比翼連理(ひよくれんり)
――列車は走る。
人々と、その思いを乗せながら。
通り過ぎる鮮やか色彩を横目に、ザックはスパンセへと向かっていた。
列車の中は意外に広く、一人一人の席が独立し、さながら個室のような状態となっている。
今日の室内は空席が目立ため、広い室内には虚無感が漂うが、ザックが座る席だけはそれとは無縁だった。
それは、老若男女が一様に詰め寄り、写真を見せてとせがんでいるためだった。
「では、そろそろこの辺で。」
その一言で人々は去っていく。
残されたザックは満足げに写真をアルバムに収納していた。
ザックは、写真愛好家の間では意外に名の知れた人物だった。
写真は、絵画と並び、世界芸術の一つに数えられている。
思念写真は誰でも出来るお手軽芸術だが、ザックのような「カメラ」を駆使して撮られた写真は珍しく、故にザックの周りにはそんな写真を見たさに人が集まるのだ。
「相変わらずの写真家ぶりね。」
写真を眺めていると、一人の女性が声を掛けてきた。
妙に馴れ馴れしいこの言い方、どこかで聞いた覚えがある。
そう思い、女性を見ると…
「あ、ハルカさん。お久しぶりです。」
それは、以前スパンセで会った写真仲間「ハルカ」であった。
ハルカは久し振りと軽快に挨拶をすると、右手をそっと差し出した。
それを受け、ザックは握手を交わし、偶然の再会を喜んだ。
ふと、ハルカの首元に目をやると、そこから小さなケースが下がっているのに気が付いた。
それは、毎日見ている馴染みの物「デジタル一眼レフカメラ」だった。
「びっくりした?あれからザックの真似して始めてみたの… と言いたい所だけど…」
話す途中、ハルカが急に眉を寄せた。
そして、写真を数枚懐から取り出すと、それをザックに見せ言った。
「最近なんか調子悪くてさ。」
さっそく手渡された写真を見てみると…
写っているのは子供だろうか。楽しそうに微笑む姿は可愛らしいが、その周りを奇妙な光の模様が覆っていた。
その光は正方形に広がり、まるで子供を閉じこめる箱のように思える。
それを見るザックの表情は、次第に険しく変わっていった。
「最近、思念写真を撮るといつもこうなるのよ。あたし疲れてるみたいで。」
思念写真は、確かに自身の体調次第で劣化したりするのだが、それにしてもこれはおかしい。
近頃は、頻繁にこうなるため、ハルカは思念写真からカメラに変えたようだった。
「それはそうと、他に悩みがあるんじゃないですか?」
ザックは写真をハルカに返すと、微笑み話題を切り替えた。
まるで何かを隠すように…
突然質問を切り出され、困惑するハルカだが、「さすがザック」とすぐに茶化し話しを始めた。
「カメラを手に入れたのはいいけど、写しても真っ暗になって全然うまく撮れないのよ。壊れてるのかしら?」
やはりか、とザックは再び微笑んだ。
それを見て怪しむハルカ。
訳を聞こうかと身を乗り出したその時、列車が停車を告げる汽笛を鳴らした。
どうやら「モバン」という都市に着いたらしい。
そこは、ハルカの目的地だった。
まだ話はあるのだが仕方がない… ハルカは不安を顔に滲ませ別れを告げた。
乗り合わせていた乗客も、次々にモバンへと吸い込まれていく。
(――さてと。)
ザックはおもむろに席を立つと、乗客達と一緒にモバンへと消えた。
広いホームに人の群れ。
ザックはカメラをケースにしまい、黒山を掻き分け足早に歩き出した。
駅を出、ザックが向かったのは、ここから一番近くにあるチャットルーム。
歩き続けるザック。
しかし、その瞳には街の中とは思えない光景が映されていた。
木の根が浮き出た道路。建物を覆う蔦。建物以上に多く伸びる木々… まるで森の中そのものだった。
だがそれもそのはず。
ここモバンは、「大陸五大都市」に数えられる地で、大陸一自然と人工が一体となった場所として知られている都市なのである。
土地の大きさはそれほどではないが、「若年魂にも安心して暮らせる」という住み心地の良さが評判となり、人口が急増。
また、その居心地の良さからか、ここでアマチュアのデフォルメーション放送を創る者が多く、ヴァース程ではないにしろ、多くの創作物語を楽しむ事が出来ることでも有名な都市である。
そんなモバンの中を行くザックは、大都市の貫禄をたっぷりと見せつけられていた。
景色を堪能し、歩くこと数十分。ザックは、チャットルームの前へと辿り着いた。
腕を伸ばし、大きく深呼吸。
列車の中は座りっぱなしだったため、いい運動になった…そんなことを考えながら扉を開けた。
その途端、女性の声が鳴り響いた。
「ザック!」
それはハルカのものだった。
「せっかくですからね。最後まで付き合いますよ。」
目的地のスパンセは、ここからもう目と鼻の先にあることに加え、時間はまだ十分にある。
