樹と機
――長い闇の中、それは突然始まった…
無数の蠢く蜘蛛。
蜘蛛と人が融合したような醜い生物。
足が付いた建物の行進、それを破壊する円盤状の飛行物体。
その飛行物体で地球を飛び出し、宇宙空間へと消えていく魚。
それらが規則性なく現れ、映し出される不可解な映像。
意味の見いだせないその内容は、まさに悪趣味のそれだった…
マティス達は今、その悪趣味な映像をチャネリングにより観賞していた。
場所は昨日と同じ、クレロワの所有するビルの一室。
マティス達が座るテーブルには、飲み終えたコーヒーカップが並んでいた。
やがて、映像を見終わった三人は、怪訝な表情を浮かべ瞳を開いた。
「いかがだったかね?宜しければ君達の意見を聞いてみたい。」
カップを片付けながら、クレロワは映像の感想を三人に求めた。
沈黙した空気の中、マティスが始めに口を開いた。
「ずいぶんと悪趣味なものを作ったものだ。」
棘を纏った、マティスらしい返事である。
対する潟躍は…
「正直、気味が悪いです。」
映像を振り返り、顔を歪めていた。
だが、映像を作ったクレロワは、「気味が悪い」と言われ、なぜか笑みを見せていた。
実は、今の映像は旧文明のディスクという物に内蔵されたデータを元に、クレロワがチャネリング放送用に作り直したものだった。
そして、この意味などなさそうな映像には、ある重要な意味が隠されていた。
クレロワがそれを話そうと、自信満々に口を開く。が、その時、これまで黙り込んでいたネムがクレロワを遮るように語り始めた。
「蜘蛛の形態は、これ以上進化することのない最終進化形態と言われてる。それが転じて、蜘蛛は進化の象徴としての意味を持つようになったと聞いたことがある。」
突然の事に、クレロワがなにも言えないでいる中、ネムは尚を話しを続ける。
「進化の象徴の蜘蛛がいたる所に現れ、また人と蜘蛛が同化したような生き物が規則性なく現れる。一見すると不快なものだけど、これは人類の進化、アセンションを示唆した映像…てことだと思う。」
その瞬間、ネムを賞賛する音が部屋中に響いた。
クレロワの拍手と、それに重ねるように加わるもう一人の拍手。
その音は、部屋の入り口のほうから響いていた。
「お見事。さすがは、わたしが見込んだアフィリエイターさん。」
そこには、一人の女性が立っていた。
女性はリリ=アンタレスと言う名で、クレロワの専属占術師だと告げた。
その名前に、三人は驚愕し顔を見合わた。
リリ=アンタレスといえば、その名を知らぬ者が居ないと言うほどの著名な占術師である。
近年の運気飴を筆頭に、数々の流行を作り上げた人物。
所在も不明で、ミステリアスな存在であるリリが、身近な場所に居たことがなんとも意外だった。
驚く三人を後目に、クレロワは席を外し部屋を後にした。
残されたリリは、話の続きを任される形で、マティス達の相手を始めた。
「今見せた映像は、ディスクという古代遺産に内蔵されていたものなの。今みたいな進化を示唆するものは、二千年からアセンションを遂げる二千十二年にかけて、大量に作られていたと考えられてるのよ。」
人差し指を立て、面白おかしく話すリリ。だが、子供じみた行動とは裏腹に、極めて高度な知識を覗かせていた。
それから更に話しは続いた。
その内容は、にわかには信じられないものだった――
――旧人類の中には、アセンションの事実を知り、それを助長させる者が少数居たという。
そうした者達は、他の人類より先に新人類として目覚めており、人類が無事にアセンションを遂げるよう導いた。
クレロワが普段流しているデフォメや、先ほどの映像も、そんな人達が作り上げた動画を、現代に復活させたもの。
そのような者達を「ワンダラー」と言い、彼らはアセンションを遂げた後、ある形で進化し、現在に残ったという。
「ここで質問です。なぜ、バイオレットがクリスタルよりも数が少ないか、考えたことがありますか?
