二つの情景
――その日、ザックは街から離れた湖畔に来ていた。
森に囲まれ、清い水を湛えたこの湖は、ファンクスが誇る場所である。
そこにザックが向かう理由はただ一つ。写真を撮るためである。
ザックが歩く隣には、一人の男が歩いていた。
その男は陽気な表情を浮かべているが、ザックの表情はどこか優れない。
それというのも、隣にいるこの男が全ての原因だった…
男と会ったのは昨日の事――
―――――――――
――チャットルーム。
そこには湖畔に向かう支度を終えたザックがいた。
勇んで行かんと店を出ようとした時、それを見た街の者に呼び止められた。
聞けばここ数日、湖近付近で異変が起きているらしい。
巷では、荒らしの仕業なのでは…と噂されているこの異変。
街の者は、ザックの身を案じ制ししたのだった。だが、それでもザックは行う気を失わなかった。
荒らしが居ても、尚向かおうとするザックは、肝が据わっているのか、はたまた図太いだけなのか。
が、さすがに問題があったのでは、写真に集中出来ないのも事実。
そこでザックは、チャットルームにて護衛を依頼することにした。
募集をかけること数十分。ようやく一人の男が話に乗ってきた。
「ビンズ」と名乗ったその男は、コーヒーを豪快に飲み干すと、再びそれを注文し、依頼そっちのけで口に運んだ。
飲み終えて、満足したのかザックを見、自信満々こう言った。
「俺一人いれば三人分のお釣りが来る。」
腕っ節に自信があるのか、やたらと自分を強く主張する。ビンズとはそういう男だった。
「…解りました。」
ザックは戸惑いながらもそれを承諾した。
そうした内、外の天気はだいぶぐずつき、雨の槍。これでは写真も困難なため、行くのを明日にし、その日は幕を下りた。
そして翌日――
―――――――――
――「…てな具合で、みんな匙を投げてた事件を、俺が華麗に解決したって訳よ。」
翌日となり、いざ一緒に行動してみると、長々と自分の過去の武勇伝を語るビンズに、ザックはすっかり調子を狂わされてしまった。
「あんたも凄いと思うだろ。」
そんな気持ちはつゆ知らず、ビンズは口を閉ざすことなく、陽気に歩を進めていった。
一方、そんなザック達の遥か後方、複数で歩くグループの姿があった――
――「わたし達より早く、ここに来た人達が居るみたい。」
「なら急いだ方がいいってわけか。」
後ろを歩くのはマティス達であった。
だがその一行に、見知らぬ少女が加わっていた。
湖に大勢で押し掛ける理由は、もちろんピクニックなどではない。街の者達が言っていた荒らしの浄化のためである。
マティス達は、遺跡探索の他に、荒らし浄化のスペシャリストということでも名を知られていた。
マティス達の手に掛かれば、荒らし一人の浄化など朝飯前。
一緒に歩くこの少女は、そんなマティスの名を知り依頼をかけた依頼主であった。
少女は、肉体年齢十七歳前後といったところか。幼さを残しつつも、凛としたその表情は、大人の表情を覗かせていた。
この少女とマティス達が出会ったのは、ザックがビンズと出会った時とほぼ同時期。はじめに声を掛けたのは少女の方だった。
――湖畔の荒らしに関して、街の者も知らない事情を知っている。
そう告げた少女は、静かに事情を語り始めた――
――――――――――
――少女には、年の離れた弟がいた。
好奇心が旺盛で社交的、なにより元気が取り柄だというその少年は、ある日湖畔にやってきた。
「湖畔には、夜にだけ咲く花がある。その花は美しく光り輝く神秘の花。」
そんな噂話が、少年の好奇心を刺激した。
少年には大好きな姉が居た。
幻といわれる花を、その大好きな姉に手渡したかった。
そして少年は湖畔に向かい、一人その場で夜を待った。
だが――
―――――――――
――「弟が居なくなって、もう数ヶ月経ちました。街の人がいう荒らしは湖畔に出るって…だから…」
そう言い、少女は涙ぐんだ。
話を聞いていた潟躍も、瞳を潤わせていた。
続きを聞きたいが、これ以上少女の口から言葉は出てこない。
だが、これだけでも事情は十分把握出来た。
