち上がり言った。
「リリの意に従わない者は、地に伏すのがお似合いだ。」
姿を消し、クルトの背後に回り込む。
身を低くし、肩から勢い良くぶつかるシオンの攻撃に、クルトは川の向こうまで弾き飛ばされた。
だが、なんとか体制を立て直し、今度はこちらの番だと反撃に転じる。
目にも止まらぬ速さでシオンの元に近づき、首を狙い脚を蹴りあげる。が、シオンは片手でそれを受け止め、逆にクルトの体勢を崩してみせた。
クルトは一旦間合いを大きく開け、腕を力一杯横に振った。
その先から、生体磁場が質量を持ったエネルギー波に変わり、シオンめがけ真一文字に直進した。
乾坤一擲。クルトは好機とばかりにシオンの懐へ入り込む。
先ほどの衝撃波は、シオンの意識を拡散する目的で放ったものだった。
シオンの懐に、きれいに繰り出された拳が向かう。
「甘いな。」
シオンはそれを造作も無くいなすと、クルトの背後に回り込んだ。
そして、獲物を絡め取る蜘蛛の如く、身体の自由を奪いさる。
「怠けている証拠だ。」
右腕を首筋に絡みつけ、左腕でクルトの両腕を後ろ手に拘束。完全に動きを封じていた。
クルトは必死で抵抗するが、もはや一人ではどうにもならない。
(――ん…来たか。)
どういう訳か、シオンは急に腕を放し、後方を振り向いた。
そして、目を凝らし思念波を発生させ、向こうの木々をなぎ倒した。
倒れた木々の中、立ち上がる人影が一つ。
「なるほど…クルトさんが狙われてたのか。」
一眼レフカメラをキラリと光らせ、ザックがそこに立っていた。
「やはり貴様だったか。 …まさか生きていたとはな。」
途端に、どこからともなく拍手が鳴り響いた。
拍手の主は、冷笑を湛え、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
それに向かいシオンは言った。
「少々手間取ったが、ヤーニ、後は任せる。」
言い残すと、ジョウントタグを用いシオンはその場を後にした。
クルトもまた、いつの間にか姿をくらましていた。
「君が僕の仲間達の邪魔をしてたってワンダラーか。初めまして。僕はヤーニ。」
手を胸にかざし、口を綻ばせながらヤーニは言った。
ワンダラーでもなく、なにか人ですらないような存在感に、ザックは強烈な力を感じ取った。
先ほどの二人はこの少年の仲間で、自分をおびき寄せるために芝居をしていた… それに気付き、ザックは小さく舌打ちをした。
「ワンダラー同士がぶつかり合えば、時間流に微妙な変化が生まれる。それを察知して来たんだよね。だけど…」
ヤーニは一瞬姿をくらましたかと思うと、ザックの目の前に現れた。
すかさず後方へ退くザックを面白おかしく眺め、更に話を続けた。
「だけど、それを感知するのは並みのワンダラーじゃ無理だ。君はなぜそれが出来るんだい?」
ザックはなにも言わず、ヤーニに向かった。
飛ぶ鳥と間違うほどに素早く滑空し、ヤーニに詰め寄る。
そのまま腕に掴み掛かり、掴んだ腕を力強く空中に放り投げた。
勢い良く回転を加えながらヤーニは投げ出される。だが、あわや地面に激突かという所で、その身体はピタリと宙に留まった。
「驚いた。やっぱり並みじゃないね。」
他のワンダラーとは一線を画すザックの動きに、喜びにも似た感情が湧き上がる。
その間、ザックは果敢に攻め立て、威圧した。
素早く小さく繰り出される突きの応酬に、ヤーニは次第に翻弄され始め、ついに上方へと逃げ出した。
だが、只で引くヤーニではない。同時にタグを作り出し、それをザック向け放った。
その途端、大気が大きく震えだす。空中で起きた地震に似た振動は、ザックに燃えるような衝撃を与えた。
たまらず川の中へと落ち込むザック。
よろめき、なんとか立ち上がるが、川の流れに逆らうのがやっとなほど傷は深い。
「タルパ…ですか。」
バイブレーションタグを疲労無く扱う姿を見、自然とそんな言葉が出てきた。
ヤーニは頷き、笑顔を見せる。
あらゆる状況、あらゆるモノを超越するよう設定され、生まれてきた存在。
理想や妄想を実体化するタルパと言えど、それには条件がある。
より高度な条件を与えるには、より多くの生体磁場が必要となる。それを解決する唯一の方法、それは…
「察しが付いたようだね。そう、"クラインの壷"に収められたインディゴの魂から僕は作られたんだよ。」
インディゴ… つまり荒らしは、強いオーラを持つため、タルパ作りに利用されることがある。それを知っていたザックはヤーニに鋭い眼光を向けた。
だがヤーニは、再びバイブレーションタグを作り出し、そんなザックに引導を渡した。
川は弾け、滴に変わり、やがて雨となって降り注ぐ。
雨で視界が悪くなったためか、ヤーニはザックの姿を見失った。
雨がようやく晴れた時、ザックの姿はそこになかった。
小さな虹が一つ、悔しがるヤーニを眺めるように生まれていた――
第十一話「うねりの中で」 完
十一話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
シオン=ダオリス
音吏=穢土(おんり=えど)
クルト=ブル
ヤーニ=ファイス
リリ=アンタレス