…答えは簡単です。バイオレットこそ、人類を導いたワンダラーを始祖にもつ人種だからなのです。」
――人類にアセンションを促した彼らは、その役目を終えるとバイオレットとして新たな世界に溶け込んだ。
記憶を持つ者も居れば、無くした者もいる。
近年は、アバター行為によりバイオレットも多く誕生しているが、それらのバイオレットはワンダラーではない。あくまで純粋なバイオレットがワンダラーなのだとリリは言った。
さらにリリは、そんなワンダラー達を探しているという。
だが探そうにも、ワンダラーは極わずか。探すには多大な苦労を有することになる…
そこで話は一旦途切れた――
「なぜ俺達にこんな話を?」
話し終えたリリに向かって、突き刺すようにマティスは言った。
聞かれ、リリは微笑し答えた。
「ワンダラーさん達は、わたし達にとってとても大切な存在なのです。ですから、あなた達にも探すのを手伝って欲しいなって思いまして。」
リリは、なぜワンダラーが大切な存在かは言わなかったが、嘘を言っている風ではなさそうだった。
マティスは、今の提案を受けるか話し合うことにした。
突然の事だけに、相談はいつになく長引く。
その末に出した答えは…
「俺達は、荒らし浄化のアフィリエイターであって人捜しがメインじゃない。」
マティスはそうきっぱり言いのけた。だが実は、三人の中で最後まで悩んでいたのは、意外にもマティスだった。
リリは、両手を合わせ可愛らしく懇願したが、一度物事を決めたマティスは梃子でも動かない。
腕を掴まれ呼び止められる中、マティスの瞳に、窓から見下ろす四角く伸びた建物の森が映し出された。
それを眺めながら、マティスはいつになく冷たい態度で呟いた。
「…前から言おうと思っていたが、俺はこの街がどうにも苦手でね。世界一の発展国でありながら、こうやって田舎を気取ってる。そこがどうにも胡散臭い。」
聞いた途端、リリの腕から力が抜けた。
「仕方ない子ね。それじゃ…」
リリは、懐からなにかを取り出し、それをマティスの前でちらつかせた。
紫に輝く、手のひらほどの四角い板。それを見た時、マティスの表情に変化が生じた。
「パープルプレート」と呼ばれるそれは、近年作り出された物である。
その性質は、所持者に、沈んだ大陸の遊歩さえ可能にさせるほどの力を秘めている。そのため、近年飛躍的に成果をあげる海底遺跡探索で活用されていた。
だが、それを作る技術を持つ者は現状ではただ一人。現在は世界に数枚程度しか存在しない貴重な代物である。
リリは、自分こそがそれを作れる人物だと告げた。そして今回、特別にプレゼントするという。
「まぁこれはちょっと細工をした体験版。効果は三回で切れるわ。だから…」
パープルプレートを三人に配りながら、リリは小さな笑みを浮かべた。
「だから、正規版が欲しくなったらまた来てね。」
ウインクと共に、パープルプレートをマティスに渡す。
もの言いたげなマティスだが、ネムと潟躍に半ば強引に連れ出され、その場はなんとか収まった。
そして、それから一ヶ月――
――その日、世界は揺れていた。
クレロワによる大々的なチャネリングは、一ヶ月経った今でも新たな風をもたらしていた。
サフィームに書かれた事実を信じ、先にある進化を肯定する者、また否定する者。
望む者、拒む者。
人々は各々の意見を持ち、ある意味では活気がある状態と言えるだろう。
ザックが今いる街、ファンクスのチャットルームも、この話題に事欠かなかった。
その騒ぎの中に身を置くザックは、周りの会話には参加せず、一つのテーブルを仕切りに眺めていた。
《 (∵) 》
謎のマーク。
それには見覚えがあった。
「…今度はなんて意味があるんですか?」
ザックは、テーブルに座る長い黒髪の静かな女性に話し掛けた。
「これは、わたくしのシンボルマークです。」
ラーソもまた、いつもと変わらぬ様子であった。
ザックはラーソの隣へ座った。もうじき用事があるため、ここを去る予定だが、その間ラーソと会話をしたかった。
ラーソとは、今では最も顔を合わす仲。だが、そんな間柄でも、自分達の趣味や特技のことは未だによく解らない。今日はその話題で会話が弾んだ。
事に、ラーソの特技である占術の話は盛り上がった。
初対面の時、色々聞いていたが、改めて聞く占いの話は、好奇心を刺激した。
「これは、タロットカードと言うものです。わたくしの場合、これを使えばより相手のオーラリズムを鮮明に感じられるようになりますの。」
ラーソは瞳を閉じ占術を始めた。
閉じた瞳が再び開いたのは、それから数分後のことだった。。
「ザックさん、あなたは近々思わぬ対面があることが予想されますわ。」
占術を終えたラーソは、深く息を吐き出し力を抜いた。
「ずっと以前、とても大きな、自分にとって機転となる出会いがありましたね?その時のオーラの揺れと同じ様な揺れが、近い将来のザックさんから感じられました。」