「報酬は?」
落ち着きを取り戻したばかりの少女に、マティスはそっけなくそう言った。
そんなマティスに、潟躍は思わず困惑の表情を浮かべる。
少女はポケットをまさぐると、紙幣を取り出しマティスにやった。
「わたしがちょっとした事情で貯金していたものです。これでよければ。」
見ると、少女が貯めたにしては十分過ぎる金額が用意されいた。
それを見、マティスは依頼を請け負うことにした。
そして今、一向はそれを達成するため湖畔に来ていたのだった――
湖へと向かう道中、マティスはいつになく静かだった。
いつも無口なネムはさておき、いつも騒がしい潟躍は、隣を歩く少女と会話を弾ませていた。
少女の気を考えれば、そっとしておくのがベストといえる。
だが、これは妙に張り詰めた空気を和らげようとする、潟躍なりの気遣いだった。
「なるほど、君はアフィリエイター志望だったのか、それであれだけの貯金が。」
「はい、占術師として世界を巡りたいと思ってまして。」
"アフィリエイター"とは、チャットルームを拠点に仕事をする者達。マティス達もアフィリエイターである。
「本当は、今日が占術師としての第一歩を踏み出す日でした…」
少女はそう小さく呟いた。
それを聞き、潟躍は理解した。弟は、そんな姉の出発を祝おうと、幻の花を探しに行ったのだと。
「いい弟さんじゃないか。でもいいのか?せっかくの貯金を俺たちに渡して。」
聞かれ、少女は「それが礼儀です」と年齢らしからぬ律儀な返答をした。
だが本音は違っていた。
資金を投げ打ってでもすぐに弟に会いたい… それが本心であり今の少女を支える唯一のものだった。
潟躍達が話す中、先頭を歩いていたマティスが、突然ぴたりと歩みを止めた。その姿勢は、戦闘態勢に変わっていた。
茂みを揺らす些細な音を瞬時に察知しての行動だった。
そして案の定、茂みから一体の巨体が現れた。
巨大な影… それは鋭い爪を持った豚に似た獣、「ガゼカ」だった。
二本足で立ち上がり、ガゼカは腕を振りかざす。
巨大な唸りが、敵意となってマティス達へと迫る。
それぞれが、一瞬で行動を決断し、動き出した。
怯える少女には、ネムが作ったウォールタグが、ガゼカには、マティスの右拳が。
その戦いは一瞬で決まった。
クリスタルであるマティスにとって、猛獣は荒らしより扱いやすい。
振り下ろされた爪を右手で受け、がら空きとなった胸元へ左拳をめり込ませる。
巨大は大きな音を立て倒れ込んだ。
「さすが、俺の出る幕が無かったな。」
潟躍が口笛を鳴らしマティスをねぎらった。
怯える少女を落ち着かせ、一向は目的の湖畔を目指し、再び歩き始めた――
――ザック達は、一足先に目的地の湖畔に来ていた。
カメラを手に、ザックは湖畔に歩み寄る。
レンズに湖畔の情景を反射させ、ザックはシャッターを押した。
「題して、二つの情景ってとこか。」
湖畔の水面、そしてそれに反射した周りの情景が、カメラに収められた。
それにしても素晴らしい風景だ。
このまま湖畔を見ながらの休憩も悪くない。そう思うと、いつものリンゴ飴を口へ放り、丁のいい木影を見つけ、そこに腰を下ろした。
小鳥のさえずりが耳を擽る。
鼻を通るのは、緑の匂い、土の匂い、そしてなにやら芳ばしいコーヒーの香り…
隣に目をやると、ビンズがコーヒー豆をまるで飴を舐めるかのように頬張っていた。
「これか?これを食べるとな、血が騒いでくるんだよ。」
豆を砕く心地よい音を立て、ビンズは言った。
なるほど、口の中がコーヒーミルというわけか…
体に悪そうに思えるが、美味しそうに食べるビンズを見ると、なにも言うことは出来なかった。
そろそろ戻ろう…そう思い、ビンズに言おうと振り向いた矢先、異変が起きた。
口へと放り投げられたコーヒー豆が、宙に浮かんだまま制止している。
ビンズも同じくその動きを止めていた。
これはすなわち、時間流の大変動、ラグ(時間のズレ)が起きているという証。
ビンズの目にも、ザックは止まって見えていた。
ラグは荒らしが居る時に多く発生する。つまり、この近くに荒らしが居る可能性が高い。
