LOOP
まただ…
目覚めはいつも、同じ白い天井。
一本の細いひびが斜めに沈黙を刻んでいる。 朝の光がその傷に触れる瞬間、 世界はもう一度、息を吹き返すふりをする。その傷跡を眺める瞬間、心の奥底で何かがざわつく。
これは現実か? それとも、永遠に続く悪夢の断片か?
でもそう思ったのは、最初のほうだけ。今はもうない。
今日もまた、この牢獄から逃れられない。私は知っている。
何万回の朝が、それを証明してきた。
今は、諦めを超えた虚空。
私は田中真理。 かつては26の秋だった。 今はただ、秋の残像。
カレンダーは10月17日を、 金曜日の柔らかな嘘を、 永遠に繰り返す。数えるのが面倒なほど、同じ日々を繰り返す。何度も繰り返す10月17日だ。
最初は叫んだ。「これは贈り物だ。やり直せる、無限に」最初は興奮の炎が燃えていた。
そう自分を騙し、希望の糸を紡いだ。
心の中で、数え切れないループが渦巻く。
しかし、糸はすぐに絡まり、解けなくなった。
いろいろ試したすべてが、嘲笑うように何もかも失敗する。
宝くじの数字は当たるが、翌朝には消え、救った命は、次のループでまた失われる。
東京タワーの風に身を委ね、 死さえも試した。
恋人の声は、呼びかけるたび薄くなり、死の試練は、ただ痛みを増幅するだけ。
心は、次第に疲弊していく。「なぜ私だけが?」という疑問が、夜毎に胸を抉る。
怒りが爆発し、壁を叩き、叫び、世界を壊そうとした。
だが、壊れるのはいつも自分だけ。
けれど朝はいつも優しく、残酷に訪れる。
やがて怒りは灰になり、 灰さえ風に散って 残ったのは静けさだけ。
抵抗は、砂漠の砂のように滑り落ちる。
感情は色褪せ、今ではただの影。抗う気力さえもうない。
朝6時。 アラームの前に目が開く。
部屋の無音が、心の空白を映す。呼吸一つが、重く、意味を失う。
「今日も同じか」と、胸の奥でつぶやく。
その声は、自分にしか聞こえない。
毎朝、鏡の前に立つ。変わらぬ顔を指でなぞる。鏡の中の私の顔は、 相変わらずの肖像画。この皮膚の下に、何か違うものが潜んでいる気がする。
コンビニの自動ドア。 「おはようございます」の声は、機械のように冷たい。
梅のおにぎりを手に取る瞬間、ふと、味の記憶がよみがえる。
何千回食べても変わらぬ味。心は飽きを通り越し、無感覚になる。
「これが永遠の味か」と、苦笑いが浮かぶ。
だが、笑みはすぐに消える。感情を費やす価値がない。
住宅街の道。
赤い落ち葉が三回転して地面に着く。その軌跡を、私はもう数え切れないほど見届けた。その予測可能性が心を苛む。「すべてが決まっているなら、私は何だ?」
自由の幻想が崩れ落ちる。
風の匂いが秋の記憶を呼び起こす。
かつての喜びが、悲しみが、苦痛が、幸せが、すべてが遠い幻のように疼く。
電車の中。同じ車両、同じドアの影。変わらぬ人並み。
隣の少女のイヤホンから漏れるメロディは、永遠に同じサビで肩を揺らす。もはや曲を覚えてしまった。
会社。
「おはよう、田中さん」上司の目は、いつもと同じ無関心。
デスクに座る瞬間心は沈む。「この仕事に意味はあるか?」
ループの中で達成感は蒸発する。
ただ、手を動かす。まるで機械のように…
最初のうちは会社を休んだり、今までの記憶を頼りに仕事をバリバリこなした。
結局何をやってもまたループするから、どの位前からかは普段通りに仕事をした。
昼。
屋上の縁に腰を下ろす。雲の形が、昨日と同じ。空の青さが、心の孤独を映す。
いつもと同じ鳥が飛び、いつもと同じ街の音や人々の声。
ループを何度も繰り返していても、心は時々別の場所をさまよう。希望を見いだそうとしている。
「抜け出せたら、何をする?」そんな妄想が時折訪れる。
だが、すぐに現実が潰す。「抜け出せない」と。
夕暮れの公園。ベンチに沈む。
子供たちの声が遠く、母親の呼び声が、犬の遠吠えが、すべて予定された子守唄のように響く。
ここで長い時をただ眺める。風が頰を撫でるたびに涙の予感がする。だが涙は出ない。乾き切った魂から、何も流れ出ない。
「私はまだ生きているのか?」疑問が、胸を締めつける。
沈む陽はオレンジから紫へ、ゆっくりと命を抜いていく。
沈む陽の色が、オレンジから紫へ。その移ろいが、心の喪失を象徴する。
「美しいのに、残酷だ」
私はその色を何度飲み込んだことか。
家。
湯船に浸かり、体を温める。だが心は冷たいままだ。
冷凍のチャーハンを温めビールの泡を見つめる。
テレビのニュースは、同じ言葉を繰り返す。ミュートにすると、静寂が襲う。
心の声が、大きくなり、「終わりたい」とささやく。
だが、終わりはない。
夜が降りる。
午後10時を過ぎると、眠気ではなく、強制的な闇が降りる。
体が抵抗を諦め心が折れる。
何度「起きていよう」と試みるが、無駄だと知っている。
絶望が優しく包む。
午後11時50分。
ベッドに横たわる。天井のひびが暗闇で嘲る。
心は、最後の抵抗を試みる。
「今日こそ、越えられるか?」だが、答えはいつも同じ。
午後11時55分。
心臓の音だけがゆっくりと大きくなる。まるでカウントダウンのように。
「また朝か」と諦めの溜息。恐怖と安堵が、混ざり合う。
午後11時59分。
ぴたり、と。世界が溶ける。
暗闇の向こう。
そして、次の呼吸。
目覚めはいつも、同じ白い天井。
一本の細いひびが、朝の光に照らされて今日も静かに微笑む。
私はため息を落とす。
その音さえ、もう何万回目のエコー。
ただ思う。
今日も午後11時59分まで。
そしてまた、同じ10月17日の朝が来る。
ループの心理は、深く、底なしの井戸のように。
そしてまた落ち続ける。
永遠に。残酷に。
―終わり―