軽い気持ちで占って貰ったものから、思わぬ結果が舞い込んだ。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦、楽しみです。」
聞いて、ラーソは首を傾げた。
ザックは「ことわざってやつです」と笑って言った。
話に花開き、気が付けば時間がだいぶ過ぎていた。
慌てた様子で礼を言うと、ザックは急いでタグを書き始めた。
タグを書き終えた時、ザックの体は光に包まれた。そして次第にその体は消えていった。
「お気を付けて。」
ラーソはそれを静かに見送った――
ファンクスから遠く離れた場所に、「ワイス」という田舎町があった。
次にザックが現れた場所は、この町のチャットルームだった。
ジョウントタグ(街から街のチャットルームへリンクするタグ)を用いたため、移動時間はまさに一瞬。疲労は全く感じないが、その分旅費に疲労が生じた。
ザックは、足早にチャットルームを出ると、腕を伸ばし、空を見上げた。
目に飛び込むものは、木々ではなく無数に伸びた四角い建物。
スパンセやファンクスのような森や山に囲まれた街とは違い、ここは「ビル」という人工物に囲まれていた。
ザックはその中を、自前の自転車で駆けていく。
ザックには「サム」という古い知人が居た。
これから、そのサムに会いに行こうと、自転車を走らせていたのだった。
走ること数分。目的のサムの家が見えてきた。
地を蹴る車輪の音が、次第に強くなっていく。
その音が止み、ザックは目的地に無事着いた。
町外れの為か、先ほどよりビルが少なく、視界を遮るものがあまりない。
早速ザックは、その一軒家の扉を叩いた――
―――――――――
――中に入ると、サムではなく、一人の女性がザックを出迎えた。
「こんな田舎にわざわざ…あなたがザックさんでいらっしゃいますね?」
女性は、柔らかい物腰でそう言うが、視線はそれに反して鋭かった。
「わたしは、ルシータといいます。あなたのことはサムの手帳を見て知っています。そろそろ来ると思っていました。」
手帳と言うのは、「登録書」と呼ばれるもので、互いに持った登録書を交換し、交換した登録書に自分の個人情報を書き込む。
そして再び相手に返し、情報を読んだ後、自分だけに見える色彩を用いて個人情報を上書きするものである。
そうすることで個人情報を入手するのだが、サムはどういうわけか、ザックの情報を他人に見えるようにしていた。そのため、ザックはルシータの知る所となったようだった。
女性がそれを取り出し、ザックに交換を求めた。
促され、ザックも懐から登録書を取り出すと、それを渡した。
ラーソの時にも行った行動である。
「ぶしつけで失礼しました。わたしは彼の介護師なもので、彼と親しいあなたと連絡を取れたら楽でして。」
「それで、サムはいつここに?」
やや慌てた感じでザックは言った。
「もうすぐ」 そうルシータが言った時、部屋の奥が急に眩しく輝き始めた。
その輝きは、何かの形を為していき、そして…
「ただいま戻りました!」
部屋中に、子供の声が鳴り響く。
突然、光と共に現れた少年。彼こそが、ザックの旧友「サム」だった。
元気一杯に叫ぶサム。その表情はレリクの息子、シェイン達よりも幼かった。
可愛らしい無邪気な笑顔は、子供らしさを振りまくが、その姿はどこか普通と違っていた。
両手首はまるで木のような形状をしており、そこから枝のような指が伸びている。
両足も腕と同じく木のようで、根が生え、地面に根付いていた。
「ザック久しぶり!それから、えっと…」
初めて見るルシータの姿に、サムは困惑した。ルシータは、そんなサムに歩み寄り、新しく来た介護師だと告げた。
サムの家には、父も母も居ない。
母はサムを生む時に亡くなり、父はサムを養うため、遠い地である「グリーズ」という場所に暮らし、資金を蓄えていた。
そのため、サムは一人になってしまうので、面倒を見るルシータのような介護師が必要なのである。
ザックは旅の途中、サムの父親と親しくなり、いつしかサムとは何度か会う仲となっていた。
そのサムは、一年ほど前、家で起きた火事により一度命を無くしていた。だが、今日、無事魂が戻って来れたと言うわけだ。
「偉いぞ。よく戻って来た。」
ザックはサムに近寄り、その頭を優しく撫でた。
だが、サムは頭を揺すってその手を払った。子供のように扱われるのが恥ずかしいらしい。
「居ない間、サムが見たがってた都会の写真を沢山撮ったよ。後で見せるから今はゆっくり休むんだよ。」
それを聞き、サムは今見たいと強くせがんだ。だがザックは、また今度とそれを突っぱねた。
再生し立ての身体は、魂共に不安定なため、長い睡眠をとるのが望ましい。サムを思ってのことだった。
断られても尚、サムはうるさく騒ぎ立てた。
が、その声は、突然響いた扉を開ける音によりかき消えた。