ラグは静まりそうもない。そう判断したザックは、目を閉じ身体中に流れるフォトンエネルギーの低下を試みた。
エネルギーを低下させれば、タキオン反射が活性化し、ラグにも対処出来るからである。
「よし。」
ラグを克服したザックは、そのまま身構えた。
と、同時にザックの横を勢い良くなにかかが横切った。
「…大丈夫ですか?」
それはビンズだった。
「あんたが固まったままだったから、俺が守ってやったんじゃないか。」
焦りの表情でビンズは言った。
「守っていた」ということは、その対になる存在がいるということになる。
案の定、湖の水面にそれは居た。
(――子供の荒らしか…)
ザックは一瞬躊躇うが、ビンズは既に臨戦態勢、戦う気満々といった様子で荒らしを見ていた。
「子供だって容赦しないぜ。」
水面に立ち、荒らしの間合いへと詰め寄る。
どうやらビンズはバイオレットらしい。
一気呵成。雷の如き激動が荒らしの方へ突き進む。
が、直後…ザックの横を、ビンズが風となって飛動した。
「…やるじゃないか。」
吹き飛ばされて、がぜんやる気が出たらしく、懲りずに荒らしに向かっていく。
なんとかたどり着き、ビンズは肉弾戦で荒らしを攻め立てた。
だが、荒らしはそれを馬鹿にするような素振りで避け、まるで通用しなかった。
荒らしに対し、不器用な格闘を見せるビンズを見、ザックは確信した。
口は達者だが、腕はからきしということを。
羊頭狗肉とはこういうことか… ザックは思いながら掌を開き、荒らしの方にかざした。
その直後、荒らしは勢いよく吹き飛んだ。
「ビンズさんはここに居て下さい。」
呆然とするビンズを後目に、ザックは吹き飛んだ荒らしを追った――
―――――――――
――荒らしは、湖から数百メートル先まで飛ばされていた。
荒らしと言えど、相手は子供。
出来れば相手をしたくない。
されど、子供と言えど相手は荒らし。
このままこの場所に留まるならまだしも、街に出れば驚異と化す。
「お兄ちゃんも僕をいじめるの?」
決意し、身構えた直後、怒りと悲壮を込めた目で荒らしが話し掛けてきた。
それを聞き、ザックは思わず息を飲む。
(――暴走していない?)
通常、荒らしはその強い生体磁場により、自我を蝕まれ理性を無くす。そのような場合は、もやは浄化する以外に救う手はない。
だが、この少年は自我がある。
ザックは少年に、自分の事が解るのかを聞いた。
「解るよ。そんなことより、僕って凄いでしょ。いろんな事が出来るんだよ。」
そう言い、少年は周囲の木々をなぎ倒して見せた。
荒らしとしての力を楽しんでいる。そうザックは直感、そして同時に危険を察した。
自我があっても、力に溺れているのなら、それがやがて暴走の引き金になる。
やはり迷う暇はなさそうだ。
ザックは、半物質半霊化した身体で宙を舞った。
競走をしている気なのだろう、少年は笑いながら逃げていく。
ザックは、周りの木々をすり抜け少年を追った。
少年はそんなザックを睨みつけた。途端、木々が薙ぎ倒され、惨事。竜巻の後のような無残な光景が広がった。
それでもなお、ザックは加速を止めなかった。
いくら振り払っても追ってくるザックに、少年は焦りを見せ始めた。
いつしか攻撃も単調になり、動きが簡単に読めるようにまでなっていた。
ザックは好機とばかりに身体を加速させた。
少年は思念波を放ち迎え撃つ。ザックは加速したスピードをそのままに、宙で身を横に回転させ思念波を避けると、ついに少年に追い付いた。
追いつき、スピードが衰えぬ内に少年の腹部へ右拳を見舞った。
その拳は、加速した分、重い一突きとなっていた。
少年の思念波をかわすと同時に、攻へと転じるザックの技術。それが、少年との鬼ごっこを終わりにさせた。
「今のは…」
気になって二人を追ってきたビンズも、戦いを目にした途端その技術の高さに驚嘆した。
まるで素人とは思えない格闘センス、それはビンズ自身が思い描く戦い方だった。
拳を受けた少年は、地にへたれ込んだまま動かなかった。が、やがて、痛い痛いと泣きべそをかき暴れ始めた。