その間、一眼レフカメラの先輩として、ハルカに色々教えるのも悪くない…ザックはそう思い、付き合うことにしたのだった。
無計画ぶりに、ハルカ呆れつつも、その表情は喜びで明るく輝いていた。
リンクタグで自分の好きな森へと場所を変え、早速「ザック先生」に指導を求めた――
―――――――――
――森林の中、和らいた気持ちで授業は始まった。
まずは、「どうして何も写らないのか」という話から進んだ。
「カメラは旧文明の物だって事を考えて下さい。」
ザックの言葉に、髪を指に絡めながらハルカは考えた。
そしてふと思い付く。
「旧文明の物は旧文明の時にしか効果を発揮しないってことかしら?」
ザックが指を鳴らし、嬉しそうに頷いた。
旧文明と、アセンションを遂げた今の時代では、時間の概念、時間の流れが大きく異なる。
極端な話をすると、旧文明の人々からすれば、今の時代の人々は目に止まらぬ速さで動いているように感じ、今の時代の人々からすれば、旧文明の人々は止まって見える。
生活する時間流の違いがそうさせるのだが、この現象は旧文明に作られたカメラも例外ではない。
「そっか。カメラじゃ今の時間を捉えられないって事か。」
ハルカは落胆した。
と同時に疑問も湧き出した。
「なぜ、俺はカメラを扱えるか、ですね。」
カメラが時間を捉えられないなら、自分がそれを手助けすればいい。
そう言い、ザックは目を鋭く光らせた。
小一時間ほど授業が続き、ザックの指導もいよいよ最高潮を迎える。
「カメラと人は比翼連理…ちょっと違いますね。一心同体なんです。」
「ザック先生、ことわざ間違えた。」
すかさず、鬼の首を取ったようにハルカが言った。
茶化し茶化されで授業は進み、思いの外楽しい時間となった。
そして円滑に授業は終わった。
ザックは、疲れたのか体を大きく伸ばした。
ハルカはクリスタルのため疲労もなく悠然としていたが、ザックは指導に熱を入れすぎたためか疲労を強く覚えていた。
なにわともあれ、「第一段階」は無事終了。
なら、次にすべきはただ一つ…
ザックは次の段階へと授業を進めることにした。
それから数時間――
――「では、落ち着いていきましょう。」
呼び掛けに応え、ハルカはカメラを手に、息を大きく吐き出した。
そのカメラは一人の男性を見つめていた。
周りからは、力強い大河の流れと、騒ぎ合う人々の声が聞こえてくる。
ザック達が訪れた場所は、モバンが誇る大河の浅瀬。
ここは、ザック達のような写真撮影や観光目的の者はもちろん、釣りという娯楽に興じるために訪れる者も多い場所である。
ザックは、釣りを楽しむ人の中から写真撮影を呼び掛け、ハルカに撮るよう促した。
ひとしきり知識を覚えたハルカには、「実習」をさせ体に覚えさせるのが一番だと考えてのことだった。
大河を背景に、男性の笑顔が入り込む。
それをレンズ越しに見つめるハルカは、いつになく真剣だった。
これまでの写真家活動で培った技術、そして、ザックから貰った知識を今こそ発揮する時… そう思うと、過剰に力が加わっていく。
撮影は、まず自身とカメラを一体化させることから始まる。
カメラでは対応出来ない今の時間の流れを、フォトンエネルギーを使い対応させる必要があるのだ。
街にある街灯と同じ仕組みの豆電球程の小型ランプをカメラのフラッシュ部分に改造装着し、そこから光を放てば、カメラは今を映し出せる。
ハルカは、習ったことを思い起こしながらシャッターを押した。
うまく撮れた… 確信し、それを見やる。
…そこに映されていたものは、白一色の寂しい風景だった。
だが、ハルカは落胆より先にカメラを構えた。そして再び撮影を始めた。
二枚三枚と写していくが、結果は全て白世界…
意気込み勇んだハルカだが、遂にその心は真っ暗に染まる。
依頼者もだいぶやきもきして来た様で、その表情には疲れが見えていた。
(――仕方ない。)
ザックはカメラを構え、依頼者にこちらを向くよう指示をした。
そして、向くや否や素早くその姿を写真に収めた。
「報酬はいりません。写真は後ほど引き出してチャットルームに預けておきます。」
話を聞いた依頼者は、納得し一言礼を言うと、再び釣りを興じに戻った。
ザックは、一旦チャットルームに戻るようハルカに提案した。
だが、なぜかハルカは目を丸くし、じっとザックを見つめていた――
――チャットルームに着くと、早速会話は始まった。
「失敗は成功の元ってやつです。」
お気に入りのワイルドベリーティーを片手に、ザックは慰めの言葉を送った。
だが、当の本人は、なぜか挙動不審だった。
(――そういえば、さっきも様子がおかしかったな…)
よほど失敗が堪えたのだろうか…ザックは心配し、再度声を掛ける。
すると、意外な言葉が返ってきた。
「その…ザックって人物写真は写さないんじゃなかったっけ?」