扉の方を振り返ると、そこにはサムと同じくらいの少女が立っていた。
「サム、戻ったんなら連絡くらいしなさいよ!」
少女は、サムよりもうるさく叫び、部屋を震わせた。その声に、サムも震えた。
「だって…ちぃはうるさいんだもん。」
この後、余計に騒がしくなったのは言うまでもないだろう。
ザックはそんな二人を静かに見守ると、ルシータと共に家を後にした。
外に出、特に目的地を決めずに二人は歩いた。
ルシータに、サムの前では聞けない事を聞くためだった。
「サムの事、どれくらい知ってますか?」
「…アバタータグの誤字か、親の思念の不安定さが原因で起きたコラージュ、ということくらいしか。」
――人の肉体は、ルシータがいうような事故により、稀に染色体異常を起こすことがある。
そうなると、サムのように、人でありながら植物のような肉体を持つ、という現象に陥る。
この現象をコラージュ、通称「コラ化」といい、治そうにも、生み出した親の力を無くしては難しいのが現状である。
「わたし達新人類は、病気から解放されたって言いますが、サム君のような子を見ると、とてもそうには思えません。」
言いながら、ルシータは深いため息をついた。
「本当にクレロワさんが言ったように、人類にまだ進化の可能性があるのなら、やはり人はそうなったほうがいいのでしょうか…」
話を聞いていたザックは、寂しげな表情を浮かべていた。だが、直ぐに笑顔に戻すとサムの介護を改めて頼み、頭を下げた。
それから数分。着の身着のままの散歩は続き、気が付けば先ほどのビルの群れが近くにまで迫っていた。
ザックは、競うように天へと伸びたそのビル達を見ると、すかさずカメラを手に撮影を始めた。
「こんな田舎じゃ、たいした写真も撮れないのでは?」
ザックにつられてか、ルシータは指で枠を作り、思念写真を撮りながら話し掛けた。
「たまに田舎もいいものですよ。」
ザックにしてみれば、古い時代の「デジタルの遺産」も一種の芸術だった。
ビルは「樹」
無数にある窓は、花が開く「芽」
ザックは興奮気味にそう言った。
ひとしきり撮り終えると、ザック達は帰路に着くことにした。
ルシータから事情を聞くためとはいえ、サムを置いて行ったままでは気が重い。
最後にもう一度ビル達を眺め、二人はその場を後にした。
数分後、ザック達はサムの家に無事着いた。
扉を開けようと近づいた矢先、勢いよく扉が開き、中から一人の少女が飛び出した。
「あ、えっとザックだったわね。サムの面倒しっかり見てよね。それじゃ。」
そうまくし立てた少女は、ザックの返事を聞くより早く、何処かへと走り消えていった。
呆気にとられるザック。
ひとまず家へと入ってみる。すると…
「あいつ、今に見てろよ…」
中には、なぜか悔しそうに顔を歪めるサムが居た。
サムは半泣きだったため、話を聞くのが少々難儀であったが、それでもなんとか事情を聞くことが出来た。
どうやら先ほどの少女に、突然バケツ一杯の水をかけられご機嫌斜めらしい。
追いかけたくても追いかけられないサムは、それが悔しくてしょうがない様だった。
気持ちは解らないでもないが、詳しい事実を聞かない限り、どうにも答えようがない。
ザックは、サムを宥めながら、話しを聞くことにした。
「確か、ちぃって言ったね。あの子とはいつ知り合ったのかな?」
「僕が事故に合う少し前に… ここに引っ越して来たって言ってた。」
事故にあう前というと…
(――俺がサムと別れた直後か。)
「ザック、あいつを懲らしめてよ。」
体を揺らし、サムはせがんだ。
サムにはひどいが、その様子は少々かわいらしく見える。
それに、ちぃが単に意地悪くしているとも思えなかった。
「サム君には定期的に水分補給が必要なのよ。きっとあの子は何時も介護師がしてることを真似たんじゃないかな?」
そう言い、ルシータはサムの頭を優しく撫でた。
その途端、サムは頬を赤くし、機嫌を直した。
この変わり身の早さ…どうやらサムは美人に弱いらしい。
上機嫌となったサムは、ザックにいつ頃までここに居るのかを聞いた。
ザックは少し悩みながら、今回はしばらく居れそうだと返事を返した。
その言葉に、サムは素直に喜んだ。ルシータもまた、嬉しそうに微笑んだ。
とりあえず、この部屋は家具がほとんどない上に、三人では少々息苦しい狭さのため、ザックは近くのチャットルームを寝床にすることにした。
それを二人に伝えると、ザックは立ち上がり家を出た。
「そうだ。きちんと休んだら、今度都会の話をしてあげよう。ルシータさんの言うこともきちんと聞くんだよ。」
去り際に言ったザックの言葉に、サムは嬉しさで再び体を揺らすのだった――
第七話「樹と機」 完
七話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
リリ=アンタレス
ルシータ
サム
ちぃ