そんな少年に、ザックは歩みより、深く一礼。一言詫びると、優しく少年に事情を聞いた。
「姉さんのために探し物してたら湖に落ちて…その後直ぐに夜が来て…だけど早く姉さんを喜ばせたくて…」
言い終える前に、少年は大きく口を開け泣き出した。
その姿は、とても先刻暴れていた荒らしとは思えない。
ザックは、泣きじゃくる少年の額を人差し指で弾くと再び諭すように言った。
「その姉さんは今の君を見たらどう思うかな?悲しむと思わない?だから早く戻らなきゃ、自分の身体にね。」
指で弾かれた額を赤く染め、少年は静かにザックの話を聞いていた。
「戻り方は解るよね?」
少年は笑顔で首を縦に振った。
自我を持つ荒らしは荒らしに非ず。
対話で解決出来るのならそれが一番。そう考えるザックは、それを見事に実行してみせた。
「ありがと、お兄ちゃん。」
少年はそう言い湖へと戻っていった。
一件落着。
腕を伸ばし、深呼吸。
「…あんた、そんな実力があるのに、なんで俺なんか雇ったんだ?」
一部始終を見ていたビンズが、労うより早く問いただす。
「買いかぶりすぎですよ。ビンズさん。」
ザックはなぜか、悲しそうにそう言った――
――湖畔を目指し歩いていたマティス達も、ほどなくし、湖畔の美しい情景を視界に捉えた。
着いてまず、景観を軽視し荒らしの気配を探りだす。
目を凝らすと、水面に何かが浮かんでいるのを確認。マティスが近寄ると傍らの少女もそれに気づき、その名を呼んだ。
名を呼ばれ、荒らしは驚き振り返る。
「ミユ姉さん…」
荒らしの少年が漏らした一言は、ザック同様マティス達を驚かせた。
自我があるなら元に戻れるのでは… そう潟躍は言うが、マティスは首を横に振った。
「荒らしは浄化されるためにある存在だ。」
マティスはネムに武器を求め、ネムはそれを承知した。
少女は、潟躍と共に必死になり見逃すよう懇願した。だが、マティスは武器を手に少年に切りかかる。
「僕は…戻ろうとしてたのに。」
少年の表情は、悲しみから怒りに変わっていった。
初めはマティスの猛攻を避けるだけだったが、次第に拳を握りだし、ついにその力を向けた。
だが、時すでに遅し。
マティスの刃は少年の身体を切り裂いた。
「姉さん…」
少年が最期に残した一言は、憎悪でも、恨みの言葉でもない。それは、自分が愛する者の名だった。
少年が消えた時、少女にも立つ気力が消え、力なくその場に崩れた。
やがて、悲しさと憎しみを込めた瞳でマティスを睨み、森が震えるほどに大きく叫んだ。
「悪魔!わたしは絶対あなたを認めない、あなたのようなアフェリエイターにはならない!」
そんな少女に、マティスは黙って背を向け、小さく呟いた。
「…それがいい。」
その声は、背を向けて発したのにも関わらず、少女の耳にはっきりと伝わった。
潟躍は、泣きじゃくる少女に、昨日受け取った報酬を返した。
「俺にはこれは受け取れない。」
そう言い、視線をマティスへ向けた。その目は、明らかな疑念に満ちていた。
「お前も解っているだろう。…俺にはこの生き方しかないんだ。」
マティスと潟躍の睨み合いはしばらく続いた。
その間、ネムはただじっと二人を見つめていた――
――一方、ザック達はもうすぐ森を抜ける所へと歩を進めていた。
いい写真は撮れた。
途中、出会った少年も、荒らしから戻れるだろう。
今日のところは思い残すことはなにもない。
隣のビンズを除いては…
「決めた。俺はあんたを目指すぜ。」
「…いきなり何ですか?」
ビンズの目は本気だった。
先ほどのザックの戦いに、すっかり触発されたらしい。
「俺はもう一度鍛え直すぜ。そしていつかあんたを越す。」
指を指し、高々とビンズは宣言した。
ザックは、見えない所でため息をついた。
「どうせ目指すなら、こっちの方にして下さい。」
そう言い、ザックは一眼レフカメラを指差した。
そのレンズは、不思議そうにカメラを見つめるビンズの姿を映していた――
第五話「二つの情景」 完
五話登場人物集
※イラスト協力者「そぼぼん」
※登場人物一部割愛
ビンズ
ミユ