ハルカにしてみれば、写真が撮れなかった事より、ザックの変わりようの方が気になっていたのだ。
(――そういえば。)
それは、ザック自身、言われるまで気付かなかった事だった。
「前にちょっとした事情で人を写した事がありまして…それが原因ですかね。」
それは以前、ラーソと桜を撮りに行った時の出来事である。
ハルカは、今の話が可笑しかったのか含み笑いを見せていた。
そして、妙に和らいだ口調で一言。
「ザック、前よりだいぶ垢抜けたよね。」
途端にザックは照れだした。
指で頬を掻き、平静を装うその仕草に、ハルカは意地悪い視線を送った。
「さて、と… あたしもザック大先生に負けないようにしなきゃね。」
ひとしきり笑い終えたハルカは、再び熱意をたぎらせた。
それならば、とザックは熱意に応えるべく、先ほどの撮影で感じた悪い点を、これでもかと指摘した。
話を聞くハルカの瞳は、以前より強い輝きを見せていた。
今なら出来る。自信が不安を上回った。
善は急げ、とばかりに、チャットルームで募集を掛け、依頼が来るのを待った。
しばらく後… 二人の男女がザックの視界に現れた。
手をつなぎ、親密そうに会話を交わす男女を見、ザックは二人が恋仲であると理解した。
人目を気にせずじゃれあう姿は、恥ずかしいというか微笑ましいというか…なにも言葉が出なかった。
一方で、ハルカは顔に紅葉を散らし、そんな二人を眺めていた。
だが、いつまでも眺めているわけにもいかない。
ザックは、二人から詳しい話を聞いた。
それによると、二人はこの街で知り合い、仲を深めていったらしく、近々アバター行為を控えている身であるとの事だった。
――思い出深いこの土地で、是非記念写真を撮りたい。
これが男女の依頼内容だった。
二人が指定した場所は、奇しくも先ほどの河辺だった。
それでは、いざ出発。
腕を大きく振り回し、ザックは行こうと張り切るが、他の者は会話に夢中で動かない。
事にハルカは、二人の馴れ初め、おのろけ話を、頷きながら聞いていた。
待つ方は時間が異様に長く感じるもので、これは体感時間の違いがそうさせるのだろうか…
そんな事を考えながら、ザックは三人を待っていた。
が、途中、何かを思い立ったのか急に席を立ち、チャットルームを飛び出した。
そして、その足は近くの雑貨屋へと向かっていた。
店に着いた矢先、急ぎ気味に扉を開け中に入る。
室内は、綺麗に陳列されたパワーストーンが、神秘的な雰囲気を演出していた。
ザックは、テレパシーを行いながら品物の物色を始めた。
『赤色のオーラの方に最適な石ですか? …そうですね、今日の場合はアズライトがいいですわ。』
テレパシー相手はラーソだった。
珍しくパワーストーンについてを聞いたザック。その手には、ラーソが言ったアズライトが握られていた。
青く光るその石は、ザックの意思に呼応するかの様に一層の輝きを放っていた。
ザックは手早く購入を済ませると、占いの礼をした。
直後、なにがおかしいのか、ラーソは小さく笑い始めた。
『…ザックさん、こういうのあまり感心が無かったじゃありませんか。それなのに、そんなに喜んでるのがなんだか可笑しくて。』
すかさずザックは、それはお互い様だと言葉を返した。
「ラーソさんの変わり様に比べれば自分はかわいいものですよ。」
ラーソは、ザックに会って以来、否定的だった多数占術を積極的に行うようになっていた。
その甲斐あってか、低迷気味だった個人占術も順調に成果をあげるほどの成長をみせていた。
そんなラーソの変わり様と比べれば、自分は… ザックはそう本心から感じていた。
『そうですわね。お互い様ですわ。』
そう言い、可愛らしく笑うラーソは、ザックを少し赤面させた。
今日は色んな人に笑われる…そんな事を考えながら、アズライトを手に店を後にした――
―――――――――
――ザックが帰った時、丁度ハルカ達も会話を終えたらしく、出発の身支度を始めていた。
準備は整った。再度気合いを入れ、いざ行かん。
依頼を受けてから一時間、目的地の河原に着いたのはさらに一時間後のことだった――
――恋人は愛を口ずさみ、川辺では小鳥が歌を口ずさむ。
到着した時、いつにも増して空気中のフォトンエネルギーが熱く輝いていた。
こんな時は「雨」が降る。
ザックは空の様子を伺った。
撮影にはそんなに時間は掛からないだろう。
雨は心配だが、このままハルカの撮影を見届けることにした。
「ではよろしくお願いします!」
男女の呼び掛けに、ハルカが静かにカメラを構えた。
その手は、微かに震えていた。
ザックは、先ほど買ったアズライトをそっと差し出し、助言を与えた。
「力を抜いて、自分がまず写すことを楽しんで下さい。」
自分がまず楽しむ…
ふと、ハルカの脳裏に先刻の自分が浮かび上がった。
自分は楽しんでいたのだろうか?
――否。
うまく写す事だけを考えていた。
そればかりか、ザックより素晴らしい写真を写してやろうなどと考えていた。
それは、まったく恥ずかしいことだった。
思えば、そう、あの時… あの陰舞夫妻の時からザックに対しどこか対抗心が生まれていた。
ザックの写真は素晴らしかった。
だから自分もザックのように…
矢継ぎ早に現れる思考に、自分自身が馬鹿らしくなる。
そして、ハルカは笑った。
それを見て、ザックも笑った。
「もう大丈夫」ハルカの笑顔はそう言っていた。
後はただ、見守るだけ。
ハルカがアズライトを手にし、オーラを活性化させていく。
カメラ内のフラッシュも、それに影響され力を増した。
「二人とも、笑顔笑顔!」
そして、静かにシャッターが押された――
―――――――――
――「ハルカさん、素晴らしい技術でしたよ。」
チャットルーム。そこには喜々として話すザックと満足げに写真を見つめるハルカが居た。
写真は、カメラの中で、データとして残るため、それを引き出す必要がある。
引き出す時だけは、旧文明のデジタルに頼らず「思念紙タグ」を用いて行う必要があった。
取り出した写真は、後ほど依頼者に手渡す事になっていた。
ハルカは改めて礼を言い、頭を下げた。
そんなハルカに、ザックは始めて自分の写真に対する思いを告げた。
「人を写すということは、その時の、その人が感じてる思いも一緒に写すこと。だから、自分のような生半可な者にはおこがましい事だと思うんです。」
ふと、話しを止め、先ほど写した写真を手に取った。
それをしばらく見つめた後、ザックは再び口を開いた。
「でも、それは結局言い訳だったのかも知れませんね。ある人に会って、そう思えるようになりました。」
今はまだ無理でも、 少しずつ進歩しよう。
少しずつでも、前へと進むラーソのように。
今回の経験は、ハルカだけでなく、ザックにとっても新たな一歩となっていた。
「そろそろ列車の時間ですね。」
席を立ち、別れを告げる。
「そういえば、目的地はどこなの?」
聞かれ、ザックはスパンセだと告げた。
だが、自分でも詳しく解らないという。
自分の目的地が解らないのも変な話だ…
ハルカはそう思ったが、深くは聞かなかった。
他人の旅を深く追求する時は、お互いの旅が重なった時だけ。旅人とはそういうものだ。
「あたしはしばらくここで一休み。ここであたしを待ってる人が居るの。あたしの大切な人よ。」
近い内に、その大切な人と一緒になりたい。
幸せそうにハルカは言った。
「なるほど…だからあんなにさっきの馴れ初め話しに熱心だったんですね。陰舞さんの時もそれで…」
途端にハルカは赤面し、話題を切り替えた。
「あ、さっきの写真の題名まだ決めてなかったわね。題名は比翼連理でどうかしら?」
比翼連理。それは男女の契りが深い事を差す言葉。
確かにあの写真にはぴったりな題名だった。
だがそれは、先ほどザックが間違って使った言葉でもある。
そのためザックは、ハルカにいじられている様な気がし、顔から火が出る思いとなった。
笑い合い、時間は過ぎる。
出発の時が迫っていた。
いつまでも、いい写真仲間で居よう。
そう言いハルカと握手を交わすと、ザックは再び自分の旅路へと戻っていった――
―――――――――
――列車に乗り、空いている席に腰を下ろし、窓を覗く。
色鮮やかな色彩達が出発を見送っていた。
それに促され、列車は静かに動き出す。
ザックは目を閉じ、これからすべき事を思い浮かべた。
列車は変わらず走り続ける。
人々と、その思いを乗せながら――
第十話「比翼連理」 完
十話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
ザック=ルーベンス
ハルカ
ラーソ=ボローニ